すべては遠い世界。
さくらメランコリック
朝とも昼とも夜とも知れない。この部屋に不必要なものは一切無い。時計も、必要ないから、存在しない。わたしに必要なのは最低限の衣服、家具、そして紅茶と少しの本。それだけでこの空間は満たされるのだ、大体は。
ぱらり、ぱらぱら。パチュリーから借りた二流の推理小説を読みながら、いつかに覚えた十人のインディアンの詩を頭の片隅で暗唱していた。
小説の中では探偵役がじわじわと犯人を追いつめる。切羽詰まった犯人がまた一人殺すシーン。……Ten little Injuns standing in a line. One toddled home and then there were nine.(十人の男の子が並んでた。一人おうちに帰って九人になった)。小説では三人目が殺害されたところ。先は殆ど読めているけれど、時間潰しには丁度良い。話を読んでいると思うから退屈になる。文字を読んでいると思えば良い。そういえば紅茶がぬるい。咲夜でも呼ぼうかしら。
……Nine little Injuns swinging on a gate, one tumbled off and then there were eight.(九人の男の子が門でブランコしてた、一人落っこちて八人になった)。片手間の暗唱が終わるのとこの本を読み終わるのはどちらが早いのかしら。暗唱が終わる時間を計算してみましょう。
がちゃこん。
開かずの扉が開く。あら、まだ咲夜は呼んでないのに。One little, two little, three little, four little, five little Injun boys,……
「御機嫌よう」
「おやおや」
お姉様がなんの御用かしら。本はお腹に乗せ、ソファの肘かけには首を乗せ、ぐるんと反対このお姉様を見た。スカートの裾を下着が見えない程度につまんで、そこに出来たたわみに何かを乗せていた。こちらから見えないけど、においからして何かの花だろう。
「今、何時だと思う?」
「さぁ。でもディナーが終わってからしばらく経つから、朝かな」
「そうよ。私は宴会明け」
「それはそれは。早く寝たら」
「そうね、ふわぁあ。うん。用が済んだら」
「用は何かしら」
Six little, seven little, eight little, nine little, ten little Injun boys.……。暗唱が先に終わりそうね。若干誤差が出たから修正して、この調子だと終わるのは五分四十五秒後プラスマイナス十秒。
お姉様はずい、と一歩わたしに近付いて、スカートをぶわり、払ってみせた。淑女がはしたないわ、なんて小言を挟むのはお姉様の役割なのだけどね。
舞ったのは花びらだった。わたしの顔に、惜しみなく降り注ぐ。
「わぁお。新手の嫌がらせ?」
「そう思うの?」
お姉様はちょっと悲しそうな顔。冗談も通じないわ、半分本気だったけど。Eight little Injuns gayest under heaven, one went to sleep and then there were seven,(八人の男の子が楽しそうにしてた、一人眠って七人になった)……。小説の続きを読みたいけど、眼の前でこれ見よがしに読んだら怒るだろうなぁ。あと五分二十秒。
「これはさくら?」
「そうよ。ソメイヨシノとヤマザクラ。外の世界ではソメイヨシノが一般的らしいわね。だからこっちではヤマザクラが主流なのよ。風情があるでしょ?」
お姉様はちょっと誇らしげに言う。顔にかかった花びらをいくつか掴んで、手で擦り合わせた。ほのかに香りがした。日本の花はにおいの薄いものが多い、というのがわたしの勝手なイメージだ。薄いとはいえちゃんと香りはある。それにしても自己主張のしない花である。白くて薄くて小さくて、ほのかな香りだけ漂っている。
「そういえば実物は初めて見たかも」
「霊夢の神社にいっぱいあるのよー」
「へぇ。道理で酒くさい花びらな訳だ」
「えっ、うそ、お酒のにおいするの?」
「たはは。しないよ」
「ありそうで怖い冗談だわ」
Seven little Injuns cutting up their tricks, one broke his neck and then there were six.(七人の男の子がいたずらしてた、一人首の骨折って六人になった)……
