―――コロコロ、コロコロ。
小気味良い音を立てながら永遠亭の廊下を歩くのは、ご存知月兎、鈴仙・優曇華院・イナバ。
彼女はご機嫌そうに鼻歌なぞ歌いつつ、廊下を歩く。
―――コロコロ、コロコロ。
なおも小気味良い音が聞こえるが、彼女自身が発している音ではない。第一、普通に歩いていてコロコロなぞ鳴るはずも無く。
その理由は彼女が持っている、掃除用粘着ローラー。粘着質の紙が輪になっており、それに取っ手が付いている。
コロコロ転がすだけで埃や塵がみるみる取れる、奥様の味方である。
「お掃除ご苦労様。悪いわね、まかせっきりにしちゃって」
廊下を通りかかった八意永琳が、その労を労う。
すると鈴仙は、
「いえいえ、すごく楽しいですよコレ!ほら、ちょっと転がすだけでこんなに」
そう言って笑顔。遊び感覚でコロコロやるだけで埃が取れる様が気持ちいいらしい。
鈴仙がローラーを持ち上げると、粘着部分に大量の埃や髪の毛。
「あら、そうなの。香霖堂で見つけたから買ってきたんだけど、正解だったわね」
それを見た永琳も笑顔を見せる。
「重ねて悪いんだけど、お座敷の方もお願いしちゃっていいかしら」
「は~い!」
元気に答え、鈴仙は再びコロコロ。永琳はそのまま永遠亭に併設された薬局へ向かうべく廊下の向こうへ消える。
埃で粘着力が弱まっても、紙を一周剥がせば再び復活する。彼女は紙の一番上を剥がし、辺りを見渡す。
何せ、永遠亭は広いだけでなく部屋数も多い。どこからやってよいものか。
悩んだ末、彼女は近くの襖に手をかけ、スラリと開ける。
―――コロコロ、コロコロ。
早速鈴仙はローラーをかけ始め―――た訳ではない。彼女はまだ、襖を開けただけだ。
部屋の中央を高速で左右に転がる何かが一つ。コロコロコロコロ、部屋の端まで辿り着いたら反対側へころころころころ。
むしろ擬音はゴロゴロと言ったほうがよいその光景にあんぐり口を開けていた鈴仙は、ようやく喉から声をひねり出す。
「―――姫様、何をなされているのですか……?」
「ん~?」
と、ここでようやくゴロゴロやってた物体が動きを止めて、むくりと上半身を起こした。
その正体は不老不死な月の姫君・蓬莱山輝夜。
「かげぶんしんの練習ですか?それとも天元突破?」
口ではそう言いながらも、彼女の脳内に一瞬『蓬莱人の煮っ転がし』という単語が浮かんでは即座に消え、思わず頭を振る。別に煮てないし。
脳内で調理されかけた輝夜は彼女の発言に一旦首を傾げたが、にぱっと笑って言った。
「暇だったから、座敷の回転往復タイムアタック幻想記録を目指してたのよ!」
「そんなのあるんですか?」
「さあ。でも楽しいよ。イナバもやる?」
「お掃除中なんで遠慮しときます……」
「むぅ、つれないウサちゃんだ」
頬を膨らませる輝夜の横に立て膝で座り、鈴仙は輝夜の長い髪に手を伸ばす。
「あんまり転がるから、埃がついてますよ。ほら、ここと……あ、ここにも」
それから彼女は丁寧な手つきで一つ一つ埃やゴミを取ってやる。これではどっちがお掃除用ローラーか分からない。
「い~つもすまないねぇ……」
やたら渋い口調でお礼を述べる輝夜。鈴仙はどう返答してよいか分からず戸惑っていると、
「もう、そこは『それは言わない約束でしょ』って返さなきゃダメ~!」
腕を振って輝夜が力説。
「は、はぁ……」
(月のお姫様がこれくらい暇なら、永遠亭がトラブルに巻き込まれる事も無いのかな……)
鈴仙がそんな事を薄ぼんやりと考えていると、いつの間にか部屋の入り口に永琳の姿が。
「姫、またお掃除ローラーになっていたのですか?」
開口一番、ため息と共に鈴仙が持っているローラーと輝夜を見比べて永琳。
「む、言ったな!私はお姫様なのよ!掃除用具じゃないもん!」
「私が何故ローラーを買ったか知ってますか?姫がころころしている様子を見て思いついたようなモノなんですよ」
「私とコロコロを一緒にしないでよう!月の姫たる私のお転がりは単なるお掃除のコロコロとは格が違うの!その優雅なコロコロは掃除のコロコロには無い可憐さがあって、コロコロという擬音一つとってもお掃除コロコロのコロコロとは比べるべくも無いコロコロの真髄とも言えるコロコロとしたコロコロさ加減がまたコロコロという……」
「コロコロコロコロうるさいですよ、もう。大体お転がりって何ですか……何にでも『お』を付ければいいってものでは」
「え~りんはうるさいの!バカ!まるきゅー!マッド薬剤師!コロネみたいな髪型のくせに~!」
癇癪を起こしたが如く手足をバタつかせて騒ぐ輝夜と、何とか説教モードに入ろうとするコロネ……じゃなくて永琳。
手持ち無沙汰になった鈴仙が部屋を見渡すと、部屋の隅には本来座敷の中央に置かれていたであろう小さなテーブルが立てかけてある。
転がる為に輝夜がどかしたのだろう。わざわざご苦労な事だ。
「とにかく、最近の姫は怠けが過ぎます」
腰に手を当ててお説教モードの永琳に言われ、輝夜は口を尖らせる。
「だって暇なんだもん」
「だからって掃除用ローラーにならなくてもいいじゃないですか。きめは細かいからゴミはよく取れそうですけど」
「ローラーちゃいまんねん!幻想記録を目指す熱き女の一人旅よ!その内『ぷろぜくとえっくす』から取材依頼が来るに違いないわ!」
「何で関西弁なんですか。旅するならまず部屋から一歩でもいいですから外へ出て下さい。そして何なんですかその番組みたいなの。メディアは何ですか」
「えっと……えーりんのバカー!草原のペガサスー!」
彼女の発言一つ一つをしっかり取り上げて丁寧にツッコんでいく永琳に、再び癇癪モードの輝夜。それけなし言葉になってない。
二人の会話―――というよりお説教と屁理屈の応酬が一瞬途切れたのを見計らい、鈴仙が口を挟んだ。
「姫様は、何か趣味とか無いんですか?」
「しゅみ?」
首を傾げる輝夜。
「何か趣味とか、熱中できるものがあれば、毎日ロー……寝転がる事もないのでは」
その発言に、永琳も同調する。
「あら、ナイスアイディア。確かにそうね。姫、何か趣味はお持ちですか?」
「ごろごろ」
「却下。どうせ転がるなら埃が多い納戸をお願いします」
「ローラーじゃないってば!……じゃあ、もこたんとの殺し合い」
「あれはもう定例行事と言ったほうがいいでしょう。というか、最近は大分マイルドになって、普通の弾幕合戦じゃないですか」
「う~ん……じゃあ無いなあ」
蓬莱山輝夜・無趣味。らしいと言えばらしいが、姫君なら何か優雅な趣味の一つでもあるべきではないだろうか。
それは本人も思ったらしく、少し考えた後に彼女は顔を上げる。
「よし、決めた!何か趣味作る!月の姫らしい素敵な趣味!人生長いんだもの、楽しくなくちゃ!」
「あら、いい心がけですね。それでこそ姫ですよ」
「きっと皆さんに自慢できますよ!」
「見てなさい、もう転がるだけが能の輝夜じゃないわよ!」
諸手を天へ突き上げる輝夜。何やらやる気になったらしいので、永琳も鈴仙もとりあえずおだててその気にさせる。
かくして、輝夜の趣味探しが始まった。
もっとも―――
「今に凄いシュマーになるわ!」
「しゅまー?」
「趣味をする人だから、シュマー」
「……ひょっとして姫、それで幻想流行語大賞とか狙ってます?」
「もちろん!」
―――こんなズレた姫の見つけてくる趣味が、マトモである保障は欠片ほども無いわけで。
・
・
・
・
・
―――翌日。
昨日、趣味を見つけると決意してからというもの、輝夜はずっと部屋に篭って趣味を考えていたらしい。
その成果を見るべく、鈴仙と永琳は二人して輝夜の部屋を訪れた。
「姫様、入りますよ」
鈴仙が言うと同時に、永琳が襖を開ける。
まず目に飛び込んできたのは輝夜の背中。彼女は机に向かい、何やら一生懸命筆を走らせているようだ。
「何書いてるんですか?」
言いながら鈴仙が彼女の手元を覗き込むと、机の上に何枚も紙が重ねてある。
その内の一枚に必死に筆を走らせる輝夜。その紙の上部に書かれた『履歴書』の文字を見て、鈴仙は少し驚いた。
「履歴書って……姫様、アルバイトでもなさるおつもりですか?」
「へ?」
履歴書記入に夢中になっていた輝夜はここでようやく二人に気付き、顔を上げる。
永琳は少し困った顔をして言った。
「労働意欲に目覚めるのは素晴らしい事ですけど、姫に働いてもらわなければならないほど、永遠亭は困窮してませんよ?」
すると輝夜は暫しポカンとした後、笑顔で手をヒラヒラ振る。
「あ、これ?やだなぁ、別に働くわけじゃないよ」
今度は永琳がポカンとする番だった。
「え、じゃあどうして履歴書を?」
すると輝夜は腰に手を当ててえへんと胸を張る。
「趣味に決まってるじゃない!」
「は?」
思わず聞き返す永琳に、輝夜は書いたばかりの履歴書を持ってヒラヒラ振った。
「だから~、履歴書を書くのが趣味よ!」
「―――ありえねぇ……」
輝夜の言葉に、ぼそっと呟いて頭を抱える永琳。明らかに口調が変わったのは気のせいという事にしたい。
手段と目的が入れ替わると言うのはこういう事を言うのだろうか。いや絶対違う。
永琳は頭を抱えたまま、机に詰まれた記入済みらしき履歴書の山を見やる。
「これ全部書いたんですか?」
「もちろんよ。だって趣味だもの、簡単に飽きちゃったら趣味とは呼べないわ」
誇らしげに胸を張る輝夜。趣味を持てた事が嬉しいのだろうが、それにしても履歴書て。まだ懸賞ハガキの方が生産性がある。
机に積まれた紙の束を見つめる内、部屋に篭り裸に座布団一枚という出で立ちで履歴書を書きまくる輝夜を幻視し、すぐに頭を振る永琳。疲れているのだろうか。
彼女は再び口を開いた。
「楽しいですか?」
「すごく!」
ニコニコ笑顔の輝夜を見て、永琳は深い深いため息。一心同体と言える関係の二人がここまで対極的な表情をするのも珍しい。
と、ここで履歴書の山を漁っていた鈴仙が何かを発見した。
「あれ?これ……」
「……どうしたの?」
尋ねる永琳の声は元気が無い。これ以上何かおかしなものが発見されたらどうしようという不安が見て取れる。
そして、嫌な予感ほど的中するのは世の常。
「あの、えっと……この履歴書、師匠の名前で書いてあります」
それを聞いた瞬間、残像を伴うほどの速さで永琳は鈴仙に肉薄、彼女の持っていた履歴書をひったくる。
目を通すと、確かに氏名欄に『八意永琳』の文字。
「自分のばっかじゃ飽きちゃうから、みんなの名前で書こうかなって」
のほほんと言う輝夜。何と言ってよいか分からぬ永琳は口をパクパクさせていたが、とりあえず履歴書に目を通してみる。
すると、目を疑いたくなるような情報がわんさか。
「……何で私の年齢が五桁に到達してるんですか?」
「だって、何か仙人みたいでカッコいいじゃん」
「……貼ってある写真がどうみてもチョココロネなんですけど」
