この作品は、作品集85にある『誤解だけれどたぶんキャプテンが悪い話』の続きになっています。
今までの流れを把握していると良いと思います。
レンズ越しに見える世界はとても綺麗で、世界は私を除いてこんなにも綺麗なのだと安心する。
誰にも見えない透明なレンズを、目玉の上に張り付けて。
『船長』でいようとするその生活は、とても楽だった。
震える手足が役立たずで、唖然とした。
『誰かに恋をする』その為の初めの第一歩どころか、もっと根本的で大切な部分にけつまずきながら、無様に地面に転がっているのが現在の私、村紗水蜜であった。
「……なんで」
今の私は、自分でも自覚できるぐらい挙動不審で、縋り付く様に錨と柄杓を強く抱きながら、自室から一歩出ようと、それだけに必死になっていた。
「……こ、こんな事が」
手首から指先までが震えて、足が床にぴたりとくっついて動かない。
尊敬し、大好きな姉の様な存在、パルスィからの助言に従い、こうやって『船長』をやめようと、素の状態で歩こうとした矢先に、いきなりこれだった。
情けない。
私は、外に出るのが、理由も理屈も理性も無く、ただ嫌だと全身で拒絶しているのだ。
「ッ」
な、なんでこんな事に。
歯噛みするが当然、自分自身にも訳は分からず、ひたすらジリジリと戸口を睨むしかない。
途中、チラチラと帽子掛けにかけられた愛用の帽子に目がいってしまうが、すぐに厳しく却下を下して呼吸を整える。
そうすれば、自然に落ち着いてくる。
ゆっくりと、自分自身を見つめなおす。
三日前、私は星に慰めて貰った。なしくずし的に何故か皆にボロボロにされてしまい寝込んだりもしたけれど、むしろそれで腹が据わったのだ。
私は、村紗水蜜のまま―――誰かに『恋』をしなくてはいけない、と。
彼女たちみたいに本気で怒ったり、泣いたり、してみたい。
怒っていた彼女たちは、本当に、生き生きしていたから。……『船長』の時は気づけなかった、命の躍動。
真剣で、必死で、喉が痛くなるぐらい、お腹がキリキリするぎらい、声を張り上げて、怒るのは、どんな気持ちなのだろう?
ボロボロにされながら、そんな事を考えて……憧れた。
こうはなれないと分かっていても、近づきたいと、羨望した。
それに。
私は知りたいから。
泣かせる理由も怒らせる理由も、私が駄目な理由も、ちゃんと理解して、納得したいから。
このままでいられない理由を、このままでいてはいけない理由を。
私はちゃんと知るべきだから。
「……ん」
くしゃりと、普段は帽子があってできない、とある癖。
髪をかき混ぜて、それから撫で付ける。よく分からない、生前からのそれ。
それをすると不思議と落ち着く。
生前、私の住んでいる場所は、海風が激しい土地で、いつも髪が乱れるから、そうやって一度かき混ぜて撫で付ける。……って。あぁ、そっか。忘れてた。
そういえば、そうだった。
もうほとんど思い出せない生前の記憶。小さいけれど微かに思い出せて、複雑に頬が緩む。
そういえば。生前と死後の私はやはり違って。生前の自分が今の自分を見たら、どんな悪態をついて卑下するのだろう?
