目が覚めて、最初に感じたのは渇きだった。
ベッドの上に身体を起こしたフランドールが小さく欠伸をすると、空気を吸い込んだ口の中が、さらに渇いた。
「のど、かわいた」
呟きが口唇に張り付いて不快だった。
「のどがかわいた」
それでも、もう一度、フランドールは呟く。
隣で寝ていた人形を手に取り、膝の上に座らせると、フランドールはその両手を自分のてのひらの上に乗せる。
「のどがかわいた。ね」
細い指を閉じて、人形と手をつないだフランドールは、人形の大きな青い瞳を見つめた。青いガラス玉に映る自分を見つめている。
しばらく見つめ合い、それからゆっくりと人形の手を持ったままその身体を持ち上げる。
その時、部屋の扉がノックされた。
「失礼します」
背筋を伸ばし、入ってきたのは咲夜だった。左手に、ティーセットの乗ったトレイを持っている。揃いのティーポットとカップの白さが、部屋の灯りよりも明るく見えた。
「まだお休みだったのですか」
寝間着のままベッドの上にいるフランドールを見て、咲夜は言う。片手でしっかりと扉を閉めてから、部屋の中央に置かれた丸テーブルへ、音をたてずにトレイを置く。
「のどがかわいた」
人形を持ち上げたまま、フランドールは顔だけ咲夜に向けて言った。口唇の両端を持ち上げ、咲夜はティーポットを取り上げながら答えた。
「お茶を用意します。着替えをなさってください」
フランドールがてのひらをひろげ、人形はベッドの上に落ちた。
着替えをするフランドールの横で、咲夜はカップに紅茶を注ぎ、ベッドを整えると放り出された人形を枕元に座らせる。それから、脱いだまま床にまるまっているフランドールの寝間着を手に取ると、一礼をして部屋を出て行った。
「咲夜は……」
椅子に座りながら、ひとりに戻った部屋でフランドールは喋り始める。
「ていねいなのに、どうして、咲夜がドアを閉める音って大きいのかしら」
紅茶に口をつけると、渇いていたところがあたたかく濡れる。一口飲んでから、フランドールは口唇を舐めた。
「アプリコットジャムね。この前のロシアンティーはブルーベリーだったわ。わたしは、アプリコットのほうがすきよ」
時計の無い部屋に、フランドールの声は響く。この部屋の中では、いつも、フランドールの声ばかりが響く。
「でも、もっと甘いほうがすき」
シュガーポットの中には、砂糖のかわりに蜂蜜が入っている。とろりとしたその液体をフランドールはカップに注ぎ、スプーンで何度かかき混ぜた。
カップに当たる、スプーンの音。
「甘いものはおいしいの。ケーキもおいしいでしょ。だから、ビスコッティよりはクッキーがすき。だけど昨日はビスコッティだったわ」
小さく、ため息を吐くと、フランドールは手にしていたスプーンを放り投げた。壁に当たる音。床に落ちる音。
そして響くのは、フランドールの声ばかり。
「ビスコッティもきらいじゃないけど、やっぱりクッキーのほうがすき。でもケーキがいちばんすき」
フランドールはゆっくりと紅茶を飲む。飲み終わると、カップも壁に投げつけた。カップが割れる音。欠片が落ちる音。
その音を聞き、フランドールはくすくすと笑う。笑いながら、ソーサーも投げる。
ぶつかり、砕ける。
シュガーポットも投げようと手に取り、ふと、何か思いついたようにフランドールは手を止めた。シュガーポットを持ったままベッドサイドまで行き、咲夜が枕元に座らせた人形を手に、またテーブルへと戻る。
テーブルの上に座らされた人形の青い瞳に、また、自分の姿を映す。
「青い目がきれいね。青い色はきれいよ」
頬杖をついて、フランドールはえくぼを浮かべた。
「チルチルとミチルの青い鳥がね、いたのよ。かわいかったの。お歌をうたったの。青い鳥のね、羽根が、ばらばらになったのを見たのよ。とてもきれいだったわ」
うっとりとした表情で、フランドールは続ける。
「きれいだったの。でも、あなたの目はもっときれいよ」
呟きながら、フランドールはシュガーポットを持った手を傾ける。人形の着ている赤いドレスの上に、蜂蜜が金色の糸になって落ちる。
「青い目がきれい。赤いお洋服がきれい。はちみつもきれい」
シュガーポットが空になると、フランドールはそれを壁に投げた。今度は、声を出して笑う。
「とってもきれい」
