朝起きたら、頭に立派な狸の耳が、尻からは茶色と黒のストライプの狸のしっぽが生えていた。
頭に違和感を感じて、鏡の前に立ってみれば、この有り様である。
「なんなのよこれはぁ~!!」
朝のマーガトロイド邸と、その周辺の森に、家主の絶叫が響き渡った。
はたして、誰の仕業なのだろうか。
知らない内にあの白黒に何か変なものを盛られたか、それとも動かない図書館の悪戯か、あるいは
「はぁい、おはよう、アリス」
胡散臭く、人をおちょくるのが生きがいの悪趣味な隙間妖怪(と、アリスは思っている)の仕業か。
普段は一日の半分を寝て過ごしてる怠惰な隙間妖怪が、朝っぱらから家に来たということは、やはり、この隙間妖怪の仕業なのだろう。
「紫、この耳としっぽはあんたの仕業なの?」
アリスが問い詰めると紫は不敵な笑みを浮かべる。この時点でアリスはこいつの仕業だと確信した、この顔は自分の仕事振りに誇りを感じている顔だ。
「そうです、貴女を私の式神にしました」
しました、じゃないわ、とばかりにアリスは声を荒げる。
「なんてことをするのよ、何が目的よ!?」
アリスが問い詰めると、紫は妖絶な笑みを浮かべる。そして、アリスの顎に手をかけて、自分の方を向かせると、顔を近づける。
「そ・れ・は、貴女を私の側に置いておきたいからです」
「はぁ!?」
わけが分からない、私を側に置いておきたい?困惑するアリスを置き去りに紫は独り言のようにボヤく。
「それにしても、迷ったのですよ、どんな式をつけるか。猫も捨てがたかったのですが、橙とかぶってしまいますし、狗はやはり二人一組でしょうし」
「それなら、まだ狗のほうがよかったわよ」
狗と言う単語に反応して、アリスが返す。
「ほぅ、何故?」
「狗ならあんたに噛みつけるわ」
「あらやだ怖い。ゆかりん、痛いのは嫌いですわ」
紫は肩を抱き、大仰に怖がる振りをしてみせる。
それはアリスを挑発するのに十分だったのか、アリスの顔に青筋が立つ。
「なんかムカつく、噛みついてやるわ、狗じゃないけど」
アリスは紫を押し倒して、組みふせる。
その顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
「きゃ~、飼い犬ならぬ、飼い狸に噛みつかれるわぁ」
わざとらしい台詞を吐く紫に、アリスはひと思いにガブリと噛みついてやった。
「ひどいですぅ~」
思いのほか痛かったのか、涙目で紅茶をすすりながら紫が言う。頭から血が流れてるように見えるが、まあ、気のせいだろう。
自業自得とは言え、噛みついたのはやりすぎたかもしれないし、はしたなかったかもしれない。そんなことを思いながらアリスも紅茶を一口すすった。
「で、私に何をさせたいのよ、式神なんかつかせて」
頭痛がしているかのように、頭を軽く押さえて、ため息を吐きながらアリスが問う。
「だから、貴女を私の側に置いておきたいのですよ。つまり、うちで住み込みで働いてもらいたいの」
「家政婦でもやれと、それならあの九尾で足りてるんじゃないのかしら」
「それはそうなんですけど」
ずず、と椅子と床が擦れる音がすると、紫が椅子から立ち上がる。そして、アリスの側に来ると、アリスを抱き寄せる。
「かわいいかわいいアリスがうちで働いてくれるって、素敵じゃないかしら?」
紫はアリスの顔を見据える。そこにはいつもの胡散臭さはなく真剣そのもの。紫のそんな顔を知らないアリスは面食らって、黙り込んでしまう。
少しの沈黙の後、紫のほうが焦れたのか、今度はしゃがみこむと上目づかいでアリスを見上げる。
「ねえ、うちで住み込みで働いてくれないかしら?ゆかりんのお願い」
上目づかいで瞳をうるうるさせる様は、まるで捨てられた子犬のようだ。
「そんな目で私を見ないでちょうだい!」
そんな紫にちょっと心が揺れてしまったアリスは、それを否定したくて、つい大声を上げてしまう。
「じゃあ、うちに来てくれるわね」
