もう9月にも入ったというのに相変わらず蒸し暑い日々が続いている。締め切り間近ということもあって少しでも集中力を温存したいにもかかわらず、天気というのは意外と非情なものだ。
その日も起床からまっすぐ机に向かって記事の編集作業に取り組んでいた私は、忙しさもあって同居人のご飯の用意など頭の中から完全に追いやっていた。
「文さん、お腹すきました」
起き抜けも甚だしい出で立ちで涙を浮かべる椛の訴えに我に返ったのは、昼も中頃を過ぎた辺り。
窓から差し込んで原稿に眩しい照り返しを作っていた夏の陽光も、今でははるか南中に構えている。
「文さん~」
ぐぅ、という音が聞こえた。椛は当然のこととして、思い出したかのように腹の虫が泣いたのは私もだった。しかしながら、作業はまだまだ残っている。今の私にとっては昼食を作る時間ももったいない。
仕方ない。私は椛に適当に昼食を取るように指示を投げた。
えーっ! っと素っ頓狂な声を上げてひっくりかえる椛の様を見る暇もなく私は机に向き直る。
「そ、そ、そんなーっ! むりです、ぜったいむりですー!」
「ごめんね。でも、今は本当に忙しいから。子供じゃないんだし、ご飯くらい一人で作って食べれるでしょ」
「わたし子供です」
「……そう。今時の子供は昼食くらい一人でとれるわ」
「う、うそです! ごめんなさい、わたし子供じゃないです」
「じゃあ尚更一人で食べれるじゃない。昼飯も一人で食べられない大人なんているわけないんだし、ねえ」
そこで椛が押し黙ってしまった。気にはなったが丁度、一面に載せる写真の選定をしていたので感性がぶれる事だけは避けたかった。
出会い茶屋に1日張り込んで撮った珠玉の写真たちは、どのカップリングも捨てがたいものばかりだ。中にはやや犯罪臭というか、掲載したら命がなくなってしまうような不味いものも含まれている。
特にこれ。この大妖精と、け――
「……グスっ……」
背後からさめざめと泣く椛の声。
「椛、あなた泣いて――」
言いかけて、またしゃっくりのような声と鼻をすする音がした。
「な、ないて……泣いてなんかいませんよ? ほんとうですから」
「そ、そう。じゃあ、心配いらないわね」
「もち……んぐっ……もちろんです!」
手に止めた一枚の写真と後ろの気配が何とも言えぬ罪悪感を私に抱かせる。例えるなら、ひもじい思いをしている孤児を前に能天気な会話に花を咲かせるような、何と言うかとどのつまり私が悪者みたいな感じだ。
ここで折れては永遠亭の新米女医さんに会わせる顔がないが、しかし流石にこのまま放っておくわけにもいくまい。
懐を探りいくらかの小銭の感触を探る。少し多い気もするが、この際目を瞑ろう。
「これで里で何かおいしい物でも食べてきなさい」
「えっ? これ……わーっ、こんなにいっぱい、いいんですか? これ、いいんですか?」
「いいから。お釣りはあげるから、茶店に寄ってくるもよし、小遣いにするもよし」
さっきまでのすすり泣きはどこへやら、興奮を抑えられないような声色であれこれ口に出して昼食の候補を吟味する椛。じゃらじゃらとお金を鳴らして、よほど嬉しいのかドタバタと、おそらく飛び跳ねているのだろう。
――お小遣い、ちゃんとあげてるんだけどなー。
…………。
……。
…。
里に降り立ってまず椛が感じたのは違和感だった。
空は晴れ渡りギラギラと日差しは強いものの、いつもだったら幾人かの人で賑わっている料理屋の界隈も閑散としている。
暖簾は下がっているのに人っ子一人いない。じりじりと陽射しに焼けた赤茶色の地面が、遠く里の向こうまで伸びているだけ。
人影は無い。それどころか、人の話し声すら格段に敏感な椛の耳へは届いてこない。
平日の、昼下がり。
明らかにおかしかった。
(おかしいな。どうしちゃったんだろう。今日は皆さんお休みなのかな)
お腹の虫がなる。
人の姿は見えないがお店自体はやっているだろうと、椛は大剣を構えなおして店の方へと歩き出した。
てんぷらそば、肉うどん、豚肉定食、大好きな肉料理が食べられるという事もあって自然と気持ちが晴れやかになってくる。
「ごめんくださーい」
ところが『お食事処』と薄紫に白字で書かれた暖簾をくぐった途端、再び妙な空気が椛の鼻をついた。
「……だれも、いない? あ、あのー! ごめんくださーい!」
机には勿論の事、店の奥にも人の気配はなかった。
(お休み? だって、のれん掛かってるのに?)
