☆輝夜と妹紅が結婚しています☆
☆それでもよろしければ☆
今日も依頼人を無事に永遠亭まで送り届け、決まり文句と共に自宅の扉を開ける。
「ただいま」
「あら、妹紅。お帰りなさい」
いつもと変わらない日常。
もっとも、ふたりが生きてきた永さに比べれば数えるのも馬鹿らしいほど短い時間で構築された日常ではある。
しかし、永劫の時を生きるふたりにとって、それは些末事であったようで。
「大変だったみたいね」
「食中毒らしいよ。もう少し遅ければ危なかったってさ」
「……そう」
「…………ああ」
この日常が構築されてから、ふたりの間に流れる空気は変わらない。
妹紅の口元が歪む。それを見た輝夜のそれも。
ある種の熱を含んだ緊張感。
「なあ、わたしは我慢するべきなのか?」
「さあ、どうなのかしらね?」
ふたりが見つめ合う。妹紅が目を逸らす。輝夜の表情が、何かを堪えるように引き締まる。
それは自尊心から来る物だったのかもしれないし、単純に意地の張り合いだったのかもしれない。
こうしたやりとりも、第三者の目から見れば、酷く滑稽であろう。
そう、第三者の目から見れば。
「我慢とかしなくていいから助けてよ!!」
輝夜の腕に抱かれた『鈴仙=優曇華院=イナバ』が、そう叫ぶのも無理のない話であった。
※
※
※
「イナバ分を補給していたのよ」
「訊いてない」
鈴仙を解放した輝夜の言葉に、短く返す妹紅。
乱暴に湯飲みを掴み、一息に飲み干す。そしてやはり乱暴に湯飲みを置く。
一方の鈴仙は、軋む体をほぐしながら主に抗議する。
「姫様、いきなり襲いかかってくるのはやめて下さい。愛が痛いです」
「痛みを伴わない愛に価値など無いわ」
「格好いいこと言って誤魔化そうとしても駄目です」
「兎は寂しいと死んでしまうのでしょう? つまり、あれは救命活動なのよ」
「危うく死にかけましたけどね」
主をジト目で睨む鈴仙。
しかし、そんな抵抗は輝夜に毛の先ほどの痛痒も与えはしなかった。それどころか。
「イナバ、今日は泊まっていきなさい」
「……え?」
その驚きは果たしてどちらの声か。
「あの程度では足りないわ」
お前を愛で(めで)殺す。
輝夜の目がそう告げていた。鈴仙の顔から血の気が引いてゆく。
「いや、あの、その、仕事も残っていますし。ほら、急患も運ばれたって話じゃないですか、師匠の手伝いもしないと!」
あたふたと、妙な身振りを交えながら鈴仙は必死に訴える。
「永琳なら大丈夫よ、手術が必要な訳でもなし。入院患者の世話くらい、他のイナバでも出来るでしょう? だから……ね」
目に迫力を残したまま、輝夜は鈴仙に詰め寄る。思わず後ずさる鈴仙。
「ちょっ、姫様!? あ、あんたからも何か言ってよ!」
慌てて妹紅に助けを求めるものの。
「……ふん」
当の妹紅は鼻を鳴らし、勢いよく立ち上がったかと思うと、手早く湯飲みを回収して台所へと歩き去ってしまう。
「あんた、聞いてるの!? わぁ!! 姫様、駄目ですってばそんなところ触ったら……うひゃあ!!」
どたん、ばたんと居間から響く音をBGMに、妹紅は洗い物を開始するのであった。
※
※
※
「まったく、姫様にも困ったもんだわ」
その日の夜半、輝夜の布団から這々の体で抜け出した鈴仙が、月を見上げながら夜風に体を任せていた。
輝夜の『愛で殺し』に付き合わされた体が悲鳴を上げていたが、ペットという立場と「姫様の気持ちも分かるしなあ」という持ち前の優しさが、それ以上の愚痴を押しとどめていた。
それよりも。
「あっちの方がよっぽど精神的に『クル』のよね」
来るなのか、繰るなのか、狂なのか。
判然としないまま、鈴仙の呟きは夜空に溶ける。
「わかってんの? あんたの事よ」
振り向きもしないまま、地面を踏みしめる音と気配のみで判断する。
「……なにがだよ」
問われた妹紅はぶっきらぼうに答える。昼間から変わらない不機嫌さを滲ませた表情で。
はぁ、と鈴仙の息が漏れる。
「あんた、いつもそんな感じな訳?」
