地霊殿の朝は基本的には遅い。
基本的には人型になれない動物たちばかりで、その行動は自由気まま。起きる時間も自由気まま。
人型になれる動物、いわいる妖怪化した者たちもいることはいるのだがその数は少なく、そしてまた自由気ままなのだ。
そんな地霊殿において少数派ではあるが、決まった時間に起きなければいけない者もいたりする。
それは主である古明地さとり、灼熱地獄の管理を任されている火焔猫燐、灼熱地獄の温度調整を任されている霊鳥路空、この三人である。
それぞれがそれぞれの仕事を任されており、いわば社会人のような状態。そんな三人が決まった時間に勤めに出ることは何の不自然もない。
また、さとりの上司でもある閻魔様がそういう事に殊更厳しいということも、そのことに影響しているのかもしれない。
はてさてそんな地霊殿の朝。こつこつと靴音を鳴らし廊下を歩く人影が一つ。お燐であった。
その顔にはすこしの焦りがみえ、ぶつぶつと独り言なんかを漏らしている。
「もう、さとり様ったら。もうすぐ仕事なのにまだ起きてこないなんて」
いつもより早い歩調で向かうのは主人の部屋。
どうやらもうすぐ仕事が始まる時間だというのに、まださとりが起きてこないらしい。
「朝は弱いって知ってるけど、今日は特に遅い。どうしたんだろう。……まさか」
急ぐその足が鳴らす靴音が、誰もいない廊下に響き、しばらくしてから止んだ。
お燐がドアの前に立ちどまったからだ。その重厚なドアには「さとりの部屋」と丸っこい字で書かれたプレートが吊るされている。
一呼吸おいてから、こんこんとノックをする。
「さとり様。もうそろそろ起きてください!」
ドアの向こうに聞こえるように大きな声でそう問いかける。しかし、その向こうから返ってくるのは静寂だけ。
はあ、とひとつため息を吐いて、お燐はドアノブに手をかけた。
「さとり様。入りますよ」
ガチャリ、と閂が抜ける音がして、ギィとドアが開く。
真っ暗なその部屋は、まだ主がベッドから起きていないことを如実に表していて、それに対してもお燐はため息を吐いた。
先ほどまで自分がいたドアの向こうから、漏れてくる明かりを頼りにお燐はろうそくを手に取り、燭台に突き刺してから火をつけた。
ボウと蝋燭の灯りで色が浮かび上がる部屋の中。そのなかで最もスペースを占有しているベッド。
その上から、毛布やら羽毛布団にくるまり、顔だけを出してお燐を睨んでいる人がいた。
もちろんその人物は、この部屋の主でありお燐の主人であるさとりその人だった。
「さとり様、起きてください。仕事の時間ですよ」
じろりと睨むさとりに意を介さず、お燐はそう告げたが、
「いや」
主人から返ってきたのは呆気ないそんな返答だった。
「いやってさとり様。そう言われても仕事が」
「今日は休むー!」
そう言って、もふっと布団にもぐりこんでしまった。
ベッドの上のかたまりはもぞもぞ動くだけで、その中の人は決して出て来ようとはしていない。
そんなさとりの姿を見て、お燐は再びため息を吐き、心の中でこう思った。
(またか……)
仕事拒否をして布団にもぐりこんで出てこなくなるさとり。実はこれが初めてではなかったりするのだ。
普段の朝ならいつも通り、掴みどころのない雰囲気を漂わせながら朝食の席に座り
「おはようお燐、お空。今日もがんばりましょう」
と、微笑みながら朝の挨拶を交わすことから一日が始まる。
のんびりとした優雅な朝食を終えると、さとりは自分の仕事室に入り、(大きさが)特注の椅子に腰掛け、
「さて、今日もお仕事がんばりますか」
と余裕たっぷりに書類を手に取り、思案をめぐさせていくのだ。
読むべき書類にはすべて目を通し、間違いがないかの確認を短い時間でやり通し、判を押していく。
閻魔への特別な報告書などは全て手書きで行なわれ、眼鏡を掛けてさらさらと必要事項を書き綴っていく。
その姿は、まさに中間管理職の鏡であり、スタンダードなさとりの姿であった。
しかし、ごく稀にさとりは、今日のように仕事をサボタージュしたいと言い出すことがあるのだ。
その意思表明の方法はいつも同じで、布団にくるまって頭だけを布団の外に出し、本人は決して布団の外に出てこなくなるというものである。
その状態はさとり曰く
「さとつむり!」
と言うらしい。
まあ、簡単に言うなれば、「さとつむりになると仕事を休む」というわけである。
こうなるともう一筋縄ではいかなくなる。断固として布団の中から出てきてくれなくなるからだ。
お燐としても主人の意思を尊重してやりたいのだが、そうもいかない。
主人の監督なしに、灼熱地獄の火加減やら温度加減やらを自分と友人の二人で行うのは骨が折れるのだ。
また、後で閻魔様の説教を受けたくないとも思っている。あの人はサボりに対しては過度の反応をすると噂になっているから。
やれやれと一言つぶやき、お燐はさとりに問いかける。
「あとで閻魔様に怒られますよ。それに、お空はもう仕事に出かけましたから起きてもらわないと困ります」
「いや~。今日は寝るの~。さとつむりなの~」
もぞもぞと動く布団の塊の中で、顔さえ出さずにそうのたまうさとり。