悪いとは思いつつも、厨房に入ってみたがやはり誰もいなかった。ぐつぐつと釜に茹る熱湯からは湯気が噴出している。まな板に広げられたネギを始めとする野菜には、つい今しがた包丁で切っていたかのような切れ目が残っていた。
しかし人はいない。
椛は、失礼しましたと誰にとも無く詫びてから店を後にした。
――次の店も同様だった。
――その次の店も。
――またその次の店も。
最初は単純に出かけているのかもしれないと能天気に考えていたが、行く所行く所人の姿が一切見えないことに流石の椛も段々と気味の悪さを感じ始めた。
「すみませーん! だ、だれかいませんかー?」
静寂という返事。
何度か叫んでみたものの、数回目の呼びかけに対する返事は自身の腹の虫だった。
本来の目的を忘れかけていただけに、いざ思い出してみるとそれは耐え難いものになっていた。空腹の余り、吐き気のような気持ち悪さが椛を襲う。
じゃらじゃらと無機質に鳴る小銭の音が今は不快以外の何物でも無い。本来であれば今頃、茶店の甘菓子に舌鼓を打って冷茶をすすっているはずだったのだ。
途端に家が恋しくなった。
(おなかすいたなー……もう家に帰ってアイスで我慢しようかなぁ……なんか怖いし)
大剣を背負い直し、いざ飛び立とうとしたその時だった。
「おにぎり、たべる?」
すぐ後ろから、しゃがれた女性の声がした。
えっと思い振り返ってみたが、誰もいない。
「おにぎり、たべる?」
先とは反対側から声がする。しかし振り返ってもやはり人の姿はない。
いよいよ、怖くなった。
涙がグーっとせりあがってくるのを堪え、勢い良く地面を蹴った。が、上手く飛べない。
「なんで、なんでっ!?」
「おにぎり、たべる?」
「いやあぁっ!! やだやだやだっ、文さん、助けてっ!」
「おにぎ――」
「わあああぁぁっ!!!」
飛ぶのを諦め、椛は来た道を戻るように駆け出す。
剣は重いので紐を解いて投げ捨てた。耳を塞いで脳裏に残る女性の声を消そうとしたが、
「おにぎり、たべる?」
今度は目の前から声だけがして、驚いて躓いてしまった。顔面に焼けた土がとても熱く、痛い。
半狂乱になりながら体勢を起こそうと地に膝を立てた時、ふと道の先に何か黒いものが映った。
涙で滲んだ視界に映るそれは、ちょうど人の拳大の大きさで、表面の黒い一端から白いものが出ている。
それはちょうど、
「おにぎり、たべる?」
おにぎりだ。海苔の巻かれたおにぎり、それがどういうわけか地面に転がっている。
ズズッ、とそれが動いた。転がるでもなく、水平にこちらに向かって動いているのだ。
「もうやだぁ、もうやだよぉっ……」
陽炎に歪む事も無くおにぎりが真っ直ぐこちらへ向かってくる。相変わらずすぐ近くからは謎の老女の声。
椛はすでに限界だったがどうにか正気を失わずにいられたのは、不気味ながらもシュールさが勝っているからだった。
女の声は恐怖そのものだが幸い、姿は無い。
そして姿ある異形の物体はなんとおにぎり。こんな状況でさえなかったら笑い話になるところだ。
「おにぎり、たべる?」
おにぎりが手を伸ばせば届く距離までやってきた。
妙な好奇心がふと沸いて、恐る恐るおにぎりに手を伸ばしたところで椛は腰を抜かした。
「あぁ、ぁぁぁ……」
海苔かと思っていたそれは幾重にも重なった黒い髪の毛で、ご飯だと思っていた白いものは何匹もの蛆だった。
…………。
……。
…。
「おかえりなさい。随分と長い昼食でしたね」
どこをどう帰ったのかは覚えていなかったが、気がつくと椛は家の前まで来ていた。
「それにしてもその格好、随分と汚れてるわね。はしゃぎ過ぎて転んだの?」
