―1―
でかい男だった。
身長は180cm台後半ほど。並の成人男性より頭1つ分は高い。
身に着けている服が、野宿でもしていたかのように薄汚れている。
その服の袖から出た二の腕が太い。
胸も筋肉で前に盛り上がっている。
男は人間ではない。
それは背中から生えている大きな黒い翼を見れば一目瞭然だった。
吸血鬼だ。
名前はレミリア・スカーレット。かつては、紅い悪魔の異名で呼ばれ、恐れられた存在であった。
「美味しそうね」
レミリアが言った。
人間の里のパン屋である。
店主はこの浮浪者じみた外見の男に対して、警戒をあらわにしていた。
「お嬢ちゃん。値ェ張るぞ」
「客に対して礼儀のなってない店ね。コッペパンを3つ頂戴」
「はいよ。60両だ」
「よかったらジャムかマーガリンを塗ってもらえるかしら?」
「いいぜ。ちょっと待ってろ」
店主は店の奥に引っ込んでいった。
その隙にレミリアは店のパンを持てるだけ持って逃げた。
「……はぁはぁ。ここまでくれば大丈夫か」
レミリアは周りに人の姿が見えないことを確認して、盗んできたパンを口に運んだ。
とその時、パンが手からこぼれて地面に落ちてしまった。
「あっ」
パンは砂まみれになった。
「……あむ」
レミリアは構わずそれを拾って口に入れた。
じゃりじゃりと音がした。
味はしない。
まさに砂をかむような食事であった。
レミリアは紅魔館を追放されてから、ずっとこんな具合のホームレス生活を送っているのだった。
追放の理由は簡単だ。
新しい紅魔館の主に追い出されたのだ。
フランである。
妹のフランドールだ。
忘れもしない、まだ自分が紅魔館で無敵を誇っていた日々を…………
―2―
「さあチャンピオンのレミリア・スカーレット! ここで得意技の『レッド・マジック』を使うか!!」
解説の興奮した声が響く。
プロレスリング『紅魔館』。その試合が行なわれている。
レミリアの対戦相手は紅美鈴、中国拳法の使い手である。
その美鈴の首に、レミリアの腕が叩き付けられた。
「ムンッ!」
「おっとお! これは! レッド・マジックをフェイントにした高速の十字切りラリアット『不夜城レッド』だ!!」
美鈴は背中からマットに倒れた。
そのまま起き上がってこなかった。
「対戦相手の紅美鈴立ち上がれません! レミリアがチャンピオンを防衛だあああ!!」
満員の客の歓声が、リング上のレミリアの体に暴風雨のように叩きつけられていた。
カメラも来ている。
視聴率は今日も20%台だろう。
いまや幻想郷イチのプロレス団体と化した『紅魔館』。
その初代チャンピオンが、レミリアだった。
だが、客は知らなかった、レミリアが本当のチャンピオンではないことを。
いや、知っている者があっても、それを言う事はタブーであった。
試合後の控え室。
さっきまでリングで戦っていた美鈴とレミリアが二人でいた。
「いたた……首がもげちゃうかと思いました…………」
「大丈夫だった美鈴? ちゃんとあとで病院行ってCTを受けておくのよ。脳に異常があったらいけないからね」
「わかってます、お嬢様。でも心配いりませんよ。丈夫がとりえの妖怪ですから」
「そう。……それじゃ、これ約束の」
レミリアは美鈴に厚く膨らんだ封筒を差し出した。
中身は金だ。
「あれ? 約束の額より多いんじゃないですか」
「とっておきなさい。最近は景気がいいからね。ボーナスよ」
「わあ、ありがとうございます。それじゃ、また試合があったらよろしくお願いしますね」
注射。
相撲で八百長のことを指す隠語である。
紅魔館でも、こうした試合を指してそう呼んでいた。
そう、レミリアは実力でチャンピオンになっているのではなく、八百長で試合をしていたのだ。
「それでレミリア選手! 今日の対戦相手についてはどうでしたか!?」
「ええ。まあまあ強かったけど、大したことなかったわ。次の相手の十六夜咲夜選手も、3分以内にKOしてあげるわ」
試合後の記者会見。
派手な予告を打ち立てるレミリアだが、これもすでに注射を打った試合である。
『つくり』の試合でも、客が入り、テレビのスポンサーがつけば黒字になる。
紅魔館は、そうやって金を儲けてきたのだ。
しかし、そんな時だった。
「ん? 誰だアイツは?」
記者が見ると、レミリアのいるステージ上に黙ってあがろうとしている人物がいた。
「ちょっと、何勝手にステージに上がろうとしてるの。チャンピオンの会見中よ」
紅魔館の若手レスラー、パチュリー・ノーレッジが止めようとした。
だが、パチュリーがその謎の人物の肩に手を置いた瞬間だった。
「ぬんっ!!」
鋭いパンチがパチュリーの顔面に叩き込まれた。
「むきゅっ!」
パチュリーはその一発でふっ飛ばされた。
たちまち記者たちが騒ぎ始めた。
「う、うわあ! 何者だあいつは!!」
乱入だった。
プロレスではよくある光景だ。
紅魔館の試合でも、こういう乱入騒ぎがおきることはよくあった。
だが、それらは全てレミリアがきちんと事前に話し合って決定したものであった。
今回は、そういう予定はなかったはずだ。
「ふん、何がチャンピオンよ。あんたみたいな弱っちい奴が王者なんて、私は認めないわよ」
「ふ、フラン……!」
レミリアが乱入者の名前を呼んだ。
「一体、何ものなんだ!?」
「まて、紅魔館のレスラー名簿の写真に、同じ人物が載ってるぞ。フランドールという選手だ」
フランドール。
彼女はまぎれもなく天才だった。
身長188cm体重135kgの恵まれた肉体。
それに加え、天性の格闘センスと、ありあまる戦闘への意欲を持っていた。
デビューしたての時期には、いずれチャンピオンになることは確実とまで言われていた。
「それが未だにタイトルの一つももらえない理由がわかる? それはね……、全部! こいつのせいなんだよ!」
唾を吐くようにフランが言った。
「フランあなた……!」
「黙っててよ! もう私はお姉さまに従うのはやめたの! 教えてあげる記者さんたち。そこのチャンピオンは私に負けるのが怖かったから、わざと試合を少なく組ませて、私のランキングを上げようとしなかったのよ! 対決するのを避けたのよ!」
フランの顔は怒りに歪んでいた。
記者たちはレミリアにマイクを向けて詰め寄った。
「今の話は本当なのですかチャンピオン!」
「違うわ! でたらめよ!」
「へェ。そういうなら試してみようよ。次の試合で私とベルトをかけて勝負するの。……それも、プロレスじゃなくて、『格闘ごっこ』で、真の決着をつけようよ」
「なっ!?」
レミリアは驚愕に目を見開いた。
『格闘ごっこ』。それは、幻想郷における伝統の決闘方式である。
素手の格闘で、どちらかが降参あるいは試合続行の意思表示が不可能となるまで戦う。それ以外のルールはない。
フランの提案に対して、レミリアに拒否権は無かった。
レミリアはチャンピオンだ。
それが、ここまで堂々と売られたケンカを逃げては、客が逃げてしまうからだ。
こうして、レミリアとフランの格闘ごっこによる試合が決まったのだ。
―3―
フランの言っていたことは正しい。
レミリアは、フランを避けていた。
わざと、あまり試合を組ませなかった。
それには理由がある。
フランは試合で対戦相手を壊しすぎた。
倒すではなく壊す、狂ったようなファイトスタイルで試合をした。
その危険性から、レミリアはフランを地下に閉じ込めたのだ。
「フラン……あなたはわかってない……プロレスというものを…………」
強いだけでやっていけるか?
