「あははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
レミリア・スカーレットは――――紅い吸血鬼は高らかに笑う。
哄笑は紅魔館のホールに響き渡る。
そこにいるのは彼女とその従者だけ。
広い広いホールに絶叫のような彼女の笑い声が木霊する。
紅い悪魔の激しい笑い。
その笑顔には、容姿相応の平和なおてんば娘の快活さはなく、
頬を紅潮させるまでの恍惚と、
満たされてゆく支配欲への心酔のみが、ありありと浮かぶ。
宵闇よりも黒い漆黒の翼――
夜空より昏い少女の玉顔――
その笑声は地獄の責苦に打ちひしがれる罪人たちの悲鳴怒号よりも恐ろしい。
狂喜に歪む眼瞼から緋色の虹彩が覗く。その色は灼熱に煮えたぎる血の河よりも紅く、その光は罪を燃やす煉獄の火炎よりも明るい。
幾千人の血を吸ってきた唇は酷薄そうに歪み、凍れる空にかかる三日月よりも鋭い牙が白銀の光を放っていた。
永遠に続くかと思われた悪魔の笑いが終息する。
玉座に座った若き吸血鬼は息を切らして、頬を満足げに歪め、吼えた。
「ついに、ついに、ついに!
ついに私は手に入れた!
ついに私は手にすることができたのだ!」
夜の王は右手の中にあるものを強く握り締める。
やはりその花顔に浮かぶのは愉悦と狂気――
少女は美しい顔を人外じみた愉悦と化物らしい狂気に歪ませる。
普段は病的に白い肌も、深く高い狂喜のあまり、彼女の猛き血――その紅い本性をうっすらと覗かせていた。
彼女が語るのは――世界に対してか。
彼女が訴えるのは――運命に対してか。
彼女が宣言するのは――天帝に対してか。
「どれだけ多くのため息の夜を過ごしただろうか。
どれだけ沢山の甘い夢の昼を送っただろうか。
夜も昼も私の心からそれが消えないことはなかった!
月が浮かぶときも陽が照るときも私の魂がそれを求めずにいられたことはなかった!」
この思慕が永遠に続くのかと思うときもあった!
この困苦が刹那でも軽くなったらと思うときもあった!
だが、私は恋焦がれる夜と心裂かれる昼を乗り越えた!」
ブラム・ストーカー作『吸血鬼ドラキュラ』。
かの串刺公ヴラド・ツェペシュ。
自殺した妻の魂は神に救われることは決してない。
神への絶望と瞋恚に彼は吸血鬼として生まれ変わる。
永遠に続くかと思われた哀惜と憤怒の日々。
400年の時の拷問の後、悪魔はある島国で妻に生き写しの女性に出会った。
男は女を得んとし、島国の形而上学者は人間の尊厳を守ろうとし、衝突する。
愛をかけた熾烈な戦いの末、想いは叶うことなく、男は塵となって消えた。
はたして彼はどれほどの愛を妻にそそいだことか。
あるいは彼はいかほどの思慕に心を狂わせたことか。
だが、この紅の悪魔も、実は彼の血を受けているのだろうか、名高き吸血鬼に勝るとも劣らぬ情熱と狂乱を、愛すべきものにそそいでいたのだった。
「私にとって空に浮かぶ月は常に心狂わせる月だった!
その月が天へ昇り地へ落ちるのを数えたのは百や千では済まなかった!
だが、私はその心悩ませ苦しめる歳月を踏破した!
今、私がまさに求めていたものが我が右手に――私の小さな右手の中にまさに存在する!」
傍らに控える夜の王の忠臣は眉一つ動かさず、主の言葉を聞いていた。
表情が凍ってしまっているのは主たる少女の執念に恐怖するからか、途方もない苦しみに耐えた強さに心打たれているからか――
永き時を生きる少女の頬が、一滴の水に濡れていた。
ばさりと黒い翼が震える。幼き姿には似つかわしくない蝙蝠の翼は彼女の魂の顕れか――
紅き悪魔の勝利宣言は続く。
「冥府のオルフェウス! 駿足のアキレウス! 戦神のアレース!
