Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

忘れられし、もうひとつの紅響曲

2010/05/24 02:48:42
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此方は無印の作品集98・102に投下した『血よりも、強い絆を。』のアフターストーリーとなっております。
一応今回のお話はそちらを読まなくてもある程度は楽しめるように書いたつもりですが…宜しければコチラの方も見て頂けると嬉しく思います。

















幻想郷の外れに広がる、深く静かな魔法の森から魔理沙が姿を消してから、今日で既に二ヶ月が経っていた。

今日も主たる黒い魔女が消えて久しいあの邸宅に足を運び、改めて彼女の不在を認め、そして大きく溜息をつく。
私と少女の間に跨る二ヶ月という空白の時間は、何の予告も前触れもなく突然に私の前から消えたあの少女と最後に言葉を交わしたのはいつだったかという事さえも忘却の彼方へ消えてしまうくらい長いそれのようであり、ほんの刹那のようでもある。
あの少女と過ごした日々。そこにある数多の想い出を指折り数えてみても、一体人間の手があと何対あれば全て数え終えるのかも分からない。中にはどうしても思い出せないものも存在する。
恐らくは多すぎて少しずつ希薄なそれになり、次第に記憶の引出しの中で風化し、自然に消えてしまったのか…。兎に角、正確な想い出の数は今ではとても数えられない。日記の一つくらい付けていればよかったと軽く後悔する。
二ヶ月前のあの日から…不安、苛立ち、焦燥感といった感情を、私が一時でも憶えなかった日は一度たりともない。全てはあの少女が何の挨拶も無しに消えてくれた所為。
もしも彼女と再会する事ができたらまず何を言ってやろうか、毎日そんな事ばかり考えていた気がする。

とはいえ、幻想郷という狭い箱庭のような世界からほんの小さな人間が一人消えた程度では、見ている側が呆れ返るほど平和ボケした住人の心に波風を立てるような事などなく……。
今夜も山の中にある博麗神社の境内は人間妖怪問わず多くの者達が酒盛りに明け暮れ、ある者は伊達比べと称する派手な弾幕遊戯に興じている。
勿論私もそこにいて、硝子の小さなタンブラーの中のウイスキーを揺らめかせ、それを少しずつそれを口へ運びながら…神社に屯する人妖達の中に、あの日からずっと探し求めてやまない少女の姿を探している。
やはり、今日の宴席にも彼女の姿はない。こういう賑やかな場が何よりも好きな、人も妖もすっかり見慣れた筈の人の姿が…二ヶ月前にその行方を絶った魔理沙の姿は今日も、黄昏時のこの神社の何処にもない。
それだけで、いつもと変わらぬ宴会の筈なのに、大きな違和感を感じてしまう。博麗神社で宴会があると聞けばすっ飛んで現れ、時に自ら幹事を買って出るほど彼等の間では目立つ存在であった魔理沙。
今その魔理沙はここにはおらず、しかし宴会の参加者達がそれを気にする様子は、私にはとても見受けられなかった。
まるで霧雨魔理沙という少女など初めからこの世界にいなかった、むしろ生まれてすらいなかったかのように……。
思わず、憤りに似た感情が込み上げる。

こうして宴会の席でめいめいにはしゃいでいる人妖達を見ていると、どうしても思い出してしまう事がある。
とある日の昼下がり、新しく手に入れた魔道書を片手に気紛れにつけた年代物のラジオから流れたニュースに聞き入っていた私。丁度その時流れていたのは最近幻想郷で頻発している一つの事件だった。
妖怪という妖怪が老若男女問わず、夜な夜なとある一人の少女に襲われ、全身の血を抜き取られて殺されるという事件である。丁度魔理沙が失踪した一ヶ月後に最初の犠牲者が出て以来、
それからほぼ二日か三日おきに妖怪が殺されているのだ。
この幻想郷始まって以来の妖怪を標的とした猟奇事件に彼等彼女等は須らく震え上がり…人間を襲わなくなったばかりか、夜間に人間の里に現れる事も全くなくなったのだ。

一部の力の無い妖怪達にとってはすでに異変レベルと言ってもいいこの事件。しかしこの神社ではそんな事お構いなしに、今日もいつもの様に宴会は開かれ、またいつもの様に種族を問わず仲間はぞろぞろと集まってくる。
皆、あの事件について一体何を考えているのだろう。明日もこの面々と無事に酒を酌み交わす事が出来るのか、いやその前に次に毒牙に掛かるのは自分なのではないのか…
そんな危機感を少しでも抱いている者はこの場に何人いるのであろうか。
すっかり顔も気心も知れたお馴染みの顔触れに、また明日も出会えるとは限らないというのに。
とはいえお気楽、もっと言えば平和ボケを絵に描いたような妖怪や一部の人間達には、それを望むべくもないが…。
「何辛気臭い面してんのよ、アリス。今日は楽しもうよ、ね?」
「あ、ごめん。そうだよね……」
後ろから響いた誘いの声は私の思考を半ば強引に寸断する。だが少々むっとしながらも
私は自然に彼等の輪の中に入っていた。自己嫌悪だ……。
結局私も彼等と同じ穴の狢、お気楽な妖怪の一人だという事か。

「霊夢……」
「あら、アリスじゃない。どうしたのよ」
お気楽な人妖達の相手をするのに疲れ、彼等と距離を取りたくなった私は、その足で一人本殿に佇んでいた霊夢の元を訪れた。
「ちょっとね……。隣、座っていいかな」
「はいはい、しょうがないわね……」
相変わらず霊夢は、特有の不機嫌そうな顔をしながらぼんやりと宴席の人妖達を眺めている。
「あ~あ、今日もみんな楽しそうねぇ……」
「全くね。んで終わったら何もせずに帰るんだし。後片付けする身にもなれって感じだわ。これだから妖怪ってのは厄介なのよ」
「本当。でも、あのお気楽どもにはそれを望むべくも無い…そうでしょ?」
「悔しいけど、その通り」
気だるげにそうささめいてみたものの、霊夢の口調はそれほど嫌そうではなかった。流石に彼の者達の相手をするのには慣れているのだろう。
一体その余裕が何処から来るのか教えて欲しい。欲を言えばそれを二割くらい分けて欲しい。
「そう言えば…今日も来てないわね、魔理沙」
ここで私はさり気無く、魔理沙の話題を霊夢に振ってみる。幻想郷の管理者の一人、博麗の巫女である霊夢であれば何かしら情報を掴んでいるかもしれない。
人も妖も須らく日々張り詰めた心に隙が生じる宴会の時ならば、彼女から幾許かでも魔理沙についての手がかりを引き出せる…そう考えたのだ。
「あぁ、魔理沙。そういえば…失踪してから二ヶ月くらいになるわね」
「そうね。今日も確かめにいったけど、まだ帰っていないみたいなのよ……」
「ふぅん……。言っとくけど“別にそんなんじゃないわよ”って強がっても無駄だからね?あの娘が心配なんでしょ?」
「まぁ…ね。霊夢には敵わないわ。本当…一体何処にいるのかしら。
アイツがいない間に私達は大変な事になっているっていうのに……」
「さぁ…。ひょっとしたら紅魔館の辺りで迷子にでもなっているんじゃないの?」