そうか。季節は春。宴会兼お花見という訳だ。お花見。紅魔館ではしたことがない。お姉様や咲夜がそういう宴会に顔を出すことはあっても、紅魔館の面々でお花見をしようという企画は、恐らくわたしの知る限りでは一度もない。派手にやらかすのが好きなお姉様、お花見だって宴会くらいじゃ本当はし足りないのだろうに。けれど、それをしない理由など判り切っていた。
わたしに気を遣っているのね。
一瞬、思考がひとつに集約していた。他の思考は沈黙している。数秒後には拡散し、散り散りに分岐していった。Six little Injuns kicking all alive, one kicked the bucket and then there were five,(六人の男の子がはね回ってた、一人くたばって五人になった)……
「綺麗ね」
思いついたままの言葉を発した。多分、それがいけなかったのだろう。わたしは次に自分が吐き出す言葉を予測しておかなかった。ちゃんと考えてからものを言わないからだ、ばかやろう。One little, two little, three little, four little, five little Injun boys, six little, seven little, eight little, nine little, ten little Injun boys.……
わたしは花びらを弄びながら、ぼんやりと、ただ思いついたままに。
「これが枝に付いて、一本の樹になっていたとしたら、それはもっと綺麗でしょうね」
そのとき。
そのときの、お姉様の顔と言ったら。
Five little Injuns on a cellar door, one tumbled in and then there were four.(五人の男の子が穴蔵の戸の所にいた、一人落っこちて四人になった)……
暗唱だけが暗礁のように脳裏に響いていた。わたしの中の誰もが静まっていた。誰も、喋らなかった。誰か喋って。暗唱して。ほら誤差がまた出たわ、計算してよ。ねぇ。
「そう、ね。そうよ。きれいよ。とても」
なんでそんな泣き出しそうな顔なんだろう。スカートを握る手が震えているよ。そんなに唇かみしめたら、血が出るんじゃないの。暗唱して、お姉様。知ってるでしょ。One little, two little, three little, four little, five little Injun boys, six little, seven little, eight little, nine little, ten little Injun boys.……ねぇ。
――いつまであなた、わたしを閉じ込めたつもりでいるの?
わたしはわたしの意志でここにいて、お姉様はそれを尊重するような場所を提供したに過ぎないのに。このひとはいつまでわたしに縛られたつもりでいるのかしら。そういうの鬱陶しいのよ。無関係な癖に加害者面してんじゃないわ。わたしがそうしたくて引き籠ってるんだから、お姉様はなんにも知らない顔して楽しんでれば良いじゃないの。何もかも自分の所為にして、何様なの? 自分の楽しみ削ってわたしに分け与えるような真似しないでよ。鬱陶しいのよ。余計なお世話なのよ。放っておいてよ。わたしと関わろうとしないでよ。
――あれ。
今、わたし。お姉様のことしか、考えてないや。
「泣くなよ」
「泣いてないわ」
「怒るなよ」
「怒ってないわ」
「ごめんって」
「謝るところじゃないわ」
「ありがとう」
「お礼言うところでもないでしょ」
「だから泣くなって」
「うっさい」
Four little Injuns up on a spree, one he got fuddled and then there were three. Three little Injuns out in a canoe, one tumbled overboard and then there were two.(四人の男の子が飲んで浮かれてた、一人が酔い潰れて三人になった。三人の男の子がカヌーに乗った、一人落っこちて二人になった)……誤差だらけね。本当はもう終わってる筈だったのに、あと一分三十秒くらいかかるわ。
「なんつーかさぁ。お姉様は、もうちょっと妹離れした方が良いと思うよ」
「あんたが姉離れし過ぎなんだよ」
「そうかなぁ」
「そうなの」
「そんなことないと思うよ」
「そんなことあるし」
本を読むのは諦めた。どうせ犯人があの後殺されて、探偵役の相棒が真犯人ってオチなんだし。先の読める二流小説より、先の読めない