彼らのもつ力はこのレミリア・スカーレットをしても得ることの叶わない力だろう。
だが、彼らは失敗した。
強い力をもちながら失敗してしまった。
オルフェウスは油断した。
最愛の妻を奪い返せるというのに、まさに後一歩のところで振り返ってしまった。
アキレウスは己が不死身だと疑わなかった。
だが、完全な不死などあるはずもない。彼は唯一の弱点を知らず、気づいたときはすでに手遅れだった。
アレースは自らの愚昧に気づかなかった。
破壊と狂乱を司る彼はその愚かさゆえに、ついぞ栄光あるアテネに勝つことができなかった。
私は自らに油断を許さなかった。
私は自らを完全などと思わなかった。
私は自らを賢いものだとは信じなかった。
そして――これらの決意と壮大なる苦心の末の山の上で、私は成功という月を雲ひとつない空の真ん中に仰ぐことができたのだ」
「ああ、私は確かに手に入れたのだ」と、少女は呻く。
頬を涙で濡らしながら少女は呟く。
先刻の覇気と狂気は収束し――至福と安息の表情のみが夜の王の顔に残る。
悪魔は人間を騙すために、狼の胴体を羊の皮に包んで隠し、醜い顔に魔法を施して美人を装うという。
だが、どんな巧妙な魔法でも、王の着るような豪奢な衣装でも、天使の姿を真似ることはできまい。
少女は両手を胸の前で組み、涙を流しながら微笑んでいた。
悪魔の癖に――神に祈り、感謝しているかのように。
いや――それも無理なからぬことかもしれない。
悪魔もまた神の手によって創られたと言われる。また、天使が罪悪のために地獄へ落ちてしまって生まれたとも言われる。
昔は天使であった身――
それが聖女の微笑を浮かべても何の矛盾も存在しまい。
「私は地獄に落ちるだろう」
少女は目を瞑り、囁くようにして言った。
「この現世での幸福のために――この幸福を得んとして激しい戦場に身を置いたために――
そもそも悪魔は地獄にいるものだ。この生が尽きるとき、私もまた神が創造した地獄へ身を置くことになるだろう」
吸血鬼は自分の死後が決して良くないものであることを確信していた。想像を絶する辛苦。脳髄をかき乱されるような絶望。少女は地獄がどんな場所か知っていた。だが、悪魔はすこやかに眠る赤子のような微笑を浮かべていた。
「ああ、私は私の望みを果たすことができたが、思えばいくつもの困難を乗り越えてきたのだ。だが、それらの苦難は確かに厳しいものであったが、決して忌々しいものではなかった。むしろ好ましいものであった。それらの試練は――この言葉を悪魔の私が口にすることではないのかもしれないが――確かに神聖なものだったのだ」
夜の王はとめどなく涙を流し続ける。彼女の口は懺悔するかのように穏やかに言葉を紡ぎ続けた。
「私は悪魔であるから、神への感謝の言葉はこの口から出てくることはない。しかし、私は――運命を操る力をもっていたとしても――運命という名のかけがえのない友人に心から感謝しているのだ」
そして、悪魔は静かに自嘲した。
「しかし、私もまた愚かだったのだろう。二歩先に恐ろしい災禍が待っていることがわかっていても、一歩先の幸福に手の伸ばさずにはいられなかったのだから。だが、私は自らの愚かさを受け入れよう。膨大な災厄と最大の幸福をもたらした私の愚昧を肯定しよう」
少女はそう言って組んだ手を崩し、右手に握っていた彼女の『最大の幸福』を頭上に掲げた。そして、左手を静かに添える。その姿は世界を相手に自らの運命を誇るかのようだった。
「そして、私は今――まさに今、最大の宿願を果たすことができる!