「……違います」
「まあなんでもいいけど服脱いでね。下も……汚しちゃったみたいだし」
言われて下の着物を見やると、見事にやらかしていた。先輩の困った顔を見てなぜだか安心した椛は、いつもの調子で服を脱ぎ捨て抱きついた。
「文さん、文さんっ!」
「ど、どうしたのいきなりっ!? こ、こらやめなさいって」
「怖かったんですっ、すごく。おにぎりが、おにぎりがっ!」
何を言っているのだと咎められ、ようやく家に帰ってきたのだと実感すると安堵の涙がとめどなく流れた。
恐ろしい体験をした。けれど、もう大丈夫。
「ん? 椛、あなた剣はどうしたの?」
(そういえば、結局置いてきちゃったのかな)
記憶があやふやにだけに、というより大事な支給品を恐怖の余り投げ捨てたなど口が裂けても言えない。
「えっと、その、じつは……」
「おや……これはひょっとして」
「えっ?」
「ふふっ、椛もなんだかんだ言ってちゃんと成長してるじゃない。気遣いなんて、ちょっとくすぐったい気もするけど」
突然、先輩の同居人が意味不明なことを口にした。
「私の為に買ってきてくれたんでしょ? それ」
大剣を落としてきたはずなのに、胸の辺りに紐の結び目があった。それが袈裟を形作るようにして背中へ伸びている。
嫌な汗を背中に感じる。
「ちょうど片手で食べられる物が欲しかったのよね。あなたもどうせ食い意地張って一緒に食べるんでしょ、おにぎり」
Fin
その日も起床からまっすぐ机に向かって記事の編集作業に取り組んでいた私は、忙しさもあって同居人のご飯の用意など頭の中から完全に追いやっていた。
「文さん、お腹すきました」
起き抜けも甚だしい出で立ちで涙を浮かべる椛の訴えに我に返ったのは、昼も中頃を過ぎた辺り。
窓から差し込んで原稿に眩しい照り返しを作っていた夏の陽光も、今でははるか南中に構えている。
「文さん~」
ぐぅ、という音が聞こえた。椛は当然のこととして、思い出したかのように腹の虫が泣いたのは私もだった。しかしながら、作業はまだまだ残っている。今の私にとっては昼食を作る時間ももったいない。
仕方ない。私は椛に適当に昼食を取るように指示を投げた。
えーっ! っと素っ頓狂な声を上げてひっくりかえる椛の様を見る暇もなく私は机に向き直る。
「そ、そ、そんなーっ! むりです、ぜったいむりですー!」
「ごめんね。でも、今は本当に忙しいから。子供じゃないんだし、ご飯くらい一人で作って食べれるでしょ」
「わたし子供です」
「……そう。今時の子供は昼食くらい一人でとれるわ」
「う、うそです! ごめんなさい、わたし子供じゃないです」
「じゃあ尚更一人で食べれるじゃない。昼飯も一人で食べられない大人なんているわけないんだし、ねえ」
そこで椛が押し黙ってしまった。気にはなったが丁度、一面に載せる写真の選定をしていたので感性がぶれる事だけは避けたかった。
出会い茶屋に1日張り込んで撮った珠玉の写真たちは、どのカップリングも捨てがたいものばかりだ。中にはやや犯罪臭というか、掲載したら命がなくなってしまうような不味いものも含まれている。
特にこれ。この大妖精と、け――
「……グスっ……」
背後からさめざめと泣く椛の声。
「椛、あなた泣いて――」
言いかけて、またしゃっくりのような声と鼻をすする音がした。
「な、ないて……泣いてなんかいませんよ? ほんとうですから」
「そ、そう。じゃあ、心配いらないわね」
「もち……んぐっ……もちろんです!」