「…うー、分かったわよ。どうせ、あんたの言うとおりにしないと、式もはずしてくれないんでしょ」
押しに弱く、強く断れない自分に、アリスはため息を吐くしかなかった。
古びた日本家屋、それが八雲紫の住居だ。
幻想郷でも紫の住居を知る者は少なく、アリスもここに来るのは初めてのことである。
アリスは紫に言われるまま、替えの衣類を何着かスーツケースに詰めると、隙間をくぐり、紫の家に入る。
替えの衣類を持ってこい、と言うあたり、紫は数日はアリスに式をさせるつもりなのだろう。
「おかえりなさいませ、紫様。それと、アリスはようこそ?」
玄関へ降り立つと藍が出迎えてくれる。
「ただいま、藍」
「お邪魔するわ」
「藍、アリスを部屋に案内してあげなさい。それと、アリスには部屋に荷物を置いたら、藍と一緒に今日の宴会に持っていく料理の準備をしてもらうわ」
紫は靴を脱いで、家に上がると、指示を出す。
「かしこまりました。アリス、こっちだ」
部屋に荷物を置くと、アリスは藍と一緒にお重を倉庫から引っ張り出し、藍に先導されながら廊下を歩く。
「あんたも、よくまあ、あんなご主人様についていけるわね」
半ば無理やりここで働かされてる、とアリスは思っているせいか、不満が口から漏れる。
「確かに、無理やりお前は連れて来られたから、不満の一つや二つは吐きたくなるだろうな」
同情するように藍が言う。
「そうよ、勝手に人に式神なんてつけて」
アリスは愚痴を続ける。
「だが、お前は本当に嫌だと、思っているのか?」
藍は足を止めて、アリスの方へ振りかえると、問う。
藍の問いに、アリスは嫌に決まっている、と返そうとするが
「はぁ、そりゃ嫌に…」
「いいや、お前は本心から嫌がってはいない」
それをさえぎるように藍が言う。
「本当に嫌ならお前はそもそもここにはいないはずだ。紫様は他人の嫌がることを本気で強要するような方ではないことは、お前も分かっているだろう?」
紫は悪戯好きではあるが、悪戯で済むことと済まないことの線引きはしっかり行っている、そのことはアリスもよく分かっている。
先ほどの愚痴も、本心では嫌がっていないことをごまかしたいがためのものであることも。
「それにな、アリス。お前は紫様は胡散臭く、不真面目な奴だと思っているのだろうが、私の知るあのお方は常に真剣だよ。常に真剣に幻想郷、そこに住む人間と妖怪のことを考えて行動しておられる。だからこそ、私はあのお方をお慕いしている」
藍は誇らしげに語る。
「もちろん、アリス。紫様はお前に対しても真剣だ。まあ、紫様もやはり女性であられるから、お前に素直に好きとは言えなくて、お前に式神をつけるなんて手段に及んだのだろうが」
「え?」
何を言っているのだ、この狐は。紫が私のことを?
「紫様はお前が愛おしくてたまらないのさ」
その言葉に、アリスは驚きのあまり呆然として、抱えていたお重を落としてしまい、ガランガランと派手な音が廊下に響いた。
先ほどの藍の言葉が頭から離れない。
宴会に持っていく筑前煮を作りながら、アリスは先ほどの藍の言葉でかき乱された自分の気持ちに整理をつけようと、物思いに耽る。
「アリス、紫様も幽々子様も、薄味の上品な味付けを好んでいらっしゃる」
「え、ああ、わ、分かったわ」
藍に言われて、ハッとするも、すぐにまた物思いに耽ってしまう。
魔法の森にあるアリスの家に訪れるものは、少ない。勝手に上がりこむ隣人の白黒を除けば、紫は最も多い頻度でアリスの家を訪れる。
紫と一緒にお茶を飲んで、会話をする時間は、思えば心地良い時間だったと思う。
外の世界の人形が欲しい、そうボヤくと、次の日には外の世界の人形をプレゼントしてくれた。
あのときは本当に嬉しかった。
それに、魔界からこちらに移り住んだ時にも、色々世話を焼いてくれたのも紫だ。
紫がいなかったら、私はそもそもこの幻想郷でやっていけたのだろうか?
