三日月を空に湛える暗い夜。
柔らかな紅いカーペットが敷かれた廊下に、鈍い足音が響く。
紅の道を点々と照らす蝋燭の光で、ぼんやりと人型が浮かび上がる。
サラサラと流れる銀の短髪。瞳は彼誰時のような深い蒼をしていた。
身に纏うのは、フリルのふんだんに入ったメイド服。
だが、普通の物とは違い、動きやすいようにスカート丈はかなり短くなっていた。
唐突に歩みを止めた彼女は、ゆったりとした動作で窓の外を眺める。
「……いい夜ね」
昼間の喧噪はどこへやら、静かな世界が広がっている。
まあ、魑魅魍魎は活発になる時間なので、実際は相当騒がしいのだろうが。
この間の宴会を思い出して、彼女、十六夜咲夜は苦笑を浮かべた。
あの時はかなり呑まされて、微妙に記憶がない。
そもそも始まりは何だったか……ああ、お嬢様か。
思い出して、眉を下げる。
覚えていないものを気にしてもしょうがないが、次の朝は完全に二日酔いで動けなかった。
もう誰に言われても呑まないようにしよう。
……と決意しても、お嬢様に命令されれば拒否は出来ないのだろうが。
窓から左向け左をして、さて、と呟く。
もういつもなら主は起きている時刻だ。しかし、昨日は随分と早くまで起きていたので、真夜中を過ぎたというのに鈴の一つも鳴らない。
鈴はパチュリー様が作った特別製で、館の敷地内なら何処にいても聞こえるような魔法がかかっている。呼びたい者を思い浮かべれば、その人物にしか聞こえないようにすることも可能だ。
最近は自分で起きたいらしく、起こしに行かなくてもいいのはとても楽だ。我が主は非常に寝起きが悪い。
ベッドの上で毛布にくるまって抵抗する姿は、ある意味カリスマに溢れているような気がする。
掃除は基本的に日中に済ませているので、主が起きていなければ特にすることもない。
とりあえず、食事の準備をして、それでも起きてこなかった場合起こしに行こうと、これからの予定を決める。
そうと決めたら、向かうは厨房。今度は目的を持って、咲夜は歩き出した。
**********
静かな厨房に、カチャカチャと小さな音が響く。
いつもは妖精メイド達やらへの賄いに調理班がかけずり回っているのだが、それは昼の話だ。
夜勤の者達もいるのだが、昼間より圧倒的に少ないため、調理班達も日勤。
だからこの時間、厨房にいるのは咲夜一人だった。
どちらにしろ主の食事を作るのは自分なのだから、気にすることはない。
だが、こうも広いところに一人だと、物音一つがとても大きく聞こえる。
浅い皿に盛りつけて、ドーム型の蓋を被せ、皿の中の時を止める。
主はまだ起きてこない。
苦笑と共に一つ、嘆息。
……一週間も保たなかったか。
らしいと言えばそれまでだが、もう少し忍耐というのを覚えて欲しい気もする。
年上には思えなくなってきたな、ともう一つ笑みを零す。
配膳台に食事を載せて廊下に出る。
歩きながら何気なく台の上を見れば、乗せ忘れがあった。
思考の方を優先しすぎたか。それにしても凡ミスだ。疲れているのだろうか。
すぐ戻ってくるから、これは廊下の隅に置いておけばいいだろう。どうせ誰も通らないだろうし、皿の中の時間は止めてある。
踵を返して、さっさと来た道を戻る。
もう一度厨房に入ると、隅に小さな一皿と、スプーンなどが入った籠が目に入る。
それを両手に持って再びUターン。
ドア前まで来て、これでは開けられないと気付く。幸いノブがレバー式なので、横着だが籠を持っていた手の甲で開けた。
開けてから、どちらか置けば良かったんだと気付く。頭が活動を拒否しているのだろうか。ストライキの理由はなんだろう。
馬鹿な方向に頭が動いている。やっぱり疲れてるのかもしれない。
休んだ方がいいかと思案しながら廊下を歩く。
薄暗い視界にぼんやりと配膳台が浮かんだ。
そこまで来て、咲夜の歩みはぴたりと止まった。
気配……?