「髪型がそう見えるからもーまんたいよ!おいしそうだし」
「……あと、私を勝手に無職にしないで下さい。職歴がレティ・ホワイトロックの肌の如く真っ白なんですが」
「あ~、確かにあの子美肌よねぇ。羨ましいな」
「そうじゃなくて……まあいいや。で、現住所。竹林を北に300kmって何なんですか」
「ふりーだむ、じゆうをつかめ!」
「………」
この暖簾にケミカルアンカーが如くの問答に嫌気が差した永琳はとうとう下を向き、深いため息。
永琳が何故沈んでいるのか分からない輝夜は首を傾げたが、すぐに鈴仙へ笑顔を向ける。
「あ、今度はイナバの名前で書いてるからね」
「え、えぇっ……何て書いてるんですか?」
さっ、と表情を曇らせた鈴仙。慌てて輝夜の手元にある履歴書を見ると、確かに『鈴仙・優曇華院・イナバ』の文字。
字が無駄に綺麗なのがまた頭痛を酷くする。
「えっと、年齢は三桁後半。本当は名前も、『鈴仙・優曇華院・イナバ』は仮の名前で、魂の名前は『ソバゲウィン』にしようかと思ったんだけど」
「そ、そば……」
永琳の気持ちがよく分かった鈴仙もまた頭を抱える。
そんな二人の様子を見て、輝夜は心配そうな表情。
「どうしたの、二人とも。私を心配してくれるのは嬉しいけど、具合が悪いなら無理しちゃだめよ」
その言葉に悪意や皮肉は感じられず、純粋に二人を気遣っての発言のようだ。その原因が自分と気付いていない辺りがまた何ともはや。
「だ、大丈夫です……」
鈴仙からそう返された輝夜は安心して、何やらぶつぶつ呟きながら再び履歴書を書き始める。
「えっと、学歴は……兎のせわ第二中学校卒業、と」
それを聞きつけた永琳は全身全霊を振り絞り、輝夜の肩をガシッと掴む。
「お願いですから、履歴書は止めてください」
「え~、なんで?楽しいのに」
「そんな経歴詐称ってレヴェルじゃない履歴書を量産されたら色々マズいです」
永琳の目の色が必死なのを見て取った鈴仙も援護。
「そ、そうですよ。姫様は字が綺麗なんですから、書道とかの方が似合いそうだと思うんですが」
「う~ん、書道はちょっと。昔のトラウマみたいなのがあって」
「何ですか、書道のトラウマって……」
怪我の恐れがあるスポーツならともかく、書道でどのようなトラウマを植えつけられるというのか。
すると輝夜は肩を竦める。
「以前、墨汁入れに入れといたコーラと間違って普通の墨汁飲んじゃって。あの時は不老不死でも死ぬかと思ったわ」
「どうして入れようという発想に至ったのですか!?というか書道関係無いですよねそれ!?」
「実に墨の薫り高い墨汁だったわ。きっと食べ物に例えたならさぞおいしかったに違いないから、せめて私の墨汁を見る目は確かだったと思って欲しいわね」
「そんな次元で強がられても……」
月から来たお姫様の思考はやはり浮世離れしている。まさにルナティック。
「とにかく、履歴書を書くなんて趣味としてどうかと思いますよ。姫という身分なら尚更です」
永琳が説得、というより最早懇願。
するとその真剣さを流石に感じ取ったのか、
「う~ん、えーりんがそこまで言うならやめようかな……ちょっと名残惜しいけど」
輝夜はそう言って、書きかけの履歴書(鈴仙のやつ)を机にしまう。それを見て内心胸を撫で下ろす二人。
輝夜の事だから変な趣味を見つけてくるかも、という懸念はあったが、それが『履歴書』という右斜め後ろの裏のロココ調の右あたりを突いてくる代物とは思いもよらず。
と、ここで何やら輝夜が額縁を取り出す。
「どうされました?」
永琳が尋ねると、輝夜は手にした履歴書を示す。
「や、せっかくだからこれだけ取っといて部屋に飾ろうかなと。私の力作だし」
見やればそれは先刻の永琳の履歴書。写真のチョココロネが恨めしいくらいに美味しそうだ。
「おっと、足が!」
刹那、永琳は輝夜に素早く足払い。うつ伏せに倒れた輝夜の上に馬乗りになったかと思うと、永琳は輝夜の顎の下を両手で掴んで締め上げる。
見事なキャメルクラッチ。
「ぐぇぇぇ!なにす……苦しい、ロープ、ロープ!!」
苦しそうに呻く輝夜をスルーし、永琳は悲鳴のような声で叫ぶ。
「うどんげ、今すぐそれ燃やしてきてッ!!灰も残さないでね!」
「は、はいっ!」
鬼気迫る何かを感じ、鈴仙は慌てて履歴書を引っ掴むと部屋を飛び出した。
「くぉら~、姫になんてこ……あ゙~っ!だめ、もうだめぇ!」
「すいません、足と手が何か引っかかっちゃって……中々取れませんねぇ、うおりゃっ!」
「ぐぇっ!!ルナティック、ルナティック!」
飛び出した彼女の背後から、バンバンという畳を叩く音と共にそんな会話が聞こえてきた。
・
・
・
・
その日の午後、輝夜は首をさすりながらどこかへ出掛けて行った。
輝夜がしきりに叫ぶ『ルナティック』が『ギブアップ』の間違いであると永琳が気付くのに時間がかかり、八意流キャメルクラッチは二十分に及んだとか。
「今度こそ(・∀・)イイ!!趣味を見つけるわ!」
「でもどうして外へ?」
「芸術家の気分転換は散歩と相場が決まってるの」
「姫はいつから芸術家になったのですか……」
「私はいつだって永い人生と言う名のキャンパスに夢色の郷を描くあーちすとなのよ!」
「はいはい、夕御飯までには帰ってきて下さいね」
力説する輝夜と聞き流す永琳。そんな会話を最後に、輝夜は出掛けたまま中々帰って来なかった。
夕食前には帰ってきたが、食べ終わると再びふらりと何処かへ。
結局、彼女が帰ってきたのは夜中だった。夜中に輝夜の部屋から物音が聞こえてきたのを、仕事で起きていた永琳が聞きつけていた。
―――そして翌朝。
部屋で休んでいた二人の所へ、何やら興奮気味の輝夜がやって来た。
「二人とも、新たな趣味を見つけたわよ!見たい?見たいでしょ?しょーがないなぁ!」
ウキウキと声を弾ませて捲し立て、輝夜は鈴仙と永琳の手を取って歩き出す。慌てて転ばないようについて行く二人。
「一体なんですか、新たな趣味って」
「またおかしな趣味じゃないでしょうね」
廊下を歩きながら尋ねる二人に、輝夜は笑顔を崩さずに答える。
「もっちろん!今度の趣味はコレクションよ!すごいんだから!」
それを聞いて、永琳は少しだけ安堵する。履歴書記入などという前人未到のエリアではないだけ期待出来そうだ。
集める物にもよるが、多少高価な代物でもマトモであれば許可しようと考えた、のだが。
輝夜の部屋前まで辿り着き、輝夜はスパーン!と勢いよく襖を開け放つ。
―――その瞬間、むせ返るような土の匂いが永琳と鈴仙の鼻を直撃した。
「枯葉のコレクションよ!」
見やれば、部屋中を多い尽くす茶色の山、山、また山。こんな山に神社を築いても信仰はまず集まらない。
畳だろうが机だろうがおかまいなしに積まれた枯葉。当然土埃も凄く、鈴仙は軽く咳き込む。
「げほ、何ですかコレ……うわ、畳にすごいシミが!」
部屋の隅に積まれた枯葉。その下の畳がびしょ濡れで染みになっている。
「あ、それは霧の湖に漬かってたやつ。すごく冷たかったなぁ」
最早一周して邪推してしまいそうな輝夜のイノセントスマイル。鈴仙は雑巾を取りに部屋を飛び出す。
「あれが博麗神社前、あの辺が魔法の森、机の上は妖怪の山よ。あっ、押入れには竹林のがたくさんあるわよ。見る?」
二人の胸中など知る由も無い輝夜ののんきな解説。従者の心、姫知らず。
フリーズしていた永琳はようやく事態を飲み込み、輝夜を睨みつける。
「―――姫。医療従事者として、あなたの脳内構造に非常に興味があります。解剖してもいいですか?」
「え~、痛いのやだ。って、何でそんな怖い顔してるのよう」
押し問答しても無意味だと悟り、永琳は大きなポリ袋を用意すると傍にあった枯葉の山を押し込み始めた。
「もう、後で部屋掃除して下さいね!早く片付けますよ!」
「あっ、その葉っぱにはちゃんと虫もついてるのよ!」
「虫って……」
一瞬動きを止めた永琳だったが、そのくらいでビビってはいられないと、ため息一つついて再び枯葉の山に手を突っ込む。
―――ぐにゅ。
「え?」
彼女の手に伝わる柔らかい感触。明らかに枯葉のものではない。
嫌な予感がした永琳は素早く枯葉の山を払いのける。
「ほら、だから言ったのにぃ」
輝夜の言葉通り、確かに『虫』がいた。全長は1mをゆうに超えている。
枯葉の下で妖怪蛍、リグル・ナイトバグがのびていた。
「枯葉には虫がつきものでしょ?でも、お姫様の趣味なんだからふつーの虫じゃつまんないでしょ?だから」
服の所々が破れているのを見ると、輝夜にのされた挙句無理矢理運び込まれたようである。
永琳は土埃にまみれたリグルを抱き起こすと、雑巾を持って帰ってきた鈴仙に声を掛ける。
「悪いけど、この子よろしく。とりあえず寝かせてあげて」
「は、はい」
「う~ん……」
鈴仙におぶさられ、リグル退場。
そして永琳は枯葉がギッシリ詰まった袋の口を縛るとそれを担ぎ上げ、輝夜の頭部目掛けて思いっきり振り下ろす。
「あたっ!」
バスッ!という軽快な音を立てつつ、前のめりに倒れた輝夜。永琳は輝夜の上半身を起こすと素早く袋の口を開け、中身を全て輝夜の服の背中へ流し込む。
「あっ、くすぐった、あひゃあひゃ!!や、やめてぇ!!」
悲鳴を上げる輝夜をスルーし、永琳はざらざらと枯葉を流し込む。
枯葉の中に何やら触覚を持った黒っぽい虫が数匹混じってた気もしたが、連日遅くまで起きて仕事をしていた故の眼精疲労だと思って忘れる事にした。
仕上げとばかりに永琳は湖産・ぐしょ濡れの枯葉を掴むと輝夜の背中へ放り込み、ぐちゃぐちゃとかき回す。
「やーっ!気持ちわる……あーっ!冷たいつめたい!」
ますます喚く輝夜の肩をポンと叩き、永琳はニッコリ笑って冷静に告げる。
「今日中に掃除して下さいね。もちろん枯葉のコレクションは禁止です。理由は言わなくても分かりますね?」
くすぐったさと冷たさ、気持ち悪さがない交ぜになって涙目の輝夜が、何か言いたげな表情で永琳を向く。
が、彼女が口を開くより素早く永琳が告げた。
「夜までに掃除が終わらなかったら、夕御飯抜きですからね」
―――その瞬間輝夜は跳ね起き、猛烈な勢いで枯葉を掻き集め始めた。
『姫としての趣味選択に対するプライド<今日のゆうごはん』の公式が成立した瞬間である。
・
・
・
・
さらに明くる日の朝。
『姫なのに……』というフレーズを呪詛の如く繰り返しつつも枯葉を猛烈な勢いで片付けた輝夜は、どうにか夕食抜きを免れた。
人間やれば出来るという証明である。
「よく片付けましたね、えらいえらい」
そう言って永琳は輝夜の頭をなでなで。
「と、とーぜんよ!」
顔を赤らめる輝夜はまんざらでも無さそうである。
「それより、今日こそちゃんとした趣味を見つけるわよ!」
