嗚呼、【人形】とはかくも容易く崩れる物か。
マリオネット、パペット、ギニョール…様式をガラリと変えれば球体間接人形や浄瑠璃人形…。
様々にあれど、どれも所詮【人形】。
文字通り【人の形をしたもの】でしかない。
私の作る【人形】は所詮【人の形をしたもの】の枠を脱しない。
どれほど人に似せようと、それは木を削り、粘土で形成し、人の皮と肉を魔力で癒着させただけの【人の形をしたもの】でしかない。
完成度において類を見せるつもりはない。右に出ようとする気を起こさせる気すらない。
だが。
どうやら私は所詮それに命を吹き込むことが出来ないらしい。
丹精込め、丁寧な作業と厳選した素材で立派に組み上げたソレを、人は『職人の魂がある』などと評価してくれる。ありがたい限り。人形師として至上の喜びであると素直に感謝したい。
だが。
魂など宿っても意味がない。
ましてそれが人形ではなく私の魂だと言うなら、それはもはや話にならない。
アリス・マーガトロイド…私の目標は自分の魂を、考え、望み、喜び、悲しむ事のできる命を持った人形を造り上げたいのだ。
「アリスぅ? おーい、アリスぅ? いないのか?」
ドンドンと遠慮なし玄関の扉を叩く音。考えるまでもない、声からしても霧雨魔理沙に他ならない。人が寝ている時に騒がしい…といっても窓から光が入っているのを見るにもう昼なのだろう。眠い目を擦り、壊れるのではと思うほど殴られている玄関に目を向ける。振動でちょっとだけ揺れてるが
…もっと手加減というものを知らないものか。
「魔理沙……今出るから…落ち着きなさいよ…。」
ドンドンドン…
聞こえていないらしい。魔理沙はまだ何か言いながら玄関を殴る。
「はいはい…今出るわよ…。」
殴られてどこかの創作物のように一瞬曲がる扉にためらいつつ、扉を開ける。案の定、そこには拳を振り上げたまま固まっている魔理沙がいた。
「なんだアリス、いたんじゃないか! 心配したんだぞ!」
「……心配って…ちょっと出てくるのが遅かっただけじゃない…。」
「遅いってお前…ここ数日ずっとじゃないか…?」
数日? そういえば魔理沙とは数日顔を合わせていなかったかもしれない。
とはいっても人にも都合というものがある、勘弁してもらいたい。
「まぁいいぜ! 元気でなによりだ!」
「あぁ…そう……。」
「そうだぜ! というわけで元気を祝う為に中に入らせてもらうぜ!」
元気を祝うって何だ…。
「勝手にしなさいな。寝起きで辛いけど、お茶位なら出してあげるわ…。」
と、言っては見たが魔理沙の耳には届いていないらしい。
あの子は何度この家を訪れたか、それは忘れたが、何度来ても何かに興味を示す。タンスに並ぶ魔法薬、部屋の角に積まれた魔導書、なんとなくそこに置いただけの人形の部品。もちろん奥の部屋にある人形にも興味を示す。
…まぁ、何度も来ているせいで何度か同じものを初めて見たように興味深く眺めることもあるが。
「飽きないわね、貴女は。」
「ん? そうか? ここは何度来ても私じゃ出来ない技術がいっぱいだぜ?」
こんな調子だ。
近くにあった適当な紅茶をいれながら、溜息を漏らす。うん、適当に人里で買ったものだが、香りは良いようだ。
「…それはいいけど魔理沙、数日顔を合わせないくらいで玄関を壊す勢いで心配しないでよ。」
もはや魔理沙専用と言えるほどになった紅茶セットに紅茶を汲み、テーブルに置く。
「数日ってお前、イロ付けて言ったのは私だけど…もう2週間だぜ?」
「人にも用事ってものがあるのよ…」
人の話を聞いているのか、魔理沙は子供のように椅子に腰かけ、紅茶を手に取る。ほら、熱いに決まっている。落ち着けばいいのに。
急にカップに触り、自業自得で指を真っ赤にした魔理沙の向かいの椅子に座った。
「人形制作が忙しくてね…知ってるでしょ、完全自律人形の研究の為よ。」
「いやー…それは知ってるけどさ…。いいじゃないか、心配するのはタダだぜ。」
「…まぁ、いいけどね。」
魔理沙の勝手に付き合わされる、こんなことはいつもの事だ。何かあれば心配してくれる事も無かったわけじゃない。圧倒的に魔理沙に何かあって心配したことの方が多かったが。
「そういえばアリス、お前今日はソファで寝てたのか?」
「…? どうしたのよ急に。」
「いやぁ、さっき一瞬触った時にまだ温かかったからさ。よくないぜ、ちゃんとベッドで寝ないと風邪ひくぜ?」
