俺たちは待った。
この十年を恋焦がれるように――。
雲の切れ目から青空がのぞき、穏やかな陽光が世界を優しく、暖かく照らしていた。
凍てつく寒さは去り、心地よいまどろみを経て目覚めの季節が訪れる。
静寂の冬が終わりを告げ、入れ替わりにやってきた春が幻想郷に緑の息吹をもたらしていた。
春空の中を、揺らめく蒼い影が行く。緑の髪をたなびかせて。
「宝船か。……宝船ねぇ」
影こと妙齢の女性が独り言ちた。
師匠、姐さんなどの呼び方がしっくりくる顔立ちに、成熟したメリハリの利いた身体つき。
高位の魔法使いを思わせる蒼いとんがり帽子と、同じく蒼い服を身にまとい、手には大きな三日月の杖を携えている。背中では脚まで伸びた緑の髪が風に踊っていた。
「そこいらの雲海を飛んでるらしいけど、見当たらないねえ」
スカートからは見目麗しい脚線美がのぞく……と思いきや、彼女には足がなかった。
ゼリーとも寒天とも蒟蒻ともつかない白い半透明のしっぽが足の名残のようにあるばかりである。
つるりとした質感のそれを、ふよふよひらひらと揺らす彼女は人ではなく、そればかりか妖怪でもなかった。
悪霊、祟り神的存在などと呼ばれる精神体。
彼女の名前は魅魔といった。
博麗神社に開かずの間をこさえて長らく幽居生活を決め込んでいた魅魔だったが、寝惚け眼でぼやっとしていると、何やら霊夢と魔理沙が話しているのが聞こえてきた。
魔理沙曰く、「雲の切れ目を宝船が飛んでいる」、「宝船つかまえると一生不自由しない」とのこと。
気づけば襖に耳を当てていた魅魔は、「面白そうじゃないか」と笑うが早いか、在りし日のスタイルとなって開かずの間より飛び出した。
そして今や幻想郷の空を漂っているというわけだ。
「しかし、たまにゃ外に出るものだね」
大きく身体を伸ばして久しぶりの幻想郷を堪能する。吹いていく風が幽体に心地よい。
こんな何気ない手軽なものも幽居生活にはなかった。なんであんな生活を決め込んだのか自分でも疑問に思う。
幽居中はなんとなく下半身をエビフライにしてみたり、>>301に「でも魅魔様の搾乳ならちょっと見たいかも」と言われて思いっきりブン殴ってみたりと、他にも妙な事をやった気がするが定かではない。
言えるのは、
「やっぱり出番があるのはいいもんだぁね」
という事だ。
宝船探しがてら、魅魔は神社の周辺を飛び回った。スカートを揺らし、髪をなびかせ、幽体のしっぽを泳がせて。
「……うん?」
神社から誰かが飛んでくる。緑の髪、霊夢と対照的な青い巫女服。そして「誰?」と問う間もなくすれ違った。
その瞬間、魅魔の胸にしくりと痛みが走る。
飛んできたのは誰かだけではなかった。紅白の蝶と黒白の魔。馴染みの二人が空を来る。
「久しぶり」と笑いかけた魅魔の横を霊夢は通り抜けた。――そこに誰もいないかのように。
「ちょ、ちょっと!」
魅魔は続いて飛ぶ魔理沙に手を伸ばす。
伸ばした手は愛弟子である少女の身体をすり抜け、宙を切った。
「え……」と漏らす魅魔をよそに、世界が表情を変えた。
光が消え失せ、風景は黒一色に塗り替えられ、すべてが闇の中に消える。
そして何もないところに、足のない悪霊だけがぽつんと残された。
「……あぁ」
魅魔は全てを理解した。
――全ては夢
――覚めることのない、久遠の夢……
――私は……
胎児のように身体を丸め、魅魔は膝を抱えた。透ける尻尾が物寂しげに揺れる。
どことも知れぬ誰もいない場所で来るとも来ないとも知れない日を待つ。
久遠の夢にまどろみつづけて。
「あたしゃ、まだここにいるよ……」