やっと、私は自分の天命すべてを許すことができる!」
吸血鬼はそう笑顔で吼え、天を仰ぐ。視界一面に掲げた布の清々しい白さが広がる。
なんて白さ――これが天国の色か。そして、その布の柔らかさはきっと私をふんわりと包んでくれることだろう。私の天国はこの世にあったのだ。
そして、時は機を迎える。
悪魔は意を決した顔つきになった。おもむろに白き布を力強く降ろし――
「私の愛するフランの――――!」
――頭に被った。
「 どろわぁぁぁぁぁぁああああずぅぅぅぅううう!!! 」
幸福の悪魔――――ドロワーズ・デビルの誕生である。
レミリアはフランドールのドロワーズの中で感激の声をあげる。
「すごい! これはすごいわ(ふかー)! なんという柔らかさ! なんという香ばしさ(ふかー)! 本当にここは天国(ふかー)!? ちょっとちょっとちょっと(ふかー)ヤバいって、これ! マジ、ヤバいって(ふかー)! ああ、これをするのに(ふかー)本当にどれだけ胃を痛めたことか(ふかー)! フランったら恥ずかしがり屋(ふかー)だから、お風呂はいるときはいつも(ふかー)自分の服隠しちゃうし、清潔好きなわりには、湯船(ふかー)あんまり好きじゃないとか言って、シャワー浴びて出てくるだけだから(ふかー)、10分かからないし。地下室暮らしから地上に戻ってきても(ふかー)、何でか、私の都合の悪いときにばっかり(ふかー)お風呂に入るし。ほんとどれだけ苦労したことか(ふかー)! でも、その苦労も今ようやく(ふかー)むくわれたわぁ……」
ドロワーズが少し濡れている。どうやらレミリアはまた感極まって泣き出したようだ。
「ああ、タンスの中の(ふかー)ドロワーズはもう何度も被ったけど、脱ぎたてのドロワーズを(ふかー)被るなんてそうできることじゃないわ! それも今日はフラン、魔理沙と(ふかー)弾幕ごっこをしてたから結構汗かいてたし、レア物ってレベルじゃない(ふかー)っつーの、フッヒー!」
紅魔館のお嬢様はハイになると頭のネジと一緒に言葉遣いがどこかへ吹き飛ぶ。せめて前者は吹き飛んで欲しくないのだが、もはや手遅れである。
レミリアのメイド長、十六夜咲夜はひたすら困惑していた。何しろ、ツッコミ所が多すぎる。まだレミリア嬢に使えてから数年ほどであるが、主の趣向が少しおかしいのは前から知っていたが、わざわざ妹に対する変態行為に及ぶために、長々と厳めしい前口上を述べたり、今度はそれまでの口調を崩して、これだから今時の若者は、と隙間妖怪が眉をひそめそうな喋り方になったり、下着を頭に被ったまま興奮して誰も求めていない供述を始めたり、さらには喋りながらドロワーズの中で深呼吸したり、と、これまでに類を見ない酷さだった。そもそも咲夜としては前向上の段階で主を止める予定だった。たまたま廊下を歩いていたら、レミリアがフランのドロワーズを両手ににやけながらホールの方に向かうのを見つけて、諌めようと追ってきたのだが、前口上の勢いに思わず気勢をそがれてしまったのだ。
主は子供だ――十六夜咲夜はそう思っている。確かにレミリアは500年以上生きてきた妖怪だ。その実力も幻想郷でおそらく五本の指には入るだろう。知識も決して少なくはなく、洞察力も洗練されたものである。しかし、その精神は見た目相応の、幼く可愛らしい少女のものなのにすぎない。
人間ゆえに彼女よりも大人である咲夜は大人の立場からレミリアを諌めなければならないと思うのだ。
きっとそれは、紅魔館の主を務め、大人のいない環境で独り、長い間困難と闘ってきたお嬢様のためになるのだから。
――だけど、変態の女の子をどうやって矯正するかなんて考えたことはなかったわ……
そもそもそんな方法があるのか、それとも自分もまだ経験不足なだけか――、パチュリー様の図書館にそんな本あるかしら――、咲夜の頭が目まぐるしく働く。だが、彼女は本能でこう思っていた、もうだめかもしれんね、と。