(……紅魔館?)
思わず、ハッとする。霊夢は魔理沙の行方について「幻想郷の何処かで」ではなく、「紅魔館の辺りで」と言った。
普段誰に対しても明確な答えを出さない事で知られる霊夢が、強く答えに繋がることを匂わせた…
はっきりと、紅魔館という“場所”を口にしたのだ。
(間違いない…。霊夢は何か知っている……ならば)
「だけど…決して探しちゃ駄目よ、アリス」
ここぞとばかりに霊夢から魔理沙の行方を聞こうとする前に彼女は言った。探してはいけない……どういう事なのだろう。私と魔理沙の、付かず離れず違いせずの関係を知りながらもそれについて深く干渉する事はただの一度もなかった霊夢が何故、今回に限って…。
「アリス。どうせ貴女は聞かないでしょうが、せめて友人として忠告するわ…。これ以上魔理沙に深入りするのは止めなさい。私が言うのもアレだけど、貴女はどうも好奇心が強すぎる。自重しないといつかその代償…命で払う事になるわよ」
「霊夢……」
それを最後に、霊夢の口は固く閉ざされた。

「なんなのよ、霊夢ったら……」
悔しい事この上ない。折角霊夢から魔理沙の行方を掴めるかと思ったのにその答えは断片的なそれでしかなく、しかも決して探すななどと軽い脅しのような事を言われてしまった。
全ては私の事を思っての事かもしれないが、やはり納得がいかない。
酔った振りをして宴席を離れ手水場で一息ついていた私の眼前に、黒い少女の姿が飛びこんでくる。
「おや。アリスさん、もうお疲れですか」
「何よ…誰かと思ったらいつぞやの鴉天狗じゃない。言っとくけど魔理沙の行方に関する取材ならすぐに拒否させてもらうわよ?私が一番知りたいくらいなんだからね」
「分かってますよぅ。その…宜しければ隣、いいですかね」
「構わないけど」
言うが早いか、すぐさま黒い少女…射命丸文は、私の隣にそっと腰を下ろした。
私達が遠巻きにぼんやりと眺めている境内の方では今もノリのいい人妖達の酒盛りが続いている。そしてさらに浮かれ騒いだ一部の者の弾幕遊戯もまだ続いていた。お気楽とか能天気を既に通り越して、
軽薄でいい加減な彼等の痛々しい様を遠巻きに見ていると、やはり溜息を禁じ得ない。
「はぁ~あ……こんなに騒がしい奴等と一緒だと、酒も全然回らないわね……」
「まぁ確かに。でも貴女が酔えない理由はそれだけじゃないでしょう、アリスさん?」

文は仕事柄作りなれていると思しき不敵な笑顔を、そっと私に向ける。この鴉娘、どうやら全てお見通しらしい。
なるほど、流石は性質の悪い情報通として悪名高い天狗様。心の中でそう彼女を毒づいて私は答える。
「まぁ…ね。魔理沙の事とか、連続失血死事件とか色々と」
「なるほど。でも魔理沙さんに関することなら兎も角、どうしてアリスさんが失血死事件の事を知ろうとするんです」
「私が次の犠牲者にならないとも限らないでしょう?」
「あぁ~、そりゃ言えてますねぇ」
「そう言う貴女は心配なさそうね。で、さっきそれに関してさり気無く霊夢に聞こうとしたんだけど、それも叶わなくてさ」
「無理もありません。昔から霊夢さんはそういう説明的な事は苦手みたいですからねぇ。
一連の事件について霊夢さんが動かない事について私もちょろっと訪ねたんですけど…結果はアリスさんと同じでしてね」
遠い目で文はそう言った。事件について一番有力な手がかりを持っているであろう霊夢から答えを聞き出せなかった事が悔しいのだろう。何となく共感に似た感情を憶える。
「まぁ…今までの事件で共通しているのは、被害者は全員体内の血を全て抜き取られて殺されているって事だけですね。
こんな芸当が出来るのはやはり吸血鬼くらいのものでしょう」
吸血鬼?まさか。吸血鬼ほどの強大な存在ともなると、人間を直接襲う事は守護者である妖怪の賢者達により固く禁じられているはずだ。
まして、幻想郷のヒエラルキーにおいて人間よりも遥かに上位にある妖怪に彼等が手を出すなど……。私が反論するよりも早く文が口を開く。
「ところで、アリスさん…。かつて幻想郷の妖怪と、吸血鬼との間に交わされた契約……ご存知ですか」
「えぇ、少しだけなら。つい最近紅魔館の主の手で改定された、
妖怪と吸血鬼双方の食料となる人間に関するアレでしょう?」
「それなら話が早いですね。実を言うと…あの契約には穴があるんですよ。
それこそ帆船も通れる大きな穴がね……」

…どうにも、釈然としなかった。宴を終え、暗い山道を一人家路についている間も、私はずっと先程までの文とのやりとりを反芻していた。
遥か昔に…少なくとも私が生まれる前に外の世界から現れた吸血鬼と幻想郷の古参妖怪の間に交わされ、霧の湖の辺に建つ紅魔館の主であるレミリアによってつい最近改定された契約。
そして、そこにある“穴”。文によればそれは妖怪の血だという。
あの契約の内容は改定以前も極めて人間寄りなそれであり、妖怪の血に付いては全くノータッチだったのだが、昨今の改定でもそこには殆ど触れられていなかった。
言ってしまえば、あの契約の大意は“吸血鬼は幻想郷の人間を直接襲ってはいけない”だけである。
逆に言えば妖怪であれば幾らでも襲っていいという、改めて考えて見ると恐ろしく手前勝手な契約なのだ。
まぁあの紅魔館の主が考えた内容ならば十分納得がいくが。しかもそれはご丁寧に絶対に破ってはいけないというオマケも付いているのだから、度し難いことこの上ない。

