レミリアの鬼退治
砕かれた月は、太陽に勝たんとばかりに輝き続ける。
二人の少女が、小さな影を伸ばしあっていた。
「私はあんたの事をよく知ってるよ。 宴会ではいつも我侭ばっかり言ってたわよね。って、宴会じゃなくても我侭言ってたかな? 本当はずっと私の姿を気にしていた。まぁ、かなり細かく分散していたけど……。それでもあんたが動かなかったのは…… 」
鬼は、いきなり、べらべらべらべらと饒舌に、赤ら顔で話しかける。
「何の事を言ってるんだい?」
吸血鬼が、とぼけた。
「本当は別の……特に人間に気付かせたかった」
鬼は、吸血鬼のことばを相手にしないで、勝手に喋り続ける。
「当たり前だ。妖怪退治は人間の仕事なんだから」
と吸血鬼。
「でも、少し不安になってきたんでしょう?」
鬼が、いたずらっ子のように聞く。
「余りにもみんなが鈍いから痺れを切らしてただけ」
吸血鬼が早口に言い、腕を組む。
「嘘。余りにも相手が強大そうに見えたから。人間に任せたら危ないと思ったから!」
鬼が――――事実を突きつけた。
吸血鬼はいつもそうしているように、冷ややかに鬼を睨みつける。
しかし、同じなのは目線の高さだけ。力は、鬼の方が圧倒的過ぎるほどに――――上だろう。
だからこそ私が対峙しなければならないのだと、痺れるような殺気の中で決意するから、吸血鬼は油断なく鬼を観察する。
砕かれた月が、浮いている。
「やる気ね……いや、殺る気、かな、吸血鬼」
鬼は笑みを消した。
吸血鬼は、幼い癖にいやに美しい笑みを零した。
鬼は、瓢箪をぐびりと仰ぐ。口を拭いながら、吸血鬼の笑顔を据わった目つきで見やる。
そして、ひどくうんざりした顔になった。
「そんなにあの人間たちが大事か吸血鬼」
紅い光の槍が、鬼が一瞬前まで立っていたところを射抜いたのちに、ガラスの割れる音とともに砕け散った。
しかし、鬼も、文字通りこまかく砕け散って、霧になっていた。
細かく散った霧が、吸血鬼の背後で鬼を形作る。
吸血鬼は、腕を掴まれた。持ち前の怪力で振りほどこうとしたが、びくともしない。
鬼は吸血鬼をぐるん、ぐるんと遠心力を上手に使って廻してやる。そこらへんの岩の塊がどんどん集まって吸血鬼をごりごりと押しつぶす。
吸血鬼は岩もろとも投げ飛ばされる。地面をごっそりと小さな体で削り取った。
「ははー」
鬼が、笑う。
「弱い弱い、弱すぎるぞー」
仰向けになって胸を激しく上下させている吸血鬼に、嘲笑を投げつける。
吸血鬼の周りにわらわらと蝙蝠が湧き出した。あるじの体を背中から押し上げて、助け起こす。
「いたた……まだまだ、これからこれから」
吸血鬼は、あごに血をしたたらせつつ、微笑む。
「いくわ」
吸血鬼が、消えた。
「ん―――っ?」
鬼の背後に現れた吸血鬼は、背中を思い切り殴りつける。
鬼は、げほっと咳き込みながら、全身を地に叩きつけられた――と認識するより先に腹を蹴り上げられて浮かされた。空中で鬼は、体制を立て直すが、じぶんの鳩尾に吸血鬼の掌が押しつけられていることに気づく。
零距離で吸血鬼の掌から紅い弾幕が、花火がはじけるような音を立てて、散った。
鬼は、米粒に見えるくらい遠くに吹っ飛ばされたものの、――地面に激突する前に体勢を整えた。
けろりとした笑みを見せつける。
「……終わり? 吸血鬼」
と、鬼が、叫んだ。
「これから、よ」
吸血鬼は、胸がふくらむほど息を吸い込み、ゆっくりゆっくりと吐き出す――それを、何度も、何度も、繰り返しはじめた。
鬼は遠くから、面白そうに吸血鬼を眺めて、哂う。おうおう、本気だねえ、と呟く。
吸血鬼の周りに、紅い霧が、漂い始めた。
うううーん、ぞくぞくするわ――――、と萃香は武者震いすると、狂ったほほ笑みを浮かべて、肩を揺すって笑った。
「そうね、これからよね。お楽しみは――――」