「せめて、そういうことはホールじゃなくて私室でしてほしいのですが……」
咲夜は唯一、そこを指摘することができた。ツッコミとしてはやや弱いのを認めざるを得ないが、いかんせんガッツが足りない。
咲夜の必死の言葉も、お嬢様は興奮のあまり聞こえなかった。
「フヒー! ああ、フランが(ふかー)これの直接肌に身につけていたかと思うと(ふかー)、もう震えとよだれが止まらないわ! それにフランの(ふかー)匂いがこんなに……、もう頭がどうかして(ふかー)しまいそう!」
頭がどうかしてるのは今更だ。
「…………(ふかー)………………(ぺろ)……フランの味がする(ふかー)」
ああ、この様子を妹様が見たら、きっとトラウマになるだろうなぁ、と咲夜は思った。ひょっとして、妹様がずっと地下室に篭っていて特に文句を言わないのは姉からの性的虐待から逃れるためだったんじゃないか、とひどい妄想を思い浮かべる。
そして、物語はクライマックスへと進んでゆく。
レミリアの呼吸は最初と比べ、壮絶に荒くなっていた。
「何だか、み(ふかー)な(ふかー)ぎ(ふかー)っ(ふかー)て(ふか)き(ふかー)た! 何もしてないのに達しちゃいそう! ああ、イッちゃう!? イく!? イッちゃうの!? 夜伽イッちゃう!?――――――――――――――――」
咲夜が時間操作を発動して、とりあえずこの主を黙らせようとした刹那、
緋色の閃光がレミリアを玉座ごと粉砕していた。
レミリアのいた玉座を中心に爆発が生じる。爆風とともに轟音がホールの空気を震わせる。レミリアの傍らにいた咲夜は時間能力を発動することで回避できたが、そうでなければ恐らく爆発に巻き込まれて大怪我をしていただろう。肝を冷やしながら、ホールの入り口に目を向けると――
フランドール・スカーレットが真っ赤な顔で、肩で息をしながら魔杖『レーヴァテイン』を握り締めていた。
妹様はしばらく粉々になった玉座を睨みつけていた。やがて、同じように赤い顔をした妹様が一人、二人、三人とやってきて、最初に現れた妹様に吸収されるように消えていった。禁忌『フォー・オブ・アカインド』。恐らく、妹様はスペルカードを発動し、四人がかりで変態の犯人を探していたのだろう。
玉座の後ろの壁から、がらっと音が立った。レーヴァテインの一撃は玉座を貫通し、その背後の壁を深くえぐっていた。瓦礫が派手に辺りに飛び散っていた。
その瓦礫の一際大きな塊から、立ち上がる影があった。
レミリア・スカーレットだった。
「いたたたた…………」
レーヴァテインの直撃を喰らっても、痛いで済ますことができるのはさすが紅魔館の主というべきか。
しかも、頭に被っているドロワーズは無傷だ。
どれほどの執念が主を支配しているのか、咲夜には想像できなかった。
フランドールはいつのまに歩いてきたらしく、姉の前に立ち、真っ赤な顔をして睨んだ。
「ぐーてんたーく、お姉さま?」
「あら、フラン(ふかー)、ぐーてんたーく。ご機嫌いかがかしら(ふかー)?」
フランの頬がわずかにひくついた。
「…………そういうお姉さまはご機嫌いかが?」
「パーフェクトよ、フラン(ふかー)。これほど最高の夜は(ふかー)ないわ」
「そう、そうなの…………ところで、お姉さま、私に言わなければならないことがあるんじゃないの?」
「あら、あなたに(ふかー)言わなければならないこと(ふかー)?」
「もしくは、謝らなければならないこと、とかさ」
「まあ、大変だわ。そんな(ふかー)ことが…………(ふかー)…………。ごめんなさい、フラン。ちょっと(ふかー)思い浮かばないわ」
「そう…………でも、大丈夫。私の眼を見れば、きっと気づくから」
「…………わかったわ、フラン」
フランと、ドロワーズをかぶったレミリアは互いの顔を強く見つめあった。やがて、レミリアが言葉を紡ぐ――とても悲しげな声だった。
「ごめんなさい、フラン(ふかー)。目の前が白くて(ふかー)あなたの宝石のような眼がよく見えないの……」
