はじめに。
この話は短い話二本で一本の短編となっています。
始めの話が【あたいの……】で後の話が【あたいのなか】というものです。
【あたいの……】
《あたいのしたい》
気がつくと見たことのないやつが目のまえにいた。そいつは赤い髪をしていて、ヘンテコな服を着ている。傍に荷物を乗せる車――なんと言ったらいいのだろう、車輪がついていて、土や砂を運ぶのに便利そうな道具――があって、そのハンドルを握っていた。そいつはあたいを見て「それにしても、これは珍しい死体だねえ」と言った。それを聞いたあたいはびっくりした。
あたいは死んじゃったんだ!
泣きそうになった。でも、泣けない。だって死んじゃったんだから泣けるわけがない。あまりにびっくりしたせいで、身体が動かなかった。いや、動けるわけはなかった。死んじゃったんだ。
赤い髪のやつ――よく見ると、頭のうえにふたつの耳がある。顔の横にもふたつあるから、なんと耳が四つもあるのだ!――は、あたいを車のうえに乗せた。車は冷たく、硬かった。車にはあたいの他にもうひとり乗せていた。が、その姿はみたあたいはぎょっとした。頭が取れているのだ。
ああ、そうか、とあたいは思った。この赤い髪をしたやつは、死体を運ぶひとなんだ。でも、死体なんて運んでどうするんだろう。楽しいのだろうか?
そして、あたいと死体を乗せた車は動き出した。車輪があるとはいえ、あたいと死体を乗せた車を動かすのは赤い髪のやつだ。重くないのだろうか、と思ったが、ぜんぜんそんなことはないらしい。すいすいと車は進んだ。あたいは死体らしさをよく考えて、じっとしていることにした。
どうも、死んじゃう、ってことがよくわからない。あたいは死んだことがない。いや、今は死んでいるんだから、死んだことがなかった、というべきなんだろう。
死ぬ、っていうことはどういうことか美鈴に聞いたことがある。美鈴とはあたいの大切な友達のことだ。あたいは美鈴が大好きだった。美鈴によれば、死ぬ、っていうことは、動けなくなることだ、ってことだった。どこもかしこもまったく動けなくなるそうだ。それはとても恐ろしいことだった。だって、空を飛べなくなってしまうし、誰かとお喋りすることもできなくなってしまうし、遊ぶこともできなくなってしまうのだ。
そうか、もう遊べなくなってしまったんだ。
そう思うと、また泣きたくなった。でも、やっぱり泣いてはいけないのだ。あたいは死体なのだから。
《あたいとしたい》
あたいは死体を運ぶ。それがあたいの仕事だからだ。
地底の入り口近くに死体があると知らせを受け、その様子を目にしたときは驚いた。なにせ、その死体は妖精のものであったのだ。妖精は死なないと聞いていたのだが、それは嘘のようであった。はじめのうちは眠っているか意識不明なだけじゃないのかなと思って様子を見ていたのだが、それは間違いだった。
あたいが妖精の死体の様子をうかがっているあいだ、その時間はほんの十数秒だったと思うのだけれど、そんな些細な時間のあいだに彼女がやってきたのだ。
彼女は自分のことを小野塚小町と名乗っていた。彼女は死神だった。身の丈ほどもある巨大な鎌を持っている。その鎌はどう見ても草を刈り取るためのものではないように見えた。いったいなにを刈り取るのか、そのことについては想像しないように務める。
「あんたは死体を運ぶのかい?」
その死神はあたいに向かってそう言った。きっと、猫車に乗った首のもげた死体を見たのだろう。
「そうさ。それが仕事だからねえ」
あたいはそう応えた。
「へえ、そうかい。それじゃあ互いに邪魔することはないってわけだ」
死神はそう言った。いったいなんのことかわからず、返答の仕方を思案していると、死神はまた口を開いた。
「それじゃあ、あたいはこいつを連れていくよ」
死体を持っていかれるのかと思い、ムッとした。いくら死神といえどひとの仕事を取るとはどういう了見だと思った。だが、そうではなかった。小町と名乗る死神は、そう言っただけで踵を返したのだ。わけがわからなかった。あたいは首をかしげた。
だが、死神がいったいなんのためにここへ来たのかはすぐに理解できた。死神の後ろをついていくものがあったのだ。
死神の後ろをついていくもの。それは魂だった。
「あたいは死体を。死神は魂を。なるほど」
あたいは死神を見送った後でそうひとりごちると、もう一度死体を見返した。妖精の動かない身体があるが、妖精は自然の一部なので死なないと言われている。だが、いま死神が魂を連れていった。ならばこれは死体なのである。
「それにしても、珍しい死体だねえ」
あたいはそう言い、妖精の死体を猫車のうえに乗せた。その死体は幼く、死んでしまうにはまだ早すぎるように思われた。もしまだ生きていれば、元気に野原を駆け回っていただろうに。だが、同情などするはずもない。これは仕事なのであり、いちいち死体に同情なんてしていたらキリがない。
あたいは死体を。死神は魂を。いまこの妖精はふたつに別れた。
当人は悲しく思うかもしれないけれど、こっちとしては仕事なのだから仕方がない。あたいと死体。死神と魂。うん、仕事とはそういうものさね。
《あたいのたましい》
あたいは今、魂という状態になっているらしい。小町という大きな鎌を持った死神がそう言ったのだ。魂になってしまったということはつまり、死んでしまったということなのだろう。
死神というのは、死んでしまった者の魂を閻魔様のもとへ届けるのが仕事なのだそうだ。
小町という死神は、「三途の川」と呼ばれているらしい川に浮かべた小さな船に乗った。あたいにも乗るように促す。あたいはそれに従った。
小町のことを初めのうちは怖いと思っていた。だけど、怖いひとではないようだった。なかなか気さくなひとのようで、あたいにいろいろな話をしてくれた。自分の仕事のこと、これから向かう閻魔様のことなど。あたいは魂なので喋ることはできない。なのでそれに気をつかい、あたいの知らないことばかりを話してくれているように見える。
小町は船を漕ぎながらひとしきり喋ったあと、あたいと顔の高さを合わせるようにして屈んだ。実際にはあたいは魂ひとつしかないのだから、顔なんてもうないのだけれど、その仕草からあたいと親身になって話をしようとしているのが感じられた。
「アンタはまだ小さかったんだね」
と小町は言った。あたいは驚いた。魂というものは宙に浮いた火のかたまりのような形だと聞いたことがある。みな、一様にその形なのだろうと思っていた。自分自身の身体を見ることができないので、それが真実なのかどうかはわからないが、魂にも一つひとつ違いがあるのだろうか。
「なあに、この仕事を長く続けていれば多少はわかるもんだ」
あたいの心情を悟ったのであろう、小町はそう言う。
「死んでしまうには早すぎたろうに」
小町はふっとあたいを憐れむような表情を一瞬だけ見せた。が、やがて立ち上がってまた船を漕ぎ始めた。死神というのは怖い神様だと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
「対岸に着くまで、まだもうちょいとだけ時間がかかるよ。退屈かもしれないけれど、あたいの独り言でも聞いていておくれ」
小町はあたいを見ずにそう言った。あたいはなにか言いたかった。でも、そうすることはやはりできなかった。
《あたいとしたい》
あたいは猫車を押しながら地底へと戻る。途中で知り合いの妖怪に会うたび、車に乗せた死体を見せびらかした。
「どうだい? 珍しい死体だろう」
知り合いの妖怪たちは死体を見ると目を丸くした。なんとなれば、死なないと言われていた妖精の死体なのだ。驚くのも当然だった。
「矢っ張り信じられるのは自分の眼(まなこ)だけさあ。迷信なんて信じるもンじゃないねえ」
あたいは胸を張ってそう言うと、今度は別の妖怪を捕まえて、また妖精の死体のお披露目をした。
地底の妖怪たちのなかに、何人かはこの妖精を知っている者がいた。妖精の名前はチルノというらしい。なんでも、妖精のなかでは力があるらしく、いたって活動的だったという。力が強くても、もちろん妖精なので頭は悪かったそうな。おそらく、その弱い頭で事故なりなんなりを起こして死んじまったのだろう。まあ、死因なんてあたいには関係ない。運ぶ死体が無事ならそれでいいのだ。死体が無事ってどうにも変な感じだな。
「殺しても死なないような奴だったのになあ。あ、いや、妖精だけにって意味じゃないぞ」
チルノを知っていた妖怪はそう言った。まあ、死んじまったもンは死んじまったもンなので、今更どうこう言ったって仕様がない。なにせ、死神が魂を連れて行ったのだから、その抜け殻であるこの身体は死体以外のなにものでもないのだ。
《あたいのしたい》
死んでしまうというのはとても辛いものだというのが、よくわかった。だって、死体になってしまったらずっとそのままで動けないのだ。あたいはまた、死んだということを考えると悲しくなった。そうか、死ぬ、というのはずっと悲しくなるということなんだ。死んだ本人も悲しいし、死んだ人に会えなくなるから他のひとも悲しい。そうか、そういうことだったのか。
「アンタ、チルノって言うんだってね」
と、あたいを乗せた車の持ち主は言った。あたいは死体なのでじっとしたまま、次の言葉を待った。
「あたいのことはお燐って呼んでおくれよ」
耳を四つ持つお燐は、車を止めてあたいの顔をまじまじと見つめた。
「それにしてもアンタ、いったいどうやって死んだんだい? ちょいと泥だらけだけど、綺麗な身体じゃないか。傷は見当たらないし、病気で死ンだようにも見えない」
ふーむ、とお燐は顎に片手を添えて難しい顔をした。そのポーズがあまりにも似合わなかったから、あたいは笑いそうになった。でもこらえた。あたいは死体だから笑っちゃいけないのだ。
「アンタ、あたいのことを独り言の多い変なヤツだと思っているだろう」
あたいは確かにそう思い始めていたのですこしドキリとした。まるでそれを見抜いたかのように、お燐はニヤリと笑った。
「あたいはね、死体や怨霊と会話できるんだよ。だからアンタにその気があればあたいに話しかけることだってできるのさあ」
それはすごい!
あたいはバッと起き上った。
やった、お燐がいればあたいは死体でも喋ることができるのだ!
つまり、お燐がいれば悲しまないでいいのだ!
「あたいチルノ。よろしく!」
立ちあがったあたいはそう言った。
首はとれたままだったので、喋ったあたいの顔はまだ乗り物の上だった。あたいは慌てて顔を拾って首のうえに置いた。
が、お燐は目を丸くして口をあんぐりと開けたまま答えなかった。
《あたいとたましい》
あたいは魂を無事に対岸まで送り届けた。
そしてあのとき死体の運び屋と一緒にいた妖精と会うために、幻想郷への船を漕ぎ出した。
《あたいとしたい》
わけがわからない。
確かにあたいは死体や怨霊と会話ができる。が、死体を動かすだなんて、そんなことはやったことがない。まさか、あたいはチルノをゾンビにしてしまったのだろうか?
