「よし。今日の授業はここまでだ」
「「「ありがとうございました、けーねせんせー!」」」
授業の終了を告げる私の声に、子供たちの元気な声が返ってくる。今日の寺子屋の授業は特に問題なく終わった。よかった。
時々、子供に混じって妖精が授業を受けていたりすることがある。大抵、そういう時は妖精が悪戯を始めてしまい、まともに授業が出来なくなってしまう。
だが今日はいつもの顔ぶれだけ。よかっ……いや、待て。よく見れば妖怪であるルーミアや橙が混じってるじゃないか!?
なんで気付かなかったのだろう。普通に馴染んでいたので全く気付けなかった。髪の色で気付けよ、私。
ま、まぁ……おとなしくしていたようだし、見逃すことにしよう。
「よーし、お昼の時間だー」
「わーい。今日の俺の弁当すげぇぜ? ウドン弁当だ」
「別の意味ですごいな」
「おい、タク……お前、なんなんだよそれ……」
「知らないのかい? イナゴ弁当さ」
「イナゴしか入ってない時点でもはや弁当でも何でもない」
授業の終わりとともに、子供たちが一斉に持参してきた弁当を机に出し始めた。
寺子屋の授業は午前中だけであるため、終わればすぐに昼食の時間なのだ。
「橙ちゃんは今日も生魚?」
「そうだよ、英子ちゃん。あなたは今日もかつおぶし一本なのね。私よりよっぽど猫っぽい」
……アレ? ひょっとして、いつもいるのか、彼女は。なぜ気付かなかったのだろうか。
「貴方は食べられる人類?」
「食べられないよ。それより、はいこれ、お弁当」
「いつもありがとー」
「ねぇルーミアちゃん。人間って妖怪を食べれるんだよ?」
「そーなのかー」
「性的な意味でゴハァッ……! な、なんだこのノコギリ!? どっから飛んできたんだ!?」
「SAWなのかー」
ルーミアまで馴染んでいる!? しかもお弁当を持ってきてもらっている! な、なんだこれは!?
……まぁいいか。というかどうでもいいか。危険はなさそうだし。
食べられるかどうか聞いてるのは…まぁ、冗談だと思っておこう。私も昼食を採ることにするか。
鞄の中に入れておいた水筒と弁当を机に置き、ぱかりと弁当の蓋を取る。
「おぉ……私の好物ばかりだな」
子供たちのほとんどは、弁当を親(または保護者)に作ってもらって来ているが、一部には里にある弁当屋を利用している。私もその一人だ。
日の丸弁当やのり弁当といったよくあるものから、日替わり弁当といった面白いもの、闇弁当などの危険な香りのする弁当まで、
その弁当屋には様々な弁当が置かれている。私はいつも日替わり弁当を取ることにしていて、これがまたおいしい。
日の丸やのり(闇は最初から考慮にすら入れていない)などの弁当も嫌いではないが、日替わり弁当は毎日違うものが食べれる上、
一番栄養のバランスも考えられていて、かつ値段も安いので、ほぼ毎日この弁当を私は買っている。
そして今日の弁当は一段と素晴らしい。
「焼きシャケ、野菜の煮物、白いご飯、それに白魚のてんぷら……豪勢だな。素晴らしい」
思わずひとりごちてしまうほど、今日の弁当は私の好物だけが入っている。
ひょっとして、毎日買っている私の好物を調べて入れてくれたのだろうかとあり得ないことまで考えてしまうほどに。
実際にはあり得ないことだ。あの弁当屋はとても繁盛している。開店一時間後には朝仕込んだ分はすべて売り切れてしまうほどに。
私が買えるのは二度目の仕込みが終わった直後に店を訪れているからである。しかも、そのときでも客は多い。
店の人間と必要以上に喋れたこともないから、顔すら覚えてもらっていないだろう。それなのに、好物が知られているはずもない。
「……こ、これは!!」
ひとつひとつの料理をじっくりと眺めているうちに、あるものを発見して、私は立ち上がって叫んだ。
うっかり大きな声を上げてしまい、子供たちがびっくりして私を見つめる。まずい、とても恥ずかしい。
何事もなかったかのように椅子に座って、改めてその見つけたものを見つめる。
「鶉の煮卵……!」
それは――私が好きな料理のトップとも言えるモノであった。次に好きなのはオニオンリングだが、どうでもいいな。
一番の好物が入っているとは、なんていい日なのだろう。というかあの弁当屋、採算は取れているのだろうか?
たんぱく質は結構貴重なモノだと思うのだが……ま、余計なことは考えなくていいか。
弁当の中に入っていた割り箸を取り出し、力を入れてぱきんと割る。うむ、奇麗に割れた。今日はいいことだらけだな。
この割り箸を割るという動作は簡単なようでとても難しい。奇麗に割るにはコツがいるが、それを理解するのには人の一生は短すぎるだろう。
「いただきます」
誰にいうでもなく、一人食べ始めの挨拶をつぶやく。これは私が一人で食事をとっているときでもかならず言うことにしている。
材料となった動物・植物たちへの感謝。それらを育てた物たちへの感謝。その他もろもろへの感謝。
『いただきます』というのはありとあらゆるモノへの感謝が篭っている素晴らしい言葉だと私は常日頃から思っている。
最近の子供たちにはそれを忘れている。ふむ、今度から食事の時間も寺子屋の授業の一部、ということにしようか。
時間を設けて食べ始めと食べ終わりにきちんと「いただきます」と「ごちそうさま」を言わせる。
ちゃんとその挨拶の意味を教えておけば、素直な彼らだ、きっと言ってくれるだろう。
……いや、やはり駄目だな。私の食事時間が長すぎる。一人の食事ですら下手したら二時間かけるときもあるからな。
早く帰って遊びたいと思っている子供たちの速度に合わせていたら、食事の旨さを損ねてしまうだろう。
さて、まずは煮物だ。私はさっき割った割りばしを手に構え、狙いを定めた。
私は好物は最後まで取っておく派であるので、鶉は最後まで食べない。
この煮物もまた素晴らしいものだ。人参、こんにゃく、椎茸、じゃがいもの4つの野菜が、
食べてといわんばかりに美しさまで感じるほどの色をしている。
ゆっくりと箸を動かし、人参を掴み、口の中に放り込む。もぐもぐと口の中でそれを噛みながら、味を楽しむ。
「上手い……!」
たかが人参、されど人参。なんと美味なのだろう。一回噛んだだけで口の中に人参の甘さが広がる。
もう一度噛むと考え抜かれたであろう煮物の味付けが絶妙なまでに人参の甘さと絡みあう。
噛めば噛むほど甘さと味付けが絡み合っていき、至高とも言える旨さを醸し出す。素晴らしい。
口の中のモノが完全に喉を通っていったところで、今度はこんにゃくを掴む。
そのまま口の中に入れて、噛む。やはり、これも上手い。
噛んだ瞬間、こんにゃくの中に凝縮されていた味わいが口の中にぶわっと広がっていく。
こんにゃくというのはそれ自体の味はそれほどしないものだ。
ならば煮物においてどんな役割を担っているのかといえば、歯ごたえのある汁である。
すべての野菜を引き立てるために作られた汁を楽しむために、こんにゃくというのは入ってるのだ。
簡単そうに思える煮物だが、本当にうまいものを作ろうとすれば大変な苦労を伴う。
野菜を引き立て、かつそれ自体の旨さも楽しめるように、味付けをしなければならないからだ。
その点において、この煮物は完璧だ。煮物全体が、各野菜たちを引き立て。
各野菜たちが、煮物全体を引き立てている。なんてすばらしいのだろう!
今度、作り方をあの弁当屋に聞いてみることにしよう。教えてくれないかもしれないが……。
「さて、今度はじゃがいも、と……」
そう呟きながら、私はじゃがいもを掴み、口へと運んだ――が、そこで問題が起きた。
じゃがいもというのは表面がツルツルしている。箸の先に込める食べ物を掴む力というのは、入れなさ過ぎた場合は勿論だが、
入れすぎた場合も――そのツルツルとした表面が仇となって、こぼれおちる。
そう、私の箸の先でつかまれていたじゃがいもは――箸の先からするりとこぼれ、下へと落下していった。
まるで脳みその中で何かの物質が分泌されたかのように、じゃがいもがゆっくり、ゆっくりと地面へ向かっていく。
私の眼は落ちていくじゃがいもを捉えているが、何も出来ない。たかだがじゃがいもが床に落ちるだけの間の時間が、やけに長く感じる。
(私は、無力なのかッ……!)
じゃがいもが床に触れてしまえば、その時点で彼(彼女かもしれないが)を食すことは出来なくなるだろう。
贅沢と言われてしまうかもしれないが、寺子屋の教室の床はお世辞にも奇麗とは言えない。
もちろん、毎日掃除はしているが、今は授業が終わってすぐ。授業中に、私は何度も何度も黒板の前を往復していた。
よって、はっきり言ってしまえば今、じゃがいもが彼の命を失おうとしている床は汚い。
そこに落ちてしまえばもはや食べれる物ではないし、仮に食べれたとしても、「床に落ちたもの」という認識は変えられない。
つまり、彼の本来の味を楽しむことは非常に困難になってしまうということだ。
それなのに、私は彼を助けることは出来ない。この限りなく時間の速度が緩やかになった今という時の中、私は動くことができないのだ。
動かせるのは目だけ。なぜなら今この瞬間は私の目の中、脳の中で起こっていること。
そこに干渉できるはずもなく、ただただじゃがいもの命が失われていくのを眺めることしかできないのだ。
(何も、何も出来ないのか……!)
