－１－
月を追いかけていたら気付かぬ間に竹林へ足を踏み入れていた。笹のサヤサヤいう音や周りが暗くなったことはおぼろげに感じていた。けれども微醺状態の俺には些細な変化だった。
（さあて、酒が足りない。来た道を戻るのは据わりが悪いね。この先を行けば或いは里に出るんじゃねえか）
どこぞの兎が見れば「貴方はまっすぐ歩いているつもりでも、傍から見ればフラフラです」とでも言うだろう。既に二合は入っている。だが、まだまだ。俺にとっちゃ本番前の前戯よ。
どこまでも同じ景色が続いている。迷いの竹林と称される所以だ。しかしキレイなお月サマ！ おっ、雲居に隠れやがった。おぼろづくよぉぉにー、しくものはぁなしぃい。
（ん、今なにか光らなかったか？）
竹叢の奥にぼうと灯りが見えた気がする。
「こんな竹まみれの奥地に住んでる？ ははっ、概ね蛍か竹取の姫君だろうよ！」
千鳥足で歩んでいく。「おら、どこみて歩いてんだ！」と竹に絡むのはご愛嬌。
「ほー、屋台か」
赤提灯に「やきとり」の文字。暖簾の向こうからは温かな光と白煙が洩れている。
「よう、やってるかい？」
勢いよく暖簾をかき分けて木製の長椅子に腰掛ける。中には二人いた。どちらも驚いた様子でこちらを見つめている。
「あ、もう閉店？」
「いや、そうではないが・・・」
店主はハゲピカの親父かと思ったら女だ。網の上の鳥をパタパタ扇いでいるのは絹のような白髪の女だった。
「おおっ、こんな美人がやってるとはな！」
客と思しき、これも美女がくすくす笑う。
「美人だって、妹紅」
「厄介な客が来たもんだ」
白髪は苦笑いを浮かべる。
「何にする？ もう在庫がないよ」
「酒があればいい。剣菱はある？ あれが日本一美味い酒なんだよ」
汚いコップにとくとくと剣菱が注がれる。まさかあるとはね！
－２－
「くーっ、五臓六腑にしみわたる！」
妹紅と呼ばれた女が注いだのは剣菱とは違ったが、辛口の悪くない酒だった。
「美人がいて不味い酒なんてありゃしねえけどな」
妹紅は呆れ返っている。横の客はまた笑っている。こいつはトサカの付いた中華風のヘンな帽子を被っているが、妹紅に負けない小股の切れ上がった女だ。
「さっきも言ったけど鳥はもうないよ」
トサカのお股から視線を転じて網を見る。いい具合に焦げ目のついたねぎまがある。香ばしい匂いがする。じうじう爆ぜている。トサカはさり気なくスカートの裾を直している。
「これはこちらのお客さんの分だよ」
上目遣いでトサカを見る。その瞳に俺が映っている。
「いいよ、この助平なお兄さんにあげてよ・・・」
よほど悲愴な面持ちをしていたのだろうか、どうぞと言ってくれた。指がすらりとしていて見惚れてしまう。トサカは慌てて引っ込めて、
「なんでもそういう目でみるのね」
もう、といった気色。俺は気分がよくなって一気にグラスを呷った。
（こりゃあ、いい夜。妹紅は気がキツそうだが、トサカは柔和で女らしい。手を出すとすりゃあこいつだ）
横顔を見つめながらそう思った。一方、
（あ、こっちは手が火傷どころか炭化する）
妹紅さんはこちらを睨んでいらっしゃる。
「慧音、なにかいる？」
「俺おかわりね」
「じゃあ・・・つくね」
「はいよ」
妹紅がタッパーから肉団子を取り出した。へえ、似つかわしくねえもん使ってるんだなあ。かますで包んであるのかと思ったが。
「って待ておい！ まだあるんじゃねえかよ！」
「一見さんは酒以外お断りなのだ」
おかわりの剣菱とねぎまが置かれる。妹紅はツンとして、
「こいつも慧音のご温情で食べられるんだ。ありがたく思え」
隣でくすくす笑うのが聞こえる。こ、こいつら！ 俺は俄かコップに手を伸ばす。そしてそのまま天に底を向けて一気に干す。
「ぶはぁー」