実力があればみんながちやほやしてくれるのか?
そんな都合のいい場所。社会のどこにもありはしない。
会社員もヤクザもプロレスラーも同じだ。
人とうまくやっていけない。
そういう奴は、たとえ実力があっても、集団の中で上にはいけない。
人の上に立てない。
そういう者がトップに立てば、その集団はまるごと潰れてしまいかねない。
レミリアは思った。
負けられない、と。
試合当日。
会場は客で埋め尽くされていた。
満員の会場、そのリングで、レミリアとフランは戦った。
壮絶な試合となった。
フランは強かった。
だが、レミリアも強かった。
フランは、レミリアを八百長だけのレスラーだと思っていた。
だが違った。
レミリアもまた強かった。
鍛えあげた肉体と磨き上げた技、一流のレスラーとしての実力を持っていた。
だが、それでもレミリアは普段から本気で戦うということはしなかった。
なぜか?
プロレスのためだ。
自分のためであり、相手のためであり、プロレス全体のためである。
プロレスというもののために、レミリアは本気を出す戦いを避けたのだ。
プロレスの年間試合数は、他の格闘技と比べて異常なほど多い。
プロレスラーは、前の試合のダメージ抜けやらぬままに、次のリングに立たなければならない。
打撲も骨折も体調不良も関係ない。
そういう興行のためには、選手の怪我を少なくすることが大切なのだ。
だから、レミリアは、八百長と呼ばれることになっても、選手のけがを最小限にしようとした。
それが紅魔館の、団体としての指針だった。
(フラン……あなたは正しい。でも、私の考えも間違ってない! 私があなたを止める……!)
試合開始から3分が経っていた。
それまで、立ち技を中心として互角の打ち合いをしていた二人であったが、レミリアが流れを変えた。
音も立てないような動きで、レミリアの体がフランの懐に入り込んだ。
「うっ!?」
「おっとお!!! これはレミリア選手! これまでの立ち技主体のスタイルから、突如のタックル! グラウンド(寝技)に持ち込む気だ!!」
鮮やかな技だった。
レスリングのタックルではない。
フランはレスリングのタックルを警戒していた。
低い体勢から腰に抱きついてくる、そしたらすかさず顔面に膝を突き刺してやる、そう考えていた。
だがレミリアは、胸と胸を密着させるような高いタックルで密着した。
そこから、足を引っ掛けてフランを押し倒した。
仰向けに倒れたフランに、レミリアがまたがる。
完璧な総合格闘家の動きだった。
あっという間に、レミリアがマウント・ポジションの形をとっていた。
「くぅ!!」
フランが体をよじって脱出しようとする。
だが無駄だ。
腹の上にレミリアが乗っている。体は上下左右のどちらにも動かない。
「……フラン。ギブアップするなら、やめてあげてもいいわよ?」
「ええそうね。お姉さまがギブアップするなら、壊さないでおいてあげるわよ?」
上から下へ、レミリアの拳が打ち下ろされた。
ひとつ
ふたつ
みっつ
よっつ
いつつ
むっつ
あたる
全部あたる。
上にまたがっている者と、下に寝かされている者、体勢の差はあまりにも巨大だった。
フランも手を出す。だが、腰を抑えられており腕が伸びない。レミリアの顔まで手が届かない。
レミリアの拳だけが一方的に届く。
次々とフランの顔面に拳が打ち込まれていく。
終わりなのだ。
将棋やチェスでいう詰み(チェックメイト)。
1対1の素手の戦いにおいて、マウント・ポジションを取るとは、すなわちそういうことなのだ。
だが、将棋と格闘で違う点がある。
詰んでも負けにはならない。
負けを認めるか、戦闘不能か、そうならない限り戦いは終わらない。
「フラン! タップしなさい! 本気で殺すわよ!」
レミリアが拳を打ち込む。
打たれた顔が変形するほどの拳を打ち込む。
フランは、それでもタップしない。
タップする気が無いのだ。
駄目だ。
このままでは、フランは死んでもギブアップしないつもりだ。
レミリアは、そこで技を変えた。
「あっと! これはレミリア選手うまい! マウントからのパンチと見せかけて、ガードしていたフランドールの腕をキメた!!」
腕ひしぎ。完璧に入った。
棒のように真っ直ぐ伸びたフランの腕が、レミリアの股の間に挟まれ、手首は両手でつかまれている。
「フラン。最後の忠告よ。ギブアップなさい。じゃないと……折るわ」
返事は…………無かった。
やむをえなかった。
嫌な音がした。
リング下の客でさえその音をはっきり聞いた。
フランの口から高い悲鳴が上がる。
レミリアは立ち上がって、それを背中で聞いていた。
これで終わった。
リングを降りようとした、そのときだった。
レミリアは、リングサイドの咲夜が、自分に向かって何か言っていることに気づいた。
「お嬢様! 後ろ!!」
えっ?