意気込む輝夜だったが、永琳は困った表情。この二日間を見ていると、どうしても彼女が独力でマトモな趣味を見つけられるとは思えない。
「今度は何をするんですか?」
疲れ切った永琳の代わりに鈴仙が尋ねる。すると輝夜は数秒思案した後にポン、と手を叩いた。
「そうだ、楽器やりたい!音楽ならいいでしょ?ね、えーりん」
二人は驚いた。かくもマトモな趣味が彼女の口から飛び出すとは思いも寄らなかった。
というか、これが常人の感性なのだがその辺りの感覚は既にパラライシス。
「あら、素敵じゃないですか。ところで何の楽器を?」
素直に感心した永琳が尋ねてみると、輝夜はピョンピョン飛び跳ねる。
「ギター弾きたい!思いっきり!」
「ギター、ですか?」
輝夜の脳内では自身がライブ会場に立ち、超絶ギターテクを披露して大歓声を浴びる姿が展開されているらしい。趣味の領域をはみ出している気もする。
しかし、永琳は首を傾げた。
「ギターってありますかねぇ。少なくとも永遠亭にはありませんし、外の世界の楽器というイメージが強いですから……」
彼女自身もギターの存在は知っていたが、実物を見たことは無かった。
だが、夢が広がりんぐ状態の輝夜は諦める事を知らない。
「プリズムリバー楽団なら持ってるに違いないわ!イナバ、TELするわよ!電話をもてーい!」
確かに古今東西の楽器を所有するプリズムリバー三姉妹ならギターの一本くらい持っているかも知れない。
だが、時代劇口調で迫られた鈴仙は別のベクトルで困った。
「で、電話なんて持ってませんよ……」
「え、無いの?」
「無いです……」
いくら最近の幻想郷でそれなりに機械類が浸透してきたとは言え、流石に電話回線までは引かれていなかった。
しかし輝夜は諦めない。むむむ、と唸ったかと思うと、
「こうなったら私がやるわ!『ゑぬてゐてゐ』もビックリのかぐやちゃん式ルナティックテレフォン術を、目ん玉を御石の鉢にしてよーく見てなさい!」
そう言って自室へ取って返す。
暫し呆然と立ち尽くす師弟コンビ。が、輝夜はすぐに帰ってきた。
その手には、白い円筒形の物二つをタコ糸で繋いだ道具。そう、それは―――
「……糸電話、ですか……」
「その通り!まあ見てなさいって」
呆然度三割増しの永琳をよそに、輝夜は片方の紙コップを縄投げの如く回し始める。
その糸電話は異様に糸が長く、彼女の背後に糸の束が積んであるようにすら見える。軽く数百mはありそうだ。
足で軽快なステップを踏んで助走準備。そして、
「そうりゃあっ!」
叫びと共に足を大きく踏み込み、開け放たれた窓の向こうへ向けて電話の片割れをブン投げた。
輝夜の願いが込められた糸電話は、まるで虹のように大きく孤を描き―――
「―――姫、早く拾ってきて下さいね。引っかかったままだと窓が閉められません」
淡々と告げる永琳と、肩を落として外へ向かう輝夜。
輝夜の手から放たれた糸電話は窓から飛び出してすぐに失速、落下。窓枠からだらしなく垂れ下がる形となった。
お世辞にもスポーツ万能とは言えないどころか若干運動不足の輝夜では結果は火を見るより明らかである。
無事に糸電話を回収した輝夜だったが、今度はそのまま外へ出た。
二人が慌てて追うと、輝夜は庭で何やら辺りをキョロキョロ見渡している。
「こうなったら、アレを使うしか無いわね!」
何やら奥の手を使うらしい。と、彼女はコンパスを取り出して方角の確認。
そして、指をちゅぱ、とくわえてすぐに離し、風にさらして風向き確認。
輝夜の行動の真意が読めない永琳と鈴仙はとりあえず見守る。
「方角よし、角度よし、風向きおっけ。力はこんなもんかな……」
呟いたかと思うと、彼女の手―――持っている糸電話ごと―――が眩しく発光を始める。
シックスセンスが警鐘をガランガラン鳴らしている。永琳は慌てて止めに入ろうとした。
が、時既にお寿司。
「ちょ、まさか……姫、それはおやめくだs」
「いっくわよ~!かぐやちゃん式ルナティックテレフォン術奥義!!『ブリリアント・ファイバー』!!!」
気合一閃、輝夜は凄まじいエネルギーを纏った糸電話を虚空へ向けてスロウ。
放たれた糸電話は流星のようなスピードで飛んで行き、あっという間に見えなくなった。先程の運動不足少女の投擲と同一人物とは思えない。
スペルカードの応用なのだろうが、その原理はよく分からない。
残された糸がどんどん宙へ伸びていく様を見て、輝夜は満足そうに頷く。
「うん、これならきっと届くわ!見た、見た!?」
褒めてと言わんばかりの輝夜だったが、永琳はまたしても頭を抱え、鈴仙は呆然と糸電話が消えた空を見つめている。
糸電話が無事目標地点に到達したとしても、スペルカードの力を込めた物体が平然と着地してくれる筈は無い。
プリズムリバー邸の外壁をぶち抜くのは当然。もしかしたら中の住人や楽器に被害が及ぶ可能性がある。
特に後者が怖い。音楽家としては楽器は特に大切な物だろう。それを壊した犯人が『楽器貸して♪』などと言ったとしたら、それは一体何のギャグだろうか。
そんな永琳の苦悩をよそに、大分糸が短くなった糸電話のもう片方を輝夜は嬉々として拾い上げる。
やがて、僅かなたるみを残して糸電話は止まった。距離計算は完璧と言ってよいだろう。
「よっしゃ、届いたね!お~い、聞こえる~?」
少し歩いて糸をピンと張り、輝夜は無邪気に糸電話へ向かって話しかけた。
しかしその時、糸がグイッと突如引っ張られ、輝夜は前につんのめる。
「うわっ、とっと。なになに?」
彼女は何とか体勢を立て直したが、さらに糸はグイグイ引っ張られていく。
仕方ないので糸電話を持ったまま、糸を引かれるままに輝夜は竹林の中へ消えていく。
―――首を傾げながら輝夜が消えて、二時間後。
ガサリ、と音がしたので、それに気付いた永琳と鈴仙はそちらを見やる。庭で適当に暇を潰しつつ待った甲斐があった。
続いて現れたのは確かに輝夜だった。が―――
「うえぇぇぇぇぇん……」
―――めっちゃ泣いていた。まるで子供のようである。
迷子になって泣きながら帰ってきた子供(見た目は実にそれっぽい)をあやすように永琳はその頭を撫でてやる。
「よしよし。何があったんですか?」
大方予想はついたが一応尋ねてみる。
すると、輝夜はしゃくりあげながら理由を話す。
「ひっく、ひっく……あのね、あのね、神社が壊れた~って、れいむに思いっきり叩かれたぁ……うえぇぇぇぇん……」
―――どうやら、永琳のシックスセンスは非常に正確な働きをしたようである。
しかし、糸電話の到達先がまさか博麗神社だったとは。輝夜がノーコンなのか、はなから方角が間違っていたのか。
よく見れば、輝夜の頭には大きなタンコブ。弾幕ではなくゲンコツを貰ったようだ。
数百分の一、下手すれば千分の一程度年下の少女にゲンコツもらって説教されるとは、何とも情けないと言うか何と言うか。
永琳にしがみついて尚も泣きじゃくる輝夜を宥めているとこれ以上重ねて説教する気にはなれず、永琳はこっそりため息をついた。
(本当にこの子は姫なのかしら……)
・
・
・
頭頂部を氷嚢で冷やしつつ、ようやく泣き止んだ輝夜は再び何やら考え出した。
「糸電話がダメなら、どうやって連絡すればいいのかしら……」
「直接訪ねるという選択肢は無いのですか?」
永琳の言葉を華麗にスルーし、彼女は連絡法を見つけようとする。
暫く唸っていたが、輝夜は再びポン、と手を叩いた。
「そうだ!えーりん、弓矢貸して!」
「……矢文ですか?」
一発で察した鈴仙が訪ねると、輝夜は驚いた表情を見せる。
「え、何で分かったの?ウサミミってすごいわねぇ」
「いえ、耳のせいでは……」
何故耳に注目したのかは分からないが、輝夜の思考など永琳で無くともお見通しという事だろうか。
というか、この状況で弓矢ならそれ以外に思いつかないだろう。永琳は呆れ顔だ。
「先程の惨状を目の当たりにして、貸すとお思いですか?」
「貸してくれないの?」
途端に泣きそうな顔になる輝夜を見て、永琳は慌てて弓矢を取りに自室へ向かった。
何だかんだで永琳は輝夜に弱かったりする。
永琳が帰ってくるまでの間に、輝夜は手紙をしたためる。
「よっしゃー、これで私も『うぃりあむ・てゐ』よ!」
「誰ですかソレ……」
弓矢セットを受け取った輝夜は大興奮だったが、彼女が口走る人物名が気になって永琳が質問。
すると輝夜は得意げに説明を始める。
「竹林に五百年前から存在する伝説の弓使いよ。三百メートル離れたウサギの頭に乗せたニンジンを矢で射抜いたと言われてるわ」
「リンゴじゃないんですか……」
「ウサギならニンジンに決まってるでしょ。リンゴだったらそれはウサギじゃない、バーモント星人か何かよ!」
妙なこだわりを持つ輝夜。カレーの香りがしそうな宇宙人である。
みょんな弓使いの話はともかく、輝夜は早速ウキウキ気分で手紙を矢に括りつける。
「間違って誰かを射抜かないようにして下さいね」
永琳はやはり心配そうだが、当の輝夜は胸をドンと叩く。
「かぐやちゃん式ルナティック弓術にかかれば、そんな凡ミスなんて起こりっこな~い!」
その『かぐやちゃん式』が心配の種なのだが、永琳はよほど何かおかしな事をしでかさない限りは見守る事にする。
一々心配していたら胃に穴が開いてしまう。医者の不養生など以ての外だ。
(まあ、こっからプリズムリバー邸まで矢が届くとも思えないし、好きにさせれば……)
彼女はそのくらいに考えていた。そんな永琳をよそに、輝夜は『どっこいしょ』などと言いつつ弓矢を構える。
体格に対して若干大きい弓だが何とか構え、弦を引いていく。
呼吸を整え、前方を見据える輝夜の表情は真剣だ。
「今度こそ目標地点はこっちよ」
「前方は竹が生い茂ってますけど、大丈夫ですか?」
鈴仙が訪ねると、輝夜はふふん、と笑った。
「そんなもん、ぶち抜いちゃうわよ!」
「スペカの力を借りるのは禁止ですからね。今度はゲンコツじゃ済まないかもしれませんし」
永琳が釘を刺す。元より輝夜は普通に射るつもりらしく、そのまま弦を引いた腕を固定。
風が止み、辺りが静寂に包まれたその瞬間―――輝夜は腕を放した。
そして―――
びょいん
何とも情けないSEが響いたかと思うと、カランと乾いた音を立てて矢が地面に転がった。
矢の飛距離は僅か三メートル程度。これでは『うぃりあむ・てゐ』にはなれそうも無い。
それどころか―――
「いっ……いったぁぁぁい!!切っちゃった!血が出てる~!」
唐突に悲鳴を上げる輝夜。見れば、左手人差し指からどくどくと血が流れている。
矢じりで切ったのだろうが、普通に構えたならまずそんな事は起こりえない訳で。
構えの時点で問題があったとなれば、普通の射手になるのも難しいのではなかろうか。
「もう、何やってるんですか。うどんげ、救急箱お願い」
「は、はい!」
