Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

醒めない夢なんて知らないけれど

2010/07/14 23:57:36
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「月の裏側には、何があるのかなあ」
「何もあるもんかよ。輝夜の奴と同じような気味悪い宇宙人が、バカ面さげて大勢、住んでるに決まってる」

 大輪の月が咲くにはうってつけの、おぞましいくらいひやりとした夜が好きだった。私も慧音も、それをどちらから打ち明けたのかは憶えていないけれど。剃刀を首筋に当てて、少しずつ刃を立ててくみたいに、心地よさと怖さに思わず唾を飲み込みたくなるような、そんな晩。
 ああ、こんなに感傷的な女だったか。少なくとも月を見上げてどこかに行きたそうな顔をするくらいには、私の友達は。でも、本当は納得がいかない訳でもなかった。慧音の奴はときどきおかしな風になる。いつもいつも難しい顔をして、これもまた小難しい学問の講釈に精を出すくせに。満月の晩だけは、頭の角を振り立てて、房飾りのような尻尾を垂らしながら、何だか無理をしながらものを言っているように見える。苦くて飲み込めない何かを舌の上に乗せてるみたいだと、そう考える。

「夢のない奴め」
「夢は死んでくものなんだと思うぜ。無条件に何かを信じていられるのは、子供の空想だけだ」

 私の庵のその端で、飯を食うでも酒を飲むでもなく、慧音は明かり採りの小窓から見える満月をただ見上げる。なぜかは知らない。そうすることが好きなのだろう……勝手にそう思っている。私はそんな彼女の後ろ姿を見つめながら、ほつれかかった筵を指で弄ぶことしかできない。慧音が微笑しているのだけはよく判っていて――何せそれなりに長い付き合いだから――、笑うと右肩をわずかに震わせる癖があるということだって、けっこう昔に気がついた。たぶん、それは私だけが知っている慧音の秘密なのだと思う。本人には黙っているけれど。彼女が、自分でも気づかずに癖が出てくる姿が何だか可笑しいから。

 でも、そのときの顔を正面から見たいとは思わなかった。

 満月の晩、半獣になった慧音は泣きそうな顔をしてる。美人が台無しじゃないかとか、そんなつまらない軽口も忘れるくらいに何か言いたげな悲嘆さを湛えているのだ。
 彼女の涙を見たことはなかった。見たいとも思わなかった。彼女の何もかもを知ってしまうのが怖い。慧音の泣くところなんて知ってしまったら、私は彼女に少しだけ興味を持ってしまう予感がある。その願いこそ最も忌むべき未来だ。誰のことも知らなければ、誰にもわずらわされる必要はない。だから本当は慧音のことなんて、とっくに嫌いになっていなければならない。

 子供の――空想か。
 慧音が何か呟く。目だけ伏せて、頬を震わせながら。

「生きてるのが空想だと思ったことがね、きっとあるよ。幻想は未だ窒息せずに生きていられる。でも本当は、頸に絞め殺すための手がかかってるんだと、そう思う。――外の世界では、ほとんど何もなくなってると聞く。神様ですら、人が望めば造り出せる。いずれ人の心から生まれたことに変わりはなくとも、それと気づいてしまえば死んだも同じだ」
「へえ。それなら、いっそのこと――」

 言うべき言葉は決まっていた、けれど言えなかった。嫌いな相手に言うにしてはあんまり優しすぎる言葉だと思った。本当は彼女のことが好きなんだろうか? 違うだろう。あってはならないことなのに。彼女にかける言葉だけは、もっとずっと、通りいっぺんの励ましやなんかよりも残酷な痛みを伴って、無残な瓦礫を残さなくちゃいけない。私の慧音への返答だけは、甘ったるい砂糖の塊であっては絶対にいけない。

 ――――彼女を突き放すだけの勇気を、本当はこれっぽっちも持ち合わせちゃいないということ。つまり、もう、そんなのはとっくに知ってしまっているから。自分を殺してしまえれば良いのに。そうやって眼に映る世界が幻でした! なんて、喜劇じみた回答をこしらえてしまえば、それだけでこれ以上ないくらいの正解だったのに。

