夜の風物詩と言えば?
花火?
お祭り?
…もしかして、やらしいこと考えてたりしないよね。
違うね、全然違う。
本当の夜の風物詩って言うのは、もっと別な奴。
もっと清々しくて、単純で、綺麗なものだよ。
輝く時間は短いのに、なんだか心を癒す。
そんな、柔らかい碧光で、夜を照らすのさ。
…まだわからないかい?
随分鈍いね。それとも、人間はもう忘れてるのかな。
いや…忘れてるんじゃないか。
もしかしたら…『興味が無い』だけかもしれないしね。
ま、それも仕方の無いこと。
人間なんていうのは…口じゃ、偉そうに言うんだ。
けれど、結局私達を守って来てくれた奴らなんて極一握り。
その中で真剣な想いを持っていた奴らは、そこからさらに極一握り。
それ以外の連中は、飽きたら即捨てるような連中さ。
本当に…腹が立つ。
でも、私達は人間のために夜を照らすわけじゃない。
少なくとも、私はそうだ。
あれは―――自分が生きている証なんだから。
そうだね…ここまで言って気づくなら十分。
気づかないなら、やっぱり人間ってそんなもの。
そんな馬鹿な人間達に、私の正体を教えてあげるよ。
私は蛍。夜空を照らし続ける、誇りある蟲だよ。
~Fire Fly~
私が生まれたのは、いつだったかな。
…随分昔。
生まれた時の事なんて、忘れてる。
何せ、蛍としては随分長く生きたからね。
生まれた時は、水の中。
綺麗な綺麗な、澄んだ水。
そうじゃないと生きられないって、仲間達から聞いていた。
何でかなって、不思議には思ったけど…試そうとはしなかった。
群れから離れるのが、怖かったから。
澄んだ水の中には、沢山の生き物がいた。
その中には魚もいたから。
小さな小さな私達は、油断したら食べられてしまうから。
だから、群れを作って何とか生きていた。
…最初は、数十匹いた仲間達。
でも気づいたら、その数は10匹程度になっていた。
喰われたり、餓死したり、陸に出てしまったり。
だからこそ、死にたくないと思った。
私は生き抜いてみようと。
そして…まだ見ぬ、その光り輝く姿を手に入れようと、願った。
…人間にしたら、極僅かな。
それでも、私達にとってはとても長い時間が流れた。
なんだか、体が不思議な感覚に囚われた。
仲間達は土の中に行こうとしていた。
そう、それは光り輝く身体になるための過程。
暗き土の中で、殻を作って閉じこもる生活の始まりだった。
私も例に漏れず、土の中に入って行った。
そこからは…本当に長かった。
土は、沢山の栄養があったから死ぬことはない。
包まるだけの生活は、とても楽だ。
けれど…耐え忍ぶだけの生活。
私は、こういうのが苦手。
だって、暇だから。
身体と心は正直だ。
私の心は潤いを。私の身体は、光を求めた。
…また、時間は流れた。
もちろん、年単位なんかじゃない、たったの一週間とかその程度。
けれど、私はどれだけその時を待ち望んだか。
光が、身体に差し込んでくる感覚。
…これこそが、私の求めていた世界。
空すらも、支配できる身体。
純粋に、この肉体を喜んだ。
澄んだ水。
美しき夜空。
支配する、蛍火。
今考えてみれば、最高の環境だ。
大勢の仲間達が、私には居たから。
皆で、夜を輝かせた。
それが、ある夏の夜の出来事。
…そんな日が、何日か続いた。
ある時。仲間の蛍が、数匹死んだ。
おかしいと思った。
そいつらは、外傷とかが全く無いのに。
誰かに食われたとかで、身体を失ったわけじゃないのに。
そいつらは…ただ、草木の上で仰向けになって、死んでいたんだから。
…私は、思わず聞いてしまった。
まだ生きている仲間に、事の真相を。
幾らなんでも、昨日まで生きていた仲間達が、いきなり死ぬはずが、無い。
ずっと、そう思っていた。
けれど、そいつからの答えは簡単で、あっけない。
「…俺達蛍は、大して長く生きられる蟲じゃないんだ。
水の中…土の中と長い時を経て。やっと明るい太陽の下で暮らせるようになる。
けれど、その時間はたったの一週間やそこらで、終わりなんだ。」
そんな馬鹿な。
まさにそんな感じで…私は、訴えたね。
認めたくなかった。
私たちが、そんな簡単に死ぬんだって事。
そしたらそいつは、さらに続けて言ったんだ。
「それと…お前も、気づいてるだろう?