思わず目頭が熱くなる。もう少しでじゃがいもは床と接触するだろう。何も出来ない自分が、ただただもどかしい。
あぁ、すまないじゃがいも。私は君を食すことができなかった。この罪はどうやって償えばいいのだろうか?
閻魔に会う機会が会ったら教えてもらうことにしよう。真面目過ぎる彼女ならきっと教えてくれる。
そんなことを考えて、私が目の前を通過していくじゃがいもに諦めを持ったそのとき――
『諦めないでくださいッ……!』
突然、私の耳に声が聞こえた。この声は――誰だ? 知らんぞ?
『目の前にいるでしょう……?』
ま、まさか……じゃがいも!? お前なのか!?
『そうです。そのとおりです。今まさに破滅への道を急降下で爆走しているじゃがいもですよ』
くっ……! すまない、じゃがいも。その破滅への道、私には塞ぐことが出来ない!
『言ったでしょう、あきらめないで、と』
えっ……?
『慧音さん。私はね。食べられるために生まれてきました』
あ、あぁ。そうだろうな。じゃがいもだからな。
『いつか食べてもらえる。その瞬間を楽しみにして、私はひたすらに自分を磨きました』
………………。
『育てられて、収穫されて、料理されて、弁当の中に入れられて、いままさに食べてもらえそうになった瞬間に、私はこうやって落ちていってます』
……くっ。すまない……! 私がもっと力を弱めてつかんでいれば……!
しっかりとお前を食べることができたというのに! すまない、本当にすまない!
『落ちていくことに責任を感じることはありません。きっと、それが運命だったのですから。
でも慧音さん。もし私がこのまま床に落ちたときは――そのときは、それは貴方の責任です』
……? どういうことだ。落ちていくことに責任はなく、落ちたことに責任があるというのは……。同じじゃないか、両方とも。
『違います。まったく違いますよ。落ちていくことは、今起きていることで。落ちたことは――それはまだ、起きていない現象なのです』
! ま、まさか! お前を今この瞬間、この箸でつかめと、そう言うのか!
『そのとおりです、慧音さん』
無理だ! もはや時は進んでしまっている! 現に、お前はこうやって話している間にもどんどん床へと向かっているじゃないか!
あと何秒の猶予もない。そんなお前を掴むことなんて、到底無理な話だ……!
『でもまだ落ちてませんよ』
!
『まだ、落ちてないんです、慧音さん!』
………………………………。
そうだったな。そうだったよ、じゃがいも。お前はまだ落ちていないんだったな。お前はまだ、私に食べてもらうことをあきらめてはいないんだな。
『慧音さん……!』
「ならば私は全力を出そう。全力でお前を掴んで、お前を食してやる!」
そう叫ぶと同時に、私は箸を持った腕を動かし始めた。ゆっくり、ゆっくりと。ただただ真っ直ぐに、箸はじゃがいもへと向かう。
私はなんてことをしそうになっていたのだろう。彼ら食べ物は、食べられるために生まれたのだ。
それが彼らの存在意義。にも拘わらず、私はそれを蔑ろにしそうになっていた。
それじゃ、駄目なんだ!! そんな彼らを踏みにじるようなことは、しちゃ駄目なんだ!!
そんなことをすれば、私はもう二度と食事を楽しむ権利を得られないだろう。いや、それどころか――何かを楽しむ権利すら無くなる。
他のモノの存在意義を奪ってしまったモノに、そんな権利など合ってはならないのだから。
そう。食物は私たちのために生き、私たちは食物のために生きるのだ。彼らの存在意義を成すため、ただそれだけのためにッ……!
箸の先はどんどんじゃがいもへと近づいている。もう少し、もう少し……! だが、間に合うかはかなりシビアだ!
こうなったら、掴むのは諦めて、刺すしかない! 箸の先を、じゃがいもに突き刺すしか!
「あぁッ……!」
外した。間に合わないと判断した私は、よりいっそうの力をこめて箸の動かす速度を速め、じゃがいもに突き刺そうとしたのだが――外れてしまった。
この時点で既にじゃがいもと床との距離は1cmもない。箸を引いてもう一度つき出す時間はもはや残っていない!!
絶望。その言葉が頭の中をぐるりぐるりと回転している。気のせいか、頬の上冷たい何かが流れていく。
すまないじゃがいも、やっぱり私はお前を食すことが――いや待て。そうだ、一つだけ手があるッ!
ガタリという大きな音が教室の前から聞こえたので、私は思わずそっちを見た。いったい、何の音だろう?
他のみんなは気付いてないみたいだけど、私の猫の耳にはしっかりと聞こえた。
気になって、立ちあがって音のした方に顔を向けた。そして――ひどく恐ろしいものを、目撃してしまった。
私の眼の先には、何かを持ったまま倒れた慧音先生がいたのだが、その頭に――
「け、けーねせんせー……?」
「ど、どうした、橙」
私の声は震えてしまったいる。ひょっとして、授業に混ざっていた私を怒るつもりなのだろうか?
堂々と勝手に授業を受けてたのに何も言われないから黙認してもらっていたと思ってたのに、ひょっとして気づいてなかったのだろうか?
そんなことを考えてしまうほど、私は目の前の光景が信じられなかった。
慧音先生は――満月の日でも、ましてや夜でもないのに、何故か角を生やしていた。
残されたたった一つの手、それは歴史の改竄だった。といっても落としたという歴史をなかったことにしたわけではない。
自分の歴史を改竄することなど(何百年後か立って更に力が強大になったらわからないが)できない。
ならば何を変えたのかといえば――里全体の、高度である。里全体の高度をぐぐっと下げて、じゃがいもに突き刺しなおす猶予を作ったのだ。
里の歴史そのものをなかったことにできる私にとって、高度など簡単に変えられる。高さをなかったことにすればいいのだから。
妖怪化していないのにできるかどうかが問題だったのだが、どうやら私のじゃがいもへの思いの強さが、私を妖怪化させたらしい。
そしてその結果、床に倒れ込んだ私の箸の先には、じゃがいもが刺さっていた。ふぅ、よかった……これで、彼の存在意義を脅かすことはなくなった。
「け、けーねせんせー……?」
「ど、どうした、橙」
橙が何故か震えた声で私に話しかける。一体どうしたというのだろうか。
……しまった! 何ということだ。生徒の前で妖怪化してしまうとは!! ……いや、しかしどうやら橙以外誰も見ていないようだ。
ルーミアが箱ごとがじがし齧っているのを止めようと、みんなそっちばかり注目している。ふぅ、よかった。今度ルーミアに飯でもおごってやることにしよう。
橙が目撃してしまってはいるが、彼女は紫の式の式であり、神社で行われる宴会でも雑用(もしくは紫の式が単に連れてきたいだけ)で来ているので、
私の妖怪姿も一度ならず見ている。心配はな――いや、なんで彼女の声は震えているのだろう。そこが問題だ。
「な、なんで妖怪化してるんですか……?」
そうつぶやいた途端、ハッとした顔をした後に、皆が私の方を見ても角が見えることのない位置に立って、橙が話しかけてきた。
こういう何気ない気配りは嬉しいな。きっといい式か嫁になることだろう。あの妖獣が許すかどうかはともかくとして。
しかしまぁ、何のことはなかったな。何かとんでもないミスをしてしまっているのかと思っていたが。
「いや、何でもないんだ。気にするな」
安心させるために妖怪化を解きつつ(じゃがいもパワーが無くなったのですんなり出来た)立ち上がろうとしたところで――私は思い出した。
箸の先に刺さったじゃがいものことを。
マズい、非常にマズい。どうやらまだ橙はそのじゃがいもに気付いていないようだが、バレたとき、非常にマズいことになる。
私は今立ち上がる瞬間まで、倒れていたのだ。そして、箸の先にはじゃがいもがある。
落ちた食べ物を拾って食べようとしている、と思われてしまうかもしれない!
実際、落ちたものを拾い食いするのは褒められた行為じゃない、というか行儀が悪い。
私の行動はじゃがいもの声が聞こえたがゆえのものだが、果たしてそれを信じてもらえるか。
それに、子供というのは多感なもので、人真似をして礼儀や常識を学ぶもの。
教師という立場である私が拾い食いしたと思われてしまうと、彼女はそれは悪いことではないと思ってマネしてしまうかもしれない。
そんなことになれば、私は自分を責めて責めて責めて責めて責めて責めて責め抜くだろう。
彼女の評判や評価が下がってしまい、もしかしたら彼女の一生を左右することになってしまうのかもしれないのだから。
ゆえに、このじゃがいもを見つかるわけにはいかない。どうする、どうやってこの場をごまかす!?
