※ このお話は、reconnaissance of wizards~椛・魔法使いたちを視る事~の後日談的なお話になります。
温泉・・・それは最後のフロンティア。
これは、哨戒天狗・犬走椛が鋼鉄の大将棋フレンド・河城にとりと、幻想郷の温泉において休暇を満喫し、湯煙の向こう側を捜索して、親交を深めながら男子未踏の女湯に、勇敢に立ち向かった物語である・・・・・
Spa Trek ~The Next Generation~
【哨戒日誌 3月2日】
魔理沙とアリスのトンデモない所を見てしまった私は、妖怪の山の麓の滝つぼの近くに身を潜めていました。昼間に一度は止まったはずの鼻血が再び出て来てしまい、止血するも空しく、意識が遠のき空を飛ぶ事すらままならぬ状況に追いやられてしまった・・・
「はぁ・・・はぁ、嘘、止まらないなんて。」
比較的タフだと言われる白狼天狗の私でしたが、血を大量に失ってしまうと、死の危険があります。ぼやける意識の中、二人の愛の巣のカーテンが閉じられるのだけを確認した私は、己の死と必死に向き合っていました。立ちくらみを起こした時に通信機を落としてしまい、助けを呼ぶにも呼べず、八方塞がり。哨戒任務を生業とする私は、任務中に命を落とす事も覚悟はしていた。
でも、こんな寒い所で独り寂しく死ぬのは嫌だ・・・
「もみじぃ・・・・椛!!」
意識が闇に吸い込まれる前に私が見た物は・・・
「今、助けてあげるからな!!しっかりして!!」
大粒の涙を流して泣いている、大切な友達のにとりでした。
【哨戒日誌・私的補足 3月6日】
・・・椛
・・・・椛!!
「・・・椛、どうしたんだい?」
「あ、あぁ、ごめんね、考え事をしていた物で。」
やれやれ、そう言いたげなにとりはにまぁと笑っている。いつもの帽子も無く、髪止めすら外した状態である。それもそのはず、私達が今いるのは温泉なのだから。
私とにとりは、今回の偵察任務の慰労と私の湯治も兼ねて、最近妖怪の山に出来たスパ・ホテル「エンタープライズ」に来ています。
今回の任務における目立った外傷は無いので、どちらかと言えば心の傷(?)の湯治をしにきたと言うべきなのでしょうか・・・
「椛は真面目だものねぇ、ああ言うのに対する耐性が無いのも、納得行くねぇ~」
「に、にとり。私はー」
「冗談だよ、私も似たようなもんだから。」
今回のこの湯治は、文様の計らいによる物なんですが、どうせ行くならにとりも連れて行ってあげなさい、と言う事でペアの招待券を頂きました。天狗遣いが荒い文様が、このような優しさを見せてくれたというだけでも何か嫌な予感がしましたが、今回はそれを忘れる事ができる素敵なホテルのなのでして。
「露天風呂周辺、あと窓から人妖の姿が見えなくなる結界が貼ってあるんだなぁ~」
「助かりますよね、ホント。」
妖怪の山、という立地条件もあってこうした対策が万全に取られているのです。やましい事を考えるパパラッチは、文様やはたて様だけじゃないんですよ?