最近、川の水が汚れてきているって事…」
気づかないわけが無かった。
今まで美しく澄んで、川の空を飛んでいても川底が見えるぐらいに綺麗だった川の水。
それなのに。
ここ最近…そんな、澄んだ水じゃない。
何かが流れ着いているような、そんな嫌な川の水。
「…そいつも、原因の一つだ。
蛍火を見に、多くの人間がこの川に集まってきている。
そのときに…汚されていくんだよ。この、俺達の川がな。」
「お前は知らないんだったか…
蛍って言うのはな、澄んだ水のある場所で無いと―――暮らしていけない。そんな物だ。」
知らない知らない知らない。
それが蛍だというなら。それが蛍の宿命だというなら。
―――一体、私は何の為に生まれてきたの?
何で、あんなにも長い間土の中で耐え忍んできたの?
どうして、水の中で他の奴らに喰われるのを怯えていたの?
―――今この時、死ぬ為に?
嫌だ嫌だ嫌だそんなの嫌だ。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
そして私は…訴えた。
どうして、死ぬ事をそんなにも簡単に受け入れられるの?
どうして、死ぬことが怖くないの?
どうして、死ななくちゃならないの?
…その答えは、一瞬で返ってきた。
「…仕方ない…俺たちは…『蛍』なんだから…」
『蛍』だから?ふざけないで。
そんな一言で、片付けるな。
短い間を、くだらない人間達のために生きて。
そして、何もわからずに死んでいく。
そんなのを認めるな。
私は、喚いた。
まるで子供のように―――
私はその後、すぐにその川を離れた。
死にたくないからこそ。
そんな死に場所を決められた状態で、生きたくなかった。
私はどこか…遠く、離れたところに飛び立った。
…しばらく、飛んでいた。
長い間、それこそ、一日という時間にもわたったかもしれない。
それに…あいつの言ったことが本当だとするなら。
やはり、自分にも死は近づいてきているのだろう。
羽が重い。飛ぶのが辛い。
やがて…川のある所に辿り着いた。
およそ一日ぶりの水。
ようやく休めるものかと思い、その場に降り立った。
…けど、それは叶わぬ夢。
自分が住んでいた川とはまるで違った、汚らわしい溝の川。
それでも、水がないと死んでしまうから。
私はその水をすくい、口に注いだ。
―――瞬間。
体を襲う絶望の衝撃。
全身が焼け爛れてしまうほどに熱く。
脳が失われてしまうぐらいに苦しい。
私は―――そのとき、間違いなく死との境界線に入った。
そのとき、初めて思い知らされたのだ。
蛍とは、こんなにも弱いのだと。
この程度の事で、瞬時に死に直面してしまうのだと。
けれど私は…死ななかった。
いや、死ねなかったといった方が…正しいのかもしれない。
それ以上に、死にたくなかった。
絶対に生きて。生きたいと。切に願ったのだ。
溝川だろうと、関係ない。
私は生きよう。
生きて、この世界の夜を照らそう。
生きて、夜空を舞ってやろう。
そのために、絶対に死なない。
死ぬものか。何が何でも死んでやるものか…!
