この作品は、作品集76『お燐のスパイ大作戦』の流れを次ぎ
作品集86『ホントの気持ち』あとがきから直接繋がったお話しになっています。
この二つの流れを把握していただければ、よりよく登場人物の心情や言動が理解できると思います。
「わ、私の友達の話なんだけどねっ」
長い沈黙を破ったのは、今やお決まりになっている、そんな定形詩のような言葉だった。
本に落としていた視線を上げると、そこにはいつも通り顔を赤くし下を向いているフラン。
この台詞を読み上げる時の彼女はいつも決まってこんな調子だった。
「ああ、いつものあの子の話?」
「そう! その子の話! また相談受けちゃったから、一緒に考えて欲しいの」
「恋する少女の悩みは尽きないものね。これで五回目くらいかしら?」
「そ、そうだっけ? あんまり覚えてないなー」
「この前は確か、『好きな人を家に呼んでも夜には帰ってしまいます。どうすれば引き留められるのでしょうか?』とかそんな内容だったかしら。あれは解決したの?」
「うん、すごく上手くいった! ……って言ってて、とっても嬉しそうだったよ?」
「そう、それは良かったわ。で、今日はどういった内容かしら?」
「えっと、ね……最近、その好きな人が家に来てくれないらしいの。少し前までなら週に一度は必ず来てくれてたのに、今は一ヶ月前に一回来たきり、音沙汰が無いって……」
ふと思い返してみると、確かに最近姿を見ていない。
元気が無いのを通り越して病んでいたのにはそういう理由があったのか。今も元気に振舞っているけれど―――
「もしかしたら忙しくて来れないだけかもしれないんだけど、その人が忙しくなる、なんて考えにくいし。
病気にかかってるにしても、妖怪だから治るのにそんなに長くはかからないだろうから……」
「身に何か重大なことが起きたか、嫌われてしまったかのどちらかでしょうね」
「!!」
「考えられる理由は」
ふう、と息を吐き、紅茶を一口。咲夜が淹れた紅茶と違って、小悪魔が淹れたものはその都度味が微妙に変わる。
今日の紅茶は、いつもより苦味が利いている気がした。
「何かあったならそれはそれで心配だけど、嫌われてしまったのなら、難儀ね」
「……あのね、実は思い当たることがある、らしいの」
「さて、恋する少女は思い人に何をしてしまったのかしら」
「えとね、その……恥ずかしがったり、嫌がってたりしてたのに、そんな姿が可愛くて、ヤバくて、その。
過剰なスキンシップをしてしまった、というか……はい、してしまったらしいです」
「つまりは、セク……愛情表現のし過ぎで、身の危険を感じさせてしまった、と」
「うっ……。やっぱり、嫌われちゃったのかな……?」
「ふむ、そうね……」
そんなことないでしょ、と即答出来ない辺り、あながちそれが真相なのかもしれない。
あまりに奥手なこの子に、もっと積極的になるように言った記憶はあるけれど、まさか身の危険を感じさせるほど積極的になっていたとは……。
元からそういう願望が強かったのだろう。もし、私の一言がこの子のたがを外してしまったというのなら―――しかし、原因を断定するにはまだ情報が足りない。
となると、するべきことは決まっている。
「……やっぱり、嫌われて」
「それはないでしょ。無理やり犯した、っていうなら話は別だけど」
「そっ、そんなことっ!」
「してないのでしょう? それならあくまでスキンシップの範囲。今まで話を聞いてきた限りじゃ、その程度のことで距離を置くとは考えにくいわ」
「じゃあ、どうして……」
「それを把握することが、今回の相談解決の鍵でしょうね。はい、これ」
「……? 便箋?」
「本当は直接会いに行くのが手っ取り早いのだけど、そんなことしたら色々と面倒だから」
「え、えと、パチェ? これはその、私の友達の話で……」
「分かってるわよ。だから、その友達にそれを渡しなさい。そして、会いたいって気持ちを書かせて咲夜に届けて貰いなさい。妹様から頼めば二つ返事で了承するでしょ」
「……」
「何もせずにただ待ち続けるのは愚か者のすることよ。まずは何か行動に移すことを心掛けるように。……言っておきなさい」
「……パチェ。いつもいつも、本当にありがとうね」
「礼には及ばないわ。早く渡して来てあげなさい。きっとその子、酷く苦しんでるだろうから」
「……っ。またちゃんとお礼しに来るね! ホントにありがとうパチェ!」
「図書館では走らないように―――聞こえてないでしょうけど」
そう呟き終わると同時に、大きく扉の閉まる音。ふと机の上を見ると、二つのティーカップが目に入る。
一つは小悪魔が私に淹れたもの。もう一つは、私が妹様に淹れたもの。口が付けられていない、とっくに冷めているそれを手に取り一口。
「甘ったるい」
誰に向けるでもなく呟いた。小悪魔がどこかで本を整理している音だけが、静かになった図書館の中聞こえていた。
「そろそろ出てきてもいいんじゃないのかしら、どシスコン」
「!?」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
……うん、そうだ。きっとそうだ。そうに違いない。あれは、そういうのじゃない。これが結論だ。うん。
まったく、私って恥ずかしいな。ちょっと内容がそれっぽいからって、勘違いしちゃうなんて。自意識過剰にもほどがあるよ。
フランが私のことを、そういう意味で好きなはずがない……のにね。
だって、ほら。気持ちを確かめる前に、好きな人に抱きついたり、一緒にお風呂入ったり、同じ布団で寝たりするなんて、出来るはずがないよ。
そりゃ、少しはそういうことしたいとは思うけど……もし嫌われちゃったら、とか考え出すと、なかなか出来ないよね、普通。
それに、好きな人にそういうことするのって、すごく恥ずかしいし……。
だから、その、ああいうことを積極的にするくらいなんだから、私のことを好いてくれてはいるんだろうけど、
それはあくまで友達としてで、その、決してそういう意味ではない、はず。