「ま、せっかくの休みなんだし、ゆっくり羽を伸ばさないと勿体ないよ。さぁさ、飲みねぇ、飲みねぇ。」
「ありがとうございま~す。」
お猪口に注がれた日本酒をグイッと飲んで目を閉じる。口の中に広がる芳醇な味を噛みしめ、そっと目を開ける。夕焼けの空に照らされた冬と春の混ざり合った景色が見える。千里眼としばしば皆に言われるが、千里眼であるが故に見てはいけない物も自分の意思に反して見てしまって苦労した事も少なくはない。風景は、そうした苦労も吹き飛ばしてくれる。ほぅ、と溜息を一つ出すと息と共に普段の疲れも溶け出して行くみたいな感じがした。
「にとり、貴女も一献。」
「ありがとなぁ~」
職場の付き合い酒とは違う、友達と酌み交わすお酒。小さなお猪口の水面に映るにとりの顔。とろけた表情を見ているだけで、また鼻の奥が熱くなってきた。
「椛?どうしたんだい?」
「い、いえ。何でもありません。」
私は立ち上がると、頭に巻いていたタオルを取って洗面台の方へ向かいます。頭を冷やさなくてはなりません。そのまま水風呂に飛び込もうと思ったのですが、湯治に行って風邪をひいたとなれば、それこそ本末転倒です。桶一杯の水を被って、大理石の床を眺める。微かに映る私の顔、銀色の髪。そして、冷たさのせいでピンっと立った耳・・・そして、笑顔のにとりだった、にとりは私に近づいて、いつもの元気な声で。
「椛、この前の約束、守らせてー」
「えっ、ホントに良いのですか?」
「うむぅ。他ならぬ椛のためだよ。」
わしゃわしゃと頭を洗って貰う私、ピンっと立った耳ににとりの手が当たったりして、何かむず痒い。普段は私達も使う、機械を作ったり修理したりしているにとりの手。複雑怪奇なからくりを扱う光景は何度も見た事はあるが、ホントに器用な手である事が分かる。
「耳には気を付けて下さいよ。」
「わかってるわかってる~♪」
白狼天狗である私の耳は頭の上にある。故に、洗髪の際は耳も一緒に洗う事になるのだが、あんまりその付近は乱暴にやっていただきたくない。耳はデリケートな部分なんですよ?もし何かあって、職務に影響を及ぼしてはいけませんからね。にとりもその辺をよく分かってくれているので、優しく洗ってくれてます。尻尾がぐで―んとしてそうな心地よさは、自分で洗っていては中々味わえません。
「かけるよ、目閉じててくれよー」
「はーい。」
お湯をかけられた私、かかるお湯が目に入らぬように閉じる。そして、目を開ける。
目の前の鏡に映った私の銀色の髪が、少しだけ輝いて見えた。
「よーし、もう一個、お疲れの椛にオマケを用意したよ。」
「え?それは一体なんです・・・ひゃんっ!!」
「もみじもみもみ~」
今度は肩揉みだ。基本、身体を動かす仕事なので肩コリに悩まされる事はあまり無いのだが、マッサージと言うのはとっても気持ちいい物である。うん、にとりの好意に甘えてしまおう。目を閉じて、ゆっくりと呼吸をする。普段の疲れが体中から抜け出していくみたいな感覚に身を任せていると、弛緩した体の中には活力がみなぎってくる。これでまた働ける・・・そんな事を考えながら、しばしの安らぎを味わう私。
「ほい、完了っと。どう、椛?」
「うん、イイ感じですね。これでまた頑張れますよー」
よかった、笑っているにとりに頷くと。頷き返してくれた。軽くなった肩をくるくる回す。軽快に動く肩の動きには、気分も良くなる。口笛を交じえながら、大きく伸びをしていると横でにとりが頭を洗おうとしていた。まぁ、この機会だし、別に・・・いいよね。
「どうしたの、椛?」
