髪の毛を通る指先が水気を失っていることに気づいたときには、とっておきの漫画が上辺ばかりの感想とともに返された程度にショッキングだった。
手を止めさせて、指先に自らの指を絡ませる。ついこないだまでは、剥いたばかりの卵のような肌だったのにな、と、ため息が漏れるのをどうにか堪えた。
これが美鈴の場合であれば、自分の高尚な趣味についてこれないと優越感に浸れるものの、咲夜の指先に対して同じ感想はもてそうになかった。
ショックの度合いは同じぐらいであっても、別の問題であった。
ささくれた指先。
毎日一緒に居るというのに、いや、だからこそ気づかないものなのだと指を離す。
何しろ、自分はそのような心配とは無縁なわけで。
だからなおさらだ。
この子の、人間の身体の事情を考えることもなかった。
「どうなされましたか?」
「ん」
何しろこの子は優秀だから、こちらが考えごとをしていることはすぐに気づく。
しかしながら、覚り妖怪ではないわけで。
「なんでもない」
と言えば、それ以上の追及はしてこない。
そのような人間だった。
このようなナイーブな問題で、なおかつどうでもいいことをパチェへと相談するのも癪だったので、門の前でぽけーっと空を眺めている美鈴を相談相手に選んだ。
曇り空ではあるが、久しぶりに日傘を自分の手で持って。
咲夜は洗濯物を洗うためにたらいに水を張っているのを見た。この季節は水も冷たいだろうによくがんばるものだと感心と若干の罪悪感は湧いたものの、それが与えた仕事なのだ。その重労働を労ることまで考えるのが当主たるものの務めである。
こちらの姿に気づいた咲夜には「庭を見回るだけだからついてこなくてもよい」と言い含めておいた。
そうでなければ、時を止めて仕事を片づけてこちらへついてこようとするだろうから。
ある意味では面倒な子であった。
「というわけなのよ」
「一から説明してください」
「なんだと」
「そんな、自己完結されても困るんですが。何か用事があるのかなと思ったら、いきなりというわけなのよって」
「それぐらい察しなさい。紅魔館の門番でしょうが」
「そんな無茶ぶりを完璧にこなすのなんて咲夜さんぐらいでしょうが」
「そうよ、咲夜のことなの。あの子の手が荒れててね」
「野菜食べるように言ってください」
「この季節は水も冷たいし」
「河童に頼んでみたらどうですか。もしくは魔法でとか」
「ナンセンスよナンセンス。その二つの提案も考えておくけど、それよりもっと単純に咲夜に感謝されるようなことってないかしら」
「私だったらグルメツアーとか行きたいですね」
「却下よ却下」
「じゃあ眠らない体とか」
「すべてほしがる欲望のほうをどうにかしなさい」
「まぁ咲夜さんの場合は休暇をあげても普段とあまり変わらない生活しそうですし。
やですね仕事人間って。そわそわするばっかりで見てるほうもめんどくさくなるし」
「そんなことより手荒れよ手荒れ。手っとり早く感謝されるようなもの」
「なんだって喜びそうなもんですが。
どくだみとか、結構効きますよ」
「八意印の軟膏じゃダメかしら」
「はじめっからそういう発想できるんじゃないですか。じゃあそれでいいじゃないですか」
「うちのメイドが手荒れだから処方してくれって。
そんなの馬鹿にだってできるじゃないの」
「めんどくさいこと言いますね。
手作りで、しかも簡単にできて、感謝されるものがいいってことですか」
「真心が入るでしょ」
「面倒くさがってる時点でどうかと」
「合理化といってちょうだい」
幸い、どくだみは美鈴が家庭菜園で育てていた。
ゴリゴリとすり鉢で擦ればまぁ、なんとか。
しかしこれは。ひどい臭いだ。鼻が曲がる。ひん曲がる。フランドールのへそぐらい曲がっているに違いない。
あんにゃろう。
私は素直でクールビューティーでついでに鼻が良い分、こういうところで損をするのだ。
咲夜のためでなかったら、好き好んでこのようなことをするもんか。
臭くて臭くてたまらなくなってきたので、ハンカチを鼻に詰めておいた。
見た目は崩壊したかもしれないが、臭いには変えられない。
短期的に見るならば愚行に見えるかもしれないが、広い視点で見るならば、この鼻に詰める行為は決して悪いことではない。
恥という概念に囚われているうちは新しい「お姉さま何してるの鼻にハンカチとかやっばーやっぱダメだね旧式はふぐっ!」
素早く頸動脈をキメてフランドールの意識を落としておいた。
ごめんねフラン。闘いが終わったらきっと。
ていうか、できることなら一生寝てろ。
そっちのほうが気楽だ。
「甘いわねお姉さま。それは本体よ」
「なんで分身がどや顔してるの」
「私を倒しても第二第三のフランドールが」
しつこいからドクダミをすりつぶしたものを投げつけておいた。
悶え苦しんでた。ざまぁみろ。
すり鉢でぐちゃぐちゃに潰された、異臭を発するコレを、どうやって塗らせればいいのだろうか。
そこまでは考えていなかった。
薬であると言えば、咲夜は喜んで塗るだろう。
効果があるかないかはわからないけれども、効くものが入っているならば、まぁ。
すり鉢を抱えたままで歩き回るのは絵面が凄まじいことになっていると思うけれども、それはそれ。
「何をなさってるのですか?」
そらきた。
「働き者を労おうと思ってだな」
めざとい咲夜であれば、すぐに見つけてくれると踏んでいた。
期待通りの働きを常にしてくれて一流。
期待以上の働きを常に提供してくれることでようやくパーフェクト。
「しかし咲夜。最近のお前は少しばかし、三流だな」
「そうでございますか?」
首を傾げる。
私はその手を取って、撫でてやった。
手の甲を指先でなぞってやると、思ったよりもかさついていて、水気も失われていた。
「きちんと話してくれなきゃ、わからん」
「そうですね」
「お前だって、ずっと傍にいるわけじゃないだろう」
「できる限りはお仕えしたいと思っていますが」
「もっと自分のことを話すようにしろ」
「命令で、ございますか?」
「うんにゃ、そうしたほうが私達らしいからだ。
だから、そうしろ」
額を指先で押してやる。
いずれは目元や額にも皺が刻まれていくことだろう。
それを肯定的に受け入れることができるかはまだわからない。
人間を傍に置くのはこれが初めてのことなのだ。
「で、だ。これで軟膏を作ろうと思う。働き者の手に塗ってやるんだ。ラードがあったろう。手伝え、手伝え」
「厨房に行けば。ですがまだ仕事が……」
「そんなものは後回しにしたらいいだろう。私がそうしたほうがいいと言っている。それを咎める者なんていない。
なんせこの館で一番偉いのは私なんだからな。命令一つでどーにでもなる」
「そんなにかさついていますか。私の手は」
咲夜が右手の甲を左手で撫でて、首を傾げた。自分では中々わからないものでも、私にゃわかるのだ。
なんせ、この娘は私の自慢のメイドだ。手放す気など毛頭ない。
「やっぱりアレですかね、洗いすぎ」
「洗濯物なんて妖精メイドにでもやらせても不具合はなかろう。そりゃ、繊細な生地のものはそうはいかんのだろうが」
「ああいえ、私が洗ってるのはお嬢様のドロワだけでして。他は美鈴が」
「さくや、おまえ、くび」
てか最後で台無し、イイハナシダッタノニナー
決して枯れない涙をふきましょう
もしかして美鈴は美鈴でフランちゃんのドロワで(ry
どうしてこうなった(誉め言葉)
ふらんちゃんかわいい