「よう、アリス。やっぱ、ここに居たのか」
私は、呼ばれて、後ろを振り返る。
そこには、帽子をくいっと親指で上げた、私の知人が立っていた。彼女の、その黒を基調とした服装は、夜の闇に紛れて、顔だけがやけにくっきりとした印象を受けた。けっこう端正な顔をしていると私は思う。以前、それを彼女に言ってみたら、顔を真っ赤にして狼狽していた。それを思い出して、私は、ちょっとだけ可笑しい気分になった。
「今回は、何体目なんだ、アリス?」
「37よ」
私は、墓標を再び、見据える。
ここは、墓場。
私の小さな人形が、その寿命を終え、眠っているところ。
目の前には、小さな墓標がいくつも並んでいる。
私は、37回目のお墓作りを終え、小さなお祈りを済ましたところだ。
彼女は、その新しいお墓のまえで、帽子を脱ぎ、一輪の花を添えた。そして、ほんのちょっとの間、合掌してくれた。私は、お礼を言おうと思ったけど、恥ずかしいので、止めた。
私たちは、一緒に暗い夜道を歩いて、帰途につく。彼女は、今晩はきっと、私の家に泊まっていくのだろう。人形を供養する日は、いつもそうだったからだ。
「なあ、アリス」
彼女が話しかける。
「今日、亡くなった人形の名前は何て言うんだ?墓標には、どれもこれも名前が書いていないじゃないか。名無しの権兵衛さんなのか?」
私は、わざと素っ気なく答えた。
「名前を付けているのは、上海だけよ。他の人形には、名前は付けていない」
「そうなのか?」
「そう。上海は、私にしては成功作で、かなり長生きしているから、特別に名前を付けてあげたの。他の人形は、たいてい数年で寿命を終えてしまうわ」
「ふうん」
彼女は、どこか不服そうに返事をした。そして、腕組みをしながら、何やら考え事をしているような仕草をする。私は、その様子を横目で見ながら、ただ、じっと黙って、夜道を歩いた。
フクロウが、ほう、と鳴いた。
さくさく、と私たちの足音が、夜の闇に吸い込まれていく。
「そうか!」
唐突に、彼女が叫んだ。私は、何事かと、彼女の方を見る。
「なあなあアリス、わかったぞ!」
「何が?」
「人形のことだよ。きっと、逆なんだ」
「逆?何のこと?」
「長生きしたから、名前を付けた、じゃないんだ。名前を付けたから、長生きしたんだよ、きっと。人形だって、名前をもらえば嬉しいだろうからな。それで、名前をもらった御主人様のために、頑張って長生きしようと思ったんだよ」
「ああ、さっきの話ね」
「よし、アリス!これからは、人形を造るたびに、全部、名前を付けてやるんだ。そうすれば、上海みたいに、きっと皆、長生きするぞ。そうすればお前も…」
寂しい想いをせずに済む。
そう、彼女は言葉を結びたかったのだろう。
だが。
名前を付ければ、慈しむ。
愛着が湧く。可愛がる。
そして。
それが死ぬときに、悲しむ。
だから、私は、人形には名前を付けない。
それが私の基本方針。
ならば。
名前の無い人形なら、幾ら死んでも構わないか。
無銘の墓標が増えていくのを、じっと待つのか。
今日、私は悲しくなかったのか。
私は自問自答する。
答えは出ない。
名前。
上海に初めて、名前を付けたときを思い出す。
上海は嬉しそうに、ずっと宙をくるくると回っていたものだった。
ほう。
フクロウが、また鳴いた。
「…そうね、一理あるかもしれないわ」
私は答える。
「それじゃあ、次の人形には、マリサって名前を付けるわ」
「げ…おいおいアリス。本気か?」
「きっと長生きするわ。ゴキブリ並の生命力を持つでしょうね」
「私は害虫扱いかよ」
そうこうしている内に、私の家の明かりが見えた。
扉の前に、ちょこんと、上海が座って、じっと帰りを待っていた。
「ただいま、上海」
こくり。
「聞いてちょうだい。あなたに、妹ができるわよ」
ぱちくり。
「その子の名前はね、マリサっていうの。可愛がってちょうだいね」
こくりこくりこくりこくりこくり。
「というわけで、さっそく造りますか…今夜は徹夜ね。誰かさんも手伝いなさいよ。同じ名前になるんだから」
「あ~あ、まいったなあ…せめて、レイムとかって名前にしないか?」
「却下」
そう言って。
私は、今日、初めて笑った。
了