だから、あの手紙に書いてあった「大切な話」っていうのは、また別のことなんだと思う。
こ、告白、とかじゃないなら、それがどういう内容なのかはまったく分からないけど……。
だからこそ、この扉を開けて、フランに会って、その内容を聞かなきゃいけないんだけど……。
「そんなところで突っ立って」
「きゃあ!?」
「何してるの貴方?」
「さ、さくっ、咲夜っ!? どど、どうしてここに……!?」
「見れば分かるでしょ、お菓子やら何やら持ってきたのよ。にしても貴方、もう一度訊くけど一体何をしているの? 一時間くらい前に廊下で見かけたけれど、まさか……」
「うぅ……。そのまさかです……」
「……はぁ。呆れた。何? あの手紙本当に果たし状だったの?」
「いや、そういうのじゃ、ないんだけど……」
「ま、その様子を見ていればどんな内容なのかは大体察しがつくけど……。このヘタレ」
「へ、ヘタ……!?」
「貴方を待つ妹様の気持ちも少しは考えて欲しいわ。……まったく、仕方が無いわね」
咲夜はそう言って扉の前まで歩み寄ると、私が触れることさえ出来なかった扉をノックした―――瞬間、聞こえてくるフランの声。
状況の理解と心の整理を同時にこなす私。もういない咲夜。速まる鼓動。沸騰する血液。忙しない足音が聞こえたその瞬間―――目の前にフランがいた。
煌く金髪、紅い髪。虹色の羽に、真っ白な肌。
私のよく知らない格好をした私のよく知る女の子が、そこに。
「こい、し……」
「ひ、久しぶりだね、フラン。手紙、もらったわぁぁっ!?」
「ひぐっ……こいしぃ……こいしぃっ……! さみし、かったよぉ……あい、たかったよぉぉ……!」
「ご、ごめん! 最近いろいろと忙しくて、だから、なかなか来れなくて、その……」
「もういい……きてくれたから、もういい……ぐずっ。だから、しばらく、このまま……」
フランは私を抱きしめる力をいっそう強くする。そのせいで、すごく顔が近かったり、だから、めちゃくちゃ良い匂いがしたりと、
状況整理が出来ていないことも相まって、なんというか、もう色々とパニック状態だった。
咲夜と出会って、少し話をして。いきなり扉をノックされて、フランが出てきて。と思えば抱きつかれて、泣かれてしまって。
これだけの出来事が三分にも満たない時間で起こったんだから、こうなるのは当然のことだった。
今も私の胸の中で泣いているフラン。どうにかしてあげたいと思うけど、動揺、混乱している頭ではどうすればいいのか分からなくて。
何か声を掛けようにも、掛ける声すら見つけられない自分がとても情けなかった。
ただただ、今、限りなく近いフランの存在にドキドキさせられるだけで、何も出来ない自分が……
「……ぐずっ、ごめんね、こいし。迷惑だよね、こんなこと……」
「ふぇっ? えぁ、ゃっ、そ、そんなことは……」
「ううん、別にいいの……ありがとね、いつもいつも。もう、大丈夫……大丈夫、だからっ」
落としたナイフをとっさに拾い上げるような―――そんな反応だった。
「……こい、し?」
弱々しい声。震える体―――自分でも何をしたのか分からなかった。
気付けば私は、腕を解き離れようとしたフランを抱きしめていた。
「だ、だめ、だよ……だめだよこいし……こんなっ、こんなこと、ひぐっ、こんなことされると、わたしっ……!」
「っ!? ご、ごめん! でもっ、私っ、フランにそんなにも悲しそうな顔してほしくないからっ、だからっ……!」
「ふぇっ、ふぇええ……こいしの、ばかぁっ……ばかばかばかぁああああああーーーっっ!!」
塞き止めるものを失った感情は大粒の涙となって溢れ出す。
さっきまでのそれが『泣く』という感情表現だと呼べないほどに、フランは泣き始めた。
溜めに溜め込んだ負の感情の全てを吐き出すかのように、声を張り上げ、涙を流して。
私はそんなフランが泣き止み、そっと離れるまで彼女を抱きしめ続けた。
暫くしてから、フランは私の肩を押し少しだけ距離を置く。
そうして涙を拭い、ありがとうと言って笑った。
その笑顔はまるで天使の様で、見惚れてしまっていた私は無意識に帽子を深く被り、顔を隠した。
そんな私の様子を見てなのか、フランも気恥ずかしそうに視線を落とした。
咲夜が来るまで、私たちは無言のまま互いに言葉を探し合っていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
妹様の気配を確かに感じる。
あの扉の微妙に空いた隙間から私の様子を伺っているらしいのだけど、分かることはそれだけで、どうして私の様子を伺っているのかまでは分からなかった。
声を掛けるか掛けまいか、読書に更けるふりをしながら考え続け―――このまま見つめられては落ち着けない、と結論を出した私は、ぱたりと本を閉じ、扉に向かって話し掛けた。
「妹様?」
「っ……! こ、こんばんわ美鈴。今、大丈夫かな?」
「はい、大丈夫ですよ。何かご用ですか?」
「え、えとね、その……」
何やら考えている雰囲気。いや、急に声を掛けられて動揺しているのか。まあなんにしろ、もじもじと身動ぎしている姿が愛らしい。
昔の咲夜さんはいつもこんな感じだったなぁ。なんてことを思ってるうちに、どうやら言葉がまとまったようだ。
「美鈴! お願い! 私を大人っぽくして!」
「大人っぽく?」
どうしてまた、そんな唐突に。何を理由に、何故私に。
妹様の真剣な表情。事の重大さをひしひしと感じる。すると浮かび上がった疑問符も大きくなるわけで。
「えっと、出来るだけ尽力しますが、理由を聞かせてもらってもよろしいですか?」
「っ……」
すると妹様は途端に顔を赤くし、視線を逸らしてしまった。
ふむ、なるほど。と、その様子から大体のことを察せてしまい、口に出してもらう必要もなくなってしまう。しかし、まだ疑問は残るわけで。
「あーっと、やっぱり大人っぽくなりたい理由はいいです。どうして私を頼って頂けるのか、それだけ訪ねてもいいですか?」