「…妖怪が風邪をひくとも思えないけど、忠告だけ受け取っておくわ。」
紅茶を嗜み、魔理沙の自慢話や人里であった面白い事、そのままダラダラとなんということはない世間話に花を咲かせる。いくらお互いに魔法使いとはいえ特別なことはない。誰もが当然のようにやっている人付き合いと変わらない。
強いて違いがあるとすれば、ところどころに魔法の擁護や魔法の意見交換・知識交換が行われる程度だ。
まぁ…認めたくはないけども、年の功というのか魔理沙に何かを教える事の方が多いのだが。
魔理沙曰く2週間ぶりということもあるのだろう。少しだけ長い世間話を終え、満足したのだろう、魔理沙はさっさと帰ってしまった。まったく、颯の如くといったところか。
「アリス…? アリス…いないのかい?」
コンコンといつぞやの誰かとは比べ物にならない程つつましいノック。
これまたいつぞやの自分よろしく、その音で目を覚ました。
窓から光が見える当たり……昼くらいか。
起き上がるとふと気づく、またソファで寝ていたらしい。昨夜何をしていたかは思い出せないが、疲れてそのままソファで寝たのだろう。そんなことをしているからこんな時間まで寝てしまうのだ。気が緩んでいると言わざるを得ない。
「はいはい…今、開けるわ…。」
玄関を扉を開けると、そこには香霖堂の店主こと森近霖之助。何事にも冷静な彼らしくもなく、珍しくイラついた顔がそこにあった。
「…何かしら…霖之助を怒らせるような事をした覚えはないのだけれど。」
皮肉めいた言い方が気に入らなかったのか、霖之助は怒りに呆れも混ぜて溜息をついた。
「何、じゃない。頼んでおいてこう言うのも難だけど、制作をお願いした人形の納期の事だ。」
「……。」
「……アリス?」
「…あぁ、ごめんなさい。ちょっとだけ考え事を、ね。人形は完成しているの、渡しに行けなかったことは謝るわ。」
「そうか、ならいいんだ。見たところ寝ていたようだが…すまない、起こしてしまったかい?」
間を置いて冷静になったのだろう、霖之助の顔から苛立ちは消えている。
「いえ…発注に対してルーズだった私の責任よ。もし次の発注があったなら、お詫びにオマケさせていただくわ。」
「それはありがたい。人形師は数いるけども、やはりアリス・マーガトロイドのモノとなれば人気があってね。言い方は悪いけど儲け口なんだ。オマケはありがたくいただこう。」
社交辞令もあるだろうが、そこはお互いに無いものとして受け取る。滞りなく商売を進める為、都合の悪いものは黙認するのも大人の技術というものだ。
寝起きでいう事を聞かない身体を動かし、奥の部屋にある頼まれていた物を霖之助に渡す。霖之助は人形を手に取り、ゆっくりと回すようにして人形を観察する。売りものなのだ。妙な欠損などないか確認するのは仕方ない。
個人的にはそんなものがあってはプライドに関わるので、事前の確認では見逃すはずがないのだが…。
「うん、良い出来だ。流石といったところかな。」
「それはどうも。」
「…押しかけて済まなかったね。…お客さんが待っているから今日はここで失礼するよ。」
「えぇ、また次があったらいつでも来て頂戴。完全自律の人形以外なら何でも作ってあげる。」
「あぁ…あぁ、その時は頼むよ。」
気の利いたジョークのつもりだったが、どうやら的を外したらしい。霖之助は不思議そうに首を傾げて帰ってしまった。ジョークというのはどうも苦手だ。
次に魔理沙が来たら教えてもらおう。
「アリス様……いえ、アリス。アリス・マーガトロイド、いないかしら?」
またか……。
最近の幻想郷は昼ごろに寝ている人を起こすようにして家に来るのが流行っているのだろうか。
…いや、昼間で寝ている自分が不摂生なだけか。
最近はソファで寝るクセがついているらしい。凝った身体を鳴らしながら、ソファから立ち上がる。
最近は来客が多いな。
などとぼやきながら、いつものように眠たい目を擦りながら玄関まで足を運ぶ。
「……あら珍しい。紅魔のメイド様が何の用かしら?」
そこにいたのは紅魔館のメイド、十六夜咲夜。人が扉を開けるのを待っている間にも姿勢正しく、そこは流石といったところか。
見ればランチバスケットを持っている。…昼を一緒するような約束などした覚えはないが。
「あら、寝ていたの? いえ、今起きたの?と言った方が正しいかしら。」
