彼女がふよんふよんと空を飛ぶというより漂っている姿を、ここ最近よく見るようになった。
行くあても無いのだろう。たまに人里に現れると聞いたが、誰か驚かされたという話はまだ聞いていない。
守矢神社の境内に上がる階段の下で、うつ伏せになって彼女は倒れていた。
あまりに動かなかったから、最初は生き倒れかと思った。助け起こそうとして屈んだ時に、いつも小傘が持っている紫色の奇妙な傘が目に入った。
早苗、と彼女の口が私の名前を呼んで、なぜか笑った。
「早苗、わちきはお腹減りました」
「知りません」
「早苗ひどいっ、鬼っ」
寝転がったままわざとらしく体をよじって、顔をそむけて肩まで震わせて泣き真似をする小傘の頭を、私はぺしりと音が出るくらいはたいた。
いたっ、と叫んだ後、頭をさすりながら小傘は振り向いて、こちらを恨めしそうに見つめてくる。おまけとばかりに、その額を指ではじいてやる。
「呼び捨てやめてください、私これでも神様なんです」
「みたいねー」
「みたいじゃなくて、本当に」
私は神様なんです、ともう一度言おうとして妙な感じがした。
岩だって山だって、誰かに信仰されたからこそ神様になるのに、わざわざ宣言しなければいけない私は、一体神様の前はなんだったのかふと不思議に思う。
「大体、小傘さん人を驚かしたことあります?」
「ある……」
「へー、何日、それとも何ヶ月前の話ですか」
「十年以上前」
うわぁ、と思わず声が漏れた。からかおうと思ってた気持ちがしぼんで、かわりに罪悪感が生まれてくる。
たまたま忙しくて十時間以上何も食べなかった事はあるが、時間が年になった時は想像も出来なかった。
「お腹減ったなら人の肉とか食べたりしないんですか、妖怪なのに」
なんで、と目を丸くした後、小傘は私が的外れなことを言ったようにくすくすと笑った。
「人は心がおいしいのに」
肉なんてきらい。唄うように話す彼女の口からは白い歯が覗いていて、じゃああの歯は何を噛むんだろうと気になった。
「でも野菜は好きよ。茄子とか」
「それならずっと野菜食べてたらいいじゃないですか」
「それじゃ足りないのよ、全然」
そう、全然。もう一度繰り返し呟かれる。
笑いも泣きもしていない、冷たくはないけども感情がよくわからない目をして小傘は言った。
たまにだけどこういう目をするから、私は彼女が妖怪だと思いだす。自分が産まれる前から、もう彼女は妖怪だったのだと思い知る。
「……うちで夕飯食べていきます?」
「いいの!?」
「一人分くらいなら。今日は茄子は無いですけど」
「うーん、どうしようかなぁ……」
寝転がったままの小傘のお腹がまたぐぅとなって、少しでもその気持ちをわかりたくて、子供の時のお腹を空かせた夕暮れとかを思い出そうとするのだけれど、水を網ですくうように何一つ浮かんでこない。
どうして忘れてしまったんだろう。いらないだなんて、誰にもわからなかったのに。
私が黙りこくっているのを奇妙に思ったのか、小傘が顔を見上げてくる。
「早苗どうしたの?どこか痛いの?」
「大丈夫です、多分」
思い出しただけ、と笑い返せば小傘は不思議そうに首をかしげた。
こういう仕草を見ると、子供っぽいのだか妖怪っぽいのだかつくづくわからなくなる。案外両方かもしれない。
「私ね、こっちの生まれじゃないんです。ちょっと前に別の所から来たんです」
空なんか誰も飛んでない。弾幕なんてないし、妖怪も神様もどこかに行ってしまった、そんなところから来たんです。
しゃがんだままそう呟けば、寝ころんだままだった小傘が興味深そうに首だけを起こす。
「私がこっちに持ってこれる荷物はとても少なくて、仕方がないから色々向こうに置いてきました」
「例えば?」
「どんな人たちに囲まれて育ったのか、どんなことをして今まで育ってきたのか、神様じゃ無かった頃の私は一体なんと呼ばれていたのか、何も思い出せません」
今、こっちにきてから初めて思い出した。きっかけが彼女の腹の音というのもひどい話だが、こんなにも色々と忘れてしまっていたのもひどい話なのだろう。きっと。
「思い出せないことばかり思い出しても、今更仕方ないんですけどね」
一方的に言いきって、笑い顔を作ろうとしたのだけれど、うまく出来なくて弱い笑みしか浮かべられなかった。小傘の方を見れば目があった。
驚いた、と小さくつぶやいて小傘の左右で色が違う瞳がぎゅうと収縮する。
彼女の目は透き通るような青と赤でビー玉に似ていた。幻想郷ではあまり見ない作り物のようで、私は好きだった。
ビー玉で遊んだ記憶もきっとあるはずなのに、それもどこに行ったか思い出せない。
「……小傘さんが驚いても意味ないでしょう」
「うん、でも」
「でも?」
「早苗がそんな顔で笑うの、初めて見た」
自分が今、どんな顔をしているのか考えたくなくて私は地面に視線を落とした。今まで彼女の前でどうやって笑っていたのか急にわからなくなる。
小傘が起きあがる気配がして、私は地面に膝をついて顔を見上げる。けれども逆光で表情はよく見えなかった。
「……やっぱり、小傘さん夕飯食べていってください」
「なんで」
「いいから」
「だって、」
「お願いします」
すがるように手を伸ばして抱きしめた体は小さくて、腕の中でゆっくりと脈を打つ。
こんなに近いのに、私は彼女の為に驚いて、腹を満たしてあげることも出来ない。彼女の為に起こせる奇跡は無い。
自分の無力か捨てられた彼女への憐れみかそれとも忘れ去られた自分へか、何が悲しいのかわからないが視界が滲んで仕方なかった。
「早苗、なんで泣くの?」
「泣いて、ない、です」
「うそ」
「私は神様、だか、ら、泣かない、んです」
置いてきたことに、神様になることに、後悔なんてしていないしこれから先にする予定もなかった。
それでも、きっともう二度と戻れない所に置き去りにした、十何年分の私を悼むかのように、涙は止まらない。
彼女は、全部覚えているのだろうか。自分を捨てた人間も、妖怪になるまでの時間も、なってからの腹を減らした日々も。
小傘を抱きしめている力もなくなって、力を抜いた手はだらりと垂れて地面を撫でた。
「じゃあ頬が濡れているのは?」
「これは……そう、雨が降ってるんです」
空はかんかんとした晴天で、雲すら見当たらなかった。嘘にすらなっていない、苦し紛れの言い訳だと自分でもわかっている。
ならわちきが必要ねェ、と悪戯っぽく笑って小傘は立ち上がると、ぱさっと紫の化け傘を広げて一回くるりと回した。膝をついたまま見上げれば、太陽が彼女の傘に隠れていた。
「神社まででいい?」
「……うちの居間まで、お願いします」
「まったく、傘遣いが荒い神様だことで」
さぁどうぞ、と小傘は笑いながら私の顔を隠すように傘を下に傾けてきた。
小傘につられるように笑えば、彼女のお腹が頭の上でぐうと鳴って、私はまた笑った。
淡い青のような緑のような…………コガサナ色?
こがさな素晴らしい
二人とも、とっっっっても可愛すぎる!!!
明るい立ち振る舞いに健気さや儚さのようなものを感じたりします。
何が言いたいかというと、こがさな大好きです。
形にしてくださって全力で感謝っ!!!
いいものみれました。ありがとう
何はともあれ、こがさな大好きだ!