僅かながらの苛立ちを覚えたお燐は、その布団の塊に静かに近づく。布団を剥いで強制的に出すためだ。
しかし、さとりはそのお燐の様子に気付くと、もぞもぞと激しく動きはじめた。
「布団を剥ぐつもりね、お燐! そうはさせないわよ! 必殺、さとつむりガード!」
そう言うとさとりは布団の二つの隅を手で、余ったもう二隅を足でがっちりと固定し、くるんと丸くなった。
布団の団子の完成である。その姿は、攻撃された時のだんごむしを彷彿とさせる、そんな姿だった。
「どう、これで布団を剥ぐことはできないわ。お燐破れたり!」
得意げに叫ぶくぐもった声が、布団の中から聞こえてくる。
そんな様子に意も介さず、お燐はベッドに上り、布団団子の頂点。おそらく、さとりのわき腹があるあたりを両手でつかんで、そしてぐりぐりした。
お燐の攻撃。脇腹くすぐりである。
「起きないと、ずっとくすぐりますよ~」
「ちょ、お燐。あははっ! やめて~! あはっ! く、くるし、あはははは!」
激しく動く団子を押さえつけながら脇腹をくすぐるお燐。わざと布団の端を足で押さえて出させないようにしながら。
「あはははは! ギブ! ギブよお燐! だ、あははっ! だからやめて~!」
「仕事しますか?」
「するする! するから! あはははは! やめてぇ!」
そこまでしてから手を緩める。
つつっとベッドの上から降りると、布団の団子からさとりが顔を出してきた。
その顔は赤く染まっており、そしてはあはあと息遣いも荒い。布団の中という密閉されたところでくすぐられたからだろう。ほんのり涙目でもある。
「おはようございます、さとり様」
「お、おはよう、お、りん」
息も絶え絶えな様子の主人。しかしお燐は遠慮をしない。
先ほどは防がれた布団剥がしを断行する。弱ったさとりから、布団をがばっと一気にめくりあげた。
「うう、ひどい。お燐が冷たい~」
「冷たいんじゃないです。さとり様のことを思ってるんですよ。閻魔様に怒られるのは嫌でしょう?」
「そうだけど~。もう少しやさしく起こしてくれてもいいじゃない」
「さとつむりとか言ってる人は、これぐらいしないと起きないんです」
「あうう、本気で思ってる~」
めくりあげた布団を綺麗に畳んでベッドの隅に置く。
そして、クローゼットの中からさとりの普段の服を取り出して、渡す。
「はい、それに着替えて朝ごはんを食べましょう。さっきも言いましたけど、お空はもう仕事に行ったんですよ」
「着替えるの、めんどくさい」
「……さとり様?」
「ひいっ! 分かったからそんなこと思わないで~」
しぶしぶ着替えを始めるさとり。手渡されてくる脱いだパジャマを預かりながら、お燐はふうと息を吐いた。
(今日は案外簡単にあきらめてくれて良かった)
自然と笑みを浮かべながらパジャマを受け取っていく。これで閻魔怒られることも、仕事がいつもよりも大変になる事もない。
「さとり様。よろしいですか?」
「うん。いいわよ。じゃあ、ご飯を食べに行きましょう」
「はい」
どうやらさとりも、いつもの仕事スタイルになったようである。
その様子に、お燐は安心しながらドアノブを手を取り、ドアの開けて先に廊下に出た。
その時である。
「はははっ! 油断したわねお燐! そう簡単に諦める私じゃないわ!」
まだ部屋の中にいたさとりが叫ぶ。そして、すごい勢いでUターンをして、ベッドに思い切りダイブした。
ベッドの隅におかれた、お燐が先ほど畳んだ布団を広げて、また被る。その間わずか3秒程度。あまりの早業にお燐はぽかんとするしかなかった。
「さとつむり再び! 今度は負けないわよ!」
またもやくぐもった声が響く。今日二回目の、さとつむりの挑戦である。
初めはぽかんとしていたお燐だったが、そんなさとりの様子を見て不敵な笑みをうかべた。
「さとり様……。いいえ、さとつむり! 今日は絶対仕事させてやりますから、覚悟してください!」
「いいわよ、お燐。来なさい! 今度はさとつむりスペシャルで勝負よ!」
もぞもぞと動く布団の塊であるさとつむりに、宣戦布告をするお燐。
おそらく、今までで最も長くなるであろうさとりのサボタージュ戦争が、ここに始まったのである。
そしてその約一時間後、閻魔の代わりにお燐に説教され、半泣きになっているさとりが見られたという。
「もうさとつむり使っちゃだめですっ!」
「そんな~」
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「おそいな~お燐。なにしてるのかな~」
「あ、お空。一人で仕事?」
「うにゅ、こいし様。あの、お燐見ませんでした?」
「お燐なら、お姉ちゃんとベッドの上で激しくファイトしてたよ」
「……なん……だと」
私も、昔は何度もさとつむり状態になって親に反抗してましたw
最後のお空の反応にクスッときた。
>いわいる妖怪化
いわゆる妖怪化……の間違いでしょうか?
しかし平日にごろごろするのは、休日のそれよりも至福である。
わき腹をくすぐられるのは全人類、全人型妖怪の弱点ですよね。
言い方ぁ!!!