吸血鬼。レミリア・スカーレット。夜の王。紅い幼き月。
鬼。伊吹萃香、に敗れる。
「負けたわね。生きてるかしら」
八雲紫が、呟いた。
レミリアは、紫の足元に転がっていた。もう再生能力は残っていないらしく、傷が癒えていない。
「だから、気が進まなかったの。ガチンコ全力バトルになるって分かってたから。あなたと萃香が会えば」
ここは神社の裏庭。
表の庭では、宴会を開いている。騒いでる声が広がったり縮んだりしていた。咲夜の呼ぶ声も聞こえる。
「そうだ、咲夜が呼んでいるんだった」
レミリアは「よいしょ」と立ち上がる。
神社を、数え切れない木々が囲んでいる。
舞い落ちる葉たちが、地に落ちる前にひっくり返ってひっくり返るのを繰り返す。それは、自然に弄ばれる人間のようだった。
いつのまにかレミリアは、屋根の上から紫を見下ろしていた。
紫はそれを見上げて、吸血鬼って、ほんと、インチキ臭い身体能力を持ってるわよねえ、と曖昧な笑みを浮かべる。
「おまえも来なさいよ。ブランデー、あげるから」
「あら、じゃあ頂こうかしら」
紫は楽しそうに言うと、ズブッと、何もないところに指を突っ込み、ぐいと引っ張った。
空間に、割れ目のような「線」が引かれたのだった。その「線」が、にんげんの口みたいにばっくりと開く。
紫はその中に入り込むと、「口」が閉じられた。
「お嬢様、その傷は」
「ああ。神社の裏で弾幕ってたのよ紫と。あんまりにうるさかったからさ、懲らしめてやろうと思って」
心配する咲夜に、笑みと嘘を叩きつけた。
レミリアは、妖夢の腋をくすぐり始めた紫をちらっと見た。妖夢は「やめてくださいようー」嫌がっていた。
「負けたわ。完敗だった」
レミリアは、呟いた。
「そう、ですか……」
「次は殺すわ」
「はい」
咲夜はうなづくと、レミリアにガラスのコップを持たせる。
透明な液体が、そこへつがれていく。
「ん? この酒は?」
「紫がお嬢様にって」
レミリアは、もう一度、紫を見た。
妖夢を、「あひ、ひゃうー。うわあああん」いじっていた。
目線を反らす。
「はあ、旨いじゃないか」
「幻の酒らしいですわ」
「ふうん」
咲夜が「料理を取ってきますね」文字通り消えた。
いれかわりに幽々子が「どろおりぃー」と姿を現した。
「いじられてるわよ、おまえの従者」
「それがあの子の役目なのよ」
幽々子はゆっくりとおしとやかに、レミリアの前にへたりこんだ。
「嘘つけ」
「いやいや」
と幽々子は、得体の知れない笑みを浮かべている。この亡霊は、何を言っているのか、ときどきよくわからない。
「ねえねえ吸血鬼さん」
「ん?」
「どうだったの」
幽々子はにこにこして聴く。
「どうだったって?」
「アレの結果よ」
幽々子は、アレのことをアレという。
「知ってるくせに……私の格好を見れば分かるでしょう」
レミリアはついっと酒を煽る。
「おまえも行ってきたらどうなの、アレ。暇つぶしに」
レミリアの冗談かどうか分からぬ質問に、
「痛そうだからやめとくわ。面倒臭そうだし。第一、今は霊夢がいっているでしょう」
幽々子は楽々と断って、紫のほうを見やった。
紫は「うりうりー」と妖夢の上にのしかかっていた。ちなみに妖夢は1/3死んでいた。
「二対一は、ちょっとねえ」
幽々子は、へらへらと笑う。こいつは、霊夢がいなくなっている、そして何処へ消えたのか――――気づいている。
「あら、そう。でもおまえだったら、結構一人でもイケるんじゃないの?」
「一人でも逝けるわね」
幽々子はとぼけた表情を崩さない。
「あっそ。逝ってらっしゃい」
「既に逝ってるけど」
「じゃあ本題」
レミリアは幽々子に、ほんの少し本気の目をぶつけた。殺意を、少しだけ混ぜた。
緊張した気配が、辺りに噴き出す。
幽々子は、扇子をぱん、と開くと、口元を隠し――目だけで、忌々しく哂った。
