真っ暗な場所は嫌いだった。
昼間は生命の存在が感じられ、雑音が重なり合ったを喧騒を生み出す場所が、一転して静まり返った闇に包まれる。闇には結界の裂け目があることも多くて、うかつに近寄ると飲み込まれてしまいそうなのが怖い。
昼間の喧騒をたっぷりと吸い込み、なおおいでおいでと不気味に誘ってくるようにも思える。だから恐ろしくて、学校なんかに忘れ物を取りに戻るような事態にならないよう細心の注意を払っていたものだ。
ところが今日、調べ物をしようと入った部室に財布を置き忘れてしまった。
オカルトサークル協同の部屋で、ドアの鍵が壊れているため、個人の荷物はロッカーにしまってある。うず高く積まれ、散乱した書籍で電灯のスイッチは塞がれ、足元はおぼつかない。
照明になるものはなかった。携帯電話は……電池切れだ。ドアを全開にしてなるべく光を入れようとしたが、ほとんど効果はなさそうだった。
ガサッ、ガサッ、これは自分の足音なのか、それも確証が持てない闇。ごく薄く月明かりが差すのが、逆に恐ろしい。恐怖と焦りで死ぬほど胸が締めつけられる。背中がじっとり汗ばみ、歯の根が合わなくなる。やっとのことでそれらしきロッカーにたどり着く。安堵したその時、ドサリ、本が崩れる音がした。私と離れたところで。
……誰かがいる!
その瞬間、ぎゅうっと心臓が押し潰され、
血流が逆流し、
胃袋が上に締め上げられ、
身体が硬直し、
息が止まり、
そして、
「メリー?」
……膝の力が抜けた。
聞き覚えのある声――蓮子が、携帯の光を頼りに、くずおれる私を優しくキャッチした。
「どうして、ここが」
「見かけたのよ、さっき部室に入るとこ」
安堵に震える身体を、蓮子はそっと撫でてくれる。無意識のうちに、シャツの裾をがっちり掴んでいた私の手を、蓮子の手が包み込んだ。温かい。
こうやって蓮子がそばにいてくれれば、吸い込まれそうな闇も怖くないかも、と感じた。思えば蓮台野に行った時も、蓮子の存在を感じられたから怖くはなかったのかもしれない。
万が一結界の裂け目に飲み込まれたとしても……蓮子が、一緒だ。むしろ2人っきりになれるのだったら、それはそれで……なんてね。
「それにしても、そんなに暗闇がダメなら、私を呼んでくれればよかったのに」
「……ケータイの電池、切れてたの」
「それは運の悪い。でも私と会えたから、それは不幸中の幸いかもね」
「ええ、よく来てくれたわね。……ありがと」
「そりゃ、まあ」
そう言うと、蓮子はそっと私を抱き寄せた。普段は触ろうともしないくせに。こういう2人でいるときだけ、蓮子は恋人らしいことをしてくれる。もちろん私たちの関係は世間的に見て好ましいものではないと分かっているから、それは仕方のないことだ。だから嬉しくて、私も蓮子の背中に腕を回した。
固く裾を握っていた手が、いつの間にかほどけて、蓮子の手と、指と指を絡め合わせていた。
ちょっと冷たくて柔らかい、難解な数式を解いていく手。真っ直ぐ方位を指して、私を導く手。ぎこちなく私を愛してくれる手。その感触が暗闇で敏感になった神経を伝わって、私の脳みそからいろんな記憶を引っぱり出す。
「そりゃ、まあ、……その続きは?」
「……メリーが一人で真っ暗な部室なんかに入ったらさ。行かざるを得ないでしょ」
「ふふ、じゃあ……なんで行かざるを得ないの?」
「言わせるんだ……それ」
ちょっとしたイタズラ心で投げた言葉に、蓮子のシルエットが俯いた。真っ暗でよく見えないけれど、蓮子の顔はきっと真っ赤だ。
私は知っている。蓮子の言いたい言葉が何なのか、普段の蓮子はめったにそういうことを言いたがらないとか、そしてその言葉を耳まで真っ赤になりながら口にする蓮子の可愛さは世界一だってことを。
「……いや。その。メ、メリーが。頼りないのよ。大事だから……好きだから、さ、心配なるわけ。それだけ」