(なるほど…これは確かに大きな穴だわ。吸血鬼は今日まで妖怪を襲えなかったのではなく、自ら彼等を避けて襲わなかっただけだったのね)
(そりゃそうでしょう。いつかの吸血鬼異変は妖怪の中でも最強クラスの者が力づくで解決したって話ですから)
(んで、契約が結ばれたのはいいけれど、それは吸血鬼と妖怪が人間を食物とする事を前提にしたものだった。妖怪はまさか自分達が襲われるとは夢にも思っていなかった……。文、それが貴女の言う穴ってわけね)
(えぇ。そしてその妖怪達の過信という穴にいち早く気付き、妖怪の血のみを糧とするはぐれ吸血鬼…恐らくは新参者の吸血鬼がいる、私はそう思っているんです)
(へぇ…でも、それと一連の事件、そして魔理沙に何の関係があるのよ)
(分かりませんけど、あの契約が改定されるという大事が起きた時期を考えると関係が全く無いとも言い切れないんですよ。それに関しては今後も取材を続けて行くつもりですけどね)

「あぁぁぁ……っ」
頭の中の靄がどんどん濃くなり、仕舞いには痛みすら憶えるようになる。事件について考えれば考えるほど、謎は深まって行くばかりだ。
魔理沙の消息と紅魔館の関係を匂わせた霊夢。
一連の事件と魔理沙の失踪に対し二度の吸血鬼異変、そしてかつての契約にある穴を引き合いに出した文。
だが結局、魔理沙と事件との関係はその文ですら分からないままである。
根拠も何も全くないが、私は魔理沙は一連の事件に関わっていないと思っている。魔理沙と吸血鬼という二つの点が線で繋がる理由が、私には見当もつかないからだ。
幻想郷において広く知られている吸血鬼といえば、やはりレミリアとフランドールのスカーレット姉妹である。以前私はとある人の紹介で紅魔館の茶会に招かれ、実際に二人に対面したこともある。
しかし私が抱いた彼女達の第一印象は、この吸血鬼は随分小さすぎないか、これでは人を死に至らしめる事が出来るほどの血は飲めないじゃないか、だった。
それについてふと気になった私がさり気無く紅魔館の従者の一人に聞いた話ではレミリアは超が付くほどの小食で、直接人から血を飲んでも対象を殺す事は出来ず、精々貧血を引き起こす程度が関の山だという。
…そう考えれば、間違いなく彼女は容疑者からは外れるだろう。では妹のフランドールはどうかというと、それも疑わしい。フランドールが紅魔館から出て来ることは滅多にないと聞いているからだ。

(まさか、咲夜が……?)
可能性なら充分ある。紅魔館のメイド長にして、唯一の人間である十六夜咲夜…。聞く所によれば咲夜はレミリアの夜伽役でもあり、毎夜彼女は主たるレミリアに己の血を、絶やす事無く与え続けているという。
ならば将来的に咲夜も主と同族となるだろう。いや、既になっていても可笑しくはない……。
仮にまだ彼女が人の身体を留めていたとしても、そこらの弱い妖怪ならば何らかの方法で打ち倒して、主の元へ運んで行く位は出来るかもしれない。
事が済んだら朝が来る前に何処か辺鄙な場所に吸殻を捨ててしまえば一丁上がりである。時間さえ制御出来る咲夜なら十分可能な事だ。
だが、いずれにしても、魔理沙だけは一連の事件には関与していない……そう信じたかった。

しかし…私の切なる願望にも似た不確かな推測は、まさに一撃の元に打ち砕かれる事となる。

「うわぁああっ!!!」
不意に闇の中から男の悲鳴が…何か恐ろしいものに直面し、誰かに助けを求める為の悲鳴が宵闇に響き渡った。
一体何事だ?悲鳴に恐れを感じた私は一刻も早くここから逃げ去ろうと思い立ったが、生まれつきの好奇心はこの身体を押さえてはくれなかった。何よりその耳で救いを求める悲鳴を聞いたのだ。
声の主が誰かは知らないがこうして悲鳴を聞いてしまった以上、私が助けなければならないだろう。
舗装もロクにされていないデコボコした山道を何度もつんのめりながら駆けぬけ、辿りついたのはこの辺りでも一際広い場所。簡素なベンチやテーブルが周囲に並び、主に山歩きを楽しむ人達が休憩所として使っている広場である。
その下、燦燦と降り注ぐ朧月の蒼白い光に照らされていた、二つの人影。蒼白い光のお陰で明るさは充分にあるそこに、じっと目を凝らす。

「嘘……っ」
そこにいたのはブロンドの髪の少女。純然たる黒に染まったワンピースに紅い腰リボンをあしらった服、純白のベレー帽を被った少女。
天使のそれにしてはあまりに禍々しく、悪魔のそれにしてはあまりに神々しい白銀の大きな翼を背負った少女が、先程の悲鳴の主と思わしき男の妖怪を見下ろしている。
「あぁ~っ、全くオスの妖怪の血っていうのは不味くて仕方ないなぁ。やっぱり血は年頃の女のものに限るぜ……」
(血、ですって?まさかこの娘、吸血鬼…なの……!?)
すぐにそんな疑問が浮かんだが、その少女のシルエットはレミリアのそれでも、フランドールのそれでもなかった。まさか彼女が新たに幻想郷に現れた、文の言っていたはぐれ吸血鬼なのか?
「久しいな…アリス。二ヶ月ってのは長いよな……」
少女の顔を直視した私は思わず眼を見開いた。血色が抜けて青みがかった白い肌。濃く陰のかかった目元と、血が滲んだような薄い唇から覗く長く鋭い犬歯。今も激しく、そして妖しく光り輝く、この世のどんな赤よりも紅い両の瞳。
人間であればまず持ち得ない顔をした少女の声は、、今日この時まで求めてやまなかった、黒い魔女の声。
幾度も、それこそ穴が開くほど少女を凝視して、ようやく私は彼女が…私の知る霧雨魔理沙であることを悟る。
とはいえ、今の彼女の魔力や霊力の質、そして私自身が強く惹かれた魅力のようなものは、既に人のそれを留めてはいなかったが……。
「魔…理沙……」
「どうしたんだよ、そのボケッとした面は。そんなに吸血鬼(わたし)が珍しいかい……奴隷遣いのアリスさん」
白と黒の脆弱なりに一生懸命魔女のふりをしていた人間から、紅と黒の混濁たる闇を心身に宿す、紛れもない吸血鬼のそれと成った少女の姿を認めた私の中に、あらゆる感情が込み上げる。
今まで一体何処で何をしていたのか。何故二月もの間皆の前に姿を現さなかったのか。そして何故、どのようにして今のような姿となり果てたのか……。
聞きたいことはそれこそ山ほどあった。だが、私が一番最初に少女に問うた事は……。

