地底からでは分からないが、おいおい日も長くなってきた文月初日の昼下がりのことだった。
「うあーん! さとりさまー!」
「どうしたのおく……ブッフォ!」
さとりが居間でくつろいでいたら、頭の上に直径四尺ほどの黒マリモを乗せた空が何の前触れもなく抱きついてきたので、さとりはおやつの塩せんべいを噴き出してしまった。
それにって運悪く煎餅の落下点にいたペットの殻つきナメクジの江須 軽子(♀)が瀕死の重傷を負ったが、それは同時に恐れ多くもさとりとの間接キッスを意味するからして全く問題ないどころか完全に僥倖である。
今問題なのは女の命である髪が無残にも天然記念物にメタモルフォーゼしているという凄惨な事実の方である。
「お、お空……あんなにツンツンしてたのがすっかり丸くなっちゃって……」
驚きのあまり近所のやんちゃ坊主が成長した姿を見てしんみりしてる妙齢の女性みたいなことを口走るさとり。
空はその声も聞こえない様子で、さとりの胸に顔を埋めてわんわん泣きわめいている。
髪型の関係上、空の頭がさとりの顔を押しのける形になっているので、なんだか思いっきり嫌がってるような姿勢になっているのが実に世知辛い。
「うぅー……さとりさまぁ……私、あたまがヘンになっちゃったよぉ……」
「最高に的確だけど最悪に語弊があるわね……!」
それはもはや悲惨としか言いようがなかった。
敵を威嚇するかのように荒々しく広がっていた髪が、今は芸術的かつ幾何学的な美しさを感じさせるくらいまるまるコロコロしている。
表面はガラスのように冷たく滑らかで、髪が縮れて集まった結果として丸い形になったのではないことが分かる。
普段は色気なく散らばっているものの、湯浴みなどさせてやるとしっとりと纏まって、まさしく烏の濡羽色といった風情でなんとも艶かしくなったものだが、この状態ではふやけたおむすびが関の山だろう。
「こんなんじゃもうお嫁にいけないよぅ……うわーん!」
行く気があったのかと危惧する識者もいるだろうが、こと幻想郷においては嫁に行く相手が男とは限らないので安心である。
好きになるべき相手は異性という正論は確かに「正しい論」だが、それを力任せに押し通すだけでは誰も幸せになれない。
正しいいけなさがあればいけない正しさもある。正義とは愛で、愛こそ正義なのである。
話がそれた。
「と、とにかく落ち着いて。何があったのか……は見れば分かるけど、とにかく何があったのか話してみて」
「は、はい……」
心を読んでみても、嵐の海のように荒れ狂っていて、どれが正しい情報なのかわかったものではなかった。
まずは空を落ち着かせなければならない。
さとりは空を引きはがして椅子に座らせ、袖で涙を拭いてやった。
同時に胸の位置が戻ったことによって涙で濡れた部分が締め付けられ、洗濯物を絞ったように水が滴るという奇跡的な光景が展開されていたがそれはこの際関係ない。
「ぐすっ……ひっく……」
「さあ、お空。きっと治してあげるから、どうしてこうなったのか教えてちょうだい?」
「……その……ひっく、じ、実は……その……」
「うん」
泣き止まない空の手を、さとりが優しく握った。
まさに愛という概念の具現のような、全国のお母様方は是非参考にしてくださいと言いたくなるような美しい姿である。
事件の原因は読めなかったが、悲しみだけは心の底から、そして震える手から痛いくらいに伝わってくる。
放し飼いはするが責任放棄はしない。傷付いたペットを助けるのは他の誰でもない飼い主の役目である。
そう、お空は今泣いているんだ。草の根分けても諸悪の根源を突き止め、一刻も早い事態の解決を……
「昨日寒かったから人工太陽を枕にして寝たんです。そしたらこんなになっちゃって……」
「自業自得(ぜんめんてきにおまえがわるい)!?」
問題は解決した。
「私が言うのもなんだけど何考えてるのよ! あんな熱苦しいの頭の下に敷いてりゃマリモにもなるわ!」
「でっ、でもたぶん太陽枕のせいじゃないんです! いつもやってるんですから!」
「いつもやってるの!? ……って、嘘じゃないみたいね。とは言っても、他に心当たりもないと」
「そうで……うにゅー!」
「お空ー! って人型になる時は下着を着けなさいってあれほど言ったのに!」
空がうなだれて、下げた頭の重さでひっくり返った。
おまけにスカートなんか履いてるもんだから、今は上半身の下半身がすごく大変なことになっている。
サービス精神旺盛極まりないその惨状に、さすがのさとりも第三の目を覆いそうになった。
実るほど頭の下がるうにゅほかなとはよく言ったものである。
「さとり様ー、さっきそこで死にそうだけど幸せそうな顔した軽子が……ハニャアアアアアアアアアアアア!」
燐が颯爽と居間に飛び込んできて、次の瞬間ずっこけた。
ドアノブを掴んだまますっ転んだせいで、まるで竹とんぼのように激しく回転している。
どこぞの妖怪の式の式が見たら、自分のお株を奪うなと憤慨することうけあいのキュートな姿である。