この手の話なら、私なんかより頼りになる人は沢山いると思うのだけど……よく考えてみると、本当の意味で頼りになりそうなのは一人くらいしか思い浮かばなかった。
ウブなシスコン、ど天然、淫乱……流石の紅魔館クオリティだ。
「……美鈴は、その、すごく大人っぽくて綺麗だから、美鈴に頼めば私もそうなれるかな、って」
想像以上に安直な理由。なんとも妹様らしかった。
「妹様にそんな風に思って頂けているとは光栄ですね。分かりました、微力ながら全力で協力させていただきます」
「っ……! ありがとう美鈴! お願いするね!」
太陽のように晴れ晴れとした、天使のような笑顔。
とびきりの報酬を先払いされた私はなんとも身の引き締まる思いにさせられる。
これに見合うだけの、いやそれ以上の仕事で応えないと。
「さて、大人っぽくですよね。まずは手っ取り早く髪型を変えましょうか」
「髪型……。どんな風にするの?」
「今の妹様はサイドテールですから、髪を下ろして肩にかかる程度に切り揃えます」
「今より短くするんだ……そんなにも切ったことないから、どんな風になるのか全然想像出来ないよ」
「それだけでもビックリするくらい雰囲気変わりますよ? 髪を切った後は新しい服を探して、ちょっぴりお化粧しちゃいましょう」
「わ、私、お化粧なんて初めて……」
「まあ妹様も良いお年頃ですし、これを機に覚えるのもいいですね。とりあえず、今から準備に取り掛かりますから、妹様はここで待っておいてください。すぐに戻りますから」
「あっ……め、美鈴!」
「?」
「その、本当にありがとね。こんなにも色々して貰って。私、何もお礼出来ないから……」
「……それじゃあ、もう少しだけお礼、貰いますね」
「え? ……ふぁっ!?」
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「―――フラン?」
「ひっ!?」
「だ、大丈夫? さっきからぼーっとしてるけど……」
「だ、大丈夫だよっ!? 別に変なこととか考えてないよ!?」
「そ、そっか。ははは……」
「あっ……うぅ……」
フランは私から視線をそらすと、またさっきまでのようにうつむいてしまった。
どうやらかける言葉を間違ってしまったらしい私もまた、罪悪感に似た気まずさから視線をそらしてしまう。
そうして時間が巻き戻ったかのように無言空間。とってもとっても気恥ずかしい雰囲気。
咲夜が居なくなってからの私たちはずっとこんな調子だった。
はぁ、と溜め息を吐いてしまいそうになるのを我慢して、ちら、とフランの方を見てみると、もじもじとしていてなんとも落ち着かない様子だ。
落ち着いていないと言えば、私も私なんだけど……。今でもドキドキしてるし、ちょっぴり顔が熱いし……。
フランもきっとそうなんだろうけど、まあ、今の私の方がずっと冷静だろう。
だからこそ、私がこの雰囲気をなんとかしないといけないんだけど、話題が……。
「あっ」
「へっ?」
「フラン、髪切った? 短くなってる気がする」
「! わ、分かるんだ。うん、少し前に美鈴にしてもらったの」
「やっぱり。髪型、いつもと違うからもしかして、と思って。雰囲気、結構変わるね」
「……どんな風に、変わった? 雰囲気」
「えっと……。大人っぽくなってる、かな。すごく」
「!」
「服装も、その、いつもと違うから、新鮮だな、って。うん、とっても可愛い」
「あ、ありがと……すごく、嬉しい……」
う、また。ドキってした……。今日の私は一体……。
「あ、あのねっ。さっきも、その、すごく嬉しかったんだ。こいしがここに来てくれて、抱きしめてくれて……。
本当に、本当に嬉しかった。とっても安心した。私、いつもこいしに変なことしちゃうから、その、嫌われたと思って……」
「……来れなかったのは、最近忙しかったってだけだから。それに何より、私がそんなことでフランのこと嫌いになるわけ無いよ」
「……本当に? 嘘じゃ、ない?」
「本当だよ、嘘じゃない。フランは私の……」
続く言葉を言おうとした瞬間、フラッシュバックしたかのようにあの手紙の存在が頭を過った。
フランの紅い瞳が、射抜くように私を見つめていた。
そのことに気が付いた時にはもう、私は声を失っていた。
「……こいし?」
「そっ、そういえばさ、ずっと気になってたんだけど」
「フランは私の、なに?」
「っ……!」
「こいしにとって、わたしって、なに……?」
それは今にも消え入りそうな声だった。
紅い瞳は涙を溜め込みながらも、脆く崩れ落ちそうになりながらも私を必死に見つめている。
迂濶な発言。悔いる間もなく、私は考える。これ以上フランを傷付けないための、最善の選択を。
それはつまり、私の本心か、優しい嘘か。
出した答えはどちらでもなかった。私はあまりにも卑怯で、どこまでも臆病だった。
「……大切な、人だよ」
「!」
「私にとってフランは、大切な人」
「それって、どういう……」
「言葉通りの意味だよ? 恥ずかしいから、あんまり詳しくは聞かないで欲しいな」
「っ……ご、ごめん」
「ふふっ、変なフラン。……変と言えば、今日は何でそんな格好してるの? それって、この前私が着せられたのだよね?」
「! あ、あのね、私、咲夜に紅茶の淹れ方教えてもらって、だから……」
「紅茶? 何で紅……あっ」
「うん、そう。だから……今度は私の番」
メイド服に身を包んだフランはスッと立ち上がると、片手で短いスカートの丈を押さえながら、恥ずかしそうな様子で紅茶を淹れる準備を始めた。
どうやら上手く話題はそらせたらしいと安心している私は、強い自己嫌悪に陥りながらもフランのたどたどしい準備を見守る。
……それにしても、フランの問いに対しての答え、『大切な人』とは、我ながらよく考えた逃げの一手だと思う。
きっと今の私なら手紙の内容からも逃げるだろう。その場しのぎの曖昧な言葉をつむぎ、答えを先伸ばしにし。
そうしてまた、フランを……。だけど、きっと、これでいいんだ。