ガッと勢いよく台に下ろす。ケレン味たっぷりに妹紅を見てやった。
「ヒュー・・・やるじゃん」
慧音はまた笑う。
「へっ、てめえのそのポン刀で一文字に引き裂いたような愛想のない目も、時には可愛らしくまん丸になるんだな」
「・・・このつくねは私と慧音で頂くことにしよう」
網の上には二本あった。
「す、すみませんでしたぁああ！ そのおぐし、正絹のように滑らかでなんと美しいことだろう！」
「はいはい」
妹紅は苦笑いのような、まんざらでもないような顔で、片方の瞳を一瞬だけとじた。
－３－
ほかほかのつくねに食らいつく。口中にタレと肉の風味が広がっていく。
「うめぇ！ しかも肉が分厚いな。普通の二倍はあるぜ」
網をパタパタしている妹紅に素直な感想を伝える。彼女は注文したずりやせせりやこころを焼いているのだ。慧音はといえば小さな口でつくねに齧りついている。
「慧音さん、食べ切れなかったら俺が代わりに食べますよ」
「遠慮します」
「いいからもう一本頼め。それとさっきから慧音のコップに触りすぎなんだよ」
間違えたフリをして慧音と間接キスをするつもりではない。そんなことをしたって微かに酒と肉の味がするだけだ。狙いはあの指数関数のように美しい指に触ることだ。
（そして手の甲をつねる。睫毛に恥じらいを湛えて俺の方を見ればこっちのもんだ）
「慧音、こいつはお前の手を触ろうとしてるんだ。それ、左側に置くようにしろよな」
（ば、バレバレかーっ！ 妹紅のヤツなかなか鋭いな・・・）
「わかってるわよ。そんなに私の手が触りたいんだったら、ほら」
手をぎゅっと握られる。き、気持ちいい。ひんやりとして滑らかな感触が脳髄をかけめぐる。
「・・・いてっ！」
思い切り甲に爪を立てられた。どういうことなんだ？ これは一体どういうことなんだ？
「私の後をつけるのはやめてね」
（跡をつける！ ちっ、こっちも食えないヤツだ。だが上手いこと言いやがる。諧謔を理解してるいい女だ）
「ちょい便所。あ、財布置いとくから」
「はいよ」
暖簾を捲り上げると月が煌々と輝いているのが見えた。月はその裏側を我々には見せない。常に面（おもて）をこちらに向けている。
（まるで女のようだな。奥ゆかしいと思っても知ることは出来ない。慧音は正にそんな感じだよ。これならいっそサバサバしてそうな妹紅の方が・・・）
曲線を描く小便を見る。同じ曲線でもこっちには美しさのカケラもない。
（ん、そういえば妹紅って催したらどうしてるんだ？ 客が知らないヤツなら店を離れる訳にはいかないよな。ってことは・・・ンフフ、いいこと思いついちゃった）
「ふぅ、ただいま！」
「いかにも済ましてきたってノリで入ってくるんじゃないよ」
台には三個のタネのうち一つずつがなくなったずりとせせりとこころが置いてあった。
「あれ、なんかこの串バランス悪くない？」
思わず慧音の方を見る。
「私じゃないわよ」
「ってことは、妹紅てめぇ！」
「いいじゃないか。私の食べかけだぞ？ 嬉しいんじゃないのか？」
ペロッと舌を出しておどけて見せる。
「ちっ・・・誰が嬉しいんだよ。あっ、それはそうとさ」
「ん、私はオーダーできないぞ？」
「ご指名といえ。まあ、それはいいんだよ。いま便所に行って思ったんだけどさ、妹紅って催したらどうしてんの？」
隣で慧音がふきだした。
－４－
妹紅は網の上の串をくるくる回転させ始めた。俺が追加で頼んだねぎまだ。細っちい腕をしきりに動かしている。慣れた手つきだが、少々せわしくもある。意外とセクハラには弱いらしい。
「なあ、慧音がいない時とか、屋台を離れるわけにはいかないじゃん？ 俺もラーメンやろうと思ってんだけどさ、催したらどうするのかってね、後学の為にも聞いときたいんだよ」
また回転が速くなる。もはや耳まで真っ赤だ。