振り向いた時には、遅かった。
レミリアが最後に見たのは、折れていない方の腕を思い切り振りかぶったフランの姿であった。
全力のぶん回しパンチ。それがレミリアの頭を直撃した。
フランは、ギブアップしていなかった。
腕を折られても立ち上がり、攻撃を加えてきたのだ。
試合はフランのKO勝ちだった。
レミリアはチャンピオンベルトを剥奪された。
そして、紅魔館を追い出された。
―4―
体だけが資本だった
でかい体。太い筋肉。
それしかない500歳だった。
他に何も持っちゃいない。
プロレス以外の知り合いもいない。
いくアテなど、あるわけもない。
「……はぁ」
砂のついたパンは、味などしなかった
敗北の味だ。
無味無臭。そして無感動。
「……今の私にはお似合いよ」
フランの提唱した『真剣のプロレス』は、観客たちに多いにウケていた。
レミリアなきあと、フランは新たな紅魔館の主として、絶対真剣主義を打ち立てた。
レスラーに八百長も手抜きも許さない。
試合はすべて真剣勝負であること。
客は多いに沸いた。
テレビの視聴率もどんどん上がっていった。
だが、レミリアは思う。
あんなもの、いつまでも続けられるものではない。
美鈴はどうしただろう。
咲夜は。
パチェや小悪魔。
もっと下のランクの、チルノやルーミアなどの若手選手たち。
レミリアは彼女らが例外なくかわいかった。
ケガをして、引退になって、食うに困るようなことだけはあってほしくないと思っていた。
だが、真剣のプロレスを毎日して無事なレスラーなど一握りだ
それこそ、フランだけかもしれない。
試合で負けて大怪我をして、引退になった選手は山ほどいるだろう。
そういう選手は、テレビには映らない。新聞には載らない。
ただ、勝者だけが活字となり映像となる。
「……もう関係ないことよ」
「嘘をつくんじゃねえぜ」
「!?」
いつから居たのか。そこには、パンツ一丁の男がいた。
しかもマスクを被っており顔は見えない。体は異常なマッチョだ。
「誰よ!?」
「そんなこたァどうでもいいのぜ! それよりお前は逃げてるのぜ!」
びしっ、とレミリアを指差して変態マスクが言った。
「に、逃げる……!? 私がいつ逃げたっていうの!」
「今まさにだぜ。敗北とは一時の負けのことではない、自分自身が諦めたときが本当の敗北。お前は、諦めることをしていない! だったら戦うのぜ!」
「戦う……? でも、私じゃフランには……」
「勝てないっていうのか? じゃあ、誰が奴を止めるんだぜ!?」
「……そうだ、私が止めないと。私がフランを止めてあげないといけないんだ……!」
なぜなら、彼女は……
私にとって、たった一人の『妹』なのだから……!
その日からレミリアの特訓の日々が始まった。
筋力トレーニング、ランニング、食事制限、
精神修行まで含めた、あらゆる過酷な練習を己に課したレミリア。
小便には血が混じった。
筋肉痛でずたずたの体を、筋が断裂する寸前まで痛めつけた
大好物だった紅茶やお菓子もやめた。
ボディービルダーが裸で逃げ出すような徹底した栄養管理とトレーニングを行なった。
そして、ついに決戦の時がやってきた。
某月某日、プロレスリング『紅魔館』試合会見。
「えー、それでは、今回の試合はバトルロワイヤルということですが」
「うん。だってみんな全然強くないから、1対1じゃ遊んでもつまらないもん」
「しかし、4人いっせいに戦って、全員があなたを狙ったら大変ですよ!」
記者の質問に対して、フランは薄く笑っていた。
「他の選手たちはどうなんですか?」
他の選手とは、美鈴と咲夜とパチュリーであった。
「え、ええ。もちろん全力で戦いますよ!」
「……そうね」
「頑張るわ」
そういいつつも、3人が3人、体中ぼろぼろだった。
無理もない。毎回真剣の勝負をし続ければ、いかに屈強なレスラーといえども体が持つわけがない。
元気なのはフランだけだった。
その時、会見場の扉が勢い良く開け放たれた。
「その試合待った!」
「お姉さま……?」
「お、おい! レミリア・スカーレットだぞ!」
「乱入だ!」
喧騒が広がる。
レミリアは構うことなく会見場に歩み寄った。
「お、お嬢様……」
「みんな、よく頑張ったわね。でももういいの。ここからは私の戦い。これは、私がつけないといけない決着なのよ」
レミリアがフランを見据えて言った。
フランは口元に笑みを浮かべ、その視線を受けている。
「ふん。何度でも叩き潰してあげるわ……!」
紅い眼と紅い眼がお互いを見詰め合っていた。
―5―
再試合。しかし、この前の試合とは逆の展開となった。
試合開始直後から、あきらかにレミリアが押されていた。
あんなにトレーニングしたのに。
だが、そこが決定的な差だった。
トレーニングなら、フランだってしている。
フランはもともと戦闘については天才的なセンスの持ち主だった。
それが、最近はいつも試合をしており、その経験によってさらに強くなっていた。
一方のレミリアは、試合から遠ざかっていた。
実戦のカンが衰えているのだ。
「ほらほらお姉さま!? どうしたの! みんなのために頑張るんじゃなかったの!?」
「くっ! ぐぅ……!」
フランの攻撃が一方的にレミリアを捉える。
レミリアも手を出す。だが、あたらない。
速さも力強さも互角のはず。それでもレミリアの攻撃だけが届かない。
「あっと! またしてもフラン選手の攻撃が入った!! これはレミリア選手! やはりブランクが厳しいか!!」
「お嬢様っ!」
「レミリア様! しっかり!」
リング下では、紅魔館の選手たちがレミリアを応援していた。
「ま、負けられない……負けてたまるもんですか……!」
「ふん。所詮お姉さまは八百長レスラーよ。真面目な試合なんて、数えるくらいしかやったことない。でも私は違う。いつも真剣勝負のことを考えてきた。お客さんにだって嘘をつかない。お姉さまは間違ってる! 正しいのは私なんだ!」
フランの繰り出した技がレミリアを捉えた。
隙が出来た、その瞬間にフランはレミリアの髪を手で掴んだ。
「うあっ!」
「おっと! これはフランドール選手! レミリア選手の髪を鷲掴みにした! これはまさか……!」
「あっはははは!! 壊れちゃえ!!」
「ぐあっ! うぎっ! あぐっ!」
「出たああ! 相手の髪を掴んで動きを封じての顔面への連打、フランドール選手の得意技『スターボウブレイク』だああああ!!」
通常、どの格闘技においても反則となる禁忌の技。しかし、この幻想郷の決闘法、格闘ごっこには反則などない。
容赦のない拳が次々とレミリアの顔に突き刺さっていった。
「どうだ! 強いのは私だ! 私がチャンピオンなんだ!!」
火を吐くような口調でフランが叫ぶ。
「今までだってそうだ! 私は私の敵を全部壊してきた!」
拳を叩き込みながら叫ぶ。
「誰であろうと私より上であることは認めない! 私が一番なんだ!!」
「……違うわね」
「なに?」
「フラン。あなたはチャンピオンじゃない。まして、人の上に立つものの器でもない」
人の上に立つっていうのは、
人を叩きのめして、無理やり言う事を聞かせることじゃない。
強いとか、弱いとか、関係ない。
「レミリアさまー! 頑張ってください!」
「お嬢様あ!」
「レミリアー!」
リング下から歓声が聞こえた。
紅魔館の選手達の声だ。
みな、レミリアを応援していた。
観客たちも同じだった。
「うおお! 頑張れレミリアー!」
会場中に、レミリアへの応援が響き渡っていた。
「レッミリア! レッミリア!!」
「う……く……!」
フランは、泣きそうな顔でその声を聞いていた。
フランは思った。
なんでみんな私を応援してくれないの?