取り返しのつかないほど深く傷付けるくらいなら、浅く傷付けながらも、その傷を私が癒していけば、今のような関係を続けられるはずだから。
それがフランにとっての最善の選択で、私が出せる一番の答えのはずだから。だから……これでいいんだ。きっと、これで。
「……ねえ、こいし」
「?」
「今日は、その、夜には帰るの?」
「……うん、晩ご飯に間に合うようには帰るつもりだよ」
「あっ、あのね、今日は紅魔館でちょっとしたパーティーが開かれるから、こいしも参加してくれたら嬉しいな、って……」
弱々しい語調で遠慮がちに言葉を発したフランは、いつものフランとはまるで別人だった。
フランは私をパーティーに誘うとき、こんな風にお願いするようなことはしない。
「今日はパーティーだから!」と嬉しそうに言って来ては、私を衣装室まで引っ張って行く。
そんな向こう見ずで少し我が儘な所があるフランが私は好きなのに、今は……
「……ダメ、かな?」
「だっ、ダメじゃないよ? 全然大丈夫。でも……パーティーが終わる少し前には帰るね」
「……どうして?」
「あ、明日、朝からお姉ちゃんと出掛ける約束があるから、あんまり遅くには帰れないんだ」
「……」
「だから、今日は早退させてもらうね? また、近いうちに必ず来るから」
「……そう言って、一ヶ月来なかった……」
「えっ?」
「ううん、なんでもない。分かった、じゃあ今日はそれまで付き合ってもらうね。とりあえず、パーティー始まるまではゆっくりしよっか」
「う、うん……本当に、ごめんね」
「別にいいよ? ……お姉さんとの、約束だもんね」
「……うん」
誰のためでもない、自分のためだけに吐いた嘘だった。
私に帰りたくない理由はあっても、帰りたい理由なんてものはなかった。
何もかもから逃げ続ける私は、自分を正当化することからも、罪悪感を感じることからも逃げ始めていた―――
フランは裏返しにされていたティーカップを手元に持ってくると、たどたどしい手付きで用意していた紅茶を丁寧に淹れ始める。
何かを諦めたような、悟ったような、そんな様子で無表情に、ティーカップの中が暗い色の紅茶で満たされるのを見つめていて。
その光景を映し込むフランの紅い瞳もまた、みるみるうちに暗く、濁っていく―――そんな、錯覚。
白昼夢を見たような感覚に陥ったのはほんの一瞬だった。
不意に目の前に置かれたティーカップの先に視線を伸ばすと、そこにはいつもの、フランの綺麗な紅い瞳があった。濁り無く澄んだ、フランの瞳が。
「飲んでみて? 感想、聞かせてほしい」
「……あんまり詳しいことは分からないだろうけど、思ったことは言わせてもらうね」
ティーカップを顔に近付け軽く香りを嗅ぐと、一口、紅茶を口に含む。
渇いた口内を潤す冷たい感覚と、程よい苦味。緊張やら何やらで酷く喉が渇いていた私にはピッタリで、すぐに飲み干してしまう。
「うん、冷たくてすごく美味しい……。この季節にアイスティーなんだね、ちょっとびっくりしちゃった」
「部屋の中は暖かいから、冷たい方が飲みやすいし飲み心地も良いと思って。……もう一杯、飲む?」
「うん、お願い」
また、ティーカップに紅茶が注がれ、それを一口、二口と飲み。
そんな私の様子を無表情にじっと見つめていたフランと目が合うと、フランは思い出したかのように柔らかい笑みを作った。
「気に入ってくれたんだね、とっても嬉しい」
それはまるで天使が微笑んだようで、私が感じたほんの僅かな違和感を忘れさせるには十分だった。
「ふ、フランの紅茶、私が淹れたのよりずっと美味しいね。フランも飲んでみたら?」
「私はいいよ。それはこいしのために淹れたものだから。……ねえ、いじわるな質問、していい?」
「いじわるな、質問?」
「お姉さんの紅茶と私の紅茶、どっちが美味しい?」
「なっ……」
「どっちも美味しい、とかは無し。嘘吐くのも無し。私のかお姉さんのか、どっちがいいか正直に言って?」
唐突な質問だった。同時にそれは、私を軽く混乱させるほどにいじわるなもので。
きっとフランはそのことを分かっている。だから、前置きをした上であんな釘を刺して来たんだ。
咲夜じゃなくてお姉ちゃんを引き合いに出した理由も、なんとなく分かってしまう……。
まだ、にやりとした笑みでも浮かべていてくれれば私も冗談混じりの返答を出来たものの、ここまで真剣な眼差しで見つめられてしまえばそんなことも出来なくて……。
どうすればこの状況を上手く切り抜けられるのか。
さっきのような都合の良い言葉を考えていた私の心はどこまでも邪だった。
フランはそんな私の心をずっと前から見透かしていて、ただ、じっと見つめていた―――
「お姉さんの方がいいんだね」
「え……やっ、そっ、そんな」
「いいよ、嘘つかなくて。こいしは優しいから、すぐ分かる。……ふふ、ちょっと悔しい。たくさん練習したから。やっぱり、お姉さんには敵わないんだね」
「……こ、こういうのを比べるっておかしいよ。確かに、どっちか好きなのか絶対に選べ、って言われたら、お姉ちゃんの紅茶、って答える、けど……。
フランが淹れてくれた紅茶も同じくらいに好きだし、何より、人それぞれだよ。私以外の人は」
「こいし以外の人なんてどうでもいい」
「……ふ、フラン?」
「こいし以外の人なんて、どうでも」
紅い瞳の中の焦点が、ぐるぐるととぐろを巻いている。
何を映しているのか分からないそれは光を拒むかのように暗くなって、黒ずんでいって。
その赤黒くなった瞳の中に自分の存在を感じた瞬間、ぞくりとした何かが背筋に走った。
反射的に後退るようにして椅子から立ち上がった私は―――ぐらり。脳を直接揺らされたような頭痛に襲われる。
今まで感じたことの無いような強烈な気持ち悪さ。ぐんにゃりと世界が歪み、平衡感覚を失った体が真横に倒れようとして―――誰かが私を抱き止めた。
目の前に広がる曖昧な世界の中には、フランがいる。なら、後ろで私を抱きしめているのは誰?
