魔法の森を散歩していたチルノは奇妙な光景に遭遇した。普通っぽくない魔女が木のてっぺんに登り、虫取り網を振り回していたのだ。
「なにしてるのー?」
「見りゃ分かるだろ。星を捕まえてるのさ」
木の下でチルノが眺めている間にも、一つ、二つと小さな星が網に入る。捕らえられた星は魔理沙の背負っているかごの中に放り込まれていた。かごはまぶしくて直視できないほど輝いていて、あたかも恒星になったかのようだ。
捕まった星の数があまりに多かったのでチルノは心配になったが、すぐに思い直した。今夜は空一面に無数の星が輝いている。少し減ったところで誰も気づかないだろう。
「星なんか捕まえてどうするの? 食べちゃうとか?」
「食べてもうまいけどな、こいつらは弾幕やスペルカードの元にするんだよ。チルノだって毎回くらってるだろ?」
「ああ、あれか~」
とげとげして痛いんだよな~、とチルノがほっぺをさすっていると、木の上から魔理沙が降りてきた。どうやら星を捕まえるのは終わりらしい。
「久しぶりに大量だったぜ。めでたいからチルノにも一つやるよ」
「わっ、やった! ありがとう!」
「いいってことよ。どうせこいつは使わないんだ。食べるなり空に返すなり、好きにしな」
気前良く渡してくれた星は丸くて、輪がついていた。たしかに、普段使っている弾幕とは違った形をしている。
ちょっと興味があったので、チルノは輪の部分をかじってみることにした。
「お、いい食いっぷり」
おいしかった。
ほのかな甘みがあり、なぜか恋符が頭の中で再生された。今度から魔理沙の弾幕は口で受け止めよう、とチルノは決意した。
「それじゃあな」
「うん、ばいばーい」
ほうきに乗った魔理沙はふらつきながら夜空へと消えた。特に目的地もないチルノは、魔理沙が飛んでいったのとは反対の方向へ歩き始めた。
空からこぼれ落ちた星の光で森の中は明るく、蒸し暑い日中より心地よかった。邪魔なキノコの胞子も今は飛んでいない。
「黒白の魔女が家についたらしいよ」
「先日、光の三妖精に落書きをされましてね」
「見たまえ、氷の妖精のお通りだ」
魔法の森の木々は実に能弁だ。夜も深いのに彼らのおしゃべりは止まらない。チルノは植物の妖精ではないので、木の言葉を理解することはできないが、うるさく話している気配は分かる。
あまりにも気になるので、適当な木に氷塊をぶつけてみた。
「やれやれ、枝が折れてしまったよ。おてんばな妖精だ」
「その上、力も強いときている」
「これは将来が楽しみですな」
「なに、光の三妖精だって素質はありますよ」
会話の肴にされたようで、余計にうるさくなってしまった。
「おーい!」
「あっ、リグル」
「妖精の次は蟲のお姫さまの登場だ」
「これまた元気な」
チルノがうんざりしてきた頃、大きな羽音が聞こえてきた。リグルだった。巨大な蛍を何匹も従えて空を飛んでいた。
「リグルは何で光ってるのー!?」
「リグル・ナイトバグだからー」
淡い緑がチルノを包んだ。陽光みたいに優しい、大好きな友だちの光だった。
しかし、それも一瞬のこと。リグルは速度を緩めずそのまま飛び去ってしまった。緑の彗星のごとく。
「かっくいー!」
チルノも飛んだ。リグルや蛍と一緒に飛べば自分もかっこよくなれると感じたからだ。
「あれ、どこだ?」
騒がしい木々を突破した先にリグルはいなかった。濃厚な緑の匂いを吐き出し、頭についた葉っぱを取って空を見回してもいない。いたのは丸く光るお月さまだった。
「でっけー!」
見失ったリグルのことはもう忘れ、チルノは目の前で輝いている月に釘付けになった。夜が明けなくなった異変のときのように、普段の何倍もの大きさで空に浮かんでいたからだ。
月面にできたクレーターがいくつあるか数えられるほど大きい。静かの海でたくさんのウサギが餅つきをしている様子まで見えた。月とウサギは切っても切れない間柄だ。
