衣玖がうっかりエレキテルの龍宮を暴発させた隙に天子がダッシュCでつっこんだら、謎の超弾力性物質に弾かれて壁バンしたのち池ポチャした。
まず豪快な水飛沫があがり、霧雨のような残滓がそよ風と光を孕んで虚空に七彩の架け橋を描く。
どこからともなく、蝶が舞い降りた。そして、花の薫り。
春の日の、有頂天であった。
「まあ……」
その光景があまりにも美しかったので、衣玖は図らずも嘆息した。
──あの無軌道で無遠慮な総領娘様が、こんなにも風情溢れる夢のような景色を生み出すなんて。
案外本当の美というものは、一見荒っぽく無粋なものの中にこそ存在するのかもしれない。
素晴らしき自然の芸術を創り上げた当の天子は、水面から足だけ出してジタバタもがいている。
それは滑稽ながらも可愛らしいこと極まりなく、見ていると自然に笑みがこぼれた。
母性、というのかもしれない。衣玖は新鮮なような、懐かしいような気持ちになった。
「……ブワッシュウ! ちょっと! 何!? 何なの今の!? どういう技!?」
水中からの脱出を果たした天子が、水の滴る髪をかき上げもせず衣玖に詰め寄った。
相変わらず、よくも悪くも母性の感じられない体つきをしている。
服が濡れても何一つ透けて見えないあたり、相当身体、いや進退極まっている。
「エレキテルの龍宮ですよ。何度もお見舞い申し上げたので、もうご存知のはずですが」
「そっちじゃないわよ! 私の突進をはね返した奴のこと!」
「記憶にありませんね」
「じゃあなんで私の方が吹っ飛んだのよ! 何もしてないはずがないでしょう!」
「”持続”にひっかかったのでは? 弾幕ごっこでは稀によくあることです」
避けたつもりの弾に当たる。
当たり判定(これに重なると負け、という弾幕ごっこ特有の概念)の端っこに紙一重で当たる。
他の弾で動きをコントロールされて、確かに一度は避けた弾にぶつかってしまう、別名セルフ一条戻り橋。
いずれも弾幕ごっこでは珍しくなく、今回のケースは二番目に相当する。衣玖はそう考えた。
「何が持続よ! 出始めだろうが残り香だろうが、こんな柔らかい電撃があるわけ……」
だが、天子は何かまったく別のものを感じたらしく、うまく話がかみ合わないことに苛立っている。
そしてもどかしげに叫ぶなり、獲物に飛び掛るけもののように衣玖の胸元へとつっかけて、
「ドジャジャァァァァァァァァァァァァ!」
さっきとまったく同じ軌道を辿り、滞りなく池に落っこちた。
まず壮観な水飛沫があがり、ゆらゆらと舞い降りた帽子が水明に煙る小舟となって、波紋に合わせて小さく揺れる。
やがて波紋は収束し、池は元通りの止水となった。
風の音さえ聞こえない。
春の日の、有頂天である。
「……シュパァ! そうれ見ろ、そうれ見ろ! おかしいじゃん! 今の明らかに電撃じゃないじゃん!」
その光景はあまりにも美しかったが、天子は躊躇なく破壊した。
帽子を拾うのも忘れて、不躾に衣玖を指差しながらずかずか歩み寄っていく。
自然がなんだ。
自然というのなら、弾幕の隙間に攻撃を差し込まれたら大人しく喰らうのが自然だろう。隙なしでぶっぱし放題のスペルカードなんて、害悪としか言いようがない。
なのにどうして自分がずぶ濡れになって、衣玖がピンピンしているのか。
勝つべき者が負けて、負けるべき者が勝っている。あまりにも不自然である。
花曇という自身の天候なのに、天狗やら庭師やらを相手にすると、滅茶苦茶戦いづらそうだったどこぞの魔女みたいに不自然である。
あれはひどかった。
比べるべくもない素早さに翻弄され、なんか知らないけど弾幕を突き抜ける前進制圧攻撃──それはグレイズという幻想郷特有のスペシャルなムーブらしい──に押し捲られ、起死回生の回転ノコギリまでも竜巻で吹き飛ばされたのを見たときは、さすがの天子も目を背けてしまった。
ともかくこんな不自然、いや理不尽を前にして黙っているわけにはいかない。自己中心的だからこそ、他人の理不尽には敏感なのだ。
水に落ちたにも関わらず、天子の瞳の炎は原因不明の火力アップを果たしていた。
「総領娘様のおっしゃる所はわかりました。確かに、これは持続でも電撃でもありません」
「だからそれは何だって言ってるのよ!」
「言えませんわ」
「なんでじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ぽっと頬を染めて、恥じらいながら衣玖が言った。
予想だにしなかった反応を受けて、天子が暴れ出す。