「えぇ、そんなところよ。」
不摂生ぶりに呆れたか、咲夜はいつぞやの物売りのように溜息をもらす。悪いのは誰だと聞かれれば言い返せない自分が歯がゆい。
「それで、ランチタイムにお嬢様の世話もせずに、どうしたの?」
珍しい来客に中に入るように促す。
「…お嬢様の気まぐれで、『幻想郷イチの人形師の実力を見てこい』と。」
綺麗な姿勢でテーブルに付き、ランチボックスを置いたと思えば溜息をもらす。
溜息は幸せを逃すというが、今日だけで彼女の幸せがどれほど逃げるだろうか。
「見てこいと言われても…私はいつも通りよ。貴女のところの妹さんの為の人形もいくらか作ったはずよ。」
「…あぁ…それは…その…ねぇ?」
なるほど、壊したのか。
「…察しの通りよ。釈明の余地がないの。」
「気苦労、お察しするわ。……はい、貴女の淹れるもの程じゃないけど。」
つい最近魔理沙に出した紅茶の残りをカップに入れ、差し出す。
覚えている以上に茶葉が減っていたが、どうやら自分でいくらか飲んだらしい。
「ありがとう。お返しと言っては物足りないかもしれないけど、お嬢様からコレを預かってるの。」
そういって差し出すのはランチボックス。布がかぶせてあったからてっきり昼ごはんでも入っているものだと思っていたが。咲夜が布を取ると、そこにはビンに入った赤い液体が数本入っている。
「…なにそれ。フルーツジャム…にしては色がおかしいわね。」
「違うわ。これは妹様が遊んだ人間の血よ。」
「……はぁ?」
物騒なものを持ってきてくれたものだ。
「そんなものを頼んだ覚えはないわよ。」
「えぇ、こちらも頼まれた覚えがないわ。でも、貴女が欲しがっていたじゃない?」
「……ごめんなさい、まだ寝ぼけているみたいなの。意味が分からないわ。」
いきなり押しかけてどこで覚えた冗談を言い出すのか。
このメイドが嘘を言うとは思えないが、自分勝手な主人に影響されて頭がどこか欠損したようにも見えない。
咲夜は混乱した自分をよそに、悟ったように微笑むと姿勢良く立ちあがった。
「変なことを言っているのは承知しているわ。だけど…まぁ、そのうち解るんじゃないかしら?」
「…何を言って―――」
「これ、置いていくわね?」
こっちのいう事を聞きもせず、咲夜はそのまま出て行ってしまった。
なんだったというのか……。
嗚呼、【人形】とはかくも容易く崩れるものか。
入力した対応を取るだけなら、外の世界から来たものでも出来る。それこそ河童にでも頼めばすぐにでもやってくれる。
私が求めるのは、自分で考え、記憶し、それを元に動く…有体に言えば【人間と同等のもの】だ。
親しい人間との何気ない交友。
業務上とはいえ関係良好なお得意様。
あまり顔を合わせる事はないが、知り合いと呼べる人間。
様々…とは言えないが、それなりにあり得る関係者との会話には問題はなかった。
だが、こんなものではまだダメだ。
霖之助の時には記憶を引き出す時間に遅れも見られる。
紅魔館のメイドが持ってきたモノも何の為だったか思い出せない。
こんなことでは完璧とは言えない。
複写した人格を使ってもこの状態では、まったく新しい人格など与えた日には三日と立たず違和感を出すだろう。
【人と同等のもの】を作るには、人形を造る技術よりも魂を生成する…それこそ大魔法レベルの技術が必要らしい。
……今度、あの大図書館の主にでも聞いてみよう。
「そうなると……イチから造り直しね。」
失敗したからと言って破壊していては叶わない。
しかし、テストとはいえ自分と同じ顔をした人形が家にあるというのは気持ちの良い物ではない。
寝かせてもちょっとした衝撃や物音ですぐに目を覚ましてしまう。
欠陥品ですぐに誰かにバレるだろうが、アリス・マーガトロイドが二人いるのは都合が悪いのだ。
「勝手な事で申し訳ないけど、貴女も私、仕方ないと思って受け入れてね?」
ベッドで寝ているもう一人の私に手を添える。
恐怖や苦痛を与えてしまうのは心苦しいからだ。
嗚呼、安心していいのよ。貴女という犠牲はあるけども、真の自律人形は完成させてあげる。
だから安心して逝って頂戴?
もう一人のアリス・マーガトロイド。
「ついでに安心していいわ? そのベッドは貴女に上げる。私はいつも通りソファで寝る事にするから。」
――――終幕
ちょっとした狂気を感じました