弾幕の飛び交う幻想郷の空に放り出された小さな鼠は、それはそれは怯えていた。
彼は妖怪ですらない、そこいらの野で生った、本当にただの鼠であったから、空を飛ぶのも初めての経験だった。
鼠の恐怖は今塗り替えられている最中だ。
靴の雨。足の川。空から降ってきた柱が大地で鳴る。それが半ばで正しく折れて空に吊り上げられていく。
鼠に目もくれぬ人の群、足が降ってくる。鼠を認めず足が行き交う。
横切れぬ里の雑踏。それが彼の生きてきた中で一番の恐怖であった。それが塗り替えられている。
鼠の兄弟たちが、一心不乱に、一点を目指して飛んでいく。
飛び去った彼方から、何か熱い塊が返ってくる。
髭のすぐ横をすり抜けていった弾丸に、自分の身はぶち当たり、砕けていたかもしれない。
そう考える。数百の弾が彼方からやってくる。酷く恐ろしかった。
鼠にとって今そこを飛び交う弾という存在は等身大の恐怖だ。
己の大きさの恐怖が、真っ向から数百、飛んでくるのだ。
鼠は身動きの一つも取れはしなかった。
鼠を追い抜くものもいたし、鼠の眼下に消えるものもいた。
鼠はきっと戦わない。いつだってきっと戦わない。
息を潜めて出し抜くことを戦いだと考えている。生き延びることを。
窮鼠が猫を噛むのは、きっと猫より死が恐ろしいのだ。
逃走したくて、より楽な方に噛み付いたのだ。
ただひたすら逃げ出すことばかり、生きることばかり考えている。
しかし――
鼠が振り向き首を傾げた。視線の先に鼠達の大将がいた。
杖を振って指揮を執り、身を翻して弾を避け、汗一つ浮かべず戦い続けている。
鼠にとっては、見上げるほどに巨大な存在。
旗色は悪い。さっきからてんで出鱈目な方向に鼠は飛んでいくし、弾の幾つかが的確に大将を打ち据えるのを見た。
しかしどうだ、この大将は。馬鹿なのか? こうも恐怖にさらされて、逃げを打たない鼠なんて居はしない。
いや、いや、そうではない。この大将は何かを打算している。どの鼠よりも理解しているだろう。
勝てない相手と真っ向から戦っている、と。勝てはしない。
きっと最後には逃げるのだろう。泣いて逃げるしかないのだろう。
鼠は迷う。どうやったって怖いのだ。逃げ出したくてたまらない。
今逃げるのと、痛い目を見た後で逃げるのでは迷うまでもなく今逃げた方が、今逃げた方が……
何故逃げないのかなんて分かりやしない。ああ、怖い。
その時、大将が笑った。ちっとも良くない戦況を眺めて。
こんなに愉快なことはない、そういう笑みを浮かべた。
多分、大将にとって、こんなものは恐怖でも脅威でもないんだろう。
鼠にとってはどうだろうか。
ああ、見ろ、弾が自分と同じ大きさだって?
自分は、小さいじゃないか。なら、奴だって小さい。
きっと、行く先には怖い奴がいるんだろう。
でも、きっとこんな状況で笑ってる大将の方が怖いさ。
この怖い大将について行こう。どの鼠もそう決めた。
ちっぽけな勇気に対して、言い訳をしながら、鼠達は大将の号令に耳をそばだてる。
突撃!!
さあ、鼠達がいく。
尻尾をピンと起て、一心不乱に飛んでいく。
隣と隣と列を揃え、一糸の乱れもなく。
喩えでもなく弾丸そのものになって――
結局、誰一人掠りもしないままに、鼠達は負けた。
皆泥まみれで、傷だらけで、くたくたで、荒く息をしながら地上で転がっていた。
大将は、誰よりも傷を受けていたし、誰よりもボロボロだった。
しかし、疲れの浮いた顔の中でにんまりと笑みを浮かべていた。
大将は、杖を鋭く振って、こう言ってのけた。
「ああ、皆避けられてしまった。でも、こんなに小さな私達に道を譲るなんて、なんと滑稽な人間だろう!!」
最後にはあの小ネズミも突撃部隊の一員として華々しく散るのかと思った。
ナズーリンの為なら玉砕覚悟で突撃する小ネズミを思うと熱くなってくる。
小ネズミを守るためにわざと当てないように撃って自ら攻撃を受けるナズーリン格好いい!