…面白くない…
私の意識は『無』の中を漂う…
右もぐにゃぐにゃ、左もぐちゃぐちゃ、前も後ろも上も下も、暗い絵の具を溶かしたようにめちゃくちゃに蠢くばかり…
ここは嫌い…何も感じない…
変化もせず、同じ虚無感を私に与える…
私の世界は彩りを無くしたままなんだ…
私が見る事を捨てたあの時から…
自分の種族を否定したその日から、私は夢を見なくなった。
眠りに入った時に誰もが見るもので、運が良ければ目覚めても覚えていられる束の間の幻。
夢の解釈がそれで合っているなら、きっと私も見てはいるんだろう。
だけどそこには何も無い。
本当の夢は自分だけの世界。どんな景色だって描ける。
画用紙に落書きするように何度でも。
そしてその中では人も妖怪も神様も、一人一人がみんな主人公だ。
水の中で魚と遊ぶ事も、雲の上で昼寝をする事も、月を歩いて一周する事もできる。
望めば、どこまでも自由になれる世界。
私にはそれが無いんだ。
落書きをする私の画用紙は塗り潰されて真っ黒だ。
今見ている空間、暗い光景が、私の夢の世界。
初めて見た時は、驚きと恐怖で何も考えられなかった。
だけど今ならここがどんな場所か、私には理解できる。
ここは私自身の深層心理の具現。
誰の心の中にもあって、だけど決して見る事はできないはずの領域。
夢の映像を紡ぐのは、その人の意識の表層に近い部分。
そこで記憶や想像なんかを繋ぎ合わせて世界を作る。
いつしか私はそのさらに奥に潜り込むようになった。
原因は、私が自分で作った…
昔から私には他の人には見えないものが見えた。
それは妖怪の種として私に備わっていた能力。
私と同じ種族の間では当たり前の力だった。
その能力で私は人の頭の中にあるものを見透す事ができた。
時々、この能力を羨ましいって言う人も居るんだけど…
この能力が私には一番の不幸だった。
見えるというのは正確には少し違って、そうゆう種族だったせいで私には人の中にあるものが自然に見えてしまったんだ。
私はそれが堪らなく嫌だった。
私が見てきたものは全部、望んで見るようなものじゃなかった。
今でも忘れられない。
汚くて、ドロドロしてて、背筋が凍るように冷たい、そんなものばっかりで…
見えるだけじゃない。声も聞こえてくる。耳の中で洞窟の中みたいにぐわんぐわんと反響する、不愉快な声が…
どんなに視界を塞いでも、耳を覆い隠しても、私の頭に際限無く流れ込んでくるどす黒いイメージの数々。
怖くて、どうしようもなく怖くて、慣れるまで何度も涙を流した。
力を持っているってだけでも、凄く辛かったのに…
それだけで終わらなくて…
私の周りの色んな人妖達は、揃って私の種族を嫌っていた。
私が見たくないと思っていたものは、相手にとっても見られたくないものだったから。
色んな場所へ移り住んでいたけど、会う人会う人皆に気味悪がられて。
特に何をしたわけでもないのに、いきなり追い立てられたりもしたっけ。
見たくないものを見せられる苦痛…望まない力のせいで忌み嫌われる苦痛…
私は力の代償を背負って生きている事に疲れてしまったんだ。
だから、『眼』を閉じた…
力の根源、頭の中へイメージを取り込む入り口に、蓋をしたんだ。
それは見る力を失い、同時に誰も触れる事のない領域に踏み込む事だった。
『眼』を閉じた瞬間から、私は心の深層部分に身を置くようになった。
力が無いから、それまでのような苦痛に悩まされる事は無くなったけど…
その日を最後に、私は夢を見ていない。
何度やっても、駄目なんだ…
夜ベッドに潜って瞼を閉じる度、身体から離れた私の魂は、必ずこの空間に落とされる。
私は、深層の世界に囚われているんだ。
何年何十年も変わらない無作為な闇に、今日もこうして浮かんでいる。
きっと私はもう、鮮やかではっきりとした夢を見る事は無いだろう。
この歪んだ場所が、私の全て。
ここではどんな物も形を持たない。
あらゆる境界が、意味を成さない。
試しに手を伸ばしてみても、感覚は酷く曖昧で、
動いているのが私の手なのかすら解らなくなる。
何度となく味わった不可思議な心地。
私の姿、私という存在が、この深い陰りの中に溶けていくような。
自分が何者かって事まで、忘れてしまいそうで…
何も、感じない…
今となっては恐怖も無い。
一人漂う寂しさも無い。
ここに居ると、感情の片鱗さえ湧いてはこない。
たった一つ感じているとすれば、それはつまらないという事だけ。
目が覚めるまでの間に少しずつ少しずつ、どうしようもないほどに…