…長い月日が流れた。
本当に、本当に長い月日。
もはや蛍としては信じられないほど、長く生きた。
ちょっと生き過ぎたかなって思ったけど…別にいい。
なんせ、私は死にたくないから。
だったら生きるしかない。
そうやって毎日を過ごしてきていた。
…そんなある日のこと。
私は…変なところに居た。
今まで見てきたのは、近くにある溝川と、変な森とか、野犬とか。
まともなものを最近見てなかったせいか、幻覚の様に思えた。
そこは美しい世界だったから―――
何となくだけど。
本当に、何となく何だけど。
『死にたくない』って、思わなくなった。
…違う、死にたいって事じゃない。
そんなこと、考えたりしない。
私は、その余りの美しさに囚われたから。
『生きたい』って思った…
生きる目標ができた。
この美しい世界の夜を、私が照らそう。
今までは、意地と根性で生きてきたけれど。
…まぁ、この世界を照らしたいって言うのも、ある意味じゃ蛍としての意地だけど。
この美しく、素敵な世界を照らすのが。
私にとって、生きる道だとこの時、思った―――
それからまたまた長い月日が流れた。
ある日、気づくと二本足で立っていた。
…訳がわからなかった。
触覚はある。それはいい。それはいいのだ。
だが…どうしてこんなにも、人間に近い姿なのだろうか。
前足…じゃなかった、手にはしっかり五本の指。
黒い羽の部分はマントとなって。
あと…まぁ、その、言いづらいけど…ちゃんと…光るし…
はぁ。
そんな感じで、不思議な気分だったその日。
不思議な女性に会った。
具体的に言うのは難しいけど…手に傘を持って、胡散臭い、女の人。
けど、そこらの人間に比べると安心できる気がした。
その女性は微笑みながら、私に話しかけてきた。
「あら、貴女は…『蛍』?」
簡単に、わかったらしい。
人間の体を持っているのに、どうして蛍だとわかったのだろう。
触覚のある蟲だって、他に沢山居るのに。
「その様子を見ると…貴女、最近ね?『妖怪化』したのは。」
妖怪化?
一体、この女性は何を言っているのだろうか。
妖怪化って言うのはつまり、妖怪になること?
…私が、ポカンと口を開けたまま何の反応もしないで居ると、
女性は気づいたように口を押さえ、驚いた表情を見せる。
「あらら…もしかしたら、向こうから来たのかしら?
それじゃあ、妖怪なんて知ってる訳がないわよねぇ。」
…普通、知らないと思うんですが。
そして、この女性の言っている言葉に引っかかるものが沢山ある。
まず…私が妖怪って言うのは…?
「ああ、そう言う事。
…蟲とか鳥とか、そういうのを全部含めてなんだけどね。
長く生き過ぎた生物は、妖怪化するのよ。より強い力を得る為にね。」
女性の答えは、簡単で簡潔。
それじゃ、蛍だってわかったのは…?
「何となくよ、何となく。黒いマントだし、触角生えてるし。
…それに、そのお尻。ね♪」
…ひぇぇ。
「怖がらないでー。お姉さんは優しいわよー♪」
それは絶対に嘘だ。
…って、まぁそんなのはどうでもいいや。
それよりも、私は一番聞きたいことがあったから。
この人だったら、応えてくれそうな気がしたから。
私は、聞いた。
―――この美しい世界は、何なんですか?
女性の笑顔が、鋭くなったのが見えた。
してはいけない質問だったのだろうか。
急に、その女性が恐ろしく感じた。
けれど、私の心配は杞憂に終わった。
女性はすぐに、柔らかく綺麗な笑みに戻った。
そして私に向かって…言ったのだ。
「…この世界が、美しい…か。」
女性は、たった一言呟いた。
まるで、戯言のような口振りで。
「外界から来た者は、ここの事をそう見るのかもね…」
…え?
その言葉の意味が…上手く、理解できない。
つまり、それは…
と、そこまで深く考えたとき、女性が笑う。
それこそ、満面の笑みで。
「なんちゃって。綺麗でしょう?この世界は。」
…わからない人だった。
この世界と同じぐらい綺麗だけど。
まるで、ずっとこの世界を見てきて。
この世界と、同じぐらいに生きてきたかのような、そんな女性。
ふっと、微笑を浮かべ、女性は言った。
「ここは幻想郷…この世の幻想が流れ着く最終停留所。」
…初めて、聞いた名前だった。
私の生きていた所では、聞いたことなんてない。
「貴女も…きっと、受け入れられたのね。」
女性はそう言うと…何か、不思議な空間を作り出した。
いや、正しくは空間ではない。空間と空間の間。
まるで、壁にできた裂け目のような、ソレ。
女性はその上に飛び乗るようにして、座った。
「頑張りなさいな、小さな蛍さん♪」
女性ははじめに見せた笑顔を再び浮かべ―――一瞬で消えた。
飛び去ったとか、そういう動作が一切無しで。
私は、その姿を見ていることすらできなかった。
…一人残された。
けれど、寂しくなんか無い。
とりあえず、ここが幻想の流れ着く場所だってわかったし、
そして私が蛍の妖怪になったってこともわかった。
じゃあ、何をするか?