チルノはそんなあたいの気も知らず、猫車から元気よく飛び降りた。
「お燐がいれば、あたいは死んでなくていいんだね?」
チルノはそう言って、まるで鈍った身体をほぐすかのようにひょこひょことあたいの周りを跳ねまわった。
「え、いったいそれはどういうことだい?」
あたいはそう訊いた。チルノは立ち止まり、首を左に傾げてあたいを見上げる。
「だって、あたい死んじゃったんでしょ? でも、お燐がいれば動ける。違うの?」
「いやあ、あたいは死体と会話できるだけさ。生き返らせることはできないよ」
あたいが慌ててそう否定すると、チルノは左に傾げていた首を今度は右へと傾けた。しばらく考え事をするように黙って真面目な顔になった。が、また首を左に傾げなおした。わからなかったらしい。
「えっ、じゃあ、あたい、やっぱり死体やらなきゃだめなの?」
今度は泣きそうになる。いろいろと忙しい顔だった。
「あたいもちょいと混乱してるンだ」
あたいがそう言うと、チルノは泣きそうな顔のまま猫車に乗りなおした。
「じゃあ、あたい、死にます」
猫車のうえでチルノが横になる。
あたいは慌てた。ちょっと待て、もしかしてコイツ、死んでないんじゃないか? いや、もしかしなくとも死んでないだろう。
「アンタ、もしかして死んじゃいないんじゃないかい?」
あたいはそう訊いたが、チルノは横になって黙ったまま答えない。目も閉じてしまっている。
ああそうか。死体だから答えられないっていうことか。
「言っておくけどね、あたいは死体と会話できるンだよ。だからアンタは喋らなくちゃ駄目さね」
そう言ってやるとチルノは目を開け、
「どっちなの?」
と言う。
ええい、面倒くさい。
「アンタ、いったいどうやって自分が死んだのか知っているかい?」
チルノは考える素振りを見せた。本当に考えているのだろうか。
「わかんない」
「ああ、そうかい」あたいは目をつむってこめかみを揉んだ。「アンタ、なんで自分が死んだんだと思ったんだい?」
「わかんない」
今度は即答だった。
「アンタきっと死んじゃいないよ」
「え? 本当?」
「ああ、ホントホント」あたいはもうどうだって良くなっていた。死んでいようが死んじゃいまいが、どっちでもいい。「だからもう、アンタは帰ンな」
「さっきから、アンタアンタってうっさい!」
猫車から降りたチルノは怒ったようにそう言った。いや、実際に怒っているようだ。本当に忙しいヤツだ。あたいは思わず顔をしかめた。
「そりゃすまなかったねえ。えっと、チルノ?」
「うん。あたい、チルノ」
「帰り道わかるかい?」
「わかんない!」
チルノは元気よく答えた。
《あたいのしたい》
あたいは死んでなかった!
それはとてもとても嬉しいことだった。
死んでいないということを教えてくれたお燐は、あたいがちゃんと地上へと帰ることができるように案内すると言った。
「アンタにここにいてもらっちゃあ、恥ずかしくてたまらないからね。ああ、あたいとしたことが生ものなんて持ち帰るとはねえ。しかも他の妖怪たちに自慢しちまったし。ああ、どうしようどうしよう」
お燐はそんな風なことを言ったが、意味はわからなかった。
あたいとお燐は地上を目指して飛んでいる。途中までお燐は車――お燐はその車を猫車と言った。よくわからなかったので訊いてみると、手押し車と言えばわかるかね、と言う。それもわからなかった――を押していたが、結局邪魔だということで知り合いの妖怪にあずかってもらったようだった。
「そういえば」
とお燐はあたいを見て言った。
「なあに?」
「アンタ――チルノは、いったいどうして魂なんかと一緒にいたのさ?」
「たましい?」
いったいなんのことだかわからなかった。
「ほら、ええと、火の玉みたいな……」
「ああ!」やっとわかったあたいは、大きくうなずいた。「えっとね、あの子はなにかを探していたんだよ。でもね、なかなか見つからなかったの」
「へえ。アン――チルノは魂と会話ができるのかい?」
「できないよ」
「なにかを探しているって、どうしてわかったのさ」
「えっとね、えっとね。……なんとなく!」
あたいがそう言うと、お燐は変な顔をした。きっと疑っているんだなと思い、あたいはムッとした。
「違うもん、ちゃんと、一緒に探してたもん。ずっとずっと、ずーっと探してたんだけど、見つからなかったんだ。それで、疲れたから休んでたら、死んじゃってたんだ」
「いや、死んでなかったのさ。たぶん寝ていたンだろう?」
「そうなの?」
あたいがそう訊いても、お燐は答えてくれなかった。なにか考えるように黙りこんでいる。
「よォし、あたいも探すのを手伝ってあげようじゃないか」
しばらくしてから、お燐はそう言った。
お燐はなかなかいいヤツじゃないか。あたいはそう思った。
《あたいとしたい》
あたいとチルノは「探し物」を探すことにした。地底の入り口付近である。
チルノの言葉は記憶があやふやなせいか要領を得ないが、推測するに「地底の入り口付近で誰かが大切なものを無くし、死んだあと魂になってもなお探し物をしていた」ということなのではないだろうか。そして「チルノが偶然その魂と出会い、どういうわけか大切なものを一緒に探すことになった」ということなのではなかろうか。
死んでもなお探すほど大切なもの。それは余程高価なものに違いなかった。だからあたいはチルノと一緒に大切な物を探すことにした。なんとなれば、死人は物を持ってゆくことはできないし、チルノは高価なものの価値がわからないだろうからだ。つまり、見つけてしまえばあたいの物となるに違いないと踏んだのだ。
あたいとチルノは探した。探しにさがした。探しているものの正体はわからなかったが、ともあれ高価な物であればなんだって良かった。
だが、見つからなかった。結構な時間、探していたと思う。けれど見つかるものといえばゴミや動植物ばかりで、なんにもありゃしない。
やがてあたいは飽きはじめ、腰かけるのに良さそうな岩を見つけて座り込んだ。泥だらけになって、それでも探し回るチルノをぼんやりと眺めていた。
たまに、チルノは思い出したかのようにあたいに向けて手を振った。あたいも振り返してやると、チルノはにんまりと嬉しそうに笑ってから作業を再開した。ああ面倒くさいな、とあたいは思う。
あたいは座ったまま空を仰いだ。雲ひとつなく、透き通るような一面の青ばかりで、吸い込まれてしまうような気さえした。
たまには外に出るのも悪くないかもねえ、とあたいは思った。
「なにをしているんだい?」
突然、すぐ横手からそんな声が聞こえてあたいは身構えた。見ると、例の死神であった。
《あたいとたましい》
「アンタねえ、アンタのせいで、あたいは恥ずかしい目にあったんだよ」
死体の運び屋はあたいの姿を見るなり、そう噛みついてきた。
「そりゃあ、どうしてだい?」
「アンタが魂なんて連れていくから、あたいはてっきりチルノが死んでいるんだと思って連れて行っちまったんだよ」
死体の運び屋がなんとも情けないことを言うので、あたいはつい笑ってしまった。
「なァに笑ってるんだい!」
「そりゃあすまなかったね」
あたいは笑いを堪え、妖精――耳を四つ持つ死体の運び屋によれば、チルノという名前らしい――へと近寄った。用があるのは運び屋ではなく妖精のほうだ。チルノは頬や服のすそに土塊(つちくれ)や枯れ草などを張り付けている。よっぽど必死になって探しているのだろう。もう永遠に見つかることのないものを。
「チルノといったね」
チルノに近寄ったあたいはそう言った。憤懣やるかたない様子で運び屋も後をついてきていたが、あたいは無視を決めこんでいた。
「うん、あたいチルノだよ」
チルノはあたいを見上げてそう言った。
「あたいは小町っていうんだ」
「小町?」
チルノは首を傾げた。
「そう、小町。死神なのさ」
「死神ってなあに? 怖いの?」
「死神ってのはねえ――」
不穏な空気でも勝手に感じ取ったのだろうか? 運び屋が、ちょっと! と言ってあたいの肩を掴んだ。
「あたいは火焔猫燐って言うんだ」
「へえ、そうかい。よろしくな」
あたいは片手をひらひらと振って、会話に割って入った燐を遠ざけようとした。だが、燐は食い下がらない。
「アンタ、チルノをいったいどうするつもりだい?」
「どうするもこうするも……」
保護者のつもりなのだろうか? あたいは顔をしかめた。だが、その顔は燐にとってはとても気に入らない表情として映ったようだった。
「連れていくつもりなんだろう? けど、残念だったねえ。チルノはまだ死んじゃいないよ。現にこうして元気に生きてるじゃァないか。さあさあ、死神様は帰っておくれよ」
これはまた、ずいぶんと嫌われたものだ。確かに、死神とは忌み嫌われる存在ではあるだろうが、いやはや、まさか死体の運び屋にも同じように嫌われてしまうとは。
「あたい、やっぱり死んじゃったの?」
チルノが心配そうな顔をして、あたいとお燐を交互に見る。
どうやら話がこじれてきてしまっているようだった。
「死んじゃいない!」唐突に、運び屋が大きな声を出した。怒鳴った、と言っても差し支えがないかもしれない。「死んじゃいないさ。チルノ、アンタはまだ生きているよ。この死神様はちょいとばかし、迎えに来た相手を間違ったのさあ」
たまのお節介をしに来ると、これだ。死神稼業も楽ではない。
「今回は仕事で来たんじゃないよ」
あたいはチルノを見て、なるべく優しい表情となるよう意識をして言った。
「え?」
と言って驚いたのは燐のほうだった。
あたいは言葉を続けた。
「チルノ、お前さんと一緒にいた魂――あの子からの伝言があるんだよ。まあ、あたいには魂の言葉を聞くことはできないから、はっきりとした伝言でもないんだけどね。でも、伝えたいという意識、意図だけはわかっているつもりだよ」
チルノはあたいの言っていることを理解しているのか、していないのか、わからなかった。あたいを見上げたまま黙っている。それでもあたいは続けた。
「一緒に探してくれて――いいや、一緒にいてくれてありがとう、だってさ」
あたいはそう言い、ぽんとチルノの頭のうえに片手を置いてやった。すると、チルノの目から涙があふれだした。
「え? あれ? あれ?」
その涙に一番驚いているのはチルノ本人のようだった。あたいは袖でその涙をぬぐってやる。が、涙はとめどなく溢れてくる。チルノは己の涙の理由を知らぬようで、ただ涙を流すままにし、呆然としてしまっている。
チルノと燐、そしてあの魂が探していたもの。それはもう永遠に見つかるものではない。チルノと燐は探し物の正体を知らぬようであった。いや、すくなくともチルノは覚えていないのか、あるいはわからないだけなのかもしれない。溢れくる涙がそう思う根拠となっている。
あたいはチルノを慰めるように、髪を両手でぐしゃぐしゃにしてやった。
「やー」
とチルノは言って、涙を浮かべたまま笑った。
燐を見ると、狐につままれたような顔をしていた。まるで、今日は何度も騙されている、というような。
【あたいのなか】