「ん、今日は私に洗わせて欲しいです。にとりも洗ってくれたしー」
「うん、いいよ。さぁ、どんとこい!」
お湯をかけてから、備え付けのシャンプーを泡立てて、にとりの水色の髪に触れる。癖の無い髪を梳いて、丁寧に洗う。私が自分の頭を洗う時とは異なり、耳が頭の上に無いにとり。その点に気を配ると共に、私より髪が若干長いので、癖を取るように洗うのも忘れない。
「あ、こら、椛。くすぐったいぞぉ・・・」
「すみません、ここ・・・ですか?」
「わっ、そこは、やぁめぇろよーぅ!!」
耳の回りに差し掛かった時、にとりがくすぐったそうな声を上げる。耳の位置が違うので、どんな感覚かは分からなかった。しかし、あんまりやりすぎると怒られそうな気がしたため、必要な分だけにしておこう・・・。何回かにとりがひゅいひゅい言った所で、お湯をかけて仕上げると、顔を真っ赤にしたにとりが。
「耳の回りはくすぐったいんだぞー。椛も分かるだろー?」
「ええ、まぁ、確かにそうですけどー」
ジィー・・・カシャ。
温泉が湧き出る音とにとりの声に交じって聞こえた機械音を私の耳が拾い上げた。流石に妖怪の山から魔法の森と言う距離では無理だが、100m先に落ちた針の音ぐらいなら聞き分ける事は出来る。私の頭が、即座に哨戒モードに切り替わる。
「静かに、にとり?」
「ひゅぃっ?」
「今、変な機械音がしました。」
目を閉じて、全神経を聴覚に集中させる。自然と同化し、自然に在らざる物を聴覚だけで割り出す準備だ。温泉の湧きだす音、流れる音・・・途中、何度か脱衣所へのドアの開く音と閉まる音がした。その中に交じるジィーッと言う駆動音を見つけた私は、その音を辿る。一歩、また一歩、歩を進める度に耳障りな機械音が大きくなってくる。どうやら答えに近づいているようだ。
「にとり、刀をお願い。脱衣所に持ってきてるから。」
「お、おぅ。」
音はどうやら、この正六面体のオブジェからしているようです。にとりから愛用の刀を受け取った私は、息を整えた。そして、迷いを断ち切って躊躇わずに私はオブジェに刀を当てて・・・
―力に逆らわず、一刀の下に斬り伏せた!
「手応えあり・・・!!」
過去幾度となく文様のカメラを斬った事があるので斬った感覚を覚えている。右手に残る独特の感覚を鎮めると同時に刀を鞘に納めると、目の前のオブジェが斜めに滑り落ち、狙い取りに両断されたカメラが足元に落ちる。成功だ、後ろでにとりが拍手をしていたので、微笑んで答えた。
「おぉ。流石は椛、良い腕だね。」
「それほどでも。オブジェの修理、後でお願いします。」
「うむぅ。」
器物を損壊した事には変わりはない。修理をその場で手配できたのは良かったが、後で支配人に謝っておかなくては、そんな事を考えながら、私は刀を脱衣所に置いた。
「あぁ、湯ざめしちゃいますね。もう少し浸かり直していきましょうか。」
「そうだね、もう少しゆっくりしてこう。お酒の追加注文はしておこうか?」
「そうですね、飲み直しましょう。」
とんだアクシデントもあったがもう少し、この温泉で友人との語らいを楽しむ事にしよう。私はそう思って、再び温泉に身を預ける事にしました。
【技術屋日誌 三月六日】
温泉でのとんだアクシデントはあったが、それ以外はとっても楽しい温泉旅行を満喫している。温泉の後の食事もとっても美味しかったし、お酒も美味しかった。もうご機嫌だ。
そんな調子で、ホテルのフロントから借りた大将棋を楽しんでいた私と椛であるが、徐々に夜も更けていって。
「ふわぁ・・・眠くなってきたね。」