チャンピオンは自分なのに。
今だって、勝ってるのは私の方なのに。
なんで、みんなお姉さまを応援するんだ。
なんで、みんな私を応援してくれないんだ。
なんで?
なんで!?
なんで!!
「……フラン。あなたは強い。でも、それだけで勝っても、駄目なのよ。私が、教えてあげるわ」
「黙れえええ!!」
フランが拳を振り上げる。
レミリアは、髪を捕まれている。だから逃げられない。前にも後ろにも横にも逃げられない。
下にしゃがむことも無理。だが、唯一移動可能な方向がある。
「おおおおお!!」
「なっ!?」
「これは! レミリア選手が地面を蹴って、髪を掴んでいるフランドール選手の左腕から背中にかけて足を絡みつかせた!」
飛びつき逆十字。
完璧に決まるかに見えた。が……
「うああ!!」
フランは、とっさに体をひねってかわした。
鋭い避けだった。
一流のレスラーでなくては、本気で練習を積んでいなければ、この動きはできない。
そうだ。
フランは、
自分は、誰よりも練習してきた。
「ジム内の誰よりも、いや、幻想郷中のレスラーに負けない練習をしてきた。その私が負けるわけがない!!」
レミリアは、飛びつき逆十字の失敗から、まだ立ちあがる途中だった。
フランは一気に必殺の攻撃に出た。
「おっとおお!! フランドール選手! 後ろに向かって飛んで、ロープに深くよりかかった! これはまさか!!」
「くらえ! 禁忌『レーヴァテイン』!!」
ロープの反動を利用して、フランは一気にレミリアに向かって飛んだ。
凄まじい勢い、それを利用して振り下ろされる必殺の打撃。
レミリアは、避けない。
いや、避けられない。
それまでの攻撃が効いているのだ。
レミリアの体には、もうこのフランの攻撃を素早い動きで避ける程の力が残されていなかった。
「お嬢様ぁ!」
「……負けられない、負けるわけには……いかない!」
フランの全力の打撃はあまりにも強烈だ。
一撃目を防御しても、そのまま連続でもらい続ければ防御を貫通してダメージをくう。
倒れたらもう二度と立ち上がらせてはもらえない。
避ける事も受ける事もできない。あとは、迎え撃つしかない。
どうやって?
どうやって、ではない。
考えるよりも先に体が奔った。
「おおおおおおおお!!!!」
「うあああああああ!!!!」
乾いた打撃音が鳴った。
リング上は時間が止まったようになっていた。
豪速度でレミリアに向かって打撃を繰り出していたはずのフランが、ぴたりと動きをとめて、ただ立っている。
その胸の中央に、レミリアの拳があてられている。
レミリアも動かない。
拳を突き出している。
右拳だ。
踏み込んだ足も右足。
順突き、直突きなどと呼ばれる形の打拳だった。
いや、それよりも、むしろボクシングのジャブに近かった。
「し、しかし……! 一体なぜ、その場から打った速いパンチで、フラン選手が動きを止めたのか……おや!? れ、レミリア選手! フランドール選手に背中を向けて、リングを降りようとしているぞ!?」
レミリアもフランも黙ったままだった。
「…………」
「…………」
「フランドール選手はまだ立っているぞ! これは、試合放棄か!?」
と、そこでようやく、
フランの体が、まるで棒が倒れるように、リングへと沈んでいった。
フランはすでに意識を失っていた。
必殺『ハートブレイク』、心臓への鋭い衝撃によって一瞬で意識を刈り取る、レミリアの技だ。
ゴングが鳴り響いた。
試合終了であった。
―6―
試合後の選手控え室に、記者達が詰め掛けていた。
「えー、それでは勝ちましたレミリア選手のインタビューを……うわあ!?」
「おめでとうございますレミリア様!」
「必ず勝つと信じていました。お嬢様……てあれ?」
記者たちを押しのけて控え室の扉をあけた紅魔館のメンバーたちが見たのは、誰もいない控え室であった。
「れ、レミリアがいない!?」
「フランドール選手の控え室にも誰もいなかったぞ! どうなってやがる!?」
冷たいコンクリート壁の通路。
フランは、傷の手当もしないまま、一人そこを歩いていた。
「はぁ、これでまた何もかも失くしちゃった…………」
「どこへ行くのフラン?」
その声がした方向を見ると、レミリアが立っていた。
「お、お姉さま……!」
「こんなことだろうと思って、抜け出してきたわ」
「……ふん。ほっといてよ。私は負けた。もうチャンピオンじゃない。どうせ、負けた私の言う事を聞いてくれる人なんていない。お姉さまにそうしたように、私も紅魔館を出て行くしかないのよ」
「そんなことないわよ。こっち来てみなさい」
「えっ!?」
ぐいっとフランの腕を引いて、レミリアは一つの扉を開け放った。
それは、選手用の通路から、一般の客のための通路へ出る扉であった。
さっきまで二人の試合を見て、帰る途中の客でいっぱいだった。
客たちはすぐ二人に気づいた。
「お、おい! あれひょっとしてレミリア選手とフラン選手じゃねえか!」
「本当だ! 握手してもらおう!」
「レミリア選手! サインくれえ!」
「俺はフラン選手のファンだぜ! すごかったぞ! また試合してくれ!」
「ああ! フランー! 次も頑張れよお!」
「フーラーン! フーラーン!」
客たちが思い思いに声を掛ける。
「み、みんな…………」
「フラン。あなたを見てくれる人はいるわ。ここに、こんなに。だからね、そんなに全部一人で抱え込もうとしないで」
「……ぅ、うん!」
こうして、
紅魔館はまたレミリアをチャンピオンとして、元の姿に戻った。
選手達は共に練習をし、共に一つの鍋をつつきあってメシを食い、夜はせまい宿舎で共に寝る。
レミリアは、その空間がこの世のどこよりも好きだった。
紅魔館は今日も平和だった。
完
でかい男だった。
身長は180cm台後半ほど。並の成人男性より頭1つ分は高い。
身に着けている服が、野宿でもしていたかのように薄汚れている。
その服の袖から出た二の腕が太い。
胸も筋肉で前に盛り上がっている。
男は人間ではない。
それは背中から生えている大きな黒い翼を見れば一目瞭然だった。
吸血鬼だ。
名前はレミリア・スカーレット。かつては、紅い悪魔の異名で呼ばれ、恐れられた存在であった。
「美味しそうね」
レミリアが言った。
人間の里のパン屋である。
店主はこの浮浪者じみた外見の男に対して、警戒をあらわにしていた。
「お嬢ちゃん。値ェ張るぞ」
「客に対して礼儀のなってない店ね。コッペパンを3つ頂戴」
「はいよ。60両だ」
「よかったらジャムかマーガリンを塗ってもらえるかしら?」
「いいぜ。ちょっと待ってろ」