尋常ではない気配が、レミリアだけに注ぎ込まれる。周りの連中は気づかない。幽々子の「なんなのかよくわからないが危険な気配」は、全てが、小さな子供の吸血鬼へ。
レミリアの細い肢体が、きしむ。ぎしぎしと、内側から「死」が忍び寄る。
幽々子の姿に紫は、一瞬だけ、妖夢をいじっていた手を止める。
「霊夢がもし負けて、しかもまだ萃香がいたずらする力が残っていたとする」
レミリアは平然と、幽々子に語りかける。幽々子の魂を掻き乱すような禍々しい視線で、楚々と話す。
「ええ」
幽々子がうなずく。
レミリアと、視線が交わる。
破裂するかのような緊張が、二人を中心にして、はちきれんばかりに膨らむ。
「したら、どうなるのかしら――――幻想郷は」
レミリアは運命を探るように言葉を紡ぎ、幽々子の耳へ余すところなく流し込んだ。
「―――。……」
幽々子は、しばらくして、
「 、わね」
「ふん。そうか」
レミリアは、深く聞かなかった。
はちきれんばかりの緊張は、急にしぼんで、消えた。
「ただ」
と幽々子が、薄い唇を開き、酒を注ぎ込む。そして、ほうっと熱い息を零す。
「ただ?」
「その時は、私たち全員で、飛びかかることになるでしょう」
「そう、……ね」
レミリアは、納得したようにうなずく。
辺りを、眺める。
酔っ払ってアリスの髪を引っ張りまわしている魔理沙。紫にいじめられている妖夢。咲夜はパチュリーと楽しそうに何か話している――何を話しているのだろう。
「これだけいれば、なんとかなるでしょう」
幽々子はふにゃりとほほ笑んだ。
「そうね」
レミリアも笑った。
気づくと、いつの間にか、パチュリーがレミリアの後ろに立っていた。相変わらず眠そうな目つきで、そこにいた。
「いきなりびっくりするじゃないの、パチェ」
「豆鉄砲でもつくろうかしら、レミィ」
いきなりパチュリーが舌足らずに言った。
「豆?」
レミリアと幽々子が、パチュリーを困惑したように見つめる。
パチュリーはうなずいた。
「ええ。豆よ。豆符なのよ」
そして、ぽてん、と倒れて眠ってしまった。
霊夢は善戦したが、レミリアと同じくらいあっさりと負けてしまったらしい。
レミリアが、胡散臭そうに霊夢を睨んだ。
「あなたって、ほんとによく分からないわね。それでも人間?」
「生粋の人間ですとも」
「はあ人間ねえ。へー? それで?」
レミリアは苛立たしげにちゃぶ台を何度も指先で叩く。
「それでって何よ……私に突っかかってくれても迷惑よ」
霊夢は、湯飲みの底を、ごつごつごつごつごつ、と、やはりちゃぶ台にぶつけていた。
ちゃぶ台を囲む三人。
伊吹萃香もその一人、だった。べろべろに酔っている。酔っているのに、酒をぐびぐびやるのを止めない。
「なんで私が負けたのに」
と霊夢。
湯飲みを叩きつける音が大きくなる。
「なんで私が負けたのに、萃香の野望が打ち砕かれて、萃香がウチに住み着いたのか、なんていう玉の枝的な難題、私が聞きたいくらいよ!」
霊夢がちゃぶ台をひっぱたく。乾いた音が響いた。
「逆切れすんな!」
レミリアは、ちゃぶ台の端をつかむと、ブーメランのように投げ飛ばした。ちゃぶ台は、開かれた空間――外へ外へ、青空へ、飛んでいく――――箒に乗ってふわふわと、顔が見えないほど遠くを飛んでいる誰かを撃墜した。
萃香の瓢箪は、ちゃぶ台の上に置かれていたので、一緒に飛んでいってしまった。つまり、萃香は、おいちいおいちいお酒はもう、飲めなくなってしまったということである。
「うわーん」
萃香の喚き声が、部屋の空気を震わせる。
レミリアにとって、そんな些細なことはどうでもいい。
霊夢に腹が立つ。
今泣き喚いている鬼と死闘を繰り広げた私は、一体なんだったんだ――――私があんなにてこずった鬼を、あっさり手なずけやがってこの巫女――――しかも負けたくせに――――私は一体何のために戦ったのか?