 満月から目を離して、慧音がこちらを見遣る。
 角に巻いた赤いリボンにばかり、どうしてか目が行った。出会って間もないころ、私があり合わせの布を適当に切り裂いて巻いてやったリボンだった。よく見ると端が擦り切れてる。新しいのを買えば良いだろうに、満月のたびに取り出して、今みたいに角に巻いているのだ。そういえば、彼女がそのリボンを実際に巻く仕草というものは未だ一度も見たことがなかった。私が知らないものを、きっと慧音は、たくさん持っているのだろう。
 やっぱり泣きそうな顔のままだった。それでも彼女は笑んで、私に言葉の先を促そうとする。

「いっそ?」
「私たちが、誰かの夢なら良いのにね。藤原妹紅も上白沢慧音も、夢の中だけの登場人物なんだ。決まりきった物語の中で、嘘くさい楽しさだけ呼吸して、その誰かが目覚めたとき、滅びる世界の中で呑気に笑いながら死んでいく。死んだことにすら気づかないままに」

 そうして、誰かが目蓋を開いたとき。そんな夢を見たことは――まどろみの中を泳ぐ空想を緩やかに殺したことは、忘れてしまう。私は慧音を忘れたい。慧音にも忘れられたい。元からひとりで生きるのは、息をするように慣れ切ったことだった。でも、きっと今はひとりで息をするその方法を、ことごとく忘れかけているのが怖い。ばかばかしい夢の話を聞いて、溜息ひとつつく彼女の姿が、目蓋の裏から離れなくなりそうだったから。

 小さく息を吐くように、蒼白い月の光を吸い込んだ慧音は笑う。立ち上がって、座ったままの私の元までやって来て、それから腰を下ろす。まるで眠たげに目を細めながら、躊躇いがちに私の顔を覗き込む。そして、精いっぱい押し殺した声で、言う。

「妹紅は忘れてしまうか。私が死んだら、私が居たこと、私と話したことを。みんな、夢から醒めるみたいに、忘れてしまうか」
「陳腐な綺麗ごとは好きじゃないから、はっきりと言うよ」

 そうなんだ。確かなことなんだ。
 私は夢の中で生きてる。私が夢で、夢が私だ。生きてることは空想なんだ。あんたが居たってことは、私の中だけに刻まれる事実。私だけが憶えている、たったそれだけの。突き放すのは簡単だ。でも、突き刺すのはおそろしく難しい。切っ先が相手の肌を破り、肉を侵し、血と骨を食んでいくその感触を知る必要があるからだ。でも、いつかそんなものに触れたことだって、空想だったのだと思えてしまうときが来る。

「私は慧音を忘れるだろう。跡形もなく、顔も名前も、そんな奴が昔に居たことだって」

 あんたなんか――上白沢慧音のことなんてこれっぽちも知らなかった方が、私はずっとまともに生きられた。父の仇を討つことだけ、輝夜と戦い続けることだけ、不死の宿命に呪詛を投げつけることだけ知っていれば、ただそれだけの血と肉の詰まった惰弱な人形として存在できたのに。人並みの理想を捨てるのが当然だと思うから。すべてを忘れ続けることが、千年の齢を経て藤原妹紅が得た、たったひとつの処世のすべだから。慧音と居ることは私を狂わせる。あの月の玲瓏さなんかよりもっと明瞭に。私を私じゃなくしていく。

「そうか」

 それから、しばらく何も言わなかった。
 やっぱり溜息を二度、三度とついて、何か苛立たしげにまばたきを繰り返した。
 本当のことを言っただけなのに、どうしてこんなに心臓の鼓動が収まらないのだろう? 私にとって、慧音はたったそれだけの価値しかない人物だったじゃないか。けれどどうしてか、悪いことを咎められた幼い子供のように、相手の言葉に怯えることしかできない自分が居た。慧音は笑う。幾分かの――あまりにもはっきりとした虚勢で。ありがとう、と、言った。