店主は店の奥に引っ込んでいった。
その隙にレミリアは店のパンを持てるだけ持って逃げた。
「……はぁはぁ。ここまでくれば大丈夫か」
レミリアは周りに人の姿が見えないことを確認して、盗んできたパンを口に運んだ。
とその時、パンが手からこぼれて地面に落ちてしまった。
「あっ」
パンは砂まみれになった。
「……あむ」
レミリアは構わずそれを拾って口に入れた。
じゃりじゃりと音がした。
味はしない。
まさに砂をかむような食事であった。
レミリアは紅魔館を追放されてから、ずっとこんな具合のホームレス生活を送っているのだった。
追放の理由は簡単だ。
新しい紅魔館の主に追い出されたのだ。
フランである。
妹のフランドールだ。
忘れもしない、まだ自分が紅魔館で無敵を誇っていた日々を…………
―2―
「さあチャンピオンのレミリア・スカーレット! ここで得意技の『レッド・マジック』を使うか!!」
解説の興奮した声が響く。
プロレスリング『紅魔館』。その試合が行なわれている。
レミリアの対戦相手は紅美鈴、中国拳法の使い手である。
その美鈴の首に、レミリアの腕が叩き付けられた。
「ムンッ!」
「おっとお! これは! レッド・マジックをフェイントにした高速の十字切りラリアット『不夜城レッド』だ!!」
美鈴は背中からマットに倒れた。
そのまま起き上がってこなかった。
「対戦相手の紅美鈴立ち上がれません! レミリアがチャンピオンを防衛だあああ!!」
満員の客の歓声が、リング上のレミリアの体に暴風雨のように叩きつけられていた。
カメラも来ている。
視聴率は今日も20%台だろう。
いまや幻想郷イチのプロレス団体と化した『紅魔館』。
その初代チャンピオンが、レミリアだった。
だが、客は知らなかった、レミリアが本当のチャンピオンではないことを。
いや、知っている者があっても、それを言う事はタブーであった。
試合後の控え室。
さっきまでリングで戦っていた美鈴とレミリアが二人でいた。
「いたた……首がもげちゃうかと思いました…………」
「大丈夫だった美鈴? ちゃんとあとで病院行ってCTを受けておくのよ。脳に異常があったらいけないからね」
「わかってます、お嬢様。でも心配いりませんよ。丈夫がとりえの妖怪ですから」
「そう。……それじゃ、これ約束の」
レミリアは美鈴に厚く膨らんだ封筒を差し出した。
中身は金だ。
「あれ? 約束の額より多いんじゃないですか」
「とっておきなさい。最近は景気がいいからね。ボーナスよ」
「わあ、ありがとうございます。それじゃ、また試合があったらよろしくお願いしますね」
注射。
相撲で八百長のことを指す隠語である。
紅魔館でも、こうした試合を指してそう呼んでいた。
そう、レミリアは実力でチャンピオンになっているのではなく、八百長で試合をしていたのだ。
「それでレミリア選手! 今日の対戦相手についてはどうでしたか!?」
「ええ。まあまあ強かったけど、大したことなかったわ。次の相手の十六夜咲夜選手も、3分以内にKOしてあげるわ」
試合後の記者会見。
派手な予告を打ち立てるレミリアだが、これもすでに注射を打った試合である。
『つくり』の試合でも、客が入り、テレビのスポンサーがつけば黒字になる。
紅魔館は、そうやって金を儲けてきたのだ。
しかし、そんな時だった。
「ん? 誰だアイツは?」
記者が見ると、レミリアのいるステージ上に黙ってあがろうとしている人物がいた。
「ちょっと、何勝手にステージに上がろうとしてるの。チャンピオンの会見中よ」
紅魔館の若手レスラー、パチュリー・ノーレッジが止めようとした。
だが、パチュリーがその謎の人物の肩に手を置いた瞬間だった。
「ぬんっ!!」
鋭いパンチがパチュリーの顔面に叩き込まれた。
「むきゅっ!」
パチュリーはその一発でふっ飛ばされた。
たちまち記者たちが騒ぎ始めた。
「う、うわあ! 何者だあいつは!!」
乱入だった。
プロレスではよくある光景だ。
紅魔館の試合でも、こういう乱入騒ぎがおきることはよくあった。
だが、それらは全てレミリアがきちんと事前に話し合って決定したものであった。
今回は、そういう予定はなかったはずだ。
「ふん、何がチャンピオンよ。あんたみたいな弱っちい奴が王者なんて、私は認めないわよ」
「ふ、フラン……!」
レミリアが乱入者の名前を呼んだ。
「一体、何ものなんだ!?」
「まて、紅魔館のレスラー名簿の写真に、同じ人物が載ってるぞ。フランドールという選手だ」
フランドール。
彼女はまぎれもなく天才だった。
身長188cm体重135kgの恵まれた肉体。
それに加え、天性の格闘センスと、ありあまる戦闘への意欲を持っていた。
デビューしたての時期には、いずれチャンピオンになることは確実とまで言われていた。
「それが未だにタイトルの一つももらえない理由がわかる? それはね……、全部! こいつのせいなんだよ!」
唾を吐くようにフランが言った。
「フランあなた……!」
「黙っててよ! もう私はお姉さまに従うのはやめたの! 教えてあげる記者さんたち。そこのチャンピオンは私に負けるのが怖かったから、わざと試合を少なく組ませて、私のランキングを上げようとしなかったのよ! 対決するのを避けたのよ!」
フランの顔は怒りに歪んでいた。
記者たちはレミリアにマイクを向けて詰め寄った。
「今の話は本当なのですかチャンピオン!」
「違うわ! でたらめよ!」
「へェ。そういうなら試してみようよ。次の試合で私とベルトをかけて勝負するの。……それも、プロレスじゃなくて、『格闘ごっこ』で、真の決着をつけようよ」
「なっ!?」
レミリアは驚愕に目を見開いた。
『格闘ごっこ』。それは、幻想郷における伝統の決闘方式である。
素手の格闘で、どちらかが降参あるいは試合続行の意思表示が不可能となるまで戦う。それ以外のルールはない。
フランの提案に対して、レミリアに拒否権は無かった。
レミリアはチャンピオンだ。
それが、ここまで堂々と売られたケンカを逃げては、客が逃げてしまうからだ。
こうして、レミリアとフランの格闘ごっこによる試合が決まったのだ。
―3―
フランの言っていたことは正しい。
レミリアは、フランを避けていた。
わざと、あまり試合を組ませなかった。
それには理由がある。
フランは試合で対戦相手を壊しすぎた。
倒すではなく壊す、狂ったようなファイトスタイルで試合をした。
その危険性から、レミリアはフランを地下に閉じ込めたのだ。
「フラン……あなたはわかってない……プロレスというものを…………」
強いだけでやっていけるか?
