Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

朽ち果てて

2008/08/19 11:44:11
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注意:グロ





 ◆◇◆◇◆



 脳髄から麻薬が染み出すのが途切れると、全身が激しい痛みを訴え始めた。

 全身といっても、神経が生きている部分は僅かしかない。
 単に「生きている部分」というだけなら、地面の腐葉土と同化していない部分まで含めるともう少し多い。しかし、それらを全部こね合わせても、元の体の何割になるだろうか。
 飢え渇きを感じる事もとうの昔に不可能になったはずなのに、彼女・ミスティアの中からは何物かも分からない欲求が湧き上がってくる。

 歌いたい?
 望むことは意味を為さないし、そもそもそんな願望が湧くはずがない。何故なら彼女はいつでも歌えるし、それゆえいつでも歌っているのだから。

 しかし、今は彼女は歌っていない。
 いつでも歌っているという言明と、今のミスティアの状態は明らかに矛盾している。
 これは恐らく、眠りの最初の方に見る夢のようなものだ。生き物は一回の睡眠で4度か5度は夢を見るらしいが、そのうち覚えているのは最後の一つくらいで、残りは記憶から綺麗に消えてしまうという。これは外の人間が機械を使って調べた知識が幻想郷に流れてきたもので、そんな機械が発明されるまでの有史幾千年の間、人類はこの事実を誰一人として知らずにいた。それこそ星の数を超えかねないほどの夢を、皆で見て来たにもかかわらず、この夢の時間は存在しないのと変わらない時間であったのだ。
 今のミスティアもその夢の中にいるのと同じで、今という時間は時が経てば忘却の彼方へと追い遣られてしまう。従って、今は存在しない時間なのである。

 では、存在しないはずの時間は、一体なぜこうも彼女を蝕むのか。



「あらあら、こんな所に腐乱死体が落ちているわ」
 するはずのない声だと思った。
「今の貴女の姿を人間が見たら、その人間は胃の中身をぶちまけて、腸の中身もぶちまけて、しまいには体に詰まったモノを全てぶちまけて死んでしまうでしょう。それほど酷いわよ、貴女」
 記憶を掘り返し、ミスティアは諒解した。
 あれは、するはずのない声ではない。
 八雲紫。
 ミスティアが生を受けた時から、あるいはその遥か以前から、どういう原理か分からないが、全く変わらないあり方であり続けるナニモノかだ。
「まあ、昔から悪趣味なデザインの翼を生やしてたし、ある意味では貴女らしい『なれのはて』なのかもしれないわね」
 悪趣味。よく言う。
 今の彼女の、落ちている死体もどきに向かって話しかけるという行為よりも悪趣味なものは、そう簡単には思いつかない。
「お久しぶり。その様子を見るに、ずいぶんと元気をしていたようね。昔の知己のその後を知りたいかしら。大抵は死んでしまったか、消えてしまったか、去ってしまったかだけど」
 正直、あまり興味がない。
 しかし八雲紫は、ミスティアが彼女を知覚したらしいのを良い事に、さらにしげしげとミスティアの身体を眺め回した。

 八雲紫の目的は何か。ついにミスティアを退治しに来たというのなら、少し困る。
 ミスティアはこれでも、毎日が楽しくて仕方がないのだから。
 向こうはそんな思考を見透かしたように口を開いた。
「大丈夫。退治なんて無駄な事はしないわ。それで守られる人間がいないのだし」
 ニンゲン。酷く久しぶりに聞く響きだ。

「気の遠くなるような時が流れてその果てに、貴女が手に入れたその力。すなわちその歌。それは耳から聞こえる声なのかも知れないし、耳を通さなくても精神に働きかける声なのかもしれない。両者を区別する手立ては無いわね。聞いたという事は、その人間は既に狂い死にしているっていう事なんだから」

 気の遠くなるような時というのは、どれくらいの長さの時間であろうか。三歩歩いただけで過去の事を忘却してしまうミスティアがいくら時を過ごしたところで、気が遠くなったりはしようがないのだが。

