昼は人間の世界。
夜は妖怪の世界。
であるなら、人間でも妖怪でもないオカルトは、昼と夜の境界線上に語られるのだろう。
――嗚呼、今日という日が沈む。
そんなことを考えながら、霧雨魔理沙は赤と紫のあいのこみたいな空を行く。箒に跨って飛ぶスタイルこそ古典的な魔女に見えて、身も心も、というわけにはいかない。ただ人間にしては人間離れしている。真っ白でも真っ黒でもない。そういう曖昧さが“普通の”彼女だ。
けれども今日は少し様子が違う。いささか息が荒い。興奮が喉元につっかえているよう。懐に忍ばせた酒には一切手を付けていないのに。それも博麗神社へ向かう、という目的意識のせいかもしれなかった。何せ普段は意識すらしない、神社に居るのなんて自然当然、なのだから。
あっという間に社は眼下に収められる。太陽に先んじ、魔理沙は身体を沈ませた。風圧で暴れるスカートはすぐさま重力の支配下に。勝手知ったる境内に乗り物を放棄、両手に供え物、真っ直ぐ本殿を見据え、いざ――
「さてさて、出てきてもらおうか」
賽銭の代わりに酒を投げ入れる。一見乱暴なようで、丁寧な動作。狂人なようで、魔理沙は真剣だった。今にも容器が箱にぶつかって割れそうになる、その一瞬まで、信じきる。でなければ“つくりばなし”はオカルトに成り得ない。信じることで真実となる。
“博麗神社に脚の無い女が出るんだって”“見た人間を魔物に変えてしまう恐ろしい悪霊じゃ”“でも珍しいお酒に目が無くて、お供えすると助かるらしいよ”
賽銭箱の隙間から手が這い出、贄を掴んだ。夢は現実に変わる。待望のオカルトの出現に、魔理沙は歓びを顔に浮かべた。だがそれも儚い、僅かな時の狭間。シュレディンガーの猫が梯子を外せば終わってしまう、幻。
「曲者め!」
「うわっ、どっちが! 何してんだ、まだ隙間女やってるのか!?」
「……なんだ魔理沙か」
「こっちの台詞だぜ、霊夢」
よくもあんな小さなスペースに収まっていたものだ、という別種のオカルトに驚愕すれど、見慣れた紅白の巫女が同じ目線に立つや否や、日常に引き戻される他なかった。もっとも魔理沙からすれば今の博麗霊夢は、異常。よっぽどのことでもないと、体を折り曲げて賽銭箱に隠れる人間なんていやしない。普通なら。
「あーここは幻想郷だったな。常識に囚われちゃいけなかったぜ」
「変なこと考えてない? 私はただ、賽銭泥棒を待ち伏せしてただけよ。出たのよ、昨日」
「脚無かったか?」
「何の話よ」
「里で聞いた都市伝説だよ。出所はお前だろ」
霊夢は反射的に首を横に振った。そして詳しい話を聞いてから、改めて否定の動作。
「なんで私が喧伝しなきゃいけないのよ。ただでさえ妖怪神社だなんて、根も葉もない噂立てられて、その上オカルトなんて余計客足が遠のくじゃない! タダ酒呑み放題って魂胆の作り話にしては、間抜けだわ」
それもそうだな、と頷く魔理沙。間抜けなのは梯子を腕に挟んだまま酒を手放さないお前もだ、とは言わず。同時に神社に屯している三馬鹿妖精を想起した。今も気配を消してこっそり見守っているのかもしれない。そう思えば口元が自然と緩む。対して霊夢の眼光は鋭く、険しい。槍のように指す。
「犯人は魔理沙でしょ。はぐらかそうったって無駄よ。私わかっちゃった」
「何だ?」
「賽銭泥棒」
「待て待て、言いがかりはよせ。証拠はあるのか?」
「現場に戻ってくるって言うでしょ?」
それと勘、と霊夢は付け加える。博麗霊夢の当てずっぽうは大体正解だ。刑事ドラマみたいに帽子をクシャクシャとやってから、犯人は自供した。悪びれもなく。
「入用になって私が入れた分だけ引き出しただけだ」
「あんたねぇ……貯金箱じゃないの! さ・い・せ・ん・ば・こ!」
霊夢はこれ見よがしに蓋を装備したままの右腕を振り回す。賽銭箱として使ってないのはお前の方じゃないか、と皮肉ったなら、空いた左腕から針が飛んでくる。こんなものは挨拶代わりでかわすのは容易。