別に、蛍としての昨日がなくなったわけじゃない。
空は飛べるし…まぁ…光る。
それじゃあ、決まりだ。
私は、今日から幻想の夜を照らそう。
この幻想しかない美しき夜を照らし続けよう。
…あの人は、妖怪は『強い力を得る為』になるといっていた。
けれど、別にそんなのは要らない。
私が欲しいのは、明るく照らされた美しい夜空。
それこそ、故郷を思い出せるぐらいに。
…夜が、近づいてくる。
さぁ、私の出動だ。
空を飛ぼう。
そして、光を点けよう。
そうすれば、この幻想はより輝いて見えるはずだ。
―――違う。
私が『輝かせて見せる』んだ。
この幻想の世界を。
だから、今日の夜から。
「私の、ナイトショーの始まりだよ!」
私は、リグル=ナイトバグ
幻想の夜を照らす、素敵な蟲よ!
…まぁ、そんな感じ。
それで今は…沢山の蟲を従えて、いつもの様に夜空を照らしてる。
だって、ここは『楽園』だから。
私にとっても、皆にとっても。
明るく輝かせるだけの価値が、存分に在るよ。
それに、やっぱり見てて気持ちがいい。
明るく、それでも昼間みたいにはいかなくても。
ぼやけた灯が照らす夜は、最高。
こんな光、優しくって好きでしょ?
…そろそろ、夜が近づいてくるかもね。
それじゃあ、私もまた出よう。
明日も、明後日も、何時だって何時だって!
闇の中に…いつまでも蠢かせて上げるよ。
私の綺麗な、蛍火をね!
~了~
花火?
お祭り?
…もしかして、やらしいこと考えてたりしないよね。
違うね、全然違う。
本当の夜の風物詩って言うのは、もっと別な奴。
もっと清々しくて、単純で、綺麗なものだよ。
輝く時間は短いのに、なんだか心を癒す。
そんな、柔らかい碧光で、夜を照らすのさ。
…まだわからないかい?
随分鈍いね。それとも、人間はもう忘れてるのかな。
いや…忘れてるんじゃないか。
もしかしたら…『興味が無い』だけかもしれないしね。
ま、それも仕方の無いこと。
人間なんていうのは…口じゃ、偉そうに言うんだ。
けれど、結局私達を守って来てくれた奴らなんて極一握り。
その中で真剣な想いを持っていた奴らは、そこからさらに極一握り。
それ以外の連中は、飽きたら即捨てるような連中さ。
本当に…腹が立つ。
でも、私達は人間のために夜を照らすわけじゃない。
少なくとも、私はそうだ。
あれは―――自分が生きている証なんだから。
そうだね…ここまで言って気づくなら十分。
気づかないなら、やっぱり人間ってそんなもの。
そんな馬鹿な人間達に、私の正体を教えてあげるよ。
私は蛍。夜空を照らし続ける、誇りある蟲だよ。
~Fire Fly~
私が生まれたのは、いつだったかな。
…随分昔。
生まれた時の事なんて、忘れてる。
何せ、蛍としては随分長く生きたからね。
生まれた時は、水の中。
綺麗な綺麗な、澄んだ水。
そうじゃないと生きられないって、仲間達から聞いていた。
何でかなって、不思議には思ったけど…試そうとはしなかった。
群れから離れるのが、怖かったから。
澄んだ水の中には、沢山の生き物がいた。
その中には魚もいたから。
小さな小さな私達は、油断したら食べられてしまうから。
だから、群れを作って何とか生きていた。
…最初は、数十匹いた仲間達。
でも気づいたら、その数は10匹程度になっていた。
喰われたり、餓死したり、陸に出てしまったり。
だからこそ、死にたくないと思った。
私は生き抜いてみようと。
