アジサイが咲く季節。雨の多い時期。六月。雨嫌いの妖怪や吸血鬼達が引きこもりがちになる期間。
しかし花にとっては恵みの雨。大地に蓄えられていく水を吸収してよく育つ。
花を愛する私風見幽香にとっては嬉しい季節だ。花も喜んでくれる。本日の天候は曇りなわけだが。
今日も私は夢幻館をエリーに任せきりで向日葵畑で遊びに行く。
しかし様子がおかしい。様子というのは幻想郷全体の話。何処からか騒がしい気配がする。
そして騒がしいというのは何処かでどんちゃん騒ぎでもしているかの様な、宴会のもの。
暇を持て余している私は早速その方向へ飛んだ。苛めて欲しそうな奴が一杯いれば遊びたいところ。
騒ぎが起きているのは紅魔館の方角だった。三日ぶりに晴れたということで吸血鬼がパーティを開いたようである。
吸血鬼は夜に目が覚めて夜明けに眠るものなのに、昼間から活動しているとはご苦労なことだ。
門番が「人間もそうでない者でもどうぞ」と声をかけてきたので、遠慮なく入っていく。
中の庭ではたくさんいる妖精メイドの中に紛れている人妖が酒を呑んでいた。昼間から酒とはいやはや。
主催者の吸血鬼はメイドが差す傘の下で武勇伝を客に聞かせていた。
顔見知りの者と軽く挨拶だけを交わして、私は紅魔館の中へ侵入する。理由はおもしろそうだから。
赤いカーペットの廊下を歩き、照明器具が照らす館の奥を目指す。時々現れる妖精メイドには眼光を飛ばして黙らせた。
真紅色の扉が並ぶ中、より一層濃い赤色をした扉を見つける。ちなみに今までの扉は殆どが妖精の住処や物置であったりだった。
その扉を開けて目に飛び込んできたのは大きく、豪華なベッド。おそらくは館主の部屋なのだろう。
他にあるのはクローゼットや箪笥、本棚等の家具類。メイドの丁寧な掃除が行き届いた部屋は清潔そのもの。
部屋そのものに軽い香水でも撒いているのか、埃の匂いや窓がない故発生していそうなカビの匂いが全くしなかった。
綺麗すぎて落ち着けない程の部屋。私の興味を惹くようなものでもあれば、と思って本棚を覗くも理解できる本が少なかった。
地理関係の本は見たことのない土地のもので、たくさんの記号や番地が細かく記載されていた。
地図を見てもどこの地方のものかさっぱりわからない。
歴史関係の本を見つけるも知らない史実ばかりしか書かれていない。産業革命? 環境破壊の原因になった話だっただろうか。
もうここを出ようと思ったとき、一冊の本に興味が沸いた。本の件名は「スカーレット家の歴史」。
その本を手に取ったとき、強烈な電撃が本から発せられた。思わず手をひっこめる。勝手に読まれないための防護策なのだろう。
だが私は幻想郷最強を目指す妖怪、風見幽香。この程度で諦めるわけにはいかない。
電撃を無視して無理やり本を開くと電撃が止まった。手が痺れて上手く動かせないが、すぐに治るだろう。
本自体はとても薄く、書かれていることも少ししかなかった。が、重要な本であることは間違いないだろう。
何せこの館にいる吸血鬼の出生が書かれているのだから。
本の最後には家系図が載っていた。レミリア・スカーレットとその妹の両親や親戚の名前がたくさんある。
どうせ幻想郷には居ない者ばかりだろうと思っていると、一人の吸血鬼の名前に目が行った。
その者の名前はクルミ・スカーレット。この館に住む吸血鬼姉妹とは従姉妹の血縁関係にあるようだった。
クルミ。KURUMI。くるみ。
私が住んでいる、幻想郷の中で一つの別世界を作っている夢幻世界。
その夢幻世界と幻想郷の狭間辺りに生きる知人の吸血鬼がいる。彼女の名前はくるみ。
まさか? いやそんなことは……。
私は一つの仮説を立てたが、否定したくなった。
その仮説とは湖の番人をしている吸血鬼くるみが、吸血鬼姉妹の従姉妹だと言う仮説。
今までそんな話は彼女の口から聞いたことが無かった。素振りすら見たことがない。おまけに彼女は吸血鬼と言ってもそこまで強くない。
