深く冷たい地の中。
紅い墓石の下に私は眠る。
目に映るのは黒一色ただそれだけ。
世界は遥か彼方にあり、私自身以外に息吹を感じさせる者はない。
いつからだろう、完璧な闇が此処を支配する様になったのは……
眠くもない目を擦るってみるが見える景色になんら変わりはない、ただただ黒いだけの世界。
そんな世界に耐えられなくなって目を閉じてみると、少しだけ黒が薄まった気がした。
この閉ざされた場所でベッドの感触だけが私とこの世界を繋ぐ唯一の糸。
いや、そもそも私が寝ているのはベッドなのだろうか?
見ることができなければ疑いもするだろう。
そして、一度疑問が生まれるとその成長は抑える事は出来ないものだ。
私の記憶にかかった靄はぐるぐると渦を巻き色濃くなる。
靄はやがて霧へと変わり、遠い記憶は薄くぼんやりとしか見えなくなってしまった。
私はそれを何とか捉えようと目を凝らすのだが、どれだけ頑張っても陰しか見えないのだった。
なんだか急に不安感が押し寄せてくる。何かに縋りたくて手のひらで床を撫でる。
その感触は確かに柔らかくて私の頭の中の陰りを晴らしてくれるのだった。
実に情けないことだが自らの記憶に自信が持てない。
その事が少し寂しくなる。だから、少しでも自分の思い出を残して置きたくて私は昔に思いを馳せるのだった。
――物心ついた時には既にこの部屋にいた。
もしかすると、此方は部屋ですらないのかもしれない……私は他の場所を知らないから比べる事など出来ないのだから分からないが。
そう言えば確か、その頃はこの部屋には温かな明かりが灯されていた。
このベッドはもちろん机や本棚、クローゼット等の形や位置もちゃんと思い出せる。
――私はその中で一日を過ごしていた。
本を読んだり、勉強をしたり、裁縫をしたりとやることには困らなかった。
時折、私の姉だと名乗る人物が遊びに来たりもしたっけ……
そういえば最近はめっきり会わなくなったな。
何だか懐かしくなって部屋の扉の方へ意識を向ける。
そこには大きな石扉があったはずだ。厳めしい封印が成されたそれは、なんでも私が外に出ないようにと施されたそうだ。
私の能力の前では石で作られていようが、紙でできているのとさほど変わりはないのだけど。
まぁ、始めから私に外に出るつもりなんて僅かばかりもないのに……ご苦労な事だ。
……何時の頃からか大抵の事はやりつくしてしまって一日中何もせずに過ごす事が多くなった。唯一私が身体を動かすのは食事だけ。
やがて、それすら私は興味を失い今では食事が運ばれて来る事はない。
私にとって食事は嗜好品でしかない。飽きればそこまでだ。
全てに興味がなくなる。
それと同時に明かりを消した。何だか目に写る全てを疎ましく思えてならなかったのだ。
そして完璧な暗闇が訪れた。一点の光もない世界では全てが等しく黒くなる。
テーブルも本もペンも何もかも全てがこの中では同じ物だ。そして私も。
夜目の効く私も完全な暗闇の中では何を見ることもできなかった。
何も見えないなら目を開ける必要もない。
そう、此処では何も必要ないのだ。
だから私はベッドに横たわる。
こうしていれば、いつか闇に溶けて消えれる気がするのだ。
暗い棺の様な場所で目を瞑りただ横たわる。
ああ、私はきっと……
――そんな退屈な日々が延々と続く……けれど、ある時一つの変化が起きた。