アンタ今なんて言ったのさ。あたいに喧嘩売ってるのかい? はっ、なにを言っているんだかさっぱりわからないね。あたいはただ、後悔するまえにあたいをここから出しなと言ったんだよ。後悔? いったいなにを後悔するってンだい。さてはアンタ、なにか隠してるね。なにを根拠にそんなことを言うんだ。さあてねえ。アンタはちょいと信じられないからねえ。だいたいアンタははじめて会ったときから気に食わないんだよ。あたいを恥ずかしい目に合わせたのはアンタなんだからねえ。あれからこっぴどく罵られたもンさ。それもこれもすべてアンタのせいだよ。勝手に誤解しただけじゃないか、馬鹿だね。馬鹿ァ? アンタ今あたいのこと馬鹿だと言ったね。言っておくけどね、あたいはね。うっさい! なんで喧嘩するの? ああごめんごめん、コイツがなにかと喧嘩売ってくるもんでね。喧嘩売ってるのはアンタじゃないかい。うるさいね、あんたあたいを怒らせたいのかい? だから喧嘩しないでって。頭のなかがおかしくなっちゃう。ごめんよ、すべてコイツが悪いんだよ。コイツじゃわからないな。今の状態じゃあたいたち三人がコイツと呼べるな。五月蠅いねコイツと言えばアンタしかいないんだよ。また出た。またアンタだよ。アンタじゃわからないっていうんだよ。アンタアンタアンタ、そればっかりじゃないか。今の状況じゃあ、アンタ=コイツ=あたいたちだってのがまだわからないのかい? だから、喧嘩しないでよお。
※
あたいとお燐は探していた。
小町が「探すんじゃないよ。諦めな」と言っていたけれども、あたいは諦めない。
お燐や小町が「魂」と呼ぶあの子の「探し物」を、もう何日も探している。
はじめのうちは地底の入り口周辺を探しまわっていたのだけれど、お燐が「この辺りにはないンじゃないのかい?」と言うので探す場所を毎日変えていた。
お燐は「仕方がないねえ」だとか「なんであたいがこんなこと」だとか「やってられないねえ」だとかぶつくさ言うけれども、あたいが頼んでいるわけでもないのにいつも手伝ってくれている。お燐は優しい。あたいはお燐のことが好きになった。
今日は博麗の神社付近を探していた。
朝からずっと探していたのだけれど、なかなか見つからない。お天道様が真上に来るころ、あたいたちは階段の麓で休憩をすることにした。
「見つからないのかなあ」
とあたいは肩を落として言った。
「なァに言ってんだい。見つかるに決まってるじゃあないか」
お燐はそう言ってくれるけれども、顔に陰りがあるのをあたいは見落とさなかった。こんなに探して見つからないのだから、お燐だって、もうどこにもないのだろうと思っているに決まっていた。
あたいたちは、身体と気持ちの疲れから次第に無言になっていた。
「そうだ」
とお燐がとつぜん元気よく言うので、あたいはびっくりした。
「なに?」
「チルノ。アンタ、どうして『探し物』を魂と一緒に探すことになったのか思い出せるかい?」
「思い出せない」
あたいにはもう、あの子と一緒になにかを探していたという記憶しかない。
「うーん、思い出せればなにかヒントが得られると思ったんだけどねえ」
お燐が残念そうにそう言うので、あたいは申し訳ない気持ちになった。
「ごめんなさい」
「いや、いいんだよ。そんな気にすることじゃあないさね」
あたいとお燐は階段に腰掛けて、両足をぶらぶらさせながらしばらくお喋りをしていた。
やがて、大きな鎌を持ったひとがこちらに近付いてきたので、あたいは立ち上がり、そのひとの傍へと駆け寄った。
「小町ーっ」
傍に近寄ったあたいは、小町の顔を見上げた。
「おや、名前を覚えていてくれたんだね、チルノ」
そう言う小町もあたいの名前を覚えてくれていたので、あたいは嬉しくなった。
「うん!」
「なにしてるんだ?」
「えっとね」
あたいは、小町に「探すんじゃないよ」と言われたことを思い出し、答えるのに困ってしまった。えっとね、えっとね、と口ごもっていると、お燐がやってきた。
「アンタこそなにしに来たんだい、死神さん」
「なんだ、運び屋もいたのか」
「いて悪かったねえ。アンタ、また誰か連れ去りにでも来たのかい? こわい、こわい。縁起が悪いから早くどっかに行っちまってくれよ」
「生憎と今日は仕事じゃないんでね」
「へえ、そうかい。死神稼業にも休みがあるんだね」
「おっと、その辺は詮索しないでおくれ」
「え? アンタまさか……」
「あたいは神社の茶を飲みにきただけだよ」
「アンタ、こんなところに来ていいのかい? また花がたくさん咲いちまうようなことにはならないだろうねえ」
「最近ちょっと忙しくてね。たまには休ませておくれ」
「いや、でも、今日は休暇じゃないんだろう」
喧嘩するのかと思えば、まったく意味のわからない会話を、ふたりははじめた。ちんぷんかんぷんだったけど、喧嘩しなくて良かった。あたいは二人のお喋りを首を傾げてじっと見ていた。
「あら、今日は賑やかね」
そんな声が聞こえ、あたいたちはハッとしてその言葉の主へと注目した。言葉の主は八雲紫だった。
「こんにちは」
とあたいが挨拶をすると、
「こんにちは」
と紫も挨拶を返してくれた。紫は優しそうだけれど、たまに怖くなるひとだった。あんまり好きになれない。
「こりゃどうも」
と、小町も挨拶をする。
紫は返事をしてから、
「妖精と死神と死体の運び屋。面白い組み合わせね」
とそれほど面白がってはいないような言い方をした。
「今日はどういった趣きで?」
と小町は言う。紫の言葉はわざと無視したように、あたいには見えた。
「ただのお散歩よ。それより貴女、仕事はどうしたの?」
「いやあ、その辺は詮索しないって方向で、ここはひとつ」
お燐は黙っていた。なにか考え込んでいるように見える。やがて「そうだ」と言った。
「チルノ、この妖怪さんの能力でアンタの記憶をたどってみようじゃないか」
「どういうこと?」
とあたいは聞いた。
「チルノの頭のなかに、あたいの意識を入れてもらうんだよ。紫さん、アンタの能力ならできるんじゃないのかい?」
「できないこともないけれど……。その前に意図を教えてちょうだいな」
お燐は、あたいと一緒に「探し物」を探していること、あたいが「探し物」を探すに至った経緯を思い出せればそれがヒントになるかもしれないということ、その二点を紫に説明した。あたいが自分のことを死んだと思っていたことは説明しなかった。どうしてだろう? あたいにはわからなかった。
「なるほどね。チルノの頭のなかを覗いて記憶を辿ろうってわけだ」
「そういうことさ。境界を操ればそれくらい造作もないことだろう?」
お燐は胸を張ってそう言う。
「なかなか面白そうじゃない」
紫はにやりと笑った。
あたいにはよくわからなかったけれど、お燐と紫が楽しそうに会話をしているので、なんだかわくわくしてきた。
けれど、小町が急に難しそうな顔をして
「いや、やっぱり駄目だ」
と言った。
「なんでさ」
「頭のなかに精神を送りこむなんて、危険極まりないとは思わないか? それに、精神を送り込んだあと、身体は抜け殻になっちまうだろう。精神も肉体も危険にさらされることになる」
「あら、心外ね。わたしの能力を疑うのかしら?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「身体も大丈夫、わたしが責任を持って見守るわ」
「でも」
小町はまだ何か言いたそうに口を開いたが、やがてその口を閉じた。
「それじゃあ決まりだねえ。紫さん、よろしく頼むよ」
「ええ。チルノの頭に貴女の意識を移動させればいいのね」
「せっかくだからそこの死神のも頼むよ」
お燐はそう言うと、死神を指さした。
「えっ、あたいはいいよ。よしとくれ」
「わかったわ。やってみましょう」
「いやいや、お願いだ、あたいは勘弁――」
突然あたいの頭が
ガツンッ!
と揺れた。
あまりに強い衝撃で、
あたいの頭は上下に激しく揺れた。
目の前にいた紫や神社の階段が、
ぐわんッと真上に真っ逆さまに落ちていった。
なにが起こったのかわからない。
痛みはなかった。
どこも痛くない。
次の瞬間、
頭のなかが爆発して、
一気に縮んだ。
気がつくと、あたいは呆然としたままで立ち尽くしていた。目の前で紫がにこにこと微笑んでいる。なにが起こったのかわからない。「成功よ」と紫は言った。なにが成功したと言うのだろう/凄い。本当にできてしまった。あたいは視界に映る八雲紫を空恐ろしく感じた。あの能力は本当に計り知れない/とあたいは思った/あたいはびっくりした。あたいのなかに、もうひとり、あたいがいる! あたいが考えようとして考えたこと以外に、別のことを考えているあたいがいる/残念、三人だ。くそっ、本当に連れてこられてしまった。勘弁してほしい/と、あたいは思った/どうやら、あたいと、あたい以外と、もうひとりのあたい以外がいるようだった。あたいはどうしていいのかわからず、紫に助けを求めた。が、紫はにこにこと微笑んでいるだけでどうもしてくれない。紫の後ろで、放心したような、能面みたいな表情で階段に腰掛けるお燐と小町がいることに気がついた/それはそうだ。奇しくも言葉通り、放心状態なのだ。心そこにはあらずである。あたいはチルノが思い浮かべた偶然の産物であるジョークに笑いそうになった/おい、なんであたいもここへ連れてきたんだ/アンタねえ、なにか隠し事しているだろう/隠し事だと?/と、あたいは思った/あたいにはわけが分からなかった。突然、あたいのなかに新しいふたりのあたいが現れたのだ。しかもそのふたりは、今まさに喧嘩をはじめようとしている。あたいはただ、おろおろとするしかなかった。
「気分はどうかしら?」
と紫が言う。
最悪だ、ここから出してくれ/いいや駄目だね、いったいなにを隠しているのか吐いてもらわなくちゃあねえ/と、あたいは思った。
「頭のなかがぐるぐるする」
とあたいは言った。
いいか、誰にだって隠し事のひとつやふたつ、それくらいあるに決まっているだろう/そんなこと知ったこっちゃあないねえ。アンタはこのあいだのあの魂の件でなにか隠し事をしているんだ、それはわかっているんだよ、あたいはそいつを知りたいんだ/と、あたいは思う。
「ふたりとも、大人しくできてないのかしらね」
と紫が言う。
「ふたりって誰?」
とあたいは聞いた。頭のなかにいる、あたい以外のふたりのあたいのことだろうか。
いい加減、あたいのことは放っておいたらどうだい、もともとはあたいが目的だったわけじゃあないだろう。そもそも、こんなことをしたって意味がないんだ、さっさと辞めちまうべきだね、とあたいは思う/あたいはアンタの隠し事が気になって仕方がないんだよ。いったいなにを隠しているんだい?/とあたいは思った。
「死体の運び屋と死神のことよ」
と紫が言う。あたいは、黙ったまま階段に腰掛けているお燐と小町を見た。
チルノは状況を理解していないんじゃないか?/えっ、そんなまさか/チルノはあたいだよ/と、あたいは思う。
「ふたりとも喋ってないよ?」
「頭のなかで喋っているひとはいない?」
「ふたりいる」
「それが運び屋と死神よ」
そんなまさか。だって、お燐と小町はあそこにいるじゃないか/そのまさかなんだよ、チルノ/そこにも確かにいるけどねえ/どっちが正解なの?/もしかすると哲学的な質問だね。身体と精神、どちらが自分なのか/そンなことはどうでもいいんだよ、馬鹿/とあたいは思った。
「お燐と小町、喧嘩してる」
とあたいが言うと、紫は呆れたような顔をした。
「いったいなにをやってるのかしら。ふたりとも、聞こえているでしょう? さっさと記憶を探したらどうなの」
それはわかっているのだが、どうやって探せばいいのかわからない/いいんだよ、探さなくて。さっさと諦めたらどうだい/五月蠅いね、ちょっと黙っていておくれよ/と、あたいは思った/意識は本当にチルノの頭のなかへ来られたようだったが、出来ることといえば「考える」ことや「思う」ことくらいである。他人の頭のなかを「思い出す」ことはできないのだろうか?