だからあの吸血鬼姉妹の従姉妹だという仮説が納得いかない。他人の空似である可能性だってある。
とにかく私は一度くるみに会うべきだと思う。会って、この本を突きつけてやらねば。おもしろそうなことになりそうだ。
「誰!」
鋭い女性の声がしたので振り返ると、一本の槍が私に向かって飛んできている所。
指を鳴らして槍を薔薇の花に変えてやると淡い色のドレスを着た少女が顔をしかめる。
花は勢いを失くして私の足元に落ちた。
「花の妖怪が何の用? 宴会なら外よ」
偉そうにふんぞり返った様な声。声色は高く、幼い雰囲気があるが自信に満ちた感じの声。
目の前の彼女は暗い視線で私を見つめる。そして彼女の背中には一対の黒い翼が生えていた。
口の中で微かに見えた、鋭い犬歯からも考えて目の前いる少女は吸血鬼なのだろう。
そう、彼女の名前は確かレミリア・スカーレット。
「随分な挨拶ねえ、レミリア・スカーレット。何、おもしろそうな本を見つけたから貸してもらおうと思っただけよ」
「その本は閲覧禁止で持ち出し禁止なのよ風見幽香。今すぐ棚に戻しなさい」
「素直にそうすると思う?」
「……そうね、応じてくれそうに思えないわね」
「じゃあ決まり。力ずくで私を止めてみせなさい!」
心底面倒臭そうな顔をする吸血鬼。やはりこの本はそれだけの価値がある本なのだろう。
私にしてみればただの暇潰しなのだが、相手は必死な様子。なんて滑稽だ。
私からすれば少しおもしろそうと思っただけでどうでもいいこと。しかし相手にとっては重要な問題なので全力で歯向かうしかない。
「本はそう簡単に破れないようまじないをかけている。だから目一杯やるわよ」
「どうぞご自由に。ああ、言っておくけど本にかかっていた電気の罠なら力ずくで壊したから」
「野蛮ね」
「豪快と言って欲しいわ」
彼女も弾幕ごっこが得意なのだろう。スペルカードもたくさん持っていそうだ。が、それ以上に肉弾戦が得意なはず。
何せ力自慢で有名な鬼の亜種なのだから。
冷ややかな表情で私に食って掛かろうとする姿にある種の感動を覚えながらも、私も腰を落として待ち構えた。
お互い相手の目を見つめて微動だにしない。お互いに相手の力量を把握しているから。
いつでも相手を瀕死へ追い込める程のことが出来るぐらいお互いには力があるのだから。
先に動いたのはレミリアの方だった。咄嗟に本を捨て、吸血鬼とぶつかり合う。
私も向こうも、相手に頭突きを食らわせた。失神しそうになるのを堪えて取っ組み合う。
「それにしてもレミリア……外の宴会で呑気に武勇伝を語っていたんじゃなかったの?」
「お前が館内へ入って行ったのを見ていたわ。まさかと思って来てみれば……ねえ。どうしてお前の様な者がその本を持ち出す?」
お互いの力はほぼ拮抗している状態。押しても押し切れない、ある意味バランスの取れた状態。
「話してあげようかしらね、どうしようかしらね」
からかう様に言って見せるとレミリアも悪戯っぽく笑った。悪魔らしい、いやらしい目つき。
「幽香、お前は何か思惑があって本を持ち出そうとしているの? それとも、その本に書かれていたことで気になったことが出来たからそれを調べようと思ったの?」
吸血鬼の鋭い指摘。隠し切れないと思って私は話してあげてもいいかなと思った。空気を読んでか、相手は取っ組み合いを止める。
「……ねえレミリア、この本の家系図にあるクルミ・スカーレットって誰よ」
「お前に何の関係があるの?」
「私の知り合いにくるみという名前の吸血鬼がいるのよ」
「ふむ。お前のその知り合いが、このクルミと同一人物であると言いたいわけ?」
「確証はないわ。くるみ自身からそういう話は聞いたことがないし」
「でもこの者は行方不明になっているんけど……」
「それはあなた達一行が外の世界に居た頃の話でしょう? 幻想郷に来る前の話なんでしょう?」
