――アリス・マーガトロイドは人形である。
ふと、そんな風に錯覚してしまう時がある。
何も目的を持たずに、ただぼんやりとベッドの上に横たわっている時などは、そんなことを無意識の内によく考えてしまうのだ。
...勿論、私は人形を操る魔法使いなのであって、人形などではないことは私自身が誰よりもよくわかっている。
人形が人形を操るだなんて、滑稽極まりない話である。
しかし、私の中の無意識はその滑稽な錯覚を抱くことをやめようとしない。
それは、少し油断して無意識に入りこんでしまうと、私の中の奥の方からぽっかりと浮かんでくるのだ。
無意識は私の心の中を占領する。私を、その滑稽な錯覚の中に閉じ込めようとするのだ。
「私は人形なのだ」「人形である」目を瞑って、そんな言葉を心の中で何十回も反復する。
そうすると、
――ああ、本当に私は人形なのだろうか。
――そうだ、人形に違いない。
と、次第に思い込んでしまう。
錯覚だと思っていたモノが、いつの間にか真実になってしまうのだ。無意識とは恐ろしい。
完全に、錯覚を真実だと信じて疑わなくなった私は、次にこんなことを考える。
――だとしたら私は何? 自分と何の変わりのない人形を我が物顔で操るだなんて。何様のつもりなのだろう。
ああ、それは人間の世界でよくある。
自分と何の変わりのない人間に対して、「自分の方が人間性が優れている」だとか、「お前は気が弱いから下だ」とか、訳の分からない価値観を押し付けて、無理やり立場を分けようとする。
――それと私は、全く同じではないか。
そもそも私はそんな人間の身勝手さに嫌気がさして、人間をやめて魔法使いになったのではないか。
勿論、強さが欲しかったと云う理由でもある。
でも、うす汚れた人間関係の世界から抜け出したい、と云う願望の方が強かった。
誰とも関わらずに、ただひたすらに人のいる場所を避けて。
故郷から逃げ出して。
そして――この幻想郷の。魔法の森に――辿り着いたのだ。
そして這いつくばるように必死で研究をし、修行をした。
「捨食の魔法」、「捨虫の魔法」と云う、本格的な魔法使いになる為に必要な修行があった。
捨食の法は、「何も飲み食いしなくても魔力で補える」ようになる魔法で、捨虫の魔法は、「成長を止める」魔法である。
その魔法二つに、多くの魔法使いを目指している人間は挫折してしまうらしい。
それはそうであろう。今まで人間として当たり前に食事を取って、成長をしてきたのが、急にそうではなくなってしまうのだから。
しかも、食事を取らないだなんて、普通なら死んでしまうだろう。
成長をしないことは、悲しいことだろう。
だから魔法使いを目差す者達は、相当な苦労をする。
私も――決して例外ではなかった。しかし、私が彼らと決定的に違ったところは、「死に対する恐怖」を全く感じなかったことであろう。
修行をして生死の境目を彷徨っている間、私は何故か、死ぬかもしれない、と云う不安に怯えなかった。
.........自分でもあまりの自分の無感動さに、少し驚いたほどである。
今、その理由を考えてみると――よほどの自信があったか...。
私は幼い頃から何でもこなせる――悪く言えば子供らしくない子供だった。
だから、その時の修行も必ず上手く成功すると確信していたのかもしれない。
あるいは――もう死んでも構わない、と思っていたか。
最初から、人間の世界から逃げられればそれで良かったのだから。.........後者かもしれない。
まあ、どちらにせよ、もう遠い昔の出来事なので、今の私には思い出しようのないことである。
とにかく、私はそんなに大きな修行をやり遂げ、やっとの思いで魔法使いになったのだ。
.........それが、何なのだろう。
結局はあんなにも毛嫌いしていた人間と同じ――私は、何も変わることはなかったのだ。
捨食の魔法を習得しても、人間だった頃の生活が忘れられず、結局人間と同じ食生活を送っている。
妖怪の癖に、結局は人間との方が話しやすい。
そして、人形を操る――ん?
そこで私は気付く。無意識の私ではなく、意識のある私が、である。
少し考える。そう云えば私は人形なのではなかったか?
――魔法使いになる為の修行をこなしたのに、私は魔法使いではないのか?
と云うか、どうして私は人形なのだ?