両者の恥じらいも戸惑いも、仕方のないことだった。
ようするに乳がクッションになっただけなのだが、こんな雲ひとつない空の下で白昼堂々口にできることではない。
そういうのは、もうちょっとムーディーな空気になってから。衣玖さんは本当に空気の読めるお方なのである。
一方の天子は、胸が原因という説自体を思いつけなかった。彼女の世界において、”胸”と”柔らかい”という言葉はねじれの位置にあるのだ。
だが、それでいい。
知らない方がいいこともある。見えないからこそ尊いものもある。
どうせ叶わぬ夢ならば、最初から見ない方が本人のためというものだ。
「総領娘様も、大人になればきっと分かります」
「何が大人だ! 年なんかあんたと大して変わらないわよ!」
「ここの問題ですよ、ここ」
衣玖は自分の胸を指差した。もちろん唯物的な意味で。
そして眼前の地平線を見遣る。
やっぱりどう考えたって、しばらく大人になる予定はなさそうだった。
悪いこと言っちゃったかしらと、少しだけ後悔した。
「胸が問題って、そんなこと最初から分かって……いや、分かった! きっと胸に攻撃を跳ね返す布団みたいなものを入れてるのね! だからそんなにパッツンパッツンなんだわ!」
「違います。っていうか、そんなスペースはありません」
「嘘! 電撃でも持続でも、他の技でもないんでしょ? じゃあ防具をつけてる以外に何があるのよ!」
「さっきから五月蝿いなぁ、昼寝くらい静かにさせてよ」
議論が白熱しはじめたところで、よだれの跡も瑞々しい萃香が瓢箪をひきずりながらやってきた。
キュートな寝巻きが、とてもよく似合っている。”シャネルの五番のタオルがけ”というファッションらしい。
衣玖も以前試したことがあるが、あれは最高に寝心地がよかった。
生きていくうえであるべき姿に戻ったような開放感というか、安心感が感じられるのだ。
「それより聞いてよ! 衣玖ったら、胸になんかすごいボヨンボヨンする鎧を仕込んでるのよ!」
「はあ? 鎧だぁ?」
「そう! 弾幕を喰らってもびくともしない鎧よ! これってルール違反じゃない!?」
「……って言ってるけど、今のは本当かい?」
「いいえ」
「いいえ!?」
ガビーン! と天子がのけぞった。
「……って言ってるけど、今のは嘘かい? それとも勘違い?」
「う、嘘じゃないわよ! 二回も吹っ飛ばされたんだから!」
「ほー、二回もねぇ……」
「疑うならあんたも触ってみればいいでしょ!」
確認するような目を二つ同時に向けられたので、衣玖は両方に頷いた。
すると萃香は呆れたような顔をして、気だるそうに衣玖の胸部に手を伸ばした。
「じゃあ一応確かめてみるけどさ、正直胸を触っただけで吹っ飛ぶわけが……ドゥゥゥゥゥゥワシャァァァァァァァァァァァァ!」
「……っ!」
二度あることは三度あり、仏の顔も三度まで。
それは今回も例外ではなく、萃香の手が羽衣に触れた瞬間、龍の吐く炎のような爆発が巻き起こった。
衣玖は反射的に羽衣は空の如くを発動させたので無傷だったが、完全に油断していた萃香にその爆風を防ぐ術はなく、遥か天空の彼方まで回転しながらかっ飛んでいき、天子の服が乾き始めた頃になってようやく反対側の空から戻ってきて池に落ちた。
「こっ、これは……」
「ほら私の言った通りじゃない! なんか鎧にしては攻撃力が高いみたいだけど!」
ない胸を張って勝ち誇る天子。
ずいぶんふんぞり返っているのに、服には何も浮き出ていない。
その切ない風景を目の当たりにした衣玖の心に”はげ山の一夜”という言葉が浮かんだが、空気を読んであえて黙っていた。
「はぶぶ……あ、アルコールも有頂天までブッ飛ぶこの衝撃……!」
「ふふふ、どーお? ほんとに鎧だったでしょ?」
「そ、そんな生優しいもんじゃないよ……異変だ……これは異変だ……!」
池から這い上がりながら、憔悴しきった表情で萃香が言った。
傲岸不遜が酒を飲みながら歩いているような彼女の、めったに見れない弱気フェイスである。目も涙目だ。
ちなみに涙の理由は先ほど大空を駆けた際に幻想郷どころか外界の生物達にまでお気に入りのシャネルの五番を見られてしまったからなのだが、それはこの際関係ない。
「えっ! 異変!?」
天子最大の敵である”退屈”を容易に撃滅せしめる魅力的なワードの降臨に、天子の瞳がにわかに輝き始めた。
「そうですね……爆発までしたとなると、もう鎧云々以前の問題です」
「なあんだ、鎧じゃなくて異変だったのね。衣玖ったら、それならそうと早く言い……シャバァ!」
