千年の恋。
この言葉を比喩と捉えるか、ロマンチックと捉えるか、はたまたただの夢物語と捉えるか。
少なくとも、私は千年以上恋をしている。
彼女と初めて出逢ったのは千年以上前のこと。人間の生活に興味を持った私が妖怪であることを偽り、お抱えの術師としてとある貴族に仕えていた頃。
主君は絶世の美女と噂される令嬢に求婚し、実在するかどうかもわからない伝説の宝物を献上するよう言われた。本来なら主君を説得して諦めさせるか、本物を探しだすのが私の役目だった。しかし、令嬢のこの世ならざる美しさに私も魅せられてしまっていた。
私財をなげうって偽物をつくり、それを本物として献上する。私はそうアドバイスをした。そして、工房の職人が告発するよう仕向けた。
主君への裏切り。
あくまでも人間の生活に興味を持っただけであり、忠誠心は最初から持ち合わせていなかった。主君を見限ると同時に、私の意識は彼女へと向いた。彼女がいたから主君を見限ったという方が正確だろう。
求婚した他の貴族達も挫折し、邪魔者がいなくなった。あとは時間と私の持てる全ての力をかけて想いを成就させる。そのつもりだった。
しかし、彼女は月へと帰ってしまった。
帝を唆し、兵を操り迎えを撃退しようとしたが失敗。私も帝の兵もあっさりと敗れた。
それでも私は諦めきれなかった。月に帰ってしまったのであれば奪いに行けばいい。彼女を私のものにするため、数百年に渡って修行を続け、周囲の妖怪達を扇動して月へ攻め入った。しかし、これも失敗。
信念も自信も粉々に打ち砕かれ、私は何百年と鬱屈した想いを抱えて生きてきた。あの永夜の月が私達を巡りあわせるまでは。
再会。
予期せぬ場所、立場で私たちは再会した。
もう何百年と逢えなかった愛しいひととの再会。
さくりさくりと音を鳴らし、少女は暗闇の中をあるく。星空のわずかな明かりの中でも少女の足取りはよどまない。もつれない。ためらわらない。
艶ややかな少女の黒髪は暗闇に溶けこむことはなく、体の上下に合わせてわずかに揺れている。
少女の名は蓬莱山輝夜。
腰にまで届く黒髪を揺らし、輝夜は竹林の中をあるく。鼻歌交じりの軽快な足取りに、片手には細長い袋を握っている。
輝夜の目的地は竹林の奥。ごく一部の者しか知らない、竹の数が減り、わずかに開けた場所。
「さて」
竹林の奥にたどり着いた輝夜は、竹でしつらえられた長椅子に腰を下ろした。雨風に晒され、色もかすみ痛みが見て取れるが、それが年季を物語っている。
空を見あげれば、天蓋に満たされた星の雫。そして雫を飲み込むように大きく口を開く天の川。
「今日は晴天ね」
心地良い風が輝夜の髪を梳き、竹の葉を揺らす。じっとりとした夜気をかき消すかのように数度風が吹いた。
「ふふっ」
嬉しそうにしながら袋を開け、竹筒と竹でできた小さな杯を取り出す。輝夜の目的は星見酒。
「久方ぶりの逢瀬は楽しめたかしら?」
杯に酒を注ぎ、天の川を見上げる。杯の水面にうつった織姫と彦星を祝福するかのように微笑み、輝夜はそれを飲み干した。
「今日は少し感傷的かしら」
わずかに自虐的な笑みを浮かべ、酒気の混ざった息をゆっくりとはき出す。
再び酒を注ぎ、今度はゆっくりと星見酒を堪能する輝夜。
「……こんばんは」
夜気の中に自分以外の気配を感じ取った輝夜は姿の見えない客人に向けて語りかけた。
「一緒にいかが?」
杯を見せつけるように天の川に重ね、客人に問う。
「では、お言葉に甘えさせてもらいますわ」
杯の中の天の川がぐにゃりと歪み、鰐の口のように大きく開いた。
「これは珍しい客人ね」
天の川からあらわれたのは紫色のドレスを纏い、波打った長い金髪の女性。鋭い目は輝夜に向けられると大切な物を慈しむように優しくなる。
「永遠亭のお姫様がこんなところでひとり酒だなんて、珍しいと思ってね」
目の前にいるのにもかかわらず、どこにいるのかわからなくなるような希薄な気配を漂わせている女性の名前は八雲紫。
「ひとり酒だっていいものよ」
輝夜は隣に座るよう促すと、袋から取り出した予備の杯に酒を注ぎ紫に渡す。
「ありがとう」