なんて考えると、胸が悪くなる。
そういう、当たり前の想像を、今までしてこなかったのが、おかしいのだろう。
徹底していたのだと言えば聞こえはいいけれど、ただずっと気付かない振りをしたまま忘れてしまうぐらい、放置していたのだ。
今まで、のうのうとしていたから。私は更に駄目になったのだろう。
今までの私は甘えすぎていて、流されて、楽で、変わろうとしなかったから。
こうして今。昔を思い悩み、今に苦しみ、未来に怯えている。
本当は、今までにたくさん見てきた彼女たちの涙に触れた瞬間に、自意識過剰でもなんでもなく、頭を下げ、帽子を脱いで、許しを請い、償わなくてはいけなかったんだ。
私はとても罪深いのだと、あの日、優しい緑の瞳は言っていた。
ごくり、と唾を飲む。
「そう……、だから、こんな所でつまずくとか、舐めているのかと、怒られてもしょうがないから。……だから、この部屋を一歩でて、皆に朝の挨拶とか……し、して……!」
震える指先をかろうじて操り、戸に指をかけようとした所で、
『――気持ち悪いとか言われたらどうしよう?』
なんて声が、自分の音で全身に響いた。
「ッ」
驚いて、途端不安の泡がパチンと砕けた。
「ぅ、あぁ……?!」
訳も分からなく叫んでしまいそうになり、動揺して、息ができなくなりそうで「ッ!」と、すぐ自分の鼻に拳を叩き込んだ。
変な音がして、目の前が一瞬で白で染まった。
ガタンッ! と。
足が浮いたと自覚したのは、そのまま後ろに、尻餅をついて派手に倒れこんだ後だった。
「…………ぁ」
イタイ。
という感覚に頭が染まって、鼻は当たり前だけど出血して。セーラー服を汚していく。
ぽかんとして。無意識の一撃を繰り出した拳を見れば、やはり血で赤くなっていた。
「えと……」
怪我の巧妙か。血が抜けたおかげで冷静になり、ぼうっと尻餅をつきながら落ちていく鼻血を眺める。
幸か不幸か、今の衝撃で、自分が何を怖がっていたのか分かってしまい、それを受け入れるのに少し時間が必要だったのだ。
「……ん」
口の中に広がる鉄の味が、しょっぱい海水ではないかと勘違いしそうになった。
目元が、淡く霞む。
なんてことは無かった。
私は結局。『私』が嫌われるのが怖いと、それだけの事で、足を止めていたのだ。
まだ、何も初めていないのに、だ。
馬鹿じゃないのか。
死ねばいいのに。
死んでるけれど、死ねばいいのに。
……汚く罵った。
「嫌われるも何も、そんな」
何を今更。
笑って、痛みを気にせずにくつくつ肩を震わせて、鼻骨辺りから顔全体へと痛みがずきんずきんと広がっていく。
とっくのとうに。手遅れだろうと、鼻を拭ってにやにやする。
とぼしかった好意だって、もうどうしようもない程に無いだろう。
三日前から、同じ部屋にいた二人が、別室に移った。
私自身、それを望んでいたし、彼女たちもそうだった。
問題は、ただタイミングが悪かっただけ。
星を泣かせたと、思われて、嫌われて愛想をつかされて終わっただけ。
今、不思議と広さを感じさせる私室は、どこか空虚で。私にはお似合いすぎると、自嘲しながら「よっ!」と立ち上がる。
怖い気持ちは、消えない。―――でももういいや。
世界が霞んでぼやけて気持ち悪い。―――村紗水蜜の視点はこんなもの。
私として見る此処は。息が苦しい。―――もともと私は苦しかった。
「……でも。今更それを自覚しちゃうのが、それこそが、……今までのうのうと過ごしてきた私への罰、なぁんて」
思って。
やり過ごす。
優しく紳士で暖かい船長を目指していない村紗水蜜は。
そんな、卑怯で卑屈で冷たい、嫌われ者でしかなくて。
無造作に、手を伸ばして戸を開ける。
躊躇は消えていた。
最初の一歩は。こんなにも簡単に始まってしまう。
――――。
シン、と。
外は変わらない。
見知った通路。居心地の良い私の『船』。
「ヒュ」
何も変わっていないからこそ、何故か余計に喉が詰まって。
誰も居ない廊下に、寂しさと安堵を同時に覚えて、息が止まる。
ちょっとだけ呼吸ができないと。私は肩をすくめて、歩き出す。
目指す先は、別に無い。
ただ、何の為かも目的すら忘れそうになりながら『恋する相手』を探すために。
◆ ◆ ◆
何処かで、こぽりと水泡が上がる様な、そんな音が聞こえた気がした。
どこから聞こえたのだろうと、後ろをゆっくり降りかえろうとしたら、先に、誰かの暖かな手に淡く握られていた。
「どうしたの、ムラサ?」
心から此方を案じているみたいな、心配そうな顔と声。
―――嘘だ。
瞬間的に、ざわりと不快感を覚えた。
邪魔だ。
うるさい。
鬱陶しい。
だってお前は、私を嫌いなんだろ、ぅ……、……?