再度の問いかけ。妹紅は無反応。しらばっくれている? いいや、違う。
輝夜の気まぐれで始まったこの生活を、妹紅も受け入れているはずだ。……だとすれば。
妹紅相手に飾る必要は無い、鈴仙は己の予測をぶつけてみる。
「そんなに心配しなくても、姫様が愛してるのはあんただけだからさ。ペットに向ける愛情くらい大目に見なさいよ、みっともない」
「なっ!?」
ビンゴ。空を見上げる鈴仙から直接は見えないが、慌てている様子だけは窺える。
なぜか若干胸のすくような思いを感じながら、鈴仙は言葉を重ねる。
「あれだけ想われて、まだ分かってないんだとしたら逆に凄いけどね。そうじゃないんでしょ?」
振り返る。ここから先は、自分の目で見る必要を感じたから。
「そりゃあ姫様はあんな人だから、面倒に思うこともあるかもしれない」
目を逸らさずに。じっと輝夜の選んだ相手を睨みつける。
「だけど、あんたは受け入れた。そこにどんな感情があったかなんて関係ないわ」
心の奥底まで見通すつもりで。鈴仙にそんな能力は無いのだけれど。
「違いもズレも飲み込んで、共に有る覚悟を決めたなら」
その手を取ったのなら。
右腕を妹紅へ向かって伸ばし、手を銃のようにして人差し指を突きつける。
「あんまり、『私たち』を失望させないで欲しいのよね」
一時的かもしれないが、自分よりも比重を置かれた者に対する嫉妬。
そんなのはお互い様で。
今夜も輝夜を恋しがって泣くイナバがいるだろう。輝夜が出て行ってから、永琳のため息は確実に増えた。
鈴仙自身にも胸を突く寂寥感があった。
それほどまでに輝夜という存在は愛されている。そんな判りきった事実。
だからこそ、輝夜に幸せを感じて欲しい。
泣くイナバは私があやす。師匠へのねぎらいは元より私の役目だ。
私自身の寂しさなど、この身に受けた恩義を糧に封じてみせる。けれど。
「姫様を悲しませたら許さない」
それだけ、と言い残して鈴仙は妹紅の脇を通り過ぎる。
妹紅は動かない。動けないのかもしれない。
竹林がざわめく、あざ笑うかのように。
※
※
※
「お世話になりました、姫様」
「ええ、永琳や他のイナバ達によろしくね」
翌日、そんな簡単な挨拶の後、鈴仙は帰っていった。
朝食の後片付けを済ませ、一組の夫婦によって静寂が作り出される。
妹紅は思考を深める。
まず、夫婦という形があって。それに合わせるやり方でなんとなくここまでやってきた。
そう『なんとなく』だ。
それでいい、と思っていた。
全てには始まりと終わりがある。蓬莱の薬に手を出した自分たちを除けば。
いつかこの生活にも幕を下ろすときが来て、また前の関係に立ち戻るのだろう。漠然と、そんな風に考えていた。
それが逃避だと気づかされた。
『戻った方がいいんじゃないのか』
そんな言葉が喉まで出かかる。
常に終わりを想定して、賢しく傷つかないように。
それは、妹紅なりの自己防衛。
永い時を生きてきて、伴う痛みは相応にあった。
輝夜から提案してきたことだからと自分を騙し、多くの彼女を待つ存在に痛みを強いる。
感じる居心地の良さも、彼女の笑顔も独占して。
───自分を嫌悪する───
ぎゅっ
適度な重みと暖かさが加えられる。
妹紅は一瞬の間を置いて、その正体を認識する。
「……どうした?」
自然と声が優しくなる。背後から回された腕に、重ねられた頬に深く静かに安堵して。
「イナバ分は充分に蓄えたから、今度は妹紅分を補給してるの」
気怠げな声。掛けられる重量が増す。
自然と笑みが零れる。
答えが出たわけではない。
他人に痛みを与えながら、その結果得られたモノを渡したくないという思い。
それだけは、ただそれだけは間違っていなさそうだったから。
「それじゃ、わたしも」
向きを変える。妹紅の唇が輝夜の頬を掠める。
いつまで捕まえていられるか分からないけど。
今、この時だけでも。
「輝夜分を補給させて貰うとしようかな」
影が、重なる。
....マリサキサマナゼコンナトコロニ
私も混ぜてもらおうか