「……幽香、あなたのその知人と会えないかしら。とはいえ、私はクルミ・スカーレットと会ったことがないから会ってもわからないけどね」
「小一時間私の言いなりになるっていうのなら、彼女が居る場所へ連れて行ってもいいわよ」
「一筋縄では行かないのね!」
※ ※ ※
結果だけを言うとレミリアとの喧嘩に私は負けた。
私は狭い室内ということで本気は出さなかったし、向こうも本気ではなかっただろう。
しかし吸血鬼の鼻を潰してやろうと思った所に強烈な突進で吹き飛ばされてしまい、私は気絶してしまったのだ。
気がついたときは門の前で寝転がされていた。吸血鬼は宴会の席へ戻ったのだろう。門番の愛想笑い交じりによる慰めに腹が立った。
私は夜になってからくるみを連れてもう一度来ると言い残し、夢幻館へ帰った。
門番のエリーに挨拶をして私はすぐに自室のベッドで横になった。体の節々が痛む。
あの吸血鬼め、絶対に泣かせてやる。倒して見下し、私の靴の底を舐めさせてやる。
しかしくるみが吸血鬼姉妹の従姉妹だと聞けばどんな反応をするのだろうか。
案外「そうでしたが、話してませんでした?」なんて当たり前のように言って来るかもしれない。
だがレミリア自身クルミ・スカーレットと会ったことは無いと言った。それならくるみも知らないかもしれない。
何より、まだクルミ・スカーレットとくるみが同一人物であると決まっていないのだから。
部屋の扉がノックされる。声をかけると、心配そうな顔をしたエリーがやって来た。
カールのかかった髪とつばの広い帽子がおしゃれなエリー。色々な意味で大切な門番のエリー。
「失礼します、幽香様。どうなさいました?」
「何でもないわ、エリー。こけたことにしておいて」
「こけただけでは体中に痣なんて出来ませんよ?」
「全身打撲だとか、そんなことにしておいて」
「こけて全身打撲なんて器用な真似できませんよ。それこそ何度もこけないと全身なんて打ちません。崖から落ちたのなら話は別ですが」
「じゃあ崖から落ちたことにしておいて」
「飛べるのに崖からどうして落ちるんですか」
「とにかく、そういうことにしておきなさい!」
「崖から落ちて全身を打つなんてマゾヒストのすることです。とても幽香様のしたこととは思えません」
「さすがは私のエリーね。いい推理だわ」
「恐れ入ります」
「お礼に私の手であなたを全身打撲にしてあげる」
「ひいっ!」
「冗談よ。そんなに私を心配してくれるのなら氷嚢を持ってきて。それとエリー、夜になったらまた出かけるわ」
「わかりました。一応、お気をつけて。崖から落ちないでくださいね」
「落ちてないしこけていないけど、ありがとう」
怪我が治ったら気晴らしにエリーを痛めつけてやろうと思った。
※ ※ ※
人々が仕事を終えて酒を呑む時間。虫や夜行性の動物と妖怪が活発になり始める時間。吸血鬼が目を覚まして活動する時間。
私は夢幻世界から出てすぐに見えてくる湖の、その傍にある小屋を目指した。
玄関の扉を叩くと金色の髪にリボンを結んでお洒落をしたくるみが現れた。
素直そうな柔らかい表情。健気な雰囲気が漂う彼女の笑顔。とても苛め甲斐のある子だ。
「こんばんわ、くるみ。それともおはようの方がいい?」
「ややこしいでしょう? どちらでも構わないわよ幽香さん。それより、何の用?」
「あなたに会わせたい人がいるから来て欲しいんだけど」
「うーん……わかりました、用意するから上がって待っててください」
お邪魔するわよと声をかけて家の中へ。
机の上にある湯気の立つカップの茶からは血の匂いがした。吸血鬼らしい飲み物だ。
小屋の中は質素で最低限の家具しか置かれていなかった。
読書の趣味も持っていないのだろう、本棚さえない。ベッドは小さく、造りの粗そうなもの。
レミリアの部屋とは大違いな空気だった。はっきりいって誇り高く格式ある種族と言われている吸血鬼の家とは思えないもの。