「だから、そのドロワーズを返せって言ってんだろ!!」
ガンッとフランがついにレミリアの頭をはたいた。メイドの咲夜はただ黙って見ているしかなかった。というか、これまでレーヴァテイン1発(危機的状況だったのでノーカウントのようなものである)と1発叩いただけで許しているフランの寛容さに感動していた。
「痛いわ、フラン! 私の目は(ふかー)昔のテレビみたいに叩いても(ふかー)直らないのよ!?」
「だから、それはお姉さまの目が悪くなったんじゃなくて、私のドロワーズを被っているからでしょ!」
フランは再度、お姉さまの頭をはたく。妹様の目の端には少し涙が溜まっていた。
「痛ッ!? やめてフラン(ふかー)! 私はあなたをドメスティック・バイオレンス(ふかー)するような娘に育てた覚えはないわ!」
「その前に私にセクハラしたのはどこのどいつだよ! ていうか、いい加減、その『ふかー』ていうのをやめろ!」
ああ、性的虐待じゃなくてセクハラなんだ。
咲夜はやはり妹様の寛大さに感動せざるを得なかった。
フランはついに姉の頭に手をかけ、被さっているドロワーズを引き剥がした。
レミリアは奪われたドロワーズに手を伸ばし、悲痛な叫びを上げる。
「ああ、その子は! お願いします、私の子を、マリアを連れて行くのだけはやめてください!」
「どこの戦争中のお母さんだよ!? っていうか、他人の下着に勝手に名前をつけるな!」
フランはレミリアの手を払いのけ、距離をとった。それを見て、レミリアはその場にうずくまり、両手で顔を覆い泣きじゃくり始めた。
「ああ、私の愛が……私の愛が奪われてしまった……………………マリア……私の可愛いマリア…………」
「先に奪われたのは私だよ! て、これじゃ私が悪いみたいじゃん! それと何でマリアなのさ!?」
妹様はげんなりした顔をしていた。しくしくとレミリアは泣いていたが、やがて立ち上がり、決然とした表情でフランを見据える。
「泣いていられないわ…………駄目ならば次の手段をとるまで」
フランドールは頬を紅潮させたまま、姉を睨み返す。
「へぇ、じゃあお姉さまはどうしようっていうのかな?」
衝突する視線と視線。
咲夜はホールの空気が再び緊張するのを感じていた。この先始まる激しい姉妹の戦闘を予感して、ごくりと喉を鳴らす。
――やれやれ、今月は修繕費で会計が苦しくなりそうだな。
咲夜は苦笑しつつも、二人の対決を止めようとはしない。否、もはや止めることはできない。
レミリアはしばらく、フランの射殺すほど鋭い視線を正面から受けていたが、
突然、脱兎として、フランとはまったく別の方向へと駆け出した。
一瞬呆けるフランだったが、すぐに姉の意図に気づいて走り出す。
「最善の策が駄目なら、次善の策をとるのみ! フランのタンスの引き出しを襲撃する――!」
「この馬鹿お姉さま――!」
「下から二段目、ワイシャツの下に隠してあるのはすで調査済みよ!」
「ああ……もうほんとに死んじゃえ、馬鹿お姉さま!」
レミリアが漆黒の翼を広げて飛ぶ。一歩遅れたフランも虹色の翼を広げて跳躍するが、飛ぶ速度においては、地下室暮らしの長かったフランではレミリアに敵わない。二人の差は広がってゆくばかりだ。
レミリアがついにホールの出入り口から数メートルというところに差し掛かった。廊下に逃げられてしまえば、もはや追いつくことは諦めるしかない。
その後はレミリアの思うがままだ。
あの姉のことだ。私の箪笥の中にあるドロワーズ全てをもっていくに違いない。それどころか、タンス一式全部かっぱらってゆくことすら考えられる。
さらにその後の展開も読める。
咲夜が新しいドロワーズを調達するまで、私は今履いているもので過ごさなければならない。
最悪、私の入浴中にこの最後の一枚が盗まれるということも考えうる。
そうなればどうだ。
『フランは履いていない』という言説が現実になるのだ――!