私の側にはいつも、紫がいてくれた気がする。
「アリス、少し味見をさせてもらうよ」
「え、あ、うん」
藍は筑前煮の煮汁を小皿にすくって、一口飲む。
「いい味だ、これなら紫様も喜ばれるだろう」
紫が喜んでくれる、アリスにはそれがとても嬉しいことに思えた。
ああ、そうか、私もきっと紫のことが…。
博麗神社に着くと、いきなり白黒とはち合わせた。
頭の狸耳や、しっぽを腹を抱えて笑いやがったので、グリモワールの角で殴っておいた。
いつもは霊夢や魔理沙と一緒に飲むのだが、今日は紫や幽々子と同席する。
「どうぞ」
紫の盃に酒を注ぐ。
「あら、気が利くわね、アリス」
「ええ、今は貴女の式神ですから」
アリスが誇らしげにそう言うと紫はキョトンとする。
「朝は噛みついて来たのに」
「言わないでよ」
正直、あれははしたなかった、と思っていたので、蒸し返されてアリスは恥ずかしい気持ちになる。
「クスクス、貴女達、仲いいのね」
幽々子が着物の袖で口元を隠して、クスクスと笑いながら、からかってくる。
「ええ、そうよ」
負けじと、紫もアリスを抱き寄せて、その豊満な胸に顔を埋めさせる。
「うむぅ、ちょ、ちょっと、紫、く、苦しいってば」
息苦しいのも事実だが、それ以上に顔から火が出るくらい恥ずかしいくて、じたばたするが、紫はそれを許さないとでも言うかのように、アリスを強く抱きしめる。
密着した身体から、トクン、トクン、と鼓動が伝わる。
きっと紫はいつもの胡散臭い笑みを浮かべたままだから、周囲には冗談をやっているように見えるのだろうが、アリスに伝わる紫の鼓動が戯れではないことをアリスに伝える。
アリスと紫は自分たちだけの世界を共有している気がして、なんとなく嬉しく思えてしまう。
時間にして見れば数十秒、二人にとってはそれ以上に長い時間の後、ようやく紫はアリスを解放する。しかし、紫の体温の残滓は、紫と離れてもなおアリスの胸をドキドキさせ、身体を熱くさせる。
アリスはどうにかそれらを落ちつかせたくて、風に当ろうと、宴席を抜け出した。
博麗神社の縁側、宴会でにぎわう境内とはまるで対称的に静かなそこにアリスは一人腰かけて佇む。
冬の夜風は寒いが、それが却って身体の熱を冷ましてくれて、気持ちいい。
「あーりーす」
名前を呼ばれて、声がした方を向くと、一升瓶と、杯を二つ手に持った紫が、アリスの方へと歩み寄ってくる。
「はい。一緒に飲みましょ」
紫はアリスの隣に座ると、杯に酒を注ぎ、アリスに差し出す。
「ありがと…」
礼を言いながら、アリスは杯を受け取る。
一口、口に含むと口の中に酒の風味がじんわりと広がる。
「ねえ、紫。紫は、私のこと…好き…なのよね?」
今ここには、アリスと紫だけ。だからこそ、アリスは唐突に切り出す。
「ええ、それはもちろんですわ。私は貴女のことが愛おしいのです」
紫はアリスの肩に手を回し、抱き寄せながら言う。
「どうして、私のことが好きなの?」
アリスがそう聞くと、紫は真剣な顔つきで語り始める。
「一目惚れ、かしら。初めて貴女を見たとき、恋に落ちました」
「そうなの?」
アリスは意外だと思った。誰かを理由もなしに好きになれるものだろうか。
「理由もなしに誰かを好きになる、て言うと貴女には信じられないかもしれませんね。でも、恋は私の得意とする数学や、貴女の得意とする魔法とは違う。理屈なのではないのだ、と私は思っています」
紫の真剣なまなざしに、再びアリスの胸が高鳴る。
「アリス、貴女は私のことは、その、好き、かしら?」
紫の顔が朱に染まて、もじもじしながら聞いてくる。
今まで見たこともない、そんな紫の表情や仕草にアリスはドキッ、としてしまう。
「私も、紫のことが、好き。でも、私の好きは理屈まみれだわ」
生来、臆病なところのあるアリスは、自分を納得させる理由もなしに、一歩踏み出せないところがあるのだ。
誇らしげに自分のことを好きだと言ってくれた紫に、申し訳なさを感じてしまう。
「でも、信じて欲しい。私が貴女のことを好き、てことは」
自分の気持ちに嘘はない、それを信じて欲しくて、アリスは紫にすがるように抱きつく。
「もちろんですわ。貴女が私を好きでいてくれる、その事実だけでいいのです」
紫は何も咎めることもなく、アリスを抱き返す。
二人きりの縁側、気持ちを伝えあって、抱き合う二人を月明かりが祝福するように照らした。
宴会も終わり、アリスは片づけの手伝い、紫は酔い潰れた面々を隙間で各々の住み処まで送る。
後始末も終わると、ただっ広い境内で、紫と二人っきりになる。
「アリス、式神をはずしてあげるわね」
紫が唐突に言う。
「本当は数日くらいうちで式神してもらおうと思ったのですけど。貴女と恋仲になれたことですし、式として側に置いておかずとも、気兼ねなく会いに行けますから」
「貴女が私に気兼ねしたことあるのかしら」
唐突に隙間から人の家に現れる、勝手に人に式神をつけると言った行動はこの妖怪にとっては気兼ねしている、に入るのか。
「手厳しいツッコミですわ」
クスクスと笑う紫。それにつられてアリスもフフ、と笑ってしまう。
「うちに置いてある荷物は、明日貴女の家に行くときに一緒に持って行くわ」
「ん」
明日会う約束。なんとも甘美なことか。
「それじゃ、式をはずすわね」
紫が式をはずす呪文を唱えると、狸の耳としっぽがなくなる。
紫がアリスにつけた式神は消えた、しかし、アリスの心につけた式神はこれから先ずっと消えることはない、だから。
「紫、目をつぶってよ」
紫は言われるままに、目をつぶる。
アリスは背伸びをすると、紫の唇に自分の唇を重ねた。
楽しく読ませていただきました
わかっているじゃないか。
次回作も期待してますぜ
紫ちょっと来い!
GJだ!
とにかくGJ