慌てて救急箱を取りに屋敷へ入っていく鈴仙。永琳は輝夜の手をとり、傷を観察。
出血はやや多いが、そこまで深い傷では無さそうである。
「痛いの……」
「大丈夫ですよ、姫。これならすぐ直りますし、多分傷跡も残りません」
「取って来ました!」
グッドタイミングで鈴仙が救急箱を手に戻って来たので、永琳はそのまま治療開始。
ハンカチで血をそっと拭き取り、消毒、止血と手際良く治療していく永琳の手元を見ながら、輝夜が口を開いた。
「こういう時って、怪我した指を消毒とか何とか言って口にくわえて、お互いにドキドキで顔を赤くしちゃうのが定番じゃないの?」
「怪我人はおとなしくしてて下さいね」
さらりとかわし、永琳は治療を完遂。輝夜は指に巻かれた包帯をまじまじと眺めていたが、
「これじゃあ矢文はもう無理ね……」
そう言って実に残念そう。
しかし、矢文を諦める=楽器を諦めるでは無いらしく、
「何かギターの代わりになりそうなモノは……」
やはり考え込む。
「あくまで直接借りには行かないのですか……」
永琳の指摘も、アリさんの前に置いた顆粒だしの素の如くスルーして輝夜は思案。
「ギターは厳しくないんですか?」
怪我した左手を見ながら鈴仙が訪ねると、
「右手で弾くから平気よ!」
そう答え、輝夜はやはり考える。暇を持て余した鈴仙は救急箱を戻しに屋敷へ戻る。
長考の末、輝夜はまた手をポン、と打った。最早お決まりのポーズである。
「そうだ、アレなら!」
そう言うや否や、輝夜は屋敷内へ駆け込む。丁度戻って来た鈴仙が玄関でぶつかりそうになって驚いていた。
数分後、輝夜は何かを抱えて戻って来た。
「それ……」
「うん!これならギターっぽく弾けるでしょ?」
彼女が持ってきたのは、琴。輝夜によく似合いそうな楽器だが、彼女はそれを縦に抱えている。
呆然とする永琳達をよそに、輝夜は左手で琴を支え、右手で弦を思いっきりかき鳴らし始めた。
音程も何もあったもんじゃないその演奏は美しい筈の琴の音色を見事に雑音へ変えている。何という事でしょう。ある意味匠の技である。
「ひ、姫様……普通に演奏した方が……」
騒音が耳に堪えたらしい鈴仙が進言するが、輝夜は首を横に振る。
「な~に言ってんの!今はお琴だってこれくらいパンキッシュな方がいいのよ!」
「壊れちゃいますよ……」
「壊れたら所詮それまでの人生!」
壊れるのは輝夜ではなく楽器の方なのだが、今の輝夜にそれを言ったところで軽く流すに違いない。
気分が盛り上がってきた輝夜はその場でヘッドバンギングまで始める始末。
「縦!縦!縦!縦!縦!縦!」
「し、ししょ~!姫様がおかしくなっちゃいました!!」
うろたえる鈴仙をよそに、永琳は半ば諦めを漂わせた表情で首を横に振った。輝夜が縦に振っているから対抗―――という訳では無い事は確かだ。
もう好きにやらせとけ、と言いたげなその表情を見て、鈴仙もため息。この数日で、ため息の平均回数が急上昇しているのは彼女も同じだ。
長い髪を振り乱してのヘッドバンギングは流石に辛かったようなので止めた輝夜だったが、テンションはまるで下がらない。
暫く琴をかき鳴らした挙句、輝夜はトンデモ無い事を口走る。
「うん、これぞ新しい世代の音楽よ!ちょっくらプリズムリバー楽団に売り込んでくるわ!」
「えええ!?それは流石に無理ですって!」
鈴仙が止めに入るが、今の輝夜は最早止まらない。
「無理じゃないわ!彼女達は音楽のプロだから、この新境地も理解してくれるはず!」
「常識で考えて無理ですってば!」
「じょーしきに囚われてはいけないの!これ、幻想郷のお約束!みぅじっく・あわぁが私を呼んでるわ!」
どこぞの風祝のような台詞と共に、輝夜は琴を抱えて庭を飛び出した。
追いかけようとする鈴仙を制し、永琳は彼女を連れて屋敷へ引き上げた。
「ま、どうせすぐに帰ってくるわ……」
―――輝夜が帰ってきたのは、それから三時間後だった。
「うえぇぇぇぇぇん……」
―――また泣きながら。
「よしよし、今度は何があったんですか?」
宥めながら永琳が訪ねると、輝夜は涙声で切々と訴える。
「ひっく……あのね、売り込みに行ったらね、ヴァイオリンの子に『楽器を乱暴に扱うな』ってお説教されたの……」
「まあ、それは……」
「しかも正座で二時間以上なの……うえぇぇぇぇぇん……足痺れたよぅ……」
泣きじゃくる輝夜がいい加減可哀想になってきた永琳は、彼女に優しく語り掛ける。
「姫、私がこんな事を言うのもアレなんですが……趣味というものは、探して見つけるものでは無いと思うのです」
「どゆこと?」
すると、永琳は涙で光る輝夜の目をまっすぐに見つめる。
「そんな義務感に駆られては、楽しいものも楽しめません。姫が毎日の中で、自然と楽しんでいる事があるでしょう?気付けば、それが趣味になっているはずです」
「そうかな……」
「そうですとも」
すると、輝夜も涙を袖で拭って笑顔を見せる。
「うん、そうだよね。楽しんで生きてれば、私にピッタリの趣味、見つかるよね」
「その通りですよ。姫らしく毎日を生きる事が大事です」
永琳も笑顔で答え、輝夜の手を引いて歩き出す。
「ほら、そろそろ夕御飯です。今日はうどんげが姫の好きなものを作ってくれたみたいですよ」
「ホントに!?」
それは邪気の無い、まるで子供のような可愛い笑顔。二人は手を繋いだまま、台所へと消えていった。
・
・
・
・
・
―――コロコロ、コロコロ。
明くる日。今日も今日とて、鈴仙は掃除用粘着ローラーをかけつつ廊下を歩いていた。
スイスイ埃が取れていく快感は、病み付きになりそうだ。
「いつも悪いわね」
通りがかった永琳がその労を労う。
「いやぁ、これはもう遊び感覚ですから。姫様じゃありませんけど、半分私の趣味と言っても……」
鈴仙が本当に楽しそうなので、思わず永琳は苦笑い。
廊下の掃除が終わったらしい鈴仙は、部屋を掃除するべく近くにあった襖を開ける。
―――コロコロ、コロコロ。
仕事熱心な鈴仙は早速ローラーを―――いや、まだ彼女は襖を開けただけ。
デジャヴのような光景が目の前に広がっている。部屋を高速で転がる物体が一つ。
口をポカンと開けていた鈴仙が、ようやく口を動かす。
「姫様……」
「なぁ~にぃ~?」
転がりながら輝夜が答えた。やがて彼女は部屋の端へ辿り着いたので、上半身を起こす。
「また髪の毛が埃だらけですよ……」
鈴仙がいつしかのように輝夜の髪に付着したゴミを取ってやる。
「い~つもすまないねぇ……」
「え?えっと……あっ。それは言わない約束でしょ」
「うん、合格!イナバも分かってきたじゃない」
そう言って輝夜は鈴仙の頭を撫でる。
と、ここで部屋の入り口で一部始終を見ていた永琳が大きなため息。
「姫……これを”元の木阿弥”と言わずして何と言うのですか……」
「だってぇ、昨日えーりんが自分らしく生きろって言ったから」
頬を膨らませる輝夜に、永琳はお説教モードに突入。
「ダラけていいとまでは言ってません。それともアレですか?姫とお掃除ローラーの間にはイコールが引かれるのですか?」
「あ~っ!またそうやってお掃除コロコロ扱いする!」
「寸分も違わない気がするのですが。むしろ、手軽さという点ではローラーの方が勝ってますね」
「そうやってバカにする~!いい、私とコロコロの間には越えられない壁があるの!コロコロよりも私のコロコロは美しく清らかで、コロコロのコロコロ転がる姿と私のコロコロする姿もまた同じコロコロに見えて深く違う部分があって!私のはまるでコロコロのコロコロたる所以を訴えるかのようなコロコロさ加減とコロコロに込められたコロコロに対する……」
「だからコロコロコロコロうるさいですってば。転がっていてもドキュメンタリー番組のオファーは来ませんよ。せいぜいテレショップの新製品でしょうかね……カグヤスキンモップはヒャクバンヒャクバン、とか」
「えーりんのバカー!!街角のヴィーナスー!!」
子供のケンカのような二人の言い争いが何だか微笑ましく、傍観していた鈴仙は我知らず笑っていた。
これが彼女達なりの、”自分達らしい人生の楽しみ方”なのだろう。きっと。多分。願わくば。
「うどんげ、それ貸して」
永琳に言われるまま、鈴仙はお掃除ローラーを差し出す。
永琳はそれを受け取ると、輝夜の上半身を倒して仰向けに無理矢理寝かせ、彼女の服の胸元からローラーを突っ込んだ。
「そんなにコロコロが好きなら、一心同体になればいいんじゃないですか?ほら、手伝って差し上げますよ」
言いながら永琳は、輝夜の服の中にくまなくローラーを走らせる。
「あっ、やーっ!ベトベトする~っ!!だめ、だめぇ!やめて~!!」
「ほらほら、次はこっちからいきますよ!」
ローラーを引き抜いたかと思うと、永琳が立ち位置を輝夜の下半身側に変える。
それを見た鈴仙はくんずほぐれつする二人に背を向けた。
「あっ、あっ!!そ、そんなとこコロコロしちゃだめぇ!!」
「うふふ、何だか顔が赤いですよ姫?もっかい上半身にもかけて差し上げましょうか」
「も、もうやめてぇ……」
そんな会話を背に、鈴仙は廊下へ出た。スペアのローラーを取りに行く為だ。
お掃除はまだ、終わっていないのだから。
その前に、彼女は廊下の窓から空を見る。今日もいい天気。
真昼の月が見える青空を見上げ、鈴仙は思うのだった。
―――もし、これから何千年も経って、私もてゐも、他のみんなも、みんな死んじゃったとしても―――
―――あの二人はきっと、一緒ならこれっぽっちも退屈せずに過ごせるんだろうなぁ。
小気味良い音を立てながら永遠亭の廊下を歩くのは、ご存知月兎、鈴仙・優曇華院・イナバ。
彼女はご機嫌そうに鼻歌なぞ歌いつつ、廊下を歩く。
―――コロコロ、コロコロ。
なおも小気味良い音が聞こえるが、彼女自身が発している音ではない。第一、普通に歩いていてコロコロなぞ鳴るはずも無く。
その理由は彼女が持っている、掃除用粘着ローラー。粘着質の紙が輪になっており、それに取っ手が付いている。
コロコロ転がすだけで埃や塵がみるみる取れる、奥様の味方である。
「お掃除ご苦労様。悪いわね、まかせっきりにしちゃって」
廊下を通りかかった八意永琳が、その労を労う。
すると鈴仙は、
「いえいえ、すごく楽しいですよコレ!ほら、ちょっと転がすだけでこんなに」
そう言って笑顔。遊び感覚でコロコロやるだけで埃が取れる様が気持ちいいらしい。
鈴仙がローラーを持ち上げると、粘着部分に大量の埃や髪の毛。
「あら、そうなの。香霖堂で見つけたから買ってきたんだけど、正解だったわね」
それを見た永琳も笑顔を見せる。
「重ねて悪いんだけど、お座敷の方もお願いしちゃっていいかしら」
「は~い!」
元気に答え、鈴仙は再びコロコロ。永琳はそのまま永遠亭に併設された薬局へ向かうべく廊下の向こうへ消える。
