Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

トリミング

2006/06/03 12:37:53
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「――ふう」
 アリス・マーガトロイドは僅かな疲労と満足感に息を漏らす。ベッドと共用のソファーにもたれる。仕様でない軋みに外出の必要性を幾許か感じながら、窓の外、遠く稜線を滲ませる斜陽に横目を投げた。
「……これで完成、と」
 暑くなってきたわねー。と口の中でつぶやき、視線を戻す。茜色の光が差し込んでくる室内。作業台の崖にちょうど腰を下ろす形で、瞳を閉じた人形がある。
 アリスはそれを改めて、幾度か身を屈めて改めた後、今度こそ満足しきった風で胸に抱き、部屋を発った。
 着せられた衣装は日頃持ち歩く子達と比べれば明らかに質が落ちる。だがそれはアリス当人にすれば必要性の問題。これらの人形が邸外へ出ることは元よりなかった。
 アリスは短い道程を経てリビングに降りた。階上とは違い針のような残照。この間を貫く横殴りの光に炙り出される、薄く漂う空気の影。フラグの立った何体かの人形が程なくして浮遊しながら近づくと、その手々に抱いた人形を乗せてやる。そのまま別の廊下へ危なげなく消えていく人形を軽く見送り、アリスは埃の海を泳ぐように部屋を横切り暖炉の前に腰を下ろす。クッションを一個掴み、腰を下ろす。
 瞬きを一つ。
「いらっしゃい」
 もう一度、瞬く。
「なあに?」
 返事があり、次いで別の廊下から漂い出てくる華美な衣装と金髪の人形。アリスは軽く手を遣り抱き留めると、そのままクッションに深く沈みこんだ。手足のない人形を造る要領で、一時大量に邸に置きまわったうちの一つだった。
「今日はあれで終わるわ。需要は尽きないけれど、私が疲れてちゃ本末転倒だし」
「アリスの好きにすればいいよ」
 上海人形は適当な間を置いて答えた。アリスはそれが頭から脳裏へ染み込む時間を噛み締めながら、この頃癖になりつつある窓の外への視線を解いた。
「そうね」
 アリスはそれきり、口を閉ざした。部屋が暗い。自動の照明は未だ点かず、斜陽が沈みかかっていた。アリスは完全に沈みきる瞬間が見たいと思い、重い腰を上げて窓際に立った。その傍ら、窓の桟にそっと浮かび上がる利口な人形。アリスは木々のシルエットがそのまま影絵となった魔法の森をしばし見つめ、
「ここじゃあ見えないわね」
「そうね」
 静かにこぼす。上海人形は無論肯定した。アリスは泡のように浮かび上がる僅かな面倒臭さを浅く払い、つぶやいた。
「上に行こうかしら」
「そうね」
 上海人形は無論肯定した。