手に止めた一枚の写真と後ろの気配が何とも言えぬ罪悪感を私に抱かせる。例えるなら、ひもじい思いをしている孤児を前に能天気な会話に花を咲かせるような、何と言うかとどのつまり私が悪者みたいな感じだ。
ここで折れては永遠亭の新米女医さんに会わせる顔がないが、しかし流石にこのまま放っておくわけにもいくまい。
懐を探りいくらかの小銭の感触を探る。少し多い気もするが、この際目を瞑ろう。
「これで里で何かおいしい物でも食べてきなさい」
「えっ? これ……わーっ、こんなにいっぱい、いいんですか? これ、いいんですか?」
「いいから。お釣りはあげるから、茶店に寄ってくるもよし、小遣いにするもよし」
さっきまでのすすり泣きはどこへやら、興奮を抑えられないような声色であれこれ口に出して昼食の候補を吟味する椛。じゃらじゃらとお金を鳴らして、よほど嬉しいのかドタバタと、おそらく飛び跳ねているのだろう。
――お小遣い、ちゃんとあげてるんだけどなー。
…………。
……。
…。
里に降り立ってまず椛が感じたのは違和感だった。
空は晴れ渡りギラギラと日差しは強いものの、いつもだったら幾人かの人で賑わっている料理屋の界隈も閑散としている。
暖簾は下がっているのに人っ子一人いない。じりじりと陽射しに焼けた赤茶色の地面が、遠く里の向こうまで伸びているだけ。
人影は無い。それどころか、人の話し声すら格段に敏感な椛の耳へは届いてこない。
平日の、昼下がり。
明らかにおかしかった。
(おかしいな。どうしちゃったんだろう。今日は皆さんお休みなのかな)
お腹の虫がなる。
人の姿は見えないがお店自体はやっているだろうと、椛は大剣を構えなおして店の方へと歩き出した。
てんぷらそば、肉うどん、豚肉定食、大好きな肉料理が食べられるという事もあって自然と気持ちが晴れやかになってくる。
「ごめんくださーい」
ところが『お食事処』と薄紫に白字で書かれた暖簾をくぐった途端、再び妙な空気が椛の鼻をついた。
「……だれも、いない? あ、あのー! ごめんくださーい!」
机には勿論の事、店の奥にも人の気配はなかった。
(お休み? だって、のれん掛かってるのに?)
悪いとは思いつつも、厨房に入ってみたがやはり誰もいなかった。ぐつぐつと釜に茹る熱湯からは湯気が噴出している。まな板に広げられたネギを始めとする野菜には、つい今しがた包丁で切っていたかのような切れ目が残っていた。
しかし人はいない。
椛は、失礼しましたと誰にとも無く詫びてから店を後にした。
――次の店も同様だった。
――その次の店も。
――またその次の店も。
最初は単純に出かけているのかもしれないと能天気に考えていたが、行く所行く所人の姿が一切見えないことに流石の椛も段々と気味の悪さを感じ始めた。
「すみませーん! だ、だれかいませんかー?」
静寂という返事。
何度か叫んでみたものの、数回目の呼びかけに対する返事は自身の腹の虫だった。
本来の目的を忘れかけていただけに、いざ思い出してみるとそれは耐え難いものになっていた。空腹の余り、吐き気のような気持ち悪さが椛を襲う。
じゃらじゃらと無機質に鳴る小銭の音が今は不快以外の何物でも無い。本来であれば今頃、茶店の甘菓子に舌鼓を打って冷茶をすすっているはずだったのだ。
途端に家が恋しくなった。
(おなかすいたなー……もう家に帰ってアイスで我慢しようかなぁ……なんか怖いし)
大剣を背負い直し、いざ飛び立とうとしたその時だった。
「おにぎり、たべる?」
すぐ後ろから、しゃがれた女性の声がした。
えっと思い振り返ってみたが、誰もいない。
「おにぎり、たべる?」
先とは反対側から声がする。しかし振り返ってもやはり人の姿はない。
