「世間知らずもここまで来ると惚れ惚れするよ。リンゴを見たことないとはな」
いつものように地下室にやってきて、いつものようにスペルカードで遊んだ後。一緒に咲夜特製のお茶とお菓子を囲みながら魔理沙が言った。
心底あきれたような顔をして固まっている。そこまで人を馬鹿にしないでも良いじゃないの。私はさ、アップルパイがどうやって料理されるか知りたいだけなのに。
アップルパイは何から生えてくるの? 何を殺せば出てくるの? 人間から紅茶が出てくるのはこの前教えてもらったよ。だったらさ、次はお菓子が気になるもん。
リンゴなんて知らない。聞いた事もないしどうでもいい。余計な事を言い出したのは私じゃないのに。なぜ馬鹿にされないといけないの?
呆れ顔のまま魔理沙が服の中に手を入れてごそごそさせる。抜き出した手には緑色の玉が握られていた。
「ほら、これがリンゴさ。これを咲夜が切り刻むとな、今お前が食ってるアップルパイになるんだ」
「えー? だって、緑だよ?」
「青リンゴだよ。中身は黄色」
齧ってみな、それで分かるから。そう言って私に向かってリンゴを放り投げてきた。手に取ったリンゴはほんのり温かかった。服の中で温められていたみたい。
私にはこれを齧る勇気がなかった。どうにも気色悪いのだ。本当にこれがアップルパイになるの? 嘘としか思えない。
アップルパイは本当においしい。甘酸っぱくて、サクサクしていて、ちょっとだけ優しい。シナモンの香りが溢れるそれにかぶりつく瞬間! アップルパイを食べられるなら暗い地下室暮らしでもいいかな、と思えてしまう。
咲夜が作るにふさわしい完璧なお菓子だと思う。
手の中にあるリンゴ、という緑色にアップルパイと結びつくものがあるんだろうか。持った感じはつるつるしている。それはちょっとだけ楽しい。
でもそのほかは最悪だ。うすらぼけた緑色の全体にはびっしりと斑点が散らばっている。昔魔理沙が持って来た毒キノコみたいだ。天辺と底は醜くえぐれていて、片方にはしなびた棒が突き刺さっている。パチュリーに見せてもらった本に乗っていた爆弾という物にそっくり。
毒キノコに爆弾。どっちも何かを殺したり傷つけたりする物。吸血鬼の私でもぞっとする。
悪い物に、悪い物をくっつけたんだ。これはきっと恐ろしいものに違いない。こんな汚らしい物から、アップルパイなんか出来るはずがない!
「やよ! 嘘ばっかり!」
「ほう、私が嘘をついているとでも? 証拠でもあるのかね?」
「当たり前じゃない。まずね、形が違うわ」
「切り刻むと言うたろうに」
「う。それに、色が違う。アップルパイは茶色と黄色よ」
「だから齧って中身を食えと。中は黄色いから」
「ぐぅ。それにそれにさ、あんたはこれを服の中から出したじゃない」
「うん。それが? おやつくらい持ち歩くさ」
「あんたの服の中には魔法の道具とか怪しげな物ばかり! だから、このリンゴだって怪しいわ!」
どうだ。恐れ入ったか。私を何にも知らないと思ってだまそうなんて甘い甘い。
だいたい魔理沙がアップルパイの材料なんて持っているはずがないのだ。アップルパイは素敵な物。暗い森の魔法使いが材料を早々手に入れられる訳がないじゃないの。
ざまあみろ。人間のくせに私に勝てると思ってるの? ちょっと弾幕ごっこが強いくらいで調子に乗っちゃって。
魔理沙は驚きのあまり声も出ないようだ。目を丸くしている。スカッとした。これで弾幕ごっこの借りは返せたね。
ぼうっとしたままの魔理沙がいきなり手を叩いた。口の端をゆがめて愉快そうに笑い出す。なんだ、まだ言い訳を残しているの? まったく。人間って生意気なんだから。
「な、なによ。まだ言い逃れするつもり?」
「あっはっは。……いやいや、降参だよ。私は嘘吐きだった」
「ふん。あんたも素直に謝れるのね」
「実はな、それは妖怪の卵なのさ。温めて孵そうと思ってな」
「そんなもの私に齧らせようとしていたの?」
「だから謝ったじゃないか。お前の魔力で面白い妖怪が生まれるんじゃないかと」
「……へぇ」
「すまん。悪かったって。お詫びにそいつをやるから許してくれよ」
これを? こんな物貰った所でなんになるというんだろう。いびつで、汚らしい卵から生まれるものなんていびつで汚いに決まっている。
いらない。壊してしまえ。
「なんだ、生まれてくる妖怪が怖いのか」
「なんですって?」
「せっかく私がお前の友達を持って来てやったのに。破壊するとはなあ」
「意味が分からないわ」
「だからさ、それからはお前のお気に入りが生まれるんだぞ」
私に卵を壊させまいと、魔理沙はどんどん饒舌になった。取っておけ。いい物になるから。温めてみろ。結局のところ言いたいのはこれだけらしい。いろいろ言葉を飾っているがこの三つしか言っていない。人間はよく分からない。寿命が短いくせにわざわざ持って回った言い方ばかりを好む。
私に緑の卵を押し付けて魔理沙は帰った。つまらない。いつもなら晩御飯の時間まではいてくれるのに。今日はあっという間にいなくなってしまった。
魔理沙が食べ残したアップルパイを平らげる。紅茶のポットはもう空っぽだ。机の上には緑の卵しか乗っていない。何も残っていない。本当につまらない。
指で卵を突いてみた。卵という物はころころ転がるもののはず。だけどこの緑色は違うみたい。下の平らなへっこみのおかげか転がらない。ちょっとだけ揺れて、それで終わり。なんだこれ。
見た目が悪くて芸も出来ない。なんて役立たずなんだろうね。
もう一度突いてみる。何も変わらない。もう一回だけ突く。やっぱり変わら、あれ? 突いたところがへこんだ。卵って堅いんじゃないの? 情けないねお前は。
飽きたから寝る事にする。緑の卵はテーブルの上に置いておくことにした。こんな毒々しい卵を温めるなんて冗談じゃない。私は一人で寝るから。一人で寝たいから。
目が覚めた。どれくらい寝たんだろう。一日、いや、二日くらいかな。弾幕ごっこは疲れるからねえ。お姉さまみたいに誰も起こしてくれないし。寝たいときに寝て起きるまで寝っぱなしですよ私。
部屋の中が甘い。甘ったるい香りがする。あれ? 咲夜がお菓子でも持って来てくれたのかな?