力が全く入らない体。かろうじて動く首をゆっくりと後ろに向けると、光を拒む赤黒い瞳がそこにあった。
信じられない光景、あり得ないはずの存在。
その瞳の中にある小さな渦に飲み込まれるような気がして、体の感覚が足元から無くなって、目の前がだんだんと暗くなって―――
最後に私が見たものは、愛しいものを見るような、慈しむような、そんなフランの微笑みだった。
頭の中からすっかり抜け落ちていたことだった。
フランは天使のような悪魔だった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「い、も、う、と、さまっ!!」
「ひゅああっ!?」
「ふふひ、こーんなところでもじもじしながら一体何の本を探してるんですかー? この手のジャンルならわたくしに言ってくだされば五秒で用意いたしますよー?」
「ち、ちちち違う! 違うの! ここにはたまたま通り掛かっただけで別にそういう本を探してる訳じゃ……!」
「なになに? 『誰でも作れるよく効く睡眠薬調合法』『恋人たちのためのロープワーク指南書』」
「にゃ゛っ!?」
「うぅっ、初心者向けながら、妹様がこのような変態本に興味を示されるなんてわたくし感激です……。ちょっと前まではスイーツな恋愛教本ばかり読んでいたのに……」
「なっ、なぁっ!?」
「溜まりに溜まったフラストレーションを遂に爆発させるんですね、分かりました。わたくし、微力ながら妹様のため全身全霊を掛けご協力させて」
「ま、待って小悪魔! ほ、ホントに違うのっ! これはその、ちょっとした出来心で読んじゃっただけでっ、本気でやろうとかは思ってなくて……!」
「出来心が生まれるってことはそういう願望があるって証拠じゃないですかぁ。わたくし大好きですよぉ? 盛るとか縛るとか、犯すとか堕とすとか」
「そそそ、そんなことっ……!」
「お相手は勿論あの方ですよね? ふふひ、良いですねぇ、堪りませんねぇ。知らずのうちに芽生えていた恋心。
気付いた時にはもう遅く、淡い想いは積み重なるばかり。
会いたい、もっと一緒にいたい、思えば思うほど彼女のことが恋しくなって、どうしようもなく欲しくなって。
けれど手は伸ばせなくて。今ある親友という関係が手放せなくて。失ってしまうことが、嫌われてしまうことが何よりも怖い。
そんな想いの矛盾に悶える毎日。にも関わらず、満たされない心を埋められるのは彼女の存在だけで。
ふと気付いた時、指先は下腹部に伸びている。
涙を流したかのように濡れそぼったそこ。彼女が着ていたキャミソールの残り香を嗅ぎながら、彼女の名前を呼びながら、火照った身体を慰める―――」
「っ~~~!!? 」
「ああ、なんていじらしいっ! もういっそのことわたくしがめちゃくちゃに犯してしまいたいっ!!」
「え……」
「あ、今ちょっと後退りしましたね? もうっ、可愛いんですからー。ほんのちょっとしたジョークですよジョーク。イッツァこあくまんジョーク」
「そ、それならいいんだけど、どうしてゆっくりとにじり寄ってくるのかな?」
「ふふひ、それはね……妹様を食べちゃうからさー!!」
「きゃああっ!?」
「あぁ、妹様良いかほり……。抱き心地も最高にグッドですぅ……」
「わわっ……は、恥ずかしいから離して小悪魔……」
「離しませーん……ねえ、妹様。さっきの話の続きしましょうか?」
「つ、続き?」
「じゃじゃーん、これ、何か分かりますかぁ?」
「!」
「ま、ラベルに書いてある通りの物なんですけどね。まだありますよー? ほいっと。ふふひ、可愛いでしょこれ?
こう見えてもすっごく頑丈なんですよぉ? 使い方も単純明快♪ 縛るなんて手間も掛かるし失敗するかもしれないこと、イマドキじゃないですからねー。
まあ、あれはあれでそそりますけど。それは置いといて……好きなんですよね、あの方のこと」
「っ……」
「好きで好きで仕方が無いんですよね? ずっと一緒に居たいんですよね? いろんなコト、たくさんしたいんですよね?」
「だ、だめだよ。だめだよそんなことっ……。だって、こいしは……」
「何がダメなんですか? 欲しいモノはどんな手を使ってでも手に入れる、それが私たち悪魔じゃないですか? 例えそれが、ひとのものでも」
「!!」
「本当は奪い取ってでも自分のものにしたいと思ってるんですよね。
しかも、それに対する抵抗はなくて、むしろ、奪い取ることであの方を独占する誰かに自分と同じ気持ちを味あわせたいとまで思ってるんですよね」
「ち、ちがう……そんな、こと……」
「けれど、そうしたいと思っていても実行には移さない。その理由は、あの方に拒まれるのが怖いから」
「っ!」
「一度過ちを犯してしまえば二度と一緒にいられなくなるし、今まで築いてきた関係すらも壊れてしまう。
そう思ってるから、我慢してるんですよね? 告白もしないんですよね?
……もし、私の言っていることが全てあっていて、奪い取ることに対する良心の呵責が無いのなら―――良い考えがありますよ。
彼女の体を、その心を、妹様のものに出来る方法が」
「う、そ……うそだよ、そんな方法、あるわけ……」
「あるんですよ。魔法使いであり吸血鬼でもある妹様だからこそ実行できる、完璧なプランが。話しだけでも聞いてみませんか?