「効果範囲は極大、範囲外の人間にも潜在意識レベルで負荷を掛ける。だから、貴女のせいなのでしょうね。今の幻想郷に、人が住まなくなったのは」

 ミスティアは、人間という単語を久しく聞かなかった理由を諒解した。あるいは思い出した。



 星霜を数えた果ての幻想郷。
 何もかもがすっかり変わってしまった。



 そんな幻想郷を見回す、という意味でだろうか、森で景色など見えないのに、大袈裟な身振りでぐるりと一周回る仕草をした後で、八雲紫はくすりと笑った。

「冗談よ。貴女一人の力でどうにかなってしまう程、幻想はヤワじゃないわ。まあ、こうなってしまった理由は、それよりももっと下らないモノなのだけどね」

 どこに笑い所があるのかよく分からない冗談だ。強いて言えば、死体もどきに向かって笑顔で冗談、というそれ自体が一種の冗談なのかもしれない。というかこの女、普通の生き物といる時より活き活きと喋っている気がする。

「そう、大結界が張られた頃には、外の世界は大きな転換期を迎えていた。今まであったモノが全部嘘になって、違う世界が始まろうとしていた。そんな状況の下で『外で忘れられたものが流れ着く』というシステムを作れば、嘘になった元々の世界が丸々こちらに流れ込んで来て、外とは真逆の価値観がまかり通る場所の出来上がり」

 今度は大袈裟な身振りを交え、聞いていない事を語り出した。
 
「信じられないほど上手く機能したわ。けれども、これは事情が特殊だったからで、『外で忘れられたものを取り込んでいけば、外と真逆の理想郷が出来る』っていうロジックは、一般には成立しないのよ。住人たちはそれを理解していなかった。私は分かっていたけど、形ばかりの民主主義で、『妖怪の賢者サマ』達に任せてみた訳ね」

 あいかわらず趣旨がさっぱり分からない。
 最後の部分は、もう強がりのようにすら聞こえる。
 しかし忘れてはいけないのは、相手があの八雲紫である事だ。
 具体的には、彼女は当時からネクロファンタジアなどと嘯いて、こっそり外と繋がりを持っていたりもしていた。

「思えば幻想郷が一番栄えていたのは、結界で隔離されて百年経ったくらいの時。その頃の博麗の巫女はたしか……霊夢だったかしら。うん、霊夢ね。懐かしい」

 よく覚えていると思う。今はもういない博麗の巫女だが、絶えるまで百に近い代を重ねたのだ。その中の一人を特定して顔を思い出すのは容易ではない。巫女、みこ、レイム、何やらミスティアにも良くない思い出が幾つかある気がするが、気のせいであって欲しい。
 そういえばさっき、当時木っ端妖怪に過ぎなかったミスティアの容姿を八雲紫はちゃんと覚えていたが、今思えば同様に凄い事だ。

「ま、そこからは、私たちが外と袂を分かつために切り捨てた、テクノロジーやら合理主義やらの産物も、後から後から幻想郷に入ってきた訳ね。もちろんそれは外では一線を退いた物たちだけど、ロートル同士仲良くやりましょうなんて話になる訳もなく、そういった物に押し出されて、幻想郷からも姿を消す者たちがちらほらと出て来た」

 直接的に、外から来たものにどうこうされた者は、それほどなかったと思う。どちらかと言えば、こんな郷を見限って去っていった者たちの方が多かった。地獄や地下、天界に冥界と、当時は行くべき場所もそれなりに有った。
 しかし、あれらの世界はまだ存在しているのだろうか。
 もう、信じる者など誰もいないのに。

「エルゴード性……って言っても分からないか。とにかく、時の流れは全てを均一化する。二つの世界の差異はだんだん小さくなっていって、千年が経った頃には、幻想郷は『外から百年遅れて、同じ歴史を辿る世界』になり果ててしまった、と」
 昔の流行り言葉で言えば、「グダグダになった」ってところかしらね。
 言って彼女は、木々の間から遠景を見通した……のだろうか。それが出来たとしたらそこには、今はもういない人間たちが築いたビル群が、空しくそびえ立っているはずだ。

 幻想郷は全てを受け入れる。それはそれは、残酷な話だ。



 ここに来た八雲紫の目的が、ミスティアにも朧げながら分かってきた。

 彼女は世間話をしに来たのだ。だから、意味も無いのに世の中の事をただ話す。そしてその中にときどき、話し手自身の近況が混ざったりもする。
 話し手からすれば一番言いたい事であり、わざわざ話をしに来た一番の目的である。一方聞き手にとっては他の事柄と同様に、どうでもいい世間の出来事の一つだ。