そして…まだ見ぬ、その光り輝く姿を手に入れようと、願った。
…人間にしたら、極僅かな。
それでも、私達にとってはとても長い時間が流れた。
なんだか、体が不思議な感覚に囚われた。
仲間達は土の中に行こうとしていた。
そう、それは光り輝く身体になるための過程。
暗き土の中で、殻を作って閉じこもる生活の始まりだった。
私も例に漏れず、土の中に入って行った。
そこからは…本当に長かった。
土は、沢山の栄養があったから死ぬことはない。
包まるだけの生活は、とても楽だ。
けれど…耐え忍ぶだけの生活。
私は、こういうのが苦手。
だって、暇だから。
身体と心は正直だ。
私の心は潤いを。私の身体は、光を求めた。
…また、時間は流れた。
もちろん、年単位なんかじゃない、たったの一週間とかその程度。
けれど、私はどれだけその時を待ち望んだか。
光が、身体に差し込んでくる感覚。
…これこそが、私の求めていた世界。
空すらも、支配できる身体。
純粋に、この肉体を喜んだ。
澄んだ水。
美しき夜空。
支配する、蛍火。
今考えてみれば、最高の環境だ。
大勢の仲間達が、私には居たから。
皆で、夜を輝かせた。
それが、ある夏の夜の出来事。
…そんな日が、何日か続いた。
ある時。仲間の蛍が、数匹死んだ。
おかしいと思った。
そいつらは、外傷とかが全く無いのに。
誰かに食われたとかで、身体を失ったわけじゃないのに。
そいつらは…ただ、草木の上で仰向けになって、死んでいたんだから。
…私は、思わず聞いてしまった。
まだ生きている仲間に、事の真相を。
幾らなんでも、昨日まで生きていた仲間達が、いきなり死ぬはずが、無い。
ずっと、そう思っていた。
けれど、そいつからの答えは簡単で、あっけない。
「…俺達蛍は、大して長く生きられる蟲じゃないんだ。
水の中…土の中と長い時を経て。やっと明るい太陽の下で暮らせるようになる。
けれど、その時間はたったの一週間やそこらで、終わりなんだ。」
そんな馬鹿な。
まさにそんな感じで…私は、訴えたね。
認めたくなかった。
私たちが、そんな簡単に死ぬんだって事。
そしたらそいつは、さらに続けて言ったんだ。
「それと…お前も、気づいてるだろう?
最近、川の水が汚れてきているって事…」
気づかないわけが無かった。
今まで美しく澄んで、川の空を飛んでいても川底が見えるぐらいに綺麗だった川の水。
それなのに。
ここ最近…そんな、澄んだ水じゃない。
何かが流れ着いているような、そんな嫌な川の水。
「…そいつも、原因の一つだ。
蛍火を見に、多くの人間がこの川に集まってきている。
そのときに…汚されていくんだよ。この、俺達の川がな。」
「お前は知らないんだったか…
蛍って言うのはな、澄んだ水のある場所で無いと―――暮らしていけない。そんな物だ。」
知らない知らない知らない。
それが蛍だというなら。それが蛍の宿命だというなら。
―――一体、私は何の為に生まれてきたの?
何で、あんなにも長い間土の中で耐え忍んできたの?
どうして、水の中で他の奴らに喰われるのを怯えていたの?
―――今この時、死ぬ為に?
嫌だ嫌だ嫌だそんなの嫌だ。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
そして私は…訴えた。
どうして、死ぬ事をそんなにも簡単に受け入れられるの?
どうして、死ぬことが怖くないの?
どうして、死ななくちゃならないの?