実力があればみんながちやほやしてくれるのか?
そんな都合のいい場所。社会のどこにもありはしない。
会社員もヤクザもプロレスラーも同じだ。
人とうまくやっていけない。
そういう奴は、たとえ実力があっても、集団の中で上にはいけない。
人の上に立てない。
そういう者がトップに立てば、その集団はまるごと潰れてしまいかねない。
レミリアは思った。
負けられない、と。
試合当日。
会場は客で埋め尽くされていた。
満員の会場、そのリングで、レミリアとフランは戦った。
壮絶な試合となった。
フランは強かった。
だが、レミリアも強かった。
フランは、レミリアを八百長だけのレスラーだと思っていた。
だが違った。
レミリアもまた強かった。
鍛えあげた肉体と磨き上げた技、一流のレスラーとしての実力を持っていた。
だが、それでもレミリアは普段から本気で戦うということはしなかった。
なぜか?
プロレスのためだ。
自分のためであり、相手のためであり、プロレス全体のためである。
プロレスというもののために、レミリアは本気を出す戦いを避けたのだ。
プロレスの年間試合数は、他の格闘技と比べて異常なほど多い。
プロレスラーは、前の試合のダメージ抜けやらぬままに、次のリングに立たなければならない。
打撲も骨折も体調不良も関係ない。
そういう興行のためには、選手の怪我を少なくすることが大切なのだ。
だから、レミリアは、八百長と呼ばれることになっても、選手のけがを最小限にしようとした。
それが紅魔館の、団体としての指針だった。
(フラン……あなたは正しい。でも、私の考えも間違ってない! 私があなたを止める……!)
試合開始から3分が経っていた。
それまで、立ち技を中心として互角の打ち合いをしていた二人であったが、レミリアが流れを変えた。
音も立てないような動きで、レミリアの体がフランの懐に入り込んだ。
「うっ!?」
「おっとお!!! これはレミリア選手! これまでの立ち技主体のスタイルから、突如のタックル! グラウンド(寝技)に持ち込む気だ!!」
鮮やかな技だった。
レスリングのタックルではない。
フランはレスリングのタックルを警戒していた。
低い体勢から腰に抱きついてくる、そしたらすかさず顔面に膝を突き刺してやる、そう考えていた。
だがレミリアは、胸と胸を密着させるような高いタックルで密着した。
そこから、足を引っ掛けてフランを押し倒した。
仰向けに倒れたフランに、レミリアがまたがる。
完璧な総合格闘家の動きだった。
あっという間に、レミリアがマウント・ポジションの形をとっていた。
「くぅ!!」
フランが体をよじって脱出しようとする。
だが無駄だ。
腹の上にレミリアが乗っている。体は上下左右のどちらにも動かない。
「……フラン。ギブアップするなら、やめてあげてもいいわよ?」
「ええそうね。お姉さまがギブアップするなら、壊さないでおいてあげるわよ?」
上から下へ、レミリアの拳が打ち下ろされた。
ひとつ
ふたつ
みっつ
よっつ
いつつ
むっつ
あたる
全部あたる。
上にまたがっている者と、下に寝かされている者、体勢の差はあまりにも巨大だった。
フランも手を出す。だが、腰を抑えられており腕が伸びない。レミリアの顔まで手が届かない。
レミリアの拳だけが一方的に届く。
次々とフランの顔面に拳が打ち込まれていく。
終わりなのだ。
将棋やチェスでいう詰み(チェックメイト)。
1対1の素手の戦いにおいて、マウント・ポジションを取るとは、すなわちそういうことなのだ。
だが、将棋と格闘で違う点がある。
詰んでも負けにはならない。
負けを認めるか、戦闘不能か、そうならない限り戦いは終わらない。
「フラン! タップしなさい! 本気で殺すわよ!」
レミリアが拳を打ち込む。
打たれた顔が変形するほどの拳を打ち込む。
フランは、それでもタップしない。
タップする気が無いのだ。
駄目だ。
このままでは、フランは死んでもギブアップしないつもりだ。
レミリアは、そこで技を変えた。
「あっと! これはレミリア選手うまい! マウントからのパンチと見せかけて、ガードしていたフランドールの腕をキメた!!」
腕ひしぎ。完璧に入った。
棒のように真っ直ぐ伸びたフランの腕が、レミリアの股の間に挟まれ、手首は両手でつかまれている。
「フラン。最後の忠告よ。ギブアップなさい。じゃないと……折るわ」
返事は…………無かった。
やむをえなかった。
嫌な音がした。
リング下の客でさえその音をはっきり聞いた。
フランの口から高い悲鳴が上がる。
レミリアは立ち上がって、それを背中で聞いていた。
これで終わった。
リングを降りようとした、そのときだった。
レミリアは、リングサイドの咲夜が、自分に向かって何か言っていることに気づいた。
「お嬢様! 後ろ!!」
えっ?
