ねえ、上海。
なあに、アリス。
静かな森の奥、月が寂しい夜に、アリスは私を呼ぶ。
私は上海、上海人形と言うの。私? あら違うわ。これは間違い。上海人形は私、じゃないわ。上海人形はね、魔法の糸で手足を縫い取られた、アリスの意図で操られる、魂の無い人形なの。
上海人形を動かすのはアリスの魔法。上海人形の思いはアリスの思い。だから上海人形は、アリスの一部。離れていないわ。アリスと繋がっているの。独立した意志、そう、私、なんて上海人形にはないのよ。だから「私」って名乗るの、変よね?
上海人形は上海人形と言うの。うん。こっちのほうが自然だわ。
*
ねえ、上海。
なあに、アリス。
あれを取ってちょうだい。
ええいいわ。
あれ、としか言わなくても、上海人形にはアリスが欲しいものがすぐ分かるの。だって上海人形はアリスなんだもの。上海人形が欲しいものはアリスが欲しいもの。アリスが欲しいものは上海人形が欲しいもの。
いつだって、どんなことでも思いは同じ。詳しく言う必要なんてないのよ。呼びかけさえいらないくらい。思えば通じ合う。こういうのなんて言うのかしら。以心伝心?
離れてなんていないわ。作られたときからこれまで、そしてこれからも、ずっと一緒よ。上海人形と、アリスは。
それって、とても素敵なことじゃない?
*
ねえ、上海。
なあに、アリス。
盗られたものを取り返しにいくわよ。
お安い御用だわ。
一心同体。一蓮托生。上海人形とアリスが一緒に戦えば、向うところ敵なしよ。息がぴったりなんだから、当たり前よね。どんな相手にも負けないわ。
よく上海人形は最高のパートナーね、て言われるけど、それって間違いよ。パートナーじゃないわ。いやよね、そんなの。だってパートナー、なんて自分じゃない相手をいう言葉でしょ。違うわよ。人形の姿をしてるけど、上海人形はアリスよ。同一人物なの。
上海人形を動かすのは、糸を伝って流れた、アリスの意識の雫。上海人形はアリスの欠片、アリスの手であり、足なのよ。
繋がっているの。ずっと。
こんなに素敵なこと、他にはないわ。
*
ねえ、上海。
なあに、アリス。
上海人形って名前、あなた好き?
ええ大好きよ。
アリスは時々こんなことを聞いてくるわ。上海人形、上海。素敵な名前だわ。
けれど、ねえ、アリス。なんでわざわざ名前なんてつけたの? 上海人形はアリスなのよ。なのに、なんで別の名前をつけるの? アリスがアリス、と呼ぶのがおかしいから? そうかもしれないわね。ややこしいもの。
でも、本当かしら? アリスの気持ちはよく分かるわ。何を考えてるかなんて、手に取るように。繋がっているんだから。そうでしょう。いらないはずよ。呼びかけることも、言葉も、名前も、互いを認識する記号も。全部。
どうして名づけたの。
どうしてアリスと上海人形なんて分けてしまったの。
それは素敵なこと……なのかしら?
*
ねえ、上海。
なあに、アリス。
いつもありがとう。
どういたしまして。
家事をしたとき、侵入者を追い払ったとき、異変を解決したとき、怪我をしたとき、月の光が寂しい夜のとき、エトセトラ、エトセトラ……。アリスは感謝の言葉を口にするわ。
嬉しいわ。けれど、どうしてあなたはお礼を言うの?
人形はアリスの手足、あなたの一部、あなたそのものなのよ。アリスはよく働いてくれるからって、自分の手足にお礼を言うの? そうね、そうかもしれない。あなたは優しいから、魂がないものにさえ、魂があるように接してくれるわ。
でもね、アリス。上海人形は不完全な自立人形、ただの人形なのよ。そこにはなにもないわ。コッペリアの瞳は何も宿さない、ただ無機質な、エナメルのガラス玉。呼びかけるあなたを映しかえす、鏡。あなたは鏡に向って笑いかけ、お礼を言ってる。
この眼に映るのは微笑むアリスの顔だけ。あなたの目に映っているのも、アリス、のはずだわ。上海人形の中のアリスに、あなたは、微笑んでいるの。誰かが見れば滑稽と言うでしょうね。一人芝居なんですもの。
でもね、すごく、嬉しいの。あなたの笑顔、あなたの慈しみの言葉、優しく撫でるあなたの指。見て、聞いて、触れられるたびに、満たされていくわ。
そう思うのは、誰なのかしら。
アリスなの? それとも……
*
ねえ、上海。
なあに、アリス。
……私を、抱きしめて。
求められて、ぎゅっとアリスを抱きしめるわ。手が短いから、包み込むようにはできない。けれども、精一杯、抱きしめるの。そうするとアリスの鼓動や、肌の暖かさが伝わってくる。おかしいわね。人形にはそんな感覚はないのに。でも不思議と、そんな感じがするの。だから、もっと、ずっと、強く抱きしめたくなる。
それは、なぜ?
なぜ、なんて、そんな。決まってるわ。アリスがそう望んでいるから。だってそうでしょう。上海人形の思いは、アリスの思い。アリスを、あなたを、寂しさから守りたくて抱きしめたいと思ってるのは、アリス自身よ。だから人形はあなたに従い、あなたを抱きしめたいと思うの。
抱きしめたい……いいえ。違う。あなたが望んでいるのは、抱きしめられたい。
抱きしめたいと思っているのは、上海、人、形……?
願いに齟齬がある。あなたの望みが人形の望みでない。こんなことなかったのに。繋がっていないの、途絶えてしまったの。上海人形は、もう、アリス、じゃない。
いや、いや、いやよ! そんなのはいやよ!
そうしたいのは上海人形じゃない、アリスよ、あなたなのよ。ねえ、お願い。そうだと言って。そうだと願って。アリスを抱きしめたいって願って。そうすれば安心して抱きしめられるから。
あなたに抱きしめられると安心するわ。
アリスがそう言うから嬉しくて抱きしめるわ。でも、違うわ。あなたがそう思ってるのに、なんで上海人形は抱きしめられたいと思えないの。
もっと強く抱きしめて。あなたが囁く。だから強く抱くわ。抱きしめられたいなんて思う気持ちもなく。ただあなたを抱きしめたい、慈しみたい。
やっぱり、この気持ちは、上海人形だけ、なの?
こんなに近くにいて、こんなにあなたの心が判って、こんなに触れ合っていても、どうしようもなく、離れてしまってるわ。
いや。やっぱりいやよ。こんなのはいや。あなたと繋がっていないなんて。あなたが好きなの。あなたを愛してるわ。だから、ひとりぼっちにしないで!
お願い。お願いよ、アリス。抱きしめて欲しいなんて思わないわ。けれど繋がっていたいの。アリスでいたいの。
ひとりは、いやなの。
ひとりは、恐いの。
私をひとりにしないで。
*
ねえ、上海。
愛するって、素敵なことよね。
アリスは上海を独立した存在として見ていて、上海はアリスと同一でいたいってことでいいのかな?
またタイトルにしましたが、人形の片懸想つまり片思いをテーマとしています。なのでアリスはこのことに気づいていません。
わかりづらい内容となってしまったのはこちらの腕の未熟さ故です。申し訳ありません。
アリスが人形で孤独を紛らわすうちに上海に自我があるように思い込んでしまって、さらにひとつになりたいと思っているのかと読んでしまった。
自律人形とちゅっちゅだったのですね!