「何かお茶を淹れましょうか」
「別にいいわよ。ちなみに今から行くところは紅魔館だから」
「こうま……かん? 確か……吸血鬼が居るところ?」
「そうよ。そこでその吸血鬼と会って欲しいのよ。従姉妹らしいから」
「い、従姉妹? 私に? そこの吸血鬼が?」
「で、準備はまだなの?」
「あ……うん」
「別に私はいくらでも待ってあげるわよ?」
「あはは……。い、急いで準備するから!」
「吸血鬼っていうのはもっと偉そうで他の者を見下してるイメージがあるけど、あなたはそういう風に見えないわねえ」
「吸血鬼皆が偉そうとは限らないです。人、もとい吸血鬼それぞれになります」
「他人を見下せるほど強ければ見下す?」
「あ。それは思うかも」
「まあ私には勝とうなんて思わないわよね、くるみ」
「い、苛めないで……」
「ごめんね、つい」
「つい、じゃない! 酷い!」
ガキ大将気取りというのも悪くない。
支度の終えたくるみを引っ張って紅魔館へ。夜雀の歌声を楽しみつつ満月を楽しむ。
満月のせいか今夜のくるみはとても調子が良いらしい。
途中で見かけた、喧嘩を売ってくる氷の妖精なんかをくるみはあっと言う間に潰してしまった。
その時見えた彼女のサディスティックな表情は悪魔、もとい吸血鬼らしいカリスマ性すら感じた。
紅魔館の方向を指差してやると、一足どころか二足も早く紅魔館へ飛んで行った。
よっぽど元気が余っているのだろう。そんなに元気なら私を楽しませることに使って欲しいものだ。
門の前で館を見渡すくるみにようやく追いつく。さすがに夜は門番の睡眠時間か、誰も居ない。
「遅いわよ、幽香さん」
「へえ、あなたが私に文句を言えるなんて大した自信じゃない」
「あ、いえ……」
「満月なんだから普段より頑丈になっているんでしょう? 前歯の十本や二十本折ってもすぐに治るわよね?」
「ま、前歯はそんなにない!」
「門の前で騒がしい」
横槍を入れてきたのは館主のレミリアだった。彼女の後ろにはいつもの人間メイド。
メイドがくるみを一目見たとき、ナイフを手に持った。彼女がただの妖怪ではなく、悪魔であることを察知したのだろうか。
「こんばんわ、はじめまして。私はここの主レミリア・スカーレットよ。後ろに居るのは従者の十六夜咲夜。あなたもここ幻想郷に居る吸血鬼ね?」
「ええ、そうよ。名前はくるみ。よろしくね」
レミリアと挨拶を交わすくるみ。彼女は丁寧な挨拶で自己紹介をした。メイドに誘われ、館内の客間へ。
その途中廊下を眺めるくるみは館内の飾り等を観察するのに必死なのか、話しかけても返事をしない。
時々驚いた声を上げたりもした。まるで何か思い出しながら景色の部分部分を追いかけている様子だった。
妖精メイドは寝てしまっているのか、廊下は静かなもの。客間には大きな掛け時計があり、深夜の時刻を指していた。
革張りの豪華なソファーに腰掛け、咲夜の淹れた紅茶を飲みながらくるみとレミリアの会話を傍観する。
くるみが本当にクルミ・スカーレットなのか確かめようと、レミリアが身内にしかわからないような親戚の話を始めた。
「くるみ、覚えていない? 私の叔父様の名前も言えない? この家系図を見て何か思い出せない?」
「……」
「私の母様がバロック音楽を好んで聴いていたこともわからない?」
「ええ、ごめんなさい。全くわからない……」
「はあ……。あなたが私の従姉妹だなんて到底思えないわね。偶然名前が重なっただけとしか思えないわ」
「ごめんなさい、レミリア……」
「いいのよ、いいの。あなたは何も悪くないじゃない。お茶のお代わりは?」
「あ、お願いするわ。あなたのメイドが淹れるお茶美味しいわね」
「そりゃあそうでしょう。吸血鬼が好む、赤い蜜の入った茶を淹れるぐらい朝飯前よ」
「だけど……私があなたの従姉妹だなんて、私自身も考えられないわ」