「酷い…どうしてこんな事を……っ!」
よりにもよって私が最初に問うたのは、魔理沙の足元に倒れたままぴくりともしない男…。恐らく彼女がその手に掛けたと思しき妖怪についてのことだった。
まるで全身の水分を残らず吸い尽くされたかのように完全に干からびて浅黒く変色し、硬化してしまった肌。白目を剥いたまま夜空を仰ぎ続ける眼。
魔理沙の足元に大の字に倒れた彼の妖怪が息を吹き返す事など、二度と無い事は明らかだった。魔理沙は先程まで妖怪であった男の脇腹に蹴りを入れ、それを受けて宙を舞った男の亡骸は闇の中に消え去った。
明日になればこの辺りに差し込む日の光によって男の身体は骨も残らずに、灰となって消え去る事だろう。
「あぁ、こいつはよしゃあいいのにこの辺りで誰か人間を襲うつもりだったのか、たまたまそこにいただけさ。ここらでちょっと騒ぎを起こせばお前は必ず飛んでくるからな」
たまたまそこにいただけ……。すぐに分かった。私を誘き出すためならば襲う対象は誰でもよかった…それが今日はたまたまあの男だった、それだけの事。思わず胸が怒りで膨れ上がる。
「だからって…だからって、こんな手段を取らなくてもいいじゃない!いつもみたいにノック無しで家に普通に来ればいいでしょう!?それなのに……っ」
「分かってないな…それじゃ面白くないだろ?折角の再会、これくらいのサプライズがあってもいいと思うぜ」
しゃあしゃあと私の方を見ずに語る魔理沙は更に続ける。

「アリス…お前にも話したよな。私はいつか幻想郷一の大魔法使いになるのが夢だった。その為の研究は一日たりとも欠かした事はなかったし、修行と称する妖怪退治にも、専門家である霊夢以上に力を入れていたつもりだった。
フランに出会うまではな」
「フラン…フランドール・スカーレットね。あの娘がどうしたのよ」
「あぁ…アイツに教えられたのさ。幾ら努力を堆く積み上げても、生まれつき天賦の才に恵まれていても、人間という器には限界がある。意外かもしれないけどフランの奴、先天性の吸血鬼のくせに人の血を上手に吸えなくて、ずっと苦しんで来たんだぜ。
そんなフランに愛されて、私もアイツを愛して、やっと気付いたんだよ。結局人はちっぽけな存在である事。妖でさえ滅びの運命からは逃れられない事。そして、矮小な自分にも、誰かの為に何かが出来るという事…だから私は、フランに血を与えた……」
そう語る魔理沙の首にははっきりと、フランドールのものと思しき紅い二つの牙の痕が残っていた。
「成る程…要するに貴女は二ヶ月もの間ずっと、出血多量で死んでいたって事ね」
「あぁ…そしてその結果がこれさ。まさか本当に吸血鬼になってしまうとは予想外だったが、慣れてしまうとこの身体も便利なモンだ。幻想郷最速と云われる天狗の速度にも十分追い付けるし、今までどれだけ努力しても持てなかった系統の魔法も使えるようになった…」
まるで何処かの趣味の悪いB級映画のような話だ。ふと見ると魔理沙の体からは、ぼんやりと紅い煙が絶えず放たれている。
恐らくは彼女が持つ魔力が形を為したもの……吸血鬼化という現象の賜物であろう。その紅い魔力の波長…それは以前、とある因果でレミリアと相対した時に感じたそれに似ていた。
「魔理沙…貴女……っ」
「どのみち私はもう人間には戻れないし、捨食の術を用いて種族としての魔法使いにもなれない。だけど、今の私にはまさに悠久に近い時間がある。人間ならそれを知る前に寿命が来てしまう複雑な研究にも十分堪え得るんだ……それに」
そう言うと彼女は懐から黒い短剣を取り出す。あれは…主に魔術の儀式に使われる“アサメィ”と呼ばれる剣だ。
当然殺傷力は皆無だが、それは一般的なペーパーナイフ程度の切れ味なら十分備えている代物。
「こんな面白い能力も身につけちまったからよ」

腕にアサメィの切先を押し当て、それを一気に縦に走らせた魔理沙の腕から鮮血が迸った。そこから吹き出したそれらは重力を無視して宙に浮き、彼女の周囲にふわふわと漂っている。
大きく腕を切り裂いた際の痛みを感じていないのか、澄ました顔の魔理沙がそれらに右手を翳すと…滴った魔理沙の生の証は無数の弾に姿を変え、一斉に襲いかかって来た。これは……。
間違いない。かつて紅魔館の茶会の際、気紛れにレミリアが見せてくれたスペルの一つ…確か名前は「レッドマジック」だったか。それを、魔理沙が今、使って見せたのだ。
「人や妖の血を介し完全ではないにしろ相手の魔力を得て、それを己のものとする…これが私の新たな力。さしずめ『力を写し取る程度の能力』とでも言えばいいかな。魔法の幅を広げるのにこんな便利な能力はなかなか無いぜ?」
「…魔理沙、そのスペルはレミリアのものね。まさか、貴女……!!」
「あぁ、お義姉様の血も吸った。普通なら吸血鬼同士で血を吸い合ったりすると拒絶反応が起きて身体がボロボロに壊れちまうらしいんだが、どうやら私は特別製みたいでね……何でか知らんがそれは起きなかった。ひょっとしたら奇跡みたいなもんかな。そうそう、ついでに言うと……」
……紅い魔力が魔理沙の手元に集まり、一振りの大きな剣の形を為す。甘く見積もって六尺はあろう歪な形の炎の剣…レーヴァテイン。フランドールが振るうそれにあまりにも酷似していた。
いや、実際はオリジナルと多少の相違点はあるものの、かなり特徴は捉えている。魔理沙が全身の力を込めてそれを振り上げると無数の火の粉が辺りに散らばり、そして消えた。それが意味するものは最早ここで語るまでもなかろう。
「お義姉様やフランの血は大魔法使いという私の夢の為に大いに役立ってくれた。アリス…お前の血に宿る魔力も、
私の魔法の幅を大いに広げてくれそうだぜ……」

(魔法の幅を広げる……その為に!?)
その為だけに貴女は今日まで、幻想郷でも力のある妖怪達を次々とその手に掛けてきたというのか。しかもあろう事か同族であるレミリアやフランドールまでも。そして今、今度は私の力を得るためにこうして……!!
「ふふ…うふふふふ……」
「どうした?怖くてとうとうイカれちまったか…?」
「ふ、ふふ…あはははは!こりゃ傑作ね。どうやら私が知ってる魔理沙はフランに殺されてた。そしてそんな事も知らずに私はずっと貴女を思い続けた……!!我ながらとんだ道化だわ、あはっ、あははははは……!!」
自嘲から来る狂気の笑いを漏らしながらも、私は心に高揚感を憶えていた。
今となってはフランドールに感謝してやりたい。こうして魔理沙を人以外のものにしてくれたおかげで…彼女に対する一切の容赦も手心も、その必要性が失われた。
「いいわ…相手になってあげる。ここ最近モヤモヤしてた気持ちも、
この場で貴女を木端微塵にすれば少しは晴れるかもね!!」
「ハッ。嬉しいよ…お前がその気になるなんてさ。だったら精々楽しもうぜ……“死の少女”、アリス!!」

