私たちは弾幕勝負を終えてひどく疲れ切っていた。散々弾幕の応酬を繰り返し、触手を走らせ薙刀を振るわれ。空中を縦横無尽に駆けて、方向感覚が狂ってしまった。お互いに体を草原に投げうって、疲れで沈黙に沈んだ。
遮るもののない夜天が視界いっぱいに広がっている。
純粋な黒以外が埋めるもののない空には、星が万遍なく散りばめられる。それも無数に、一つ一つ違う光度で。そして視界に収まりきらない空と宇宙の規模、つまりは視界という平面の超越と奥行きの喪失だ。今、私の眼の前ではあらゆる無限を見せつけられている。無限と言っても実際に数えてみれば果てはあるかもしれないが、それを考えることはとても危ない行為だ。風が吹くたびに雑草が頬をくすぐり、そういったかすかな刺激でもなければ私の意識は――いや無意識はどうすることもできず、宇宙の奥行きを計るために帰ることのない旅立ちを始めていただろう。
「あ!」
素っ頓狂な声が上がって、私はそんなことを考えなくなった。静謐な夜とは全く釣り合わない音が私の興味を一気に惹きつける。
私はこころの方に顔を向けた。彼女はじっと空を眺めている。それはそれはぴたりと、これから落ちていく砂時計のどんな一粒をも見逃さないように、微動だにしなかった。
瞳にキラキラとしたものが満ちていくようだった。比喩的な輝きは空に瞬く星から貰ったのか、それとも内から湧いてくるのか。私は後者だと思う。だってそれは空の星よりも親しみ深くて、よっぽど綺麗だった。
ともすればこころからしか生まれ得ない輝きに俄然好奇心はとどまらず、彼女に覆いかぶさって私の影に閉じ込めた。この行為は眩いものを暗い環境でより引き立たせるようとして手影を作るのと同じだ。もっと遠慮しない言い方をすれば、こころの瞳を独占するための影の囲いだった。私が観察したいもの、つまりこころの瞳は宝石というより蛍に近い気がする。
一連の行為を通して、彼女は一貫して顔色も、頬の一つの皺も変じることはない。感情の動きなど、私には全く分かるはずもない。
方向的な意味で声を落とすように、私は語りかけた。
「どうしたの?」
「流れ星」
心なしか声が震えている。こころは私を押しのけて、相変わらず空を凝視した。私は再び彼女に覆いかぶさる。
「星が流れるの?」
「知らないのか?」
私は大きく頷いた。押しのけようとしていた手が止まる。
流れ星。未知なる言葉だが、それはとても心躍る響きだ。
「流れ星って何?」
「それはだな、涙だよ」
「涙」言葉と音を口の中で転がす。「星じゃないじゃん」
「全くだな」
こころは笑わずに言った。
「流れ星なんてもの、聞いた話だったんだ。その人曰く、死んだら星になる。でも死んだ後でも悲しくなることがあるみたいで、零れてしまったものが空を大きく駆ける」こころは息を一度吸ってから短く続けた。「恐ろしい速さと、長さと、それから短さで」
「めちゃくちゃだ」
「私もそう思っていたよ。実際に見たのは初めてだから」
「本当だった?」
「うん。魔理沙のマスタースパークより長くて、瞬きみたいに短い」
私は考えた。つまり避けようがないレーザーか。凶悪だ。
結局流れ星については良く分からないままなので諦めて、話題を変えることにした。
「誰から聞いたの?」
こころは身を起こして、浮遊させたお面の中から一つを手元に持ってきた。それは翁のお面だ。彼女はその頬をいくどか親指で撫でた。
「このお面を大切に被ってくれた、優しいお爺さん」
声がとても柔らかくなって、なぜだか私は思わず息を呑んだ。
「お爺さんがお孫さんにそう語っていたのを傍で聞いていた。私は、ずっと。お爺さんが床について、お孫さんを安心させるために何度も繰り返すのを。お爺さんが星になるまで」
私はとても気を遣いながら声を出した。
「お爺さんの涙だったりするのかな?」
「どうかな」こころは申し訳なさそうな顔をして、朗らかな調子で応えた。「思い残すことはないと何度も繰り返して、多くの家族に囲まれながら看取られて、笑顔で息を引き取って……大往生だったよ」
瞳に満ちる輝きが鋭くなる一方で、なんでも包み込んでしまいそうな笑みを浮かべている。それがあまりにも巨大な包容力を持っていたので時間ですら動くの止めたような沈黙が生まれていた。