手渡された杯を口に運び、中の液体をゆっくりと飲み干す紫。
「いい味ね」
満足したのか大きく息をつき、紫は嬉しそうに輝夜を見る。
「でしょう? 永遠亭自慢の一品よ」
紫の褒め言葉に輝夜も誇らしげに答えた。
「ご要望があればプレゼントさせてもらうわ」
楽しそうに微笑み、輝夜は紫の持つ杯に注ぎ足す。
「極上の星見酒に絶世の美女とは幸福の極みだわ」
「口がうまいのね」
「久しぶり逢えて、そこに絶品の酒があれば饒舌にもなるわ」
酒を一気に飲み干すと、紫は輝夜の手をとった。
「……何?」
疑問の瞳を受け流し、紫は輝夜を強引に押し倒す。倒れた拍子に二人の金髪と黒髪が混ざり合い、独特のコントラストを生み出した。
「何のつもり?」
状況に困惑も驚きもせず、輝夜の瞳が紫をうつす。
「こういうことよ」
疑問を紡ぎ出そうとする声を封殺するようにして、紫は唇で輝夜の口を塞いだ。
「ん……」
薄い膜を突き破るように紫の舌が輝夜の中へと侵入する。舌同士が触れ合うことで特有の包み込むような柔らかい感触が紫に伝わった。
蛇のようにうごめく紫の舌が輝夜の口腔を蹂躙する。意外にも、輝夜は抵抗せず紫の舌を受け入れていた。
「っ……」
絡みつく蔦のように紫の舌が輝夜のそれを巻き上げる。輝夜も答えるようにして舌を動かし紫を求めた。
二人の視線が交差し、世界が止まる。氷の世界で交わる瞳がお互いの姿をうつしだす。
「……」
「……」
唇が離れると、唾液がつぅっと糸を引いた。紫はそれを人差し指で絡めとり、見せつけるようにして口へと運ぶ。
「心ここにあらず、と言ったところかしら」
物憂げな瞳で紫は輝夜を見た。
「私はあなたが好きよ」
体を起こし、紫は一つ息をつく。杯に酒を注ぎ、気付け薬の用に呷った。
「私はあなたの気持ちに答えることはできないわ」
輝夜も体を起こし、紫を見る。
「でしょうね」
寂しそうに紫は呟いた。
「あなたの目を見て感じたわ。私が入り込む余地はないみたい」
紫は肩をすくめ、首を振る。
「あなたにとって、あの薬師の存在の大きさがわかったわ。私では敵いそうもないわね」
「そうね。私にとって永琳は誰よりも大切な存在よ」
輝夜は冷静に言葉を返す。息も服も髪も乱れず、頬を上気させることもせず、まるで何事もなかったかのようにしている。
「私はあなたを受け入れることはできない。けど、あなたの気持ちはとても嬉しいわ。」
紫と初めて逢った千年以上前のことを思い出し、輝夜は言った。
何事もなかったかのように紫は杯に酒を注ぎ、輝夜に手渡す。勿論、その後に自分が飲む分も注いだ。
「長く生きていればこんなこともあるわ」
ふっと息をつき、天の川と輝夜を見比べると紫は中身を飲み干した。
「長い長い片思いだったわ」
紫は輝夜に再び口付けをする。輝夜は先ほどと同じように一切抵抗しない。
「でも、この恋はとても楽しかった。一生私の記憶に残り続ける想い出よ」
唇を離して一つ息をつき、優しく笑いながら紫は言う。
「千年以上熟し続けた恋の果実は意外と淡白だったわ」
唇に指を当て、紫は笑った。
「でも、一生に一度しか味わえないかもしれない味だったわ」
「あなたはそれでいいの?」
寂しそうに立ち去ろうとする紫の腕を輝夜は掴んだ。
「どういう意味かしら?」
もったいぶるようにして紫は輝夜を見る。
「あなたはこんなわずかなやり取りだけで充分なの?」
大人の言葉に納得のいかない子供のように輝夜は紫を見上げる。
「実るはずのない恋を抱えて生きていくほど、私は純でも初心でもないのよ」
紫は子供をあやす大人のように優しく微笑んだ。
「私はお暇させてもらうわ。楽しい時間をありがとう」
輝夜の返事をまたず、紫は足元に開いたスキマの中に消え去った。
「待っ――」
伸ばされた輝夜の手は空を切る。
「……」
長椅子に倒れこむと、輝夜は天の川を見上げた。
「こんな気持ち……始めてだわ」
余韻に浸るよう両眼を閉じ、輝夜は唇を人差し指でなぞった。
この言葉を比喩と捉えるか、ロマンチックと捉えるか、はたまたただの夢物語と捉えるか。
少なくとも、私は千年以上恋をしている。