「少しでもなにか思い出せる?」
紫はそう言った。
あたいは、うーん、とうなって思い出そうとする。
パッと映像が頭に浮かびあがった。
赤く、長い髪の女性が現れた。「龍」という文字の刻まれた帽子を被っている。
こいつは/たしか、紅魔館の門番だったね/うん、美鈴だよ。美鈴はエイヤッって敵をやっつけるんだ/へえ/この妖怪がなにか関係あるのかい?/どういうこと?/美鈴ってのが探し物の場所を知っているのかい?/ううん、違うと思うよ/と、あたいは思った。
美鈴の映像はすぐに消え、新たな人物が浮かび上がる。
耳を四つ持つ妖怪が現れた。
あたいじゃァないか/あたいはチルノだよ/いやいや、これはあたいだよ/え? あたいはチルノなんだよ/ああごめん、そうだねえ。でも、あたいは関係ないからねえ/と、あたいは思う。よくわからなかった。
次いで、お燐が地底の妖怪たちに「珍しい死体だろう?」と言って回る映像が流れた。チルノの視点はじっとしていて動かない。
あんた、なにやったんだ/あたいね、このとき死んでたんだ/チルノ、やめておくれ、このことを思い出すのはよしておくれよ/いやいや、面白いからもっと見せとくれ/と、あたいは思う。
映像の中のお燐は、チルノが生きていることなど露知らず、地底の多くの妖怪たちに死体を披露して回っている。
や、本当に辞めておくれよ/いやいや、こいつはなかなか面白いね/後生だから、チルノお願いだ、止めてくれ/と、あたいは思う。
その後、事態は変化して小町が現れる。
おや、あたいが出たね/矢ッ張りアンタがなにか鍵を握っているんだよ/とあたいは思う。
映像の小町は「一緒にいてくれてありがとう、だってさ」と言ってあたいの頭のうえに手をぽんと置いた。途端、多くの感情がとめどなく溢れだした。
これは……/いったいどういうことだい? なんで悲しんでいるんだい/あたいわかんない。でもね、なんかね、泣きそうになったの/と、あたいは思った。
涙で溢れる視界。涙の洪水の向こうにちらちらと見える小町。映像はしばらくのあいだ、ずっとそのまま。これは、どうしてなのだかわからないけれど、悲しい記憶。
一瞬。
ほんの一瞬。
ふたりの男の子の姿が映った。が、その姿はすぐにかき消え、何事もなかったかのように再び涙と小町の映像に戻る。
今のはいったいなんだい? ちいさな童子だったように見えたけれどねェ/わかんない。思い出せそうだけど、わかんないや/もういいだろう。結局わからないんだ。思い出せないんだよ/とあたいは思う。
あたいは――あたい達はしばらくのあいだ黙っていた。
アンタ、やっぱりなにか隠しているんだね?/とあたいは思った。
だから何を根拠に/とあたいは思う。
しらばっくれるのはもう辞めたらどうだい/とあたいは思う。
あの童子は誰なんだい/とあたいは思った。
先ほどの男の子ふたりが現れる。
知らないね/とあたいは思った。
男の子は消える。
喧嘩しないで! とあたいは思った。
火の玉のような、魂の映像が現れる。
魂はふらふらと彷徨う。
まるでなにか探し物をしているかのように。
あたいはその魂に向かって言う。
『探してるの?』
魂はあたいを前にし、動かない。
肯定とも否定ともとれない。
だが、あたいには伝わったようだった。
『あたいも手伝うよ』
あたいは魂がなにを探しているのか、知っている。
いったいなにを探しているんだい?/よせ、もう思い出すんじゃない!/これじゃあちっともわからないよ/あたいもわかんない。思い出せそうだけど、思い出せないの/思い出さなくていいんだ/とあたいは思う。
けれど、あたいは思い出した。
そう気づくと同時に、新たな映像が現れる。
その映像を見た途端、あたいの頭のなかでお燐が叫んだ。
ふざけるんじゃないよ、なんで黙っていたんだい! あたいは、あたいはこんなこと知らなかった。知っていたら……。知っていたらどうするっていうんだい? うるさい!
お燐と小町の感情が強すぎて、どちらの声がどちらのものなのかわからなくなる。
知らなくていいことなんて、この世界にはわんさかあるのさ。これもそのひとつに過ぎなかったってことだ。そんなこと知るもんか。そんなの欺瞞だね、あたいは騙されないよ。あんたは少し感情的すぎるな。そんなことで死体の運び屋が務まるのかい? うるさいよ。アンタ、すべてを知っていたんだね? 知っていて黙っていたんだ! ああ知っていたさ。ふたりとも喧嘩しないで。あの子が可哀そうだとは思わなかったのかい。あたいの気持ちなんて関係ないだろう。仕事なんだから仕方がないのさ。感情を仕事で片づけちまうのかい。さすがは死神様だね。喧嘩しないでったら。あの子にはたったひとりの友達しかいなかった。でもその友達は病(やまい)で死ンでしまったンだ。元々持病を患っていたのに、外で死ンだ。きっと、親に内緒でこっそりとあの魂の子と一緒に外に出たンだろうね。それで、隠れ鬼をしているあいだに体調を悪くして倒れ、誰にも見つからないまま……。よくそのことをご存じで。わかるさ! だって、だってその死体は……。くそっ。いいのかい、その先を自分で認めちまって。認めるもなにも、事実なんだろう? なァ死神さん? ああ、その通りだよ。お互い、己の責務を果たしただけさ。なにも悪くない。ちくしょう、頭にくるねえ。そのたったひとりの友達の死体をあたいが運び、アンタは魂を運ンだンだ。その通りだよ、仕事だからねえ。仕事仕事って、アンタにはそれしかないのかい。あたいは例え仕事だからって、こんなの嫌だよ。けれど事実を知らなければそれはただの死体だったし、ただの魂だった。それだけだ。そうだろう? くそっ、嫌になるね。あの子は友達の死を知らず、ずっと探し続けたンだね。ああそうだ。何年も何十年も、自分が死んでもなお、探し続けていたんだ。なにせ、友達は死ンだ後アンタに死体を、あたいに魂を持って行かれちまったわけだから見つかるわけがない。あの魂の子は友達を探している間に迷子になって、死んだ。死体は見つからず、結局腐敗して土に返った。けれど魂は残った。あたいはあの魂の子の死体を知らないからね。その魂をチルノが見つけた。そういうことだろう? 大方当たりだな。あたいは長いあいだ、その魂を探していたんだ。今までどうした訳かなかなか見つからなかったんだよ。どうしてチルノは魂が「探し物」をさがしていることに気がつくことができたんだい? あたいわかんない。あたいにもわからない。ただ、妖精は自然の化身だからね。何事をも見抜いてしまったって、あたいには不思議じゃあないよ。それに、もしかしたらその友達のことをチルノは知っていたかもしれない。人間と妖怪の寿命の差は歴然だからね。なるほどねえ。ああそうか、そうだったんだ。だからこそ「一緒にいてくれてありがとう」だったんだね。
「ふたりとも、まだ喧嘩しているのかしら?」
と紫が言った。
「わかんない。喧嘩したり、しなかったりしてる。今は静かになってる。なんだか悲しそう」
「そう」
あたいはいったいどうすればいい? どうもしないさ。のんびりぐうたら生きていくしかないね。償おうだなんて思わないことさ。あたいは、そ、そんなに強くない。あたいだって強くないさ。でも、生きるっていうのはそういうことだろう? でも、不安で仕方ないよ。困ったね、あたいはどうしてやればいい? ……。
「まだ静かになっているのかしら?」
と紫が訊く。
「うーん。ちょっと違う。静かなんだけど、ちょっと話してる。そんでもって、なんか、よくわかんないけど、あったかいよ!」
「あらあら、二人とも仲良しなのね」
仲が良いだって? 冗談はよしておくれよ紫さん。どうしてあたいがこんなヤツと。うるさいヤツだね。それはあたいの台詞だよ。そもそもチルノ、どうしてあたいがコイツと友達なんだい。おや、それも矢っ張りあたいの台詞だね。だいたい、あたいは初めてあったときからアンタのことが気に食わなかったんだ。さっさとあたいのまえから消えな。消えなって言われてもね、紫さんに出してもらわなきゃあ、どうにもできないね。さっきからあたいのあげ足ばっかり取りやがって。チルノ、はやくあたいをここから出しておくれ。もうコイツと一緒にいるのは嫌だよ。あれだけあたいに対して大見得を切っておいて、自分から逃げるのかい。誰が逃げるだって? あたいはそんな気じゃあなかったよ。おや、違ったのかい。なんだいこのあたいに喧嘩売ってるのかい。上等だね、あたいの鎌の錆にしてやるよ。馬鹿だね、あたいがそんなデカイだけの得物に捕まるわけがないだろう。そもそもあたいは。いや、あたいが。あたいだって。あたいばっかり。あたいこそ。あたいは。あたいが。あたいが。あたいには。あたい。あたい。あたい。あたい。あたい。あたい。あたい。
「頭いたーいっ」
とあたいは言った。
「そろそろ出してあげなきゃね」
紫はくすりと笑うとそう言った。
ふたたび、あたいの頭がガツンと強く揺れた。すると、それをきっかけにしたかのように階段に座っていたお凛と小町がすっくと立ち上がった。
「最低なやろうだね、アンタは。さすが死神様だねえ」
立ち上がったお燐は小町を指さしそう言った。
「そうかい」
小町は腕を組んでお燐をがんと睨みつける。
「アンタが死んだら必ずあたいが運ンでやるからね。悪戯してやる。人様にはお向けできないような醜い顔にしてやるよ。よォく覚えておくンだね」
頭のなかのふたりはいつの間にかにいなくなっていた。どうやら外に出てもとの通りになったらしい。
「ハッ。死神のあたいにそんなことを言うなんてとんだ間抜けだな」
あたいのなかから出て行ったふたりは、また喧嘩を始めた。
あたいは慌ててふたりの間に割って入る。
「喧嘩は駄目だよ」
すると、紫があたいの身体を優しく抑え、後ろへと下げた。
「チルノ、水を差しちゃ駄目よ」
「え?」
あたいは驚いて紫を振り返った。紫はまた、笑う。
「ふたりとも素直になれないだけなのよ」
お燐と小町は顔を真っ赤にしたかと思うと、喧嘩を止めてしまった。
あたいは空を見上げた。ぽかぽかとしたいいお天気で、嫌なことなんて、まるでなにひとつなさそうだった。
この話は短い話二本で一本の短編となっています。
始めの話が【あたいの……】で後の話が【あたいのなか】というものです。
【あたいの……】
《あたいのしたい》
気がつくと見たことのないやつが目のまえにいた。そいつは赤い髪をしていて、ヘンテコな服を着ている。傍に荷物を乗せる車――なんと言ったらいいのだろう、車輪がついていて、土や砂を運ぶのに便利そうな道具――があって、そのハンドルを握っていた。そいつはあたいを見て「それにしても、これは珍しい死体だねえ」と言った。それを聞いたあたいはびっくりした。
あたいは死んじゃったんだ!