私は無意識に毒されていく…
ーーーーーーーーーーーー
「お空ー!!起きろー!!朝食作るの手伝ってよー!!」
ちょっと遠くから聞こえてくる声はお燐かな…
あんまりよく聞き取れなかったけど、「朝食」って単語は解った。
そうか…朝が来て、目が覚めたのか…
一度理解すると、全身の感覚が急速に覚醒していった。
頭を乗せてる枕の柔らかさ。
身体の上に被せてる布団の軽さ。
全部が私に現実である事を実感させてくれる…
…
…あれ?何だろう…
ほっぺたに何か変な感触が…
まだ寝惚けてるのかな。
でもそれにしては妙にリアルだし…
これは眼で直接見て確認するしかない。
よし、眼を開けよう。
「ふふふ…」
見慣れた紫色の髪とちょっと眠たそうにも見える笑顔が物凄い近くにあった。
「おはよう、こいし」
「おはよう、お姉ちゃん。早速だけどなんで私のベッドに入って私のほっぺた突っついてるの?」
あの変な感触はお姉ちゃんの人差し指だった。
「あら、可愛い妹と触れ合うのに理由が必要なの?」
「今この状況だとむしろ無いと困るんだけど」
大した理由も無しにこんな事されると私の方もどうするべきか解らなくなるし。
「起こそうと思ったのだけど、あなたの寝顔が眼に入って、気付いたらこうなっていたわ。こいし、あんまり私の無意識をいじらないでもらえるかしら?」
「こんな自分の心臓に悪い事の為に能力使わないよ」
いくら私でも起きていきなり目の前にお姉ちゃんの顔があったら怖くてしょうがない。
「…ねぇ、こいし」
話してたら、急にお姉ちゃんの顔が変わった。
笑顔は笑顔なんだけど、さっきの悪戯っぽい感じから、少し寂しそうな目付きに。
次に何て言われるか予想は付いてる。
「また、同じ夢?」
突っついたのと同じ手で、ほっぺたを撫でられる。壊れやすいガラスに触るみたいに。
「…夢なんて見てないよ」
正直に答えた。私はあれを夢だとは思えないから。
「そう…」
お姉ちゃんはそれ以上踏み込んで来ない。
最初にあの光景を見た次の日に、私はお姉ちゃんに全部話した。
それからお姉ちゃんは私に時々同じ質問をする。
それに対する私の答えも毎回同じ。
そうすると、お姉ちゃんはそのまま放っておいてくれる。
変に踏み込んで来ない事が逆に嬉しい。
だけど今日は…
「お姉ちゃん…」
「なぁに?」
延々と続く、不変の深層に呑まれて…
一度解放されてしまえばもう大丈夫だと思ってたのに…
私はまた、疲れてしまっている…
「私…どうしたら良かったのかな…」
気付いたら、私から踏み込んでいた。
「人の心を読むのは確かに怖かったよ…だけどそれをしなくなって、今の私には何にもない…それが何だか悲しくて…私がやった事は間違ってたのかな…解らないよ…」
『眼』を閉じて感情が薄くなってなかったらきっと泣いてたと思う。
「こいし…」
お姉ちゃんがゆっくり私に抱き付いてきた。
私とお姉ちゃんの身体がぴったりとくっつく。
「まだ大丈夫。今からでも、遅くはないのよ」
話しながら、私の背中に回した腕を滑らせるお姉ちゃん。何だか安心する。
「私はね、こいし…あなたが『眼』を閉じてしまった時、とても寂しかった…それまでのようにあなたが私を見てくれなくなったから…」
昔から大好きだったお姉ちゃん。唯一、お姉ちゃんの心だけは見ていて暖かかった。
「それからあなたは段々と私から離れていった…もう昔のこいしには会えないんだって、何度も思った…」
お姉ちゃんも…きっと怖かったんだ…
私もお姉ちゃんにとっては、たった1人の妹だったから。
「それを変えてくれたのがあの巫女と魔法使いです」
新しく刻まれたばかりの強烈な記憶が蘇る。あの地上の出来事。妖怪の山で出会った不思議な2人。
博麗霊夢と霧雨魔理沙。私はある時この2人と戦って…負けた。
そして、興味を持った。『眼』を閉じてから初めて、誰かの事を深く知りたいと思った。
「そして今あなたは少しずつ感情を取り戻してきている…少しずつだけど、また私に笑顔を見せてくれる…」
お姉ちゃんは少し顔を離して、私に微笑んできた。
「こいし、あなたがした事が間違いかは私にも解りません。だけど、今あなたが誰かの事を知りたいと願っているなら、それでいいの。あなたは本当の意味で人の心に触れられるようになったのだから」
言い終わってからまたにっこりと笑い掛けられた。
どういう事なのかな?私はあの2人に興味を抱いた。2人を知りたいと思った。それは私にとって良い事なの?
