太陽の光が雲の切れ目から差し込む頃に、僕達の商売は始まる。
まず陳列棚の品揃えを見て回り、疵や汚れがついていないか確認する。
次に店長と打ち合わせをして、今日の一押し商品を考え、需要に応じて品数を増減させ、
値段をギリギリ妥協してもらえるラインまで調整する。
仕上げは挨拶の練習だ。これは無駄に声を張り上げすぎず、適度に力を抜いて、親しみやすい挨拶を行うためにする。
そうするとお店の雰囲気が良くなり、初めてのお客が「また来てみようか」と考えてくれる。・・・・・・かもしれない。
もちろんお店側にとっても重要なことなので、いつも店長にチェックしてもらっている。
・・・・・・さあ、今日も力を入れすぎずにはりきって行こうか。
「「いらっしゃいませー!!!!」」
「よーし!声が大きすぎる!やりなおし!!!!」
「はい・・・・・・」
親父さんも一緒に叫んでいたような気がするのは、僕の錯覚なのだろうか。
*
強音で、目が覚めた。それは風に煽られた窓から発生していて、バシンバシンと小気味のいいリズムをたてている。
僕はその煩さに二度寝を諦めることにしてやれやれと布団から上半身を起こして、眼鏡を手に取る。・・・・・・おや?
「フレームが折れている」
この眼鏡は僕の持っている道具の中では一番長く使ってきた愛用品であり、大事な記念品でもある。
これが無ければ商売はできない。僕は「本日休業日」の札を入り口にかけると、試作段階のミニ八卦炉を取り出した。
この程度の損傷なら、溶接をした後に研磨して、メッキをしなおせばよい。
───だが、その前に。
休業だろうと欠かせない”日課”が、僕にはある。
*
時間が経過し、空から差し込むオレンジ色が店内の雰囲気をがらりと変えると、僕は親父さんに打診して倉庫から疵のついた中古の商品を店に並べた。
こういうときは、普段なら誰も手に取らないような古道具なんかを置いておくと、夕日に良く映えるからである。
すると、お客さんも自然と吸い寄せられていく。たいていは手にとられるだけで、実際に売れることは少ないのだが、僕は完全に忘れら去られることなく懐かしまれる道具を見て、愛想抜きの笑みが出てしまう。
「お、いいぞ香霖。良い笑顔だ」
「ありがとうございます」
「あとはお客さんに、『まだお越しくださいませ』とかいえたら完璧だぜ。
それに自然天候に合わせて品揃えを変えるってのは、いいアイデアだ。そういう発想があれば、お前の”香霖堂”も繁盛するさ」
「はい。・・・・・・でも、まだまだ親父さんの下で修行したいです。学びたいことが沢山あるので」
ハハハ、と親父さんは笑った。風の中で育った木は根が強い、という言葉がある。逆境に耐えてきたものは強いという意味なのだが、
親父さんはそれをそのまま体言したような人で、本当に彼から学ぶべきことは多い。
「おう、うちのノウハウ、盗めるもんなら盗んでみな。・・・・・・ああ、そうだ。香霖よ」
時刻も夜にさしかかり、御客さんの数も僅かになっていたが、店長───”霧雨の親父さん”は、気を使ってか小さい声で語りかけてくる。
「なんです」
「お前は商売の才があると思うんだが、ちょっと目つきが悪い」
それは、さりげなく僕が気にしている点だったり。
「だからこれはお前次第なんだが」
そう言うと親父さんは懐から眼鏡を取り出し、僕に渡す。ツヤのある黒縁の眼鏡だ。良く見ると、モダンの部分に灰色で小さく「香霖堂」と彫られている。
「伊達眼鏡だけどな。こいつをかけておけば目つきの悪さが軽減できて心証アップ、知的イメージも大幅アゲアゲだ」
さっきまで「お前がよければ」みたいなことを言っていたくせに、手鏡まで用意して「ほら、かけてみろよ」と囁いてきた。
この面倒見の良さ、器の大きさが、そのまま店の大きさに反映されているのだなあと実感して、
ならばその下で修行している僕も、いつかこの店よりも繁盛するような道具屋になれるだろうかと内心野望をたぎらせていたかというとそんなことはなく、
ただひたすら親父さんのやさしさに感動していた。
「おー、結構似合うじゃねえか!よーしお前も気に入ったな?そうだろ?大切にしろよな!」
表情を読まれたらしく、返事を待たずに肩をバンバンと叩かれた。思いがけないプレゼントは、とても嬉しい。嬉しいけど、ちょっと力強すぎですって親父さ、
ちょっ、痛っ!この人何気に力強っ!ああでも御客さんがいるから小さい声で「やめてください・・・・・」と苦笑することしかできない。