いよいよ、怖くなった。
涙がグーっとせりあがってくるのを堪え、勢い良く地面を蹴った。が、上手く飛べない。
「なんで、なんでっ!?」
「おにぎり、たべる?」
「いやあぁっ!! やだやだやだっ、文さん、助けてっ!」
「おにぎ――」
「わあああぁぁっ!!!」
飛ぶのを諦め、椛は来た道を戻るように駆け出す。
剣は重いので紐を解いて投げ捨てた。耳を塞いで脳裏に残る女性の声を消そうとしたが、
「おにぎり、たべる?」
今度は目の前から声だけがして、驚いて躓いてしまった。顔面に焼けた土がとても熱く、痛い。
半狂乱になりながら体勢を起こそうと地に膝を立てた時、ふと道の先に何か黒いものが映った。
涙で滲んだ視界に映るそれは、ちょうど人の拳大の大きさで、表面の黒い一端から白いものが出ている。
それはちょうど、
「おにぎり、たべる?」
おにぎりだ。海苔の巻かれたおにぎり、それがどういうわけか地面に転がっている。
ズズッ、とそれが動いた。転がるでもなく、水平にこちらに向かって動いているのだ。
「もうやだぁ、もうやだよぉっ……」
陽炎に歪む事も無くおにぎりが真っ直ぐこちらへ向かってくる。相変わらずすぐ近くからは謎の老女の声。
椛はすでに限界だったがどうにか正気を失わずにいられたのは、不気味ながらもシュールさが勝っているからだった。
女の声は恐怖そのものだが幸い、姿は無い。
そして姿ある異形の物体はなんとおにぎり。こんな状況でさえなかったら笑い話になるところだ。
「おにぎり、たべる?」
おにぎりが手を伸ばせば届く距離までやってきた。
妙な好奇心がふと沸いて、恐る恐るおにぎりに手を伸ばしたところで椛は腰を抜かした。
「あぁ、ぁぁぁ……」
海苔かと思っていたそれは幾重にも重なった黒い髪の毛で、ご飯だと思っていた白いものは何匹もの蛆だった。
…………。
……。
…。
「おかえりなさい。随分と長い昼食でしたね」
どこをどう帰ったのかは覚えていなかったが、気がつくと椛は家の前まで来ていた。
「それにしてもその格好、随分と汚れてるわね。はしゃぎ過ぎて転んだの?」
「……違います」
「まあなんでもいいけど服脱いでね。下も……汚しちゃったみたいだし」
言われて下の着物を見やると、見事にやらかしていた。先輩の困った顔を見てなぜだか安心した椛は、いつもの調子で服を脱ぎ捨て抱きついた。
「文さん、文さんっ!」
「ど、どうしたのいきなりっ!? こ、こらやめなさいって」
「怖かったんですっ、すごく。おにぎりが、おにぎりがっ!」
何を言っているのだと咎められ、ようやく家に帰ってきたのだと実感すると安堵の涙がとめどなく流れた。
恐ろしい体験をした。けれど、もう大丈夫。
「ん? 椛、あなた剣はどうしたの?」
(そういえば、結局置いてきちゃったのかな)
記憶があやふやにだけに、というより大事な支給品を恐怖の余り投げ捨てたなど口が裂けても言えない。
「えっと、その、じつは……」
「おや……これはひょっとして」
「えっ?」
「ふふっ、椛もなんだかんだ言ってちゃんと成長してるじゃない。気遣いなんて、ちょっとくすぐったい気もするけど」
突然、先輩の同居人が意味不明なことを口にした。
「私の為に買ってきてくれたんでしょ? それ」
大剣を落としてきたはずなのに、胸の辺りに紐の結び目があった。それが袈裟を形作るようにして背中へ伸びている。
嫌な汗を背中に感じる。
「ちょうど片手で食べられる物が欲しかったのよね。あなたもどうせ食い意地張って一緒に食べるんでしょ、おにぎり」
Fin
詳しく
そ、その前に、の、海苔は、ほん、本物、なのでしょう、か…?