埃で粘着力が弱まっても、紙を一周剥がせば再び復活する。彼女は紙の一番上を剥がし、辺りを見渡す。
何せ、永遠亭は広いだけでなく部屋数も多い。どこからやってよいものか。
悩んだ末、彼女は近くの襖に手をかけ、スラリと開ける。
―――コロコロ、コロコロ。
早速鈴仙はローラーをかけ始め―――た訳ではない。彼女はまだ、襖を開けただけだ。
部屋の中央を高速で左右に転がる何かが一つ。コロコロコロコロ、部屋の端まで辿り着いたら反対側へころころころころ。
むしろ擬音はゴロゴロと言ったほうがよいその光景にあんぐり口を開けていた鈴仙は、ようやく喉から声をひねり出す。
「―――姫様、何をなされているのですか……?」
「ん~?」
と、ここでようやくゴロゴロやってた物体が動きを止めて、むくりと上半身を起こした。
その正体は不老不死な月の姫君・蓬莱山輝夜。
「かげぶんしんの練習ですか?それとも天元突破?」
口ではそう言いながらも、彼女の脳内に一瞬『蓬莱人の煮っ転がし』という単語が浮かんでは即座に消え、思わず頭を振る。別に煮てないし。
脳内で調理されかけた輝夜は彼女の発言に一旦首を傾げたが、にぱっと笑って言った。
「暇だったから、座敷の回転往復タイムアタック幻想記録を目指してたのよ!」
「そんなのあるんですか?」
「さあ。でも楽しいよ。イナバもやる?」
「お掃除中なんで遠慮しときます……」
「むぅ、つれないウサちゃんだ」
頬を膨らませる輝夜の横に立て膝で座り、鈴仙は輝夜の長い髪に手を伸ばす。
「あんまり転がるから、埃がついてますよ。ほら、ここと……あ、ここにも」
それから彼女は丁寧な手つきで一つ一つ埃やゴミを取ってやる。これではどっちがお掃除用ローラーか分からない。
「い~つもすまないねぇ……」
やたら渋い口調でお礼を述べる輝夜。鈴仙はどう返答してよいか分からず戸惑っていると、
「もう、そこは『それは言わない約束でしょ』って返さなきゃダメ~!」
腕を振って輝夜が力説。
「は、はぁ……」
(月のお姫様がこれくらい暇なら、永遠亭がトラブルに巻き込まれる事も無いのかな……)
鈴仙がそんな事を薄ぼんやりと考えていると、いつの間にか部屋の入り口に永琳の姿が。
「姫、またお掃除ローラーになっていたのですか?」
開口一番、ため息と共に鈴仙が持っているローラーと輝夜を見比べて永琳。
「む、言ったな!私はお姫様なのよ!掃除用具じゃないもん!」
「私が何故ローラーを買ったか知ってますか?姫がころころしている様子を見て思いついたようなモノなんですよ」
「私とコロコロを一緒にしないでよう!月の姫たる私のお転がりは単なるお掃除のコロコロとは格が違うの!その優雅なコロコロは掃除のコロコロには無い可憐さがあって、コロコロという擬音一つとってもお掃除コロコロのコロコロとは比べるべくも無いコロコロの真髄とも言えるコロコロとしたコロコロさ加減がまたコロコロという……」
「コロコロコロコロうるさいですよ、もう。大体お転がりって何ですか……何にでも『お』を付ければいいってものでは」
「え~りんはうるさいの!バカ!まるきゅー!マッド薬剤師!コロネみたいな髪型のくせに~!」
癇癪を起こしたが如く手足をバタつかせて騒ぐ輝夜と、何とか説教モードに入ろうとするコロネ……じゃなくて永琳。
手持ち無沙汰になった鈴仙が部屋を見渡すと、部屋の隅には本来座敷の中央に置かれていたであろう小さなテーブルが立てかけてある。
転がる為に輝夜がどかしたのだろう。わざわざご苦労な事だ。
「とにかく、最近の姫は怠けが過ぎます」
腰に手を当ててお説教モードの永琳に言われ、輝夜は口を尖らせる。
「だって暇なんだもん」
「だからって掃除用ローラーにならなくてもいいじゃないですか。きめは細かいからゴミはよく取れそうですけど」
「ローラーちゃいまんねん!幻想記録を目指す熱き女の一人旅よ!その内『ぷろぜくとえっくす』から取材依頼が来るに違いないわ!」
「何で関西弁なんですか。旅するならまず部屋から一歩でもいいですから外へ出て下さい。そして何なんですかその番組みたいなの。メディアは何ですか」
「えっと……えーりんのバカー!草原のペガサスー!」
彼女の発言一つ一つをしっかり取り上げて丁寧にツッコんでいく永琳に、再び癇癪モードの輝夜。それけなし言葉になってない。
二人の会話―――というよりお説教と屁理屈の応酬が一瞬途切れたのを見計らい、鈴仙が口を挟んだ。
「姫様は、何か趣味とか無いんですか?」
「しゅみ?」
首を傾げる輝夜。
「何か趣味とか、熱中できるものがあれば、毎日ロー……寝転がる事もないのでは」
その発言に、永琳も同調する。
「あら、ナイスアイディア。確かにそうね。姫、何か趣味はお持ちですか?」
「ごろごろ」
「却下。どうせ転がるなら埃が多い納戸をお願いします」
「ローラーじゃないってば!……じゃあ、もこたんとの殺し合い」
「あれはもう定例行事と言ったほうがいいでしょう。というか、最近は大分マイルドになって、普通の弾幕合戦じゃないですか」
「う~ん……じゃあ無いなあ」
蓬莱山輝夜・無趣味。らしいと言えばらしいが、姫君なら何か優雅な趣味の一つでもあるべきではないだろうか。
それは本人も思ったらしく、少し考えた後に彼女は顔を上げる。
「よし、決めた!何か趣味作る!月の姫らしい素敵な趣味!人生長いんだもの、楽しくなくちゃ!」
「あら、いい心がけですね。それでこそ姫ですよ」
「きっと皆さんに自慢できますよ!」
「見てなさい、もう転がるだけが能の輝夜じゃないわよ!」
諸手を天へ突き上げる輝夜。何やらやる気になったらしいので、永琳も鈴仙もとりあえずおだててその気にさせる。
かくして、輝夜の趣味探しが始まった。
もっとも―――
「今に凄いシュマーになるわ!」
「しゅまー?」
「趣味をする人だから、シュマー」
「……ひょっとして姫、それで幻想流行語大賞とか狙ってます?」
「もちろん!」
―――こんなズレた姫の見つけてくる趣味が、マトモである保障は欠片ほども無いわけで。
・
・
・
・
・
―――翌日。
昨日、趣味を見つけると決意してからというもの、輝夜はずっと部屋に篭って趣味を考えていたらしい。
その成果を見るべく、鈴仙と永琳は二人して輝夜の部屋を訪れた。
「姫様、入りますよ」
鈴仙が言うと同時に、永琳が襖を開ける。
まず目に飛び込んできたのは輝夜の背中。彼女は机に向かい、何やら一生懸命筆を走らせているようだ。
「何書いてるんですか?」
言いながら鈴仙が彼女の手元を覗き込むと、机の上に何枚も紙が重ねてある。
その内の一枚に必死に筆を走らせる輝夜。その紙の上部に書かれた『履歴書』の文字を見て、鈴仙は少し驚いた。
「履歴書って……姫様、アルバイトでもなさるおつもりですか?」
「へ?」
履歴書記入に夢中になっていた輝夜はここでようやく二人に気付き、顔を上げる。
永琳は少し困った顔をして言った。
「労働意欲に目覚めるのは素晴らしい事ですけど、姫に働いてもらわなければならないほど、永遠亭は困窮してませんよ?」
すると輝夜は暫しポカンとした後、笑顔で手をヒラヒラ振る。
「あ、これ?やだなぁ、別に働くわけじゃないよ」
今度は永琳がポカンとする番だった。
「え、じゃあどうして履歴書を?」
すると輝夜は腰に手を当ててえへんと胸を張る。
「趣味に決まってるじゃない!」
「は?」
思わず聞き返す永琳に、輝夜は書いたばかりの履歴書を持ってヒラヒラ振った。
「だから~、履歴書を書くのが趣味よ!」
「―――ありえねぇ……」
輝夜の言葉に、ぼそっと呟いて頭を抱える永琳。明らかに口調が変わったのは気のせいという事にしたい。
手段と目的が入れ替わると言うのはこういう事を言うのだろうか。いや絶対違う。
永琳は頭を抱えたまま、机に詰まれた記入済みらしき履歴書の山を見やる。
「これ全部書いたんですか?」
「もちろんよ。だって趣味だもの、簡単に飽きちゃったら趣味とは呼べないわ」
誇らしげに胸を張る輝夜。趣味を持てた事が嬉しいのだろうが、それにしても履歴書て。まだ懸賞ハガキの方が生産性がある。
机に積まれた紙の束を見つめる内、部屋に篭り裸に座布団一枚という出で立ちで履歴書を書きまくる輝夜を幻視し、すぐに頭を振る永琳。疲れているのだろうか。
彼女は再び口を開いた。
「楽しいですか?」
「すごく!」
ニコニコ笑顔の輝夜を見て、永琳は深い深いため息。一心同体と言える関係の二人がここまで対極的な表情をするのも珍しい。
と、ここで履歴書の山を漁っていた鈴仙が何かを発見した。
「あれ?これ……」
「……どうしたの?」
尋ねる永琳の声は元気が無い。これ以上何かおかしなものが発見されたらどうしようという不安が見て取れる。
そして、嫌な予感ほど的中するのは世の常。
「あの、えっと……この履歴書、師匠の名前で書いてあります」
それを聞いた瞬間、残像を伴うほどの速さで永琳は鈴仙に肉薄、彼女の持っていた履歴書をひったくる。
目を通すと、確かに氏名欄に『八意永琳』の文字。
「自分のばっかじゃ飽きちゃうから、みんなの名前で書こうかなって」
のほほんと言う輝夜。何と言ってよいか分からぬ永琳は口をパクパクさせていたが、とりあえず履歴書に目を通してみる。
すると、目を疑いたくなるような情報がわんさか。
「……何で私の年齢が五桁に到達してるんですか?」
「だって、何か仙人みたいでカッコいいじゃん」
「……貼ってある写真がどうみてもチョココロネなんですけど」
「髪型がそう見えるからもーまんたいよ!おいしそうだし」
「……あと、私を勝手に無職にしないで下さい。職歴がレティ・ホワイトロックの肌の如く真っ白なんですが」
「あ~、確かにあの子美肌よねぇ。羨ましいな」
「そうじゃなくて……まあいいや。で、現住所。竹林を北に300kmって何なんですか」
「ふりーだむ、じゆうをつかめ!」
「………」
この暖簾にケミカルアンカーが如くの問答に嫌気が差した永琳はとうとう下を向き、深いため息。
永琳が何故沈んでいるのか分からない輝夜は首を傾げたが、すぐに鈴仙へ笑顔を向ける。
「あ、今度はイナバの名前で書いてるからね」
「え、えぇっ……何て書いてるんですか?」
さっ、と表情を曇らせた鈴仙。慌てて輝夜の手元にある履歴書を見ると、確かに『鈴仙・優曇華院・イナバ』の文字。
字が無駄に綺麗なのがまた頭痛を酷くする。
「えっと、年齢は三桁後半。本当は名前も、『鈴仙・優曇華院・イナバ』は仮の名前で、魂の名前は『ソバゲウィン』にしようかと思ったんだけど」
「そ、そば……」
永琳の気持ちがよく分かった鈴仙もまた頭を抱える。
そんな二人の様子を見て、輝夜は心配そうな表情。
「どうしたの、二人とも。私を心配してくれるのは嬉しいけど、具合が悪いなら無理しちゃだめよ」