「.........あ」
そこで私は目を開けて、無意識を押し込めた。
そして、頭を抱えて後悔する。
――まただ。また私は、滑稽な錯覚を信じ込んでしまった。
「私、人形じゃないじゃない.........」
独り言を言う。
何だか、長い夢を見ていたようだ。
私が無意識の世界に入り込む時、いつもこんな感じである。
そして、無意識から覚めた途端、急に恥ずかしくなるのだ。
もう何回目であろう。いい加減、くだらないことで気分が悪くなるのは勘弁願いたい。
私は人形を操る魔法使いなのであって、人形ではない。
「人形が人形を操るだなんて、そんな滑稽極まりないことあってたまるもんですか!」
どうにかして、この一種の病気のような悩みを解消する術はないのだろうか。
とりあえず、油断して無意識の世界に入ってしまわなければいいのだろうが――。
そこで私は一つ油断しない方法を閃いた。
「あ、そうだわ。面白くて退屈しない所に行けばいいのよ」
「私は人形じゃなかったわ」
「.........うん。で、何で私にそんなこと言いにきたの?」
私が少し上機嫌にそう告げると、博麗霊夢は冷たそうな素麺をさぞかし美味しそうに啜りながら、もごもごと返事をした。
私は、退屈しなさそうな場所を求めて彷徨った。
しかし、色々な場所を巡ったのはいいのだが...結局、暇を潰すことが出来なかった。
恥ずかしい話――私には家に上がり込んで暇を潰すような親しい知人が極端に少ないのだ。
よく知らない人の家に上がり込んで勝手に暇を潰していく、なんて私には到底出来ない。呼び鈴も鳴らさずに通り過ぎてしまった。
私は一生懸命考えた。
――同じ魔法の森に住む、霧雨魔理沙の家はどうだろう。
――いや、私はあいつと不仲である。性質がどうも噛み合わないのだ。あいつの家なんかに行くと早速口論になってしまうに違いない。
――図書館は。...ううん駄目だ。あの七曜の魔女に追い出されてしまう。
そうすると。後は残す所あと一箇所だけである。
それが、ここ博麗神社の巫女、博麗霊夢の許である。
「.........と云う訳よ。あんたが呑気に素麺茹でてる間、私は大変だったんだから! .........別に素麺ご馳走してくれたっていいのよ」
「へえー、でも何で.........別に私とあんた親しくないでしょう」
.........そう言われて、何だか少し悲しくなった。
霊夢にとってはそうなのだろうが、私はこれでも一番親しい知人が霊夢だと思っているのだが.........。
やはり、私は霊夢にとっては親しいとも何とも思われていないのか.........。
別に霊夢がどうと云う訳ではないが、何だか複雑だった。
私はそんな心情を霊夢に悟られないよう、早口で言った。
「確かにあんたなんかと親しいとか言ったら私の恥だけど.........ただ、ここに来れば退屈しなさそうだなあと。.........素麺美味しそうね」
「ふーん? でも神社はあんたのような妖怪が暇を潰すような場所ではないから」
そう無表情で言うと、霊夢は再び素麺を啜った。ずるる、と音がする。
「何を今更。.........素麺美味しい?」
とりあえず、霊夢は別に私を追い出そうとはしないようだ。
この巫女はいつもそう。口では妖怪は帰れだの邪魔だのと邪険にする癖に、結局は本気で追い出そうとはしないのである。人間も妖怪も彼女にとってはあまり変わらないからだ。しかし、それを本人に突っ込むと全力で否定する。
「.........でもまあ、良かったわね。ここに来る間、退屈しなかったでしょ?」
「あ」
.........霊夢に言われて初めて気づいた。そうだ、私は退屈しないような場所を探して飛びまわっている間は、心に余裕も何もなかったので、あの恐ろしい無意識の世界に入ってしまうことはなかったのである。
暇を潰すつもりが暇を潰していたのだ、既に。
――しかし。
「それならあんた、四六時中そうやって飛びまわってれば退屈しないんじゃない? はいはい解決解決」
「ちょっと! 何勝手に片付けてるのよ。私はそんな暇人じゃない」
「あんたね、暇を潰したいとか何とか言ってた癖に」
それでも私はそこまでする程暇ではないし、何よりそんなくだらないことで暇を潰したくはない。私はもっと有意義なことで暇を潰したいのだ。
それを伝えると、霊夢は面倒臭そうな顔をした。
「それならあんた、もう少し友人を作ったら? 暇しないわよ。それとも都会派魔法使いが幻想郷の芋臭い連中と友達にはなりたくない?」
「別に、そんなんじゃないわ! ただ.........」
「ただ?」
黙って俯く私の顔を霊夢は覗き込む。私は思わず目を逸らした。
――ただ――。
ただ、私は。一緒に暇を潰し合うような知り合いを作られるほど――。
「私は.........」
「?」
きっと、今初めて私は、今までことある毎に人を避けてきたことを、悔やんだだろう。
「.........ああもうっ!! 何よ、悪かったわねっ! 友達いなくてっ! でも仕方がないじゃないっ! 人と関わるのは苦手だもの.........」
「え、えぇー? ち、ちょっとアリス、いきなり何?」
突然私が叫び出したからなのだろう、霊夢は大層困惑している。
私は、霊夢に自分の悩みを上手く伝えることすら出来ない、不器用な性格なのだ。
――やっぱり。
「やっぱり私は.........人形なのかもしれない.........」
「い、いや。そんな.........ことは」
珍しく霊夢は言葉に詰まっているようだ。
暫くそうやって狼狽しているうちに、次第に冷静になったようで、少し悩んでから、うな垂れている私の肩に手を置いてきた。
少し驚いた。まさか霊夢は、私を慰めようと――?
「.........まあ、何があってそんな考えが出てきたのか知らないけど、あんたは人形なんかじゃないわ。ほら、私で良いんなら、あんたのプライドを崩さない範囲でなら話を聞いてあげるわよ? 私があんたの、その...友達になってあげても、いい」
「!」
霊夢は、やけに優しい口調でそう言った。
普段の霊夢とは別人のように...。
――と云うか、私は以前から霊夢のことを友人だと思っていたのだが。
そうだ、そんなことを考えられる私ならば...人形などでは、ない。
優しい友人がいる、ただの魔法使いだ――。
私は、すっきりした気持ちで霊夢に向き合い、私なりの笑顔を作って、無言で頷いた。
すると霊夢もそれに応えるかのように、笑った。
――ああ、友達とは良い。
「ところであんた、改めて聞くけどどうしてそんな、自分が人形だなんて。無意識にしても.........」
「いや........ほら私って人形みたいに美しい容姿をしているじゃない? だったら本当の人形なんじゃないかなあって」
「ああそう。じゃああんたその、ナルシストなところを直したら妙な錯覚しないし、友人もできるし、色々と解決ね」
完