風が草原を騒がせて壊れる前に、私はこころに尋ねた。
「被ってもいい?」
「いつかみたいに壊すなよ?」
「うん」
窘めてきたが、こころが私にお面を手渡しする動作には淀みがなかった。そしてお面を掴んだ時に私と彼女の振袖が触れ合って、それがどうにもこそばゆく感じた。
お面の手触りは今まで触ったどんな木材とも異なった滑らかさがあった。凹凸がしっかり顔の絶妙な起伏にはまって、徐々に呼吸する時のかすかな動作にも馴染んでいく。私の顔を奪われていくような気すらしてきたが、今この場においては全く起こり得ないだろうとも思った。
冷えかけていた体にまだ残っていた、最後の汗がお面に吸われるのが分かる。きっとお面の裏には、いくつもの踊り手の汗、顔の皮膚に滲む油、吐息、髪……多くのものが眠っている。そしてこころのそれも。愛おしい気もちが芽生え、急速に育まれていく。お面を手で顔に押し付けた。凹凸がより顔に接し、皮膚に吸い付くか、もしくは皮膚がくっついていく。そして深く呼吸をした。
加速度的に、私の行動に対しての私の保証がなくなっていくのをよく理解できている。理解は抑制には至らないが、偏執的な動機からではないことだけは確かなので、私は安心して無意識に主導権を譲れる。正しく表現するなら、私の意識は譲渡するというより剥奪されると言うべきだろう。
また私はその結果に抗おうとしないのは、無意識を土壌にしているがゆえに、様々な衝動は開花したところで恐ろしいくらいの短さで枯れていくのを把握しているからでもある。蜜を吸おうと蜂が飛んできたり、私自身が摘み取ってしまったりする前に、地面に落ちて次の花の肥料になる。一過性の病で、しかも刹那であるならば、私の症状はほとんど正常に近いのではないだろうか?
しかし例え刹那の命でも衝動は私にとって大切な生の証だから、生まれた花にあてられて率直に言葉を紡ぐ。
「これ貰ってもいい?」
「だめだ」
こころはそれからも幾度か流れ星を見かけたらしいが、私はついぞ目撃することはなかった。私は空よりもこころに気が向いていたので、仕方のないことだった。
遮るもののない夜天が視界いっぱいに広がっている。
純粋な黒以外が埋めるもののない空には、星が万遍なく散りばめられる。それも無数に、一つ一つ違う光度で。そして視界に収まりきらない空と宇宙の規模、つまりは視界という平面の超越と奥行きの喪失だ。今、私の眼の前ではあらゆる無限を見せつけられている。無限と言っても実際に数えてみれば果てはあるかもしれないが、それを考えることはとても危ない行為だ。風が吹くたびに雑草が頬をくすぐり、そういったかすかな刺激でもなければ私の意識は――いや無意識はどうすることもできず、宇宙の奥行きを計るために帰ることのない旅立ちを始めていただろう。
「あ!」
素っ頓狂な声が上がって、私はそんなことを考えなくなった。静謐な夜とは全く釣り合わない音が私の興味を一気に惹きつける。
私はこころの方に顔を向けた。彼女はじっと空を眺めている。それはそれはぴたりと、これから落ちていく砂時計のどんな一粒をも見逃さないように、微動だにしなかった。
瞳にキラキラとしたものが満ちていくようだった。比喩的な輝きは空に瞬く星から貰ったのか、それとも内から湧いてくるのか。私は後者だと思う。だってそれは空の星よりも親しみ深くて、よっぽど綺麗だった。
ともすればこころからしか生まれ得ない輝きに俄然好奇心はとどまらず、彼女に覆いかぶさって私の影に閉じ込めた。この行為は眩いものを暗い環境でより引き立たせるようとして手影を作るのと同じだ。もっと遠慮しない言い方をすれば、こころの瞳を独占するための影の囲いだった。私が観察したいもの、つまりこころの瞳は宝石というより蛍に近い気がする。
一連の行為を通して、彼女は一貫して顔色も、頬の一つの皺も変じることはない。感情の動きなど、私には全く分かるはずもない。
方向的な意味で声を落とすように、私は語りかけた。
「どうしたの?」
「流れ星」
心なしか声が震えている。こころは私を押しのけて、相変わらず空を凝視した。私は再び彼女に覆いかぶさる。