イライラしたので、ちゃぶ台を放り投げてやったのだ。ちゃぶ台にわざわざ激突した阿呆にも、腹が立つ。その阿呆がいなければ、ちゃぶ台はマヨヒガまで飛んで行っただろうに。そうすれば、霊夢が困って困り抜くだろうに。そうしたら、私の気が済んだのかもしれない、――――と。
「あー? やばいやばい、落ち着け私」
「あー? 落ち着くんなら、ちゃぶ台ほん投げる前に落ち着きなさいよ! なんなのよいきなりあんたは! ちゃぶ台投げるなんてわけわからないわよ! ちゃぶ台はひっくり返すものじゃないの!」
霊夢がレミリアの小さな頭に、ヘッドロックをかました。
「やっぱ、霊夢は面白いわね。本当に、理屈が合わない子」
くすくすと、天井の角から顔だけ出している八雲紫が、ほほ笑んだ。
その紫も、
「デバガメ!」
霊夢の針に頭を突き刺されて、畳に「どちゃ!」というふうに寝転がった。
「結局のところ――巫女あるところに、平和と喧騒あり、と」
気絶する直前に紫が、そう呟いたという。
その隣で萃香が、「瓢箪という聖なる秘宝」を失った悲しさをむせび泣くことで表現していた。
今日も幻想郷には、「平和」と「喧騒」が混ざり合った雰囲気が溶けている。
しずかな「平和」とささやかな「喧騒」が、素敵な「楽園」を作り出し、それを守る「巫女」が生み出される。
いつもの平穏が戻ってきた。
色々気に入らない事があったが、レミリアは、「楽園」を守ってくれた「巫女」に一応感謝していた。ヘッドロックされてるけど。
「楽園? ……どのへんが?」
ちゃぶ台の下敷きになった魔法使いが、ひゅうひゅうと声ならぬ声をしぼり出した。
傍には、なんの変哲もなさそうな瓢箪がころりと寝転がり、酒を吐き出し続けていた。
(めでたしめでたし)
砕かれた月は、太陽に勝たんとばかりに輝き続ける。
二人の少女が、小さな影を伸ばしあっていた。
「私はあんたの事をよく知ってるよ。 宴会ではいつも我侭ばっかり言ってたわよね。って、宴会じゃなくても我侭言ってたかな? 本当はずっと私の姿を気にしていた。まぁ、かなり細かく分散していたけど……。それでもあんたが動かなかったのは…… 」
鬼は、いきなり、べらべらべらべらと饒舌に、赤ら顔で話しかける。
「何の事を言ってるんだい?」
吸血鬼が、とぼけた。
「本当は別の……特に人間に気付かせたかった」
鬼は、吸血鬼のことばを相手にしないで、勝手に喋り続ける。
「当たり前だ。妖怪退治は人間の仕事なんだから」
と吸血鬼。
「でも、少し不安になってきたんでしょう?」
鬼が、いたずらっ子のように聞く。
「余りにもみんなが鈍いから痺れを切らしてただけ」
吸血鬼が早口に言い、腕を組む。
「嘘。余りにも相手が強大そうに見えたから。人間に任せたら危ないと思ったから!」
鬼が――――事実を突きつけた。
吸血鬼はいつもそうしているように、冷ややかに鬼を睨みつける。
しかし、同じなのは目線の高さだけ。力は、鬼の方が圧倒的過ぎるほどに――――上だろう。
だからこそ私が対峙しなければならないのだと、痺れるような殺気の中で決意するから、吸血鬼は油断なく鬼を観察する。
砕かれた月が、浮いている。
「やる気ね……いや、殺る気、かな、吸血鬼」
鬼は笑みを消した。
吸血鬼は、幼い癖にいやに美しい笑みを零した。
鬼は、瓢箪をぐびりと仰ぐ。口を拭いながら、吸血鬼の笑顔を据わった目つきで見やる。
そして、ひどくうんざりした顔になった。
「そんなにあの人間たちが大事か吸血鬼」
紅い光の槍が、鬼が一瞬前まで立っていたところを射抜いたのちに、ガラスの割れる音とともに砕け散った。
しかし、鬼も、文字通りこまかく砕け散って、霧になっていた。
細かく散った霧が、吸血鬼の背後で鬼を形作る。
吸血鬼は、腕を掴まれた。持ち前の怪力で振りほどこうとしたが、びくともしない。