「Two little Injuns fooling with a gun, one shot the other and then there was one. One little Injun living all alone, he got married and then there were none.」
二人の男の子が銃をいたずらしてた、一人撃たれて一人になった。一人の男の子が寂しくしてた。その子が結婚して。そして誰もいなくなった。
「好きね、それ」
「最後の無理やりハッピーエンド感がなんとなく好き」
「意味が判らないわ」
「でもわたしにこれ教えてくれたの、お姉様でしょ」
「そうね」
「本を読まないお姉様が、詩を暗唱できるなんてね」
「フランドールは、好きでしょう。本読むのが」
「そうだねぇ」
「つまりそういうことよ」
「そいつぁいいや。暗唱してよ」
「One little, two little, three little, four little, five little Injun boys, six little, seven little, eight little, nine little, ten little Injun boys.」
「うん。ぴったし一分三十秒かかった」
「何がよ」
「こっちの話」
「あそう」
暗唱も計算も終わったら、わたしの中はまた静まり返っていた。みんなが黙って、お姉様だけを見ていた。わたしも見ていた。
「永生きしようよ」
「何よ突然」
「ふたりでお花見行こう」
「素敵ね」
「うん。じゃあ、それまでは生きよう」
「何それ。死ぬ予定でもあるの。そんな
「ないけどさ。うん。永く生きるにはもっと本が必要ですね」
「パチェに言っとく」
「んぃ。また新しい詩、教えてよ」
「えー……、それこそパチェに聞けば良いでしょ」
「お姉様じゃなきゃ駄目だよ」
「しょうがないなぁ」
わたしが死ぬまでの時間を計算してみようか?
答えは簡単、お姉様が死ぬまでよ。
これにて。Q.E.D.、次のさくらを見る日まで。
おわり
出だしが不穏でちょっと不安でしたが、全然そんな心配必要なかった
なんだかんだ言ってお互いを思ってて仲がいい二人がいいですね
じわじわと感動しました
あなたの名前を再びこの場所で見れただけで、自分は嬉しくて仕方がありません。
貴方の作品をまたここで読む事ができてとてもうれしいです。
そして、おかえりなさい!!
あなたの書く東方姉妹が大好きです、次も待ってます。
綺麗に見事な終わりが好きです。
ううーん、いい感じ。
言い回しも好き。
あなたの書く姉妹が大好きです。
良い話をありがとうございました!
ああ、やっぱり、この空気感は、過酸化さんしかだせないよ。
お帰りなさい。
明暗が渦巻いてカフェオレ色になるのが……ぬおおおおっ……うめぇ……!
創想話再投稿、一読者として嬉しく思います。
でも書き手として嫉妬してしまう。
そして、きっとこれからも大好きでしょう。おかえりです!
おかえりなさい!
コイン いっこ いれます
二人の会話で逐一悶えてしまう
このような作品は自分じゃ絶対書けそうもないから、余計惹かれてしまいます。
でも一度は書いてみたい、それほどに魅力的です。
内面じゃあ好き過ぎるほどなのに、この微妙な関係がうずうずして堪らない。
そんな話を作れる貴方にパルパルしながらも、今は戻ってきてくれてありがとうと伝えたい。
もどかしいのは、レミリアの方だ。
もうこの"地下室"ではおそらく見ることはないだろう、と
諦めてすらいた"さくら"を、ありがとうございました。
あなたのスカーレット姉妹に惚れていました。たははフランがまた見れてうれしいです。
このふたりの空気感は、誰にも出せないでしょう。
また名前がみれてうれしいです
それにしても相変わらず重い一撃を含みますね。
ドキリと来ました。
この距離感と空気、あなたのレミフラだ。
またここで見れる日がくるとは…
本当に大好きです。
投稿知ってから読むまで2日かかってしまいました。
久しく焦がれるヒトと会う気分、深呼吸、深呼吸。
大事な人が生きている間は。
私は、貴方と会えるなら。
ずっと、幸せです。
おかえりなさいませ
そして戻ってきてくれてありがとう
たははと笑うフラン、独特の雰囲気…
正直たまりませんw
欲を言えば、過去作もまた読みたいです
いや、ほとんど5~6回は読んだんですけどねw
たまにお嬢様フルスロットルなお話が無性に読みたくなる不思議
久々の姉様と妹様、変わらず仲睦まじいようで何よりです
彼女たちにはこれからも行きて活きて、生きていてほしいです