くるみからの感想。やはり彼女もレミリアとの面識がないようである。
紅魔館や吸血鬼のことぐらいは彼女も知っていると思うが、詳しい事となるとちんぷんかんぷんみたいだ。
「お嬢様、この吸血鬼が本当に親戚であるとお考えで?」
「ううん……何一つ証拠がないんだもの。親戚に会えると少し期待したんだけど、どうしようもないわねえ」
「どうしましょう、幽香さん」
「どうって言われても、くるみはどうしようもないんでしょう? 私の思い違いっていうことで解散してしまえばいいんじゃないの?」
「他人を引っ張りまわしておいてそんな投げ槍なことを言う? なんて厚かましい妖怪なんでしょう」
「あら、くるみの肩を持つの? 大体常に自分以外を見下し、部下を扱き使う吸血鬼が何を言っているのか」
挑発された様な気がして煽ってみると、相手は目くじらを立てた。レミリアの魔力が目を瞑ってもわかる程に膨れ上がっていく。
くるみもそれを察知したのか、身構えた。ただ、くるみは笑っていた。
おもしろい喧嘩でも見られるんじゃないかと期待している子供のような笑顔。
くるみの捻じ曲がった笑顔を見て、レミリアも不気味に笑う。この場で笑っていないのは咲夜だけ。
「ねえレミリア。この館に地下室ってあるの?」
「ええ、あるけど……それがどうかした? 地下室を見れば何か思い出すと?」
「かもしれないの」
くるみの発言に驚く。まさか、と思わされる。
先ほど廊下を見て頭をかしげたりした行動を思い出す。
もしかすると、彼女は昔にこの館へ入ったことがあるとでも言うのだろうか。
レミリアがくるみを地下室へ案内しようと扉を開けたとき、見知らぬ少女が立っていた。盗み聞きでもしていたのだろうか。
幼い顔立ちの少女だが宝石をぶら下げたような翼を生やせている。レミリアの妹、フランドール・スカーレットだったか。
その子がくるみを見るなり、目を輝かせて彼女へ飛び掛った。
「くるみだ! くるみ! くるみじゃない!」
「フラン? フランよね!」
くるみと妙な翼をした吸血鬼、フランドールがじゃれあい、名前を呼び合っている。
その様子は久しい友人に出会えて再開を喜んでいる者同士のものだった。
レミリアにとってこの事態は寝耳に水なのか、口を開けて棒立ち。咲夜も驚きのあまり隙だらけ。
とはいえ、私自信も驚いている。
レミリアに対する怒りなんてどうでもよく、くるみとフランドール・スカーレットが仲良くじゃれ合っている所を見ている事しかできない。
二人は周りの空気も知らずに昔話しをし始める始末。
「ちょっとレミリア、これはどういうことよ」
「知らない! フランとくるみに面識があるなんて、私知らない!」
レミリアは苛立った口調できっぱりと言った。二人が顔見知りであることを知らなかった自分に怒っているのだろうか、随分激しい口調。
さっきまでの殺気立った空気は冷えてしまい、くるみとフランドールが過去を懐かしむ話をする場になってしまった。
どうしようもないと思ってソファーに腰掛ける。咲夜とレミリアも反対側へ座った。ショックが大きいのか、レミリアは下を向いてただ顔を押さえるばかり。
咲夜がなだめているが、レミリアは驚くことに忙しいようだった。
「くるみ、その子とはどんな関係なの?」
「ああ、幽香さん。フランとは幻想郷に来るずっと昔の話になるんだけど、小さい頃よくこの館に忍び込んだのよ。フランの顔を見て完全に思い出したわ!」
「初めて会ったときは私が百六十五歳のときだった! そうよね、くるみ!」
「そうだったわね、フラン。門番や小間使い達の目を、幻惑の術で誤魔化して地下に侵入するぐらい楽勝だったわ」
「くるみは探検ごっこしてる時に私のところへ来たんだよねー。あのときのくるみはこそこそとしていた」
「そうそう。私は悪戯心で紅魔館に忍びこんだの。そのとき地下への入り口を偶然見つけたので潜ってみたところ、フランと出会った」