「どうして月が大きくなったと思う?」
「わぁっ!?」
月からの得体の知れないパワーを受けて、チルノがはしゃいでいると、いきなり耳元へ言葉が飛び込んできた。びっくりして振り向くと、永遠亭のウサギ、鈴仙が隣に浮かんでいてもっとびっくりした。
鈴仙も月に誘われて飛んできたのだろうか。嘘か本当かは分からないが、彼女は月から来たウサギだともっぱらの噂だ。
「驚かさないでよ! 口から氷が出るところだったじゃん!」
「ごめんごめん。でも、どうしてだと思う?」
「えー……」
ニコニコと微笑みつつも、鈴仙はめげずに質問してくる。よっぽどチルノに答えさせたいのか。
チルノはあごに手をやって考える。この考えるポーズは、同じく永遠亭のウサギである、てゐがかっこいいポーズだと教えてくれたのだ。
凍りついた脳細胞はすぐさま答えを出してくれた。今宵はやけにさえている。
「星を食べ過ぎたから?」
「ピンポーン!」
鈴仙はくるくる回りながらチルノを褒め称え、そのまま月へ飛んでいってしまった。やはり彼女は月のウサギだったのだ。
「やったね! あたいったら天才じゃない!」
手を振り回してチルノは喜んだ。
おかしいと思ったのだ。魔理沙がいくら捕まえても分からないほど光っていた星が、月が目立つようになってからは、めっきり見えなくなっているではないか。月がバクバクと星を食べて太った、という考えに至ったのはごく自然なことだった。
明日の夜には星の数は元戻りになっているはずでも、これは少し不安になってくる。
「でかいからって勝った気になるなよー!」
狼人間よろしく魅惑の月に向かって吼えていると、チルノの鼻先にしずくが当たった。ぬぐって舐めてみると塩辛い。そうこうしている内に、空から同じようなしずくが無数に落ちてくる。
「わわっ、雨!?」
たまたま近くを浮いていたアダムスキー型UFOを捕まえて、頭に乗っけて傘代わりにした。
月が見えているので雨雲が出てきたわけではない。狐の嫁入りか、はたまた月がチルノの罵声に涙を流したのか。
「妖精さん、悪いね~」
「何よこの水。凍らないじゃないー!」
「海水だからさ~」
果たして、犯人は怨霊から船長へ出世をとげた村紗水蜜だった。今夜は聖輦船ではなく北斗七星にまたがり、手に持った柄杓で海水をばら撒いていた。
「うへー、びしょびしょで気持ち悪い」
ただの水と塩水では凝固点が異なることをチルノは知らない。
服にまとわりついた凍らぬ水に辟易したチルノだが、そんな憂鬱がいっぺんに吹き飛ぶものが現れた。
「虹だ!」
七色のアーチが幻想郷の夜空に完成した。村紗がもたらした雨と、月光が交じり合って虹となったのだ。太陽光でできたものより若干色が薄い気はするが、それでも光の魔法であることに変わりない。この虹を削り取って絵の具にしたら、さぞかし高く売れるだろう。
チルノは大きな月に魅了されたときと同じように、月の光が奏でる虹に心を奪われた。しかし、虹に心を奪われたのはチルノだけではない。むしろ、虹といったら彼女たちを忘れてはいけなかった。
「虹といえばプリズムリバー楽団」
「私たちの音を全身で堪能してね!」
「それでは、少々お時間を拝借~」
どこからともなくルナサ、メルラン、リリカの三姉妹がさっそうと登場して、アーチの真ん中というベストポジションで演奏を開始したのだ。
「私を忘れてもらっちゃこまるよ!」
「ミスティア!」
遅れてもう一人、音に誘われた夜の歌姫まで飛んできて、臨時のカルテットのできあがり。四人は騒がしく自己主張をして、それを一つの曲に編み上げていく。
観客はチルノだけ。音と光の魔法を独り占めしてるみたいで、とっても贅沢な気分になった。
「これって、鬼が宴会で口ずさんでた……なんだっけ?」