上空から…朧月を背負った魔理沙から放たれたラピッドショットが、大地に叩きつけられる。魔法使いと吸血鬼の少女、それぞれの命をチップとした弾幕遊戯が始まった瞬間だった。
先程の先制打の衝撃をかわして真正面から対峙し、じっと様子を窺う私。人より少しはよい頭脳をフル回転させて、魔理沙がどう攻めるかを予測してその戦術に会わせた攻撃体勢を整える。
勿論私の戦い方は…そう、いつもの奴隷タイプのパターンから派生する攻撃だ。一人の相手には此方も一人で立ち向かう、そんな愚を犯すような真似など私は決してしない。
左舷、右舷、背後、そして前方…。私の砲台たる人形をこれでもかとばかりに配置し、相手が攻めこむ隙も安全地帯も絶対に与えないポジションを作る。
弾の密度を増やし、避ける隙を封じれば神聖な決闘たる弾幕遊戯は成り立たなくなるやもしれないが、そんな綺麗事など私に言わせれば無様にバタバタと倒れていった者達が語る“敗者の論理”に他ならない。どんな狡からい手を使おうが、どれほどの勢力で立ち向かって圧倒しようが、正しいのは勝利した方だ。
そう…私は証明しなければならない。人の理屈がもう通用しない、かつて人であった吸血鬼の少女に。彼女への睥睨の視線に揺ぎ無い意志を込める。
「なるほど、典型的な奴隷タイプ…お前らしいっちゃあお前らしいな。
だけど…その手のスペルはお前の専売特許じゃないんだぜ?」

そう言うなり指をぱちん、と鳴らす魔理沙。あたりにその音が響くと彼女の背後から無数の紅い靄が生まれ、そこからゆっくり、しかし次々と何かが靄から這い出て来る……。
私はそれに見覚えがあった。バレーボール大のサイズを持った巨大な瞳だけの体に、蝙蝠の足と翼が付いた魔物……。アーリマンと呼ばれる下級悪魔の一種。
私と人形達はあっという間に彼の者達に全方位を取り囲まれてしまった。懸命に闇に視界を巡らして、奴等がどれほどの勢力を持っているのかを確かめる。
その数……測定不能。一瞬にして逆転した形勢に、冷や汗が頬を伝う。それでもショットをアーリマン達に向けて斉射し殲滅を試みるが、やはり数が多すぎてその全てを撃ち落す事は出来なかった。
魔理沙がその手を私に向けると、アーリマン達はその巨大な目から紅い光を撃ち放つ。それを胴体に受けた人形達は悉く紅蓮の炎を上げ、バラバラの黒い塊となって冷たい大地に落ち、相次いでその寿命を待たず絶命していく。
「あぁ……っ!!」
「どうしたんだよ。私を木端微塵にするんじゃなかったのか?」
悠然と背中の白銀の翼をはためかせながら、吸血鬼の少女は勝ち誇った様な笑みを浮かべていた。やはり、勝負にならないのか…?
あの少女が人間だった頃ならば完全勝利とまではいかなくとも、決して後れを取る事だけはなかった筈だ。それが今はこれである。

(いや、まだだ)
…諦めるな。まだ手はある。そう自分に言い聞かせ、隠し持っていた一つの人形の頭をそっと押して気付かれない様に地に横たえる。
その後すぐに弧を描くようなダッシュで魔理沙の周囲を右へ、左へ、また右へと飛び回り、威力は弱いものの魔力は然程消費しない、自らの手によるショットを絶えず浴びせかける。
「擽ってるのか…そんなやわっちょろいショットじゃ化け化け一匹倒せやしないぜ?」
余裕綽々の魔理沙は軽やかに私のショットをかわしながら、掌から真紅のレーザーを撃ち出す。私もそれをコンパクトモーションでかわしながらも、なおショットを放つ手は緩めない。ほんの一瞬でもそれを止めればすぐに私のターンは終わってしまう。
魔理沙がその速さをもって反撃に転じる隙を与えないように自身のメインショットと、手元に僅かに残った人形が撃つサブショットで攻めたて、じりじりと相手を“一箇所”に追い詰めていく。
(ビンゴ!!)
魔理沙が“それ”に気付いた表情を見た時、思わず私の口元に笑みが零れた。
“それ”に……。一連の攻撃をしかける前に用意しておいた人形爆弾に念を込めると、耳を劈く派手な轟音と鮮やかな橙色の爆炎が魔理沙の足元を襲う。
流石に死に至らしめるまではいかないが、この一撃で手足の一本や二本は軽く吹き飛んだだろう。私に攻めかかるための、そして己を守るための四肢。
そのいずれかさえ潰してしまえば、圧倒的だった戦力差も一息で覆る……筈だった。

「爆発トラップとはやるじゃないか…暫らく見ない間に随分腕を上げたもんだ」
…濛々と立ち込める黒煙と炎の中から、魔理沙が姿を現した。その涼しげな表情をほんの少しも崩さずに。
「う…くうぅッ……!!」
思わず歯を噛み鳴らす。あれほどの爆発をその身に受けたというのに、彼女に殆どダメージはないらしい。
精々纏っている漆黒のワンピースが所々破れているだけだ。手足を吹き飛ばすどころか、かえって相手を逆撫でしてしまった事に気付く。
「なら、こっちも本気で行かせてもらうぜ……」
彼女らしくない、極めて冷淡なその言葉とともに突き出された右腕。そしてその手に握られているのは勿論……。
(ミニ八卦炉……あれね)
それだけですぐにピンと来た。この世界でも強力な部類に入る魔道具、ミニ八卦炉に魔力を込め超火力のレーザーとして具現化し、ありとあらゆるものを薙ぎ倒す霧雨魔理沙の十八番…マスタースパーク。
だがその威力はその眼で何度も見て、数度くらいならその身で受けて十分に分かっている。そして当然その避け方、勿論その弱点までも。
…甘く見るな。貴女の自慢のそのスペル……。そこらの雑多な人妖ならまだしも、貴女の強さを嫌と言うほど知っている私には決して通用しない。
さぁ――撃ってみるがいい。何処に何発撃とうが全てかわしてやるという決意を込めた視線で彼女を見据える。