「さぁ、橙。早くみんなのところへ戻って昼食の続きをしなさい。あまり褒められたことじゃないぞ、食事中に出歩くのは」
自然を装いつつ、箸を持った右手を左手とともに後ろにやり、橙にそう囁く。
考え抜いた結果、教師という立場を利用してこの場を去らせればいい、という結論が出た。悩んだ割には単純な上、大したことはやっていない。
「はーい。……? 慧音先生、後ろに何を持ってるんですか?」
首をかしげて不思議そうに後ろにやられた私の腕の先を見つめながら、橙がつぶやいた。
気づくなよ!!! 思わずそう叫びたくなってしまいそうになるのを胸をギュッと押して耐える。
くぅ、なんということだ。折角のアイディアが即潰されてしまった。
さてどうやってごまかすか……。そうだ、いいことを思いついた。昔見たこの子のスペルカードからヒントを得た素晴らしいアイディアを。
「!? せ、せんせー? 何やってるんですか!?」
私が突然ぐるりと回転したのに驚いたのか、橙が少し大きな声を上げた。
心配そうな顔をしているが、ひょっとして私の頭がどうかしてしまったのかと思われているのだろうか?
それはそれで悲しいが……この子のためだ。しょうがない。あぁ、しょうがないんだ。うん。きっとそうだ。
そう自分に言い聞かせて、橙の肩に手を置いて、にこりと笑いかけて皆が集まっているほうを指さす。
もう戻ったほうがいい、という意味の動作を理解したのか、心配そうな顔のまま、橙は走って行った。
誰もこっちを見ていないことを確認して、私は回転したときに高速で口に放り込んだじゃがいもをむしゃむしゃと咀嚼し始めた。
残った椎茸を口に放り込んでその味を楽しんだところで、私の箸は今度はシャケへと向かっていく。
箸の先で魚の身を軽く崩し、かけらを口へと運ぶ。そして、咀嚼。
これもまた素晴らしい。おそらくは、酒粕を使った焼きシャケだろう。
シャケの身を酒粕で包みこみ、しばらく放置する。それを焼けば、酒粕の焼きシャケは出来てしまうのだが――
料理人のこだわり抜いている点は、おそらくは焼き加減。これを誤ってしまえば、大変なことになる。
中途半端に生身のシャケの味は酒粕の味わいと反発しあってしまうし、焼き過ぎたシャケの焦げた味わいはそれだけで主張しすぎる。
だがこの焼き加減は二つの味わいが完璧に混じり合うそのギリギリをしっかりと抑えていて、
ただの焼きシャケが高貴な香りと味わいを演出していて、旨い。
その素晴らしい旨さがまだ口の中に残っている内に、ご飯を食す。あぁ、素晴らしい。
シャケの後味が白いご飯の本来の旨さを極限まで引き出し、かつ飽きさせることのない味わいをも生み出している。
これほど上手いご飯など食べたことがないと叫んでしまいそうなぐらい、とにかく素晴らしい。
そしてまだこのご飯もいい。初めちょろちょろ中パッパ、赤子泣いても蓋取るな、という言葉をしっかりと守っているのだろう。
おそらくはこの里でとれる米を使っているのろうだが、私が自炊するときも同じ米を使っているのになぜこんなにも違うのか。
……そうだ、今度朝食もあの弁当屋で取ることにしてみよう。今日の帰りにまずあの店で仕込みの時間を尋ねておこう。
そうしてその時間のすぐあとに行けば、出来立てのシャケとご飯が楽しめることだろう。
温かさを保ったままのシャケと炊きたてのご飯。想像しただけでも口の中の涎が溢れ出てきそうだ。
……って、考えてみればこれは日替わり弁当じゃないか。明日もシャケが出るとは限らない。
がっくりと肩を落としながら、私はシャケとご飯を交互に口に放り込み続けた。
「ふぅ……」
竹で出来た水筒の中に入ったお茶をこくこくと飲み、私は深く息を吐いた。煮物とシャケを食べ終え、一息ついたのである。
といってもまだ食べ終ったわけではない。少々のご飯と天ぷら。そして――鶉の煮卵が残っている。
そう、いうなれば今までの料理はすべて引き立て役。もちろんそれすらも十分旨かったのだが、
やはり食事において一番のメインは自分の好物だろう。人によっては副采が主采になるわけだ。
「よし!」
意味もなく気合いを入れて、天ぷらに取り掛かることにした。
天つゆ代わりの醤油をちょっぴりかけて、箸で衣を崩さないよう注意しながら摘み、噛みきって半分だけ口の中に入れるつもりだった。
だが、噛んだ瞬間に――私は驚愕した。私の歯で、サクリという感触を感じたからだ。
「馬鹿な……!」
この弁当を買ったのは寺子屋で授業の準備をする前、つまり何時間も前のことである。
現に、時間が立っているのでさっきのシャケとご飯の温度は冷たくなっていた。
そして――通常なら、天ぷらも時間が立ち、衣が柔らかくなるはずなのである。
それに弁当には蓋がしてあり、水蒸気の発生で蓋に水滴がつき、その水滴が衣を更に柔らかくしてしまうはずなのだ。
にもかかわらず、今、たった今私はこの天ぷらからサクリという感触を得た。
つまり、衣が柔らかくなることなく、出来立てであるかのように堅く堅くなったままだということだ。
そんなはずはない。あり得ない。だが、現実としてたしかに歯ごたえを感じたのだ。
いったいどういうことなのだろう。蓋や衣を眺めても特に何かの仕掛けを施している様子はないし、
味にこれといった隠し味があるというわけでもなかった。普通の天ぷらであるはずなのだ。ものすごく旨い事を除いて。
なのに……なのに! この天ぷらにはサクサク感が消えていない! いったいなぜ、どうやって、衣の感触を留めたというのか。
竜の玉を7つ集めても叶いそうにないこの感触を、いったいどうやって……!
「フッ……」
思わず私はにやりと笑ってしまう。どうやら、あの弁当屋――旨いだけの店、というわけではないらしい。
おそらくは何か大変な技術を抱えているに違いない。天ぷらの衣の感触を損ねないという、神をも恐れぬ技術を!
ひょっとしたら、河童等の妖怪と何かつながりがあるのかもしれないな。あとで調査してみよう。何か裏があるかもしれない。
……勘違いするなよ? 私は人間が大好きだが、手放しで信用している、というわけではない。
悪意も善意も兼ね備えているのが人間であり、そういうところも好きな理由だ。
何がいいたいかといえば、彼らが妖怪と組んでいる可能性がある、というのは見逃せないことであるということだ。
もちろん、ただのビジネスライクな関係にすぎないのかもしれないが、深くつながっている場合、
ただ単に仲がいいだけならいいが、ひょっとしたら何か人里に害あることをしようとしている可能性もあるのだ。
そもそもあの弁当屋の店員たち自体が妖怪である可能性だって否定はできない。
だから、調査とかこつけて別に衣を堅く保ったままにする技術を教えてもらおうだとか、
その前にまずいろいろとレシピを教えてもらおうとか思っていない。
ただ単に、何か取り返しのつかないことが起こる前に調査しておかなければと思っているだけだ!! 勘違いするなよ!!
「……誰に対して言いわけしてるんだ私は……」
自己嫌悪を催して、私は思わず頭を抱えてしまった。
「さてと」
自己嫌悪でつぶれてしまいそうになったが、気を取り直して私は天ぷらとご飯を片づけた。
といっても味わって食べたいがために20分以上時間をかけてしまったが。
気づいたら既に教室に子供たちはいなくなっていた。みんな帰ってしまったのだろう。
食べるのに夢中で挨拶に返事をしていない気がする。が、今はそんなことを悔やんでいる場合じゃない。
残された料理は――そう、鶉の煮卵。
煮られたことで灰色がかったそれが、今、私の目の前に存在している。少々でこぼこが多いのが気になるが、まぁいいか。
自分でゆで卵や煮卵を作ったときも時々皮を剥くと何故かデコボコができてしまっていることがある。
すべてにおいて完璧なモノなど存在しない。他のモノは十分においしかったから、卵のデコボコなど気にしない。大事なのは味だ。
だが、気をつけなければ。これはたったの二個しかない。しっかりと味わなければ、私は一生後悔することになるだろう。
緊張してしまっているのか、若干震えている手で箸を持ち、煮卵へと向かわせた――その時だった。
「あー! 煮卵だー。おいしそー」
いつのまにか目の前にはルーミアが立っていて、弁当の中を覗いていた。あまつさえ、私の好物を狙っているようだ。
ど、どうする……! さっきの件でルーミアには借りがある。ならばそれを返すためこの煮卵をあげてしまうべきなのだろうが――
恥ずかしい話だが、それはしたくない。卑しい人間だと思われたくないので私が煮卵をどれだけ好きなのか、
そして煮卵の旨さがどれほどのものかを語りたいが、求聞史記一〇冊分の紙が必要になるだろう。……何を言っているんだ私は?