私は、人の心を望んでる…?
「今はまだ解らなくてもいいのよ、きっと。だけどこいし…」
そこで一呼吸。その時のお姉ちゃんの顔は、心なしか少し赤かった。
「私、頑張りますよ」
何を、って聞く前にお姉ちゃんは続けた。
「誰かに興味を持って、あなたの固く閉じていた眼が僅かに緩んだ。そして心も取り戻し始めた。私は何としても、昔のあなたに帰ってきてもらいたい。そしてもう一度あなたの眼で私を見てもらうんです。だから…待っていてください…」
透き通った2つの眼で真正面から見つめられた。
突然の事で、私は何にも答えられなかったけど…
取り敢えずそのまま迫ってくるお姉ちゃんの顔は両手で止めておいた。
「どさくさに紛れて何しようとしてるのさ」
「約束のキスですよ。いけませんか?」
なんで開き直っちゃうかなぁ…こういう事しなければ凄く良い場面だったのに…
何秒間そうしてたのか、暫くしてからお姉ちゃんが不意に私から離れてベッドを降りた。
「さぁ、朝食にしましょう。お燐とお空が待ちくたびれてしまうわ」
離れていく後ろ姿をぼんやりと眺めながら、頭の中ではさっきの会話が反芻されていた。
ごめん、お姉ちゃん。やっぱり私にはよく解らないよ。
私の本当の望みは何なのか、私自身にも掴めない。
だけど、お姉ちゃんの気持ちは、解った気がする。
だからさ…お姉ちゃん…
「ねぇ…」
「ん?」
「今日の晩御飯、久しぶりにお姉ちゃんの料理が食べたいなぁ…」
期待しても、いいんだよね?
「こいし…ふふ…そうね、今夜は久しぶりに腕を振るっちゃおうかしら」
いつかお姉ちゃんが、私をまた綺麗な夢の中に連れていってくれるって。
私の意識は『無』の中を漂う…
右もぐにゃぐにゃ、左もぐちゃぐちゃ、前も後ろも上も下も、暗い絵の具を溶かしたようにめちゃくちゃに蠢くばかり…
ここは嫌い…何も感じない…
変化もせず、同じ虚無感を私に与える…
私の世界は彩りを無くしたままなんだ…
私が見る事を捨てたあの時から…
自分の種族を否定したその日から、私は夢を見なくなった。
眠りに入った時に誰もが見るもので、運が良ければ目覚めても覚えていられる束の間の幻。
夢の解釈がそれで合っているなら、きっと私も見てはいるんだろう。
だけどそこには何も無い。
本当の夢は自分だけの世界。どんな景色だって描ける。
画用紙に落書きするように何度でも。
そしてその中では人も妖怪も神様も、一人一人がみんな主人公だ。
水の中で魚と遊ぶ事も、雲の上で昼寝をする事も、月を歩いて一周する事もできる。
望めば、どこまでも自由になれる世界。
私にはそれが無いんだ。
落書きをする私の画用紙は塗り潰されて真っ黒だ。
今見ている空間、暗い光景が、私の夢の世界。
初めて見た時は、驚きと恐怖で何も考えられなかった。
だけど今ならここがどんな場所か、私には理解できる。
ここは私自身の深層心理の具現。
誰の心の中にもあって、だけど決して見る事はできないはずの領域。
夢の映像を紡ぐのは、その人の意識の表層に近い部分。
そこで記憶や想像なんかを繋ぎ合わせて世界を作る。
いつしか私はそのさらに奥に潜り込むようになった。
原因は、私が自分で作った…
昔から私には他の人には見えないものが見えた。
それは妖怪の種として私に備わっていた能力。
私と同じ種族の間では当たり前の力だった。
その能力で私は人の頭の中にあるものを見透す事ができた。
時々、この能力を羨ましいって言う人も居るんだけど…
この能力が私には一番の不幸だった。
見えるというのは正確には少し違って、そうゆう種族だったせいで私には人の中にあるものが自然に見えてしまったんだ。
私はそれが堪らなく嫌だった。
私が見てきたものは全部、望んで見るようなものじゃなかった。
今でも忘れられない。
汚くて、ドロドロしてて、背筋が凍るように冷たい、そんなものばっかりで…
見えるだけじゃない。声も聞こえてくる。耳の中で洞窟の中みたいにぐわんぐわんと反響する、不愉快な声が…
どんなに視界を塞いでも、耳を覆い隠しても、私の頭に際限無く流れ込んでくるどす黒いイメージの数々。