鬼は吸血鬼をぐるん、ぐるんと遠心力を上手に使って廻してやる。そこらへんの岩の塊がどんどん集まって吸血鬼をごりごりと押しつぶす。
吸血鬼は岩もろとも投げ飛ばされる。地面をごっそりと小さな体で削り取った。
「ははー」
鬼が、笑う。
「弱い弱い、弱すぎるぞー」
仰向けになって胸を激しく上下させている吸血鬼に、嘲笑を投げつける。
吸血鬼の周りにわらわらと蝙蝠が湧き出した。あるじの体を背中から押し上げて、助け起こす。
「いたた……まだまだ、これからこれから」
吸血鬼は、あごに血をしたたらせつつ、微笑む。
「いくわ」
吸血鬼が、消えた。
「ん―――っ?」
鬼の背後に現れた吸血鬼は、背中を思い切り殴りつける。
鬼は、げほっと咳き込みながら、全身を地に叩きつけられた――と認識するより先に腹を蹴り上げられて浮かされた。空中で鬼は、体制を立て直すが、じぶんの鳩尾に吸血鬼の掌が押しつけられていることに気づく。
零距離で吸血鬼の掌から紅い弾幕が、花火がはじけるような音を立てて、散った。
鬼は、米粒に見えるくらい遠くに吹っ飛ばされたものの、――地面に激突する前に体勢を整えた。
けろりとした笑みを見せつける。
「……終わり? 吸血鬼」
と、鬼が、叫んだ。
「これから、よ」
吸血鬼は、胸がふくらむほど息を吸い込み、ゆっくりゆっくりと吐き出す――それを、何度も、何度も、繰り返しはじめた。
鬼は遠くから、面白そうに吸血鬼を眺めて、哂う。おうおう、本気だねえ、と呟く。
吸血鬼の周りに、紅い霧が、漂い始めた。
うううーん、ぞくぞくするわ――――、と萃香は武者震いすると、狂ったほほ笑みを浮かべて、肩を揺すって笑った。
「そうね、これからよね。お楽しみは――――」
吸血鬼。レミリア・スカーレット。夜の王。紅い幼き月。
鬼。伊吹萃香、に敗れる。
「負けたわね。生きてるかしら」
八雲紫が、呟いた。
レミリアは、紫の足元に転がっていた。もう再生能力は残っていないらしく、傷が癒えていない。
「だから、気が進まなかったの。ガチンコ全力バトルになるって分かってたから。あなたと萃香が会えば」
ここは神社の裏庭。
表の庭では、宴会を開いている。騒いでる声が広がったり縮んだりしていた。咲夜の呼ぶ声も聞こえる。
「そうだ、咲夜が呼んでいるんだった」
レミリアは「よいしょ」と立ち上がる。
神社を、数え切れない木々が囲んでいる。
舞い落ちる葉たちが、地に落ちる前にひっくり返ってひっくり返るのを繰り返す。それは、自然に弄ばれる人間のようだった。
いつのまにかレミリアは、屋根の上から紫を見下ろしていた。
紫はそれを見上げて、吸血鬼って、ほんと、インチキ臭い身体能力を持ってるわよねえ、と曖昧な笑みを浮かべる。
「おまえも来なさいよ。ブランデー、あげるから」
「あら、じゃあ頂こうかしら」
紫は楽しそうに言うと、ズブッと、何もないところに指を突っ込み、ぐいと引っ張った。
空間に、割れ目のような「線」が引かれたのだった。その「線」が、にんげんの口みたいにばっくりと開く。
紫はその中に入り込むと、「口」が閉じられた。
「お嬢様、その傷は」
「ああ。神社の裏で弾幕ってたのよ紫と。あんまりにうるさかったからさ、懲らしめてやろうと思って」
心配する咲夜に、笑みと嘘を叩きつけた。
レミリアは、妖夢の腋をくすぐり始めた紫をちらっと見た。妖夢は「やめてくださいようー」嫌がっていた。
「負けたわ。完敗だった」
レミリアは、呟いた。
「そう、ですか……」
「次は殺すわ」
「はい」
咲夜はうなづくと、レミリアにガラスのコップを持たせる。
透明な液体が、そこへつがれていく。
「ん? この酒は?」
「紫がお嬢様にって」
レミリアは、もう一度、紫を見た。
妖夢を、「あひ、ひゃうー。うわあああん」いじっていた。
目線を反らす。
「はあ、旨いじゃないか」