その言葉に悪意や皮肉は感じられず、純粋に二人を気遣っての発言のようだ。その原因が自分と気付いていない辺りがまた何ともはや。
「だ、大丈夫です……」
鈴仙からそう返された輝夜は安心して、何やらぶつぶつ呟きながら再び履歴書を書き始める。
「えっと、学歴は……兎のせわ第二中学校卒業、と」
それを聞きつけた永琳は全身全霊を振り絞り、輝夜の肩をガシッと掴む。
「お願いですから、履歴書は止めてください」
「え~、なんで?楽しいのに」
「そんな経歴詐称ってレヴェルじゃない履歴書を量産されたら色々マズいです」
永琳の目の色が必死なのを見て取った鈴仙も援護。
「そ、そうですよ。姫様は字が綺麗なんですから、書道とかの方が似合いそうだと思うんですが」
「う~ん、書道はちょっと。昔のトラウマみたいなのがあって」
「何ですか、書道のトラウマって……」
怪我の恐れがあるスポーツならともかく、書道でどのようなトラウマを植えつけられるというのか。
すると輝夜は肩を竦める。
「以前、墨汁入れに入れといたコーラと間違って普通の墨汁飲んじゃって。あの時は不老不死でも死ぬかと思ったわ」
「どうして入れようという発想に至ったのですか!?というか書道関係無いですよねそれ!?」
「実に墨の薫り高い墨汁だったわ。きっと食べ物に例えたならさぞおいしかったに違いないから、せめて私の墨汁を見る目は確かだったと思って欲しいわね」
「そんな次元で強がられても……」
月から来たお姫様の思考はやはり浮世離れしている。まさにルナティック。
「とにかく、履歴書を書くなんて趣味としてどうかと思いますよ。姫という身分なら尚更です」
永琳が説得、というより最早懇願。
するとその真剣さを流石に感じ取ったのか、
「う~ん、えーりんがそこまで言うならやめようかな……ちょっと名残惜しいけど」
輝夜はそう言って、書きかけの履歴書(鈴仙のやつ)を机にしまう。それを見て内心胸を撫で下ろす二人。
輝夜の事だから変な趣味を見つけてくるかも、という懸念はあったが、それが『履歴書』という右斜め後ろの裏のロココ調の右あたりを突いてくる代物とは思いもよらず。
と、ここで何やら輝夜が額縁を取り出す。
「どうされました?」
永琳が尋ねると、輝夜は手にした履歴書を示す。
「や、せっかくだからこれだけ取っといて部屋に飾ろうかなと。私の力作だし」
見やればそれは先刻の永琳の履歴書。写真のチョココロネが恨めしいくらいに美味しそうだ。
「おっと、足が!」
刹那、永琳は輝夜に素早く足払い。うつ伏せに倒れた輝夜の上に馬乗りになったかと思うと、永琳は輝夜の顎の下を両手で掴んで締め上げる。
見事なキャメルクラッチ。
「ぐぇぇぇ!なにす……苦しい、ロープ、ロープ!!」
苦しそうに呻く輝夜をスルーし、永琳は悲鳴のような声で叫ぶ。
「うどんげ、今すぐそれ燃やしてきてッ!!灰も残さないでね!」
「は、はいっ!」
鬼気迫る何かを感じ、鈴仙は慌てて履歴書を引っ掴むと部屋を飛び出した。
「くぉら~、姫になんてこ……あ゙~っ!だめ、もうだめぇ!」
「すいません、足と手が何か引っかかっちゃって……中々取れませんねぇ、うおりゃっ!」
「ぐぇっ!!ルナティック、ルナティック!」
飛び出した彼女の背後から、バンバンという畳を叩く音と共にそんな会話が聞こえてきた。
・
・
・
・
その日の午後、輝夜は首をさすりながらどこかへ出掛けて行った。
輝夜がしきりに叫ぶ『ルナティック』が『ギブアップ』の間違いであると永琳が気付くのに時間がかかり、八意流キャメルクラッチは二十分に及んだとか。
「今度こそ(・∀・)イイ!!趣味を見つけるわ!」
「でもどうして外へ?」
「芸術家の気分転換は散歩と相場が決まってるの」
「姫はいつから芸術家になったのですか……」
「私はいつだって永い人生と言う名のキャンパスに夢色の郷を描くあーちすとなのよ!」
「はいはい、夕御飯までには帰ってきて下さいね」
力説する輝夜と聞き流す永琳。そんな会話を最後に、輝夜は出掛けたまま中々帰って来なかった。
夕食前には帰ってきたが、食べ終わると再びふらりと何処かへ。
結局、彼女が帰ってきたのは夜中だった。夜中に輝夜の部屋から物音が聞こえてきたのを、仕事で起きていた永琳が聞きつけていた。
―――そして翌朝。
部屋で休んでいた二人の所へ、何やら興奮気味の輝夜がやって来た。
「二人とも、新たな趣味を見つけたわよ!見たい?見たいでしょ?しょーがないなぁ!」
ウキウキと声を弾ませて捲し立て、輝夜は鈴仙と永琳の手を取って歩き出す。慌てて転ばないようについて行く二人。
「一体なんですか、新たな趣味って」
「またおかしな趣味じゃないでしょうね」
廊下を歩きながら尋ねる二人に、輝夜は笑顔を崩さずに答える。
「もっちろん!今度の趣味はコレクションよ!すごいんだから!」
それを聞いて、永琳は少しだけ安堵する。履歴書記入などという前人未到のエリアではないだけ期待出来そうだ。
集める物にもよるが、多少高価な代物でもマトモであれば許可しようと考えた、のだが。
輝夜の部屋前まで辿り着き、輝夜はスパーン!と勢いよく襖を開け放つ。
―――その瞬間、むせ返るような土の匂いが永琳と鈴仙の鼻を直撃した。
「枯葉のコレクションよ!」
見やれば、部屋中を多い尽くす茶色の山、山、また山。こんな山に神社を築いても信仰はまず集まらない。
畳だろうが机だろうがおかまいなしに積まれた枯葉。当然土埃も凄く、鈴仙は軽く咳き込む。
「げほ、何ですかコレ……うわ、畳にすごいシミが!」
部屋の隅に積まれた枯葉。その下の畳がびしょ濡れで染みになっている。
「あ、それは霧の湖に漬かってたやつ。すごく冷たかったなぁ」
最早一周して邪推してしまいそうな輝夜のイノセントスマイル。鈴仙は雑巾を取りに部屋を飛び出す。
「あれが博麗神社前、あの辺が魔法の森、机の上は妖怪の山よ。あっ、押入れには竹林のがたくさんあるわよ。見る?」
二人の胸中など知る由も無い輝夜ののんきな解説。従者の心、姫知らず。
フリーズしていた永琳はようやく事態を飲み込み、輝夜を睨みつける。
「―――姫。医療従事者として、あなたの脳内構造に非常に興味があります。解剖してもいいですか?」
「え~、痛いのやだ。って、何でそんな怖い顔してるのよう」
押し問答しても無意味だと悟り、永琳は大きなポリ袋を用意すると傍にあった枯葉の山を押し込み始めた。
「もう、後で部屋掃除して下さいね!早く片付けますよ!」
「あっ、その葉っぱにはちゃんと虫もついてるのよ!」
「虫って……」
一瞬動きを止めた永琳だったが、そのくらいでビビってはいられないと、ため息一つついて再び枯葉の山に手を突っ込む。
―――ぐにゅ。
「え?」
彼女の手に伝わる柔らかい感触。明らかに枯葉のものではない。
嫌な予感がした永琳は素早く枯葉の山を払いのける。
「ほら、だから言ったのにぃ」
輝夜の言葉通り、確かに『虫』がいた。全長は1mをゆうに超えている。
枯葉の下で妖怪蛍、リグル・ナイトバグがのびていた。
「枯葉には虫がつきものでしょ?でも、お姫様の趣味なんだからふつーの虫じゃつまんないでしょ?だから」
服の所々が破れているのを見ると、輝夜にのされた挙句無理矢理運び込まれたようである。
永琳は土埃にまみれたリグルを抱き起こすと、雑巾を持って帰ってきた鈴仙に声を掛ける。
「悪いけど、この子よろしく。とりあえず寝かせてあげて」
「は、はい」
「う~ん……」
鈴仙におぶさられ、リグル退場。
そして永琳は枯葉がギッシリ詰まった袋の口を縛るとそれを担ぎ上げ、輝夜の頭部目掛けて思いっきり振り下ろす。
「あたっ!」
バスッ!という軽快な音を立てつつ、前のめりに倒れた輝夜。永琳は輝夜の上半身を起こすと素早く袋の口を開け、中身を全て輝夜の服の背中へ流し込む。
「あっ、くすぐった、あひゃあひゃ!!や、やめてぇ!!」
悲鳴を上げる輝夜をスルーし、永琳はざらざらと枯葉を流し込む。
枯葉の中に何やら触覚を持った黒っぽい虫が数匹混じってた気もしたが、連日遅くまで起きて仕事をしていた故の眼精疲労だと思って忘れる事にした。
仕上げとばかりに永琳は湖産・ぐしょ濡れの枯葉を掴むと輝夜の背中へ放り込み、ぐちゃぐちゃとかき回す。
「やーっ!気持ちわる……あーっ!冷たいつめたい!」
ますます喚く輝夜の肩をポンと叩き、永琳はニッコリ笑って冷静に告げる。
「今日中に掃除して下さいね。もちろん枯葉のコレクションは禁止です。理由は言わなくても分かりますね?」
くすぐったさと冷たさ、気持ち悪さがない交ぜになって涙目の輝夜が、何か言いたげな表情で永琳を向く。
が、彼女が口を開くより素早く永琳が告げた。
「夜までに掃除が終わらなかったら、夕御飯抜きですからね」
―――その瞬間輝夜は跳ね起き、猛烈な勢いで枯葉を掻き集め始めた。
『姫としての趣味選択に対するプライド<今日のゆうごはん』の公式が成立した瞬間である。
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・
・
さらに明くる日の朝。
『姫なのに……』というフレーズを呪詛の如く繰り返しつつも枯葉を猛烈な勢いで片付けた輝夜は、どうにか夕食抜きを免れた。
人間やれば出来るという証明である。
「よく片付けましたね、えらいえらい」
そう言って永琳は輝夜の頭をなでなで。
「と、とーぜんよ!」
顔を赤らめる輝夜はまんざらでも無さそうである。
「それより、今日こそちゃんとした趣味を見つけるわよ!」
意気込む輝夜だったが、永琳は困った表情。この二日間を見ていると、どうしても彼女が独力でマトモな趣味を見つけられるとは思えない。
「今度は何をするんですか?」
疲れ切った永琳の代わりに鈴仙が尋ねる。すると輝夜は数秒思案した後にポン、と手を叩いた。
「そうだ、楽器やりたい!音楽ならいいでしょ?ね、えーりん」
二人は驚いた。かくもマトモな趣味が彼女の口から飛び出すとは思いも寄らなかった。
というか、これが常人の感性なのだがその辺りの感覚は既にパラライシス。
「あら、素敵じゃないですか。ところで何の楽器を?」
素直に感心した永琳が尋ねてみると、輝夜はピョンピョン飛び跳ねる。
「ギター弾きたい!思いっきり!」
「ギター、ですか?」
輝夜の脳内では自身がライブ会場に立ち、超絶ギターテクを披露して大歓声を浴びる姿が展開されているらしい。趣味の領域をはみ出している気もする。
しかし、永琳は首を傾げた。
「ギターってありますかねぇ。少なくとも永遠亭にはありませんし、外の世界の楽器というイメージが強いですから……」
彼女自身もギターの存在は知っていたが、実物を見たことは無かった。
だが、夢が広がりんぐ状態の輝夜は諦める事を知らない。