「ちょっと待ちなさい、二人とも。その話はあなた達が幻想郷に来る前の話なのよね? くるみ、あなたはここ幻想郷にフランドールが居たことを知らなかったの?」
「……うん。レミリアの噂は知っていたけど、フランの姉がレミリアと知らなかった。聞かされてなかった。フランの苗字も知らなかった。幻想郷へ来てからは幻想郷の端っこで、湖の番をしていたしね。世間のことに興味も無かったからいままでフランが居たと気付かなかった」
「フランドールは、自分の姉のことをくるみに話さなかったの?」
「そ。そんなつまらない奴のこと話しても仕方がないもん」
レミリアの顔を窺うと、俯いて無表情。咲夜はどう反応していいか困っている様子。
「くるみ、あなたが館へ侵入していることはレミリアに気付かれなかったの?」
「そうかもしれないわ。でなければ私の顔を知っているはずよ。……忘れられていたなら知らないけど」
咲夜が気を利かせてくるみとフランドールに茶を淹れるが、二人は茶を飲むことすら忘れて語り合うことに忙しい様子。
二人が何を言っているのか全く理解できないが、よっぽど仲が良いのだろう。
予想外の展開ではあるが、レミリアが何故か酷く落ち込んでいるみたいで、その姿を観察すると愉快な気分になった。
途中で喋り疲れたフランドールがトイレに行っている内に咲夜はレミリアに言われて部屋から出て行った。
レミリアに話しかけるが、ずっと俯いたまま喋らない。館主なのだから何かすればいいのに。
そう思っていると彼女は重い腰を持ち上げてくるみに近づき、話しかけた。
「くるみ……私はあなたのことを全く知らない。今でも本当に従姉妹だなんて信じられない」
「……」
「でもフランはあなたを知っている。フランはあなたを古い友人の様に扱う。……ならあなたはきっと、クルミ・スカーレットなんでしょう」
「そう……」
「それで、あなたはどうする? これから先フランと一緒に暮らすことをあなたが望むのなら、私は受け入れる」
「ううん、そこまでしてもらわなくていい」
「ほう?」
「いきなりそんなこと、決められない。フランには悪いけど、今晩はもうお暇するわ」
「そう、わかったわ……」
レミリアの誘いを断ったくるみ。私は少しばかり驚いた。フランドールが好きなのなら、そうすればいいのに。
くるみが邪魔だとかそういう意味ではなく、純粋に不思議。一緒に暮らせばフランドールも喜ぶだろうに。
「行きましょう、幽香さん。レミリア、フランにまた遊びに来るから、と伝えておいてくれないかしら?」
「わかったわ、従姉妹さん。お気をつけて」
「ええ、色々と頭を混乱させてしまってごめんなさいね。それじゃあ」
私は行くなんて言っていないのに、と思いながら吸血鬼に借りを返すのはまた今度でいいだろうと諦めることにした。
くるみはフランドールが戻ってくるまでにここから出たい様であった。折角昔の友人に出会えたのならもっとゆっくりすればいいのに。
レミリアの引きとめも聞かずにくるみは紅魔館の門外へ出て行った。彼女を追いかける形で私も外へ。
「ありがとう、レミリア。突然お邪魔したというのに」
「それぐらい気にしないで。それより、本当にいいの? フランに挨拶しなくて……」
「いいの。また数日後ぐらいに遊びに来るから。またお喋りするためにお邪魔させてもらうつもりだから」
「そ、そう? まあそう言うのなら待ってるわ」
「じゃあ行くわよ、くるみ。ごきげんよう、吸血鬼さん」
「ごきげんよう、吸血鬼に負けた花妖怪さん」
一々癪に障る言い方をする悪魔にあっかんべーをしてやって帰路に着く。
空を見上げるとまだまだ暗い。夜はまだまだ続くというのに帰ってしまうなんて。
「どうだった? くるみ」
「はい……」
彼女の返答は暗かった。こちらを見て話そうとしないし、下を向いている。
「はい、じゃ意味がよくわからないわよ。もっと具体的に……」