魔理沙の右手のミニ八卦炉に魔力が集約されていく。充分にそれに力が満ちたのを見て取ったか、少女はそっと唇を動かした。
「血盟『クリムゾンスパーク』」
魔力の集約音が止み、スペル名の宣言が辺りに響くと同時に、魔理沙の手元から血のように赤い極太のレーザーが放たれる。
どういうことだ?それは私が見慣れたマスタースパークによる白い破壊の光ではない。光にあったのは綺羅とした輝きではなく、やはり何の生も命も宿らぬ禍々しさ。
悪夢、恐怖、絶望といった、人型のものが持ち得る負の感情をこれでもかと押し固めたような光。当然それが放つ光には、彼女が人間だった頃のそれを遥かに凌駕する威力がある事だけは間違いない。
まともに食らってしまえば私程度のものなど魂の一欠けらも残らずに消し飛んでしまうだろう。
幸い咄嗟に右の方向へ大きく飛び退いた事で直撃だけは免れた。私のすぐ側を横切った真紅のレーザーは湿った大地さえ容易く抉り取り、ほんの僅かな生命さえも悉く呑みこんで虚空へ消え去る。
クリムゾンスパーク…一体あのスペルは何だ。ミニ八卦炉の火と魔理沙自身の魔力であそこまでの火力を出す事が出来るのか。
そしてあの紅い光。彼女の身体から絶えず放たれていた紅い魔力は何だ……。
多くの疑問が渦巻く中に私はこの戦いについて一つの“答え”を見出す。

(小細工はもう通じない、か……)
これが答えだ。小賢しい策が通用しないならば、あとは相手のそれを上回る純然たる“力”で押し切るしかない。
とはいえ、この場の私に残された手段も……力に力で立ち向かうための切り札も一つ。出来る事ならこれだけは使いたくはなかった。腹を決めて愛用している上海人形と蓬莱人形の二体を、私の左右に展開する。
続いて本来人形を操るための魔法の糸を大地に張り、二つの人形が放つレーザーが交わるポイントを押さえてそこに鳴子(トラップ)を仕掛ける。後は二つの人形に十分に魔力を注ぎこみ、魔理沙がそのポイントに差し掛かったらレーザーを撃つだけだ。
そう…上海、蓬莱によるレーザーを相手の身体の一点へ同時に叩きこみ、それが生み出す撃力で敵を打ち倒す純粋な力技の魔法である。かつて魔法を本格的に学んだ時に一度教わったが、私はこの手の魔法を強く忌避していた。
「弾幕は頭脳(ブレイン)」という主義に反するから、今までずっとこれを実戦で用いる事を自ら禁じていたのだ。
だが今の相手はあの魔理沙である。飾り立てたプライドや信念、マニュアル化した技術に縛られていては、その策ごと潰される。
まして今の彼女は人だった頃のそれとは比較にすらならない力を持つ吸血鬼。中途半端な攻撃はかえってその身を危険に晒すだけだ。
ならば全ての攻撃を全力で、尚且つ正確に決めなければ……。すぐさま私は行動に出る。
私以外の者には絶対に見えない糸。その方向に歩み寄る魔理沙を見据えて彼女がそこに足を踏み入れるのを待つ。
二つのレーザーが交わる場所。地面に張った魔法の糸が触れる音…私にしか聞こえないその音をキャッチし、“そこ”に魔理沙が差し掛かったのを確かめる。

(今だ!!)
右に上海、左に蓬莱。それらに私の念を一気に注ぎこむと、二つの人形が撃ち放った魔力に指向性が与えられ、まっしぐらに一つの方向へ向かい飛びかかる。無論その方向は標的である魔理沙…その身体のほぼ中心。
「悪呪『上海&蓬莱人形』…。消し飛べ、吸血鬼!!」
上海と蓬莱、二つの人形がほぼ同時にレーザーを掌から撃ち出し、魔理沙の胸に撃力を抉り込ませる。
威力自体は彼女の用いるマスタースパークにこそ劣るものの、このスペルは狙いさえ的確ならば人間だろうが妖怪だろうが、ほぼ一撃で死命を制すことが出来るのだ。
が、当然それだけの火力を発生させれば、此方が受ける反動も大きい。これで相手を倒せなければ…少しでも的を外してしまえば、逆に自ら断崖を背負ってしまう。
要するに、これは殆ど分が悪い博打に近い技なのだ。これが私がこのスペルを今日まで封じていた理由。
とはいえ…死を賭した一撃に対する褒美なのか、奇跡的にも今回はそんなイレギュラーは起こらなかったようだ。

「……勝っ、た………っ」
流石に似合わない荒事を冒した甲斐があった。先程までその鋭い狂牙を私に向けていた、かつて魔理沙であった吸血鬼の少女の姿は、私の目の前から永遠に消え去った。
…無理もない。魔理沙の身体の中心…心の臓に、二本のレーザーを一箇所へ同時に、まさにピンポイントで撃ち込んだのだ。
心臓を白木の杭やら何やらで打ち抜かれれば、さしもの吸血鬼でも確実に死ぬ。というより、本来不死の存在である彼等彼女等を完全に屠る方法はこれか、あとはその肉体を浄火で焼き払うしかない。そのうちの一つをここで選び、そして私は成功させたというわけだ。
しかし、やはり慣れない事はするものではなかったか…身体の彼方此方が今も激しい痛みを上げている。流石に付焼刃の超火力魔法は肉体的には脆弱そのものの私が耐えられるものではなかったようだ。
安全が約束された我が家に辿りつくまでの力が、この体に残っているかどうかも不安になる。
まぁなんにせよ勝ったのは…生き残ったのは私だ。一度は本気で愛した魔理沙を斃したという事実も、互いの存亡を賭けた戦いに勝利したという事実の前には、全て瑣末な事だった。
明日になれば後悔の嵐は轟音と突風を伴って襲い来るだろうが、今の私にあるのはこの死闘を生き延びた事への安堵だけだ。
強力なレーザーの反動をモロに受け、限界ギリギリまで傷ついた身体を、私はどうにか動かそうと試みる……。