……ッ?!
「い、いちりん?」
「え、ええ、どうしたのムラサ?」
ハッとした私の目の前には、いつもと変わらぬ一輪の姿。
いつの間にか少女から女性へと、育っていく過程に入り、見守り続けた、小さい頃からずっと一緒に居て、誰よりも知っていると胸を張って言える、その存在があって。
「ッ」
いつのまにか離れの縁側に、今にも雨が降りそうな黒い曇天を、庭先の緑がいまかいまかと待っている、雨降り前の瑞々しい光景。そして、心配そうな一輪が、血で黒く変色したセーラーを見て、更に息を詰まらせていて。
何、これ? 私は、いつの間に此処に?
我を、失っていた……?
愕然として、マジマジと一輪を見る。
幸い、一輪は今の私の危うい状態が分かっていないらしく、ただ具合が悪いのかと心配して寄り添ってくれている。
そんな彼女を『嘘つき』だと、疑った自分。
心からゾッとして、一輪から距離をとろうとしたら、一輪が予想していたのか、その分の距離を間髪いれずにつめてきた。
「ちょ…っ」
「ムラサ、具合が悪いのよね? 最初は庭を眺めているだけかと思ったら、ひたすらぼんやりと立ちつくしているんですもの」
「……ぅ」
もう、と怒った様に。
だけれど本心は怒ってなんかいない。ただ調子が悪い私を、純粋に心配して、理由が分からずとも、こうやって声をかけ、優しく触れて、何とか元気づけ様としてくれる。昔と変わらない、優しく思いやりに溢れた彼女の行動理由。
そんな一輪を、私は……ッ。
苦いモノが昇ってきて、我慢できずに顔を歪めると、ますます一輪は顔を曇らせる。
「……あ、あのムラサ? もしかして、やっぱり。この前は、やりすぎちゃった?」
ショックのあまり声のでない私に、一輪が心配そうに顔を覗き込み、それからわたわたと両手を動かして、三日前の事だろう。それを弁明しようと、必死な顔になる。
「い、痛かった、わよね。怒ってる、よね? あの後、星の弁解で誤解って分かったんだけれど、流石に、あの。……謝るにはやりすぎちゃって。寝込んじゃったのにお見舞いに行けなくて、ごめんなさい」
「……」
「でも、ご飯は心を込めて、って、関係ないわよね。姐さんにも手間をかけさせてしまったし。でも、お食事の用意を、他の面々に任せるのは、その、不安が……」
「……」
……って、あれ?
食事?
私、三日間、何も食べてない気がするんだけれど。
いや、食べなくても問題ないから、気にしてなかったけれど。
「ムラサ?」
「あ、うん。何でもない」
「でも……」
「平気、気にしないで」
三日。
その時間が流れていたと確かな感覚はあるのに、聖が食事を運んできてくれた事に気付かなかった? 覚えていない?
そんな事ってあるのか?
尚も心配そうに手を伸ばす一輪の手首を握りながら、だんだんと自分というものにすら自信がもてなくなって。
本当にこのまま『船長』という自分を、一時的にとはいえ、置いてきていいのかと不安になる。
でも、確かに。パルスィが言っていた、好きな人を見つけるにも、今は『それ』は邪魔でしかなくて。
切り替え、の問題で解決もしそうだけれど、私はすぐに安易な方向に逃げてしまうから、やはり『船長』を、この探している時期に持ち出すのは得策じゃないと、心苦しくなりながらも首を振る。
変になる前に、こうなったら、私が私自身が好きだと思える人を、早く見つけよう。
もう、それしか無い。
「ムラサ、痛い、のだけれど……」
「……ぁ。……え?」
思考が切れたタイミングを見計らったかの様な、
一輪の掠れた声。ハッとして顔を上げると、目の前に、赤い顔の、痛みを堪える女性の顔があって。
「ッ」
派手さの無い服装からでも滲み出る、香り立つ仕草と表情。抱きしめたら柔らかそうな肢体、あの小さな少女は、そうだ。こんなにも愛らしく成長し、そっと細められ潤んだ瞳の奥に映る、自分の、その間抜け面を唖然と見つめた。
「――――」
一瞬、彼女が誰なのか分からなくなった。
雲居一輪は。こういう顔をしていた?