「プリズムリバー楽団なら持ってるに違いないわ!イナバ、TELするわよ!電話をもてーい!」
確かに古今東西の楽器を所有するプリズムリバー三姉妹ならギターの一本くらい持っているかも知れない。
だが、時代劇口調で迫られた鈴仙は別のベクトルで困った。
「で、電話なんて持ってませんよ……」
「え、無いの?」
「無いです……」
いくら最近の幻想郷でそれなりに機械類が浸透してきたとは言え、流石に電話回線までは引かれていなかった。
しかし輝夜は諦めない。むむむ、と唸ったかと思うと、
「こうなったら私がやるわ!『ゑぬてゐてゐ』もビックリのかぐやちゃん式ルナティックテレフォン術を、目ん玉を御石の鉢にしてよーく見てなさい!」
そう言って自室へ取って返す。
暫し呆然と立ち尽くす師弟コンビ。が、輝夜はすぐに帰ってきた。
その手には、白い円筒形の物二つをタコ糸で繋いだ道具。そう、それは―――
「……糸電話、ですか……」
「その通り!まあ見てなさいって」
呆然度三割増しの永琳をよそに、輝夜は片方の紙コップを縄投げの如く回し始める。
その糸電話は異様に糸が長く、彼女の背後に糸の束が積んであるようにすら見える。軽く数百mはありそうだ。
足で軽快なステップを踏んで助走準備。そして、
「そうりゃあっ!」
叫びと共に足を大きく踏み込み、開け放たれた窓の向こうへ向けて電話の片割れをブン投げた。
輝夜の願いが込められた糸電話は、まるで虹のように大きく孤を描き―――
「―――姫、早く拾ってきて下さいね。引っかかったままだと窓が閉められません」
淡々と告げる永琳と、肩を落として外へ向かう輝夜。
輝夜の手から放たれた糸電話は窓から飛び出してすぐに失速、落下。窓枠からだらしなく垂れ下がる形となった。
お世辞にもスポーツ万能とは言えないどころか若干運動不足の輝夜では結果は火を見るより明らかである。
無事に糸電話を回収した輝夜だったが、今度はそのまま外へ出た。
二人が慌てて追うと、輝夜は庭で何やら辺りをキョロキョロ見渡している。
「こうなったら、アレを使うしか無いわね!」
何やら奥の手を使うらしい。と、彼女はコンパスを取り出して方角の確認。
そして、指をちゅぱ、とくわえてすぐに離し、風にさらして風向き確認。
輝夜の行動の真意が読めない永琳と鈴仙はとりあえず見守る。
「方角よし、角度よし、風向きおっけ。力はこんなもんかな……」
呟いたかと思うと、彼女の手―――持っている糸電話ごと―――が眩しく発光を始める。
シックスセンスが警鐘をガランガラン鳴らしている。永琳は慌てて止めに入ろうとした。
が、時既にお寿司。
「ちょ、まさか……姫、それはおやめくだs」
「いっくわよ~!かぐやちゃん式ルナティックテレフォン術奥義!!『ブリリアント・ファイバー』!!!」
気合一閃、輝夜は凄まじいエネルギーを纏った糸電話を虚空へ向けてスロウ。
放たれた糸電話は流星のようなスピードで飛んで行き、あっという間に見えなくなった。先程の運動不足少女の投擲と同一人物とは思えない。
スペルカードの応用なのだろうが、その原理はよく分からない。
残された糸がどんどん宙へ伸びていく様を見て、輝夜は満足そうに頷く。
「うん、これならきっと届くわ!見た、見た!?」
褒めてと言わんばかりの輝夜だったが、永琳はまたしても頭を抱え、鈴仙は呆然と糸電話が消えた空を見つめている。
糸電話が無事目標地点に到達したとしても、スペルカードの力を込めた物体が平然と着地してくれる筈は無い。
プリズムリバー邸の外壁をぶち抜くのは当然。もしかしたら中の住人や楽器に被害が及ぶ可能性がある。
特に後者が怖い。音楽家としては楽器は特に大切な物だろう。それを壊した犯人が『楽器貸して♪』などと言ったとしたら、それは一体何のギャグだろうか。
そんな永琳の苦悩をよそに、大分糸が短くなった糸電話のもう片方を輝夜は嬉々として拾い上げる。
やがて、僅かなたるみを残して糸電話は止まった。距離計算は完璧と言ってよいだろう。
「よっしゃ、届いたね!お~い、聞こえる~?」
少し歩いて糸をピンと張り、輝夜は無邪気に糸電話へ向かって話しかけた。
しかしその時、糸がグイッと突如引っ張られ、輝夜は前につんのめる。
「うわっ、とっと。なになに?」
彼女は何とか体勢を立て直したが、さらに糸はグイグイ引っ張られていく。
仕方ないので糸電話を持ったまま、糸を引かれるままに輝夜は竹林の中へ消えていく。
―――首を傾げながら輝夜が消えて、二時間後。
ガサリ、と音がしたので、それに気付いた永琳と鈴仙はそちらを見やる。庭で適当に暇を潰しつつ待った甲斐があった。
続いて現れたのは確かに輝夜だった。が―――
「うえぇぇぇぇぇん……」
―――めっちゃ泣いていた。まるで子供のようである。
迷子になって泣きながら帰ってきた子供(見た目は実にそれっぽい)をあやすように永琳はその頭を撫でてやる。
「よしよし。何があったんですか?」
大方予想はついたが一応尋ねてみる。
すると、輝夜はしゃくりあげながら理由を話す。
「ひっく、ひっく……あのね、あのね、神社が壊れた~って、れいむに思いっきり叩かれたぁ……うえぇぇぇぇん……」
―――どうやら、永琳のシックスセンスは非常に正確な働きをしたようである。
しかし、糸電話の到達先がまさか博麗神社だったとは。輝夜がノーコンなのか、はなから方角が間違っていたのか。
よく見れば、輝夜の頭には大きなタンコブ。弾幕ではなくゲンコツを貰ったようだ。
数百分の一、下手すれば千分の一程度年下の少女にゲンコツもらって説教されるとは、何とも情けないと言うか何と言うか。
永琳にしがみついて尚も泣きじゃくる輝夜を宥めているとこれ以上重ねて説教する気にはなれず、永琳はこっそりため息をついた。
(本当にこの子は姫なのかしら……)
・
・
・
頭頂部を氷嚢で冷やしつつ、ようやく泣き止んだ輝夜は再び何やら考え出した。
「糸電話がダメなら、どうやって連絡すればいいのかしら……」
「直接訪ねるという選択肢は無いのですか?」
永琳の言葉を華麗にスルーし、彼女は連絡法を見つけようとする。
暫く唸っていたが、輝夜は再びポン、と手を叩いた。
「そうだ!えーりん、弓矢貸して!」
「……矢文ですか?」
一発で察した鈴仙が訪ねると、輝夜は驚いた表情を見せる。
「え、何で分かったの?ウサミミってすごいわねぇ」
「いえ、耳のせいでは……」
何故耳に注目したのかは分からないが、輝夜の思考など永琳で無くともお見通しという事だろうか。
というか、この状況で弓矢ならそれ以外に思いつかないだろう。永琳は呆れ顔だ。
「先程の惨状を目の当たりにして、貸すとお思いですか?」
「貸してくれないの?」
途端に泣きそうな顔になる輝夜を見て、永琳は慌てて弓矢を取りに自室へ向かった。
何だかんだで永琳は輝夜に弱かったりする。
永琳が帰ってくるまでの間に、輝夜は手紙をしたためる。
「よっしゃー、これで私も『うぃりあむ・てゐ』よ!」
「誰ですかソレ……」
弓矢セットを受け取った輝夜は大興奮だったが、彼女が口走る人物名が気になって永琳が質問。
すると輝夜は得意げに説明を始める。
「竹林に五百年前から存在する伝説の弓使いよ。三百メートル離れたウサギの頭に乗せたニンジンを矢で射抜いたと言われてるわ」
「リンゴじゃないんですか……」
「ウサギならニンジンに決まってるでしょ。リンゴだったらそれはウサギじゃない、バーモント星人か何かよ!」
妙なこだわりを持つ輝夜。カレーの香りがしそうな宇宙人である。
みょんな弓使いの話はともかく、輝夜は早速ウキウキ気分で手紙を矢に括りつける。
「間違って誰かを射抜かないようにして下さいね」
永琳はやはり心配そうだが、当の輝夜は胸をドンと叩く。
「かぐやちゃん式ルナティック弓術にかかれば、そんな凡ミスなんて起こりっこな~い!」
その『かぐやちゃん式』が心配の種なのだが、永琳はよほど何かおかしな事をしでかさない限りは見守る事にする。
一々心配していたら胃に穴が開いてしまう。医者の不養生など以ての外だ。
(まあ、こっからプリズムリバー邸まで矢が届くとも思えないし、好きにさせれば……)
彼女はそのくらいに考えていた。そんな永琳をよそに、輝夜は『どっこいしょ』などと言いつつ弓矢を構える。
体格に対して若干大きい弓だが何とか構え、弦を引いていく。
呼吸を整え、前方を見据える輝夜の表情は真剣だ。
「今度こそ目標地点はこっちよ」
「前方は竹が生い茂ってますけど、大丈夫ですか?」
鈴仙が訪ねると、輝夜はふふん、と笑った。
「そんなもん、ぶち抜いちゃうわよ!」
「スペカの力を借りるのは禁止ですからね。今度はゲンコツじゃ済まないかもしれませんし」
永琳が釘を刺す。元より輝夜は普通に射るつもりらしく、そのまま弦を引いた腕を固定。
風が止み、辺りが静寂に包まれたその瞬間―――輝夜は腕を放した。
そして―――
びょいん
何とも情けないSEが響いたかと思うと、カランと乾いた音を立てて矢が地面に転がった。
矢の飛距離は僅か三メートル程度。これでは『うぃりあむ・てゐ』にはなれそうも無い。
それどころか―――
「いっ……いったぁぁぁい!!切っちゃった!血が出てる~!」
唐突に悲鳴を上げる輝夜。見れば、左手人差し指からどくどくと血が流れている。
矢じりで切ったのだろうが、普通に構えたならまずそんな事は起こりえない訳で。
構えの時点で問題があったとなれば、普通の射手になるのも難しいのではなかろうか。
「もう、何やってるんですか。うどんげ、救急箱お願い」
「は、はい!」
慌てて救急箱を取りに屋敷へ入っていく鈴仙。永琳は輝夜の手をとり、傷を観察。
出血はやや多いが、そこまで深い傷では無さそうである。
「痛いの……」
「大丈夫ですよ、姫。これならすぐ直りますし、多分傷跡も残りません」
「取って来ました!」
グッドタイミングで鈴仙が救急箱を手に戻って来たので、永琳はそのまま治療開始。
ハンカチで血をそっと拭き取り、消毒、止血と手際良く治療していく永琳の手元を見ながら、輝夜が口を開いた。
「こういう時って、怪我した指を消毒とか何とか言って口にくわえて、お互いにドキドキで顔を赤くしちゃうのが定番じゃないの?」
「怪我人はおとなしくしてて下さいね」
さらりとかわし、永琳は治療を完遂。輝夜は指に巻かれた包帯をまじまじと眺めていたが、
「これじゃあ矢文はもう無理ね……」
そう言って実に残念そう。
しかし、矢文を諦める=楽器を諦めるでは無いらしく、
「何かギターの代わりになりそうなモノは……」
やはり考え込む。
「あくまで直接借りには行かないのですか……」
永琳の指摘も、アリさんの前に置いた顆粒だしの素の如くスルーして輝夜は思案。
「ギターは厳しくないんですか?」