暖簾のごとき魔理沙に腕押しても仕方がない。こう付き合いが長いと諦めも早くなるのか、ひとまず右手から左手に持ち替え、奪い取った品に目線を定める。やっと賽銭箱からも解き放たれて。
「はぁ。で、これがお供え物? ……針妙丸用の間違いじゃないかしら」
彼女にはそれが樽のミニチュアに見えた。触った感触は金属を思わせる冷たさなのに竹材より柔らかく、薄い。馬鹿丁寧に「お酒です」と書いてなければ何かわからない、幻想郷では流通していない代物だった。お調子者がここぞとばかりに解説を始める。
「外の世界ではこういう缶々に入って売られてるらしいぜ、酒が。珍しいだろ。アルミニウムっていう軽くて丈夫な材質なんだ。弾幕にぴったりだろう?」
「はいはい」
「勿論中身も珍しい。ペールエールって飲んだことあるか?」
「うんにゃ。あの時に盗ってきたのね」
「そんな時間あるもんか」
「じゃああれから結界に穴開けたってこと!」
今度は本気で臨戦態勢を取ろうとするものだから、魔理沙は早口で弁明する。
「買ったんだよマミゾウから。だから賽銭を回収したんだ。高かったんだよ珍しいから!」
「成程……じゃあこれは、私へのお供え物ね。お酒に変えたとはいえ、賽銭だものね」
般若から一転、菩薩へと表情を変える巫女。けれどもこれだけか、と追及の手は止めない。柔らかな笑みが余計に罪人を威圧する。魔理沙は首を縦に振る他なかった。
「あーわかったよ。私の負けだ。持ってけ泥棒」
スカートを捲ると同じ外来酒が他にも幾つも、ボトボトと落ちる。いつ見ても服の内側にそれだけ物を溜めこめるものだ、と感心する霊夢であった。つられて綻ぶ顔。すっかり満面の笑み。
「ほら、上がりなさいよ。悪霊とか妖怪がたかりにくる前にさ」
「あ、ああ……」
霊夢は大層嬉しがった。酒も好きだが元は全て賽銭なのだ。魔理沙が入れてくれた、という事実が最高の肴になる。今夜は宴会だ。
――嗚呼、今日という日が沈む。
辺りはすっかり闇に飲み込まれていた。上機嫌な霊夢とはうって変わって、魔理沙の心は上の空。過ぎ去ってしまったオカルトの時間を惜しんで、暗がりを動けないでいた。太陽が如く明るく強引な手に引き込まれるまで。
「あんな噂、信じる方が馬鹿だろよぅ。それでもさぁ、オカルトボール七つ揃えたらさ、本当に願いを叶えてくれりゃなぁ……良かったのに……」
つい口を滑らせてしまった。誰にも曝け出すつもりなんてなかった秘め事なのに。
すっかり魔理沙は出来上がっていたのである。当然あの量を霊夢一人で呑みきれるはずもなくお零れを頂くことにしたが、それにしてはがっつきすぎた。外の世界でしか取れない、というだけでも果てしなく好奇心を刺激するというのに、多種多様で何もかも新鮮で、しかも口当たりも良ければ、止め時など容易く見失う。わかったところで止める気もなかったが。
酒の抜け殻はコロコロと、人工の明かりから抜け出して、外の闇へと転がり落ちた。
「叶ったじゃない。ずっと外の世界に行きたかったって言ってたじゃない」
「それもそうだけどさぁ……」
「それでいいじゃん」
もたれかかる呑み友達を軽くいなす霊夢。彼女も始めこそガブガブ飲んでいたものの、魔理沙が先に真っ赤になると介抱側に回った。止め時を見極めるとすっかり引くタイプの自分が少し損に思えるも、妖怪を相手にするより全然楽だし、“上客”には甘くもなろう。酔っぱらいが最後の一缶を手に取ろうとすれば、水に差し替えた。
「あー? お冷じゃないか」
「欲掻くと身を滅ぼすわよ」
「五月蠅いなぁ、華仙みたいなこと言うなよ」
などと文句を言いつつも相手の好意を受け入れる。そういう素直さが魔理沙の素である。
「わかってるんだよ……でもさぁ、もしかしたら、って思うだろ。外の世界に行けば忘れ物が見つかるかもしれないじゃないか」
