「・・・咲夜、調子はどうなの?」
「・・・さぁ、分かりません」
分かっているくせにそうとは言わない。とても彼女らしいと言えばらしい。
どうやら、目の前の従者は最期まで瀟洒でありたいようだった。
「お嬢様は一つも変わっておられませんね」
「そういう生き物なのよ」
「人間はこういう生き物ですから、お気遣いなく」
皺の入った顔には未だに輝く蒼い瞳があった。
昔の面影を残す瞳を除けば、角ばった手や痩せ細った腕がレミリアには痛々しく目に映った。
「・・・咲夜、どうして私の仲間にならないの?そうしたらとっても永く一緒に居られるのに・・・」
「お言葉ですがお嬢様、それは駄々というものです」
凛とした声が耳に響く。諭されているようでいて、拒絶を含んだその言葉が私を貫く。
「咲夜は、もっと生きたいとは思わないの?私の下に居るのが嫌いなの?」
「とんでもございません、勿論出来るならそうしたいのです。
ただ、私は人間として生きてきましたから、死ぬ時も人間として死ぬということです」
「たとえ命令したとしても?」
「こんな身体ですが、ナイフくらいは握れそうです」
彼女は私と運命を一緒にするよりも、人間として一生を終えることを選んだのだ・・・。
そう思うと、どうにもならない無力感と悔しさが私を襲った。
血を少し分け合うだけで、永く生き永らえる命を与えられるというのに、
これからも続くだろう永い生涯のうち、輝かんばかりに至福に満ちた期間が閉じようとしているのに、
私にはいかなる術を持っても、彼女の意志を変えることも、やがて来る運命を避けることも出来やしない。
それは全ての喪失を意味するに違いなかった。
あの透き通った声も、綺麗に流れる銀髪も、全て器用にこなす手も、全てが過去になってしまうのだ。
想像するだけでやり場のない悲しいが襲う。
やがて何百年して誰も咲夜のことを覚えている者は居なくなり、
千年程経った頃、私もきっと昨日見た夢と同じように忘れてしまうのだろう。
それはひどく悲しいことだ。私にとっても咲夜にとっても・・・。
「・・・咲夜が居なくなるのは嫌なの」
「お嬢様、我侭はいけませんよ」
瞬間、私の何かが崩れた。
「我侭の何がいけないって言うの!」
「・・・お嬢様」
気がつけば私は涙を流していた。ただ、荒れ狂うような憤りだけを叫び続ける。
「何時だって貴方は私の命令を聞いてきたじゃない、なんでこれだけ聞けないって言うの!
何時も言わなくても一緒について来たりしたくせに、なんで私が一緒に居たいって言ったらいけないの!」
「・・・」
私が叫び続ける間、彼女はただ辛そうな顔で俯いていた。
「・・・ねぇ、教えてよ。なんで、なんでそんなに人間で居たいの・・・?」
彼女は困ったように、一言、『すみません』と言った。
やがて私が落ち着いた頃、彼女が口を開いた。
「・・・お嬢様の涙のお詫びに、取っておきの手品をお見せしましょう」
そういうと、彼女は綺麗に磨かれた懐中時計を取り出した。
「・・・これからする手品には、種も仕掛けもありません。どうぞ、手にとって見てください」
私はわたされるままにそれを手にし蓋を開く。動かない針が三本見えた。
「では、針を反時計周りに3回半回してください」
カタカタと、音を立てて分針が回る。
「・・・」
「・・・ねぇ、次――」
言い終わらないうちに視界は歪み、私の意識は白く染まった。
歪曲した時の向こうで、彼女が何か言った気がした。
『さようなら、お嬢様』
気がつけば、私は懐中時計を握り締めたまま、椅子に座っていた。
「・・・」
身の覚えの無いところで目覚めた気持ち悪さに、私はそそくさと部屋を出る。
部屋を出たところで、門番の美鈴に捕まる。
「あっ、探しましたよー、レミリア様」
「・・・何か用なの?」