闇の中でベッドに横になって過ごすいつもと同じ一日だと思った。
けれども、その日は違った。
そう……声が聞こえて来たのだ。
虚空から聞こえるそれは確かに私と世界が繋がっている証で……
――あぁまだ私は消えてはいなかったのだなぁ
と実感したのだった。
そして、その声は今日も聞こえてくる。
「ご機嫌よう。いい朝ね。」
ほら、聞こえてくる。この声があるから、私はまだ黒の世界と一緒になれないのだ。
あぁ煩わしい。
だけど黒に響くそれは何処か私と似た物を持っていて、この声に何処か惹かれるのも事実だった。
もちろん私に声を架けるそれが誰かも分からない。私の目と世界は繋がっていないから。
けど、耳は確かに繋がっているのだ。
「私には朝かどうか分からないわ、だからこんばんわ」
「あら、素直じゃないのね」
声の主はそう言って私へと近付いてくる。
濃厚な何かの香りがする。
もやもやとしたそれは黒く深くてドロドロした粘土の様に思える。それはこの部屋に広がる事はなく、その声の主に纏わり付くままだった。
そういえば、これはお姉様からも感じた様な……
「お姉様?」
「あら、私はお姉ちゃんと呼ばれる方が好きよ、でもお姉様と呼ばれるのは悪くないわね」
どうやらお姉様ではないようだ。私の覚えてる姉はこんなにも穏やかな声は出せない。
だからきっと別人なのだろうと思う。
「貴方は誰?」
質問をする。これは毎回会う度にする問い、今では半ば二人のお約束の様な物になっている。
「秘密よ、秘密。乙女に秘密は付き物よ」
答えも毎回同じ。
それにしても……私の元へ自分から来ているくせに私が誰か知らないらしい。
何とも変な奴だ。
ではどうやって此処に来ているのかと聞けば、曰く「世話焼きな友人が会えってしつこいの」
だそうだ。
「なら、私も秘密よ」
私もお決まりの台詞で答える。
誰かは私の枕元へ立つ。私としては何だか落ち着かなくてしょうがないのだけれど……
「やっぱりこの位置がしっくり来るわ」
もし、明かりがあったなら私の寝顔をしっかり拝めることだろう。
私としては寝顔を見せる気なんて微塵もないけどね。
「ねぇ……毎回そこへ立つけど、どうして分かるの? もしかして、この暗い中で目が見えてる?」
どうにも細かい事が気になるのが私の悪い癖だ。と自分でも思う。
「もちろん見えてないわ、ただ何となく感じるの。此処がいいって」
「へー」
気のない返事をする。自分で聞いておいてこの態度は如何と思うが、こんな事で怒る様な人ではないのは分かっている。
「じゃあ、私からも質問。貴方はどうしていつも此処で寝ているの? もしかして、死んでる?」
茶化した調子で私の言い方を真似をしてくる。
普通なら怒るべきなのかもしれないけれど、私は何だが面白いと思う気持ちが先行したのだった。
だから
「うん、死んでるよ」
ちょっと軽い冗談を言う。冗談ではあるが嘘ではない。私の種族は死者に分類されるものだ。
……それに、心と身体は二つで一つ。
なら心の死んでいる私はやはり死人と言えるだろう。
「え、そうなの? だと思ったわー」
私の答えを予期していたのか、はたまた素なのか少し戯けた様に返してくる。
思わぬ、質問の主の返答に私が驚かされたのだった。
「ねぇ、実は今日、素敵な提案を持って来たのだけど」
何だろう?