枡の水を飲み干せば、立ち上がって力説する程度には元気になる――とはアルコールの海に溺れた誇大妄想で、すぐさま力尽きて萎む魔理沙だった。悪態を付きながらも霊夢は受け止めて、そのまま横たえさせる。未練がましく幻影を追う腕をバチンと弾いた、一旦は。程なく絡めとって、
「見えないだけよ。そうやってからかってるだけ。あんたはまだチルチルとミチルなだけ」
らしくない喩え方をする。閉鎖的な辺境で育った巫女がおおよそ引き合いに出すはずのない寓話。もっとも素面と泥酔の境界で揺らぐ少女には夢か現か判別がつかない。ただその言葉を聞いた。
「旅をして得たことはあるでしょ? そういう経験を積み重ねて、いつかは気付く、青い鳥は傍にいるって」
「そういうもんか?」
博麗霊夢の言うことは全て正解よ、と悪戯っぽく笑う。まるで悪魔に憑かれたかのように妖艶に。
「もっと修行しなさい、魔理沙」
それは、猛烈にノスタルジーへと誘う呪文だった。彼方より吹く風が通り抜けた感覚。少女を魔理沙足らしめる根源の部分まで攫われる。ハッとして冴え渡るソレを掴んだ。現には袖に仕舞ったスペルカードを。
「……霊夢、一戦やろう。負けた方が片付けな」
「はいはい、調子いいんだからもう」
七色に光る星々は宇宙の法則に従って動き回る。無数に絡み合う大銀河。だがそれらがぶつかり合うことはない。故に必ず隙間は存在し、巫女はそこに潜む。点と点を繋げば結界となり、魔女の渾天儀をも囲い尽くすだろう。避けに酔って曖昧になっていく紅と白と黒の境界。溶け合い、読み合う心。ハッキリしているのは、ただ、切り札を制する者が勝つということ。
宝貝「陰陽飛鳥井」を恋符「マスタースパーク」で封殺するなら、飛び込んで神技「八方龍殺陣」、を警戒しての彗星「ブレイジングスター」――いくつものパターンが浮かんでは消える。それら全てがパラレル。その一つとして、少女は十の弾を身に纏う。
霊符「夢想封印」ではない。
星符「サテライトイリュージョン」で六つ、一方の火力と防御力の底上げに費やされる。あくまで決着を付けるのは自分の手でなくては、そうでなければ素の実力を試せないと。色彩鮮やかに分裂した弾を吸着して、際立つモノクロームな魂が一筋の線を描いた。対するもう一方は四色の弾に四つの魂を載せて放ち、自身は透明となる。残されたのは四方を神霊が陣取った捕縛結界。確かに、霊符ではない。これは――
「オーレリーズ」
少女は幻視した。彼女を霧雨魔理沙という魔法使いに育て上げ、そしてどこへともなく消え去った人の残滓を。今ではもう、最初からいなかったのではないかと疑いたくなる程なのに、膝から上に限ってよく観える。魅せられる。
嗚呼、手を伸ばせば届きそうだが、四方より動きを封じられて触れられない。まるでスクリーンに映る幻影。意地の悪い笑みを浮かべる。顕著するオカルト、いや――昔の人はそれを悪霊と言った。いつかのように囁いた。もっと修行しなさい、魔理沙。
「忘れるもんか……今に追いついてみ」
――魔理沙は寝言を言った。そう、全ては夢の中。現ではスペルカード一つ発動されていない。その前に酔い潰れてしまっていた。
夢でなら夢を叶えることだって出来よう。憑き物が落ちたかのように安らかな寝顔を見て、つくづく調子の良いやつだと呆れながらも霊夢はホッと一息ついた。それはすぐさま欠伸へと変わる。睡魔に誘われるまま隣に雪崩れ込んだ。
夜は人間の世界ではない。
だが今夜は妖怪の物でもない。何事も無かった。だからもう、おやすみなさい。
身に付けたオカルトがそう語るのだから安心だ、と巫女はすっかり籠絡されていた。そいつは、夢と現の境界線上に(足がないのに)立って、フラフラしている子供達を玩具にする。実に性質の悪い話だけれど、“つくりばなし”の通りでもあるのか、酒に呑まれて二人とも無事。後は人間の世界への回帰を待つのみだった。
信じる者は救われる。魔理沙はいつか夢を現に変えるだろう。一日にしてならずとも。
――嗚呼、明日という日が昇る。きっと怪異以外の何事も無いことが約束された、そんな日が。
