冥界、白玉楼の庭先で、二人の少女が向かい合っている。
片方は、庭師である魂魄妖夢。
そして片方は、遠く博麗神社に住む博麗霊夢であった。
「急に押し掛けてきて、一体何の用だ?」
妖夢は、目を細め不信感をあらわにしている。
「あなたのとこのご主人様に、ちょっと用があってね」
ところどころ破れた巫女服を着て、体をふらつかせている霊夢が言った。
顔はうつむいており、妖夢は彼女の表情をうかがい知れずにいる。
「随分ふらついているが、どうしてそんな状態で来たんだ?」
「一刻も早くここに来たかったからさ――」
端的に答える霊夢。
しかし、妖夢の質問に対する答えにはなっていない。
「……ともかく、用件を聞こう。でなければ中には上げられん」
白玉楼の番人としての仕事もある妖夢の言葉だ。
霊夢としても、言わなければ埒があかないと承知している。
故に、言った。
「西行寺幽々子を、一発ブン殴ってやりに来たのよ――」
妖夢の表情が、一転、険しいものとなった。
「私は、主に狼藉を働くと宣言した者を通すほど愚かではないぞ」
「どうしても、やらないと気が済まないのさ」
霊夢は、一度口を閉じて、うつむかせていた顔を上げた。
その顔を見た妖夢が、思わず息を呑む。
霊夢の頬はこけ、見るからに痩せていた。
よくよく見れば、霊夢の特徴でもある脇周辺、そこの余分な肉が全て消え去っている。
「先日の宴会の時、うちの食料に手を出しやがった馬鹿がいてね」
「それが幽々子様だという証拠はあるのか!?」
無い、と霊夢が言えば、その瞬間斬って捨てる。
妖夢の声には、そういう気迫がある。
だが、霊夢は物怖じせずに言った。
「足跡が無かったのさ。
やられたのは土間の食料だ。なのに、土にちょっとの跡も残ってない――」
痩せこけた霊夢はときおりふらつくが、目だけは異様に光っている。
猛獣が獲物を狙うような、ぎらついた目をしている。
「そ、それだけでは証拠にならない!!」
妖夢は、一縷の望みを賭けて叫んだ。
「宴会に来る連中は皆が空を飛べる! 誰かが幽々子様に濡れ衣を着せようとしているんだ!!」
妖夢の叫びは、霊夢には届かなかった。
苦笑、否、嘲笑でもって受け流されていた。
「飛ぶことと浮くことの違いが、まさか判らないわけじゃないでしょうに――」
ぎっ、と妖夢は唇を噛む。
幻想郷に空を飛ぶ者は数あれど、ふわふわと常に浮いているのはごく一部の者だけである。
霊夢の言うことは至極尤もで、道理にかなっている。
そして幽々子は事実健啖であり、宴会において一番の大食漢の座を譲ったことが無い。
状況証拠は完璧すぎる。
だが、物的証拠が無い、と言い張ることも妖夢には出来た。
しかし、妖夢はそれをしない。
出来ないのだ。
痩せこけた霊夢を前に、これ以上意地を張り通せるほど大人ではないのだ。
妖夢はうつむき、口を開いた。
「……無くなった分の食料を、うちで融通しよう。幽々子様が許してくれれば、私が神社まで運んでも良い」
妥協。
ここまでは譲る、という線まで妖夢は引いた。
だが、霊夢は言う。
「それはそれで受け取るわ。でも、幽々子を殴らないことには帰れない」
妖夢は、驚きに突き動かされ霊夢の顔を見つめた。
そこには、さきほどまでとなんら変わらぬ、頬のこけた霊夢の顔があった。
表情も、何も変わっていない。
わずかに口の端を浮かせた苦笑である。
「人が生きるための糧に手を出した罰を、私自らが下しに来たのよ。
ここまで来るのにも大層苦労したんだから、今更帰れるかっての。
この体じゃ、御札もろくに投げられない。道中、毛玉や妖精に難儀したわ――」
ごくりと妖夢が唾を飲んだ。
服が破れていた理由はそれなのか、とまず納得する。
そして、春を集めていた時とは異なる霊夢の雰囲気に、異形の空気を感じている。
鬼気迫る博麗の巫女は、もはや異形と化したのか、と。
こんなものを、幽々子様に会わせるわけにはいかない――
妖夢は、愛刀二つを抜き、両手に握った。
「お帰り願おう、博麗霊夢――」
場の空気すらぴしっと切り裂くような、鋭く低い声であった。
「帰らないといったら、どうなるのかしら」
霊夢は、つっ立ったまま質問をした。
質問を聞いた妖夢の口が、にいっとひん曲がる。
「……力ずくで、お帰り願おうっ!」
がっ、と妖夢が白玉楼の土を蹴った。
霊夢に向かって走るのではなく、地面を蹴って自らを前へと飛ばした。
その速度、実に二百由旬を一閃にて渡るであろうものだった。
御札が使えぬ霊夢など、ただの人間である。
当然、斬れば死ぬ。
ゆえに妖夢は、峰打ちで気絶させるつもりであった。
ただの人間を相手にするのに一瞬であろうと全力を出したのは、相手が霊夢だからである。
苦しませず、そして敬意を表すために。
そのために、全速力で、最短距離を、一直線に突っ込んだ。
ばんっ
高く、しかし鈍い音がした。
妖夢が剣を振った音ではない。
妖夢が地を蹴った音でもない。
霊夢が、座布団の如き巨大な御札を放ったのである。
妖夢はその御札に、顔面から突っ込んだ。
二百由旬を一閃にて渡るであろう速度で、である。
紙を打つ高い音ではなく、壁にぶつかったような鈍い音が白玉楼に響き渡った。
妖夢は一瞬で意識を失った。
◆ ◆ ◆
「ひどい顔ね……」
声は、霊夢のものではない。
屋敷から出てきた幽々子のものであった。
幽々子は、鼻血と腫れで赤くなった妖夢の顔を見て、いかにも悲しそうにしている。
「てめえの教育の不備が招いた結果だというのに、ひどい顔で済ませるつもりかしら?」
霊夢の声は、心底呆れたというふうであった。
霊夢は続ける。
「敵の言葉を信じて馬鹿正直に突っ込んでくるんだから、剣士としては失格じゃない?」
厳しい言葉だが、幽々子は微笑を浮かべて答えた。
「そこが可愛いんじゃない――」
霊夢は、はあと溜め息をついた。
「親馬鹿ね」
「良いじゃない、親馬鹿でも。これでも厳しく育てているんだから」
「妖夢の根が真面目なだけでしょうに」
「あら、そうかしら?」
ふふりと笑う幽々子である。
「ところで霊夢、私のことを殴りに来たんじゃなかったの?」
「なんだ、聞いてたの。……まあ、妖夢をいじめて気が晴れたから別に良いわ。後はメシで手を打ちましょう」
妖夢の額には、いつの間にか『負け犬』と大書してあった。
幽々子は、それを見ても笑顔を崩さない。
「メシと言えば、私もお腹が空いたわ。妖夢を起こして何か作らせましょう」
「それは良いわね」
「良いでしょう?」
「では、中に上がらせてもらうわよ」
「ええ、どうぞ」
霊夢と幽々子は、妖夢の足をそれぞれ一本ずつ掴み、母屋へと歩き出した。
「ゆこう」
「ゆこう」
そういうことになった。
ここにズギューンとキマシタ。