泣きそうになった。でも、泣けない。だって死んじゃったんだから泣けるわけがない。あまりにびっくりしたせいで、身体が動かなかった。いや、動けるわけはなかった。死んじゃったんだ。
赤い髪のやつ――よく見ると、頭のうえにふたつの耳がある。顔の横にもふたつあるから、なんと耳が四つもあるのだ!――は、あたいを車のうえに乗せた。車は冷たく、硬かった。車にはあたいの他にもうひとり乗せていた。が、その姿はみたあたいはぎょっとした。頭が取れているのだ。
ああ、そうか、とあたいは思った。この赤い髪をしたやつは、死体を運ぶひとなんだ。でも、死体なんて運んでどうするんだろう。楽しいのだろうか?
そして、あたいと死体を乗せた車は動き出した。車輪があるとはいえ、あたいと死体を乗せた車を動かすのは赤い髪のやつだ。重くないのだろうか、と思ったが、ぜんぜんそんなことはないらしい。すいすいと車は進んだ。あたいは死体らしさをよく考えて、じっとしていることにした。
どうも、死んじゃう、ってことがよくわからない。あたいは死んだことがない。いや、今は死んでいるんだから、死んだことがなかった、というべきなんだろう。
死ぬ、っていうことはどういうことか美鈴に聞いたことがある。美鈴とはあたいの大切な友達のことだ。あたいは美鈴が大好きだった。美鈴によれば、死ぬ、っていうことは、動けなくなることだ、ってことだった。どこもかしこもまったく動けなくなるそうだ。それはとても恐ろしいことだった。だって、空を飛べなくなってしまうし、誰かとお喋りすることもできなくなってしまうし、遊ぶこともできなくなってしまうのだ。
そうか、もう遊べなくなってしまったんだ。
そう思うと、また泣きたくなった。でも、やっぱり泣いてはいけないのだ。あたいは死体なのだから。
《あたいとしたい》
あたいは死体を運ぶ。それがあたいの仕事だからだ。
地底の入り口近くに死体があると知らせを受け、その様子を目にしたときは驚いた。なにせ、その死体は妖精のものであったのだ。妖精は死なないと聞いていたのだが、それは嘘のようであった。はじめのうちは眠っているか意識不明なだけじゃないのかなと思って様子を見ていたのだが、それは間違いだった。
あたいが妖精の死体の様子をうかがっているあいだ、その時間はほんの十数秒だったと思うのだけれど、そんな些細な時間のあいだに彼女がやってきたのだ。
彼女は自分のことを小野塚小町と名乗っていた。彼女は死神だった。身の丈ほどもある巨大な鎌を持っている。その鎌はどう見ても草を刈り取るためのものではないように見えた。いったいなにを刈り取るのか、そのことについては想像しないように務める。
「あんたは死体を運ぶのかい?」
その死神はあたいに向かってそう言った。きっと、猫車に乗った首のもげた死体を見たのだろう。
「そうさ。それが仕事だからねえ」
あたいはそう応えた。
「へえ、そうかい。それじゃあ互いに邪魔することはないってわけだ」
死神はそう言った。いったいなんのことかわからず、返答の仕方を思案していると、死神はまた口を開いた。
「それじゃあ、あたいはこいつを連れていくよ」
死体を持っていかれるのかと思い、ムッとした。いくら死神といえどひとの仕事を取るとはどういう了見だと思った。だが、そうではなかった。小町と名乗る死神は、そう言っただけで踵を返したのだ。わけがわからなかった。あたいは首をかしげた。
だが、死神がいったいなんのためにここへ来たのかはすぐに理解できた。死神の後ろをついていくものがあったのだ。
死神の後ろをついていくもの。それは魂だった。
「あたいは死体を。死神は魂を。なるほど」
あたいは死神を見送った後でそうひとりごちると、もう一度死体を見返した。妖精の動かない身体があるが、妖精は自然の一部なので死なないと言われている。だが、いま死神が魂を連れていった。ならばこれは死体なのである。
「それにしても、珍しい死体だねえ」
あたいはそう言い、妖精の死体を猫車のうえに乗せた。その死体は幼く、死んでしまうにはまだ早すぎるように思われた。もしまだ生きていれば、元気に野原を駆け回っていただろうに。だが、同情などするはずもない。これは仕事なのであり、いちいち死体に同情なんてしていたらキリがない。
あたいは死体を。死神は魂を。いまこの妖精はふたつに別れた。
当人は悲しく思うかもしれないけれど、こっちとしては仕事なのだから仕方がない。あたいと死体。死神と魂。うん、仕事とはそういうものさね。
《あたいのたましい》
あたいは今、魂という状態になっているらしい。小町という大きな鎌を持った死神がそう言ったのだ。魂になってしまったということはつまり、死んでしまったということなのだろう。
死神というのは、死んでしまった者の魂を閻魔様のもとへ届けるのが仕事なのだそうだ。
小町という死神は、「三途の川」と呼ばれているらしい川に浮かべた小さな船に乗った。あたいにも乗るように促す。あたいはそれに従った。
小町のことを初めのうちは怖いと思っていた。だけど、怖いひとではないようだった。なかなか気さくなひとのようで、あたいにいろいろな話をしてくれた。自分の仕事のこと、これから向かう閻魔様のことなど。あたいは魂なので喋ることはできない。なのでそれに気をつかい、あたいの知らないことばかりを話してくれているように見える。
小町は船を漕ぎながらひとしきり喋ったあと、あたいと顔の高さを合わせるようにして屈んだ。実際にはあたいは魂ひとつしかないのだから、顔なんてもうないのだけれど、その仕草からあたいと親身になって話をしようとしているのが感じられた。
「アンタはまだ小さかったんだね」
と小町は言った。あたいは驚いた。魂というものは宙に浮いた火のかたまりのような形だと聞いたことがある。みな、一様にその形なのだろうと思っていた。自分自身の身体を見ることができないので、それが真実なのかどうかはわからないが、魂にも一つひとつ違いがあるのだろうか。
「なあに、この仕事を長く続けていれば多少はわかるもんだ」
あたいの心情を悟ったのであろう、小町はそう言う。
「死んでしまうには早すぎたろうに」
小町はふっとあたいを憐れむような表情を一瞬だけ見せた。が、やがて立ち上がってまた船を漕ぎ始めた。死神というのは怖い神様だと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
「対岸に着くまで、まだもうちょいとだけ時間がかかるよ。退屈かもしれないけれど、あたいの独り言でも聞いていておくれ」
小町はあたいを見ずにそう言った。あたいはなにか言いたかった。でも、そうすることはやはりできなかった。
《あたいとしたい》
あたいは猫車を押しながら地底へと戻る。途中で知り合いの妖怪に会うたび、車に乗せた死体を見せびらかした。
「どうだい? 珍しい死体だろう」
知り合いの妖怪たちは死体を見ると目を丸くした。なんとなれば、死なないと言われていた妖精の死体なのだ。驚くのも当然だった。
「矢っ張り信じられるのは自分の眼(まなこ)だけさあ。迷信なんて信じるもンじゃないねえ」
あたいは胸を張ってそう言うと、今度は別の妖怪を捕まえて、また妖精の死体のお披露目をした。
地底の妖怪たちのなかに、何人かはこの妖精を知っている者がいた。妖精の名前はチルノというらしい。なんでも、妖精のなかでは力があるらしく、いたって活動的だったという。力が強くても、もちろん妖精なので頭は悪かったそうな。おそらく、その弱い頭で事故なりなんなりを起こして死んじまったのだろう。まあ、死因なんてあたいには関係ない。運ぶ死体が無事ならそれでいいのだ。死体が無事ってどうにも変な感じだな。
「殺しても死なないような奴だったのになあ。あ、いや、妖精だけにって意味じゃないぞ」
チルノを知っていた妖怪はそう言った。まあ、死んじまったもンは死んじまったもンなので、今更どうこう言ったって仕様がない。なにせ、死神が魂を連れて行ったのだから、その抜け殻であるこの身体は死体以外のなにものでもないのだ。
《あたいのしたい》
死んでしまうというのはとても辛いものだというのが、よくわかった。だって、死体になってしまったらずっとそのままで動けないのだ。あたいはまた、死んだということを考えると悲しくなった。そうか、死ぬ、というのはずっと悲しくなるということなんだ。死んだ本人も悲しいし、死んだ人に会えなくなるから他のひとも悲しい。そうか、そういうことだったのか。
「アンタ、チルノって言うんだってね」
と、あたいを乗せた車の持ち主は言った。あたいは死体なのでじっとしたまま、次の言葉を待った。
「あたいのことはお燐って呼んでおくれよ」
耳を四つ持つお燐は、車を止めてあたいの顔をまじまじと見つめた。
「それにしてもアンタ、いったいどうやって死んだんだい? ちょいと泥だらけだけど、綺麗な身体じゃないか。傷は見当たらないし、病気で死ンだようにも見えない」
ふーむ、とお燐は顎に片手を添えて難しい顔をした。そのポーズがあまりにも似合わなかったから、あたいは笑いそうになった。でもこらえた。あたいは死体だから笑っちゃいけないのだ。
「アンタ、あたいのことを独り言の多い変なヤツだと思っているだろう」
あたいは確かにそう思い始めていたのですこしドキリとした。まるでそれを見抜いたかのように、お燐はニヤリと笑った。
「あたいはね、死体や怨霊と会話できるんだよ。だからアンタにその気があればあたいに話しかけることだってできるのさあ」
それはすごい!
あたいはバッと起き上った。
やった、お燐がいればあたいは死体でも喋ることができるのだ!
つまり、お燐がいれば悲しまないでいいのだ!
「あたいチルノ。よろしく!」
立ちあがったあたいはそう言った。
首はとれたままだったので、喋ったあたいの顔はまだ乗り物の上だった。あたいは慌てて顔を拾って首のうえに置いた。
が、お燐は目を丸くして口をあんぐりと開けたまま答えなかった。
《あたいとたましい》
あたいは魂を無事に対岸まで送り届けた。
そしてあのとき死体の運び屋と一緒にいた妖精と会うために、幻想郷への船を漕ぎ出した。
《あたいとしたい》
わけがわからない。
確かにあたいは死体や怨霊と会話ができる。が、死体を動かすだなんて、そんなことはやったことがない。まさか、あたいはチルノをゾンビにしてしまったのだろうか?