夜は妖怪の世界。
であるなら、人間でも妖怪でもないオカルトは、昼と夜の境界線上に語られるのだろう。
――嗚呼、今日という日が沈む。
そんなことを考えながら、霧雨魔理沙は赤と紫のあいのこみたいな空を行く。箒に跨って飛ぶスタイルこそ古典的な魔女に見えて、身も心も、というわけにはいかない。ただ人間にしては人間離れしている。真っ白でも真っ黒でもない。そういう曖昧さが“普通の”彼女だ。
けれども今日は少し様子が違う。いささか息が荒い。興奮が喉元につっかえているよう。懐に忍ばせた酒には一切手を付けていないのに。それも博麗神社へ向かう、という目的意識のせいかもしれなかった。何せ普段は意識すらしない、神社に居るのなんて自然当然、なのだから。
あっという間に社は眼下に収められる。太陽に先んじ、魔理沙は身体を沈ませた。風圧で暴れるスカートはすぐさま重力の支配下に。勝手知ったる境内に乗り物を放棄、両手に供え物、真っ直ぐ本殿を見据え、いざ――
「さてさて、出てきてもらおうか」
賽銭の代わりに酒を投げ入れる。一見乱暴なようで、丁寧な動作。狂人なようで、魔理沙は真剣だった。今にも容器が箱にぶつかって割れそうになる、その一瞬まで、信じきる。でなければ“つくりばなし”はオカルトに成り得ない。信じることで真実となる。
“博麗神社に脚の無い女が出るんだって”“見た人間を魔物に変えてしまう恐ろしい悪霊じゃ”“でも珍しいお酒に目が無くて、お供えすると助かるらしいよ”
賽銭箱の隙間から手が這い出、贄を掴んだ。夢は現実に変わる。待望のオカルトの出現に、魔理沙は歓びを顔に浮かべた。だがそれも儚い、僅かな時の狭間。シュレディンガーの猫が梯子を外せば終わってしまう、幻。
「曲者め!」
「うわっ、どっちが! 何してんだ、まだ隙間女やってるのか!?」
「……なんだ魔理沙か」
「こっちの台詞だぜ、霊夢」
よくもあんな小さなスペースに収まっていたものだ、という別種のオカルトに驚愕すれど、見慣れた紅白の巫女が同じ目線に立つや否や、日常に引き戻される他なかった。もっとも魔理沙からすれば今の博麗霊夢は、異常。よっぽどのことでもないと、体を折り曲げて賽銭箱に隠れる人間なんていやしない。普通なら。
「あーここは幻想郷だったな。常識に囚われちゃいけなかったぜ」
「変なこと考えてない? 私はただ、賽銭泥棒を待ち伏せしてただけよ。出たのよ、昨日」
「脚無かったか?」
「何の話よ」
「里で聞いた都市伝説だよ。出所はお前だろ」
霊夢は反射的に首を横に振った。そして詳しい話を聞いてから、改めて否定の動作。
「なんで私が喧伝しなきゃいけないのよ。ただでさえ妖怪神社だなんて、根も葉もない噂立てられて、その上オカルトなんて余計客足が遠のくじゃない! タダ酒呑み放題って魂胆の作り話にしては、間抜けだわ」
それもそうだな、と頷く魔理沙。間抜けなのは梯子を腕に挟んだまま酒を手放さないお前もだ、とは言わず。同時に神社に屯している三馬鹿妖精を想起した。今も気配を消してこっそり見守っているのかもしれない。そう思えば口元が自然と緩む。対して霊夢の眼光は鋭く、険しい。槍のように指す。
「犯人は魔理沙でしょ。はぐらかそうったって無駄よ。私わかっちゃった」
「何だ?」
「賽銭泥棒」
「待て待て、言いがかりはよせ。証拠はあるのか?」
「現場に戻ってくるって言うでしょ?」
それと勘、と霊夢は付け加える。博麗霊夢の当てずっぽうは大体正解だ。刑事ドラマみたいに帽子をクシャクシャとやってから、犯人は自供した。悪びれもなく。
「入用になって私が入れた分だけ引き出しただけだ」
「あんたねぇ……貯金箱じゃないの! さ・い・せ・ん・ば・こ!」
霊夢はこれ見よがしに蓋を装備したままの右腕を振り回す。賽銭箱として使ってないのはお前の方じゃないか、と皮肉ったなら、空いた左腕から針が飛んでくる。こんなものは挨拶代わりでかわすのは容易。