あっという間に上機嫌になった天子が、フレンドリーな仕草で衣玖の胸に触れる。
次の瞬間には、もう池の中にいた。
それでも笑顔は崩れない。水も滴るいい女とはこういうものだと思わせる魅力的な表情だった。
音符マークと微笑みを振り撒きながら、軽快なスキップで戻ってくる。
「ま、また爆発しましたね……」
「ふふ、四度目ともなれば偶然じゃないわね。これは確かに異変だわ、ああ異変だわ異変だわ」
「喜ばないでくださいよ……どうしましょう、この羽衣……」
「安心しなさい衣玖。爆発だろうが鎧だろうが、この私がじきじきに解決してあげるわ! ありがたく思うことね!」
威風堂々たる態度で胸を叩く天子。
その手はまったく弾まなかった。
「甘く見ないほうがいいよ。私をあれだけ吹っ飛ばす力だ、一歩間違えたらとんでもないことになる」
「ふーん」
「……なにニヤニヤしてるのさ」
「いやいや。もしかしたら怖がってるのかなー、なんて思って」
「……バカ言うんじゃないよ。それに無謀と勇気は違うんだ」
「あっ、そう? じゃあ一緒に異変を解決しに行きましょ」
「ひゃっ!?」
天子がわざとらしい口調で言って、不意打ち気味に萃香へと組みついた。
力は強くとも体は軽い。萃香はたちまち人形のように持ち上げられて、荷物のように担がれる。
「お、降ろしてよ!」
「なんでよ」
「なんでって、服着替えなくちゃ……!」
「寝巻きだって服でしょう? 地上の連中は呑気だし、誰も気にしないわよ」
「服って言っても裸だよ! 気にするよ! いくらなんでも裸は気にするよ!」
「ふふふ……仕方ないですねぇ。そんなに言うなら降ろしてあげましょう」
「ほ、ほんと?」
「もちろんですわ。ただし地上に」
「い、いやー! やめてー! たすけてー!」
土地を乗っ取られた恨みでも晴らそうとしているのか、天子がねちねちと萃香をいじめる。
萃香がじたばた暴れても、天子はびくとも動かない。
いつもの萃香なら天子をふり払うくらいわけないのだが、あいにく今の彼女はシャネラーである。
諸般の事情で、全力は出せない。こすれるし。
「フヘヘヘおじょうちゃんかわいいねぇ。このカッコで外に出たらきっと人気者だよフヘヘヘ」
「あひぃぃぃぃぃぃ! やめて! やめてぇぇぇぇぇぇ! 誰かたしゅけてぇぇぇぇぇぇ!」
古人曰く、怪物と戦う時は自分も怪物に以下略。
あっという間に天子は本気で興奮し始め、萃香は本気で涙ぐみ始めている。
二人とも、もはや完全に闇のフォースに魅入られていた。
「はぁ……」
そして、本当に空気の読めるお方である衣玖さんがこの乱痴気騒ぎを見逃すはずがなかった。
空気を読むとは、場に流されるという意味ではない。
いい空気ならキープして、悪い空気は吹き散らす。
読める者、そして知っている者は、そうでない者の為に行動せねばならないのである。
「お二人とも──」
天子達から一歩離れて、空高らかに指を突き上げ。
「──そこまでです!」
きゅぴんと一本、青天の霹靂。天子は慌てて防御体勢を取ったが、時すでに時間切れ。
閃光が煌いて、数瞬遅れで爆音が響く。
後には尻に火がついて転げまわる青髪の不良天人と、へたり込んでメソメソする橙髪の鬼がいた。
かくして、異変は解決した。
大事の前の小事ではあるが、これも確かに”異変”であった。
「……さて、本題の方を解決しに行きましょうかね」
『その必要はありません』
「あら、そうですか。じゃあ帰ってお昼寝でも……って、りゅ、龍神様!? 何やってんですかこんなところで!?」
『あなたに危機が迫っていると聞いて、いざ衣玖さんで馳せ参じたのです。大事はありませんか?』
「は、はい。どういうわけか羽衣が火を噴きましたが、とりあえず私は無事です」
『羽衣の中身は、暴かれなかったのですね?』
「え?」
『胸のことです』
「え、ええ、まあ……総領娘様と鬼は吹き飛ばされましたけど」
『そうですか。それはよかった』
「……あの、よかったって、それは一体どっちの意」
『爆発させたかいがありましたね』
「そっちなんですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
>ぽっと頬を染めて、恥らいながら衣玖が言った→恥じらいながら
「これはダイナマイトボディってオチだな」と思ったのに、龍神様!?何してるんだww
ところで萃香、霧になるのを忘れて(空気が読めないので衣玖さんに修正されました