とにかくだ。今はこの目の前の危機を脱することが先決! とりえあず、さっきと同じように教師権限で帰らせよう。
そしてそのあとでじっくり味わっても遅くはない。むしろそうやって自分自身を焦らしたほうがより旨さを引き立て――
「ねー、けーねせんせー。一個ちょーだい」
言われてしまった……! 私が今、このとき! もっとも恐れていたセリフを……!
ここであげなければ、私の信用は地に落ちる。というかそんな卑しい自分を私自身が嫌になるだろう。
だが、私の中の別の私が、あげるな、自分で喰えとそう言っている! どうすればいいんだ……!
『慧音さん……』
この声……じゃがいも!? じゃがいもなのか!?
『そうです。今、あなたのお腹の中におさまっているじゃがいもです』
やはりそうか……それで、どうした?
『私はただの食材に過ぎませんが、一つだけ。一つだけ貴方にできるアドバイスがあります』
アドバイスだって……? 一体、どんな?
『【食べたいなら食べればいい】……それだけです。それだけですが、それこそが、私が確信しているこの世の真理です……!』
食べたいなら、食べればいい……?
『そうです。食事とは本来神聖なもの。誰にも邪魔をされてはならないものです。
古来の人間はたくさんの争いをしました。しかし、最初の争いの原因は――食糧です』
なんでそんなこと知っているんだ?
『自分自身が生きるために食べる、それが食事というもの。それを害す輩から食事を守るために、人は争いを始めたのです』
私の疑問は無視か。
『だから慧音さん。食べてください。あなたが食べたい物を、食べるのです!!』
……! そうだな。そのとおりだ。私は食べる。食べてみせる!! 私が食べたい物を、この口で!!
よし、ルーミアに有無を言わせる前に口の中に放り込んでしまお――
「あーん」
ルーミアの方を向くと――彼女は既に、素手で煮卵を掴んで口の中に運ぼうとしていた。
「お前ェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!」
雄たけびを上げて、私は箸でルーミアの手から卵を奪った。突然の大きな音にびっくりしたのか、ルーミアの手には力が入っておらず、簡単に奪えた。
そしてそのまま奪い返した煮卵を口に運び、その口を閉じた――が、私の舌が味を感じることはできなかった。
びっくりしてルーミアのほうを見ると、いつのまにか彼女の手には煮卵が収まっていた。
「ば、馬鹿な!! どうやって!」
「けーねせんせい。私ね、食べるのが好きなの」
さっきとはまるで違うトーンで、ルーミアが呟いた。
「何が言いたい?」
「人肉は好きよ、勿論。でもね、最近ではそうでもないの。なんでだかわかる?」
「……何が言いたい」
私の問いかけに答える前に、ルーミアはその口を大きく大きく開けた。
その中にブラックホールでも広がっているかのように、口の中は真っ暗だった。
……若干イカ臭い。おそらくさっきの弁当はイカ墨を使った何かだったのだろう。
「人肉より旨いものを知っているからよッ! 私は煮卵が大好物なのッ!
例え私の評判が下がろうが! 巫女が来ようが魔女が来ようが!
そして! 例えそれが他人のものであろうが! 私は目の前の煮卵を見逃さないッ!」
ギラギラとした目を携えながら、ルーミアが大声で叫んだ。
なるほど、こいつは同類! そうか……さっきから妙に感じてた嫌悪感は、同族嫌悪というものだったのか!
「ならばお前は私の敵だァーッ! さっきじゃがいもが教えてくれたッ! 『食べたいなら食べればいい』ッ!
私の食べたいものは煮卵ッ! 誰にも渡しはしないッ!」
そう叫ぶと同時に、私は箸を置いて右手で煮卵を狙う。だが、昼間であるとはいえ妖怪は妖怪。
その手を見逃すことなく、彼女は卵を持った右手を右に動かした――が。
私の狙いはむしろそれだった。空いていた左手で、動かした直後で隙だらけとなっている右手から煮卵を奪った。
そしてそれを口の中に入れて、噛み砕こうとしたのだが――突然、唇を何かで塞がれた。
ルーミアが私の口の中から卵を奪おうと、自分の唇を私の唇に合わせたのだ。
そして、舌を私の口の中へと入れようとする。どこからどうみてもキスシーンだが、私と彼女にそんなつもりはない。
むしろ舌を絡めることで卵の移動を防ごうと必死になっている。
「「あっ……!」」
お互いの舌の動きが激しすぎたせいか、私の口からぽろりと煮卵がこぼれた。
地面に激突するその前に、私はじゃがいもの時よりも数倍早い動きで箸を一本掴み、力強く投げた。
ぐさりという音とともに煮卵を箸が貫通し、地面に刺さる。これで、煮卵が地面に触れることはない。が――
私の状況は圧倒的不利に立たされてしまった。箸を投げるために私は立ち上がったままそれを掴んだのだが、
ルーミアは落ちる前に掴もうと体を倒していたのだ。よって、今煮卵に一番近づいているのはルーミアの口ということになる。
「させるかッ!!」
ルーミアの背後から彼女に抱きついて、その体を立たせる。
バタバタともがいて私の抱擁から抜け出そうとするが、力は私の方が強い。
諦めたように彼女が力を抜く。ふぅ、と軽いため息をついて私は力を弱め――てしまったがゆえに、ルーミアは素早く私の手を振りほどいて、
卵に向かって顔面から滑り込んだ。が、ガツンという音が二つして、ルーミアは顔を抑えてゴロゴロと転げまわった。
煮卵を貫いた箸は一本だけ。つまり、もう一本は机の上にあった。その一本を、私はルーミアの進路に投げ刺したのだ。
その箸に顔をぶつけ、ルーミアが悶絶しているウチに、私は煮卵の刺さった箸を床から抜いた。
そのまま食べてしまおうかと思ったが――足元から聞こえる嗚咽で、私の頭は急速に冷えていった。
「ルーミア」
「ひっく……痛いよぅ……」
すんすんと涙を流して倒れているルーミアの横に座って、私は彼女を今度は軽く抱きしめた。
ぽんぽんと優しく背中を叩いて、彼女を慰める。
「すまなかったな。少々、やり過ぎたみたいだ」
「ひっく……いいよ……ひっく……私も……興奮しすぎちゃった……ひっく……ごめんなさい……」
「いいさ。気にするな」
私がそういうと、ルーミアは私を抱き返してきた。煮卵を持っていない方の手で、美しい金色の髪を梳くように撫でる。
「食べ物の恨みは怖い。それを忘れるな」
「うん……」
「いくら好きだからって、人が食べようとしているものを食べるのは駄目だ。
その人その人の食べ物に対する想いは違うが、共通して持っているのはその目の前の物を食べたいという想いだ。
だから、他人の物を奪って食べるというのはその想いを踏みにじるということ。わかるな?」
「うん……うん……ごめんなさい……」
「もう二度とするんじゃないぞ?」
「うん……わかった……ひっく……」
「よし。それでいい。じゃあ、暗くなる前に帰ったほうが――おや?」
突然動かなくなったルーミアを見てみると、とてもとても穏やかな顔で眠ってしまっていた。
私は思わず苦笑してしまう。
「おいおい、これじゃ食事ができないじゃないか……」
そう呟きながらも、私は彼女が起き出すまで、ずっと彼女の体を抱きしめ続けた。
「さよーならー、慧音先生ー」
「気をつけて帰るんだぞー」
妖怪に対して気をつけろというのもおかしな話だが、箒に乗った魔女に轢かれる可能性もこの幻想郷では少なくない。注意を促しといて悪いということはないだろう。
さて、と。いよいよ。いよいよだ。
ものすごい回り道と無駄な時間を過ごしてしまったような気がひしひし、ひしひしと感じられるが、今は忘れよう。
そう! 今はこの目の前に存在する煮卵。愛と涙と血と汗の結晶をフル活用してついに手に入れた煮卵を咀嚼するというこの機会。
それがいよいよ始まるのだ。さぁ、どうやって食べようか。一口で食べるか? 箸でその身を崩してちょっとずつ食べるか?
……やはり一口で食べるべきだろうな。弁当の中に残ったままの一つはともかく、さっき争っていた卵は箸が貫通してしまっている。
これを抜いてしまうと下手したらその身が崩れ出してしまうかもしれない。そうなれば、机の上や服にぼろぼろと黄身がこぼれ出し、
私が煮卵を楽しむ時間がより少なくなってしまう。それよりは、ぱくりと一口で食べて、じっくりとその味わいを楽しむべきだろう。
よし。さぁ、食べるぞ! 私は手で箸の先ギリギリまで卵を動かし、大きく口を開けて箸ごと口に入れた。
「なん……だと……」
私は崩れ落ちた。
「里芋じゃないかこれ……!」
よく見てみればガサガサとした「それ」の表面を見ながら、私は気を失った。
「「「ありがとうございました、けーねせんせー!」」」
授業の終了を告げる私の声に、子供たちの元気な声が返ってくる。今日の寺子屋の授業は特に問題なく終わった。よかった。
時々、子供に混じって妖精が授業を受けていたりすることがある。大抵、そういう時は妖精が悪戯を始めてしまい、まともに授業が出来なくなってしまう。
だが今日はいつもの顔ぶれだけ。よかっ……いや、待て。よく見れば妖怪であるルーミアや橙が混じってるじゃないか!?