「幻想郷、終わりにする事にしました」

 ダイエットを始めてみたわ。鉢植えを一つ増やしてみたの。そんな調子で八雲紫は言った。
「こんな状態になっても何か別の事に使えるかと思って、今日まで形だけは留めておいたけど、本当にもうおしまい。っていうのもね、私ひさしぶりに、興味がある事が出来ちゃって、外宇宙にひとっ飛びと洒落込もうと思ってるの」
 やはりそれは、ミスティアにとって興味も関心も湧いてこない話であった。
「前途を祝したりは、してくれないのね。つれないわ。貴女が、最後に残った知人だっていうのに」
 八雲紫はミスティアの顔、と呼ぶには崩れが激しいがとにかくその辺りの部位に、ずいと鼻を寄せた。
 ミスティアはそこで初めて、彼女がほのかに酒の気を帯びている事を知った。
 さもありなん。
 色々なものが、一気にくだらなく感じた。
「ねえ、一緒について来ない? その辺に散らかってる貴女の身体をこね合わせて、私の式で補強すれば、ちょっと不恰好だけど、一応それなりの式神には――」
 もう、言葉は耳に入らない。
 身体の奥底から、渇きとは違うものが湧き上がってくるのを感じた。
 時間だ。
 醒めよう。



「――」



 ミスティアの喉から、わずかに息が漏れた。
 かひい、とか、そんな音を立てた。
 それを聞いた紫の眼が見開かれる。

「そう、ね」

 腐りかけた声帯、変色した舌は、紫に何か言おうとした訳ではない。
 朽ち木の中を縫うような気道を通って、穴の空いた胸郭は詰まった泥がかろうじて機能を維持して、いかれた横隔膜によって、苔くさい森の底の空気が吸い上げられる。
 頭蓋は反響板であると同時に蓋だ。大きく音を飛ばしたいなら、色々と開いていた方が都合が良い。
 詞を紡ぐべき脳味噌もかなり欠けているが、なべて問題はない。
 散乱した器官に、大地までもが一つになって。

 歌え。

「ごめんなさい、可愛らしい雀さん。興味のない話を聞かせてしまったわね。あなたはいつまでも、そうあるべきなのだから」

 八雲紫は隙間を開いた。
 しかしそれに身体を全部入れてしまう事はせず、その縁に腰を掛けた。
 彼女が空を飛ぶ時の体勢だ。その姿がふわりと揺らいだかと思えば、次の瞬間その姿は森の上にあった。
 なびく金髪に月明かりが反射して、金属質の輝きを放つ。
 上空は夜風が強いようだ。
 多分彼女は、酔い醒ましの夕涼みがしたかったのだろう。





 ミスティアは終わった世界の片隅で、壊れた蓄音機のように歌い続ける。
 続きのない物語に挿入歌を添えるようにして。

 言葉などには頼らない。
 芸術ではないし、音楽ですらない。
 ただその振動数と、筋肉の動きがもたらす、僅かばかりの快感を求めて歌う。

 彼女は日毎に千の歌を替えて歌う。

 朝日に翼を磨かれて、白い昼光に色を抜かれ、黄昏に輪郭をぼかされて、夜の闇に甘く溶ける。
 そしてまた朝を迎えるために歌う。

 終わった世界が、なお日々を刻んでいくように。

 またあたらしいうたを歌おう。
立原道造の「もし鳥だったなら」を一部引いています。
リコーダー
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コメント



1.名前が無い程度の能力削除
>結界で隔離されて百年経ったくらいの時。その頃の博麗の巫女はたしか……霊夢だったかしら
さすがにそれは無い
2.名前が無い程度の能力削除
>興味がある事が出来ちゃって、外宇宙にひとっ飛びと洒落込もうと
地球人は絶滅するより、その興味の対象になってるほうが似合う。てかなってそう。
3.リコーダー削除
>1の名無しさん
求問史記の「独白」や、花映塚での異変の周期性より、「霊夢の時代=大結界成立から120年」という点は問題ないかと思われるのですが。
指摘されているのは違う点でしょうか。ちょっとよく分かりません。
4.名前が無い程度の能力削除
嫌いじゃない。寧ろ好きな部類です。