人形の手を取ると、フランドールは壁際へ歩く。手を伸ばし、壁に触れる。
「お空も青いってご本に書いてあったけど、そんなのはうそね。でも、青いお空って、きれいだと思うわ」
ふと、フランドールの靴の下で、ぢゃり、と、音がした。床に落ちていたカップの欠片を踏んだのだ。
フランドールは驚いたように足元を見る。
そっと、欠片を踏んだ左足に体重をかける。
また、ぢゃり、と音がする。
「お歌をうたいましょう。青い鳥がうたっていたお歌よ」
壁に手を当てたまま、何度も、フランドールは欠片を砕き、鳴らした。
一定のリズムをもって、そしてそれに合わせて、何か口ずさみ始める。
陶磁器の砕ける音が、幼い声のつむぐ旋律と混ざり、歌になる。
歌い終わると、フランドールは壁から手を離した。
「このお歌しか、わからないの」
壁を見つめたフランドールの手から、人形が落ちる。粉々になった白い欠片の上に。ドレスの裾が乱れる。
「今日のおやつは何かしら。ケーキがいいな。でも、アップルパイも食べたいわ」
フランドールは踵を返して、部屋の中を踊るように歩き回った。人形は、床の上だ。
「ケーキ、ケーキ、ケーキ」
靴の底に張り付いていた欠片が、はがれて落ちる。
「アップルパイ、アップルパイ、アップルパイ」
自分の呟きが歌のようになっていることに、フランドールは気付かない。
気付かずに、テーブルの周りをまわり続ける。
「ケーキ、ケーキ、ケーキ」
繰り返しながら、フランドールの舌は渇いていく。口唇も、渇いていく。
「おやつ、おやつ、おやつ……早くおやつの時間にならないかなあ」
足音をたてず、フランドールは歌い続けた。
渇いていく歌声だけが、部屋に響いていた。
ベッドの上に身体を起こしたフランドールが小さく欠伸をすると、空気を吸い込んだ口の中が、さらに渇いた。
「のど、かわいた」
呟きが口唇に張り付いて不快だった。
「のどがかわいた」
それでも、もう一度、フランドールは呟く。
隣で寝ていた人形を手に取り、膝の上に座らせると、フランドールはその両手を自分のてのひらの上に乗せる。
「のどがかわいた。ね」
細い指を閉じて、人形と手をつないだフランドールは、人形の大きな青い瞳を見つめた。青いガラス玉に映る自分を見つめている。
しばらく見つめ合い、それからゆっくりと人形の手を持ったままその身体を持ち上げる。
その時、部屋の扉がノックされた。
「失礼します」
背筋を伸ばし、入ってきたのは咲夜だった。左手に、ティーセットの乗ったトレイを持っている。揃いのティーポットとカップの白さが、部屋の灯りよりも明るく見えた。
「まだお休みだったのですか」
寝間着のままベッドの上にいるフランドールを見て、咲夜は言う。片手でしっかりと扉を閉めてから、部屋の中央に置かれた丸テーブルへ、音をたてずにトレイを置く。
「のどがかわいた」
人形を持ち上げたまま、フランドールは顔だけ咲夜に向けて言った。口唇の両端を持ち上げ、咲夜はティーポットを取り上げながら答えた。
「お茶を用意します。着替えをなさってください」
フランドールがてのひらをひろげ、人形はベッドの上に落ちた。
着替えをするフランドールの横で、咲夜はカップに紅茶を注ぎ、ベッドを整えると放り出された人形を枕元に座らせる。それから、脱いだまま床にまるまっているフランドールの寝間着を手に取ると、一礼をして部屋を出て行った。
「咲夜は……」
椅子に座りながら、ひとりに戻った部屋でフランドールは喋り始める。
「ていねいなのに、どうして、咲夜がドアを閉める音って大きいのかしら」
紅茶に口をつけると、渇いていたところがあたたかく濡れる。一口飲んでから、フランドールは口唇を舐めた。
「アプリコットジャムね。この前のロシアンティーはブルーベリーだったわ。わたしは、アプリコットのほうがすきよ」
時計の無い部屋に、フランドールの声は響く。この部屋の中では、いつも、フランドールの声ばかりが響く。
「でも、もっと甘いほうがすき」
シュガーポットの中には、砂糖のかわりに蜂蜜が入っている。とろりとしたその液体をフランドールはカップに注ぎ、スプーンで何度かかき混ぜた。
カップに当たる、スプーンの音。
「甘いものはおいしいの。ケーキもおいしいでしょ。だから、ビスコッティよりはクッキーがすき。だけど昨日はビスコッティだったわ」