彼女と初めて出逢ったのは千年以上前のこと。人間の生活に興味を持った私が妖怪であることを偽り、お抱えの術師としてとある貴族に仕えていた頃。
主君は絶世の美女と噂される令嬢に求婚し、実在するかどうかもわからない伝説の宝物を献上するよう言われた。本来なら主君を説得して諦めさせるか、本物を探しだすのが私の役目だった。しかし、令嬢のこの世ならざる美しさに私も魅せられてしまっていた。
私財をなげうって偽物をつくり、それを本物として献上する。私はそうアドバイスをした。そして、工房の職人が告発するよう仕向けた。
主君への裏切り。
あくまでも人間の生活に興味を持っただけであり、忠誠心は最初から持ち合わせていなかった。主君を見限ると同時に、私の意識は彼女へと向いた。彼女がいたから主君を見限ったという方が正確だろう。
求婚した他の貴族達も挫折し、邪魔者がいなくなった。あとは時間と私の持てる全ての力をかけて想いを成就させる。そのつもりだった。
しかし、彼女は月へと帰ってしまった。
帝を唆し、兵を操り迎えを撃退しようとしたが失敗。私も帝の兵もあっさりと敗れた。
それでも私は諦めきれなかった。月に帰ってしまったのであれば奪いに行けばいい。彼女を私のものにするため、数百年に渡って修行を続け、周囲の妖怪達を扇動して月へ攻め入った。しかし、これも失敗。
信念も自信も粉々に打ち砕かれ、私は何百年と鬱屈した想いを抱えて生きてきた。あの永夜の月が私達を巡りあわせるまでは。
再会。
予期せぬ場所、立場で私たちは再会した。
もう何百年と逢えなかった愛しいひととの再会。
さくりさくりと音を鳴らし、少女は暗闇の中をあるく。星空のわずかな明かりの中でも少女の足取りはよどまない。もつれない。ためらわらない。
艶ややかな少女の黒髪は暗闇に溶けこむことはなく、体の上下に合わせてわずかに揺れている。
少女の名は蓬莱山輝夜。
腰にまで届く黒髪を揺らし、輝夜は竹林の中をあるく。鼻歌交じりの軽快な足取りに、片手には細長い袋を握っている。
輝夜の目的地は竹林の奥。ごく一部の者しか知らない、竹の数が減り、わずかに開けた場所。
「さて」
竹林の奥にたどり着いた輝夜は、竹でしつらえられた長椅子に腰を下ろした。雨風に晒され、色もかすみ痛みが見て取れるが、それが年季を物語っている。
空を見あげれば、天蓋に満たされた星の雫。そして雫を飲み込むように大きく口を開く天の川。
「今日は晴天ね」
心地良い風が輝夜の髪を梳き、竹の葉を揺らす。じっとりとした夜気をかき消すかのように数度風が吹いた。
「ふふっ」
嬉しそうにしながら袋を開け、竹筒と竹でできた小さな杯を取り出す。輝夜の目的は星見酒。
「久方ぶりの逢瀬は楽しめたかしら?」
杯に酒を注ぎ、天の川を見上げる。杯の水面にうつった織姫と彦星を祝福するかのように微笑み、輝夜はそれを飲み干した。
「今日は少し感傷的かしら」
わずかに自虐的な笑みを浮かべ、酒気の混ざった息をゆっくりとはき出す。
再び酒を注ぎ、今度はゆっくりと星見酒を堪能する輝夜。
「……こんばんは」
夜気の中に自分以外の気配を感じ取った輝夜は姿の見えない客人に向けて語りかけた。
「一緒にいかが?」
杯を見せつけるように天の川に重ね、客人に問う。
「では、お言葉に甘えさせてもらいますわ」
杯の中の天の川がぐにゃりと歪み、鰐の口のように大きく開いた。
「これは珍しい客人ね」
天の川からあらわれたのは紫色のドレスを纏い、波打った長い金髪の女性。鋭い目は輝夜に向けられると大切な物を慈しむように優しくなる。
「永遠亭のお姫様がこんなところでひとり酒だなんて、珍しいと思ってね」
目の前にいるのにもかかわらず、どこにいるのかわからなくなるような希薄な気配を漂わせている女性の名前は八雲紫。
「ひとり酒だっていいものよ」
輝夜は隣に座るよう促すと、袋から取り出した予備の杯に酒を注ぎ紫に渡す。
「ありがとう」
手渡された杯を口に運び、中の液体をゆっくりと飲み干す紫。
「いい味ね」
満足したのか大きく息をつき、紫は嬉しそうに輝夜を見る。