どのくらい寝ていたのか分からないが、雰囲気からして昼のようだった。
「今日は前から言ってたメイドが来る日ですから、お嬢様にはこの館の主として
びしっと決めてもらおうと」
「面倒くさい」
「パチュリー様も言っておられました」
「・・・」
仕方なしに私は応接間に向かう。話では既に着替えたメイドたちが待機しているとの事だそうだ。
扉を開けると目に入ったのは一人だけだった。
「ちょっと美鈴、一人しか居ないわよ」
「その・・・まぁ見てもらえれば分かるのですが・・・」
中央に立つ彼女の周りには、十数もの倒れたメイドの姿があった。どのメイドも体に数箇所ナイフが突き立っている。
「全然分からないわ」
「えーと、彼女人間でして・・・」
「人間?人間を雇った覚えは無いわよ」
「そう言われましてもですね・・・紛れ込んでいたというか、なんというかですね・・・」
「まぁ、いいわ。丁度お腹も減ってきたところだし」
「では、何かお作りしましょうか」
そう言ったのは美鈴では無かった。
いつの間にか、中央に佇んでいたはずの彼女が目の前に立っていた。綺麗な銀髪に、興味のなさそうな瞳。
隣で慌てる美鈴程は驚きはしなかったが、驚いたのは確かであった。
私に悟られずに目の前に立つ、なんて挙動が出来そうな妖怪はごく稀である。
それを人間がやって見せると言うのだから、並みの妖怪なら驚かずには居られないだろう。
「あなたの血は美味しそうね」
「それほどでもないですよ」
刹那、距離を詰めて右手を目の前の人物に向けて伸ばす。勿論のこと、動作は全て手加減なしの最高速度である。
しかし、手が掴んだのは血の滴る肩口ではなく、虚空であった。
後ろでは美鈴が悲鳴を上げそうなくらい驚いていた。
「どうやって避けたのかしら?私にはあなたが移動したようには見えなかったけど」
「・・・一種の手品です」
背後に佇む彼女はそっけなく答えた。振り返ると、少し焦ったような表情が見えた。
「・・・面白いわ、あなた」
「恐悦です」
言葉とは裏腹に、真意が見えないような声音。ただ虚に佇むがごとく、存在は希薄にして容姿を際立たせる。
「レ、レミリア様・・・?」
あらゆる人間は私の前では恐怖に陥るしかないと思っていた。しかし、目の前の人間はそれを真っ向から否定してきた。
「・・・美鈴、この人間を雇うわ。明日までに色々教えておきなさい」
「ほ、本気ですか!?」
別にメイドとして雇おうというのではない、ただ欲しいと思った物は手に入れないと気が済まない性分なだけなのだ。
信じられないという表情で立ち尽くす美鈴を尻目に私は扉へ向かった。
彼女の傍を通り過ぎる時、ポケットから懐中時計が彼女の足元へと落ちた。まるで、主の下へ帰らんと言わんばかりに。
「落ちましたよ」
彼女はそれを拾い上げると、私に向かって差し出した。
「・・・それは私のじゃないわ。大体時計なんてここじゃ役に立たない」
「では何故持っていたのですか?」
「・・・さぁ、分からない」
本当に分からないが、些細な事である。何百年も生きているのだから、時計が一つあろうとなかろうと関心ないのだ。
「あげるわ。私には必要ないし」
それに、なんとなくだが、その時計はきっと動いてはいないだろう。
「あら、止まってますね。この時計」
「じゃあどうせ使えないものだったのね。捨てていいわよ」
「いえ、きっとまた動きますよ。それに、この時計に彫られた名前には何かしら恐ろしい縁を感じますし」
彼女は何処か嬉しそうに、懐中時計の蓋を閉めたり開けたりしている。
「・・・そういえば、あなた、名前は?」
「申し遅れました」
ぺこりと頭を下げて、彼女は言った。
「―――十六夜咲夜と申します。以後、宜しくお願い申し上げます」
そは永遠なり! その思い、永遠なれ! 永遠なれ!