「そうですね・・・にとり、王手ですよ。」
「しまった・・・!?」
眠気のあまり些細なミスをしてしまった。些細なミスから崩されて行くのが、将棋の恐ろしい所である。椛の打ち手は堅実で、ミスが少ない。私は対照的に大胆な手を使うとよく椛に指摘される。その大胆な手で勝ちを収めた事も多いけど、今のようにミスに正確に付けこまれて負けるケースもままある。
「ちょっと待った・・・むむむむ」
「将棋では待ちませんよー」
名字が犬走なのに待てと言われて待たないのはこれ如何にってところ。打開策を完全に断たれた状態である事が分かった私は、椛に投了を告げた。
「まいったー、投了するー。」
「やったぁ。」
はしゃぐ椛、任務中に受けた心の傷(?)の具合も良好であれば良いんだけど。そんな事を考えながら腕を後ろに投げ出した。
「そろそろ寝ましょうか。」
「そうだね、椛。」
とても綺麗なお部屋にお蒲団二つ。もぞもぞと入ると、少し冷たかった。まだ冬の寒さが残っているのかなぁ?出来るだけ椛の所に寄って、暖を取る私。意図を察知してくれた椛も寄ってきてくれて、しばし身を寄せ合う。とりとめの無い話をしながら、温まるのを待っていた私は、ふと毛むくじゃらの塊に手が触れた。
―椛の尻尾である。白狼天狗内でも非常に毛並みが良いとの評判の尻尾で、触り心地が非常に良いのだ。私は、尻尾を手に納めてもふもふとしてみた。
「もみじもふもふ~」
「ちょっと、何するんですかー」
「私の前に尻尾を出した運の尽きって奴さ。」
ふかふかの尻尾はとっても心地よい。私には尻尾が無いから、触られる感覚がどのような物かは理解できないが、いつもくすぐったそうにしている。お風呂場で耳の回りを洗った時の仕返しをしてやろう。
「いやーふかふかだねぇ。」
「うーん、藍さんには負けますよ、流石に。一本しか無いですし。」
「どれ触るか迷わなくていいんじゃない?おまけに沢山あったら、多分大変だよ?」
「踏まれたりしそうですしねぇ・・・あと、あんまり乱暴に触らないで下さいね。」
「分かってる分かってる。もみじもふもふ~」
ふかふかの尻尾を楽しんでいると、布団があったまってきたのもあって徐々に眠くなってきた。椛からのリアクションも減ってきたので私は、尻尾をもふるのを止めて寝る事にした。椛と温泉入って、おいしいご飯食べて、大将棋もやって、一日楽しかったなぁ。またこんな日があるといいなぁ、そんな事を考えながら私は眠りに付いた。
【哨戒日誌・私的補足 3月7日】
にとりに尻尾を揉まれてしまいましたが、寝付き自体は非常に良くて熟睡でき、とっても良い朝を迎える事が出来ました。
結局、あのカメラを仕掛けた犯人は分からずじまいでした。一番疑うべき文様は、堂々と盗撮はするが隠し撮りはしないと常に言っているし、これまで隠し撮りをしたと言う話は聞いた事はありません。しかし、性質的には似たような物なので止めて欲しいと思うのですが・・・
「楽しかったね、椛。」
「ええ、温泉にゆっくり浸かってご馳走も一杯食べて、リフレッシュできました。また、一緒に来ましょう。」
「うん。また来ようね!」
ホテルの外に出た私達が最初に見た物は、眩い太陽ではなく、眩しいストロボの光と
「特ダネ頂きっ!!」
と叫んで飛び去る文様の姿でした・・・
私は暫くの間はあっけに取られていました、ホテルの中から私達が仲良く出てくるシチュエーションを作る事、それこそが文様の狙いだったのだ。長年お付き合いしているので、文様のクセは良く知っています。
・・・事件が無いなら作れば良い、と言う事です。