「んなことさせるか――――――――!!」
フランが最後の賭けに出る。
彼女は再び、『フォー・オブ・アカインド』を展開した。だが、四人に増えるまで待っていることなんかできない。自分の一番目のコピーが創造された段階で、彼女はコピーに命令する。
その命令とは――
「私をぶん投げろ――――――――――――――――!!」
コピーフランがオリジナルのフランを飛行体勢から投擲する。
投擲されたフランはグングニルに匹敵する速度をもって――
レミリアを捕捉した。
二人の吸血鬼は絡み合って転がり、ホールの扉に衝突した。
姉妹は身体を激しく床と扉に打ち付けた痛みで呻く。
先に正気に戻ったのはフランドール・スカーレット。
姉の上にまたがり、絶対的な優位を確保する。
そして、
「そんなにドロワが欲しかったら…………」
フランは右手に握り締めている純白のドロワーズを――
「喉に詰まらせて死んじまえ――!」
レミリアの口に突っ込んだ。
やがて、レミリアは自室のベッドで目覚めた。額の上には濡れタオルが乗っかっている。
ベッドのすぐ脇には咲夜が立ち、フランが椅子に座っていた。
「あ、起きましたわ」
咲夜が声を出す。「んー」とフランが面倒くさそうに返事した。
「私は…………どうしたのかしら?」
レミリアの言葉に咲夜が苦笑気味で答える。
「そうですね…………そのえーと、」
流石の瀟洒な従者でも説明しにくいようだった。頬をわずかに赤くしていた。
「フランお嬢様のドロワーズで窒息して気絶してしまったようで…………それからお嬢様のお部屋にお運びして、看護しておりました。特にお体には異常ないみたいですわ」
「そうなの…………」
レミリアは呆けたように言った。そして、呟く。
「フランのドロワで窒息して死ねるなら私は本望だわ」
「まだ言うか」
フランは呆れ、顔を赤くした。だが、冷静になっているせいか、先ほどよりも口調に棘は含まれていなかった。
やがて部屋の中を沈黙が支配する。レミリアはぼんやりとベッドに座ったままで、フランは少し居心地悪そうにし、咲夜は二人の様子を微苦笑しながら見ていた。
しばらくして口を開いたのはフランだった。
「ねぇ、お姉さま……」
少し弱々しい声だった。レミリアは優しそうに微笑み、フランのほうを向いた。
「何であんなことしたの?」
フランの口調には少し怯えが入っていた。
「私の下着を被ったりして、さ。今回だけじゃないでしょ。何となく、お姉さまがいるときに下着が荒らされているような感じがしたから、いつもお姉さまの近くに私の下着を置かないように注意してたんだけど。ときどき今みたいに何か変態っぽいこと言うし」
フランの声はだんだん力がなくなって、細くなっていった。レミリアは目を伏せ、とても申し訳ないような顔をする。
「私のドロワーズで窒息して死ぬなら本望? たぶん冗談なのかもしれないけどさ、実際にそうなりそうになってまで言える冗談じゃないよね?」
フランの声に――だんだん涙が含まれてきた。姉は罪悪感に苛まれながら、フランの目を見つめているしかない。
「私、お姉さまの考えてることがときどきわからないよ。お姉さまは私に意地悪したいの? お姉さまは命を張ってまで私に嫌がらせをしたいの?」
フランは一瞬言葉に詰まったが、意を決したように訊いた。
「お姉さまは私のことが嫌いなの?」
「そんなことないわ」
罪悪感に苦しみながらも、自己嫌悪に喘ぎながらも――
姉は即座に断言した。
「でも、私に変なこと――」
「違う、違うのよ、フラン!」
妹の怒りと悲しみでいっぱいの反論を押しのけ――レミリアはフランを抱きしめた。
「ごめんなさい――、ああ、本当に私はなんてことをしてしまったの――。ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………」
レミリアの涙がフランの肩を濡らした。フランもまた我慢が外れたように、しゃくり始めた。姉はただ妹の許しを請い続けた。
「ああ、ゆるしてちょうだい、フラン。私はあなたが嫌いじゃないの。私はあなたが好きで好きでたまらないのよ。
だけど…………いえ、だからこそ、こんなことはしてはいけなかったのね。でもあんなことをしてしまって…………
本当にごめんなさい、フラン……………………」
「ひっく、本当に、ぐす、私のこと、ぐす、嫌いじゃない……………………?」
フランが泣きじゃくりながら訊いた。レミリアは何度もうなずいてそれに答えた。
「ええ…………大好きよ、フラン。本当に大好き。私の何もかもを捧げたいくらい好き」
「ぐす、ひく、本当に、私のこと、ひっく好き?」
「ええ、ええ、。大好きよ、フラン。本当に好き。本当に――大好き」