怖くて、どうしようもなく怖くて、慣れるまで何度も涙を流した。
力を持っているってだけでも、凄く辛かったのに…
それだけで終わらなくて…
私の周りの色んな人妖達は、揃って私の種族を嫌っていた。
私が見たくないと思っていたものは、相手にとっても見られたくないものだったから。
色んな場所へ移り住んでいたけど、会う人会う人皆に気味悪がられて。
特に何をしたわけでもないのに、いきなり追い立てられたりもしたっけ。
見たくないものを見せられる苦痛…望まない力のせいで忌み嫌われる苦痛…
私は力の代償を背負って生きている事に疲れてしまったんだ。
だから、『眼』を閉じた…
力の根源、頭の中へイメージを取り込む入り口に、蓋をしたんだ。
それは見る力を失い、同時に誰も触れる事のない領域に踏み込む事だった。
『眼』を閉じた瞬間から、私は心の深層部分に身を置くようになった。
力が無いから、それまでのような苦痛に悩まされる事は無くなったけど…
その日を最後に、私は夢を見ていない。
何度やっても、駄目なんだ…
夜ベッドに潜って瞼を閉じる度、身体から離れた私の魂は、必ずこの空間に落とされる。
私は、深層の世界に囚われているんだ。
何年何十年も変わらない無作為な闇に、今日もこうして浮かんでいる。
きっと私はもう、鮮やかではっきりとした夢を見る事は無いだろう。
この歪んだ場所が、私の全て。
ここではどんな物も形を持たない。
あらゆる境界が、意味を成さない。
試しに手を伸ばしてみても、感覚は酷く曖昧で、
動いているのが私の手なのかすら解らなくなる。
何度となく味わった不可思議な心地。
私の姿、私という存在が、この深い陰りの中に溶けていくような。
自分が何者かって事まで、忘れてしまいそうで…
何も、感じない…
今となっては恐怖も無い。
一人漂う寂しさも無い。
ここに居ると、感情の片鱗さえ湧いてはこない。
たった一つ感じているとすれば、それはつまらないという事だけ。
目が覚めるまでの間に少しずつ少しずつ、どうしようもないほどに…
私は無意識に毒されていく…
ーーーーーーーーーーーー
「お空ー!!起きろー!!朝食作るの手伝ってよー!!」
ちょっと遠くから聞こえてくる声はお燐かな…
あんまりよく聞き取れなかったけど、「朝食」って単語は解った。
そうか…朝が来て、目が覚めたのか…
一度理解すると、全身の感覚が急速に覚醒していった。
頭を乗せてる枕の柔らかさ。
身体の上に被せてる布団の軽さ。
全部が私に現実である事を実感させてくれる…
…
…あれ?何だろう…
ほっぺたに何か変な感触が…
まだ寝惚けてるのかな。
でもそれにしては妙にリアルだし…
これは眼で直接見て確認するしかない。
よし、眼を開けよう。
「ふふふ…」
見慣れた紫色の髪とちょっと眠たそうにも見える笑顔が物凄い近くにあった。
「おはよう、こいし」
「おはよう、お姉ちゃん。早速だけどなんで私のベッドに入って私のほっぺた突っついてるの?」
あの変な感触はお姉ちゃんの人差し指だった。
「あら、可愛い妹と触れ合うのに理由が必要なの?」
「今この状況だとむしろ無いと困るんだけど」
大した理由も無しにこんな事されると私の方もどうするべきか解らなくなるし。
「起こそうと思ったのだけど、あなたの寝顔が眼に入って、気付いたらこうなっていたわ。こいし、あんまり私の無意識をいじらないでもらえるかしら?」
「こんな自分の心臓に悪い事の為に能力使わないよ」
いくら私でも起きていきなり目の前にお姉ちゃんの顔があったら怖くてしょうがない。
「…ねぇ、こいし」
話してたら、急にお姉ちゃんの顔が変わった。
笑顔は笑顔なんだけど、さっきの悪戯っぽい感じから、少し寂しそうな目付きに。
次に何て言われるか予想は付いてる。
「また、同じ夢?」
突っついたのと同じ手で、ほっぺたを撫でられる。壊れやすいガラスに触るみたいに。
「…夢なんて見てないよ」
正直に答えた。私はあれを夢だとは思えないから。
「そう…」
お姉ちゃんはそれ以上踏み込んで来ない。
最初にあの光景を見た次の日に、私はお姉ちゃんに全部話した。