こんな、かわ、いい―――
「………」
「ムラサ、ちょっと、ムラサってば」
「………」
「もしかして、本当に調子悪いの? あの、まだ本調子じゃないなら、休んだ方がいいわよ。私、今度はちゃんと付き添うから」
ッ!
ちがう、いやちがわない。
でも、ちがうんだってば!
一輪は、い、一輪ちゃんは。
もっと、小さくて、優しいけれど、こんな表情を出したりしなくて。
ただ、優しい子で。
こんな、良い香りがしそうな、強くかき抱けば、折れてしまいそうな、感じ、じゃ―――
「い、一輪」
「な、なぁにムラサ?」
戸惑いながら、うすらと開かれる赤い唇。
紅をひいてもいないだろうに、それは、艶かしいと。
「…………ご、ごめん、何でもない」
「でも……」
「いいから……!」
心臓が、はち切れそうだ。
動きもしないそれが、ひたすら切なく喚いている。
何てことだ。
どうしてだ。
―――私は、妹として大切にしていた存在に今、誤魔化し様のない『女』を感じてしまった。
自分の性別すら曖昧になる。
くらくらして、心配する一輪の顔を、もうまともに見られない。
「……ムラサ」
「ごめん。本当に何でもない。……ちょっと、一人にしてくれないかな?」
「……う、うん」
こう言えば、一輪はもう私に構わないだろう。
私というモノを知っているからこそ、彼女は引き際と線引きをわきまえている。そういう所にほっとして、だから……油断をしていた。
「じゃあ、気分がよくなったら、ちゃんと、顔を見せてね」
そう言って、うっすら赤に染まった顔が目の前に。
カラン、と。手にしていた柄杓を、あろうことか落とした。
暖かい感触。
もう何度も何度も、忘れるぐらいに『し』ていた、あの感触。
だけれど、今は状況が違う。
「ん」
鼻から抜ける息がくすぐったい。
耳をくすぐる声が艶っぽい。
触れるそれが柔らかい。
弾力が、少し動けば戻ってきた。
なんでなんでなんで?!
「じゃあ、また後でね、ムラサ」
「――――」
唇をそっと抑えて、一輪は少し困った様に微笑んで、これ以上は駄目だろうと、去っていく。
その背中を見つめながら、自分の顔に触れると。それは僅かにも動いていなかった。
無表情。
だけれど、内面はとんでもないぐらいに荒々しくなっている。
キス。
一輪から、私に。
好意がないとできない、行為。
人工呼吸。
好意はあるけれど、意図はない行為。
どっち?
いや、どっちとかあるの?
考えが、まとまらない。
ぐらぐらと頭の中がゆだっている。
唇がまだ温かい。
私は、
「見たよ」
ひやり、と、訳も分からず、唐突に腹の奥に氷を詰め込まれたかの様に、感じた。
両肩に、小さな手が置かれて、耳元に寄せられた唇が冷たく響き、振り返る事もできずに、ただ立ち尽くす。
息が、本気で止まるかと思って。
酷い眩暈に襲われた。
だって、その声は。
「相変わらずだね、あんたらは」
私の肩に手を置いたままくるりと回り、とん、っと、目の前に背中をむけて、特徴的な羽を広げている。
なんで? よりによってこいつが?! い、いつから?! どうして?!
頭の中が、先程の疑問と合わさって更にパンクしそうで、混乱が激しくなる。
一歩下がろうとしたら、先ほどの一輪の様に、素早く振り返ったぬえが、つめよってきて、にぃ、っと悪戯を思いついた悪ガキみたいな顔で、笑っている。
馬鹿にされる?
いや、そういえば以前、一輪と口付けていた事を責められた事がある。
じゃあ嫌悪される?
「私ね、ムラサ。あんたが何時間、ここでぼーっとしてるつもりなのかなって、観察してたんだけどさ」
「ッ」
つまり、最初、から? 見ていたって、事?