なんで気付かなかったのだろう。普通に馴染んでいたので全く気付けなかった。髪の色で気付けよ、私。
ま、まぁ……おとなしくしていたようだし、見逃すことにしよう。
「よーし、お昼の時間だー」
「わーい。今日の俺の弁当すげぇぜ? ウドン弁当だ」
「別の意味ですごいな」
「おい、タク……お前、なんなんだよそれ……」
「知らないのかい? イナゴ弁当さ」
「イナゴしか入ってない時点でもはや弁当でも何でもない」
授業の終わりとともに、子供たちが一斉に持参してきた弁当を机に出し始めた。
寺子屋の授業は午前中だけであるため、終わればすぐに昼食の時間なのだ。
「橙ちゃんは今日も生魚?」
「そうだよ、英子ちゃん。あなたは今日もかつおぶし一本なのね。私よりよっぽど猫っぽい」
……アレ? ひょっとして、いつもいるのか、彼女は。なぜ気付かなかったのだろうか。
「貴方は食べられる人類?」
「食べられないよ。それより、はいこれ、お弁当」
「いつもありがとー」
「ねぇルーミアちゃん。人間って妖怪を食べれるんだよ?」
「そーなのかー」
「性的な意味でゴハァッ……! な、なんだこのノコギリ!? どっから飛んできたんだ!?」
「SAWなのかー」
ルーミアまで馴染んでいる!? しかもお弁当を持ってきてもらっている! な、なんだこれは!?
……まぁいいか。というかどうでもいいか。危険はなさそうだし。
食べられるかどうか聞いてるのは…まぁ、冗談だと思っておこう。私も昼食を採ることにするか。
鞄の中に入れておいた水筒と弁当を机に置き、ぱかりと弁当の蓋を取る。
「おぉ……私の好物ばかりだな」
子供たちのほとんどは、弁当を親(または保護者)に作ってもらって来ているが、一部には里にある弁当屋を利用している。私もその一人だ。
日の丸弁当やのり弁当といったよくあるものから、日替わり弁当といった面白いもの、闇弁当などの危険な香りのする弁当まで、
その弁当屋には様々な弁当が置かれている。私はいつも日替わり弁当を取ることにしていて、これがまたおいしい。
日の丸やのり(闇は最初から考慮にすら入れていない)などの弁当も嫌いではないが、日替わり弁当は毎日違うものが食べれる上、
一番栄養のバランスも考えられていて、かつ値段も安いので、ほぼ毎日この弁当を私は買っている。
そして今日の弁当は一段と素晴らしい。
「焼きシャケ、野菜の煮物、白いご飯、それに白魚のてんぷら……豪勢だな。素晴らしい」
思わずひとりごちてしまうほど、今日の弁当は私の好物だけが入っている。
ひょっとして、毎日買っている私の好物を調べて入れてくれたのだろうかとあり得ないことまで考えてしまうほどに。
実際にはあり得ないことだ。あの弁当屋はとても繁盛している。開店一時間後には朝仕込んだ分はすべて売り切れてしまうほどに。
私が買えるのは二度目の仕込みが終わった直後に店を訪れているからである。しかも、そのときでも客は多い。
店の人間と必要以上に喋れたこともないから、顔すら覚えてもらっていないだろう。それなのに、好物が知られているはずもない。
「……こ、これは!!」
ひとつひとつの料理をじっくりと眺めているうちに、あるものを発見して、私は立ち上がって叫んだ。
うっかり大きな声を上げてしまい、子供たちがびっくりして私を見つめる。まずい、とても恥ずかしい。
何事もなかったかのように椅子に座って、改めてその見つけたものを見つめる。
「鶉の煮卵……!」
それは――私が好きな料理のトップとも言えるモノであった。次に好きなのはオニオンリングだが、どうでもいいな。
一番の好物が入っているとは、なんていい日なのだろう。というかあの弁当屋、採算は取れているのだろうか?
たんぱく質は結構貴重なモノだと思うのだが……ま、余計なことは考えなくていいか。
弁当の中に入っていた割り箸を取り出し、力を入れてぱきんと割る。うむ、奇麗に割れた。今日はいいことだらけだな。
この割り箸を割るという動作は簡単なようでとても難しい。奇麗に割るにはコツがいるが、それを理解するのには人の一生は短すぎるだろう。
「いただきます」
誰にいうでもなく、一人食べ始めの挨拶をつぶやく。これは私が一人で食事をとっているときでもかならず言うことにしている。
材料となった動物・植物たちへの感謝。それらを育てた物たちへの感謝。その他もろもろへの感謝。
『いただきます』というのはありとあらゆるモノへの感謝が篭っている素晴らしい言葉だと私は常日頃から思っている。
最近の子供たちにはそれを忘れている。ふむ、今度から食事の時間も寺子屋の授業の一部、ということにしようか。
時間を設けて食べ始めと食べ終わりにきちんと「いただきます」と「ごちそうさま」を言わせる。
ちゃんとその挨拶の意味を教えておけば、素直な彼らだ、きっと言ってくれるだろう。
……いや、やはり駄目だな。私の食事時間が長すぎる。一人の食事ですら下手したら二時間かけるときもあるからな。
早く帰って遊びたいと思っている子供たちの速度に合わせていたら、食事の旨さを損ねてしまうだろう。
さて、まずは煮物だ。私はさっき割った割りばしを手に構え、狙いを定めた。
私は好物は最後まで取っておく派であるので、鶉は最後まで食べない。
この煮物もまた素晴らしいものだ。人参、こんにゃく、椎茸、じゃがいもの4つの野菜が、
食べてといわんばかりに美しさまで感じるほどの色をしている。
ゆっくりと箸を動かし、人参を掴み、口の中に放り込む。もぐもぐと口の中でそれを噛みながら、味を楽しむ。
「上手い……!」
たかが人参、されど人参。なんと美味なのだろう。一回噛んだだけで口の中に人参の甘さが広がる。
もう一度噛むと考え抜かれたであろう煮物の味付けが絶妙なまでに人参の甘さと絡みあう。
噛めば噛むほど甘さと味付けが絡み合っていき、至高とも言える旨さを醸し出す。素晴らしい。
口の中のモノが完全に喉を通っていったところで、今度はこんにゃくを掴む。
そのまま口の中に入れて、噛む。やはり、これも上手い。
噛んだ瞬間、こんにゃくの中に凝縮されていた味わいが口の中にぶわっと広がっていく。
こんにゃくというのはそれ自体の味はそれほどしないものだ。
ならば煮物においてどんな役割を担っているのかといえば、歯ごたえのある汁である。
すべての野菜を引き立てるために作られた汁を楽しむために、こんにゃくというのは入ってるのだ。
簡単そうに思える煮物だが、本当にうまいものを作ろうとすれば大変な苦労を伴う。
野菜を引き立て、かつそれ自体の旨さも楽しめるように、味付けをしなければならないからだ。
その点において、この煮物は完璧だ。煮物全体が、各野菜たちを引き立て。
各野菜たちが、煮物全体を引き立てている。なんてすばらしいのだろう!
今度、作り方をあの弁当屋に聞いてみることにしよう。教えてくれないかもしれないが……。
「さて、今度はじゃがいも、と……」
そう呟きながら、私はじゃがいもを掴み、口へと運んだ――が、そこで問題が起きた。
じゃがいもというのは表面がツルツルしている。箸の先に込める食べ物を掴む力というのは、入れなさ過ぎた場合は勿論だが、
入れすぎた場合も――そのツルツルとした表面が仇となって、こぼれおちる。
そう、私の箸の先でつかまれていたじゃがいもは――箸の先からするりとこぼれ、下へと落下していった。
まるで脳みその中で何かの物質が分泌されたかのように、じゃがいもがゆっくり、ゆっくりと地面へ向かっていく。
私の眼は落ちていくじゃがいもを捉えているが、何も出来ない。たかだがじゃがいもが床に落ちるだけの間の時間が、やけに長く感じる。
(私は、無力なのかッ……!)
じゃがいもが床に触れてしまえば、その時点で彼(彼女かもしれないが)を食すことは出来なくなるだろう。
贅沢と言われてしまうかもしれないが、寺子屋の教室の床はお世辞にも奇麗とは言えない。
もちろん、毎日掃除はしているが、今は授業が終わってすぐ。授業中に、私は何度も何度も黒板の前を往復していた。
よって、はっきり言ってしまえば今、じゃがいもが彼の命を失おうとしている床は汚い。
そこに落ちてしまえばもはや食べれる物ではないし、仮に食べれたとしても、「床に落ちたもの」という認識は変えられない。
つまり、彼の本来の味を楽しむことは非常に困難になってしまうということだ。
それなのに、私は彼を助けることは出来ない。この限りなく時間の速度が緩やかになった今という時の中、私は動くことができないのだ。
動かせるのは目だけ。なぜなら今この瞬間は私の目の中、脳の中で起こっていること。
そこに干渉できるはずもなく、ただただじゃがいもの命が失われていくのを眺めることしかできないのだ。
(何も、何も出来ないのか……!)