…その答えは、一瞬で返ってきた。
「…仕方ない…俺たちは…『蛍』なんだから…」
『蛍』だから?ふざけないで。
そんな一言で、片付けるな。
短い間を、くだらない人間達のために生きて。
そして、何もわからずに死んでいく。
そんなのを認めるな。
私は、喚いた。
まるで子供のように―――
私はその後、すぐにその川を離れた。
死にたくないからこそ。
そんな死に場所を決められた状態で、生きたくなかった。
私はどこか…遠く、離れたところに飛び立った。
…しばらく、飛んでいた。
長い間、それこそ、一日という時間にもわたったかもしれない。
それに…あいつの言ったことが本当だとするなら。
やはり、自分にも死は近づいてきているのだろう。
羽が重い。飛ぶのが辛い。
やがて…川のある所に辿り着いた。
およそ一日ぶりの水。
ようやく休めるものかと思い、その場に降り立った。
…けど、それは叶わぬ夢。
自分が住んでいた川とはまるで違った、汚らわしい溝の川。
それでも、水がないと死んでしまうから。
私はその水をすくい、口に注いだ。
―――瞬間。
体を襲う絶望の衝撃。
全身が焼け爛れてしまうほどに熱く。
脳が失われてしまうぐらいに苦しい。
私は―――そのとき、間違いなく死との境界線に入った。
そのとき、初めて思い知らされたのだ。
蛍とは、こんなにも弱いのだと。
この程度の事で、瞬時に死に直面してしまうのだと。
けれど私は…死ななかった。
いや、死ねなかったといった方が…正しいのかもしれない。
それ以上に、死にたくなかった。
絶対に生きて。生きたいと。切に願ったのだ。
溝川だろうと、関係ない。
私は生きよう。
生きて、この世界の夜を照らそう。
生きて、夜空を舞ってやろう。
そのために、絶対に死なない。
死ぬものか。何が何でも死んでやるものか…!
…長い月日が流れた。
本当に、本当に長い月日。
もはや蛍としては信じられないほど、長く生きた。
ちょっと生き過ぎたかなって思ったけど…別にいい。
なんせ、私は死にたくないから。
だったら生きるしかない。
そうやって毎日を過ごしてきていた。
…そんなある日のこと。
私は…変なところに居た。
今まで見てきたのは、近くにある溝川と、変な森とか、野犬とか。
まともなものを最近見てなかったせいか、幻覚の様に思えた。
そこは美しい世界だったから―――
何となくだけど。
本当に、何となく何だけど。
『死にたくない』って、思わなくなった。
…違う、死にたいって事じゃない。
そんなこと、考えたりしない。
私は、その余りの美しさに囚われたから。
『生きたい』って思った…
生きる目標ができた。
この美しい世界の夜を、私が照らそう。
今までは、意地と根性で生きてきたけれど。
…まぁ、この世界を照らしたいって言うのも、ある意味じゃ蛍としての意地だけど。
この美しく、素敵な世界を照らすのが。
私にとって、生きる道だとこの時、思った―――
それからまたまた長い月日が流れた。
ある日、気づくと二本足で立っていた。
…訳がわからなかった。
触覚はある。それはいい。それはいいのだ。
だが…どうしてこんなにも、人間に近い姿なのだろうか。
前足…じゃなかった、手にはしっかり五本の指。
黒い羽の部分はマントとなって。
あと…まぁ、その、言いづらいけど…ちゃんと…光るし…
はぁ。
そんな感じで、不思議な気分だったその日。
不思議な女性に会った。
具体的に言うのは難しいけど…手に傘を持って、胡散臭い、女の人。
けど、そこらの人間に比べると安心できる気がした。
その女性は微笑みながら、私に話しかけてきた。
「あら、貴女は…『蛍』?」
簡単に、わかったらしい。
人間の体を持っているのに、どうして蛍だとわかったのだろう。
触覚のある蟲だって、他に沢山居るのに。
「その様子を見ると…貴女、最近ね?『妖怪化』したのは。」
妖怪化?
一体、この女性は何を言っているのだろうか。
妖怪化って言うのはつまり、妖怪になること?
…私が、ポカンと口を開けたまま何の反応もしないで居ると、
女性は気づいたように口を押さえ、驚いた表情を見せる。
「あらら…もしかしたら、向こうから来たのかしら?
それじゃあ、妖怪なんて知ってる訳がないわよねぇ。」
…普通、知らないと思うんですが。
そして、この女性の言っている言葉に引っかかるものが沢山ある。
まず…私が妖怪って言うのは…?