今までは他愛もない世間話ばかりで、そんな話しは一度もしたことがなかった。
「貴方、復活のご予定はない?」
先程の会話にアイロニーさを効かせた事を言ってくる。
「残念だけど、外に出る気はないわよ」
提案と言うから驚いたが、何のことはない。これも何時もの事だ。
本人の話では「一度くらい外で顔を見たい」らしい。
「提案と言ったでしょう、話は最後まで聞きなさいな」
どうやら今日は何時もと違うらしい、私の興味が湧いてくる。
「貴方この間言ったわよね。外に興味がないから出ないんだって」
……うーん。言ったような、言ってないようなー……正直に打ち明けよう、忘れました。すみません。
けれど、自信満々な声を聞く分にきっとそう言ったのだろう。
「そしてこうも言ったわ。何か私に興味を持たせる物が出来たら外に出てもいい、って」
私は黙ってその言葉を聞く。無音の空間に声だけが響きわたる。
「だから私は考えたの」
「何?」
「貴方が外に出たくなる様な事を考えて来たの」
依然として私の口は開かない。
沈黙を是としたのか言葉は続く。
「桜よ」
桜、聞いた事がある。何でも春に、白や淡い紅色の花をつける大層美しい木らしい。
「確かに一度くらいは見てみたいかもね。でもそれくらいじゃあ私は動かないよ」
「もちろん、そこらの桜じゃないわ、この世界の春を集めて、取っておきのを咲かせて見せるわ」
この暗い棺の中では見ることは叶わない。
暗闇の中に桜を思い描く。けれど、本の中でしか見たことのないそれは、黒い霧中にあって花開く事はない。
私が実際に桜を見たならばこの霧は消え去るだろうか?
再び、闇に閉ざされた時にも美しく咲き誇ってくれるだろうか?
少し心が動く。
「……まぁ、そんなのが本当に出来るのなら見に行ってもいいかもね」
「じゃあ約束ね。私が桜を咲かせたら貴方は外に出て私と花見をする。いい?」
「まぁ、いいよ。……けど、何でそうまでして私と会いたがるの?」
「何となくよ、何となく」
そういう言葉は、さっきまでの真剣さは嘘の様に穏やかな声。
何処か弾んだその調子はいつもの物だった。
「桜を咲かせたら迎えにくるわ」
「そう、じゃあ次に会うときは貴方が桜を咲かせた時よ。」
「ええ、約束するわ。それまで寂しいだろうけど、待っててね。」
「約束よ」
くすくすと少し戯けた様な笑い声を残して気配は霧散するのだった。
約束もしたことだし、私も遠出のために運動でも始めようかな。
ベッドから身を起こす。久々に動かす身体は節々が固まり動くと嫌な軋みをたてる。
大きく伸びをするれば全身に活力が戻ってくるのが感じられる。
背中に目をやるば真っ暗な世界でも、力を取り戻した私の翼は淡い光を放ちこの暗闇をほんの僅かだが虹色に彩るのだった。
今なら蘇る事が出来るだろうか?
そんな事を思い、すっと上へ手を伸ばした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
涼やかな縁側。
月を見るには我が家で最高の場所だ。
そこに座る私の手には古い古書が納められている。
この中には家にある古い桜の記述がある。
まぁ、理由を誤魔化したり言い訳とかに使えるだろう。
あの約束は二人だけの約束。
約束のあの日からあの場所へは行けなかった。
古い友人は寝ているのか、最近はめっきり顔を出さなくなったからだ。
お節介な友人にはあの子は外に出すなと念を押されていたけれど知った事ではない。
あの子からは私と同じ何かを感じる。だから放っておけないのだ。
それにあの子はこの退屈な日々を潤してくれる貴重な友達だ。
それなのに、いつまでも顔を合わせることもなく暗い部屋で会話だけというのは流石に心寂しく感じるものだ。
清涼とした風が頬に当たり心の奥にまで澄んだ空気を運んでくれる。
この涼やかな場所で友人たちとする花見は素晴らしい物に違いない、きっと。
……確かに私らしくないとは思う。しかし、込み上げてくる感情は抑えられないものがあった。
迎えに行く約束は果たせないけど、この桜は人を誘う。
きっとなんとかなるだろう。
少し時間かかってしまったのが少し気がかりではあるが……
さぁ、始めよう。
深い土の下にいる友人のために。
名前も知らない何者かのために。
暗闇の中で死んだ様に横たわる誰かを復活させるために。
優雅に咲かせようではないか、妖の桜を。
繋がりって本当に不思議ですね。
でも他の人に投げないで自分で完結させてほしいですね。
なんか、こう、いい表せられない気持ちになりました
面白かったです
これ公式設定にしちゃっても問題無いんじゃね?って思えるくらいに素晴らしかったです。