チルノはそんなあたいの気も知らず、猫車から元気よく飛び降りた。
「お燐がいれば、あたいは死んでなくていいんだね?」
チルノはそう言って、まるで鈍った身体をほぐすかのようにひょこひょことあたいの周りを跳ねまわった。
「え、いったいそれはどういうことだい?」
あたいはそう訊いた。チルノは立ち止まり、首を左に傾げてあたいを見上げる。
「だって、あたい死んじゃったんでしょ? でも、お燐がいれば動ける。違うの?」
「いやあ、あたいは死体と会話できるだけさ。生き返らせることはできないよ」
あたいが慌ててそう否定すると、チルノは左に傾げていた首を今度は右へと傾けた。しばらく考え事をするように黙って真面目な顔になった。が、また首を左に傾げなおした。わからなかったらしい。
「えっ、じゃあ、あたい、やっぱり死体やらなきゃだめなの?」
今度は泣きそうになる。いろいろと忙しい顔だった。
「あたいもちょいと混乱してるンだ」
あたいがそう言うと、チルノは泣きそうな顔のまま猫車に乗りなおした。
「じゃあ、あたい、死にます」
猫車のうえでチルノが横になる。
あたいは慌てた。ちょっと待て、もしかしてコイツ、死んでないんじゃないか? いや、もしかしなくとも死んでないだろう。
「アンタ、もしかして死んじゃいないんじゃないかい?」
あたいはそう訊いたが、チルノは横になって黙ったまま答えない。目も閉じてしまっている。
ああそうか。死体だから答えられないっていうことか。
「言っておくけどね、あたいは死体と会話できるンだよ。だからアンタは喋らなくちゃ駄目さね」
そう言ってやるとチルノは目を開け、
「どっちなの?」
と言う。
ええい、面倒くさい。
「アンタ、いったいどうやって自分が死んだのか知っているかい?」
チルノは考える素振りを見せた。本当に考えているのだろうか。
「わかんない」
「ああ、そうかい」あたいは目をつむってこめかみを揉んだ。「アンタ、なんで自分が死んだんだと思ったんだい?」
「わかんない」
今度は即答だった。
「アンタきっと死んじゃいないよ」
「え? 本当?」
「ああ、ホントホント」あたいはもうどうだって良くなっていた。死んでいようが死んじゃいまいが、どっちでもいい。「だからもう、アンタは帰ンな」
「さっきから、アンタアンタってうっさい!」
猫車から降りたチルノは怒ったようにそう言った。いや、実際に怒っているようだ。本当に忙しいヤツだ。あたいは思わず顔をしかめた。
「そりゃすまなかったねえ。えっと、チルノ?」
「うん。あたい、チルノ」
「帰り道わかるかい?」
「わかんない!」
チルノは元気よく答えた。
《あたいのしたい》
あたいは死んでなかった!
それはとてもとても嬉しいことだった。
死んでいないということを教えてくれたお燐は、あたいがちゃんと地上へと帰ることができるように案内すると言った。
「アンタにここにいてもらっちゃあ、恥ずかしくてたまらないからね。ああ、あたいとしたことが生ものなんて持ち帰るとはねえ。しかも他の妖怪たちに自慢しちまったし。ああ、どうしようどうしよう」
お燐はそんな風なことを言ったが、意味はわからなかった。
あたいとお燐は地上を目指して飛んでいる。途中までお燐は車――お燐はその車を猫車と言った。よくわからなかったので訊いてみると、手押し車と言えばわかるかね、と言う。それもわからなかった――を押していたが、結局邪魔だということで知り合いの妖怪にあずかってもらったようだった。
「そういえば」
とお燐はあたいを見て言った。
「なあに?」
「アンタ――チルノは、いったいどうして魂なんかと一緒にいたのさ?」
「たましい?」
いったいなんのことだかわからなかった。
「ほら、ええと、火の玉みたいな……」
「ああ!」やっとわかったあたいは、大きくうなずいた。「えっとね、あの子はなにかを探していたんだよ。でもね、なかなか見つからなかったの」
「へえ。アン――チルノは魂と会話ができるのかい?」
「できないよ」
「なにかを探しているって、どうしてわかったのさ」
「えっとね、えっとね。……なんとなく!」
あたいがそう言うと、お燐は変な顔をした。きっと疑っているんだなと思い、あたいはムッとした。
「違うもん、ちゃんと、一緒に探してたもん。ずっとずっと、ずーっと探してたんだけど、見つからなかったんだ。それで、疲れたから休んでたら、死んじゃってたんだ」
「いや、死んでなかったのさ。たぶん寝ていたンだろう?」
「そうなの?」
あたいがそう訊いても、お燐は答えてくれなかった。なにか考えるように黙りこんでいる。
「よォし、あたいも探すのを手伝ってあげようじゃないか」
しばらくしてから、お燐はそう言った。
お燐はなかなかいいヤツじゃないか。あたいはそう思った。
《あたいとしたい》
あたいとチルノは「探し物」を探すことにした。地底の入り口付近である。
チルノの言葉は記憶があやふやなせいか要領を得ないが、推測するに「地底の入り口付近で誰かが大切なものを無くし、死んだあと魂になってもなお探し物をしていた」ということなのではないだろうか。そして「チルノが偶然その魂と出会い、どういうわけか大切なものを一緒に探すことになった」ということなのではなかろうか。
死んでもなお探すほど大切なもの。それは余程高価なものに違いなかった。だからあたいはチルノと一緒に大切な物を探すことにした。なんとなれば、死人は物を持ってゆくことはできないし、チルノは高価なものの価値がわからないだろうからだ。つまり、見つけてしまえばあたいの物となるに違いないと踏んだのだ。
あたいとチルノは探した。探しにさがした。探しているものの正体はわからなかったが、ともあれ高価な物であればなんだって良かった。
だが、見つからなかった。結構な時間、探していたと思う。けれど見つかるものといえばゴミや動植物ばかりで、なんにもありゃしない。
やがてあたいは飽きはじめ、腰かけるのに良さそうな岩を見つけて座り込んだ。泥だらけになって、それでも探し回るチルノをぼんやりと眺めていた。
たまに、チルノは思い出したかのようにあたいに向けて手を振った。あたいも振り返してやると、チルノはにんまりと嬉しそうに笑ってから作業を再開した。ああ面倒くさいな、とあたいは思う。
あたいは座ったまま空を仰いだ。雲ひとつなく、透き通るような一面の青ばかりで、吸い込まれてしまうような気さえした。
たまには外に出るのも悪くないかもねえ、とあたいは思った。
「なにをしているんだい?」
突然、すぐ横手からそんな声が聞こえてあたいは身構えた。見ると、例の死神であった。
《あたいとたましい》
「アンタねえ、アンタのせいで、あたいは恥ずかしい目にあったんだよ」
死体の運び屋はあたいの姿を見るなり、そう噛みついてきた。
「そりゃあ、どうしてだい?」
「アンタが魂なんて連れていくから、あたいはてっきりチルノが死んでいるんだと思って連れて行っちまったんだよ」
死体の運び屋がなんとも情けないことを言うので、あたいはつい笑ってしまった。
「なァに笑ってるんだい!」
「そりゃあすまなかったね」
あたいは笑いを堪え、妖精――耳を四つ持つ死体の運び屋によれば、チルノという名前らしい――へと近寄った。用があるのは運び屋ではなく妖精のほうだ。チルノは頬や服のすそに土塊(つちくれ)や枯れ草などを張り付けている。よっぽど必死になって探しているのだろう。もう永遠に見つかることのないものを。
「チルノといったね」
チルノに近寄ったあたいはそう言った。憤懣やるかたない様子で運び屋も後をついてきていたが、あたいは無視を決めこんでいた。
「うん、あたいチルノだよ」
チルノはあたいを見上げてそう言った。
「あたいは小町っていうんだ」
「小町?」
チルノは首を傾げた。
「そう、小町。死神なのさ」
「死神ってなあに? 怖いの?」
「死神ってのはねえ――」
不穏な空気でも勝手に感じ取ったのだろうか? 運び屋が、ちょっと! と言ってあたいの肩を掴んだ。
「あたいは火焔猫燐って言うんだ」
「へえ、そうかい。よろしくな」
あたいは片手をひらひらと振って、会話に割って入った燐を遠ざけようとした。だが、燐は食い下がらない。
「アンタ、チルノをいったいどうするつもりだい?」
「どうするもこうするも……」
保護者のつもりなのだろうか? あたいは顔をしかめた。だが、その顔は燐にとってはとても気に入らない表情として映ったようだった。
「連れていくつもりなんだろう? けど、残念だったねえ。チルノはまだ死んじゃいないよ。現にこうして元気に生きてるじゃァないか。さあさあ、死神様は帰っておくれよ」
これはまた、ずいぶんと嫌われたものだ。確かに、死神とは忌み嫌われる存在ではあるだろうが、いやはや、まさか死体の運び屋にも同じように嫌われてしまうとは。
「あたい、やっぱり死んじゃったの?」
チルノが心配そうな顔をして、あたいとお燐を交互に見る。
どうやら話がこじれてきてしまっているようだった。
「死んじゃいない!」唐突に、運び屋が大きな声を出した。怒鳴った、と言っても差し支えがないかもしれない。「死んじゃいないさ。チルノ、アンタはまだ生きているよ。この死神様はちょいとばかし、迎えに来た相手を間違ったのさあ」
たまのお節介をしに来ると、これだ。死神稼業も楽ではない。
「今回は仕事で来たんじゃないよ」
あたいはチルノを見て、なるべく優しい表情となるよう意識をして言った。
「え?」
と言って驚いたのは燐のほうだった。
あたいは言葉を続けた。
「チルノ、お前さんと一緒にいた魂――あの子からの伝言があるんだよ。まあ、あたいには魂の言葉を聞くことはできないから、はっきりとした伝言でもないんだけどね。でも、伝えたいという意識、意図だけはわかっているつもりだよ」
チルノはあたいの言っていることを理解しているのか、していないのか、わからなかった。あたいを見上げたまま黙っている。それでもあたいは続けた。
「一緒に探してくれて――いいや、一緒にいてくれてありがとう、だってさ」
あたいはそう言い、ぽんとチルノの頭のうえに片手を置いてやった。すると、チルノの目から涙があふれだした。
「え? あれ? あれ?」
その涙に一番驚いているのはチルノ本人のようだった。あたいは袖でその涙をぬぐってやる。が、涙はとめどなく溢れてくる。チルノは己の涙の理由を知らぬようで、ただ涙を流すままにし、呆然としてしまっている。
チルノと燐、そしてあの魂が探していたもの。それはもう永遠に見つかるものではない。チルノと燐は探し物の正体を知らぬようであった。いや、すくなくともチルノは覚えていないのか、あるいはわからないだけなのかもしれない。溢れくる涙がそう思う根拠となっている。
あたいはチルノを慰めるように、髪を両手でぐしゃぐしゃにしてやった。
「やー」
とチルノは言って、涙を浮かべたまま笑った。
燐を見ると、狐につままれたような顔をしていた。まるで、今日は何度も騙されている、というような。
【あたいのなか】