咲夜は二人の様子を見つめながら、レミリアが起きるのを待っている間、フランとした会話を思い出していた。
『どうして、お姉さまはこんなことするのか、わかる、咲夜?』
『さて…………私のような――』
『『人間の身にはレミリアお嬢様のお気持ちを察するなどと、とても畏れ多いことです』ってのは、なしね』
『――――そうですね。きっと、フランお嬢様のことを愛していらっしゃるからではないでしょうか』
『私のことが好きだから、変態的なことをするの?』
『まあ、私はそのようにお察ししますが』
『じゃあ、咲夜は好きな人にそうしたいと思う?』
『いえ――そんなことは…………いえ、ひょっとしたら、したくなるのかもしれませんね』
『え――そうなの?』
『…………まあ、確かにレミリアお嬢様のお気持ちは、一般にいう姉妹愛というものからほど遠いものかもしれませんが――決して嫌いな相手の下着を被ったりするなんてことは、絶対にありません』
『まあ――そうなのかな』
『これはレミリアお嬢様の個性なのです。悪く言えば人格的欠点ですが――』
『個性…………人格的欠点…………』
『はい。ですが、それを個性と呼ぶか人格的欠点と呼ぶかどうかはフラン様が決めることです』
『私が決めること?』
『はい。それに、
もし、レミリアお嬢様が妹様がお嫌いで、悪意を持ってこのような悪ふざけをしていたとしたら、フランお嬢様はどうしますか?』
『……………………………………………………………………………………いやだ、考えたくない――――』
『――――では、レミリアお嬢様が妹様が好きなあまり、こんな過ちを犯してしまったとしたら、いかがですか?』
『――許す。 許すよ! 絶対、絶対……私はお姉さまを許す!』
『――確かにレミリアお嬢様は子供っぽいお方です。ときに相手の気持ちを考えずに物事を進めてしまうこともある。それを受け入れろとはとても申し上げることはできません。そのために皆が傷つくこともあるのですから。ですが、それをお許しになることもできるはずです。レミリアお嬢様は人を傷つけることもありますが、人を喜ばせたり、楽しませることができるお方です。それなのに欠点だけ取り上げて、お嬢様といっしょにいないほうがいいなんて言うのは、とても損なことではありませんか?』
『うん…………私はお姉さまの悪戯に困らせられることもあるけど、いっしょにいて、とっても楽しい――――』
『フランお嬢様もわかっていらっしゃるのでしょう。レミリアお嬢様がフランお嬢様を決してお嫌いではないことを』
『―――――――――――――――――――――少し不安なんだ」
『不安、でしょうか?』
『うん、お姉さまは本当にそう思ってくれてるのかなって』
『何です。そんなことですか』
『『何だ』ということはないでしょ!』
『いえ、些細な不安でございます。簡単な解決法がおありです』
『解決法?』
『ええ、とっても簡単なことですよ』
咲夜はそして、解決法を言った。大したことじゃない。ただ妹様の背中を軽く押してあげただけのことだ。
解答が用意されている問題なのだ。解けないほうがおかしいのである。
もっとも、
二人の間にある宿題はまだまだ山積みなのだが――
「私も、ね」
フランの声にレミリアは身体を少しだけ離して、フランの宝石のように美しい眼を真っ直ぐに見た。フランも姉の泣き顔を見つめ、そして笑った。
「お姉さまのこと、大好きだよ」
その言葉に当てられたかのようにレミリアが背中を丸め、嗚咽を上げる。そんな姉を今度はフランが優しく抱きしめた。
レミリアは神に感謝するかのように囁いた。
「ああ、許してくれてありがとう、フラン。
私の天使。私の宝石。私の愛。
ああ、なんて私は――なんて私は幸せなんでしょう」
この日、姉妹は仲直りをした。
それからのお話。
レミリア嬢が子供っぽいということは、周知の事実であるが、その個性、あるいは人格的欠陥のため、彼女は妹様を困らせ続けた。
他の悪戯もそうだが、レミリア嬢が妹のドロワーズを頭に被るということが二度三度どころではなく何度も起こり、それはそれは妹様を悩ませたという。
だが、その都度その都度、喧嘩をしては仲直りするのがこの姉妹のスタンスらしい。
当然のことだが、喧嘩をしないだけが仲のよいことではない。
喧嘩をしたって、ずっと仲の良い人間関係はもちろんあるのである。
人間関係はそれこそ人間の数だけあるのだから。
たまたまこの姉妹はそうだったというだけであり、周りとしては特に心配することもなさそうだ。
咲夜は今日も瀟洒に、二人の姉妹が食べるおやつを作っていた。
まさかドロワとはwwwwwwwww
>私の子を、マリアを連れて行くのだけはやめてください!