このままでは、在りもしない熱愛発覚等といった事実無根の記事を書かれてしまうのは明白。にとりは私にとって、大切な友人なのです。そんな事実無根の記事で彼女が被る迷惑を考えると、文様と言えども、それを赦す訳には行きません。
そう考えた私はすぐに文様の追跡を開始しました。いくら幻想郷最速候補でも私の千里眼からはそう簡単に逃げられません、職務復帰のための準備体操には最適でしょう。
「椛ーっ、私も追うのを手伝うよーっ!」
「ありがとう、では参りましょう。」
後ろに続くにとりと、どこまでも広がる朝の青空。深呼吸をして、気分を切り替えて私は、前を見据えてスピードを上げました。
温泉・・・それは最後のフロンティア。
これは、哨戒天狗・犬走椛が鋼鉄の大将棋フレンド・河城にとりと、幻想郷の温泉において休暇を満喫し、湯煙の向こう側を捜索して、親交を深めながら男子未踏の女湯に、勇敢に立ち向かった物語である・・・・・
Spa Trek ~The Next Generation~
【哨戒日誌 3月2日】
魔理沙とアリスのトンデモない所を見てしまった私は、妖怪の山の麓の滝つぼの近くに身を潜めていました。昼間に一度は止まったはずの鼻血が再び出て来てしまい、止血するも空しく、意識が遠のき空を飛ぶ事すらままならぬ状況に追いやられてしまった・・・
「はぁ・・・はぁ、嘘、止まらないなんて。」
比較的タフだと言われる白狼天狗の私でしたが、血を大量に失ってしまうと、死の危険があります。ぼやける意識の中、二人の愛の巣のカーテンが閉じられるのだけを確認した私は、己の死と必死に向き合っていました。立ちくらみを起こした時に通信機を落としてしまい、助けを呼ぶにも呼べず、八方塞がり。哨戒任務を生業とする私は、任務中に命を落とす事も覚悟はしていた。
でも、こんな寒い所で独り寂しく死ぬのは嫌だ・・・
「もみじぃ・・・・椛!!」
意識が闇に吸い込まれる前に私が見た物は・・・
「今、助けてあげるからな!!しっかりして!!」
大粒の涙を流して泣いている、大切な友達のにとりでした。
【哨戒日誌・私的補足 3月6日】
・・・椛
・・・・椛!!
「・・・椛、どうしたんだい?」
「あ、あぁ、ごめんね、考え事をしていた物で。」
やれやれ、そう言いたげなにとりはにまぁと笑っている。いつもの帽子も無く、髪止めすら外した状態である。それもそのはず、私達が今いるのは温泉なのだから。
私とにとりは、今回の偵察任務の慰労と私の湯治も兼ねて、最近妖怪の山に出来たスパ・ホテル「エンタープライズ」に来ています。
今回の任務における目立った外傷は無いので、どちらかと言えば心の傷(?)の湯治をしにきたと言うべきなのでしょうか・・・
「椛は真面目だものねぇ、ああ言うのに対する耐性が無いのも、納得行くねぇ~」
「に、にとり。私はー」
「冗談だよ、私も似たようなもんだから。」
今回のこの湯治は、文様の計らいによる物なんですが、どうせ行くならにとりも連れて行ってあげなさい、と言う事でペアの招待券を頂きました。天狗遣いが荒い文様が、このような優しさを見せてくれたというだけでも何か嫌な予感がしましたが、今回はそれを忘れる事ができる素敵なホテルのなのでして。
「露天風呂周辺、あと窓から人妖の姿が見えなくなる結界が貼ってあるんだなぁ~」
「助かりますよね、ホント。」
妖怪の山、という立地条件もあってこうした対策が万全に取られているのです。やましい事を考えるパパラッチは、文様やはたて様だけじゃないんですよ?