実行するかどうかはそれからでいいです。それこそ妹様次第ですから。……一生このまま、生殺しのような関係を続けるかどうかも、ね」
「……ほ、本当に出来るの……? そんなことが、本当に……」
「心を堕とすということに際して、吸血鬼ほど便利な立場にいる種族は他にいないと思いますよ?
まあそれも含め今からお話しするので、いったん私の部屋に行きましょう。立ち話もなんですしね。
そうそう、実は良い紅茶を美鈴さんから貰ったんですよ! それがなかなか良い代物で―――」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
指一本動かすことすら億劫に感じるほどの、体のだるさ。
頭痛はし無いにしろ、寝起きの私の気分はあまりに悪かった。
霞む視界が徐々に鮮明になり始め、全身の感覚がゆっくりと蘇る。
回り始めた頭が最初に認識したものは、薄い涙を目に浮かべながら、熱に浮かされたような表情で私を見つめる一人の少女だった。
「フラ、ン……?」
広いベッドの上、私のすぐ隣。
女の子座りをしたフランは枕をぎゅっと抱き締めながら辛そうに息を切らしていて、誰が見ても明らかに様子がおかしかった。
服装もさっきまでのメイド服ではなく薄いネグリジェになっていて、その様子や新しい髪型とも相まって、とんでもなく妖艶な雰囲気を醸し出している。
普段のフランからは考えられないようなその姿に、私の鼓動は音を立てて速くなっていた。
不意に、フランを観察するように見つめていた私の視線と、焦点を合わせないままこちらに向けるだけだったフランの視線とが絡み合った。
ドキン、私の鼓動はリズムを狂わされる。
フランは抱き締めていた枕をこぼすように手離す。
始まりの合図だった。
「おはよう、こいし……」
「お、おはようフラン。あの、訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「私ね、我慢したんだよ……?」
「えっ、と、」
「寝てるこいしに、変なことしちゃダメって……。こいしに、いいよ、って言われるまで、何もしちゃダメって……」
「あ、あの、フラ」
「ねぇ、こいし……私、いい子だよね……? ちゃんと、我慢、出来てたよね……?」
「えと、わ、分かんないけど、その」
「だからね、ちゃんと我慢出来た私のこと、褒めて欲しい……頭、こいしにいっぱいいっぱい、撫でて欲しい……」
「ふ、フラ……ゃっ」
「頭、撫でて……?」
私の手を取ったフランは涙を溜めた瞳で上目遣いにこちらを見つめた。
このフランは一体なんだ、どうして私はフランのベッドで寝ていたんだ、一体この状況は何なんだ。
激しく動揺する自分自身を冷静にしようといくつか疑問を投げ掛けるが―――どうにも解答を出すための時間は与えて貰えないらしい。
フランの瞳に溜まっていた涙がぽろりと溢れた。気付いた時にはもう私は手を伸ばしていた。
「ふあっ……」
さらりと指の隙間を金色の髪が撫ぜる。
柔らかいその感触は心地よく、髪をとくたびにフランの良い匂いがふわりと香り、鼻孔をくすぐった。
私が手を動かす間、フランは顎を撫でられた犬のように目を細め気持ち良さそうな顔をしていて、そんな幸せそうなフランの様子に私は状況の説明を迫れずにいた。
「ん、んぅ……ふぁ……」
どぎまぎとしながらも遠慮がちに手を動かし続ける。
そこまで辛くないにしろ体のだるさは相変わらずで、出来ればもう少しだけ横になっておきたかった。
どうもフランの部屋に入ってからの記憶が色々と曖昧らしくて、いつから体調が悪くなったのか思い出せない。
きっと、体調が悪くなった私がフランのベッドを借り、少し寝てから今に至るのだろうけど……
何か大切なことを思いだしかけたその時だった。
「きゃっ!?」
気付いた時には撫でていたはずのフランの頭が私の顔のすぐ横にあった。
背中に回された腕にぎゅうっと体を抱きしめられ、とても温かいフランの体温がじんわりと伝わってくる。
今の私にはゆっくりと寄りかかってきたフランを抱き止めるだけの力もなかったらしい。
いわゆる、押し倒されたような体勢になっていた。
「ねぇ、こいし……。抱きしめて、いい……?」
「も、もう抱きしめてると思うんだけど……」
「ありがと……。やっぱり、こいしはやさしいね……。もう一つだけ、お願い、してもいい……?」
「……な、なにかな?」
「こいしも、抱きしめて……。私のこと、ぎゅってして……。こわれちゃうくらい、いっぱい、いっぱい……」
熱い吐息を帯びた切なそうな声。耳元に掛けられ、体にぞくぞくとした感覚が走る。
私を抱きしめるフランの力はどんどん強くなっていて、状況がまずい方向に向かっているという認識をさらに加速させた。
もし、今、私がお願いされた通りにフランを抱きしめてしまえば、起きてはいけないことが起きてしまうかもしれない。
いや、もしかすると、もう起き始めていていると考えても不自然では―――
「こいし」
「っ……な、なに?」
「抱きしめて、くれないの……?」
「あ、あのね、私、今力が入らなくて、だから、その」
「力、まだ入らないんだね……」
「う、うん。それとね、ちょっと苦しいから、離れてくれると嬉しい、かな」
「……」
数秒間の沈黙。かける言葉を間違えてしまったかと心配になったけれど、フランの腕が背中から抜けていくのを感じ、私はほっと安心した。
体を起こしつつ、フランから離れようとして―――肩を捕まれる。そしてそのまま、ベッドに押さえ付けられた。
何か言葉を発するよりも先、気付いた時には腰の辺りに馬乗られていて、身動きが一切出来ない体勢になっていて。
私を見つめるフランの瞳はどこまでも熱っぽく、蕩けていて。