振り向いた時には、遅かった。
レミリアが最後に見たのは、折れていない方の腕を思い切り振りかぶったフランの姿であった。
全力のぶん回しパンチ。それがレミリアの頭を直撃した。
フランは、ギブアップしていなかった。
腕を折られても立ち上がり、攻撃を加えてきたのだ。
試合はフランのKO勝ちだった。
レミリアはチャンピオンベルトを剥奪された。
そして、紅魔館を追い出された。
―4―
体だけが資本だった
でかい体。太い筋肉。
それしかない500歳だった。
他に何も持っちゃいない。
プロレス以外の知り合いもいない。
いくアテなど、あるわけもない。
「……はぁ」
砂のついたパンは、味などしなかった
敗北の味だ。
無味無臭。そして無感動。
「……今の私にはお似合いよ」
フランの提唱した『真剣のプロレス』は、観客たちに多いにウケていた。
レミリアなきあと、フランは新たな紅魔館の主として、絶対真剣主義を打ち立てた。
レスラーに八百長も手抜きも許さない。
試合はすべて真剣勝負であること。
客は多いに沸いた。
テレビの視聴率もどんどん上がっていった。
だが、レミリアは思う。
あんなもの、いつまでも続けられるものではない。
美鈴はどうしただろう。
咲夜は。
パチェや小悪魔。
もっと下のランクの、チルノやルーミアなどの若手選手たち。
レミリアは彼女らが例外なくかわいかった。
ケガをして、引退になって、食うに困るようなことだけはあってほしくないと思っていた。
だが、真剣のプロレスを毎日して無事なレスラーなど一握りだ
それこそ、フランだけかもしれない。
試合で負けて大怪我をして、引退になった選手は山ほどいるだろう。
そういう選手は、テレビには映らない。新聞には載らない。
ただ、勝者だけが活字となり映像となる。
「……もう関係ないことよ」
「嘘をつくんじゃねえぜ」
「!?」
いつから居たのか。そこには、パンツ一丁の男がいた。
しかもマスクを被っており顔は見えない。体は異常なマッチョだ。
「誰よ!?」
「そんなこたァどうでもいいのぜ! それよりお前は逃げてるのぜ!」
びしっ、とレミリアを指差して変態マスクが言った。
「に、逃げる……!? 私がいつ逃げたっていうの!」
「今まさにだぜ。敗北とは一時の負けのことではない、自分自身が諦めたときが本当の敗北。お前は、諦めることをしていない! だったら戦うのぜ!」
「戦う……? でも、私じゃフランには……」
「勝てないっていうのか? じゃあ、誰が奴を止めるんだぜ!?」
「……そうだ、私が止めないと。私がフランを止めてあげないといけないんだ……!」
なぜなら、彼女は……
私にとって、たった一人の『妹』なのだから……!
その日からレミリアの特訓の日々が始まった。
筋力トレーニング、ランニング、食事制限、
精神修行まで含めた、あらゆる過酷な練習を己に課したレミリア。
小便には血が混じった。
筋肉痛でずたずたの体を、筋が断裂する寸前まで痛めつけた
大好物だった紅茶やお菓子もやめた。
ボディービルダーが裸で逃げ出すような徹底した栄養管理とトレーニングを行なった。
そして、ついに決戦の時がやってきた。
某月某日、プロレスリング『紅魔館』試合会見。
「えー、それでは、今回の試合はバトルロワイヤルということですが」
「うん。だってみんな全然強くないから、1対1じゃ遊んでもつまらないもん」
「しかし、4人いっせいに戦って、全員があなたを狙ったら大変ですよ!」
記者の質問に対して、フランは薄く笑っていた。
「他の選手たちはどうなんですか?」
他の選手とは、美鈴と咲夜とパチュリーであった。
「え、ええ。もちろん全力で戦いますよ!」
「……そうね」
「頑張るわ」
そういいつつも、3人が3人、体中ぼろぼろだった。
無理もない。毎回真剣の勝負をし続ければ、いかに屈強なレスラーといえども体が持つわけがない。
元気なのはフランだけだった。
その時、会見場の扉が勢い良く開け放たれた。
「その試合待った!」
「お姉さま……?」
「お、おい! レミリア・スカーレットだぞ!」
「乱入だ!」
喧騒が広がる。
レミリアは構うことなく会見場に歩み寄った。
「お、お嬢様……」
「みんな、よく頑張ったわね。でももういいの。ここからは私の戦い。これは、私がつけないといけない決着なのよ」
レミリアがフランを見据えて言った。
フランは口元に笑みを浮かべ、その視線を受けている。
「ふん。何度でも叩き潰してあげるわ……!」
紅い眼と紅い眼がお互いを見詰め合っていた。
―5―
再試合。しかし、この前の試合とは逆の展開となった。
試合開始直後から、あきらかにレミリアが押されていた。
あんなにトレーニングしたのに。
だが、そこが決定的な差だった。
トレーニングなら、フランだってしている。
フランはもともと戦闘については天才的なセンスの持ち主だった。
それが、最近はいつも試合をしており、その経験によってさらに強くなっていた。
一方のレミリアは、試合から遠ざかっていた。
実戦のカンが衰えているのだ。
「ほらほらお姉さま!? どうしたの! みんなのために頑張るんじゃなかったの!?」
「くっ! ぐぅ……!」
フランの攻撃が一方的にレミリアを捉える。
レミリアも手を出す。だが、あたらない。
速さも力強さも互角のはず。それでもレミリアの攻撃だけが届かない。
「あっと! またしてもフラン選手の攻撃が入った!! これはレミリア選手! やはりブランクが厳しいか!!」
「お嬢様っ!」
「レミリア様! しっかり!」
リング下では、紅魔館の選手たちがレミリアを応援していた。
「ま、負けられない……負けてたまるもんですか……!」
「ふん。所詮お姉さまは八百長レスラーよ。真面目な試合なんて、数えるくらいしかやったことない。でも私は違う。いつも真剣勝負のことを考えてきた。お客さんにだって嘘をつかない。お姉さまは間違ってる! 正しいのは私なんだ!」
フランの繰り出した技がレミリアを捉えた。
隙が出来た、その瞬間にフランはレミリアの髪を手で掴んだ。
「うあっ!」
「おっと! これはフランドール選手! レミリア選手の髪を鷲掴みにした! これはまさか……!」
「あっはははは!! 壊れちゃえ!!」
「ぐあっ! うぎっ! あぐっ!」
「出たああ! 相手の髪を掴んで動きを封じての顔面への連打、フランドール選手の得意技『スターボウブレイク』だああああ!!」
通常、どの格闘技においても反則となる禁忌の技。しかし、この幻想郷の決闘法、格闘ごっこには反則などない。
容赦のない拳が次々とレミリアの顔に突き刺さっていった。
「どうだ! 強いのは私だ! 私がチャンピオンなんだ!!」
火を吐くような口調でフランが叫ぶ。
「今までだってそうだ! 私は私の敵を全部壊してきた!」
拳を叩き込みながら叫ぶ。
「誰であろうと私より上であることは認めない! 私が一番なんだ!!」
「……違うわね」
「なに?」
「フラン。あなたはチャンピオンじゃない。まして、人の上に立つものの器でもない」
人の上に立つっていうのは、
人を叩きのめして、無理やり言う事を聞かせることじゃない。
強いとか、弱いとか、関係ない。
「レミリアさまー! 頑張ってください!」
「お嬢様あ!」
「レミリアー!」
リング下から歓声が聞こえた。
紅魔館の選手達の声だ。
みな、レミリアを応援していた。
観客たちも同じだった。
「うおお! 頑張れレミリアー!」
会場中に、レミリアへの応援が響き渡っていた。
「レッミリア! レッミリア!!」
「う……く……!」
フランは、泣きそうな顔でその声を聞いていた。
フランは思った。
なんでみんな私を応援してくれないの?
チャンピオンは自分なのに。
今だって、勝ってるのは私の方なのに。
なんで、みんなお姉さまを応援するんだ。
なんで、みんな私を応援してくれないんだ。
なんで?