自分ですら此処に来た理由が分からないのに、ぬえに見つかってしまうなんて……ッ!
焦って、よく分からないけれど、彼女が泣くのではないかと、そんな事を考えた。
「あのさぁ、ムラサ。私知ってるんだけどさ」
「な、なによ」
駄目だ、ぬえに隙を見せたらいけない。だけれど、泣かれるのはもっといけない。
分からない事だらけだけれど、それをしたくないという私の意志だけは確実で、だから、少し強気に、何も気まずい事なんてないのだと、いまだ動揺を消せぬままにぬえと向き合う。
「あんたさ、好きな奴を探しているんでしょ?」
ガツン、と。
動かない心臓を更に、杭で突き刺されたみたいに。
痛みを覚えるぐらいの急所を突かれた感覚。くらりとして、一歩、更に下がった。
「知ってるわよ。私を誰か忘れた? 私はぬえよ。正体不明の私はね、あんたの知らない何かで、あんたの事を知る事ができる」
「……そ、そんなのッ」
「ムラサってガキだガキだと思っていたけれど、まさか好きな奴の一人もできた事ないなんてね。お子ちゃますぎじゃないの?」
その言葉は、劣等感すら覚えかけていた私を刺激した。
カッとして、今までにないぐらい、抑えられないぐらい、ぬえに対して憤った。
「う、うるさいなッ! じゃあぬえには、好きな人いるわけ?!」
「いるよ」
「ッ」
簡潔なぐらいあっさりと。ぬえは言う。
心臓が、また酷く痛んで、ショックを受けた。
ジッとそんな私を嘲笑うみたいに、ぬえは私の目をまっすぐに見据えて、ニヤリと笑う。
「すっごい好きな奴、いるよ。そいつの為なら何でもできて、そいつが望むなら何でもやっちゃいそうで、そいつがあんまりださいから、何とかしてやりたいって思える奴。むかつくし、最悪だし、女心とか全然分かってなくて、不器用で、へなちょこで、へたれで、変な所でタイミングが良い、弱虫がね」
「………へ、へぇ」
何だろう。
何故か本当に、酷くショックで、声が沈んで濁った。
ぬえにも、そういう相手がいるんだ。……なのに私は。
こんなにも最初でつまずいて、すでに疲れ果てている。
「……っていうかさ、ムラサは恋心って、どういうものか知ってるの?」
「……うるさいな」
「知らないんだ」
「……」
そうだ、なんて素直に言えなくて。
いつもの私ならきっと『私は船長ですから、聖の為にならない事に興味ないんです』なんて平気な顔で笑いながら誤魔化していただろうに。それができない。
それだけの事が酷く苦しくて、言葉がでなくて、ぱくぱくと金魚の様にただ、口のみを動かした。
「……ムラサさ、好きな人を作るって事、ちゃんと意味分かってる」
「な、なにが……」
「特別ができるって事なんだよ。自分にとって、事と次第によっては、自分以上に大切な存在を、作るって事なんだよ」
「…………」
「ほら、考えもしてなかったって顔。……中途半端なんだよ、ムラサは」
「ッ!?」
じわりと、目頭が熱い。
痛い。
痛くて、本当に、ずきずきする。
自分の駄目さが明るみになりすぎて、それを見ているのが油断ならないぬえで、ぬえにこういう事を言われてしまう自分が、酷く情けなくて、悲しかった。
泣いてしまいそうになるのだけは、必死に止めた。
「―――しょうがないな」
「……っ」
「泣き虫ムラサ、あんたとの付き合いは長いし、さ。悪戯とか抜きで、特別大サービス」
「……?」
声を出したら泣いてしまいそうで、無言で睨むと、ぬえは、何だか変な顔で笑う。
「駄目でしょうがないムラサの、それ。――――手伝ってあげる」
「?」
「あんたの好きな人、一緒に探してあげる」
は?
