それからの事を、少しだけ話そう。
メリーベルが目を覚ましたのは、私の目覚めから丸1日遅れてのことだった。大事をとって一晩だけ入院していた私が、ちょうど病院を退院しようというときに彼女は意識を取り戻したのだ。病院を出る私には、メリーベルと話す時間はほんの僅かしか許されていなかった。故郷の国に帰るという彼女に、半ば強引に住所を書き留めさせ、必ず手紙を出すことを私は約束した。
彼女の記憶は八雲紫による改変を免れていて、私は少し安心した。これがもし私だけの記憶になっていたら、自分で自分を信じられなくなっていただろう。メリーベルがいたからこそ、私は今に至るまで幻想を捨てることがなかったのだ。
そして私は、それっきりメリーベルに会ってはいない。
何度か手紙のやり取りはした。彼女の書く丸っこい平仮名だけの手紙には何とも言えない滑稽さがあって、私は受け取る度に笑ってしまった。自分たちだけが共有する秘密について、魑魅魍魎に溢れた妖怪都市について、認(したた)める筆はどちらも止まらなかった。あの時代は今みたいに交通網が発達していたわけではなかったから、出した手紙に返事が来るまでに2か月とか3か月とかかかったものだ。確か、文通は数年間続いていたと思う。
けれど東京が大地震で壊滅的な被害を受けたときに、私は居所を移さざるを得なくなった。さらに世界大戦が、科学都市と一緒に受け取った手紙をも全て焼き払ってしまった。戦中戦後の混乱が極まった世界では、もはや国際郵便なんて送っても届く筈がなかった。あれから何度か、住所と名前だけを手掛かりにしてメリーベルを捜したけれど、結果は梨(なし)の礫(つぶて)に終わった。
彼女があの後、どのような人生を歩んだのか。今の私にはもう、知る術など無い。
私と岡崎上等兵 ―― 十三さんは、あの雨の日から3年後に結婚した。軍人家系の出の癖に、優しさしか取り柄がない、ちょっとずれたひとだったけれど。でも私はきっと、生まれ変わってもあのひとを選ぶだろう。
私たち夫婦は、娘2人と息子1人を授かった。子供ができると、十三さんは人が変わったようにてきぱきと軍務に打ち込むようになって、家柄も相まってとんとん拍子に昇進を重ねた。あの頃は幸せだったと、迷うことなくそう言える。私の何十年かの人生の中で、最も楽しかったのはあの幻想京騒動の1年間だったけれど、最も幸せなのは結婚してからの十数年間だった。
しかし、幸せな日々は突然終わりを告げた。ある年、大陸の戦争に駆り出されていった十三さんは、そのまま帰ってくることはなかった。砂ばかり入った骨壺を桐箱に納めて、同僚の方々が家の門を叩いたあの日のことを、私は思い出す度に今も胸が張り裂けそうになる。撤退戦の最中、率いていた隊の若い兵が転倒したところを、彼は何を思ったのか自らふらりと助けに戻り、そして彼ひとりが撃たれたのだという。いかにもあのひとらしい最期だ。天国で会ったら、帰ってこなかったことをしっかりと叱ってやらなければなるまい。
愛する夫も住む家も失って途方に暮れている内に、いつの間にか戦争が終わっていた。その頃にはもう子供たちが自立していたことが唯一の救いだった。長子の菊子をはじめ彼らはみな家庭を持っていたし、私も彼らと支え合いながら焼け野原の東京で何とか生き抜いた。
そして菊子が自らの娘に蓮子と名付けたせいで、それ以来、宇佐見家の女子の名前は花から名前を取るのが伝統になった。孫の名を初めて聞かされたときは心臓が飛び出そうなほど驚いた。何せあのキネマの話を娘にしたことなど一度もなかった。だが私にどうこう言える筋合いはなく、黙って受け入れる他になかった。人の名前に使える花なんて限られているから、いつかは同じ名前の少女が生まれるだろう。私と同じ桜の名を持つ娘が生きるのは100年後、それとも200年後だろうか?