「……っ!?」
と、突然に襲った、首筋に何かが触れる感覚。何事かと思って後ろを振りかえった私は思わず眼を見開く。
「あ~あ、あれしきで勝った気でいたのかよ。流石にまだ甘さを捨て切れなかったみたいだな、アリス」
「そ…んな、どう、して……!」
……そこにあったのは先程、心臓をレーザーで撃ち抜いて完全に葬った筈の魔理沙の姿。私の延髄は彼女の右の掌にすっぽりと包まれ、さらに鋭い爪が深々と食い込み、そこから少しずつ血が流れ出でている。
「幻双『イリュージョンジェミニ』…。どうだい。フランのそれには及ばないにしろ、
お前の焦点のない眼を欺くぐらい造作もない事だよ」
バキバキという頚部の悲鳴が絶え間なく私の耳に飛びこんでくる。どうやら上海と蓬莱に全精力を注ぎ込んだレーザーで私が撃ち抜いたのは、よりにもよって魔理沙から分離した幻影だったらしい。
一体何時の間に彼女は分身などという、大それた技など会得したのだろうか。何時あの戦いの最中に己の幻影と摩り替わったのか。そして何より、何故あの時、私はその幻影に攻撃されたのか……。
そんな事を考えている間も魔理沙の爪は私の首に走る痛感神経を絶え間なく刺激する。どうにかして彼女の手から逃れようと私はその身体を前に、後ろに、そして左右に動かそうとするも、それらは全く虚しい努力だった。
吸血鬼は魔法抜きの純粋な力も異常なまでに強いのだ。遥か昔にそれを辞めた身ではあるが、身体能力は人間だった頃のそれと何ら変わりない上、霊夢の様に体術の心得があるわけでもない私が逃れられる道理などどこにも無い。
いずれにせよ、一転してこの場の敗者となったのは私のようだ。魔理沙はそんな私の無様な姿を見て妖しい笑みを浮かべている。

「ふ…ふっ。どうやらここまでみたいね……。魔理沙。…さっさと私を殺しなさいよ」
「おいおい……らしくないな。一体全体どういう風の吹き回しだ?」
「相変わらず鈍いのね…私の負けだって言っているのよ。さっさと私の血を全部吸って殺すがいいわ。この場で貴女の手にかかって死ねるなら、それはそれで本望よ。むしろ…その死に様が、私にはお似合いってものだわ……!!」
勿論、嘘だ。私の知る魔理沙は心が幾ら複雑に捻じ曲がっていても、力無き者を殺めるほど歪んではいない。
既に身体は人のそれでないとはいえ、今こうして“形”を保っているなら、まだ心まで悪魔に堕ちてはいないだろう。
付け込む隙は幾らでもある。どれほどその心身を黒く染めても、真正の悪には決して為りきれない…それが霧雨魔理沙の致命的な欠点。
確信とも、一縷の望みとも言える根拠の無い答えから、私は死中に活を見出すための言葉(かぎ)を作った。
後はそれを差し込んで回してしまえば、取敢えずこの場だけは脱出できる…。そこから先の事はその時考えればいい。
「どう、したのよ。まさか怖気づいたの?ほら、やれるものならやってみっ……!!」

全て言い終わるその前に一際強烈な痛みが私の首を、そして全身を襲う。先程までの戦いの所為で完全に体力を消耗した私の口からは、悲鳴の一つも上がらなかったが。精々か細い呻き声を漏らすのがやっとだった。
「嘘は良くないぜ、アリス……。初めから命が要らないなら、下手に人形爆弾とかレーザーとか小賢しい手を使って抵抗なんかしない…最悪敗れて死ぬ可能性がある、決闘というリスキーな手段には訴えないよ。お前はまだ死にたくない、出来ることならばどうにか逃げ延びたい……そう考えてるだろう?」
駄目だ…バレている。恥も外聞も捨てて惨めに虚勢を張って、いや偽りの慈悲を乞うて少しでも逃げるだけの隙を作るという、最後に残った選択肢も意味を為さなかった。
あぁ…そうだ。一番最初に気付くべきだったのだ。もはや相手は私の知る霧雨魔理沙ではなく、身も心も深淵に堕ちて、純粋な闇に染まり果てた黒い悪魔だという事に。
“これ以上魔理沙に深入りするのは止めなさい…”今日聴いたばかりの霊夢の警告が激しくリフレインする。相手の言うことにいちいち反発したがる自分の性分がつくづく憎たらしい。
心の臓が早鐘のように脈打ち、口から漏れる呼吸がからからに乾いていく感覚を憶える。

「そんなに怖がるなって…私がお前を殺すわけないじゃないか。それに……」
と、その刹那…首にかけられていた力と同時に私を襲っていた痛みがフッと消える。
「私はね…ずっと、何でも言う事を聞く奴隷が欲しかったんだ。お前の使う人形みたいな奴隷がさ……」
(………っ!!)
奴隷。人形。魔理沙のその言葉の意味を、激戦により疲れ切った頭で理解した頃には遅過ぎた。
いつの間にか私の身体は魔理沙の両腕にすっぽりと包み込まれてしまっていた。頼みの綱であるスペルカードも自身の魔力も尽きた今、この場で抵抗する術は何一つ残されてはいない。
悔しい気持ちを噛み締めているその間にも、魔理沙の唇と私の頚動脈との距離は少しずつ縮んでいく。
「寂しかっただろ…お前。誰にも素直になれなくて、本当の自分を理解してもらえなくて、
みんなに誤解されてばかりいて……」
そっと首筋を撫ぜていく魔理沙の吐息。鋭利な二つの何かが“そこ”へ突き刺ささる音と痛み。体温、心拍、そして思考が、急速に深い闇へと落ちていくような感覚……。それらは至上の快楽を伴って私を支配しはじめる。
「あ、くぅ…っ。魔…理沙……っ」
「心配ないよ…アリス。もう二度と寂しい思いはしなくていい。
お前には永遠の安らぎと居場所、そしてずっと私の傍にいる権利をやるからな……」
吸血鬼の少女の囁きは甘い香を放って脳を駆け巡り、残された僅かな理性を蕩けさせる。その間も熱と鼓動の低下は止まらず、四肢を初めとする身体機能のコントロールさえも、己の意思ではままならなくなる。
明るさを失って遠のいてゆく意識。重く冷たくなる身体。だが、生の終わりを意味するそれらの現実も、その中で絶えず身体と心を駆けていく快楽の前に、虚しく霞んでいく。
「…い……や………」
やがて…私の元に、恐らくは二度と醒めぬ眠りが、訪れた。