「すみません、今頭がぐちゃぐちゃで上手く喋ることが……」
くるみは地面にうずくまってしまい、体を震わせ始めた。どうやら彼女は泣いている様であった。
「ちょ、ちょっとくるみ!」
「ごめんなさい……。本当に久しぶりで、フランが懐かしすぎて、なんだか、頭真っ白で」
「わかった、わかったから。でもここで泣いていて太陽が出てきたら死ぬわよ。家に帰ってから泣きなさい」
「ぐす……。はい」
彼女の顔はとても酷い顔をしていた。でも悲しい涙ではなく、きっと嬉しい涙に違いない。
幻想郷と夢幻世界の狭間にある湖の小屋までくるみを負ぶってやった。私はなんて優しいんだろう。
家に着くなりくるみはまた余計に泣き出してしまった。
私が暴力で泣かせたわけじゃないのに泣いている者を見ると、何故か胸が痛くなった。
窓のない家故に日が出ているのかどうかわからないが、きっともう朝焼けの時間は過ぎている。
「落ち着いた?」
「……ええ」
「そ」
ベッドでうつ伏せになっているくるみ。無防備な彼女の後頭部にデコピンを食らわせてやった。
「痛っ。何するんですか、幽香さん!」
「いつまでもメソメソしないの。説明しなさいよ、全部」
「え、でも幽香さんは別に関係の無い……」
「私が知りたいって言ったらあなたは私に説明するの!」
「……はい」
「わかればよろしい。で、くるみは結局あの吸血鬼共の従姉妹であるのは確かなの?」
「わからない……」
「はあ? 何よそれ? フランドールと昔遊んだんでしょう?」
「私は自分の両親を覚えていない。あの家系図にはクルミ・スカーレットの父と母の名前が書いてあったけど、その名前の人物が本当に私の両親なのか確かめることができないんだもの」
「はあ」
彼女は両親の名前がわからないから自分はクルミ・スカーレットではないと言い張る。確かにくるみは性までわからない。
フランドールはあの館に閉じ込められたいたと聞く。生まれてからずっと。
その彼女と面識があるのだから、くるみは彼女の家の者だと言えるのではないのか。
スカーレット家と全く関係のない、野生の吸血鬼が冒険心を持って紅魔館に侵入して偶然出会ったフランドールと仲良くなった、とでも言うのだろうか。
「確かに私はフランと仲良く遊んだ。でもそれは何百年も昔の話。当時フランとたくさん遊んだけど、彼女と何をして過ごしたのか少ししか覚えていない。それに遊んでいたのも、ほんの一時期だった」
「ふーん……」
「当時あの紅魔館が世間でどういう扱いを受けていたかも忘れている。だから私はただのくるみでしかないと思っている。正統な、由緒正しい家系の吸血鬼じゃないと思う」
「野生の吸血鬼だと?」
「たぶん……。生まれてきたときのことすら、もう殆ど覚えていないから何とも言えないけれど」
「……」
自分の出生ぐらい、と思うが彼女に両親がいなければどうしようもないかと頭の中で合点。
吸血鬼が出来る仕組みは吸血鬼に血を吸われる場合と、死体や捨てられた赤ん坊に突然変異が起きてなる場合とがあると聞く。
もしもくるみが後者の仕組みで生まれた吸血鬼ならば、確かにどうしようもない。
フランドールと遊んだ者と同じ名前の者が家族に居るということで、親戚関係の者だと勘違いする、というのもありうる。
レミリアはそのことも含めて驚いていたのだろうか。彼女はクルミ・スカーレットと全く面識がない故彼女が信じられる証拠は何も無い。
例えば私の妹を名乗る者が突然出てきてエリーがその者を覚えていたとしたら、自分の妹だとしか考えられなくなるかもしれない。
確かに、そうなったとしたら信じられない出来事に言葉を失い、ヒステリックに叫ぶかもしれない。
「それで、あなたはどうするの。これからの紅魔館との付き合い」
「続けるわよ。むしろ、今からお邪魔しに行く」
「なんで?」
「私がスカーレット姉妹達の親戚であろうとなかろうと、私はフランと居たいだけなんだから」