怪我した左手を見ながら鈴仙が訪ねると、
「右手で弾くから平気よ!」
そう答え、輝夜はやはり考える。暇を持て余した鈴仙は救急箱を戻しに屋敷へ戻る。
長考の末、輝夜はまた手をポン、と打った。最早お決まりのポーズである。
「そうだ、アレなら!」
そう言うや否や、輝夜は屋敷内へ駆け込む。丁度戻って来た鈴仙が玄関でぶつかりそうになって驚いていた。
数分後、輝夜は何かを抱えて戻って来た。
「それ……」
「うん!これならギターっぽく弾けるでしょ?」
彼女が持ってきたのは、琴。輝夜によく似合いそうな楽器だが、彼女はそれを縦に抱えている。
呆然とする永琳達をよそに、輝夜は左手で琴を支え、右手で弦を思いっきりかき鳴らし始めた。
音程も何もあったもんじゃないその演奏は美しい筈の琴の音色を見事に雑音へ変えている。何という事でしょう。ある意味匠の技である。
「ひ、姫様……普通に演奏した方が……」
騒音が耳に堪えたらしい鈴仙が進言するが、輝夜は首を横に振る。
「な~に言ってんの!今はお琴だってこれくらいパンキッシュな方がいいのよ!」
「壊れちゃいますよ……」
「壊れたら所詮それまでの人生!」
壊れるのは輝夜ではなく楽器の方なのだが、今の輝夜にそれを言ったところで軽く流すに違いない。
気分が盛り上がってきた輝夜はその場でヘッドバンギングまで始める始末。
「縦!縦!縦!縦!縦!縦!」
「し、ししょ~!姫様がおかしくなっちゃいました!!」
うろたえる鈴仙をよそに、永琳は半ば諦めを漂わせた表情で首を横に振った。輝夜が縦に振っているから対抗―――という訳では無い事は確かだ。
もう好きにやらせとけ、と言いたげなその表情を見て、鈴仙もため息。この数日で、ため息の平均回数が急上昇しているのは彼女も同じだ。
長い髪を振り乱してのヘッドバンギングは流石に辛かったようなので止めた輝夜だったが、テンションはまるで下がらない。
暫く琴をかき鳴らした挙句、輝夜はトンデモ無い事を口走る。
「うん、これぞ新しい世代の音楽よ!ちょっくらプリズムリバー楽団に売り込んでくるわ!」
「えええ!?それは流石に無理ですって!」
鈴仙が止めに入るが、今の輝夜は最早止まらない。
「無理じゃないわ!彼女達は音楽のプロだから、この新境地も理解してくれるはず!」
「常識で考えて無理ですってば!」
「じょーしきに囚われてはいけないの!これ、幻想郷のお約束!みぅじっく・あわぁが私を呼んでるわ!」
どこぞの風祝のような台詞と共に、輝夜は琴を抱えて庭を飛び出した。
追いかけようとする鈴仙を制し、永琳は彼女を連れて屋敷へ引き上げた。
「ま、どうせすぐに帰ってくるわ……」
―――輝夜が帰ってきたのは、それから三時間後だった。
「うえぇぇぇぇぇん……」
―――また泣きながら。
「よしよし、今度は何があったんですか?」
宥めながら永琳が訪ねると、輝夜は涙声で切々と訴える。
「ひっく……あのね、売り込みに行ったらね、ヴァイオリンの子に『楽器を乱暴に扱うな』ってお説教されたの……」
「まあ、それは……」
「しかも正座で二時間以上なの……うえぇぇぇぇぇん……足痺れたよぅ……」
泣きじゃくる輝夜がいい加減可哀想になってきた永琳は、彼女に優しく語り掛ける。
「姫、私がこんな事を言うのもアレなんですが……趣味というものは、探して見つけるものでは無いと思うのです」
「どゆこと?」
すると、永琳は涙で光る輝夜の目をまっすぐに見つめる。
「そんな義務感に駆られては、楽しいものも楽しめません。姫が毎日の中で、自然と楽しんでいる事があるでしょう?気付けば、それが趣味になっているはずです」
「そうかな……」
「そうですとも」
すると、輝夜も涙を袖で拭って笑顔を見せる。
「うん、そうだよね。楽しんで生きてれば、私にピッタリの趣味、見つかるよね」
「その通りですよ。姫らしく毎日を生きる事が大事です」
永琳も笑顔で答え、輝夜の手を引いて歩き出す。
「ほら、そろそろ夕御飯です。今日はうどんげが姫の好きなものを作ってくれたみたいですよ」
「ホントに!?」
それは邪気の無い、まるで子供のような可愛い笑顔。二人は手を繋いだまま、台所へと消えていった。
・
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―――コロコロ、コロコロ。
明くる日。今日も今日とて、鈴仙は掃除用粘着ローラーをかけつつ廊下を歩いていた。
スイスイ埃が取れていく快感は、病み付きになりそうだ。
「いつも悪いわね」
通りがかった永琳がその労を労う。
「いやぁ、これはもう遊び感覚ですから。姫様じゃありませんけど、半分私の趣味と言っても……」
鈴仙が本当に楽しそうなので、思わず永琳は苦笑い。
廊下の掃除が終わったらしい鈴仙は、部屋を掃除するべく近くにあった襖を開ける。
―――コロコロ、コロコロ。
仕事熱心な鈴仙は早速ローラーを―――いや、まだ彼女は襖を開けただけ。
デジャヴのような光景が目の前に広がっている。部屋を高速で転がる物体が一つ。
口をポカンと開けていた鈴仙が、ようやく口を動かす。
「姫様……」
「なぁ~にぃ~?」
転がりながら輝夜が答えた。やがて彼女は部屋の端へ辿り着いたので、上半身を起こす。
「また髪の毛が埃だらけですよ……」
鈴仙がいつしかのように輝夜の髪に付着したゴミを取ってやる。
「い~つもすまないねぇ……」
「え?えっと……あっ。それは言わない約束でしょ」
「うん、合格!イナバも分かってきたじゃない」
そう言って輝夜は鈴仙の頭を撫でる。
と、ここで部屋の入り口で一部始終を見ていた永琳が大きなため息。
「姫……これを”元の木阿弥”と言わずして何と言うのですか……」
「だってぇ、昨日えーりんが自分らしく生きろって言ったから」
頬を膨らませる輝夜に、永琳はお説教モードに突入。
「ダラけていいとまでは言ってません。それともアレですか?姫とお掃除ローラーの間にはイコールが引かれるのですか?」
「あ~っ!またそうやってお掃除コロコロ扱いする!」
「寸分も違わない気がするのですが。むしろ、手軽さという点ではローラーの方が勝ってますね」
「そうやってバカにする~!いい、私とコロコロの間には越えられない壁があるの!コロコロよりも私のコロコロは美しく清らかで、コロコロのコロコロ転がる姿と私のコロコロする姿もまた同じコロコロに見えて深く違う部分があって!私のはまるでコロコロのコロコロたる所以を訴えるかのようなコロコロさ加減とコロコロに込められたコロコロに対する……」
「だからコロコロコロコロうるさいですってば。転がっていてもドキュメンタリー番組のオファーは来ませんよ。せいぜいテレショップの新製品でしょうかね……カグヤスキンモップはヒャクバンヒャクバン、とか」
「えーりんのバカー!!街角のヴィーナスー!!」
子供のケンカのような二人の言い争いが何だか微笑ましく、傍観していた鈴仙は我知らず笑っていた。
これが彼女達なりの、”自分達らしい人生の楽しみ方”なのだろう。きっと。多分。願わくば。
「うどんげ、それ貸して」
永琳に言われるまま、鈴仙はお掃除ローラーを差し出す。
永琳はそれを受け取ると、輝夜の上半身を倒して仰向けに無理矢理寝かせ、彼女の服の胸元からローラーを突っ込んだ。
「そんなにコロコロが好きなら、一心同体になればいいんじゃないですか?ほら、手伝って差し上げますよ」
言いながら永琳は、輝夜の服の中にくまなくローラーを走らせる。
「あっ、やーっ!ベトベトする~っ!!だめ、だめぇ!やめて~!!」
「ほらほら、次はこっちからいきますよ!」
ローラーを引き抜いたかと思うと、永琳が立ち位置を輝夜の下半身側に変える。
それを見た鈴仙はくんずほぐれつする二人に背を向けた。
「あっ、あっ!!そ、そんなとこコロコロしちゃだめぇ!!」
「うふふ、何だか顔が赤いですよ姫?もっかい上半身にもかけて差し上げましょうか」
「も、もうやめてぇ……」
そんな会話を背に、鈴仙は廊下へ出た。スペアのローラーを取りに行く為だ。
お掃除はまだ、終わっていないのだから。
その前に、彼女は廊下の窓から空を見る。今日もいい天気。
真昼の月が見える青空を見上げ、鈴仙は思うのだった。
―――もし、これから何千年も経って、私もてゐも、他のみんなも、みんな死んじゃったとしても―――
―――あの二人はきっと、一緒ならこれっぽっちも退屈せずに過ごせるんだろうなぁ。
コロコロがゲシュタルト崩壊しそうでした。
>部屋に篭り裸に座布団一枚という出で立ちで
なすびww懐かしいな。
>>1様
そう言って頂けると小ネタスキーの自分としては感無量です。
ゲシュタルト崩壊して頂けて何より。自分自身、書いていてコとロの区別がつかなくなりかけた事アリ。
>>2様
姫様かわいいよ!を念頭に置いて書きましたw
そしてなすびネタが分かって頂けて非常に嬉しい。当時大好きでした。電波少年面白かったなぁ。
>>3様
ルナティックという言葉は、月の満ち欠けによって狂気がもたらされると昔信じられていたから、というのが語源らしいですが、
この姫は月から明らかに違うモンを受信してます。
>>4様
当作品はいたって健全なSSですので、お子様にも安心してお勧めいただけます。多分。きっと。願わくば。
お試しの際は、剥がしたばかりの清潔なコロコロをご使用下さいませ。
永琳「ところで、姫が自分でもう一つお掃除コロコロを買ってきたんだけど……何に使うのかしら?」
>>5様
姫様に限らず、永遠亭は何だか和みます。あたたかいです。
ニートネタは上手く扱えば大きな笑いを取れるのかもしれませんが、姫のイメージを損ないそうなので封印!
清くおかしい蓬莱山、がモットーです。なんだそれ。
>>7様
いい話って、コロコロの刑のトコですk(ピチュ
失礼。書いてて『この二人本当に楽しそうだな……』と率直に思ったのでつい。
たとえ何千年経とうと、どっかから月を眺めつつ屁理屈とお小言の応酬を繰り返すのでしょう。
>>8様
この姫様は果たして嫁に行けるのやらw
行ったとしても、違うベクトルで家庭を崩壊させそうな予感が……ドジって家の中心部でブリリアントドラゴンバレッタ炸裂させたりとか。
やがてアフロになった姫様が永遠亭へ返却されるのが目に浮かびますが……覚悟はヨロシイデスカナ?w
>キャメルクラッチ
『ラ』を入れればネコロビさんのサイトの名前では…w
コメント有難う御座います。
>>10様
オヤジギャグならぬ姫様ギャグ。上品に頭のネジをすっ飛ばすという高度なボケが要求されます。あなたもれっつとらい。
責任は負いませんがw
>『ら』を入れれば~
何 故 知 っ て る ん で す か ! ? w
見て下さった方がいらっしゃったとは、有難う御座います。ああでも恥ずかしい。