「ちょっと! 一体全体どうしたのさ! いや、お空の頭が悪いのは分かってたけどまさかここまで悪くなるなんて!」
「ちょっ、ま、回さないで……アワワワワワワワワワワワワ!」
「落ち着いてお燐! 悪いの意味が違うわ! あとお空が死んじゃう!」
「あっ……はい」
しばらくして、空の回転は止まった。
さとりと燐が二人がかりで引き起こす。
結構な勢いで回転したはずなのに、元は髪だったらしいマリモにはかすり傷一つついていなかった。
それどころか、擦れ合った床の方が微妙にえぐれている。
「うにゅー……死ぬかとおも、おも……うえー……」
「ご、ごめんよ。いや、でも、何がどうなってこんな事に?」
「私にも分からないわよ……ふつーに夜寝て、朝起きたらこうなってたんだもん」
「太陽枕を普通とは言わないわよ」
「誰かのいたずらって線はないんですか?」
「ないわね。昨日は一日中家にいたけど、誰かが侵入した様子はないわ。あなた達も、誰も見なかったでしょう?」
「灼熱地獄のまわりにも変な奴はいませんでしたわ」
「うーん……お空とあたいだけならまだしも、さとり様にも気づかれないなんて無理だよねぇ」
燐は腕を組み、首をかしげる。
組んだ腕の上に、ぽてんと胸部が乗っていた。
繰り返すが、溢れているのでもはみ出しているのでもなく、乗っているのだ。
ほぼ同様の光景が、胡坐をかきながら足首を掴むような形で手をついている空の二の腕の間でも展開されている。
空が使う「十凶星」というスペルカードのアイディア元がこの壮大な景色であることは今更言うまでもないだろう。
どう見ても数が合わないが、空にとって四以上の数字はすべて「いっぱい」なので何の問題もない。
ここは地獄やない! 天国や! 灼熱地獄なんて最初からなかったんや!
話がそれた。
「なんにしても、こりゃまずいですよ。このままじゃあ闇夜に烏ってことわざが闇夜にマリモになっちゃいますよ」
「トラウマになりそうね……」
「うぅー……マリモになりたくない、マリモになりたくないよぉー……ほどけたマリモを湖で拾っているだけなんてやだよぉー」
闇に紛れて人を襲う、なんかベチョベチョした球体。
いくらなんでも妖怪すぎる。そのようなクリーチャーの降臨は絶対に阻止せねばならない。
さとりのやる気が四上がった。
「ただいまー。軽子がすごくいい笑顔で倒れてたからエントランへぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 目が! 目がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
こいしの第三の目が五百十四寸くらい閉じた。
「こいし様ー!」
「ああ! 精神的に眩しすぎる光景を目の当たりにしたこいし様の第三の目がショックを受けた!」
「開いてないのに!?」
「ここで一句……さとりさま きらわれもので ノケモンショック」
「ノケモンショック!? 何それ!?」
無駄に風流な暴言を吐く燐。
ちなみに暴言の原因は先のドアノブ大回転によって頭がバターになりかけていたことなのだがそれはこの際関係ない。
「ちょ……ちょっとお姉ちゃん、おくうったらいくらなんでもパワーアップしすぎじゃない?」
「パワーアップというか、パンプアップというか、マリモアップというか……」
「むしろマリモですよねぇ」
「むしろマリモって、まだマリモそのものじゃないわよー!」
「それにしても見事すぎるわー……恋の埋火とか、ずっと埋まったままになっちゃいそう」
こいしが興味深そうに、空の頭を撫で回す。
よくよく見てみれば、表面にはかすり傷どころか指紋さえついていない。
もしかすると、このマリモはすでに空の頭ではなく、何か別の存在になっているのかもしれない。
そうでもなければ説明できないことが多すぎる。
突然現れ、やたらと丈夫で、不自然に大きくて、そのくせ軽い。少なくとも髪の毛ではない。
「……ねえ。この……何て言えばいいのかな、えっと、とにかくこれ、なんだか生温くない?」
「え? まさか、生き物じゃあるまいし……本当だわ、ほんのりと暖かい」
「確かに……さっき触った時は気づかなかったけど、人肌、いや鳥肌くらいはありますねぇ」
「うにゅー! いやだー! のっとられるー!」
挙句の果てに、体温まであるという恐るべき事実が判明してしまった。
いよいよもってマリモの正体が分からなくなってきた、その時である。
「すみませーん。いつも心に信仰を、あなたのおうちの守矢神社の者ですがー」
「勝手に一家に一教体制ですか!? ずうずうしいですね!? っていうかいつの間に入ってきたんですか!?」
「そこはまあ、灼熱地獄にお邪魔した時ついでに置いた分社から……」
いけしゃあしゃあとのたまう妖怪しめ縄女を見て、さとりは番犬的存在の導入を固く決意した。
この妖怪というか神様は、先の事件でも人様のペットに変なもんぶち込んだ前科がある。
決して悪党ではないようだが、好意を持てという方が無理な話である。
ちなみに彼女の登場で十凶星の完成まであと二凶星となったが、それはこの際関係ない。