「人形を修理する人形に修理される人形の気分」
 敢えて選んでいる夕暮れ未満の照明の下、アリスはスプーンを口に持っていく手前でそう言った。
「貴方、そういうのは解るかしら」
「どうなのかしら」
 テーブルの向かい、敷かれたクロスの皴を目で追う上海人形。その答えは間を置くための処世術ではなく、純粋な不理解の現われだとアリスは知っていた。
「無機質な答えをアリスが望むなら答えるけれど」
 アリスは咥えたスプーンそのままに小さく瞬きをした。上海人形は依然皴を追うことをやめない。今度は、違う席から声があった。
「そういう反応は求められていないよね。それくらいは解る」
 蓬莱人形と呼ばれるゴシック調の人形は、一定の間隔で眼球保護殻を上下させながら一連の台詞を言い終えると、アリスの反応を待った。これらの創造者である人形遣いは、ただの一言、
「私の作った人形が、私に劣る質と速度で貴方達を修理すること。それそのものには、不服を、いえ、非効率性を感じる? 貴方は」
「感じる」
 蓬莱人形は断じるように言う。ただ、発声の調子は極めて単調で、あくまで『ように』の域を出ないそれだった。
「けれどそこはそれ、アリスの優先順位の問題でしょう。私達の修理にかまける以上に、没頭したい別の用件が存在するならそれに没頭すればいい。そして、そのためのここしばらくの『人形を修理する人形』の大量生産、それに準じての先の質問」
 よね。と蓬莱人形は談じた。アリスは咥えたまま、人肌まで温まったスプーンを皿に下ろすと、「出来のいい子になったわね」とだけ、薄い笑顔で告げた。
「私の出来が良いのかしらね」
「アリスは自信がなさそうね」
 蓬莱人形はあくまで前のめりな風だった。
 アリスは首を傾げてみせる。「どうかしら」蓬莱人形は問いかける調子で続ける。
「アリスはそうは思わない?」
「ええ、思わない」
 アリスは頬杖をついて、眼下のスープに視線を落とす。余った手に持つスプーンで、スープに波紋を広げながら。
「貴方達はまだ『出来た子』の域を出ないもの。でも、私が敢えて、何か誇るとするならば――」
「――そうね。それは『出来た子が造れた』ということ」
 かしら。と声。皴を追って机から視線をこぼす、上海人形が遅まきに言った。
「そうね」
 アリスは頷いた。それに蓬莱人形は問い、
「じゃあアリスは、出来た子どもに更に何を望む?」
「『親のいうことを聞かない子になれ』」
 人形が一体、テーブルの横を過ぎていった。モップをぶら下げ、地を撫でていきながら、時折切り返して同じルートを。一定時間後に別のルートへ。規則正しく、歯車の音さえ聞こえてきそうな程の透徹した仕組み。ロジック。アリス・マーガトロイド邸の、ごくありふれた夜半の風景。
「私は正直柄じゃないんだけれど――」
 アリスは最後のスープを一掬い、
「親は子に、いつかは自分を、自分の区引きを超えてほしいのよ。貴方達には難しいだろうけど」
 スープを中に載せたまま、スプーンを、テーブルの中央へ差し向けた。
 人形双方は再び瞬きの動作の後、各自のロジックより返答、あるいは問いかけを返す。
「そうね」
 上海人形。
「それが、いわゆる親心というものなのかしら」
 蓬莱人形。
「そうとも言うわね」
 アリス・マーガトロイド。
「そうなの」
 上海人形。
「そうよ」
 アリス・マーガトロイド。
「ふうん――」
 蓬莱人形。
「アリスはいい親だと思うけど」
 上海人形。
「そう」
 アリス・マーガトロイド。つぶやいた。
 風のない夜でも、魔法の森は絶えず唸る。空を飛んでは渡れず、地を這っては出でず、幻想郷でも取り立てて排他的なこの領域の夜にアリスは意識を飛ばし、
「もう遅いわ」
 かちり。
 二体の人形は、寸分違わず同時同刻に瞬いた。
「そうね」
「そうね」
 そして揃って同時、同刻、返事を返す。
 不可視の歯車が、その場に確かに鎮座する。
「寝ようよ、アリス」
「寝ましょうか」
「そうね。でもお風呂には入ってくるわ」
 アリスは席を立った。会話は終わり。それは暗黙のフラグであり、二体の人形はそれに準じて口を閉ざす。残り、ただひとりのアリスはしばし目を細め、だんだんと冷えていく皿と夜気と自分の瞳を再確認して部屋を出た。
「整理を任せ、整頓を任せ、整枝、整備、それら全ての補整を任せ、て――」
 弱い照明下、歩きながら、人形とすれ違い、指折り数え、眠たげな眉、
「手の抜きどころは未だ掴めず、か」
 リビングは静かだった。主の椅子が床をこすり、固有の妖気が部屋を離れて数秒。幾つかの人形が現れ、皿を重ねて消えていく。蓬莱人形は定期的に瞬きを続けた。面白半分にスープに舐めた上海人形は口元を僅かに拭う。首を微かに傾けて、ただ呼び声を待つ人形二体。
「アリスはもっと誇って良いと思うわ」
 テーブルにうつぶせ、上海人形は言う。「自律できていると私は考えることそれそのものが自律の証明。コギト・なんだっけ」
「本当に考えてものを言っているの? 貴方」
 椅子にもたれ、蓬莱人形は言う。断じるような単調さで。「我思う。でも、本当に『思っている』かがまず疑問なのよ人形は」そして続けざまに、
「それに、アリスは誰にも誇るつもりはないと思う」
 そんな言葉を発する。

 湯船に浮かぶアリスは一人唱え続ける。
「楽を目指せば堕落する。些事と私の間にどれだけ人形を挟んでも、些事は決して消えないし、むしろそれら全てを管理する私の負担は増えていく。本来の直接的な作業量と現在の総体的な管理量の鬩ぎ合い。忙しさと煩わしさ全てをその身に受けるか、代わりに並ぶ数限りない被造物の背中をただにひたすら弄り続けるか。結論」
 何もかも、自分で遣るのが一番早い。
 浮かぶ湯気、流れ出してく疲労とそれに伴う幾つかの感情。水面から覗く薄い肌色。伸びた手と指。滴る水滴。ぴし、罅割れにも似た音と波紋。濛々と照らす明かりは至極微かで、それでも他所と比較すれば強めの光量に晒されて、滲み出てくる肩から鎖骨の湾曲線が淡く光を照り返す。「あー、」
 彼岸は遠い。
「あー、」
 軽く舌打ち、アリスは粗野に頭を掻いた。
「楽観楽観。駄目よ。あいつが伝染っちゃうじゃない」
 揺れた空気の中、舞い散る埃に油臭さを感じ、アリスは幾日振りかに顔をしかめた。
「……駄目ねえ」
 もう何日洗ってなかったのかしら。
 アリス・マーガトロイドは、やはり肝心なのは自意識なのだと確信する。
 自分が気がつかなければ、人形達は何一つ気がつかない。見ない、聞かない。風呂に入れば、とも言いはしない。当然だった。
 そういう風に『出来ている』。
 いわば魂の確立。ロジックを自ら構築し、自らそれに乗っ取って行動し、自らに則して思考する。
 悲願は遠い。
「……予定変更」
 人形遣いの少女は大げさに息をつき、ぶくぶくと、湯船の底へと沈降した。その部屋の外をまた別の人形が、入り組んだ廊下をモップを携え漂っていく。流れる湿気た夜の気に人形の髪がゆるやかに揺れる。椅子に座った二体の人形。同じく髪を僅かに揺らす。
 夜の熱気に覆われていく。



アリス・マーガトロイドは静かに暮らしたい、らしいよ
セノオ
[email protected]
コメント



1.名無し妖怪削除
アリスは人工知能研究者というか、人工生命研究者というか
魔法使いというより科学者っぽいですな