アンタ今なんて言ったのさ。あたいに喧嘩売ってるのかい? はっ、なにを言っているんだかさっぱりわからないね。あたいはただ、後悔するまえにあたいをここから出しなと言ったんだよ。後悔? いったいなにを後悔するってンだい。さてはアンタ、なにか隠してるね。なにを根拠にそんなことを言うんだ。さあてねえ。アンタはちょいと信じられないからねえ。だいたいアンタははじめて会ったときから気に食わないんだよ。あたいを恥ずかしい目に合わせたのはアンタなんだからねえ。あれからこっぴどく罵られたもンさ。それもこれもすべてアンタのせいだよ。勝手に誤解しただけじゃないか、馬鹿だね。馬鹿ァ? アンタ今あたいのこと馬鹿だと言ったね。言っておくけどね、あたいはね。うっさい! なんで喧嘩するの? ああごめんごめん、コイツがなにかと喧嘩売ってくるもんでね。喧嘩売ってるのはアンタじゃないかい。うるさいね、あんたあたいを怒らせたいのかい? だから喧嘩しないでって。頭のなかがおかしくなっちゃう。ごめんよ、すべてコイツが悪いんだよ。コイツじゃわからないな。今の状態じゃあたいたち三人がコイツと呼べるな。五月蠅いねコイツと言えばアンタしかいないんだよ。また出た。またアンタだよ。アンタじゃわからないっていうんだよ。アンタアンタアンタ、そればっかりじゃないか。今の状況じゃあ、アンタ=コイツ=あたいたちだってのがまだわからないのかい? だから、喧嘩しないでよお。
※
あたいとお燐は探していた。
小町が「探すんじゃないよ。諦めな」と言っていたけれども、あたいは諦めない。
お燐や小町が「魂」と呼ぶあの子の「探し物」を、もう何日も探している。
はじめのうちは地底の入り口周辺を探しまわっていたのだけれど、お燐が「この辺りにはないンじゃないのかい?」と言うので探す場所を毎日変えていた。
お燐は「仕方がないねえ」だとか「なんであたいがこんなこと」だとか「やってられないねえ」だとかぶつくさ言うけれども、あたいが頼んでいるわけでもないのにいつも手伝ってくれている。お燐は優しい。あたいはお燐のことが好きになった。
今日は博麗の神社付近を探していた。
朝からずっと探していたのだけれど、なかなか見つからない。お天道様が真上に来るころ、あたいたちは階段の麓で休憩をすることにした。
「見つからないのかなあ」
とあたいは肩を落として言った。
「なァに言ってんだい。見つかるに決まってるじゃあないか」
お燐はそう言ってくれるけれども、顔に陰りがあるのをあたいは見落とさなかった。こんなに探して見つからないのだから、お燐だって、もうどこにもないのだろうと思っているに決まっていた。
あたいたちは、身体と気持ちの疲れから次第に無言になっていた。
「そうだ」
とお燐がとつぜん元気よく言うので、あたいはびっくりした。
「なに?」
「チルノ。アンタ、どうして『探し物』を魂と一緒に探すことになったのか思い出せるかい?」
「思い出せない」
あたいにはもう、あの子と一緒になにかを探していたという記憶しかない。
「うーん、思い出せればなにかヒントが得られると思ったんだけどねえ」
お燐が残念そうにそう言うので、あたいは申し訳ない気持ちになった。
「ごめんなさい」
「いや、いいんだよ。そんな気にすることじゃあないさね」
あたいとお燐は階段に腰掛けて、両足をぶらぶらさせながらしばらくお喋りをしていた。
やがて、大きな鎌を持ったひとがこちらに近付いてきたので、あたいは立ち上がり、そのひとの傍へと駆け寄った。
「小町ーっ」
傍に近寄ったあたいは、小町の顔を見上げた。
「おや、名前を覚えていてくれたんだね、チルノ」
そう言う小町もあたいの名前を覚えてくれていたので、あたいは嬉しくなった。
「うん!」
「なにしてるんだ?」
「えっとね」
あたいは、小町に「探すんじゃないよ」と言われたことを思い出し、答えるのに困ってしまった。えっとね、えっとね、と口ごもっていると、お燐がやってきた。
「アンタこそなにしに来たんだい、死神さん」
「なんだ、運び屋もいたのか」
「いて悪かったねえ。アンタ、また誰か連れ去りにでも来たのかい? こわい、こわい。縁起が悪いから早くどっかに行っちまってくれよ」
「生憎と今日は仕事じゃないんでね」
「へえ、そうかい。死神稼業にも休みがあるんだね」
「おっと、その辺は詮索しないでおくれ」
「え? アンタまさか……」
「あたいは神社の茶を飲みにきただけだよ」
「アンタ、こんなところに来ていいのかい? また花がたくさん咲いちまうようなことにはならないだろうねえ」
「最近ちょっと忙しくてね。たまには休ませておくれ」
「いや、でも、今日は休暇じゃないんだろう」
喧嘩するのかと思えば、まったく意味のわからない会話を、ふたりははじめた。ちんぷんかんぷんだったけど、喧嘩しなくて良かった。あたいは二人のお喋りを首を傾げてじっと見ていた。
「あら、今日は賑やかね」
そんな声が聞こえ、あたいたちはハッとしてその言葉の主へと注目した。言葉の主は八雲紫だった。
「こんにちは」
とあたいが挨拶をすると、
「こんにちは」
と紫も挨拶を返してくれた。紫は優しそうだけれど、たまに怖くなるひとだった。あんまり好きになれない。
「こりゃどうも」
と、小町も挨拶をする。
紫は返事をしてから、
「妖精と死神と死体の運び屋。面白い組み合わせね」
とそれほど面白がってはいないような言い方をした。
「今日はどういった趣きで?」
と小町は言う。紫の言葉はわざと無視したように、あたいには見えた。
「ただのお散歩よ。それより貴女、仕事はどうしたの?」
「いやあ、その辺は詮索しないって方向で、ここはひとつ」
お燐は黙っていた。なにか考え込んでいるように見える。やがて「そうだ」と言った。
「チルノ、この妖怪さんの能力でアンタの記憶をたどってみようじゃないか」
「どういうこと?」
とあたいは聞いた。
「チルノの頭のなかに、あたいの意識を入れてもらうんだよ。紫さん、アンタの能力ならできるんじゃないのかい?」
「できないこともないけれど……。その前に意図を教えてちょうだいな」
お燐は、あたいと一緒に「探し物」を探していること、あたいが「探し物」を探すに至った経緯を思い出せればそれがヒントになるかもしれないということ、その二点を紫に説明した。あたいが自分のことを死んだと思っていたことは説明しなかった。どうしてだろう? あたいにはわからなかった。
「なるほどね。チルノの頭のなかを覗いて記憶を辿ろうってわけだ」
「そういうことさ。境界を操ればそれくらい造作もないことだろう?」
お燐は胸を張ってそう言う。
「なかなか面白そうじゃない」
紫はにやりと笑った。
あたいにはよくわからなかったけれど、お燐と紫が楽しそうに会話をしているので、なんだかわくわくしてきた。
けれど、小町が急に難しそうな顔をして
「いや、やっぱり駄目だ」
と言った。
「なんでさ」
「頭のなかに精神を送りこむなんて、危険極まりないとは思わないか? それに、精神を送り込んだあと、身体は抜け殻になっちまうだろう。精神も肉体も危険にさらされることになる」
「あら、心外ね。わたしの能力を疑うのかしら?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「身体も大丈夫、わたしが責任を持って見守るわ」
「でも」
小町はまだ何か言いたそうに口を開いたが、やがてその口を閉じた。
「それじゃあ決まりだねえ。紫さん、よろしく頼むよ」
「ええ。チルノの頭に貴女の意識を移動させればいいのね」
「せっかくだからそこの死神のも頼むよ」
お燐はそう言うと、死神を指さした。
「えっ、あたいはいいよ。よしとくれ」
「わかったわ。やってみましょう」
「いやいや、お願いだ、あたいは勘弁――」
突然あたいの頭が
ガツンッ!
と揺れた。
あまりに強い衝撃で、
あたいの頭は上下に激しく揺れた。
目の前にいた紫や神社の階段が、
ぐわんッと真上に真っ逆さまに落ちていった。
なにが起こったのかわからない。
痛みはなかった。
どこも痛くない。
次の瞬間、
頭のなかが爆発して、
一気に縮んだ。
気がつくと、あたいは呆然としたままで立ち尽くしていた。目の前で紫がにこにこと微笑んでいる。なにが起こったのかわからない。「成功よ」と紫は言った。なにが成功したと言うのだろう/凄い。本当にできてしまった。あたいは視界に映る八雲紫を空恐ろしく感じた。あの能力は本当に計り知れない/とあたいは思った/あたいはびっくりした。あたいのなかに、もうひとり、あたいがいる! あたいが考えようとして考えたこと以外に、別のことを考えているあたいがいる/残念、三人だ。くそっ、本当に連れてこられてしまった。勘弁してほしい/と、あたいは思った/どうやら、あたいと、あたい以外と、もうひとりのあたい以外がいるようだった。あたいはどうしていいのかわからず、紫に助けを求めた。が、紫はにこにこと微笑んでいるだけでどうもしてくれない。紫の後ろで、放心したような、能面みたいな表情で階段に腰掛けるお燐と小町がいることに気がついた/それはそうだ。奇しくも言葉通り、放心状態なのだ。心そこにはあらずである。あたいはチルノが思い浮かべた偶然の産物であるジョークに笑いそうになった/おい、なんであたいもここへ連れてきたんだ/アンタねえ、なにか隠し事しているだろう/隠し事だと?/と、あたいは思った/あたいにはわけが分からなかった。突然、あたいのなかに新しいふたりのあたいが現れたのだ。しかもそのふたりは、今まさに喧嘩をはじめようとしている。あたいはただ、おろおろとするしかなかった。
「気分はどうかしら?」
と紫が言う。
最悪だ、ここから出してくれ/いいや駄目だね、いったいなにを隠しているのか吐いてもらわなくちゃあねえ/と、あたいは思った。
「頭のなかがぐるぐるする」
とあたいは言った。
いいか、誰にだって隠し事のひとつやふたつ、それくらいあるに決まっているだろう/そんなこと知ったこっちゃあないねえ。アンタはこのあいだのあの魂の件でなにか隠し事をしているんだ、それはわかっているんだよ、あたいはそいつを知りたいんだ/と、あたいは思う。
「ふたりとも、大人しくできてないのかしらね」
と紫が言う。
「ふたりって誰?」
とあたいは聞いた。頭のなかにいる、あたい以外のふたりのあたいのことだろうか。
いい加減、あたいのことは放っておいたらどうだい、もともとはあたいが目的だったわけじゃあないだろう。そもそも、こんなことをしたって意味がないんだ、さっさと辞めちまうべきだね、とあたいは思う/あたいはアンタの隠し事が気になって仕方がないんだよ。いったいなにを隠しているんだい?/とあたいは思った。
「死体の運び屋と死神のことよ」
と紫が言う。あたいは、黙ったまま階段に腰掛けているお燐と小町を見た。
チルノは状況を理解していないんじゃないか?/えっ、そんなまさか/チルノはあたいだよ/と、あたいは思う。
「ふたりとも喋ってないよ?」
「頭のなかで喋っているひとはいない?」
「ふたりいる」
「それが運び屋と死神よ」
そんなまさか。だって、お燐と小町はあそこにいるじゃないか/そのまさかなんだよ、チルノ/そこにも確かにいるけどねえ/どっちが正解なの?/もしかすると哲学的な質問だね。身体と精神、どちらが自分なのか/そンなことはどうでもいいんだよ、馬鹿/とあたいは思った。
「お燐と小町、喧嘩してる」
とあたいが言うと、紫は呆れたような顔をした。
「いったいなにをやってるのかしら。ふたりとも、聞こえているでしょう? さっさと記憶を探したらどうなの」
それはわかっているのだが、どうやって探せばいいのかわからない/いいんだよ、探さなくて。さっさと諦めたらどうだい/五月蠅いね、ちょっと黙っていておくれよ/と、あたいは思った/意識は本当にチルノの頭のなかへ来られたようだったが、出来ることといえば「考える」ことや「思う」ことくらいである。他人の頭のなかを「思い出す」ことはできないのだろうか?