「ま、せっかくの休みなんだし、ゆっくり羽を伸ばさないと勿体ないよ。さぁさ、飲みねぇ、飲みねぇ。」
「ありがとうございま~す。」
お猪口に注がれた日本酒をグイッと飲んで目を閉じる。口の中に広がる芳醇な味を噛みしめ、そっと目を開ける。夕焼けの空に照らされた冬と春の混ざり合った景色が見える。千里眼としばしば皆に言われるが、千里眼であるが故に見てはいけない物も自分の意思に反して見てしまって苦労した事も少なくはない。風景は、そうした苦労も吹き飛ばしてくれる。ほぅ、と溜息を一つ出すと息と共に普段の疲れも溶け出して行くみたいな感じがした。
「にとり、貴女も一献。」
「ありがとなぁ~」
職場の付き合い酒とは違う、友達と酌み交わすお酒。小さなお猪口の水面に映るにとりの顔。とろけた表情を見ているだけで、また鼻の奥が熱くなってきた。
「椛?どうしたんだい?」
「い、いえ。何でもありません。」
私は立ち上がると、頭に巻いていたタオルを取って洗面台の方へ向かいます。頭を冷やさなくてはなりません。そのまま水風呂に飛び込もうと思ったのですが、湯治に行って風邪をひいたとなれば、それこそ本末転倒です。桶一杯の水を被って、大理石の床を眺める。微かに映る私の顔、銀色の髪。そして、冷たさのせいでピンっと立った耳・・・そして、笑顔のにとりだった、にとりは私に近づいて、いつもの元気な声で。
「椛、この前の約束、守らせてー」
「えっ、ホントに良いのですか?」
「うむぅ。他ならぬ椛のためだよ。」
わしゃわしゃと頭を洗って貰う私、ピンっと立った耳ににとりの手が当たったりして、何かむず痒い。普段は私達も使う、機械を作ったり修理したりしているにとりの手。複雑怪奇なからくりを扱う光景は何度も見た事はあるが、ホントに器用な手である事が分かる。
「耳には気を付けて下さいよ。」
「わかってるわかってる~♪」
白狼天狗である私の耳は頭の上にある。故に、洗髪の際は耳も一緒に洗う事になるのだが、あんまりその付近は乱暴にやっていただきたくない。耳はデリケートな部分なんですよ?もし何かあって、職務に影響を及ぼしてはいけませんからね。にとりもその辺をよく分かってくれているので、優しく洗ってくれてます。尻尾がぐで―んとしてそうな心地よさは、自分で洗っていては中々味わえません。
「かけるよ、目閉じててくれよー」
「はーい。」
お湯をかけられた私、かかるお湯が目に入らぬように閉じる。そして、目を開ける。
目の前の鏡に映った私の銀色の髪が、少しだけ輝いて見えた。
「よーし、もう一個、お疲れの椛にオマケを用意したよ。」
「え?それは一体なんです・・・ひゃんっ!!」
「もみじもみもみ~」
今度は肩揉みだ。基本、身体を動かす仕事なので肩コリに悩まされる事はあまり無いのだが、マッサージと言うのはとっても気持ちいい物である。うん、にとりの好意に甘えてしまおう。目を閉じて、ゆっくりと呼吸をする。普段の疲れが体中から抜け出していくみたいな感覚に身を任せていると、弛緩した体の中には活力がみなぎってくる。これでまた働ける・・・そんな事を考えながら、しばしの安らぎを味わう私。
「ほい、完了っと。どう、椛?」
「うん、イイ感じですね。これでまた頑張れますよー」
よかった、笑っているにとりに頷くと。頷き返してくれた。軽くなった肩をくるくる回す。軽快に動く肩の動きには、気分も良くなる。口笛を交じえながら、大きく伸びをしていると横でにとりが頭を洗おうとしていた。まぁ、この機会だし、別に・・・いいよね。
「どうしたの、椛?」
「ん、今日は私に洗わせて欲しいです。にとりも洗ってくれたしー」
「うん、いいよ。さぁ、どんとこい!」