「ああ、そう言う事。
…蟲とか鳥とか、そういうのを全部含めてなんだけどね。
長く生き過ぎた生物は、妖怪化するのよ。より強い力を得る為にね。」
女性の答えは、簡単で簡潔。
それじゃ、蛍だってわかったのは…?
「何となくよ、何となく。黒いマントだし、触角生えてるし。
…それに、そのお尻。ね♪」
…ひぇぇ。
「怖がらないでー。お姉さんは優しいわよー♪」
それは絶対に嘘だ。
…って、まぁそんなのはどうでもいいや。
それよりも、私は一番聞きたいことがあったから。
この人だったら、応えてくれそうな気がしたから。
私は、聞いた。
―――この美しい世界は、何なんですか?
女性の笑顔が、鋭くなったのが見えた。
してはいけない質問だったのだろうか。
急に、その女性が恐ろしく感じた。
けれど、私の心配は杞憂に終わった。
女性はすぐに、柔らかく綺麗な笑みに戻った。
そして私に向かって…言ったのだ。
「…この世界が、美しい…か。」
女性は、たった一言呟いた。
まるで、戯言のような口振りで。
「外界から来た者は、ここの事をそう見るのかもね…」
…え?
その言葉の意味が…上手く、理解できない。
つまり、それは…
と、そこまで深く考えたとき、女性が笑う。
それこそ、満面の笑みで。
「なんちゃって。綺麗でしょう?この世界は。」
…わからない人だった。
この世界と同じぐらい綺麗だけど。
まるで、ずっとこの世界を見てきて。
この世界と、同じぐらいに生きてきたかのような、そんな女性。
ふっと、微笑を浮かべ、女性は言った。
「ここは幻想郷…この世の幻想が流れ着く最終停留所。」
…初めて、聞いた名前だった。
私の生きていた所では、聞いたことなんてない。
「貴女も…きっと、受け入れられたのね。」
女性はそう言うと…何か、不思議な空間を作り出した。
いや、正しくは空間ではない。空間と空間の間。
まるで、壁にできた裂け目のような、ソレ。
女性はその上に飛び乗るようにして、座った。
「頑張りなさいな、小さな蛍さん♪」
女性ははじめに見せた笑顔を再び浮かべ―――一瞬で消えた。
飛び去ったとか、そういう動作が一切無しで。
私は、その姿を見ていることすらできなかった。
…一人残された。
けれど、寂しくなんか無い。
とりあえず、ここが幻想の流れ着く場所だってわかったし、
そして私が蛍の妖怪になったってこともわかった。
じゃあ、何をするか?
別に、蛍としての昨日がなくなったわけじゃない。
空は飛べるし…まぁ…光る。
それじゃあ、決まりだ。
私は、今日から幻想の夜を照らそう。
この幻想しかない美しき夜を照らし続けよう。
…あの人は、妖怪は『強い力を得る為』になるといっていた。
けれど、別にそんなのは要らない。
私が欲しいのは、明るく照らされた美しい夜空。
それこそ、故郷を思い出せるぐらいに。
…夜が、近づいてくる。
さぁ、私の出動だ。
空を飛ぼう。
そして、光を点けよう。
そうすれば、この幻想はより輝いて見えるはずだ。
―――違う。
私が『輝かせて見せる』んだ。
この幻想の世界を。
だから、今日の夜から。
「私の、ナイトショーの始まりだよ!」
私は、リグル=ナイトバグ
幻想の夜を照らす、素敵な蟲よ!
…まぁ、そんな感じ。
それで今は…沢山の蟲を従えて、いつもの様に夜空を照らしてる。
だって、ここは『楽園』だから。
私にとっても、皆にとっても。
明るく輝かせるだけの価値が、存分に在るよ。
それに、やっぱり見てて気持ちがいい。
明るく、それでも昼間みたいにはいかなくても。
ぼやけた灯が照らす夜は、最高。
こんな光、優しくって好きでしょ?
…そろそろ、夜が近づいてくるかもね。
それじゃあ、私もまた出よう。
明日も、明後日も、何時だって何時だって!
闇の中に…いつまでも蠢かせて上げるよ。
私の綺麗な、蛍火をね!
~了~
夏の風物詩……正直忘れかけていました。最近見てないですね。