なんだこれは。僕が女性ならセクハラという社会問題が起きているところだ。この場合はパワハラなのかもしれないが。
しかし、素敵な物をもらってしまったために強く文句を言うこともできない。・・・・・・なので、眼鏡をきちんとかけなおして、未熟な言葉で素直な気持ちを伝えることにした。
「───ありがとうございます」
「だから、商売やるんなら『次もよろしく』くらい言えっての」
ごすっ。
「ごふっ」
このタイミングで言ったら、ただの図々しい人になってしまうじゃないですか。
*
カランカラン、と我が店のドアのカウベルが鳴るのと、僕の日課である「いらっしゃいませー」が炸裂したのはほぼ同時のことだった。
「よう、香霖。・・・・・・あー?何だ今の挨拶は?私は客じゃないんじゃなかったのか」
「違う、これは、その、なんだ。魔理沙を仮想客として練習してみただけだよ」
しどろもどろな僕をさらっと笑い流して、魔理沙は定位置である壺の上に座った。
「そんなにお客が来て欲しいんなら、少しは宣伝してやろうか?」
あぐらをかいて、ニヤニヤしながらそんなことを言ってきた。
冗談のような発言だが、実は頼めば本当にやってくれたりする。
「・・・・・・こういうところは親子だな」
「あー?」
「いや、なんでもないよ。それより、僕は確か『本日休業』という札をかけていた筈なんだが」
「なにいってんだ。私はもともとお客じゃないぜ。ただ遊びに来てるだけだ」
これが普段だったら営業妨害だ、と返すところだ。とはいっても、不思議とお客がいる時に魔理沙が店に来たことはない。
実は、さりげなく気遣ってくれいているのかもしれない。
「んー、それより眼鏡どうしたんだ?あとさっきから必死に手を動かしている姿が紅魔館の門番に見せてもらった木人みたいだぜ」
「昨日、うっかり、やってしまった。後半の妄言はスルーさせてもらう」
「何がスルーだよ。いっつも大事そうにしてるくせに、眼鏡が危ない場面もスルーしたのか。・・・・・それじゃあ”これ”もどうなるかわかったもんじゃないな」
見てみると、魔理沙は右手に包装箱らしきものを持って、ぶらぶらと振ってみせた。
「今日は風が強いが、魔理沙までそれに吹きまわされるとは思わなかったよ。で、どういう風の吹き回しだい」
「どこ吹く風だぜ。で、今日はお前が私にミニ八卦炉をプレゼントしてくれた日だ」
魔理沙は口笛を吹くと、壺から飛び離れて僕の前に着地し、手に持ったそれをぶっきらぼうに突き出した。
良く覚えていたなあと感心しつつ、プレゼントを受け取る。
青と黒が交差したリボンをほどくと、中から出てきたのは黒いチョーカーだった。
「これは・・・・・・儲かったな」
「今日は強い風が吹いたからな」
「僕は桶屋じゃないけどね」
さっそくつけてみることにした。
ところで黒という色は、一般的には負のイメージが強いように思われている。しかし、
錬金術においては富と財産を現し、また何色にも染まらないということから中立、普通といった意味も持っている。
さらに五行思想においても黒は水を表し、霖(ながあめ)の字を持つ僕と、とても相性がよい。
・・・・・・全く、どこまで考えてこの色にしたのやら。
「お、香霖の口元が緩んでる。無愛想なくせに笑顔が多彩なやつだぜ」
魔理沙が照れた顔を帽子で隠しながら囃し立ててくる。
対する僕はというと、諸々の事情で顔を下に向けながら、チョーカーを首に装着する。
───その過程で、気付いた。
本当に、本当に小さい字に、目立ちにくい灰色で、「香霖堂」と書きこまれていた。
「まったく。本当に───親子だよ」
黒縁眼鏡に、黒いチョーカー。刻印された「香霖堂」。
「どうだい?」
「お、結構似合ってるぜ。・・・・・・おい香霖、何笑ってるんだ。そんなに嬉しかったのか?つまり気に入ったんだな。大切にしろよ」
本当に今日は、どこかで体験した覚えのあることばかりだ。
眼鏡の修理作業が終わり、僕は恩師からもらった大切な眼鏡と、妹分から受け取ったこれから宝物になるであろうチョーカーを身に着けている。魔理沙は「やい香霖。礼はどうした」の一点張りだ。
こういう時に何を言うべきかは、親父さんから教わっていた。
「ありがとう。大切に使わせてもらうよ」
商売人として、さらにもう一言。
「これからも、よろしく」
門番?
とっても素晴らしかったです!
良いなぁこういうの。
修行時代の霖之助と親父さんの日常描写というのも
有りそうで無いのでこの話は新鮮でした
親子揃ってプレゼントとは、実にほのぼのします。