「幻の酒らしいですわ」
「ふうん」
咲夜が「料理を取ってきますね」文字通り消えた。
いれかわりに幽々子が「どろおりぃー」と姿を現した。
「いじられてるわよ、おまえの従者」
「それがあの子の役目なのよ」
幽々子はゆっくりとおしとやかに、レミリアの前にへたりこんだ。
「嘘つけ」
「いやいや」
と幽々子は、得体の知れない笑みを浮かべている。この亡霊は、何を言っているのか、ときどきよくわからない。
「ねえねえ吸血鬼さん」
「ん?」
「どうだったの」
幽々子はにこにこして聴く。
「どうだったって?」
「アレの結果よ」
幽々子は、アレのことをアレという。
「知ってるくせに……私の格好を見れば分かるでしょう」
レミリアはついっと酒を煽る。
「おまえも行ってきたらどうなの、アレ。暇つぶしに」
レミリアの冗談かどうか分からぬ質問に、
「痛そうだからやめとくわ。面倒臭そうだし。第一、今は霊夢がいっているでしょう」
幽々子は楽々と断って、紫のほうを見やった。
紫は「うりうりー」と妖夢の上にのしかかっていた。ちなみに妖夢は1/3死んでいた。
「二対一は、ちょっとねえ」
幽々子は、へらへらと笑う。こいつは、霊夢がいなくなっている、そして何処へ消えたのか――――気づいている。
「あら、そう。でもおまえだったら、結構一人でもイケるんじゃないの?」
「一人でも逝けるわね」
幽々子はとぼけた表情を崩さない。
「あっそ。逝ってらっしゃい」
「既に逝ってるけど」
「じゃあ本題」
レミリアは幽々子に、ほんの少し本気の目をぶつけた。殺意を、少しだけ混ぜた。
緊張した気配が、辺りに噴き出す。
幽々子は、扇子をぱん、と開くと、口元を隠し――目だけで、忌々しく哂った。
尋常ではない気配が、レミリアだけに注ぎ込まれる。周りの連中は気づかない。幽々子の「なんなのかよくわからないが危険な気配」は、全てが、小さな子供の吸血鬼へ。
レミリアの細い肢体が、きしむ。ぎしぎしと、内側から「死」が忍び寄る。
幽々子の姿に紫は、一瞬だけ、妖夢をいじっていた手を止める。
「霊夢がもし負けて、しかもまだ萃香がいたずらする力が残っていたとする」
レミリアは平然と、幽々子に語りかける。幽々子の魂を掻き乱すような禍々しい視線で、楚々と話す。
「ええ」
幽々子がうなずく。
レミリアと、視線が交わる。
破裂するかのような緊張が、二人を中心にして、はちきれんばかりに膨らむ。
「したら、どうなるのかしら――――幻想郷は」
レミリアは運命を探るように言葉を紡ぎ、幽々子の耳へ余すところなく流し込んだ。
「―――。……」
幽々子は、しばらくして、
「 、わね」
「ふん。そうか」
レミリアは、深く聞かなかった。
はちきれんばかりの緊張は、急にしぼんで、消えた。
「ただ」
と幽々子が、薄い唇を開き、酒を注ぎ込む。そして、ほうっと熱い息を零す。
「ただ?」
「その時は、私たち全員で、飛びかかることになるでしょう」
「そう、……ね」
レミリアは、納得したようにうなずく。
辺りを、眺める。
酔っ払ってアリスの髪を引っ張りまわしている魔理沙。紫にいじめられている妖夢。咲夜はパチュリーと楽しそうに何か話している――何を話しているのだろう。
「これだけいれば、なんとかなるでしょう」
幽々子はふにゃりとほほ笑んだ。
「そうね」
レミリアも笑った。
気づくと、いつの間にか、パチュリーがレミリアの後ろに立っていた。相変わらず眠そうな目つきで、そこにいた。
「いきなりびっくりするじゃないの、パチェ」
「豆鉄砲でもつくろうかしら、レミィ」
いきなりパチュリーが舌足らずに言った。
「豆?」
レミリアと幽々子が、パチュリーを困惑したように見つめる。
パチュリーはうなずいた。
「ええ。豆よ。豆符なのよ」
そして、ぽてん、と倒れて眠ってしまった。