「やっぱり屋台を離れるの？ それでその辺の・・・」
ギロリと睨まれる。だがここで屈してはいけない。ていうかもっとくれ！ その剃刀のように鋭い眼差しをおくれ！
「おしっこに行きたくなって、誰もいなくなったら、その・・・」
「ずっといたら？」
慧音が若干引いているかも知れない。でもいいんだ。なんせ酔っ払いの言うことだもん！
「ずっといたら・・・って、何でそんなこと答えないといけないんだ！」
ズドンッという音がしたかと思うくらいに強く、台に剣菱とねぎまが置かれた。
「いや何事においても先達はあらまほしけりと言うじゃないか。ね、どうするの？ ねね？」
慧音がくすくす笑う。お、こいつもノってきてるな。よし、ここらで畳み掛ける！ 俺はコップを掴んで一気に喉へ流し込んだ。
「ぶへえええええええ！！！！」
え、なんだ、これ？ なんか・・・しょっぱい？
「ん、どうしたんだ？」
「いや、この剣菱・・・なんか・・・」
これ酒じゃないよね？ しかも燗というか、人肌っていうか、なんか生温いんだけど・・・。
「そういや妹紅、最近犬猫が寄って来るんだって？」
慧音がさも思い出したかのように言った。
「うん、あさるんだよね。それだけだったらいいんだけど・・・まあ、こういう場だし言わないけど」
（えっ、こういう場って？ なんか今俺が飲んだのって・・・うわっ、臭いヤバくねこれ！？ うそぉ、まさかそんなことって・・・）
「で、催したらどうするかって？」
「いや・・・もういいかな。今その話をされるとちょっと・・・」
「犬猫はマーキングといって、縄張りを示す為におしっこをするんだってな」
おぇええ。
「慧音ー、ダメだよ、食事の場なんだから」
「あ、そうか。すまんすまん」
はははは。なんてお笑いになるお二人。俺の右手に伝わる生暖かい温度。よくよくみるとちょっと黄味がかったこの液体・・・。
「て、てめぇええ！！！ なんてもん飲ましやがんだあああ！！！」
犬猫の小便を客に出すだなんていい度胸じゃねえか！ もう申し立てはできねえぞ！ 代償としてそのＡカップの胸に唾液を注いでやる！
「ん・・・所望ではなかったのか？」
何故かもじもじする妹紅。さすがの剣幕に臆したか！
「誰が望むかああ！！！ ゲロまみれになってもいいのか！？ 犬猫の小便を飲ましてただでいられると思うなよ！！！」
「えっ？」
「えっ、じゃねえだろクソ尼！ てめぇは」
「それ、犬猫のじゃないよ」
「えっ・・・」
やたらともじもじクネクネする妹紅。
「搾りたての若いやつだけど・・・お気に召さなかったかな？」
搾りたて？ 若い？
「いらないなら下げるから」
妹紅が手を伸ばしてコップを取ろうとした。ああ、これが神の祝福と言うものだろうか。多幸感に包まれた俺は思わずその手を掴んで引き寄せた。
「あっ」
胸の中に確かな感触を覚える。なにかの花のような馥郁たる香りが広がった。指をその髪に回して、優しく梳る。
「愛してるよ」
「な、なにしてんだ馬鹿野郎！」
「ぐあっ！」
顎に頭突きを食らって星を見た。ひ、ひよこちゃんが見える。
「そのひよこでも食ってやがれ！」
慧音がまたくすくす笑っている・・・
意識が遠のいていく・・・妹紅・・・お前は、あの白い花のように芳しい匂いがした・・・。
数日後、俺はまた竹林に足を踏み入れていた。あの後は知らぬ間に竹林の入り口に寝ていたのだ。ただ酔って道端に臥して夢を見ていたのか。いや、確かに俺は二人の美女と楽しいひと時を過ごしたのだ。何故なら・・・俺の右手には絹のように麗しい一本の糸が絡まっていたから・・・。
俺は気にしないけど、中にはオリキャラを嫌う人もいるから、タグに追加するべし。
同人誌の男役をオリキャラとは言わないと思うんで、要らないと思いますよ。