そうだ。日が落ちてから活発になるのは、何も吸血鬼だけではない。さっきそう思ったではないか。
前に二頭……後ろにも?
いつの間に後ろをとられたのだろう。最近は来ないと思って油断していたのだろうか。
一頭程度なら少し慌てようともなんとかするが、これは想定の範囲外だ。
しかもここは布の敷かれた廊下。ナイフを投げようものなら返り血がこびりつくこと請け合い。
そしてどう考えてもそれを掃除するのは自分だ。
正面の一頭が蠢く。
咲夜の額に冷や汗が流れた。
まず、こいつらが徒党を組むなどと言うことがあっただろうか。
こんな統制の取れた行動をすることがあるのだろうか。
誰かが操っているんじゃないだろうか。
現実逃避ともとれるどうでもいいことしか頭の中には浮かばなくて、咲夜は自分で混乱のスパイラルに入り込んでしまった。
一度落ち着こうと、目を閉じて息を大きく吐く。
開いて、目の前の敵を威嚇するように睨み付けた。
目があった……!?
そう思った瞬間、それは咲夜に向かって、
とんだ。
絶叫が悪魔の住む館に響き渡る。
「どうしたんですか!?」
数秒も経たぬうちに、音を聞きつけた門番が窓から紅い髪を靡かせて踊り入った。
彼女が見回すと、廊下の隅で震える小さな影。
「……咲夜さん!」
尋常ではない様子に慌てて近寄る。
咲夜は美鈴を視界に入れると、そのまま胸の中に飛び込んだ。
「何があったんですか?」
震える手を握りしめると、口が小さく動く。
美鈴は落ち着かせるように背中を撫でて、耳をそばだてる。
「ごき……ぶり……」
涙目でなんとか言葉にした彼女はいつになくとても可愛かった。
終わる
柔らかな紅いカーペットが敷かれた廊下に、鈍い足音が響く。
紅の道を点々と照らす蝋燭の光で、ぼんやりと人型が浮かび上がる。
サラサラと流れる銀の短髪。瞳は彼誰時のような深い蒼をしていた。
身に纏うのは、フリルのふんだんに入ったメイド服。
だが、普通の物とは違い、動きやすいようにスカート丈はかなり短くなっていた。
唐突に歩みを止めた彼女は、ゆったりとした動作で窓の外を眺める。
「……いい夜ね」
昼間の喧噪はどこへやら、静かな世界が広がっている。
まあ、魑魅魍魎は活発になる時間なので、実際は相当騒がしいのだろうが。
この間の宴会を思い出して、彼女、十六夜咲夜は苦笑を浮かべた。
あの時はかなり呑まされて、微妙に記憶がない。
そもそも始まりは何だったか……ああ、お嬢様か。
思い出して、眉を下げる。
覚えていないものを気にしてもしょうがないが、次の朝は完全に二日酔いで動けなかった。
もう誰に言われても呑まないようにしよう。
……と決意しても、お嬢様に命令されれば拒否は出来ないのだろうが。
窓から左向け左をして、さて、と呟く。
もういつもなら主は起きている時刻だ。しかし、昨日は随分と早くまで起きていたので、真夜中を過ぎたというのに鈴の一つも鳴らない。
鈴はパチュリー様が作った特別製で、館の敷地内なら何処にいても聞こえるような魔法がかかっている。呼びたい者を思い浮かべれば、その人物にしか聞こえないようにすることも可能だ。
最近は自分で起きたいらしく、起こしに行かなくてもいいのはとても楽だ。我が主は非常に寝起きが悪い。
ベッドの上で毛布にくるまって抵抗する姿は、ある意味カリスマに溢れているような気がする。
掃除は基本的に日中に済ませているので、主が起きていなければ特にすることもない。
とりあえず、食事の準備をして、それでも起きてこなかった場合起こしに行こうと、これからの予定を決める。
そうと決めたら、向かうは厨房。今度は目的を持って、咲夜は歩き出した。