霊夢は善戦したが、レミリアと同じくらいあっさりと負けてしまったらしい。
レミリアが、胡散臭そうに霊夢を睨んだ。
「あなたって、ほんとによく分からないわね。それでも人間?」
「生粋の人間ですとも」
「はあ人間ねえ。へー? それで?」
レミリアは苛立たしげにちゃぶ台を何度も指先で叩く。
「それでって何よ……私に突っかかってくれても迷惑よ」
霊夢は、湯飲みの底を、ごつごつごつごつごつ、と、やはりちゃぶ台にぶつけていた。
ちゃぶ台を囲む三人。
伊吹萃香もその一人、だった。べろべろに酔っている。酔っているのに、酒をぐびぐびやるのを止めない。
「なんで私が負けたのに」
と霊夢。
湯飲みを叩きつける音が大きくなる。
「なんで私が負けたのに、萃香の野望が打ち砕かれて、萃香がウチに住み着いたのか、なんていう玉の枝的な難題、私が聞きたいくらいよ!」
霊夢がちゃぶ台をひっぱたく。乾いた音が響いた。
「逆切れすんな!」
レミリアは、ちゃぶ台の端をつかむと、ブーメランのように投げ飛ばした。ちゃぶ台は、開かれた空間――外へ外へ、青空へ、飛んでいく――――箒に乗ってふわふわと、顔が見えないほど遠くを飛んでいる誰かを撃墜した。
萃香の瓢箪は、ちゃぶ台の上に置かれていたので、一緒に飛んでいってしまった。つまり、萃香は、おいちいおいちいお酒はもう、飲めなくなってしまったということである。
「うわーん」
萃香の喚き声が、部屋の空気を震わせる。
レミリアにとって、そんな些細なことはどうでもいい。
霊夢に腹が立つ。
今泣き喚いている鬼と死闘を繰り広げた私は、一体なんだったんだ――――私があんなにてこずった鬼を、あっさり手なずけやがってこの巫女――――しかも負けたくせに――――私は一体何のために戦ったのか?
イライラしたので、ちゃぶ台を放り投げてやったのだ。ちゃぶ台にわざわざ激突した阿呆にも、腹が立つ。その阿呆がいなければ、ちゃぶ台はマヨヒガまで飛んで行っただろうに。そうすれば、霊夢が困って困り抜くだろうに。そうしたら、私の気が済んだのかもしれない、――――と。
「あー? やばいやばい、落ち着け私」
「あー? 落ち着くんなら、ちゃぶ台ほん投げる前に落ち着きなさいよ! なんなのよいきなりあんたは! ちゃぶ台投げるなんてわけわからないわよ! ちゃぶ台はひっくり返すものじゃないの!」
霊夢がレミリアの小さな頭に、ヘッドロックをかました。
「やっぱ、霊夢は面白いわね。本当に、理屈が合わない子」
くすくすと、天井の角から顔だけ出している八雲紫が、ほほ笑んだ。
その紫も、
「デバガメ!」
霊夢の針に頭を突き刺されて、畳に「どちゃ!」というふうに寝転がった。
「結局のところ――巫女あるところに、平和と喧騒あり、と」
気絶する直前に紫が、そう呟いたという。
その隣で萃香が、「瓢箪という聖なる秘宝」を失った悲しさをむせび泣くことで表現していた。
今日も幻想郷には、「平和」と「喧騒」が混ざり合った雰囲気が溶けている。
しずかな「平和」とささやかな「喧騒」が、素敵な「楽園」を作り出し、それを守る「巫女」が生み出される。
いつもの平穏が戻ってきた。
色々気に入らない事があったが、レミリアは、「楽園」を守ってくれた「巫女」に一応感謝していた。ヘッドロックされてるけど。
「楽園? ……どのへんが?」
ちゃぶ台の下敷きになった魔法使いが、ひゅうひゅうと声ならぬ声をしぼり出した。
傍には、なんの変哲もなさそうな瓢箪がころりと寝転がり、酒を吐き出し続けていた。
(めでたしめでたし)
萃香可愛すぎ
デバガメで吹いた俺を批評してくれ。
霊夢が負けて、これからもう一戦盛り上がるか、ってところで訳も判らず一件落着で、
山無し落ち無し意味無しになっているのが残念。
それを除けばオチへの持って行き方、レミリアと霊夢の対比、萃香のどれをとってもよかったですw