お湯をかけてから、備え付けのシャンプーを泡立てて、にとりの水色の髪に触れる。癖の無い髪を梳いて、丁寧に洗う。私が自分の頭を洗う時とは異なり、耳が頭の上に無いにとり。その点に気を配ると共に、私より髪が若干長いので、癖を取るように洗うのも忘れない。
「あ、こら、椛。くすぐったいぞぉ・・・」
「すみません、ここ・・・ですか?」
「わっ、そこは、やぁめぇろよーぅ!!」
耳の回りに差し掛かった時、にとりがくすぐったそうな声を上げる。耳の位置が違うので、どんな感覚かは分からなかった。しかし、あんまりやりすぎると怒られそうな気がしたため、必要な分だけにしておこう・・・。何回かにとりがひゅいひゅい言った所で、お湯をかけて仕上げると、顔を真っ赤にしたにとりが。
「耳の回りはくすぐったいんだぞー。椛も分かるだろー?」
「ええ、まぁ、確かにそうですけどー」
ジィー・・・カシャ。
温泉が湧き出る音とにとりの声に交じって聞こえた機械音を私の耳が拾い上げた。流石に妖怪の山から魔法の森と言う距離では無理だが、100m先に落ちた針の音ぐらいなら聞き分ける事は出来る。私の頭が、即座に哨戒モードに切り替わる。
「静かに、にとり?」
「ひゅぃっ?」
「今、変な機械音がしました。」
目を閉じて、全神経を聴覚に集中させる。自然と同化し、自然に在らざる物を聴覚だけで割り出す準備だ。温泉の湧きだす音、流れる音・・・途中、何度か脱衣所へのドアの開く音と閉まる音がした。その中に交じるジィーッと言う駆動音を見つけた私は、その音を辿る。一歩、また一歩、歩を進める度に耳障りな機械音が大きくなってくる。どうやら答えに近づいているようだ。
「にとり、刀をお願い。脱衣所に持ってきてるから。」
「お、おぅ。」
音はどうやら、この正六面体のオブジェからしているようです。にとりから愛用の刀を受け取った私は、息を整えた。そして、迷いを断ち切って躊躇わずに私はオブジェに刀を当てて・・・
―力に逆らわず、一刀の下に斬り伏せた!
「手応えあり・・・!!」
過去幾度となく文様のカメラを斬った事があるので斬った感覚を覚えている。右手に残る独特の感覚を鎮めると同時に刀を鞘に納めると、目の前のオブジェが斜めに滑り落ち、狙い取りに両断されたカメラが足元に落ちる。成功だ、後ろでにとりが拍手をしていたので、微笑んで答えた。
「おぉ。流石は椛、良い腕だね。」
「それほどでも。オブジェの修理、後でお願いします。」
「うむぅ。」
器物を損壊した事には変わりはない。修理をその場で手配できたのは良かったが、後で支配人に謝っておかなくては、そんな事を考えながら、私は刀を脱衣所に置いた。
「あぁ、湯ざめしちゃいますね。もう少し浸かり直していきましょうか。」
「そうだね、もう少しゆっくりしてこう。お酒の追加注文はしておこうか?」
「そうですね、飲み直しましょう。」
とんだアクシデントもあったがもう少し、この温泉で友人との語らいを楽しむ事にしよう。私はそう思って、再び温泉に身を預ける事にしました。
【技術屋日誌 三月六日】
温泉でのとんだアクシデントはあったが、それ以外はとっても楽しい温泉旅行を満喫している。温泉の後の食事もとっても美味しかったし、お酒も美味しかった。もうご機嫌だ。
そんな調子で、ホテルのフロントから借りた大将棋を楽しんでいた私と椛であるが、徐々に夜も更けていって。
「ふわぁ・・・眠くなってきたね。」
「そうですね・・・にとり、王手ですよ。」
「しまった・・・!?」
眠気のあまり些細なミスをしてしまった。些細なミスから崩されて行くのが、将棋の恐ろしい所である。椛の打ち手は堅実で、ミスが少ない。私は対照的に大胆な手を使うとよく椛に指摘される。その大胆な手で勝ちを収めた事も多いけど、今のようにミスに正確に付けこまれて負けるケースもままある。
「ちょっと待った・・・むむむむ」
「将棋では待ちませんよー」