「それはそれとして……やっぱりここに集まってたのね。ほらっ、全員さっさと出ておいで!」
「出ておいでって何の話……きゃああああああああああああ!?」
妖怪しめ縄女こと、神奈子がマリモをこづいたその瞬間。
穴から物が飛び出すような小気味のよい音と共に、大量の烏がマリモからあふれ出した。
こいし以外は胸部が衝撃緩和材になったので大丈夫だったが、こいしは素早くさとりの後ろに隠れたので一番大丈夫だった。
「おわああああああ! 頭が割れるっていうか割れてるぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
「ちょっ……待っ……なんですかこのカラスは!? いったい何がどうなってるんですか!?」
「ああ、今はちょうどヤタガラスの子育てが終わる時期なのよ。で、子育てが一段落するとお疲れ様の宴会を開くんだけど……」
「……お空についた子が今年は参加できないと言ったら、みんなの方が来てくれたと?」
「その通り! 持つべきものは友達よね! それにしても察しがいいわね!」
「それはどうも……」
察しがいいのは「読んだ」からなのだが、さとりは珍しくそのことを黙っていた。
黙っていたというよりは、なんかもう喋る元気も無くなったという方が近い。
それほどまでに微笑ましく、仲睦まじく、そして何よりアホらしい理由だった。
すべてのカラスを追い出すと、騒がせたおわびだと言ってしめ縄とオンバシラを象った輪投げを置いて、神奈子は帰っていった。
後には飛躍した体験をしすぎて目を回している空と、どうでもよすぎる結末に疲労感を隠せない古明地姉妹、そして今回ドアノブで回転しただけの燐が残された。
「結局……なんだったのかしら……?」
「さあねぇ……。ただ言えることは、私達は何もやってないってことよ」
半ば呆然と呟くさとりに、親指を立ててこいしが笑いかけた。
仕草は非常にかわいいが、台詞はちっともかわいくない。
今回はただ騒いだけ、無駄なものは無駄だからしょうがないという、無意識の言葉の刃がそこにあった。
「とっ、とにかく! お空は無事でお詫びももらった! これで一件落着じゃないですか! ね!」
燐がはしゃいでみせた。それが長所だった。
「……そうね。大事にならなかっただけよかったわ」
「そうそう! 前向きに考えましょう、前向きに! それじゃあお空も寝てることだし、みんなで前向きにお昼寝でもしましょうか! ね!」
「あらあら、四人で一緒に寝るなんていつ以来かしら」
「あっ、それならお姉ちゃんのおっぱいで眠ってもいい?」
「ふふっ、いいわよ。だめって言って、太陽を枕にされても困るからね」
「さとり様ったら、お空じゃあるまいし!」
「うふふ!」
ほがらかな笑い声と共に、お空を神輿のように担いで寝室に消えていく二人と一匹。
暗くて深い地獄の底にも、こんなに明るい光がある。
その光の名、それは愛。
あらゆる苦難を乗り越えて、どんな時でも前向きに、みんなの心と心を繋げて一心同体、一家団欒。
バカバカしくてもかまわない。バカで済むならそれでいい。お空を助けられたなら、それでいいのさ古明地一家。
「古明地一家、灼熱地獄(ファイヤー)!」
「埋火(ファイヤー)!」
「死灰復燃(ファイヤー)!」
「「「ファイヤ──────!」」」
──人、それをやけくそという。
そして、夜が明けた!
「ってなんで私の頭にマリモくっついてるのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
「あらー、やっぱりお姉ちゃんにもくっついちゃった」
「やっぱりって何!?」
「えー……」
「だって……」
「ねえ……」
「聞いておいてなんだけど言わなくていいわよ! わかってるから! 言葉にしないまま消えちゃった方がいいこともあるから!」
「なんてったって、さとり様は……」
「あたい達の……」
「「「太陽だからねっ(はぁと)」」」
「言うなっていったのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
アフロを目撃した瞬間の皆のテンションが高すぎるwww
髪形は脳がどう足掻いても「〇柳徹〇」しか想像を許してくれなかった。
そうや、地獄なんて最初からなかったんや!あそこは今も昔も天国なんや!
主人とペットの愛に僕は感動した。決しておっぱいにではなくて。
お空の髪型がスキマスイッチで脳内再生される件について。
ファイヤ──────!
殻付き・・・ナメクジ?・・・うん、殻つきナメクジだよね!!
あと、
>正しいいけなさがあればいけない正しさもある。正義とは愛で、愛こそ正義なのである。
これを言いきった貴方に賞賛を
プチじゃなかったら問答無用で100点を叩き込ませてもらっているところです
ちょっと個人的に一家の衝撃緩和材の耐久実験をしに行ってきます。
>黒点が消えるのは、八咫烏たちが人間に内緒で宴会やってるから
大笑いした後のこれに感動した。
なんというさよなら人類。