私は、呼ばれて、後ろを振り返る。
そこには、帽子をくいっと親指で上げた、私の知人が立っていた。彼女の、その黒を基調とした服装は、夜の闇に紛れて、顔だけがやけにくっきりとした印象を受けた。けっこう端正な顔をしていると私は思う。以前、それを彼女に言ってみたら、顔を真っ赤にして狼狽していた。それを思い出して、私は、ちょっとだけ可笑しい気分になった。
「今回は、何体目なんだ、アリス?」
「37よ」
私は、墓標を再び、見据える。
ここは、墓場。
私の小さな人形が、その寿命を終え、眠っているところ。
目の前には、小さな墓標がいくつも並んでいる。
私は、37回目のお墓作りを終え、小さなお祈りを済ましたところだ。
彼女は、その新しいお墓のまえで、帽子を脱ぎ、一輪の花を添えた。そして、ほんのちょっとの間、合掌してくれた。私は、お礼を言おうと思ったけど、恥ずかしいので、止めた。
私たちは、一緒に暗い夜道を歩いて、帰途につく。彼女は、今晩はきっと、私の家に泊まっていくのだろう。人形を供養する日は、いつもそうだったからだ。
「なあ、アリス」
彼女が話しかける。
「今日、亡くなった人形の名前は何て言うんだ?墓標には、どれもこれも名前が書いていないじゃないか。名無しの権兵衛さんなのか?」
私は、わざと素っ気なく答えた。
「名前を付けているのは、上海だけよ。他の人形には、名前は付けていない」
「そうなのか?」
「そう。上海は、私にしては成功作で、かなり長生きしているから、特別に名前を付けてあげたの。他の人形は、たいてい数年で寿命を終えてしまうわ」
「ふうん」
彼女は、どこか不服そうに返事をした。そして、腕組みをしながら、何やら考え事をしているような仕草をする。私は、その様子を横目で見ながら、ただ、じっと黙って、夜道を歩いた。
フクロウが、ほう、と鳴いた。
さくさく、と私たちの足音が、夜の闇に吸い込まれていく。
「そうか!」
唐突に、彼女が叫んだ。私は、何事かと、彼女の方を見る。
「なあなあアリス、わかったぞ!」
「何が?」
「人形のことだよ。きっと、逆なんだ」
「逆?何のこと?」
「長生きしたから、名前を付けた、じゃないんだ。名前を付けたから、長生きしたんだよ、きっと。人形だって、名前をもらえば嬉しいだろうからな。それで、名前をもらった御主人様のために、頑張って長生きしようと思ったんだよ」
「ああ、さっきの話ね」
「よし、アリス!これからは、人形を造るたびに、全部、名前を付けてやるんだ。そうすれば、上海みたいに、きっと皆、長生きするぞ。そうすればお前も…」
寂しい想いをせずに済む。
そう、彼女は言葉を結びたかったのだろう。
だが。
名前を付ければ、慈しむ。
愛着が湧く。可愛がる。
そして。
それが死ぬときに、悲しむ。
だから、私は、人形には名前を付けない。
それが私の基本方針。
ならば。
名前の無い人形なら、幾ら死んでも構わないか。
無銘の墓標が増えていくのを、じっと待つのか。
今日、私は悲しくなかったのか。
私は自問自答する。
答えは出ない。
名前。
上海に初めて、名前を付けたときを思い出す。
上海は嬉しそうに、ずっと宙をくるくると回っていたものだった。
ほう。
フクロウが、また鳴いた。
「…そうね、一理あるかもしれないわ」
私は答える。
「それじゃあ、次の人形には、マリサって名前を付けるわ」
「げ…おいおいアリス。本気か?」
「きっと長生きするわ。ゴキブリ並の生命力を持つでしょうね」
「私は害虫扱いかよ」
そうこうしている内に、私の家の明かりが見えた。
扉の前に、ちょこんと、上海が座って、じっと帰りを待っていた。
「ただいま、上海」
こくり。
「聞いてちょうだい。あなたに、妹ができるわよ」
ぱちくり。
「その子の名前はね、マリサっていうの。可愛がってちょうだいね」
こくりこくりこくりこくりこくり。
「というわけで、さっそく造りますか…今夜は徹夜ね。誰かさんも手伝いなさいよ。同じ名前になるんだから」
「あ~あ、まいったなあ…せめて、レイムとかって名前にしないか?」
「却下」
そう言って。
私は、今日、初めて笑った。
了
しかし、素直な上海は、やんちゃな妹に手を焼くことになりそうでw