**********
静かな厨房に、カチャカチャと小さな音が響く。
いつもは妖精メイド達やらへの賄いに調理班がかけずり回っているのだが、それは昼の話だ。
夜勤の者達もいるのだが、昼間より圧倒的に少ないため、調理班達も日勤。
だからこの時間、厨房にいるのは咲夜一人だった。
どちらにしろ主の食事を作るのは自分なのだから、気にすることはない。
だが、こうも広いところに一人だと、物音一つがとても大きく聞こえる。
浅い皿に盛りつけて、ドーム型の蓋を被せ、皿の中の時を止める。
主はまだ起きてこない。
苦笑と共に一つ、嘆息。
……一週間も保たなかったか。
らしいと言えばそれまでだが、もう少し忍耐というのを覚えて欲しい気もする。
年上には思えなくなってきたな、ともう一つ笑みを零す。
配膳台に食事を載せて廊下に出る。
歩きながら何気なく台の上を見れば、乗せ忘れがあった。
思考の方を優先しすぎたか。それにしても凡ミスだ。疲れているのだろうか。
すぐ戻ってくるから、これは廊下の隅に置いておけばいいだろう。どうせ誰も通らないだろうし、皿の中の時間は止めてある。
踵を返して、さっさと来た道を戻る。
もう一度厨房に入ると、隅に小さな一皿と、スプーンなどが入った籠が目に入る。
それを両手に持って再びUターン。
ドア前まで来て、これでは開けられないと気付く。幸いノブがレバー式なので、横着だが籠を持っていた手の甲で開けた。
開けてから、どちらか置けば良かったんだと気付く。頭が活動を拒否しているのだろうか。ストライキの理由はなんだろう。
馬鹿な方向に頭が動いている。やっぱり疲れてるのかもしれない。
休んだ方がいいかと思案しながら廊下を歩く。
薄暗い視界にぼんやりと配膳台が浮かんだ。
そこまで来て、咲夜の歩みはぴたりと止まった。
気配……?
そうだ。日が落ちてから活発になるのは、何も吸血鬼だけではない。さっきそう思ったではないか。
前に二頭……後ろにも?
いつの間に後ろをとられたのだろう。最近は来ないと思って油断していたのだろうか。
一頭程度なら少し慌てようともなんとかするが、これは想定の範囲外だ。
しかもここは布の敷かれた廊下。ナイフを投げようものなら返り血がこびりつくこと請け合い。
そしてどう考えてもそれを掃除するのは自分だ。
正面の一頭が蠢く。
咲夜の額に冷や汗が流れた。
まず、こいつらが徒党を組むなどと言うことがあっただろうか。
こんな統制の取れた行動をすることがあるのだろうか。
誰かが操っているんじゃないだろうか。
現実逃避ともとれるどうでもいいことしか頭の中には浮かばなくて、咲夜は自分で混乱のスパイラルに入り込んでしまった。
一度落ち着こうと、目を閉じて息を大きく吐く。
開いて、目の前の敵を威嚇するように睨み付けた。
目があった……!?
そう思った瞬間、それは咲夜に向かって、
とんだ。
絶叫が悪魔の住む館に響き渡る。
「どうしたんですか!?」
数秒も経たぬうちに、音を聞きつけた門番が窓から紅い髪を靡かせて踊り入った。
彼女が見回すと、廊下の隅で震える小さな影。
「……咲夜さん!」
尋常ではない様子に慌てて近寄る。
咲夜は美鈴を視界に入れると、そのまま胸の中に飛び込んだ。
「何があったんですか?」
震える手を握りしめると、口が小さく動く。
美鈴は落ち着かせるように背中を撫でて、耳をそばだてる。
「ごき……ぶり……」
涙目でなんとか言葉にした彼女はいつになくとても可愛かった。
終わる
結局Gはどうなったんだろうか。
うん、正にあの迫力は<とんだ。>としか言えない。的確すぎる表現です。
次回の演奏も楽しみにしてますね!