思わず目頭が熱くなる。もう少しでじゃがいもは床と接触するだろう。何も出来ない自分が、ただただもどかしい。
あぁ、すまないじゃがいも。私は君を食すことができなかった。この罪はどうやって償えばいいのだろうか?
閻魔に会う機会が会ったら教えてもらうことにしよう。真面目過ぎる彼女ならきっと教えてくれる。
そんなことを考えて、私が目の前を通過していくじゃがいもに諦めを持ったそのとき――
『諦めないでくださいッ……!』
突然、私の耳に声が聞こえた。この声は――誰だ? 知らんぞ?
『目の前にいるでしょう……?』
ま、まさか……じゃがいも!? お前なのか!?
『そうです。そのとおりです。今まさに破滅への道を急降下で爆走しているじゃがいもですよ』
くっ……! すまない、じゃがいも。その破滅への道、私には塞ぐことが出来ない!
『言ったでしょう、あきらめないで、と』
えっ……?
『慧音さん。私はね。食べられるために生まれてきました』
あ、あぁ。そうだろうな。じゃがいもだからな。
『いつか食べてもらえる。その瞬間を楽しみにして、私はひたすらに自分を磨きました』
………………。
『育てられて、収穫されて、料理されて、弁当の中に入れられて、いままさに食べてもらえそうになった瞬間に、私はこうやって落ちていってます』
……くっ。すまない……! 私がもっと力を弱めてつかんでいれば……!
しっかりとお前を食べることができたというのに! すまない、本当にすまない!
『落ちていくことに責任を感じることはありません。きっと、それが運命だったのですから。
でも慧音さん。もし私がこのまま床に落ちたときは――そのときは、それは貴方の責任です』
……? どういうことだ。落ちていくことに責任はなく、落ちたことに責任があるというのは……。同じじゃないか、両方とも。
『違います。まったく違いますよ。落ちていくことは、今起きていることで。落ちたことは――それはまだ、起きていない現象なのです』
! ま、まさか! お前を今この瞬間、この箸でつかめと、そう言うのか!
『そのとおりです、慧音さん』
無理だ! もはや時は進んでしまっている! 現に、お前はこうやって話している間にもどんどん床へと向かっているじゃないか!
あと何秒の猶予もない。そんなお前を掴むことなんて、到底無理な話だ……!
『でもまだ落ちてませんよ』
!
『まだ、落ちてないんです、慧音さん!』
………………………………。
そうだったな。そうだったよ、じゃがいも。お前はまだ落ちていないんだったな。お前はまだ、私に食べてもらうことをあきらめてはいないんだな。
『慧音さん……!』
「ならば私は全力を出そう。全力でお前を掴んで、お前を食してやる!」
そう叫ぶと同時に、私は箸を持った腕を動かし始めた。ゆっくり、ゆっくりと。ただただ真っ直ぐに、箸はじゃがいもへと向かう。
私はなんてことをしそうになっていたのだろう。彼ら食べ物は、食べられるために生まれたのだ。
それが彼らの存在意義。にも拘わらず、私はそれを蔑ろにしそうになっていた。
それじゃ、駄目なんだ!! そんな彼らを踏みにじるようなことは、しちゃ駄目なんだ!!
そんなことをすれば、私はもう二度と食事を楽しむ権利を得られないだろう。いや、それどころか――何かを楽しむ権利すら無くなる。
他のモノの存在意義を奪ってしまったモノに、そんな権利など合ってはならないのだから。
そう。食物は私たちのために生き、私たちは食物のために生きるのだ。彼らの存在意義を成すため、ただそれだけのためにッ……!
箸の先はどんどんじゃがいもへと近づいている。もう少し、もう少し……! だが、間に合うかはかなりシビアだ!
こうなったら、掴むのは諦めて、刺すしかない! 箸の先を、じゃがいもに突き刺すしか!
「あぁッ……!」
外した。間に合わないと判断した私は、よりいっそうの力をこめて箸の動かす速度を速め、じゃがいもに突き刺そうとしたのだが――外れてしまった。
この時点で既にじゃがいもと床との距離は1cmもない。箸を引いてもう一度つき出す時間はもはや残っていない!!
絶望。その言葉が頭の中をぐるりぐるりと回転している。気のせいか、頬の上冷たい何かが流れていく。
すまないじゃがいも、やっぱり私はお前を食すことが――いや待て。そうだ、一つだけ手があるッ!
ガタリという大きな音が教室の前から聞こえたので、私は思わずそっちを見た。いったい、何の音だろう?
他のみんなは気付いてないみたいだけど、私の猫の耳にはしっかりと聞こえた。
気になって、立ちあがって音のした方に顔を向けた。そして――ひどく恐ろしいものを、目撃してしまった。
私の眼の先には、何かを持ったまま倒れた慧音先生がいたのだが、その頭に――
「け、けーねせんせー……?」
「ど、どうした、橙」
私の声は震えてしまったいる。ひょっとして、授業に混ざっていた私を怒るつもりなのだろうか?
堂々と勝手に授業を受けてたのに何も言われないから黙認してもらっていたと思ってたのに、ひょっとして気づいてなかったのだろうか?
そんなことを考えてしまうほど、私は目の前の光景が信じられなかった。
慧音先生は――満月の日でも、ましてや夜でもないのに、何故か角を生やしていた。
残されたたった一つの手、それは歴史の改竄だった。といっても落としたという歴史をなかったことにしたわけではない。
自分の歴史を改竄することなど(何百年後か立って更に力が強大になったらわからないが)できない。
ならば何を変えたのかといえば――里全体の、高度である。里全体の高度をぐぐっと下げて、じゃがいもに突き刺しなおす猶予を作ったのだ。
里の歴史そのものをなかったことにできる私にとって、高度など簡単に変えられる。高さをなかったことにすればいいのだから。
妖怪化していないのにできるかどうかが問題だったのだが、どうやら私のじゃがいもへの思いの強さが、私を妖怪化させたらしい。
そしてその結果、床に倒れ込んだ私の箸の先には、じゃがいもが刺さっていた。ふぅ、よかった……これで、彼の存在意義を脅かすことはなくなった。
「け、けーねせんせー……?」
「ど、どうした、橙」
橙が何故か震えた声で私に話しかける。一体どうしたというのだろうか。
……しまった! 何ということだ。生徒の前で妖怪化してしまうとは!! ……いや、しかしどうやら橙以外誰も見ていないようだ。
ルーミアが箱ごとがじがし齧っているのを止めようと、みんなそっちばかり注目している。ふぅ、よかった。今度ルーミアに飯でもおごってやることにしよう。
橙が目撃してしまってはいるが、彼女は紫の式の式であり、神社で行われる宴会でも雑用(もしくは紫の式が単に連れてきたいだけ)で来ているので、
私の妖怪姿も一度ならず見ている。心配はな――いや、なんで彼女の声は震えているのだろう。そこが問題だ。
「な、なんで妖怪化してるんですか……?」
そうつぶやいた途端、ハッとした顔をした後に、皆が私の方を見ても角が見えることのない位置に立って、橙が話しかけてきた。
こういう何気ない気配りは嬉しいな。きっといい式か嫁になることだろう。あの妖獣が許すかどうかはともかくとして。
しかしまぁ、何のことはなかったな。何かとんでもないミスをしてしまっているのかと思っていたが。
「いや、何でもないんだ。気にするな」
安心させるために妖怪化を解きつつ(じゃがいもパワーが無くなったのですんなり出来た)立ち上がろうとしたところで――私は思い出した。
箸の先に刺さったじゃがいものことを。
マズい、非常にマズい。どうやらまだ橙はそのじゃがいもに気付いていないようだが、バレたとき、非常にマズいことになる。
私は今立ち上がる瞬間まで、倒れていたのだ。そして、箸の先にはじゃがいもがある。
落ちた食べ物を拾って食べようとしている、と思われてしまうかもしれない!
実際、落ちたものを拾い食いするのは褒められた行為じゃない、というか行儀が悪い。
私の行動はじゃがいもの声が聞こえたがゆえのものだが、果たしてそれを信じてもらえるか。
それに、子供というのは多感なもので、人真似をして礼儀や常識を学ぶもの。
教師という立場である私が拾い食いしたと思われてしまうと、彼女はそれは悪いことではないと思ってマネしてしまうかもしれない。
そんなことになれば、私は自分を責めて責めて責めて責めて責めて責めて責め抜くだろう。
彼女の評判や評価が下がってしまい、もしかしたら彼女の一生を左右することになってしまうのかもしれないのだから。
ゆえに、このじゃがいもを見つかるわけにはいかない。どうする、どうやってこの場をごまかす!?