「でしょう? 永遠亭自慢の一品よ」
紫の褒め言葉に輝夜も誇らしげに答えた。
「ご要望があればプレゼントさせてもらうわ」
楽しそうに微笑み、輝夜は紫の持つ杯に注ぎ足す。
「極上の星見酒に絶世の美女とは幸福の極みだわ」
「口がうまいのね」
「久しぶり逢えて、そこに絶品の酒があれば饒舌にもなるわ」
酒を一気に飲み干すと、紫は輝夜の手をとった。
「……何?」
疑問の瞳を受け流し、紫は輝夜を強引に押し倒す。倒れた拍子に二人の金髪と黒髪が混ざり合い、独特のコントラストを生み出した。
「何のつもり?」
状況に困惑も驚きもせず、輝夜の瞳が紫をうつす。
「こういうことよ」
疑問を紡ぎ出そうとする声を封殺するようにして、紫は唇で輝夜の口を塞いだ。
「ん……」
薄い膜を突き破るように紫の舌が輝夜の中へと侵入する。舌同士が触れ合うことで特有の包み込むような柔らかい感触が紫に伝わった。
蛇のようにうごめく紫の舌が輝夜の口腔を蹂躙する。意外にも、輝夜は抵抗せず紫の舌を受け入れていた。
「っ……」
絡みつく蔦のように紫の舌が輝夜のそれを巻き上げる。輝夜も答えるようにして舌を動かし紫を求めた。
二人の視線が交差し、世界が止まる。氷の世界で交わる瞳がお互いの姿をうつしだす。
「……」
「……」
唇が離れると、唾液がつぅっと糸を引いた。紫はそれを人差し指で絡めとり、見せつけるようにして口へと運ぶ。
「心ここにあらず、と言ったところかしら」
物憂げな瞳で紫は輝夜を見た。
「私はあなたが好きよ」
体を起こし、紫は一つ息をつく。杯に酒を注ぎ、気付け薬の用に呷った。
「私はあなたの気持ちに答えることはできないわ」
輝夜も体を起こし、紫を見る。
「でしょうね」
寂しそうに紫は呟いた。
「あなたの目を見て感じたわ。私が入り込む余地はないみたい」
紫は肩をすくめ、首を振る。
「あなたにとって、あの薬師の存在の大きさがわかったわ。私では敵いそうもないわね」
「そうね。私にとって永琳は誰よりも大切な存在よ」
輝夜は冷静に言葉を返す。息も服も髪も乱れず、頬を上気させることもせず、まるで何事もなかったかのようにしている。
「私はあなたを受け入れることはできない。けど、あなたの気持ちはとても嬉しいわ。」
紫と初めて逢った千年以上前のことを思い出し、輝夜は言った。
何事もなかったかのように紫は杯に酒を注ぎ、輝夜に手渡す。勿論、その後に自分が飲む分も注いだ。
「長く生きていればこんなこともあるわ」
ふっと息をつき、天の川と輝夜を見比べると紫は中身を飲み干した。
「長い長い片思いだったわ」
紫は輝夜に再び口付けをする。輝夜は先ほどと同じように一切抵抗しない。
「でも、この恋はとても楽しかった。一生私の記憶に残り続ける想い出よ」
唇を離して一つ息をつき、優しく笑いながら紫は言う。
「千年以上熟し続けた恋の果実は意外と淡白だったわ」
唇に指を当て、紫は笑った。
「でも、一生に一度しか味わえないかもしれない味だったわ」
「あなたはそれでいいの?」
寂しそうに立ち去ろうとする紫の腕を輝夜は掴んだ。
「どういう意味かしら?」
もったいぶるようにして紫は輝夜を見る。
「あなたはこんなわずかなやり取りだけで充分なの?」
大人の言葉に納得のいかない子供のように輝夜は紫を見上げる。
「実るはずのない恋を抱えて生きていくほど、私は純でも初心でもないのよ」
紫は子供をあやす大人のように優しく微笑んだ。
「私はお暇させてもらうわ。楽しい時間をありがとう」
輝夜の返事をまたず、紫は足元に開いたスキマの中に消え去った。
「待っ――」
伸ばされた輝夜の手は空を切る。
「……」
長椅子に倒れこむと、輝夜は天の川を見上げた。
「こんな気持ち……始めてだわ」
余韻に浸るよう両眼を閉じ、輝夜は唇を人差し指でなぞった。
マイナーだけどイイネ
しかし割り切った賢者ではなく、恋心に振り回される少女らしい紫様というのもいいかもしれない
薬師さんとはもう恋人とかそういうのは超越してそうだからチャンスがあるといえばあるような
サラっと流れるように読める作品素敵ですね