「少しでもなにか思い出せる?」
紫はそう言った。
あたいは、うーん、とうなって思い出そうとする。
パッと映像が頭に浮かびあがった。
赤く、長い髪の女性が現れた。「龍」という文字の刻まれた帽子を被っている。
こいつは/たしか、紅魔館の門番だったね/うん、美鈴だよ。美鈴はエイヤッって敵をやっつけるんだ/へえ/この妖怪がなにか関係あるのかい?/どういうこと?/美鈴ってのが探し物の場所を知っているのかい?/ううん、違うと思うよ/と、あたいは思った。
美鈴の映像はすぐに消え、新たな人物が浮かび上がる。
耳を四つ持つ妖怪が現れた。
あたいじゃァないか/あたいはチルノだよ/いやいや、これはあたいだよ/え? あたいはチルノなんだよ/ああごめん、そうだねえ。でも、あたいは関係ないからねえ/と、あたいは思う。よくわからなかった。
次いで、お燐が地底の妖怪たちに「珍しい死体だろう?」と言って回る映像が流れた。チルノの視点はじっとしていて動かない。
あんた、なにやったんだ/あたいね、このとき死んでたんだ/チルノ、やめておくれ、このことを思い出すのはよしておくれよ/いやいや、面白いからもっと見せとくれ/と、あたいは思う。
映像の中のお燐は、チルノが生きていることなど露知らず、地底の多くの妖怪たちに死体を披露して回っている。
や、本当に辞めておくれよ/いやいや、こいつはなかなか面白いね/後生だから、チルノお願いだ、止めてくれ/と、あたいは思う。
その後、事態は変化して小町が現れる。
おや、あたいが出たね/矢ッ張りアンタがなにか鍵を握っているんだよ/とあたいは思う。
映像の小町は「一緒にいてくれてありがとう、だってさ」と言ってあたいの頭のうえに手をぽんと置いた。途端、多くの感情がとめどなく溢れだした。
これは……/いったいどういうことだい? なんで悲しんでいるんだい/あたいわかんない。でもね、なんかね、泣きそうになったの/と、あたいは思った。
涙で溢れる視界。涙の洪水の向こうにちらちらと見える小町。映像はしばらくのあいだ、ずっとそのまま。これは、どうしてなのだかわからないけれど、悲しい記憶。
一瞬。
ほんの一瞬。
ふたりの男の子の姿が映った。が、その姿はすぐにかき消え、何事もなかったかのように再び涙と小町の映像に戻る。
今のはいったいなんだい? ちいさな童子だったように見えたけれどねェ/わかんない。思い出せそうだけど、わかんないや/もういいだろう。結局わからないんだ。思い出せないんだよ/とあたいは思う。
あたいは――あたい達はしばらくのあいだ黙っていた。
アンタ、やっぱりなにか隠しているんだね?/とあたいは思った。
だから何を根拠に/とあたいは思う。
しらばっくれるのはもう辞めたらどうだい/とあたいは思う。
あの童子は誰なんだい/とあたいは思った。
先ほどの男の子ふたりが現れる。
知らないね/とあたいは思った。
男の子は消える。
喧嘩しないで! とあたいは思った。
火の玉のような、魂の映像が現れる。
魂はふらふらと彷徨う。
まるでなにか探し物をしているかのように。
あたいはその魂に向かって言う。
『探してるの?』
魂はあたいを前にし、動かない。
肯定とも否定ともとれない。
だが、あたいには伝わったようだった。
『あたいも手伝うよ』
あたいは魂がなにを探しているのか、知っている。
いったいなにを探しているんだい?/よせ、もう思い出すんじゃない!/これじゃあちっともわからないよ/あたいもわかんない。思い出せそうだけど、思い出せないの/思い出さなくていいんだ/とあたいは思う。
けれど、あたいは思い出した。
そう気づくと同時に、新たな映像が現れる。
その映像を見た途端、あたいの頭のなかでお燐が叫んだ。
ふざけるんじゃないよ、なんで黙っていたんだい! あたいは、あたいはこんなこと知らなかった。知っていたら……。知っていたらどうするっていうんだい? うるさい!
お燐と小町の感情が強すぎて、どちらの声がどちらのものなのかわからなくなる。
知らなくていいことなんて、この世界にはわんさかあるのさ。これもそのひとつに過ぎなかったってことだ。そんなこと知るもんか。そんなの欺瞞だね、あたいは騙されないよ。あんたは少し感情的すぎるな。そんなことで死体の運び屋が務まるのかい? うるさいよ。アンタ、すべてを知っていたんだね? 知っていて黙っていたんだ! ああ知っていたさ。ふたりとも喧嘩しないで。あの子が可哀そうだとは思わなかったのかい。あたいの気持ちなんて関係ないだろう。仕事なんだから仕方がないのさ。感情を仕事で片づけちまうのかい。さすがは死神様だね。喧嘩しないでったら。あの子にはたったひとりの友達しかいなかった。でもその友達は病(やまい)で死ンでしまったンだ。元々持病を患っていたのに、外で死ンだ。きっと、親に内緒でこっそりとあの魂の子と一緒に外に出たンだろうね。それで、隠れ鬼をしているあいだに体調を悪くして倒れ、誰にも見つからないまま……。よくそのことをご存じで。わかるさ! だって、だってその死体は……。くそっ。いいのかい、その先を自分で認めちまって。認めるもなにも、事実なんだろう? なァ死神さん? ああ、その通りだよ。お互い、己の責務を果たしただけさ。なにも悪くない。ちくしょう、頭にくるねえ。そのたったひとりの友達の死体をあたいが運び、アンタは魂を運ンだンだ。その通りだよ、仕事だからねえ。仕事仕事って、アンタにはそれしかないのかい。あたいは例え仕事だからって、こんなの嫌だよ。けれど事実を知らなければそれはただの死体だったし、ただの魂だった。それだけだ。そうだろう? くそっ、嫌になるね。あの子は友達の死を知らず、ずっと探し続けたンだね。ああそうだ。何年も何十年も、自分が死んでもなお、探し続けていたんだ。なにせ、友達は死ンだ後アンタに死体を、あたいに魂を持って行かれちまったわけだから見つかるわけがない。あの魂の子は友達を探している間に迷子になって、死んだ。死体は見つからず、結局腐敗して土に返った。けれど魂は残った。あたいはあの魂の子の死体を知らないからね。その魂をチルノが見つけた。そういうことだろう? 大方当たりだな。あたいは長いあいだ、その魂を探していたんだ。今までどうした訳かなかなか見つからなかったんだよ。どうしてチルノは魂が「探し物」をさがしていることに気がつくことができたんだい? あたいわかんない。あたいにもわからない。ただ、妖精は自然の化身だからね。何事をも見抜いてしまったって、あたいには不思議じゃあないよ。それに、もしかしたらその友達のことをチルノは知っていたかもしれない。人間と妖怪の寿命の差は歴然だからね。なるほどねえ。ああそうか、そうだったんだ。だからこそ「一緒にいてくれてありがとう」だったんだね。
「ふたりとも、まだ喧嘩しているのかしら?」
と紫が言った。
「わかんない。喧嘩したり、しなかったりしてる。今は静かになってる。なんだか悲しそう」
「そう」
あたいはいったいどうすればいい? どうもしないさ。のんびりぐうたら生きていくしかないね。償おうだなんて思わないことさ。あたいは、そ、そんなに強くない。あたいだって強くないさ。でも、生きるっていうのはそういうことだろう? でも、不安で仕方ないよ。困ったね、あたいはどうしてやればいい? ……。
「まだ静かになっているのかしら?」
と紫が訊く。
「うーん。ちょっと違う。静かなんだけど、ちょっと話してる。そんでもって、なんか、よくわかんないけど、あったかいよ!」
「あらあら、二人とも仲良しなのね」
仲が良いだって? 冗談はよしておくれよ紫さん。どうしてあたいがこんなヤツと。うるさいヤツだね。それはあたいの台詞だよ。そもそもチルノ、どうしてあたいがコイツと友達なんだい。おや、それも矢っ張りあたいの台詞だね。だいたい、あたいは初めてあったときからアンタのことが気に食わなかったんだ。さっさとあたいのまえから消えな。消えなって言われてもね、紫さんに出してもらわなきゃあ、どうにもできないね。さっきからあたいのあげ足ばっかり取りやがって。チルノ、はやくあたいをここから出しておくれ。もうコイツと一緒にいるのは嫌だよ。あれだけあたいに対して大見得を切っておいて、自分から逃げるのかい。誰が逃げるだって? あたいはそんな気じゃあなかったよ。おや、違ったのかい。なんだいこのあたいに喧嘩売ってるのかい。上等だね、あたいの鎌の錆にしてやるよ。馬鹿だね、あたいがそんなデカイだけの得物に捕まるわけがないだろう。そもそもあたいは。いや、あたいが。あたいだって。あたいばっかり。あたいこそ。あたいは。あたいが。あたいが。あたいには。あたい。あたい。あたい。あたい。あたい。あたい。あたい。
「頭いたーいっ」
とあたいは言った。
「そろそろ出してあげなきゃね」
紫はくすりと笑うとそう言った。
ふたたび、あたいの頭がガツンと強く揺れた。すると、それをきっかけにしたかのように階段に座っていたお凛と小町がすっくと立ち上がった。
「最低なやろうだね、アンタは。さすが死神様だねえ」
立ち上がったお燐は小町を指さしそう言った。
「そうかい」
小町は腕を組んでお燐をがんと睨みつける。
「アンタが死んだら必ずあたいが運ンでやるからね。悪戯してやる。人様にはお向けできないような醜い顔にしてやるよ。よォく覚えておくンだね」
頭のなかのふたりはいつの間にかにいなくなっていた。どうやら外に出てもとの通りになったらしい。
「ハッ。死神のあたいにそんなことを言うなんてとんだ間抜けだな」
あたいのなかから出て行ったふたりは、また喧嘩を始めた。
あたいは慌ててふたりの間に割って入る。
「喧嘩は駄目だよ」
すると、紫があたいの身体を優しく抑え、後ろへと下げた。
「チルノ、水を差しちゃ駄目よ」
「え?」
あたいは驚いて紫を振り返った。紫はまた、笑う。
「ふたりとも素直になれないだけなのよ」
お燐と小町は顔を真っ赤にしたかと思うと、喧嘩を止めてしまった。
あたいは空を見上げた。ぽかぽかとしたいいお天気で、嫌なことなんて、まるでなにひとつなさそうだった。
読み進めていくうちに状況がだんだんと理解できて、わくわくしながら読んでいました。
あたいが三つもあってややこしい、でもそれが面白い。
最後の一文がとてもチルノらしくて好きです。
話の筋が少しずつ分かっていく快感がもうたまりません。
何か、流れに任せていく感じで心地よく読めました。