曲名は“砕月”。ルナサたちは背後で輝く月に合わせたのだろうか。鬼らしい力強さと真面目さがあって、それでいて楽しく陽気になれる曲。まるでアルコール度数の高い酒だ。
チルノは氷の羽をぱたぱたさせて、押し寄せる音に酔いしれた。
「お、お~?」
いや、実際に酔っていた。鬼の曲を演奏したばかりに、音が鬼の大好きな酒になってしまったのだ。飲む酒とは違って耳から入ってくるが、気持ち良くなってしまうことに変わりはなかった。
チルノの目に入ってくる光景が奇妙にゆがんでくる。
ルナサやミスティアたちは顔を赤くして、それでも演奏を続けていた。騒がしさは数割増になり、ところどころ音が合わなくなっていたが。
「わ~目が回る~」
ぐるりぐるりと、幻想郷が見えてくる。
人里では家々が歩き出して、好き勝手に配置換えをしていた。どうも、寺小屋の隣が人気らしく、場所の奪い合いが起きていた。おしくら饅頭にされた寺小屋は、チルノが見てる前でつぶれてしまった。
霧の湖は完全に凍っていた。他の魚と一緒に大ナマズも凍っている。紅魔館の門番がつるはしでそのナマズを掘っていた。主に献上するつもりなのだろうか。
ずっと向こうには幻想郷を守る結界が見えた。四角い赤レンガでできた結界は、巫女が補修をきちんと行っていないせいか、あちこち崩れている。
どの幻想郷も素敵だった。
「あはははっ! 音楽って楽しいね~」
「そうだとも~。チルノも音楽やってみない?」
「どーしよっかな~」
鬼の酒の飲みすぎも、鬼の曲の聴きすぎも注意が必要。チルノと演奏者四人組はすっかり酔っ払っていた。
酔いが回れば時間の流れも速くなる。チルノがリリカと肩を組んで踊っていた頃には、空が明るくなりかけていた。東の果てから境界を操る妖怪、八雲紫が朝と一緒に飛んでくるのが見えた。彼女のおかげで幻想郷の夜は明けるのだ。
紫は虹のところまで来ると、陽気になりすぎている妖精に微笑みかけた。
「おはようございます」
「おっはよ~!」
「もう朝になるわ。元気いっぱいの妖精は外で遊ばないと」
ここでチルノは覚醒した。
「ふぇ?」
目の前にはいつも使っているタオルケット。雪だるまの模様がお気に入りだ。
「あー……」
もやもやした頭でゆっくりと考える。これまで見てきた不思議な光景の数々、その中で出会ったちょっとおかしな幻想郷の住人。
もやが晴れたとき、自分がものすごい体験をしたことに気づいた。
「すっげー!」
いても立ってもいられなくなった。タオルケットを跳ねのけて、寝巻きのまま外へ飛び出す。
「すっげー! すっげー!」
目に映る幻想郷はどこもずれていない、普段どおりの幻想郷。だからこそ、すごいものを見たという実感がわいてくる。
「大ちゃーん!」
湖のほとりで友だちの大妖精が水遊びをしていた。声をかけられたことに気づくと、大きく手を振り返してくれた。
飛んでいたチルノは速度を落としきれず、かなりの勢いで大妖精に抱きついた。
「おっとっと」
「あのね! あのねっ!」
「チルノちゃん、落ち着いて。なにがあったの?」
伝えたい気持ちが空回りして、チルノはあのね、ばかり連発してしまう。大妖精はそれを制し、チルノを優しく抱き返して落ち着かせてあげた。付き合いが長いだけあって、扱いも手馴れたものである。
元気に暴れまわっていた氷の羽も静かになり、ようやくチルノがあのね、の先を言えるようになった。
「あのね、あたいすっごい夢を見たんだ!」
「すごい夢? いいなぁ。私、今日は夢を見なかったよ。どんな夢だったの?」
頭の中を整理したチルノは、満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「えーっとね……忘れちゃった!」
夢の中の不思議、ワクワク感がすごく伝わってきました。
特に、木々の会話が何気ない日常を表していて好きです。
たむらさんは知りませんが、うまくいったと言えるのでは?