ひどくぶっきらぼうな口調も、照れ隠しのためってことだって、私は知っている。
「よく言えましたー」
「バカにしないで」
ぷいっ、と蓮子のシルエットはそっぽを向いてしまった。
でも、手はつないだまま。そんな蓮子が、私はどうしようもなく好きで、どんなことをしている時よりも幸せになれる。
「ごめん、蓮子。こっち向いて」
「……ら、許してあげる」
「え?」
「二度も言わせないでよ。恥ずかしいんだから。……ちゅー、してくれんなら、許したげるよ」
小さくそうささやいて、蓮子は顔をこちらに向けた。私は空いている手で、蓮子の頬をそっと触った。熱くて、なめらかで、大好きな、この感触。見えないことでなおさら綺麗なように思えて、気持ちが高ぶってくる。
そのまま、私は蓮子に口付けた。ん、と漏れるちいさな吐息。それがひどく幸せな暖かさで、このまま唇を離したくない。
長く、長く、まだまだ、長く。頭の芯がぼうっとしてきて、胸の奥底が燃えるように熱く、のぼせてしまいそうな幸福感が押し寄せてくる。
手をぎゅっと握られた。私もぎゅっと握り返す。と同時に、舌で蓮子の唇をこじ開けた。にゅるり、と粘膜同士が触れ合う感触。最初は戸惑ったように縮んでいた蓮子の舌も、私のそれと絡めるように動く。ちゅっ、くちゅ、微かな水音の主は、火傷しそうなほど熱くて、酸素が途絶えて苦しくて、しかしとろけそうなほど、甘い。
「ん……んあ、むぐっ」
苦しかったのだろう、蓮子の手が大きく空を薙ぎ、積まれた本が派手な音を立てて崩れた。私はびっくりして、唇を離してしまった。唇から垂れた銀色の糸がわずかな光に一瞬輝いて、すぐに消えた。
「ぷは、ハァ、メリー……」
「ハァ、蓮子、ごめん、つい……苦しかった?」
「馬鹿メリー。あそこまでやれなんて、言ってないわよ」
不機嫌そうな低い声。でも熱っぽい手は私の手をしっかりと握りしめている。そして蓮子は、私の耳に唇を近づけて、そっと囁いた。
「もっと別のところで。続き、……ね」
蓮子と一緒なら、暗闇も怖くはない。
大学を出て少し歩いてから、財布のことをすっかり忘れていたのに気がついた。でもそれでもよかった。
「そっか、財布忘れたらメリーは帰れないわよね。でも、そしたらウチに来ればよかったのに」
蓮子の家は大学から歩いて10分のアパートなのだから。
「そうね、けどケータイ電池切れだったから……」
「いずれにしろ、今晩は泊まってくことね」
そして蓮子は突然立ち止まり、顔を赤らめながらそおっと耳元で囁いた。
「……つづき。ね?」
その日以来、蓮子の家に私のモノが増えていくことになるのだが、それはまた別の話。
昼間は生命の存在が感じられ、雑音が重なり合ったを喧騒を生み出す場所が、一転して静まり返った闇に包まれる。闇には結界の裂け目があることも多くて、うかつに近寄ると飲み込まれてしまいそうなのが怖い。
昼間の喧騒をたっぷりと吸い込み、なおおいでおいでと不気味に誘ってくるようにも思える。だから恐ろしくて、学校なんかに忘れ物を取りに戻るような事態にならないよう細心の注意を払っていたものだ。
ところが今日、調べ物をしようと入った部室に財布を置き忘れてしまった。
オカルトサークル協同の部屋で、ドアの鍵が壊れているため、個人の荷物はロッカーにしまってある。うず高く積まれ、散乱した書籍で電灯のスイッチは塞がれ、足元はおぼつかない。
照明になるものはなかった。携帯電話は……電池切れだ。ドアを全開にしてなるべく光を入れようとしたが、ほとんど効果はなさそうだった。
ガサッ、ガサッ、これは自分の足音なのか、それも確証が持てない闇。ごく薄く月明かりが差すのが、逆に恐ろしい。恐怖と焦りで死ぬほど胸が締めつけられる。背中がじっとり汗ばみ、歯の根が合わなくなる。やっとのことでそれらしきロッカーにたどり着く。安堵したその時、ドサリ、本が崩れる音がした。私と離れたところで。
……誰かがいる!