つまりレミマリですね、分かります(超拡大解釈)
お嬢様ったら妹様への愛がとまらないんですね。それでこそお嬢様!
私はこんなレミフラを書いてくださった作者様への愛がとまりません。作者様のドロワかぶっていいですか?
というわけで作者様に感謝です!!!!
咲夜さんマジ瀟洒
楽しんでくださったようで幸いです。前半のシリアスをいかに上手く書けるかが勝負でした。
>灰華様
その発想はなかったですwww
そうか。レミリアお嬢様は禁断の愛1(姉妹間恋愛)だけでなく、禁断の愛2(親子間恋愛)までするつもりなのか…………
さすがお嬢様、俺たちにできないことを平然とやってのける! そこに痺れるッ! 憧れるぅッ!
(お名前を訂正させていただきました。大変失礼いたしました。謹んでお詫び申し上げます。)
>3様
>お嬢様ったら妹様への愛がとまらないんですね。
本編設定では非常に微妙なところです。彼女たちの絡みは紅魔郷EXと、文花帳にしか書かれていない。しかも文花帳では何やら仲悪げですし(もっともこれに対して作者は一つの解釈を用意しており、他の作品で書いてゆくつもりです)。レミフラはかなり危ない橋なのだといつも感じております。
一人の二次創作者として、自分の中の東方だけでなく、本編でも姉妹が幸せに暮らしていることを願うばかりです。
ドロワの件ですが、申し訳ながら、被らせて差し上げるということを宣誓しているのはフランドールお嬢様だけなので(レーヴァテイン
>三日月様
ありがとうございます。励みになります。
>KCZ様
自分でもなかなかオトすに落とせなかったという…………何たる道化。
咲夜さんの仕事っぷりは異常。ですが、作者としては彼女が主人公になるような話も考えなければ、と思っています。
でも良かった、これでこそプチ、これこそ紅魔館www
ところで、お嬢様はフランのドロワを前後どちらを前に被っていたのだろうか。気になる俺は死んでいい。
楽しんでいただけたようで何よりです。しかし、タイトルはあまりひねったつもりはなかったのですが…………私の感覚が皆さんとずれているのやも知れませんね。
>8様
>お嬢様はフランのドロワを前後どちらを前に被っていたのだろうか
あなたは天才かwwwwww
私としては……………………いや、こういうものは言わぬが花ですね。
比喩でもなんでもなく本当に倒れかけました。
これからの作品も期待しています。
ありがとうございます。励みになります。今後も精進していく次第です。
ありがとうございます。感動ですか…………してもいいとは思うんですが、したら負けな気もしますね。どっちがいいんだろう……………………
それと、ストリキニーネさんの影響、ですかぁ。
読み直すと端々にそんな感じの文章が見受けられる気もします。
レミリアのドロワかぶり癖もそこからきていたのかw
いいですよねぇ、あの人の作品は。めっちゃ支持します。
>>この人のSSで自分はフラマリからレミフラに転びました。
ぁあ、なんという俺
ああ、ここにも一人www
しかし、どうなんでしょう、私のレミフラは?
もう自分の書くレミフラは、過酸化さんのレミフラとは違う形になってきているような気がしないでもないです。
私のレミフラも成長しているというか、何というか……
今の自分の目標――というか、当たり前のことなんですが、自分のレミフラを完全に確立させることです。ドロワーズの話も、無在だけがかけるようなドロワ話を書きたいな、と考えています。というか、私は私の書くキャラクターをどうやっても肯定しないといけない。それが、作者がキャラクター――たとえ二次創作であれ、自分の書くキャラクターに対する責務でもあるし、誇りでもあるのだと思います。
まあ、この愚か者にどれだけのことができるか――本当に大したことはできないのでしょうが、生温かい目で見守ってくだされば幸いです。
ドロワーズ口に突っ込まれたとき「フランのドロワで死ねるなら本望よ!」とかいいそうだなぁと思ってたら本当に言いやがったww
それはそうと「マリア」ってもう一個のほうでは未来の娘だよね。まさか自分の娘の名前に「フランのドロワ」を使うとわ、さすがですお嬢様ww