テーブルの上には卵しか乗っていない。魔理沙と一緒に食べたお菓子のお皿だけが綺麗に消えて、卵だけ残っていた。
香りのもとは卵みたい。私が突いた所が黒くへこんで、甘い香りが溢れている。
うん、甘くておいしそうな香りだね。ちょっとだけアップルパイにも似ているかも。これなら魔理沙がアップルパイの卵だと嘘をついたのも分かる。最初からこの香りがしていたら絶対にだまされていたと思う。
本で読んだ事がある。卵には栄養が詰まっていて、中の子供はそれを食べてから出てくるんだって。黒ずんでへこんだのは中から食べているって事だね。
がんばってるじゃないの。生まれるのがちょっとだけ楽しみになったよ。
生まれてくるのはどんな妖怪なんだろう。妖怪なんだから、人間以外って事よね。メイドか、吸血鬼か、魔女か、悪魔か、門番か。どれだろうなあ。
うーん、緑の卵だし、門番かな。美鈴はいつも緑色の服を着ているから、卵の殻も緑色なんだね。美鈴に妹が出来るんだ。
「早く生まれて、あんたのお姉さんを楽にしてあげるのよ」
よかったね美鈴。いつもお昼寝してねえさまに叱られているから、二人だったら休憩できるよ。
そう思うとなんとなく不恰好に思っていた卵の外見も好ましく思えてきた。転がらないようにへこんでいるのも、門の前から動かない門番の性質そのままだ。
早く生まれるところをみたいので、もう一度寝る事にする。寝ていれば時間なんてすぐに経ってしまうから。
寝て起きるたびに卵は育っているみたい。起きて確認するたびにへこみが増えている。うんうん。美鈴の妹は元気いっぱいみたいだね。
これならもうすぐ会えるだろうと思って眠ったある日。私は悪臭で目が覚めた。テーブルの上を見るとひどい事になっていた。
卵はぐちゃぐちゃのぐずぐずになっていた。テーブルの上には変な汁が漏れていてべたついている。デコボコにへこんだ卵の殻には黒い毛のような物がびっしり生えていた。顔を近づけると臭くて目が痛くなる。
「何で? 何でなの? 何なのこれ。妹はどうなっちゃったの?」
いくら私でもこの卵はダメになってしまったことくらい分かった。もう取り返しがつかない。中の子は死んでしまったんだ。
どうしよう。涙が溢れて止まらない。私が、私がしっかりしていれば死なずにすんだのに。きっと今頃はふたりで紅魔館の前に立っていはず。おそろいの緑の服を着て、まだちっちゃいけど元気に拳法を使っていたんだろうに。
私が殺してしまったんだ。私が、美鈴の妹を殺したんだ。今まで数え切れないくらいのものを殺したし、壊した。でも、悲しくなったのはこれが初めてだ。どうしよう。どうしよう。
美鈴が喜んでくれると思ったのに。ねえさまに誉めてもらえると思ったのに。
もう緑色の所なんか何所にもない卵に手を伸ばした。ぐちゃっとした。指でさわっただけで簡単に殻は破けてどろどろの何かがこぼれてくる。むせ返るような臭いが部屋中に広がった。
卵の中身をかき回していていると指に何か堅い物が触れた。夢中になってそれを引っ張り出す。
たぶん、これが中にいた妖怪なんだと思う。卵から取り出したこれが、美鈴の妹の死体なんだと思う。
細長い棒のようだ。筋張った不恰好な棒。真ん中あたりに黒くて丸いのがいくつか付いている。卵に突き刺さっていたしなびた棒も一緒に付いてきた。手も足も顔も分からない出来損ない。大きくなることが出来なかったんだ。妖怪の体になることが出来なかったんだ。
何で? 何で? とつぶやき続けていた私は一つの事に思い当たった。そうだ。これは卵だったんだ。何で私は温めてあげなかったんだろう。冷たいテーブルに置きっぱなしだった。魔理沙だって温めろと言っていたじゃないか。
何で、一緒に寝てあげなかったの?
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
生まれて初めて神様に祈ってみたくなった。神に背いた生き方をしてきた私を、どうかお許しください。
そして、どうか報われないこの子にもう一度チャンスを与えてやってください。
このお話、好きです。
何て言うか普通の人とは違う視点で世界観が創れてて凄いです
ただ欲を言えばもう少し続いてほしかったなあと。
独特な世界観がまた面白くて、凄いなぁの一言です。
幼い感性で描かれたフランドールの一人称がとても鮮烈で、何処か懐かしい感じさえします
子供の見ている世界はきっとこの作品のような、大人になると忘れてしまっている何かがあるのでしょうね
何気ないやりとりからこんなにも非日常的な世界が垣間見える……とても面白かったです
少しゾクッとした
とても面白かったです。
なんという発想力。なんて可愛い、いじらしいフラン。
とても面白かったです。
でももうちょっと先を見たかったかも……。
読後感は最悪ですわ