その瞬間、ぎゅうっと心臓が押し潰され、
血流が逆流し、
胃袋が上に締め上げられ、
身体が硬直し、
息が止まり、
そして、
「メリー?」
……膝の力が抜けた。
聞き覚えのある声――蓮子が、携帯の光を頼りに、くずおれる私を優しくキャッチした。
「どうして、ここが」
「見かけたのよ、さっき部室に入るとこ」
安堵に震える身体を、蓮子はそっと撫でてくれる。無意識のうちに、シャツの裾をがっちり掴んでいた私の手を、蓮子の手が包み込んだ。温かい。
こうやって蓮子がそばにいてくれれば、吸い込まれそうな闇も怖くないかも、と感じた。思えば蓮台野に行った時も、蓮子の存在を感じられたから怖くはなかったのかもしれない。
万が一結界の裂け目に飲み込まれたとしても……蓮子が、一緒だ。むしろ2人っきりになれるのだったら、それはそれで……なんてね。
「それにしても、そんなに暗闇がダメなら、私を呼んでくれればよかったのに」
「……ケータイの電池、切れてたの」
「それは運の悪い。でも私と会えたから、それは不幸中の幸いかもね」
「ええ、よく来てくれたわね。……ありがと」
「そりゃ、まあ」
そう言うと、蓮子はそっと私を抱き寄せた。普段は触ろうともしないくせに。こういう2人でいるときだけ、蓮子は恋人らしいことをしてくれる。もちろん私たちの関係は世間的に見て好ましいものではないと分かっているから、それは仕方のないことだ。だから嬉しくて、私も蓮子の背中に腕を回した。
固く裾を握っていた手が、いつの間にかほどけて、蓮子の手と、指と指を絡め合わせていた。
ちょっと冷たくて柔らかい、難解な数式を解いていく手。真っ直ぐ方位を指して、私を導く手。ぎこちなく私を愛してくれる手。その感触が暗闇で敏感になった神経を伝わって、私の脳みそからいろんな記憶を引っぱり出す。
「そりゃ、まあ、……その続きは?」
「……メリーが一人で真っ暗な部室なんかに入ったらさ。行かざるを得ないでしょ」
「ふふ、じゃあ……なんで行かざるを得ないの?」
「言わせるんだ……それ」
ちょっとしたイタズラ心で投げた言葉に、蓮子のシルエットが俯いた。真っ暗でよく見えないけれど、蓮子の顔はきっと真っ赤だ。
私は知っている。蓮子の言いたい言葉が何なのか、普段の蓮子はめったにそういうことを言いたがらないとか、そしてその言葉を耳まで真っ赤になりながら口にする蓮子の可愛さは世界一だってことを。
「……いや。その。メ、メリーが。頼りないのよ。大事だから……好きだから、さ、心配なるわけ。それだけ」
ひどくぶっきらぼうな口調も、照れ隠しのためってことだって、私は知っている。
「よく言えましたー」
「バカにしないで」
ぷいっ、と蓮子のシルエットはそっぽを向いてしまった。
でも、手はつないだまま。そんな蓮子が、私はどうしようもなく好きで、どんなことをしている時よりも幸せになれる。
「ごめん、蓮子。こっち向いて」
「……ら、許してあげる」
「え?」
「二度も言わせないでよ。恥ずかしいんだから。……ちゅー、してくれんなら、許したげるよ」
小さくそうささやいて、蓮子は顔をこちらに向けた。私は空いている手で、蓮子の頬をそっと触った。熱くて、なめらかで、大好きな、この感触。見えないことでなおさら綺麗なように思えて、気持ちが高ぶってくる。
そのまま、私は蓮子に口付けた。ん、と漏れるちいさな吐息。それがひどく幸せな暖かさで、このまま唇を離したくない。
長く、長く、まだまだ、長く。頭の芯がぼうっとしてきて、胸の奥底が燃えるように熱く、のぼせてしまいそうな幸福感が押し寄せてくる。
手をぎゅっと握られた。私もぎゅっと握り返す。と同時に、舌で蓮子の唇をこじ開けた。にゅるり、と粘膜同士が触れ合う感触。最初は戸惑ったように縮んでいた蓮子の舌も、私のそれと絡めるように動く。ちゅっ、くちゅ、微かな水音の主は、火傷しそうなほど熱くて、酸素が途絶えて苦しくて、しかしとろけそうなほど、甘い。
「ん……んあ、むぐっ」
苦しかったのだろう、蓮子の手が大きく空を薙ぎ、積まれた本が派手な音を立てて崩れた。私はびっくりして、唇を離してしまった。唇から垂れた銀色の糸がわずかな光に一瞬輝いて、すぐに消えた。
「ぷは、ハァ、メリー……」
「ハァ、蓮子、ごめん、つい……苦しかった?」
「馬鹿メリー。あそこまでやれなんて、言ってないわよ」
不機嫌そうな低い声。でも熱っぽい手は私の手をしっかりと握りしめている。そして蓮子は、私の耳に唇を近づけて、そっと囁いた。
「もっと別のところで。続き、……ね」
蓮子と一緒なら、暗闇も怖くはない。
大学を出て少し歩いてから、財布のことをすっかり忘れていたのに気がついた。でもそれでもよかった。
「そっか、財布忘れたらメリーは帰れないわよね。でも、そしたらウチに来ればよかったのに」
蓮子の家は大学から歩いて10分のアパートなのだから。
「そうね、けどケータイ電池切れだったから……」
「いずれにしろ、今晩は泊まってくことね」
そして蓮子は突然立ち止まり、顔を赤らめながらそおっと耳元で囁いた。
「……つづき。ね?」
その日以来、蓮子の家に私のモノが増えていくことになるのだが、それはまた別の話。
大学生カップルがちゅーした後にアパートで二人きりの夜を過ごすとか胸熱
>1
今回の作品は、甘く幸せになるように……と書きましたので、それが伝わっていたようで安心しました。
更に癒やしを感じていただけるとは…ありがとうございます。
アパートでふたりっきりの夜……いいですよね。
>2
蓮メリちゅっちゅは地球の宝だと思います。
蓮メリ……いや、それに限らず百合ちゅっちゅは正義です!