一輪は、事あるごとに私に「ムラサ」と呼びかける。
「ムラサ、お茶碗とお箸出しておいてー」
「ムラサ、姐さんの話の時寝てたでしょう。ダメじゃない!」
「今日はちゃんとお風呂につかるのよ?ムラサ。」
確かめるように。
もう何百年もたつけど、未だにちょっとした違和感を感じることがある。
それは一輪だってそう思ってるかもしれない。
「一輪、準備できたよー」
「一輪もちょっとうとうとしてたじゃない!」
「明日にしようよ…一輪。」
私は、きちんと「一輪」と呼びかえす。
確かめるように。
だって、これは約束なのだ。
私と一輪が出会った頃は、私はまだ澱んだ心の持ち主で。
一輪は、片手で抱きかかえられるくらい小さい子供の妖怪だった。
聖に言われて、私が小さかった一輪の面倒を見るようになった。
『イチ』
一輪がまだ小さかった頃は、そう呼んでいた。
一方のイチからは、当初『みつ』と呼ばれていた。
小さかったイチは、「むらさ」も「みなみつ」もうまく言えなかったのだ。
私はイチに、寺での生活について教え、人間との付き合い方を教え、
簡単な学問や家事、遊びに至るまでを教えた。
素直でがんばり屋で、よく泣いて笑うイチ。
泣けば泣きやむまであやしてやり、笑えば私も笑っていた。
『イチー、買い物にいこうかー。』
『うん!みつーきょうはなにかうのー?』
『今日はねー、お味噌とお野菜だよー。』
『にがいのー?』
『こないだのほうれん草苦かったねー。人参かさつまいもにしようかー。』
『にんじんきらいー。』
『人参あまくておいしいのにー。おかしいねー。』
『えへへー。』
単純な日常の繰り返しが愛おしかった。
もちろん、時々事件も起こった。
喧嘩して怪我して帰ってきたときは、喧嘩の相手を根絶やしにしにいこうとして止められたり、
見知らぬ男の子を連れてきたときなんて、三日間泣き通したし…。
目に入れても痛くない。親バカとも散々言われたけど
イチが可愛くてしょうがなかった。
良くも悪くも、私はイチの育ての親のようなものなのだ。
イチが大きくなっていくにつれ私がイチにしてあげることはなくなって、
イチは私に甘やかされることを嫌がるようになり、(この時も泣き通した)
私を『みつ』と呼ばなくなった。(ムラサ、と言えるようになったのだ)
やがて親子のような関係から聖を守る同士であり友達となり、
元からしっかりもののイチは寺の雑務を取り仕切るようになり、
いつの間にか私の方が大きな子供になっていた。
そしてある時、子供っぽいからという理由で
イチじゃなくて一輪と呼ぶことを約束させられたのだ。
初めは何度も失敗して、イチって言うたんびに睨まれた。(ちょっと泣いた)
あまりにも失敗するので、『私がムラサって言ったら一輪って言うこと!』って言って
反射的に『ムラサ』って言われたら『一輪』と返す特訓をして
何とか『イチ』を卒業することができたのだ。
こうして日々『ムラサ』『一輪』と言葉を交わし合うのだが、
未だに違和感を感じるのは多分、
時々『イチ』という感覚を思い出させられるからだと思う。
「ムラサ、起きてる?」
就寝の前に部屋でお茶を飲んでいると、
チラリと顔を上げると、障子の間から一輪が顔だけ覗かせているのが見えた。
「起きてるよ、一輪」
こうやって一輪が私の部屋を訪ねてくることがある。
大体こういう時は、いつも気丈にふるまう彼女似合わない、不安そうな空気をまとっている。
「…ムラサお風呂入った?」
「は、入ったよ!…湯船はつかってけど…」
「今度いっしょに入るわよ」
「…………ハイ」
他愛もない話をしながら部屋に入ってきて、
私はいつものように新しいお茶を入れてあげる。
「明日のみそ汁の具何にしようかなー。」
「明日は人参入りがいいなー。」
「人参苦手なのよね…。」
「昔から嫌いだよね。おいしいのにー。」
他愛のない話。
でも。わかるのだ。
「だって何か甘いが違うんだもの。」
「一輪は甘いの好きだしね。」 『イチ』
「ムラサは何でも食べるわよね。」 『みつ』
「ひどい…。」
イチが、そこにいる。
だんだん会話は途切れていき、そこには懐かしい空気だけが残る。
そうなってやっと、一輪が動く。
そっと私の腕の下から入れて、私の懐に頭をすっぽりと埋め、
腰をぎゅっと抱きしめられる。
私は一輪の頭に手をまわし、柔らかな髪に顔をうずめながら頭をなでる。
イチが好きだったこと。
とくとくと、一輪の心音を感じる。私にはない音。
それに合わせながらゆっくりと、頭をなでてあげる。
ほんのりと甘い香りが鼻先をくすぐる。
やや硬くなっていた一輪の体がほぐれていくのを感じる。
それが嬉しくて、何故だか泣きそうになる。
一輪が自分で離れるまで、こうやってイチを労わってあげる。
よしよし、イチはがんばりやさんだね。えらいね。
わたしがみてるからね。いつもありがとうね。
時間にして大体3分間くらい。
顔を上げると「ありがと」って言って、普段の一輪に戻ってしまう。
ずっと続いてくれてもいいのに。
そんなことを思ってるのが顔に出てしまうのか、
少し顔を赤らめて「もう寝なさい」って言って鼻をつままれるのだ。毎回。
やってくるのはそっちじゃないと思いながら
「うん、おやすみ」と言って一輪を見送る。
それを言ってしまったら、意地っ張りの一輪のことだから
大好きなこの時間がなくなってしまうかもしれない。
それは私にとって、きっと一輪にとっても、苦しいことに違いない。
こうして、一輪がイチになることが時々あって、
そのたびイチを補充するから、
一輪って呼び方に何百年もの間違和感を感じるだろう。
でも、これからもずっと続けばいいな、と思う。