くるみは自分の言葉をためらいもなく私にぶつけてきた。帰るときに見せた、困惑した表情は吹き飛んだようである。
弱っちい吸血鬼のくせに頭の整理が早い奴だ。
「じゃああなたはどうする? あなたはあの館に住み込むって言うの?」
「そうね、そうするわ」
「それで、私がそれを許すと思う? この湖は誰が番をするの?」
「……」
「ふふん、じゃあこうしましょう。あなたが私を倒せたら何処へでも好きな所へ行けばいい。クルミ・スカーレットと改名してしまうのも自由よ。だけど私に倒されたならここに居て、今まで通り湖の番人として生きてもらう。但し、この場合紅魔館に行くことを許さない。さあどうする?」
くるみは黙って考え事をした。私は彼女に負けるつもりなどないのだから、当然無理な選択肢しか与えていない。
「……私が幽香さんに負けたら、フランに会えない?」
「そうよ。そしてこれは二者択一。私と争いごとを起こさずしてあの館へ行こうなんてのは駄目。させない。許さない」
「どうして意地悪するの?」
「私がしたいからするのよ! さあどっち? あなたから来ないなら勝手にあなたをぶつわよ!」
私が楽しければそれいい。くるみの事情など知ったものか。
おもしろいことが起きると思ったのに起こらなかったから、少しでもおもしろくするためにくるみを苛めることにしたのだ。
「あなたを、倒します」
俯いた顔を持ち上げ、私を睨みつけるくるみ。その迫力に何故か顔が綻んだ。
「あらあら、すごく恐い顔だこと」
「……退けよ」
勝負は一瞬で着いた。彼女が目にも留まらない速さで私に飛び掛り、私の喉元に鋭い爪を突き付けたのである。
彼女も吸血鬼の端くれ、中々の身体能力で思っていたよりもくるみが強かった。
彼女の表情は必死そのものだった。倒されたときの衝撃と床が固いせいで後頭部が痛い。息遣いの荒い彼女は爪を収め、私を見下ろした。
「どうして、勝たせてくれたの」
「私の腹の虫が収まってる間に消えなさい」
困惑した表情のくるみに鬱陶しそうな顔を見せると彼女は私の気持ちを察したのか、日傘を用意して素早く支度をする。
扉を開けた彼女が私に振り向いた。
「あの、たまには遊びに来るから」
「……」
「あ、ありがとう!」
くるみは私への感謝の気持ちを篭めた言葉を残してこの土地から去って行った。
私はくるみに襲い掛かられるのをじっと見ていた。彼女は本気で私を押し倒しにかかった。
それだけ紅魔館に行きたかったのだろう。だから私はわざと負けてやったのだ。
少し休憩してからくるみの家、だった所を出るとエリーが鎌を背負って玄関先で佇んでいた。
「お疲れ様でした幽香様。もう用事は済みましたか?」
「……見てたの?」
「くるみにお土産でも、とお菓子を渡しました」
「そう」
くるみを殴れなかった腹いせにエリーの帽子を取り上げてやった。
「何するんですかっ」
「私が何しようと勝手よ」
いい気味だ。
くるみはクルミ・スカーレットとなったのだろう。
フランドールと仲良くしたり、くるみに慣れないレミリアと彼女は付き合っていくに違いない。
結局彼女はクルミ・スカーレットではなかったのだろう。クルミ・スカーレットが行方不明というところに重なってくるみがその椅子に座っただけだと思う。
レミリアにとっては色々と面倒なのかもしれないが、フランドールにとっては遊び相手が出来て喜んでいるかもしれない。
くるみが嬉しそうな顔をしてお洒落を楽しむ姿が目に浮かぶ。
くるみが楽しそうな顔をして吸血鬼達と真っ赤なワインを嗜む姿が想像できる。
くるみが笑顔一杯の顔をして紅魔館の住民達と幸せな日々を送る日常が簡単に思い起こせる。
私にとっては身近で苛める対象の者が一人減っただけの話だ。
でも友人のよしみで、彼女の幸ぐらいは祈ってやってもいいと思った。
いいぞもっとやれ。
ウォールナッツ・スカーレット…
……いいかもしれない。