なんで!?
なんで!!
「……フラン。あなたは強い。でも、それだけで勝っても、駄目なのよ。私が、教えてあげるわ」
「黙れえええ!!」
フランが拳を振り上げる。
レミリアは、髪を捕まれている。だから逃げられない。前にも後ろにも横にも逃げられない。
下にしゃがむことも無理。だが、唯一移動可能な方向がある。
「おおおおお!!」
「なっ!?」
「これは! レミリア選手が地面を蹴って、髪を掴んでいるフランドール選手の左腕から背中にかけて足を絡みつかせた!」
飛びつき逆十字。
完璧に決まるかに見えた。が……
「うああ!!」
フランは、とっさに体をひねってかわした。
鋭い避けだった。
一流のレスラーでなくては、本気で練習を積んでいなければ、この動きはできない。
そうだ。
フランは、
自分は、誰よりも練習してきた。
「ジム内の誰よりも、いや、幻想郷中のレスラーに負けない練習をしてきた。その私が負けるわけがない!!」
レミリアは、飛びつき逆十字の失敗から、まだ立ちあがる途中だった。
フランは一気に必殺の攻撃に出た。
「おっとおお!! フランドール選手! 後ろに向かって飛んで、ロープに深くよりかかった! これはまさか!!」
「くらえ! 禁忌『レーヴァテイン』!!」
ロープの反動を利用して、フランは一気にレミリアに向かって飛んだ。
凄まじい勢い、それを利用して振り下ろされる必殺の打撃。
レミリアは、避けない。
いや、避けられない。
それまでの攻撃が効いているのだ。
レミリアの体には、もうこのフランの攻撃を素早い動きで避ける程の力が残されていなかった。
「お嬢様ぁ!」
「……負けられない、負けるわけには……いかない!」
フランの全力の打撃はあまりにも強烈だ。
一撃目を防御しても、そのまま連続でもらい続ければ防御を貫通してダメージをくう。
倒れたらもう二度と立ち上がらせてはもらえない。
避ける事も受ける事もできない。あとは、迎え撃つしかない。
どうやって?
どうやって、ではない。
考えるよりも先に体が奔った。
「おおおおおおおお!!!!」
「うあああああああ!!!!」
乾いた打撃音が鳴った。
リング上は時間が止まったようになっていた。
豪速度でレミリアに向かって打撃を繰り出していたはずのフランが、ぴたりと動きをとめて、ただ立っている。
その胸の中央に、レミリアの拳があてられている。
レミリアも動かない。
拳を突き出している。
右拳だ。
踏み込んだ足も右足。
順突き、直突きなどと呼ばれる形の打拳だった。
いや、それよりも、むしろボクシングのジャブに近かった。
「し、しかし……! 一体なぜ、その場から打った速いパンチで、フラン選手が動きを止めたのか……おや!? れ、レミリア選手! フランドール選手に背中を向けて、リングを降りようとしているぞ!?」
レミリアもフランも黙ったままだった。
「…………」
「…………」
「フランドール選手はまだ立っているぞ! これは、試合放棄か!?」
と、そこでようやく、
フランの体が、まるで棒が倒れるように、リングへと沈んでいった。
フランはすでに意識を失っていた。
必殺『ハートブレイク』、心臓への鋭い衝撃によって一瞬で意識を刈り取る、レミリアの技だ。
ゴングが鳴り響いた。
試合終了であった。
―6―
試合後の選手控え室に、記者達が詰め掛けていた。
「えー、それでは勝ちましたレミリア選手のインタビューを……うわあ!?」
「おめでとうございますレミリア様!」
「必ず勝つと信じていました。お嬢様……てあれ?」
記者たちを押しのけて控え室の扉をあけた紅魔館のメンバーたちが見たのは、誰もいない控え室であった。
「れ、レミリアがいない!?」
「フランドール選手の控え室にも誰もいなかったぞ! どうなってやがる!?」
冷たいコンクリート壁の通路。
フランは、傷の手当もしないまま、一人そこを歩いていた。
「はぁ、これでまた何もかも失くしちゃった…………」
「どこへ行くのフラン?」
その声がした方向を見ると、レミリアが立っていた。
「お、お姉さま……!」
「こんなことだろうと思って、抜け出してきたわ」
「……ふん。ほっといてよ。私は負けた。もうチャンピオンじゃない。どうせ、負けた私の言う事を聞いてくれる人なんていない。お姉さまにそうしたように、私も紅魔館を出て行くしかないのよ」
「そんなことないわよ。こっち来てみなさい」
「えっ!?」
ぐいっとフランの腕を引いて、レミリアは一つの扉を開け放った。
それは、選手用の通路から、一般の客のための通路へ出る扉であった。
さっきまで二人の試合を見て、帰る途中の客でいっぱいだった。
客たちはすぐ二人に気づいた。
「お、おい! あれひょっとしてレミリア選手とフラン選手じゃねえか!」
「本当だ! 握手してもらおう!」
「レミリア選手! サインくれえ!」
「俺はフラン選手のファンだぜ! すごかったぞ! また試合してくれ!」
「ああ! フランー! 次も頑張れよお!」
「フーラーン! フーラーン!」
客たちが思い思いに声を掛ける。
「み、みんな…………」
「フラン。あなたを見てくれる人はいるわ。ここに、こんなに。だからね、そんなに全部一人で抱え込もうとしないで」
「……ぅ、うん!」
こうして、
紅魔館はまたレミリアをチャンピオンとして、元の姿に戻った。
選手達は共に練習をし、共に一つの鍋をつつきあってメシを食い、夜はせまい宿舎で共に寝る。
レミリアは、その空間がこの世のどこよりも好きだった。
紅魔館は今日も平和だった。
完
うわああああんぼくの頭がどうにかなっちゃいそうだよぅ
混ぜるな危険を絵に描いたような作品でしたが面白かったです
ちょっとプロレスのお話書いてくる!
>>2と同じでお嬢様が男で女口調で初っ端から混乱した。
とりあえず格闘+東方が好きだと言う作者さんには
「東方殴り巫女伝説」をオススメ…していいのかはわかんないけど。
主人公が男でお姉さまと呼ばれている意味を見出せなかったです。
>後悔はしているが反省はしていない。
性格把握の本で良くある、同じ失敗を続けてしまう人の事ですね。
続けるなら、男キャラ多いジャンルが良いかもです。
女子プロって設定だったら多少は↑のひとたちも
あんまり違和感なかったんじゃないかなぁ?
それとせっかくプロレスにこだわってくれたんだからラストは
シュートVSエンターテイメントの形式にこだわってほしかった。
あとレミリアが復活するのにもうワンテンポ欲しかったような
個人的には好き