「なら、良いんだよ。私が居なくなっても、そのことでおまえを苦しめる心配がないのなら、安心して死ねる」

 じゃあ。ちょっと長居し過ぎたかな。
 慧音は立ち上がった。わざとらしく角の付け根に指を触れながら。酒も出せずに悪かったな。いつも通りの別れを告げて、私は庵を出ようとする彼女を見送ることにする。それじゃあ。こころなしか彼女は足早だと思った。何かから逃れるみたいに。でも絶対に振り返りはしないんだと頭から決めているようで。

 安心して死ねる――彼女の言葉に、心のどこかで安堵している自分が居た。私の意図した通りの言葉を彼女は口にしてくれた。私たちふたりの関係なんて、本当はこうでなければいけない。互いの領域がほんの少し接するだけで、決して深入りは無用。
 でも、もう駄目なのだ。後悔と疑念が後から後から湧きあがって来て、涙で何もかも見えなくなりそうだった。私が私じゃなかったら、自分を殴り飛ばして、それから五、六回は焼き殺しさえしてしまうだろう。それだけのことをしたんだと思った。

 ありがとうと言ってくれた慧音の、やりきれなさの残る眼に涙の流れた様を、私は確かに見てしまった。私が言葉を突き刺したせいで流れ出した、それは血の代わりなのだ。その温度を知りたい。今度こそ、彼女に触れたい。偽善どころか――自分自身を偽る浅薄な欺瞞としか呼べないけれど。

 しかし、慧音への言葉だけは、悲しいくらいに真実だ。

 世界が滅んでも、たとえ千回、夢から覚めても、覆しようのない真実だ。計り知れない未来のただなかで、たぶん慧音を忘れてしまう。でも、そんな友達と、いつかの時代のいつかの晩に言葉を交わしたということだけは、きっと忘れまいと思う。罰というにはちっぽけで、贖罪というにはあまり大袈裟に過ぎるけれど。庵から外に出て、慧音の歩いた跡を辿った。天に掛かる月が、まるで死体からこぼれ落ちた眼の珠みたいだ。地上のすべてを見透かして、鋭利な残光が人の魂を切り裂いていく。冷たい残酷さを心地よさと勘違いさせる、どうにもおかしな悦びの影を営々と生み出し続けながら。

 いずれ私は忘れることに涙を流すときが――もっと後には、涙を流すことさえ忘れるときが、やって来るのかもしれない。月の光でさえいっときも同じものだという保証はない。剃刀を首筋に当てて、力いっぱい切り裂くみたいに、胸をすく痛みに思わず笑ってしまいたくなるような、そんな晩。あの蒼白さは刃の代わりに、私の魂を責め苛むためにこそ存在している。そう考えると、少しだけ心が軽くなった。誰かの夢の中のことでも、この苦しみだけは本物なのだと思いたかった。たとえ他人から笑われるような、くだらない空想なのだとしても、ほんの少しの確信が、今の藤原妹紅には必要だったのだ。それは、彼女の涙を見てしまったばかりに。慧音のことを忘れたくないと、自分自身を捻じ曲げることを覚えてしまったばかりに。
どうにも死んだの生きたのの話は湿っぽくなりがちなので、慧音の死後に「ああ、そういえばそんな奴も居たっけ?」みたいな、ドライな感じの妹紅が居ても良いんじゃねえのと主張したい。
こうず
http://twitter.com/kouzu
コメント



1.奇声を発する程度の能力削除
うーん、何か凄かったです…
曖昧な表現ですいませんorz
2.名前が無い程度の能力削除
ドライもっこすカッコイイ
3.名前が無い程度の能力削除
私はドライというより男前に見えた。
この作品、好みです。
4.桜田ぴよこ削除
格好良いもこけねなんやな……。
良い感じに不死と有死を料理した感じがしたんやな