小さく、ため息を吐くと、フランドールは手にしていたスプーンを放り投げた。壁に当たる音。床に落ちる音。
そして響くのは、フランドールの声ばかり。
「ビスコッティもきらいじゃないけど、やっぱりクッキーのほうがすき。でもケーキがいちばんすき」
フランドールはゆっくりと紅茶を飲む。飲み終わると、カップも壁に投げつけた。カップが割れる音。欠片が落ちる音。
その音を聞き、フランドールはくすくすと笑う。笑いながら、ソーサーも投げる。
ぶつかり、砕ける。
シュガーポットも投げようと手に取り、ふと、何か思いついたようにフランドールは手を止めた。シュガーポットを持ったままベッドサイドまで行き、咲夜が枕元に座らせた人形を手に、またテーブルへと戻る。
テーブルの上に座らされた人形の青い瞳に、また、自分の姿を映す。
「青い目がきれいね。青い色はきれいよ」
頬杖をついて、フランドールはえくぼを浮かべた。
「チルチルとミチルの青い鳥がね、いたのよ。かわいかったの。お歌をうたったの。青い鳥のね、羽根が、ばらばらになったのを見たのよ。とてもきれいだったわ」
うっとりとした表情で、フランドールは続ける。
「きれいだったの。でも、あなたの目はもっときれいよ」
呟きながら、フランドールはシュガーポットを持った手を傾ける。人形の着ている赤いドレスの上に、蜂蜜が金色の糸になって落ちる。
「青い目がきれい。赤いお洋服がきれい。はちみつもきれい」
シュガーポットが空になると、フランドールはそれを壁に投げた。今度は、声を出して笑う。
「とってもきれい」
人形の手を取ると、フランドールは壁際へ歩く。手を伸ばし、壁に触れる。
「お空も青いってご本に書いてあったけど、そんなのはうそね。でも、青いお空って、きれいだと思うわ」
ふと、フランドールの靴の下で、ぢゃり、と、音がした。床に落ちていたカップの欠片を踏んだのだ。
フランドールは驚いたように足元を見る。
そっと、欠片を踏んだ左足に体重をかける。
また、ぢゃり、と音がする。
「お歌をうたいましょう。青い鳥がうたっていたお歌よ」
壁に手を当てたまま、何度も、フランドールは欠片を砕き、鳴らした。
一定のリズムをもって、そしてそれに合わせて、何か口ずさみ始める。
陶磁器の砕ける音が、幼い声のつむぐ旋律と混ざり、歌になる。
歌い終わると、フランドールは壁から手を離した。
「このお歌しか、わからないの」
壁を見つめたフランドールの手から、人形が落ちる。粉々になった白い欠片の上に。ドレスの裾が乱れる。
「今日のおやつは何かしら。ケーキがいいな。でも、アップルパイも食べたいわ」
フランドールは踵を返して、部屋の中を踊るように歩き回った。人形は、床の上だ。
「ケーキ、ケーキ、ケーキ」
靴の底に張り付いていた欠片が、はがれて落ちる。
「アップルパイ、アップルパイ、アップルパイ」
自分の呟きが歌のようになっていることに、フランドールは気付かない。
気付かずに、テーブルの周りをまわり続ける。
「ケーキ、ケーキ、ケーキ」
繰り返しながら、フランドールの舌は渇いていく。口唇も、渇いていく。
「おやつ、おやつ、おやつ……早くおやつの時間にならないかなあ」
足音をたてず、フランドールは歌い続けた。
渇いていく歌声だけが、部屋に響いていた。
ただ単に狂っているのか。それとも純粋な子供なのか。
それを置いても、狂っているのか純粋なのか解らないフランの一日
ホラーではないのだけれど、ゾクッと背筋が寒くなりますね
こう、後ろから…
見ている咲夜の気分になって読んでいました
っていうか、まんまやん。タイトルまで?!
ちょっとうたをSSに変えただけのような
ただ、ベースにした歌や唄がある場合、元ネタは書かれるべきかと。
と
悪くないSSへの変換(アレンジ)でした
コメントをどちらにしたらよいのか
では、こちらのコメントを。
悪くないSSへの変換(アレンジ)でした
すっきりしたー
あとがきの追加があるまでもんもんとしてましたよ
あのアレンジソングの歌詞はとても好きです
あの印象を残したまま、よくSSをに作られたものです。
こんな空気をもった作品を、またお待ちしております
フランの狂気というのは背筋が凍るような感じですね。
素晴らしかったです。