暖簾のごとき魔理沙に腕押しても仕方がない。こう付き合いが長いと諦めも早くなるのか、ひとまず右手から左手に持ち替え、奪い取った品に目線を定める。やっと賽銭箱からも解き放たれて。
「はぁ。で、これがお供え物? ……針妙丸用の間違いじゃないかしら」
彼女にはそれが樽のミニチュアに見えた。触った感触は金属を思わせる冷たさなのに竹材より柔らかく、薄い。馬鹿丁寧に「お酒です」と書いてなければ何かわからない、幻想郷では流通していない代物だった。お調子者がここぞとばかりに解説を始める。
「外の世界ではこういう缶々に入って売られてるらしいぜ、酒が。珍しいだろ。アルミニウムっていう軽くて丈夫な材質なんだ。弾幕にぴったりだろう?」
「はいはい」
「勿論中身も珍しい。ペールエールって飲んだことあるか?」
「うんにゃ。あの時に盗ってきたのね」
「そんな時間あるもんか」
「じゃああれから結界に穴開けたってこと!」
今度は本気で臨戦態勢を取ろうとするものだから、魔理沙は早口で弁明する。
「買ったんだよマミゾウから。だから賽銭を回収したんだ。高かったんだよ珍しいから!」
「成程……じゃあこれは、私へのお供え物ね。お酒に変えたとはいえ、賽銭だものね」
般若から一転、菩薩へと表情を変える巫女。けれどもこれだけか、と追及の手は止めない。柔らかな笑みが余計に罪人を威圧する。魔理沙は首を縦に振る他なかった。
「あーわかったよ。私の負けだ。持ってけ泥棒」
スカートを捲ると同じ外来酒が他にも幾つも、ボトボトと落ちる。いつ見ても服の内側にそれだけ物を溜めこめるものだ、と感心する霊夢であった。つられて綻ぶ顔。すっかり満面の笑み。
「ほら、上がりなさいよ。悪霊とか妖怪がたかりにくる前にさ」
「あ、ああ……」
霊夢は大層嬉しがった。酒も好きだが元は全て賽銭なのだ。魔理沙が入れてくれた、という事実が最高の肴になる。今夜は宴会だ。
――嗚呼、今日という日が沈む。
辺りはすっかり闇に飲み込まれていた。上機嫌な霊夢とはうって変わって、魔理沙の心は上の空。過ぎ去ってしまったオカルトの時間を惜しんで、暗がりを動けないでいた。太陽が如く明るく強引な手に引き込まれるまで。
「あんな噂、信じる方が馬鹿だろよぅ。それでもさぁ、オカルトボール七つ揃えたらさ、本当に願いを叶えてくれりゃなぁ……良かったのに……」
つい口を滑らせてしまった。誰にも曝け出すつもりなんてなかった秘め事なのに。
すっかり魔理沙は出来上がっていたのである。当然あの量を霊夢一人で呑みきれるはずもなくお零れを頂くことにしたが、それにしてはがっつきすぎた。外の世界でしか取れない、というだけでも果てしなく好奇心を刺激するというのに、多種多様で何もかも新鮮で、しかも口当たりも良ければ、止め時など容易く見失う。わかったところで止める気もなかったが。
酒の抜け殻はコロコロと、人工の明かりから抜け出して、外の闇へと転がり落ちた。
「叶ったじゃない。ずっと外の世界に行きたかったって言ってたじゃない」
「それもそうだけどさぁ……」
「それでいいじゃん」
もたれかかる呑み友達を軽くいなす霊夢。彼女も始めこそガブガブ飲んでいたものの、魔理沙が先に真っ赤になると介抱側に回った。止め時を見極めるとすっかり引くタイプの自分が少し損に思えるも、妖怪を相手にするより全然楽だし、“上客”には甘くもなろう。酔っぱらいが最後の一缶を手に取ろうとすれば、水に差し替えた。
「あー? お冷じゃないか」
「欲掻くと身を滅ぼすわよ」
「五月蠅いなぁ、華仙みたいなこと言うなよ」
などと文句を言いつつも相手の好意を受け入れる。そういう素直さが魔理沙の素である。
「わかってるんだよ……でもさぁ、もしかしたら、って思うだろ。外の世界に行けば忘れ物が見つかるかもしれないじゃないか」