「さぁ、橙。早くみんなのところへ戻って昼食の続きをしなさい。あまり褒められたことじゃないぞ、食事中に出歩くのは」
自然を装いつつ、箸を持った右手を左手とともに後ろにやり、橙にそう囁く。
考え抜いた結果、教師という立場を利用してこの場を去らせればいい、という結論が出た。悩んだ割には単純な上、大したことはやっていない。
「はーい。……? 慧音先生、後ろに何を持ってるんですか?」
首をかしげて不思議そうに後ろにやられた私の腕の先を見つめながら、橙がつぶやいた。
気づくなよ!!! 思わずそう叫びたくなってしまいそうになるのを胸をギュッと押して耐える。
くぅ、なんということだ。折角のアイディアが即潰されてしまった。
さてどうやってごまかすか……。そうだ、いいことを思いついた。昔見たこの子のスペルカードからヒントを得た素晴らしいアイディアを。
「!? せ、せんせー? 何やってるんですか!?」
私が突然ぐるりと回転したのに驚いたのか、橙が少し大きな声を上げた。
心配そうな顔をしているが、ひょっとして私の頭がどうかしてしまったのかと思われているのだろうか?
それはそれで悲しいが……この子のためだ。しょうがない。あぁ、しょうがないんだ。うん。きっとそうだ。
そう自分に言い聞かせて、橙の肩に手を置いて、にこりと笑いかけて皆が集まっているほうを指さす。
もう戻ったほうがいい、という意味の動作を理解したのか、心配そうな顔のまま、橙は走って行った。
誰もこっちを見ていないことを確認して、私は回転したときに高速で口に放り込んだじゃがいもをむしゃむしゃと咀嚼し始めた。
残った椎茸を口に放り込んでその味を楽しんだところで、私の箸は今度はシャケへと向かっていく。
箸の先で魚の身を軽く崩し、かけらを口へと運ぶ。そして、咀嚼。
これもまた素晴らしい。おそらくは、酒粕を使った焼きシャケだろう。
シャケの身を酒粕で包みこみ、しばらく放置する。それを焼けば、酒粕の焼きシャケは出来てしまうのだが――
料理人のこだわり抜いている点は、おそらくは焼き加減。これを誤ってしまえば、大変なことになる。
中途半端に生身のシャケの味は酒粕の味わいと反発しあってしまうし、焼き過ぎたシャケの焦げた味わいはそれだけで主張しすぎる。
だがこの焼き加減は二つの味わいが完璧に混じり合うそのギリギリをしっかりと抑えていて、
ただの焼きシャケが高貴な香りと味わいを演出していて、旨い。
その素晴らしい旨さがまだ口の中に残っている内に、ご飯を食す。あぁ、素晴らしい。
シャケの後味が白いご飯の本来の旨さを極限まで引き出し、かつ飽きさせることのない味わいをも生み出している。
これほど上手いご飯など食べたことがないと叫んでしまいそうなぐらい、とにかく素晴らしい。
そしてまだこのご飯もいい。初めちょろちょろ中パッパ、赤子泣いても蓋取るな、という言葉をしっかりと守っているのだろう。
おそらくはこの里でとれる米を使っているのろうだが、私が自炊するときも同じ米を使っているのになぜこんなにも違うのか。
……そうだ、今度朝食もあの弁当屋で取ることにしてみよう。今日の帰りにまずあの店で仕込みの時間を尋ねておこう。
そうしてその時間のすぐあとに行けば、出来立てのシャケとご飯が楽しめることだろう。
温かさを保ったままのシャケと炊きたてのご飯。想像しただけでも口の中の涎が溢れ出てきそうだ。
……って、考えてみればこれは日替わり弁当じゃないか。明日もシャケが出るとは限らない。
がっくりと肩を落としながら、私はシャケとご飯を交互に口に放り込み続けた。
「ふぅ……」
竹で出来た水筒の中に入ったお茶をこくこくと飲み、私は深く息を吐いた。煮物とシャケを食べ終え、一息ついたのである。
といってもまだ食べ終ったわけではない。少々のご飯と天ぷら。そして――鶉の煮卵が残っている。
そう、いうなれば今までの料理はすべて引き立て役。もちろんそれすらも十分旨かったのだが、
やはり食事において一番のメインは自分の好物だろう。人によっては副采が主采になるわけだ。
「よし!」
意味もなく気合いを入れて、天ぷらに取り掛かることにした。
天つゆ代わりの醤油をちょっぴりかけて、箸で衣を崩さないよう注意しながら摘み、噛みきって半分だけ口の中に入れるつもりだった。
だが、噛んだ瞬間に――私は驚愕した。私の歯で、サクリという感触を感じたからだ。
「馬鹿な……!」
この弁当を買ったのは寺子屋で授業の準備をする前、つまり何時間も前のことである。
現に、時間が立っているのでさっきのシャケとご飯の温度は冷たくなっていた。
そして――通常なら、天ぷらも時間が立ち、衣が柔らかくなるはずなのである。
それに弁当には蓋がしてあり、水蒸気の発生で蓋に水滴がつき、その水滴が衣を更に柔らかくしてしまうはずなのだ。
にもかかわらず、今、たった今私はこの天ぷらからサクリという感触を得た。
つまり、衣が柔らかくなることなく、出来立てであるかのように堅く堅くなったままだということだ。
そんなはずはない。あり得ない。だが、現実としてたしかに歯ごたえを感じたのだ。
いったいどういうことなのだろう。蓋や衣を眺めても特に何かの仕掛けを施している様子はないし、
味にこれといった隠し味があるというわけでもなかった。普通の天ぷらであるはずなのだ。ものすごく旨い事を除いて。
なのに……なのに! この天ぷらにはサクサク感が消えていない! いったいなぜ、どうやって、衣の感触を留めたというのか。
竜の玉を7つ集めても叶いそうにないこの感触を、いったいどうやって……!
「フッ……」
思わず私はにやりと笑ってしまう。どうやら、あの弁当屋――旨いだけの店、というわけではないらしい。
おそらくは何か大変な技術を抱えているに違いない。天ぷらの衣の感触を損ねないという、神をも恐れぬ技術を!
ひょっとしたら、河童等の妖怪と何かつながりがあるのかもしれないな。あとで調査してみよう。何か裏があるかもしれない。
……勘違いするなよ? 私は人間が大好きだが、手放しで信用している、というわけではない。
悪意も善意も兼ね備えているのが人間であり、そういうところも好きな理由だ。
何がいいたいかといえば、彼らが妖怪と組んでいる可能性がある、というのは見逃せないことであるということだ。
もちろん、ただのビジネスライクな関係にすぎないのかもしれないが、深くつながっている場合、
ただ単に仲がいいだけならいいが、ひょっとしたら何か人里に害あることをしようとしている可能性もあるのだ。
そもそもあの弁当屋の店員たち自体が妖怪である可能性だって否定はできない。
だから、調査とかこつけて別に衣を堅く保ったままにする技術を教えてもらおうだとか、
その前にまずいろいろとレシピを教えてもらおうとか思っていない。
ただ単に、何か取り返しのつかないことが起こる前に調査しておかなければと思っているだけだ!! 勘違いするなよ!!
「……誰に対して言いわけしてるんだ私は……」
自己嫌悪を催して、私は思わず頭を抱えてしまった。
「さてと」
自己嫌悪でつぶれてしまいそうになったが、気を取り直して私は天ぷらとご飯を片づけた。
といっても味わって食べたいがために20分以上時間をかけてしまったが。
気づいたら既に教室に子供たちはいなくなっていた。みんな帰ってしまったのだろう。
食べるのに夢中で挨拶に返事をしていない気がする。が、今はそんなことを悔やんでいる場合じゃない。
残された料理は――そう、鶉の煮卵。
煮られたことで灰色がかったそれが、今、私の目の前に存在している。少々でこぼこが多いのが気になるが、まぁいいか。
自分でゆで卵や煮卵を作ったときも時々皮を剥くと何故かデコボコができてしまっていることがある。
すべてにおいて完璧なモノなど存在しない。他のモノは十分においしかったから、卵のデコボコなど気にしない。大事なのは味だ。
だが、気をつけなければ。これはたったの二個しかない。しっかりと味わなければ、私は一生後悔することになるだろう。
緊張してしまっているのか、若干震えている手で箸を持ち、煮卵へと向かわせた――その時だった。
「あー! 煮卵だー。おいしそー」
いつのまにか目の前にはルーミアが立っていて、弁当の中を覗いていた。あまつさえ、私の好物を狙っているようだ。
ど、どうする……! さっきの件でルーミアには借りがある。ならばそれを返すためこの煮卵をあげてしまうべきなのだろうが――
恥ずかしい話だが、それはしたくない。卑しい人間だと思われたくないので私が煮卵をどれだけ好きなのか、
そして煮卵の旨さがどれほどのものかを語りたいが、求聞史記一〇冊分の紙が必要になるだろう。……何を言っているんだ私は?
とにかくだ。今はこの目の前の危機を脱することが先決! とりえあず、さっきと同じように教師権限で帰らせよう。
そしてそのあとでじっくり味わっても遅くはない。むしろそうやって自分自身を焦らしたほうがより旨さを引き立て――
「ねー、けーねせんせー。一個ちょーだい」
言われてしまった……! 私が今、このとき! もっとも恐れていたセリフを……!
ここであげなければ、私の信用は地に落ちる。というかそんな卑しい自分を私自身が嫌になるだろう。
だが、私の中の別の私が、あげるな、自分で喰えとそう言っている! どうすればいいんだ……!