名字が犬走なのに待てと言われて待たないのはこれ如何にってところ。打開策を完全に断たれた状態である事が分かった私は、椛に投了を告げた。
「まいったー、投了するー。」
「やったぁ。」
はしゃぐ椛、任務中に受けた心の傷(?)の具合も良好であれば良いんだけど。そんな事を考えながら腕を後ろに投げ出した。
「そろそろ寝ましょうか。」
「そうだね、椛。」
とても綺麗なお部屋にお蒲団二つ。もぞもぞと入ると、少し冷たかった。まだ冬の寒さが残っているのかなぁ?出来るだけ椛の所に寄って、暖を取る私。意図を察知してくれた椛も寄ってきてくれて、しばし身を寄せ合う。とりとめの無い話をしながら、温まるのを待っていた私は、ふと毛むくじゃらの塊に手が触れた。
―椛の尻尾である。白狼天狗内でも非常に毛並みが良いとの評判の尻尾で、触り心地が非常に良いのだ。私は、尻尾を手に納めてもふもふとしてみた。
「もみじもふもふ~」
「ちょっと、何するんですかー」
「私の前に尻尾を出した運の尽きって奴さ。」
ふかふかの尻尾はとっても心地よい。私には尻尾が無いから、触られる感覚がどのような物かは理解できないが、いつもくすぐったそうにしている。お風呂場で耳の回りを洗った時の仕返しをしてやろう。
「いやーふかふかだねぇ。」
「うーん、藍さんには負けますよ、流石に。一本しか無いですし。」
「どれ触るか迷わなくていいんじゃない?おまけに沢山あったら、多分大変だよ?」
「踏まれたりしそうですしねぇ・・・あと、あんまり乱暴に触らないで下さいね。」
「分かってる分かってる。もみじもふもふ~」
ふかふかの尻尾を楽しんでいると、布団があったまってきたのもあって徐々に眠くなってきた。椛からのリアクションも減ってきたので私は、尻尾をもふるのを止めて寝る事にした。椛と温泉入って、おいしいご飯食べて、大将棋もやって、一日楽しかったなぁ。またこんな日があるといいなぁ、そんな事を考えながら私は眠りに付いた。
【哨戒日誌・私的補足 3月7日】
にとりに尻尾を揉まれてしまいましたが、寝付き自体は非常に良くて熟睡でき、とっても良い朝を迎える事が出来ました。
結局、あのカメラを仕掛けた犯人は分からずじまいでした。一番疑うべき文様は、堂々と盗撮はするが隠し撮りはしないと常に言っているし、これまで隠し撮りをしたと言う話は聞いた事はありません。しかし、性質的には似たような物なので止めて欲しいと思うのですが・・・
「楽しかったね、椛。」
「ええ、温泉にゆっくり浸かってご馳走も一杯食べて、リフレッシュできました。また、一緒に来ましょう。」
「うん。また来ようね!」
ホテルの外に出た私達が最初に見た物は、眩い太陽ではなく、眩しいストロボの光と
「特ダネ頂きっ!!」
と叫んで飛び去る文様の姿でした・・・
私は暫くの間はあっけに取られていました、ホテルの中から私達が仲良く出てくるシチュエーションを作る事、それこそが文様の狙いだったのだ。長年お付き合いしているので、文様のクセは良く知っています。
・・・事件が無いなら作れば良い、と言う事です。
このままでは、在りもしない熱愛発覚等といった事実無根の記事を書かれてしまうのは明白。にとりは私にとって、大切な友人なのです。そんな事実無根の記事で彼女が被る迷惑を考えると、文様と言えども、それを赦す訳には行きません。
そう考えた私はすぐに文様の追跡を開始しました。いくら幻想郷最速候補でも私の千里眼からはそう簡単に逃げられません、職務復帰のための準備体操には最適でしょう。
「椛ーっ、私も追うのを手伝うよーっ!」
「ありがとう、では参りましょう。」
後ろに続くにとりと、どこまでも広がる朝の青空。深呼吸をして、気分を切り替えて私は、前を見据えてスピードを上げました。
3月14日が楽しみだ!