枡の水を飲み干せば、立ち上がって力説する程度には元気になる――とはアルコールの海に溺れた誇大妄想で、すぐさま力尽きて萎む魔理沙だった。悪態を付きながらも霊夢は受け止めて、そのまま横たえさせる。未練がましく幻影を追う腕をバチンと弾いた、一旦は。程なく絡めとって、
「見えないだけよ。そうやってからかってるだけ。あんたはまだチルチルとミチルなだけ」
らしくない喩え方をする。閉鎖的な辺境で育った巫女がおおよそ引き合いに出すはずのない寓話。もっとも素面と泥酔の境界で揺らぐ少女には夢か現か判別がつかない。ただその言葉を聞いた。
「旅をして得たことはあるでしょ? そういう経験を積み重ねて、いつかは気付く、青い鳥は傍にいるって」
「そういうもんか?」
博麗霊夢の言うことは全て正解よ、と悪戯っぽく笑う。まるで悪魔に憑かれたかのように妖艶に。
「もっと修行しなさい、魔理沙」
それは、猛烈にノスタルジーへと誘う呪文だった。彼方より吹く風が通り抜けた感覚。少女を魔理沙足らしめる根源の部分まで攫われる。ハッとして冴え渡るソレを掴んだ。現には袖に仕舞ったスペルカードを。
「……霊夢、一戦やろう。負けた方が片付けな」
「はいはい、調子いいんだからもう」
七色に光る星々は宇宙の法則に従って動き回る。無数に絡み合う大銀河。だがそれらがぶつかり合うことはない。故に必ず隙間は存在し、巫女はそこに潜む。点と点を繋げば結界となり、魔女の渾天儀をも囲い尽くすだろう。避けに酔って曖昧になっていく紅と白と黒の境界。溶け合い、読み合う心。ハッキリしているのは、ただ、切り札を制する者が勝つということ。
宝貝「陰陽飛鳥井」を恋符「マスタースパーク」で封殺するなら、飛び込んで神技「八方龍殺陣」、を警戒しての彗星「ブレイジングスター」――いくつものパターンが浮かんでは消える。それら全てがパラレル。その一つとして、少女は十の弾を身に纏う。
霊符「夢想封印」ではない。
星符「サテライトイリュージョン」で六つ、一方の火力と防御力の底上げに費やされる。あくまで決着を付けるのは自分の手でなくては、そうでなければ素の実力を試せないと。色彩鮮やかに分裂した弾を吸着して、際立つモノクロームな魂が一筋の線を描いた。対するもう一方は四色の弾に四つの魂を載せて放ち、自身は透明となる。残されたのは四方を神霊が陣取った捕縛結界。確かに、霊符ではない。これは――
「オーレリーズ」
少女は幻視した。彼女を霧雨魔理沙という魔法使いに育て上げ、そしてどこへともなく消え去った人の残滓を。今ではもう、最初からいなかったのではないかと疑いたくなる程なのに、膝から上に限ってよく観える。魅せられる。
嗚呼、手を伸ばせば届きそうだが、四方より動きを封じられて触れられない。まるでスクリーンに映る幻影。意地の悪い笑みを浮かべる。顕著するオカルト、いや――昔の人はそれを悪霊と言った。いつかのように囁いた。もっと修行しなさい、魔理沙。
「忘れるもんか……今に追いついてみ」
――魔理沙は寝言を言った。そう、全ては夢の中。現ではスペルカード一つ発動されていない。その前に酔い潰れてしまっていた。
夢でなら夢を叶えることだって出来よう。憑き物が落ちたかのように安らかな寝顔を見て、つくづく調子の良いやつだと呆れながらも霊夢はホッと一息ついた。それはすぐさま欠伸へと変わる。睡魔に誘われるまま隣に雪崩れ込んだ。
夜は人間の世界ではない。
だが今夜は妖怪の物でもない。何事も無かった。だからもう、おやすみなさい。
身に付けたオカルトがそう語るのだから安心だ、と巫女はすっかり籠絡されていた。そいつは、夢と現の境界線上に(足がないのに)立って、フラフラしている子供達を玩具にする。実に性質の悪い話だけれど、“つくりばなし”の通りでもあるのか、酒に呑まれて二人とも無事。後は人間の世界への回帰を待つのみだった。
信じる者は救われる。魔理沙はいつか夢を現に変えるだろう。一日にしてならずとも。
――嗚呼、明日という日が昇る。きっと怪異以外の何事も無いことが約束された、そんな日が。