と、口に出さない私の顔から、言いたい事を正確に読んで、ぬえは。
にやにやといつもの顔に戻って。
「一輪なんかにちゅーされたぐらいで、泣きそうな顔しちゃってさぁ、一輪にもばればれだっての。そんなあんたが、一人で好きな人なんて、見つけられる訳ないでしょ? ただでさえ、いつにもましてぼーっとして危なっかしいのなんの」
「…ぐっ」
「あんたがそんな調子だと、私がつまらないからね」
最後に、堂々と本音を言って、絶対に面白そうだからって理由だと思いながらも、その申し出の魅力が分からない私ではなくて、むしろ助かって。
でも、それをぬえに言うのは凄く複雑で、むしろちょっと嫌で。
だけれど。
今の申し出は、ぬえの、善意だと思うのだ。
「……」
だから、長い沈黙の後。私は息を吸って、泣きそうな声も整えて、辛抱強く待っていてくれたぬえに、ちゃんと向き直る。
「お、っ」
「ん~? 何よムラサ?」
「そ、その。……お、お願いして、いい?!」
「何を~?」
「くっ、す、す」
「うんうん」
「わ、私の―――す、好きな人を、探す手伝いッ!」
叫んで、あまりの恥ずかしさと惨めさに、体がぶるぶる震えている。
きっと船長の私は、恥ずかしげも無くぬえの珍しい親切に、頭を下げて優雅にありがとうって、言えるのに。なんで私はこんななんだろうって、また泣きそうになって。
でも馬鹿にされるからって、必死に堪える。
「……ま、しょうがないからね」
ぬえが呆れるみたいに、私を見て、隠し切れないにやにやで、暫く退屈しなそうって顔で、私の肩をとんって叩く。
「じゃあ、頑張りますか」
「…………う、うん」
「よろしくお願いします、ぐらい言えっての」
「……お、お願いします」
「よろしい」
項垂れて歯軋りしそうな私に、ぬえは笑って。
「あぁ、そうだ」
なんて。ひょいと顔を寄せてきた。
「へ?」
「そうだね。無償でなんてのも嫌だし、お礼はこれでいいよ」
チュッ。
「えぇッ!?」
慌てて、何をされたかとか理解するよりも先に飛びのいて、頬を押さえると。ぬえがキシシと笑いながら、んべっと舌を出す。
「本当に、初心だねムラサ、これぐらい慣れてないと、いざ好きな人ができたら苦労するよぉ?」
「なっ、なっ、なっ?!」
「んじゃあ、私は今日は忙しいから、本格的に付き合うのは明日からって事で」
「って、ちょ?!」
「んじゃね~」
「ま、待ってよ、こら! か、勝手なッ!」
ほっぺを押さえたまま動けない私は、素早いぬえを追いかけて、尚且つ見つけるなんて事できなくて、っていうか、今更だけれど、一輪にキスされた時から、腰が抜けかけてぐらぐらなのだ。
『情けない』って心の中で延々と呪詛の様に繰り返しながら、私は誰もいなくなったこの場所で、ようやく我慢していた涙を、少しだけ零して。
ポタポタ、畳を濡らしてしまう。
「……ッ!」
なんだ、なんなんだあいつ!
真剣なのに、私をからかって、そんなに楽しいのか!?
嫌な事ばかり言って、手伝ってくれるのだって、きっと裏があるんだ!
だけれど、その申し出を断れない、何も分からないし、知らない自分がもっと嫌で。
ぶんぶんと首を振る。
「……ぬえなんか、大嫌いだッ」
口をついた言葉は、何故か自分にも痛くて。
でも、少しだけすっきりして。
あぁ、私はそういえば、こんな台詞すら、船長らしくないって、内に溜めてたんだっけ。
だから、すっと息を吸って、私は私が思うことを、また、口に出す。
「だいきらい……!」
声は、今にも雨が降りそうな雲に吸い込まれてしまったみたいに、すぐに消えて。
ぽつりと。本当に雨が降ってきてしまった。心が更に沈んで、落ち着かなくて苦しかった。
だから、その暗い気持ちを吐き出すみたいに、八つ当たりみたいに、また心の中で呟く。
大ッ嫌い……!
って。
しかし、業が深過ぎるムラサの恋人探しは難航しそうだなぁ
夏星先生の次回作にご期待下さい
こういう事ですな
これからはじまる本編も楽しみにしてますよー
きっとすごく大変だと思うけど頑張って欲しい。
がんばれ、村紗水蜜。