この時初めて、私は自分から逃避という選択肢が奪い取られていたことを理解した。
何もかもから逃げ出していた臆病で卑怯な私が、フランのまっすぐな想いと向き合う瞬間だった。
「手紙、読んでくれたよね……」
「!」
「大切な話がある、って。……あの手紙はね、ただこいしに会いたくて。
どうすればこいしがここに来てくれるか、どうすればこいしが私のことを考えてくれるか、そんなことだけを思って書いた手紙なの」
「じゃあ、大切な話は……」
「うん、そう。大切な話なんてない。いや、するつもりなんてなかった。私にそんな勇気、なかったから……でもね、今は違う。私ね、もう我慢出来ないの……」
「フラン……?」
「ずっと分かってた。こいしはお姉さんが好きで、お姉さんはこいしが好きで。
こいしにとってのお姉さん以上の存在なんていなくて、だから、私がこの気持ちを伝えてもこいしを困らせるだけだって、
今よりもずっと遠くにこいしが行っちゃうだけだって……全部、全部、分かってた。分かっててもっ! ……ダメだよ……我慢出来ないよ……出来るわけないよ……」
「こいしのことが、好きだから」
「!!」
「あの時からずっとそう……。一緒にいるとドキドキして、お話しするのが楽しくて、会えないのが辛くて……。
一人きりの時はいつもこいしのこと考えてたんだよ……? どうすればもっと一緒にいられるのかな、どうすればこいしも私のこと好きになってくれるのかな、って……。
でもね、やっと気付いた。そんなこと意味ないって。最初から、こうしていればよかったって」
「っ! ふ、フラっ」
「好き、好きだよこいし、大好き……。これからは、ずっと一緒だよ……?」
ぽろりと零れた一粒の涙。私の頬を濡らすと同時に、柔らかく温かい感触が唇を塞いだ。
限り無く近付いた私とフランとの距離はもうこれ以上近付くことは無くて、あとはただ、どこまでも遠くに離れていくだけだった。
「っ……。こいし、こいし……!」
「だ、だめっ、フラっ、ん、んぅっ……!」
制止の言葉を掛けようとした私の口は、有無を言わさず再び塞がれる。
言葉なんて聞きたくない、まるでそう言っているかのようにフランは長く、食むようにキスをする。
私は必死にフランを退けようと胸元を押したり、唇を離そうと首を振ったりするけれど、そんな些細な抵抗は意味を成さなくて。
逆に、それを抵抗と見たフランが行為の激しさを増すばかりだった。
「ん、ゃ、んんっ……!」
フランは何度も何度も私にキスをした。
繰り返される行為の中、私が抵抗の素振りを見せるたびに強く、歯と歯が当たるほどに激しく唇を動かした。
そんなキスをされればされるほど、フランと繋がり触れ合うほど、理性も身体も何もかもが溶かされていくような気がして、温かい場所に全身が沈んでいくような感覚がして。
気が付いた時にはもう、私は抵抗をやめていた。諦めたのか受け入れたのかは分からない。ただ、体が動かなかった。動かせなかった。
フランはそんな私の様子を見て、ようやく唇を落とすのをやめる。
束の間の休息、熱帯びた沈黙。
肩で呼吸をするフランは恍惚とした表情でこちらを見つめ、私はその赤黒い瞳にぼんやりとした不安と恐怖を覚える。
次は一体何をされるんだろう、この時間が終わった時、私たち二人はどうなるんだろう。
その答えに行き着くだけの猶予が与えられるはずもなく、休息を終えたフランの指に私の手は絡め取られると、頭の両横に押さえ付けられた。
力が入らない上に馬乗られ、遂には腕の自由も奪われて。今の私に許されたことは、助けを乞うような怯えた声を出すことだけだった。
「ダメだよ……。このままじゃ私たち、取り返しのつかないことになる……。今ならまだ間に合う、元の私たちに戻れる、だから……」
「ふふ、オカシナこと言うんだね、こいしは……。
週に一度か二度しか会いに来てくれない。一緒にいられる時間は少しだけ、二人きりのときでさえ私だけを見てくれない、気が付けば一ヶ月も忘れられる。
そんな関係に、どうして戻る必要があるのかな……?」
「っ……」
「そんな残酷な関係に戻ってまで、やっと手に入れたこいしを手離す理由なんてどこにもない、あるはずがないよ」
「……手に、入れた?」
「そうだよ? こいしはもう私のモノなんだよ? これからは起きるときも寝るときも、ご飯食べるときも遊ぶときもずっと一緒。こいしは私とここで一生幸せに暮らしていくの」
「なに、いってるのフラン……?」
「ふふ、気付いてないんだ……。なら、教えてあげないとね。右足首、どうなってるか分かる?」
「……!!」
「大丈夫、お風呂とかの時は外してあげるから……。あんまりイタズラするようじゃ、それも出来なくなっちゃうけどね……」
「う、うそ、だよねフラン……? 冗談、だよね……?」
「ダメだよこいし……。そんなにも可愛い顔されたら、我慢出来なくなっちゃうよ……。今日は最後までしない、って決めてるのに……」
押さえつけられている手に、ぐっと力が込められる。ぎらついた赤黒い瞳の中に私の姿が溶け込み、とぐろを巻いて消えていった。
ぼんやりとした不安が、恐怖が、底知れぬ絶望へと変わった瞬間だった。
「い、や……。やだ、やだよ……やめて、フラン、おねがい、だから……」
「ふふ、アハハ……可愛い、可愛いよこいし……その怯えた顔も、震えた声も、すごく可愛い、たまんない。ぞくぞくしちゃう……」
「ひっ……!?」
「今、ビクってした……耳、舐めただけなのに……。もっと、してあげるね……」
「ゃ、やあぁ……!」
フランは舌先で耳殻を撫でながら耳全体を口に含むと、ちゅぷちゅぷと水音を立てながらそれを愛撫し始めた。