「星が流れるの?」
「知らないのか?」
私は大きく頷いた。押しのけようとしていた手が止まる。
流れ星。未知なる言葉だが、それはとても心躍る響きだ。
「流れ星って何?」
「それはだな、涙だよ」
「涙」言葉と音を口の中で転がす。「星じゃないじゃん」
「全くだな」
こころは笑わずに言った。
「流れ星なんてもの、聞いた話だったんだ。その人曰く、死んだら星になる。でも死んだ後でも悲しくなることがあるみたいで、零れてしまったものが空を大きく駆ける」こころは息を一度吸ってから短く続けた。「恐ろしい速さと、長さと、それから短さで」
「めちゃくちゃだ」
「私もそう思っていたよ。実際に見たのは初めてだから」
「本当だった?」
「うん。魔理沙のマスタースパークより長くて、瞬きみたいに短い」
私は考えた。つまり避けようがないレーザーか。凶悪だ。
結局流れ星については良く分からないままなので諦めて、話題を変えることにした。
「誰から聞いたの?」
こころは身を起こして、浮遊させたお面の中から一つを手元に持ってきた。それは翁のお面だ。彼女はその頬をいくどか親指で撫でた。
「このお面を大切に被ってくれた、優しいお爺さん」
声がとても柔らかくなって、なぜだか私は思わず息を呑んだ。
「お爺さんがお孫さんにそう語っていたのを傍で聞いていた。私は、ずっと。お爺さんが床について、お孫さんを安心させるために何度も繰り返すのを。お爺さんが星になるまで」
私はとても気を遣いながら声を出した。
「お爺さんの涙だったりするのかな?」
「どうかな」こころは申し訳なさそうな顔をして、朗らかな調子で応えた。「思い残すことはないと何度も繰り返して、多くの家族に囲まれながら看取られて、笑顔で息を引き取って……大往生だったよ」
瞳に満ちる輝きが鋭くなる一方で、なんでも包み込んでしまいそうな笑みを浮かべている。それがあまりにも巨大な包容力を持っていたので時間ですら動くの止めたような沈黙が生まれていた。
風が草原を騒がせて壊れる前に、私はこころに尋ねた。
「被ってもいい?」
「いつかみたいに壊すなよ?」
「うん」
窘めてきたが、こころが私にお面を手渡しする動作には淀みがなかった。そしてお面を掴んだ時に私と彼女の振袖が触れ合って、それがどうにもこそばゆく感じた。
お面の手触りは今まで触ったどんな木材とも異なった滑らかさがあった。凹凸がしっかり顔の絶妙な起伏にはまって、徐々に呼吸する時のかすかな動作にも馴染んでいく。私の顔を奪われていくような気すらしてきたが、今この場においては全く起こり得ないだろうとも思った。
冷えかけていた体にまだ残っていた、最後の汗がお面に吸われるのが分かる。きっとお面の裏には、いくつもの踊り手の汗、顔の皮膚に滲む油、吐息、髪……多くのものが眠っている。そしてこころのそれも。愛おしい気もちが芽生え、急速に育まれていく。お面を手で顔に押し付けた。凹凸がより顔に接し、皮膚に吸い付くか、もしくは皮膚がくっついていく。そして深く呼吸をした。
加速度的に、私の行動に対しての私の保証がなくなっていくのをよく理解できている。理解は抑制には至らないが、偏執的な動機からではないことだけは確かなので、私は安心して無意識に主導権を譲れる。正しく表現するなら、私の意識は譲渡するというより剥奪されると言うべきだろう。
また私はその結果に抗おうとしないのは、無意識を土壌にしているがゆえに、様々な衝動は開花したところで恐ろしいくらいの短さで枯れていくのを把握しているからでもある。蜜を吸おうと蜂が飛んできたり、私自身が摘み取ってしまったりする前に、地面に落ちて次の花の肥料になる。一過性の病で、しかも刹那であるならば、私の症状はほとんど正常に近いのではないだろうか?
しかし例え刹那の命でも衝動は私にとって大切な生の証だから、生まれた花にあてられて率直に言葉を紡ぐ。
「これ貰ってもいい?」
「だめだ」
こころはそれからも幾度か流れ星を見かけたらしいが、私はついぞ目撃することはなかった。私は空よりもこころに気が向いていたので、仕方のないことだった。