『慧音さん……』
この声……じゃがいも!? じゃがいもなのか!?
『そうです。今、あなたのお腹の中におさまっているじゃがいもです』
やはりそうか……それで、どうした?
『私はただの食材に過ぎませんが、一つだけ。一つだけ貴方にできるアドバイスがあります』
アドバイスだって……? 一体、どんな?
『【食べたいなら食べればいい】……それだけです。それだけですが、それこそが、私が確信しているこの世の真理です……!』
食べたいなら、食べればいい……?
『そうです。食事とは本来神聖なもの。誰にも邪魔をされてはならないものです。
古来の人間はたくさんの争いをしました。しかし、最初の争いの原因は――食糧です』
なんでそんなこと知っているんだ?
『自分自身が生きるために食べる、それが食事というもの。それを害す輩から食事を守るために、人は争いを始めたのです』
私の疑問は無視か。
『だから慧音さん。食べてください。あなたが食べたい物を、食べるのです!!』
……! そうだな。そのとおりだ。私は食べる。食べてみせる!! 私が食べたい物を、この口で!!
よし、ルーミアに有無を言わせる前に口の中に放り込んでしまお――
「あーん」
ルーミアの方を向くと――彼女は既に、素手で煮卵を掴んで口の中に運ぼうとしていた。
「お前ェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!」
雄たけびを上げて、私は箸でルーミアの手から卵を奪った。突然の大きな音にびっくりしたのか、ルーミアの手には力が入っておらず、簡単に奪えた。
そしてそのまま奪い返した煮卵を口に運び、その口を閉じた――が、私の舌が味を感じることはできなかった。
びっくりしてルーミアのほうを見ると、いつのまにか彼女の手には煮卵が収まっていた。
「ば、馬鹿な!! どうやって!」
「けーねせんせい。私ね、食べるのが好きなの」
さっきとはまるで違うトーンで、ルーミアが呟いた。
「何が言いたい?」
「人肉は好きよ、勿論。でもね、最近ではそうでもないの。なんでだかわかる?」
「……何が言いたい」
私の問いかけに答える前に、ルーミアはその口を大きく大きく開けた。
その中にブラックホールでも広がっているかのように、口の中は真っ暗だった。
……若干イカ臭い。おそらくさっきの弁当はイカ墨を使った何かだったのだろう。
「人肉より旨いものを知っているからよッ! 私は煮卵が大好物なのッ!
例え私の評判が下がろうが! 巫女が来ようが魔女が来ようが!
そして! 例えそれが他人のものであろうが! 私は目の前の煮卵を見逃さないッ!」
ギラギラとした目を携えながら、ルーミアが大声で叫んだ。
なるほど、こいつは同類! そうか……さっきから妙に感じてた嫌悪感は、同族嫌悪というものだったのか!
「ならばお前は私の敵だァーッ! さっきじゃがいもが教えてくれたッ! 『食べたいなら食べればいい』ッ!
私の食べたいものは煮卵ッ! 誰にも渡しはしないッ!」
そう叫ぶと同時に、私は箸を置いて右手で煮卵を狙う。だが、昼間であるとはいえ妖怪は妖怪。
その手を見逃すことなく、彼女は卵を持った右手を右に動かした――が。
私の狙いはむしろそれだった。空いていた左手で、動かした直後で隙だらけとなっている右手から煮卵を奪った。
そしてそれを口の中に入れて、噛み砕こうとしたのだが――突然、唇を何かで塞がれた。
ルーミアが私の口の中から卵を奪おうと、自分の唇を私の唇に合わせたのだ。
そして、舌を私の口の中へと入れようとする。どこからどうみてもキスシーンだが、私と彼女にそんなつもりはない。
むしろ舌を絡めることで卵の移動を防ごうと必死になっている。
「「あっ……!」」
お互いの舌の動きが激しすぎたせいか、私の口からぽろりと煮卵がこぼれた。
地面に激突するその前に、私はじゃがいもの時よりも数倍早い動きで箸を一本掴み、力強く投げた。
ぐさりという音とともに煮卵を箸が貫通し、地面に刺さる。これで、煮卵が地面に触れることはない。が――
私の状況は圧倒的不利に立たされてしまった。箸を投げるために私は立ち上がったままそれを掴んだのだが、
ルーミアは落ちる前に掴もうと体を倒していたのだ。よって、今煮卵に一番近づいているのはルーミアの口ということになる。
「させるかッ!!」
ルーミアの背後から彼女に抱きついて、その体を立たせる。
バタバタともがいて私の抱擁から抜け出そうとするが、力は私の方が強い。
諦めたように彼女が力を抜く。ふぅ、と軽いため息をついて私は力を弱め――てしまったがゆえに、ルーミアは素早く私の手を振りほどいて、
卵に向かって顔面から滑り込んだ。が、ガツンという音が二つして、ルーミアは顔を抑えてゴロゴロと転げまわった。
煮卵を貫いた箸は一本だけ。つまり、もう一本は机の上にあった。その一本を、私はルーミアの進路に投げ刺したのだ。
その箸に顔をぶつけ、ルーミアが悶絶しているウチに、私は煮卵の刺さった箸を床から抜いた。
そのまま食べてしまおうかと思ったが――足元から聞こえる嗚咽で、私の頭は急速に冷えていった。
「ルーミア」
「ひっく……痛いよぅ……」
すんすんと涙を流して倒れているルーミアの横に座って、私は彼女を今度は軽く抱きしめた。
ぽんぽんと優しく背中を叩いて、彼女を慰める。
「すまなかったな。少々、やり過ぎたみたいだ」
「ひっく……いいよ……ひっく……私も……興奮しすぎちゃった……ひっく……ごめんなさい……」
「いいさ。気にするな」
私がそういうと、ルーミアは私を抱き返してきた。煮卵を持っていない方の手で、美しい金色の髪を梳くように撫でる。
「食べ物の恨みは怖い。それを忘れるな」
「うん……」
「いくら好きだからって、人が食べようとしているものを食べるのは駄目だ。
その人その人の食べ物に対する想いは違うが、共通して持っているのはその目の前の物を食べたいという想いだ。
だから、他人の物を奪って食べるというのはその想いを踏みにじるということ。わかるな?」
「うん……うん……ごめんなさい……」
「もう二度とするんじゃないぞ?」
「うん……わかった……ひっく……」
「よし。それでいい。じゃあ、暗くなる前に帰ったほうが――おや?」
突然動かなくなったルーミアを見てみると、とてもとても穏やかな顔で眠ってしまっていた。
私は思わず苦笑してしまう。
「おいおい、これじゃ食事ができないじゃないか……」
そう呟きながらも、私は彼女が起き出すまで、ずっと彼女の体を抱きしめ続けた。
「さよーならー、慧音先生ー」
「気をつけて帰るんだぞー」
妖怪に対して気をつけろというのもおかしな話だが、箒に乗った魔女に轢かれる可能性もこの幻想郷では少なくない。注意を促しといて悪いということはないだろう。
さて、と。いよいよ。いよいよだ。
ものすごい回り道と無駄な時間を過ごしてしまったような気がひしひし、ひしひしと感じられるが、今は忘れよう。
そう! 今はこの目の前に存在する煮卵。愛と涙と血と汗の結晶をフル活用してついに手に入れた煮卵を咀嚼するというこの機会。
それがいよいよ始まるのだ。さぁ、どうやって食べようか。一口で食べるか? 箸でその身を崩してちょっとずつ食べるか?
……やはり一口で食べるべきだろうな。弁当の中に残ったままの一つはともかく、さっき争っていた卵は箸が貫通してしまっている。
これを抜いてしまうと下手したらその身が崩れ出してしまうかもしれない。そうなれば、机の上や服にぼろぼろと黄身がこぼれ出し、
私が煮卵を楽しむ時間がより少なくなってしまう。それよりは、ぱくりと一口で食べて、じっくりとその味わいを楽しむべきだろう。
よし。さぁ、食べるぞ! 私は手で箸の先ギリギリまで卵を動かし、大きく口を開けて箸ごと口に入れた。
「なん……だと……」
私は崩れ落ちた。
「里芋じゃないかこれ……!」
よく見てみればガサガサとした「それ」の表面を見ながら、私は気を失った。
JOJO化した二人にも吹きました
そうですよね、イカリングなんて知らない!
わかります
わかります
……つか、ジャガはいつまでしゃべれるんだろう。妖怪化してないか?
好物を集めながら最後に裏切った内容の弁当に陰謀の臭いを感じる
先生はゲームに負けてしまったのですね
というか闇弁当って何。そしてこのジャガイモは誰がどこで作ったジャガイモなのか、弁当屋さんに謎がまだ盛りだくさん。
とりあえずSAWなのかーで吹いた。
どうしてくれますか。
責任を取ってルーミアと慧音のラブラブ話を書いてくれやがってください。
お弁当良いよね。
腹減ったから好物の乾パン買ってくるノシ
大杉漣のあの顔が忘れられない
猛烈なキスシーンをもう少し具体的n(ry