それからお姉ちゃんは私に時々同じ質問をする。
それに対する私の答えも毎回同じ。
そうすると、お姉ちゃんはそのまま放っておいてくれる。
変に踏み込んで来ない事が逆に嬉しい。
だけど今日は…
「お姉ちゃん…」
「なぁに?」
延々と続く、不変の深層に呑まれて…
一度解放されてしまえばもう大丈夫だと思ってたのに…
私はまた、疲れてしまっている…
「私…どうしたら良かったのかな…」
気付いたら、私から踏み込んでいた。
「人の心を読むのは確かに怖かったよ…だけどそれをしなくなって、今の私には何にもない…それが何だか悲しくて…私がやった事は間違ってたのかな…解らないよ…」
『眼』を閉じて感情が薄くなってなかったらきっと泣いてたと思う。
「こいし…」
お姉ちゃんがゆっくり私に抱き付いてきた。
私とお姉ちゃんの身体がぴったりとくっつく。
「まだ大丈夫。今からでも、遅くはないのよ」
話しながら、私の背中に回した腕を滑らせるお姉ちゃん。何だか安心する。
「私はね、こいし…あなたが『眼』を閉じてしまった時、とても寂しかった…それまでのようにあなたが私を見てくれなくなったから…」
昔から大好きだったお姉ちゃん。唯一、お姉ちゃんの心だけは見ていて暖かかった。
「それからあなたは段々と私から離れていった…もう昔のこいしには会えないんだって、何度も思った…」
お姉ちゃんも…きっと怖かったんだ…
私もお姉ちゃんにとっては、たった1人の妹だったから。
「それを変えてくれたのがあの巫女と魔法使いです」
新しく刻まれたばかりの強烈な記憶が蘇る。あの地上の出来事。妖怪の山で出会った不思議な2人。
博麗霊夢と霧雨魔理沙。私はある時この2人と戦って…負けた。
そして、興味を持った。『眼』を閉じてから初めて、誰かの事を深く知りたいと思った。
「そして今あなたは少しずつ感情を取り戻してきている…少しずつだけど、また私に笑顔を見せてくれる…」
お姉ちゃんは少し顔を離して、私に微笑んできた。
「こいし、あなたがした事が間違いかは私にも解りません。だけど、今あなたが誰かの事を知りたいと願っているなら、それでいいの。あなたは本当の意味で人の心に触れられるようになったのだから」
言い終わってからまたにっこりと笑い掛けられた。
どういう事なのかな?私はあの2人に興味を抱いた。2人を知りたいと思った。それは私にとって良い事なの?
私は、人の心を望んでる…?
「今はまだ解らなくてもいいのよ、きっと。だけどこいし…」
そこで一呼吸。その時のお姉ちゃんの顔は、心なしか少し赤かった。
「私、頑張りますよ」
何を、って聞く前にお姉ちゃんは続けた。
「誰かに興味を持って、あなたの固く閉じていた眼が僅かに緩んだ。そして心も取り戻し始めた。私は何としても、昔のあなたに帰ってきてもらいたい。そしてもう一度あなたの眼で私を見てもらうんです。だから…待っていてください…」
透き通った2つの眼で真正面から見つめられた。
突然の事で、私は何にも答えられなかったけど…
取り敢えずそのまま迫ってくるお姉ちゃんの顔は両手で止めておいた。
「どさくさに紛れて何しようとしてるのさ」
「約束のキスですよ。いけませんか?」
なんで開き直っちゃうかなぁ…こういう事しなければ凄く良い場面だったのに…
何秒間そうしてたのか、暫くしてからお姉ちゃんが不意に私から離れてベッドを降りた。
「さぁ、朝食にしましょう。お燐とお空が待ちくたびれてしまうわ」
離れていく後ろ姿をぼんやりと眺めながら、頭の中ではさっきの会話が反芻されていた。
ごめん、お姉ちゃん。やっぱり私にはよく解らないよ。
私の本当の望みは何なのか、私自身にも掴めない。
だけど、お姉ちゃんの気持ちは、解った気がする。
だからさ…お姉ちゃん…
「ねぇ…」
「ん?」
「今日の晩御飯、久しぶりにお姉ちゃんの料理が食べたいなぁ…」
期待しても、いいんだよね?
「こいし…ふふ…そうね、今夜は久しぶりに腕を振るっちゃおうかしら」
いつかお姉ちゃんが、私をまた綺麗な夢の中に連れていってくれるって。
いいこというね!