数日後…霧の湖の畔に建つ紅魔館の一室。
年代物のランプの柔らかい光に満たされた広い部屋には、主たる黒い吸血鬼の少女と館の職務を取りしきる銀髪のメイド長と思しき少女。黒い少女は新しく手に入れた魔道書の項を白く細い指で捲りながら、そっと傍らのメイド長に問う。
「新しいメイドの調子はどうだい、咲夜」
「えぇ、よく働いてくれるし不満も何一つ言わない。久しぶりにいい子が来たわね」
「あぁ。役立たずな妖精メイドを百匹雇うより安上がりだろ?捨食の術を使い続けるだけの魔力は残してあるから、アイツには食事も睡眠もなしでいい。紅魔館の仕事はアイツに任せて、咲夜は出来るだけ長くお義姉様やフランと一緒にいてやってくれよな」
「あらあら、お気遣いは嬉しいわね。そのお嬢様もすんなり許してくれたからいいけど……
何だか、貴女らしくないというか」
「咲夜。既に四人目の椅子が確定しているとはいえ、いつか死んで生まれ変わるまでの間はお義姉様達に会えないんだ。二人にほんの少しでも寂しい思いをさせるのは決して本意じゃないだろ?だったら今のうちに愛しのお嬢様達と、人間としての生を謳歌するのが一番だ」
「人間としての生…か。そうかもしれないわね……魔理沙。一応、貴女には礼を言っておくわ」
「どー致しまして。んじゃ、お義姉様とフランのベッドメイクが済んだら今日はもう休んでいいぞ」
「はいはい。だけど…くれぐれもあの娘と変な関係を持ったりしないようにね。
妹様の嫉妬を買ったら貴女でも死ねるわよ?」
「はは……分かってるぜ」

メイド長の咲夜と入れ替わりに、新人の魔法使いのメイドが魔理沙の部屋を訪れる。スカイブルーのワンピースと純白のフリルエプロンからなる制服を纏った、艶やかなブロンドのショートヘアを持つ少女。
――お茶をお持ち致しました、魔理沙様。
「おー、ご苦労さん。どれどれ……おっ、随分頑張ったじゃないか、上出来だよ」
――先日メイド長から教わった通りにお作り致しましたわ。以前までの私の淹れ方とは違いますので、流石にまだ至らないところもあるやも知れませんが。
「おいおい、謙遜するなって。全然悪くない。ここのお茶の淹れ方をつい最近憶えたとは思えないな」
――有難う御座います。今後も魔理沙様のお口に合うお茶を淹れることが出来るよう、一層の努力を致しますね。
「そいつは楽しみだな。……でも、ここに来てからこうして毎日働いてくれるのはいいけど、
あんま頑張りすぎるのもどうかと思うぞ?少しくらい休みたいと思ったならいつでも言っていいんだぜ」
――いいえ、お気遣いは無用ですわ。
こうして魔理沙様や紅魔館の皆さんにお仕えする事が、この私の慶びなのですから。
「へぇ…嬉しいね。それはいい心掛けだ。まぁ、そうお前が望むならば…これからもよろしく頼むぜ?」
――はい。では、私は皆様のベッドメイクが御座いますのでこれで失礼致しますね。
「そうかい、じゃ、お休みな……」

メイドの少女が魔理沙に背を向け、無表情のままゆっくりと歩き去る。
(どうだい、アリス…お前の夢である完全自立型人形がここに完成した気分はよ……)
先程まで自分に紅茶を淹れていた、かつてアリス・マーガトロイドだった少女を見送り、ふっと魔理沙は溜息をついた。
心を持たない紅魔館のメイドの一人である今の彼女には気付くべくもないが、まぁいずれ必ず悟るであろう。己の意思を持つ人形…理想の人形というものは作るものではなく、自らが成るものだということを。
そうして完成したそれは既に人形ではなく、その次元を遥かに超えた新たな生物と呼べる存在であるということを。
魔道書を捲りながら魔理沙は考えていた。あの日その身体に取り込んだアリスの血と魔力は、一体どのような形で己の糧となるのだろうかと。…だが仮に決して糧とはならないものだったとしても、彼女はそれを忘れるつもりはなかった。
あの日憶えた血の味は……狭い箱庭のような世界である幻想郷に、冷たい孤独に震えながらもずっと自分を想い続けていた人形遣いの少女が、確かに存在していたという証だからだ。
あの日から時が流れてなおその味蕾に残るアリスの柔らかい血の味を思い浮かべながら、黒い吸血鬼の少女は窓の外に浮かぶ満天の星をぼんやりと眺め続けていた。
ジェネリックには初投稿のこの作品。創想話プチだった頃から「外伝的作品のこれはプチの方に投稿するか」と思って作っていました。やはり無駄に長くなりましたが、
プチをジェネリックに改名してくれたおかげでサイズとか気にしなくて済みました。感謝感謝!!

久しぶりにバトルものを書きたい、それだけで作ったSS。前述の『血よりも~』で多少触れた魔理沙の紅い魔力“紅夢”を、具体的に表現したいというのも理由にはありましたが。
吸血鬼化した魔理沙の「力を写し取る程度の能力」は、第4作『東方幻想郷』における幽香との掛け合いの中の「貴女を倒してその力を私のものにするわ!」という魔理沙の台詞から思いつきました。
…っていうか、実際にマスパを己のものにしちまったんだから度し難いよなあ。
そう言えば、書籍版の文花帖にある漫画でもパチェからノンディクショナルレーザーを奪ったなんて旨の台詞がありましたね。そんな魔理沙が持つラーニング能力から発展させました。

……結局何だかんだでアリスには酷い事しましたね。さすがにこのままでは寝覚めが悪いので次はもう少し救いのあるお話を書きたいと思ってます。
小鎬 三斎
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
設定無視ならこっちのタグにも入れておいて貰えると有難かった…
2.奇声を発する程度の能力削除
面白かったです。
3.名前が無い程度の能力削除
昔の型月SSとかにこういうのよくあったよね。
なんだか読んでるこっちが恥ずかしくなりました。
4.名前が無い程度の能力削除
設定をぶん投げるのは良いんだ。酔っ払いの文章を真面目に解読してもつまんないから
死に設定を拾ってくるのも良いんだ。古きを暖めなんちゃらだから

しかし、しかしですよ、シリアスを書くなら一度でもルナ凸の果てにぶちまけられた経験は有るのですかっ!?
あと、改行が変だー!
5.名前が無い程度の能力削除
作者名から私は思い出せましたが、どの作品集のなんという作品のアフターストーリーなのか、冒頭に書いた方が親切と思います。

超設定については向こうでもう感想書いたのでここでは言いません。
魔理沙がなんか凶悪になりましたねー
吸血鬼らしいといえばらしいのかもしれませんが、原作で表される幻想郷のイメージとはかけ離れていますね。レミリアやフランドールもここまでではない。
シリアスな内容に抱く感想としては相応しくないのでしょうが、あちこちで10年くらい前を思い出してニヤニヤしてしまいました。
6.名前が無い程度の能力削除
魔理沙チート能力ジャナイデスカヤーダー

7.名前が無い程度の能力削除
魔理沙チート能力ジャナイデスカヤーダー

8.名前が無い程度の能力削除
魔理沙チート能力ジャナイデスカヤーダー

9.名前が無い程度の能力削除
しかも最強の[神を降ろす程度の能力]のあの方々を写せば最強ジャン