れろりと舌全体で耳を舐る動きを主体に、時には穴に舌を差し入れ、時には口で液を吸い出し。
熱い口腔内で与えられる未知の感覚に悲鳴にも似た声が漏れ出るけれど、今の私にそれを抑える術など無く、ただただフランに弄ばれるばかりだった。
「ぁ、ぁっ、ぁぁ……」
「んちゅ……ん、ちゅ……ひもひい? ほいひ」
「っ~~~!! しゃ、しゃべっちゃだめ……!」
「……んぁ。みみも、よわいんだね……。次は、反対側してあげる……」
「も、もうやめてフラン……。こんなの、絶対おかしいよ……」
「何が、おかしいの?」
「ひっ……」
「私はこいしのことが好きで、好きだからこういうことして……ん、ぁ……らにがふぉかひいの?」
「あ、ぁぁっ……」
「ふぁかひくらいほね? ん、ちゅ……らにもふぉかひくらい……」
言葉を発音しようと舌が動くたび、ちゅぷりと湿った水音が鳴り、体に微弱な刺激が与えられる。
フランはもう片方の耳を口に含むと、再び愛撫を始めていた。私にだけしか分からない言葉を囁きながら。
「好き」「大好き」「愛してる」背中を指でなぞり文字を書くように、舌先や吐息が私にそれを伝える。何度も何度も囁きかける。
体が熱かった。声が止まらなかった。舌が動くたび、吐息をかけられるたび、未知の感覚は着実に『気持ち良い』に近づいて、怖いという感情と入り混じって。
それはつまり、身体がフランを受け入れ始めている証拠。私は激しく動揺していた。頭の中がぐちゃぐちゃになり始めていた。
「ん、んぅ……こいし、気持ちいいんだね……。その声も顔も、とってもえっちだよ……?」
「はぁっ……。ん、はぁっ……!」
「次はこいしの好きなトコにしてあげる。ふふ、あの時と同じだよ? 今度はもっと、たくさん気持ちよくするね……」
火照った首筋にれろりと舌を這わされ、私は悲鳴のような声を上げた。
敏感な性感帯への刺激に堪えられる余裕なんてどこにもなく、熱くてぬめりとした感触が艶かしく動くたび、はしたなくよがるような声が声帯から出ていく。
恥ずかしい、こんな声、出したくない、聞かれたくない。そう思うのに体は言うことをきかなくて、痙攣を起こしたかのようにびくつき震えるだけで。
じんわりとした熱が下腹部にこもり始めるのを感じたその時、舌の動きが不意に止まる。
続けざまに、生温い液でまみれたそこに軽くキスを落とされると、ちゅぅぅ、と強く、吸い付かれた。
さっきまでとはまるで違う、継続的で波の強い快感に体が軽く弓なる。
私はぐっと強く手を握り、それに堪え続けることしか出来なかった。
「んっ、ちゅぱ……ふふ、薄いけど、痕ついた……。もっとつけてあげる……」
「くぅっ、ぁっ……!」
フランは私の首の様々な場所にキスを落とす。
そのたびに強く吸い付き、刻印のように赤い痕を残していく。
時には服を肌蹴させ、首元に。時には後ろ髪をそっと持ち上げ、うなじにも。
ちゅっと唇を離す音が聞こえるたび、フランの息遣いはどんどん荒くなっていた。
まるで餓えた獣が本能に飲まれていくかのように、瞳までもが妖しくぎらつき。
首に吸い付かれている間、鋭利なその八重歯がヒフに食い込む感覚はまるであの時のようで―――
「こいし……血、吸っていい……?」
「ふぇっ……!?」
「こいしのここからね、とっても良い匂いがするの……。すごく美味しそうな、血の匂いが……」
「ゃ、やだ……やだよ……。やめて、お願いだから……。あんなことされたら、わたしっ……」
「キスするたび、無意識に吸っちゃいそうになってて、吸っちゃダメだって言いきかせて……。私、我慢したよね。ちゃんとお願い、したよね……」
「ひっ」
「大丈夫、優しくするから……。ちょっとだけ、ちょっとだけだから……」
「い、や……。たすけて……」
「おねえちゃん……」
暴れないよう体を強く押さえ付けられ、ナイフの切っ先のような八重歯を首筋に突き立てられ。
次の瞬間には与えられるであろう暴力的なまでの快感を前に、私は無意識にその名前を溢した―――刹那、ピタリとフランが動かなくなる。
まるで時を止められたかのように、身動ぎの一つすらもせず。数秒間の沈黙の後、音も無く首筋から離れてゆく。
俯けていた顔をゆっくりと上げたフランは、凍て付いたような冷たい眼差しで、無機質に私を見つめた。
その光を拒み狂気をはらんだ赤黒い瞳の中にはもう、『私』の姿は映っていなかった。
「会えないよ?」
「こいしはもうお姉さんには会えないんだよ?
そんな風に名前を呼んでも、心の中で求めても。絶対に会えない。会わせない。
こいしは私だけのものだから。こいしは私のことだけを見て、私のことだけを考えていればいいの」
「お姉さんのことなんて忘れさせてあげる。何百年かけてでも、何千年かけてでも、お姉さんだらけのこいしを私で塗り潰す」
「だからね、今から教えてあげるよ。私たち吸血鬼の本気の吸血を。血を吸われる時の本当の快楽を」
「もう、優しくしてあげないから」
私の記憶は、ただその時の快楽と余韻だけを残し、そこから今まで無くなっている。
服は下着も含め着替えさせられていて、汗と液だらけだった体も綺麗になっていて。
広いフランのベッドの上、私は首筋につけられた噛み跡をさすりながら、足首に繋がれた鎖をぼーっと見つめていた。
監禁生活の二日目が始まろうとしていた。
あなたの作品はこの悶える感覚が癖になる
また完結を心待ちにしております
個人的にさとこいファンなので、さとりが心配です。
しかし…この作品でこいフラに悶えてしまいました…こいしモテモテだなぁ
あとおりんくうが気になります
次作を楽しみにお待ちしております!
さて、続きがすごく気になります
いいぞ、もっとやれ…いや、やってください