名前は仕方ないが、秘封倶楽部の名前だけは絶対使うなと、遺言の端にでも加えておかねばなるまい。
星さんと那津については、それこそ何も分からない。千年以上を生きるという妖怪たちなのだから、今もきっと元気でいるだろうけれど。
白蓮寺はもう、東京には影も形もない。空襲のせいでももちろんあるけれど、それ以前にあの雨の日以降、嘘みたいにもぬけの殻になっていたのだ。一度訪ねてみたけれど、埃だらけのその様相は、引っ越していったと言うよりは元から誰も住んでいなかったかのような塩梅だった。西洋造りの奇妙な寺の面影などある筈もなかった。
しかしひとつだけ、星さんは忘れ物をしていった。いつも被っていたあのシャッポだ。積もった埃の上に、几帳面な彼女らしく手入れの整った状態でぽつんと置かれていたのだから、あれは星さんのものに間違いない。幻想郷での彼女があの男装みたいなスリーピースをきっちり着込んでいるのかどうかは知らないが、シャッポだけ忘れていくのがいかにも彼女らしかった。
ひょっとしたら取りに戻ってくるかもしれないと、私はそれをずっと保管していたのだが、もちろんそんなことはなかった。いつしか私はそれを被って外出することを覚えた。その頃はまだ戦前でファッションには大らかだったから、シャッポを用いたコーディネイトは私の周囲で若干の流行となった。そして奇妙なことに、このシャッポは戦争を通して私の許にあり続けた。家と共に焼けたはずだったのに、いつの間にか手元に戻ってきていたのだ。幸運の象徴たる寅の持ち物は、どうやら霊験あらたかな代物だったらしい。
この幸運をお裾分けしようと、私はそれを菊子にやった。彼女もまたそれを喜んで被るようになり、宇佐見家の女たちに帽子を被る習慣を根付かせた先駆けとなった。数十年の月日が経ったけれど、聞いた話では今も曾孫娘が毎日のように被っているのだという。これが毘沙門天の御利益かどうかは知らないが、恐ろしく頑丈なシャッポであることは間違いない。
幻想郷が科学都市と歩みを共にする日は、いつかやって来るだろうか? 今は完全に分け隔てられてしまっているふたつの世界だけれど、もしそれらが結界を用いずとも共存できるのならば、私とメリーベルが見たような幻想京がもう一度復活できるならば、これほど素晴らしいことはない。幻想と科学が並び立ち、東京が幻想科学都市となること。あの別れの日に私が願ったことは、今もって実現してはいない。私は結局、夢を現実にできなかった。老いさらばえた私には、もはや叶わぬ夢だろう。
けれど私は信じている。何年経とうと、何十年かかろうと、何百年を要しようと、いつか私の夢を叶えてくれる誰かが現れることを。人間は夢を見る生き物なのだから、百年の間に生きる百億の人々の中には、ひとりくらい私と同じ夢を見る者がいるだろう。誰もが鼻で笑い飛ばす幻想を、真剣に信じる愚か者が現れるだろう。
それを願って、私は幻想京の出来事を記録することにした。私の霞がかった記憶を何とか引っ張り出して、あの輝かしい1年間のことをこうして書き記しておいた。しかし自分で振り返ってみてもまるで夢のように感じられるのだから、八雲紫の結界も大したものだ。どこからが夢でどこからが現実だったのか、もはや私にも分からない。全て創作だと思ってくれたって構わない。しかし、幻想京は確かにあのとき存在し、幻想郷は今もってそこに存在しているのだ。人間が夢を現実に変えるシステムとして、科学の他にも幻想という手段は間違いなく在るのだ。どこよりも遠く、何よりも近い場所に。それを完全に忘却してしまったときに、幻想は人間を見限るだろう。それだけは絶対に嫌なのだ。
私が明治という時代を思い出すとき、真っ先に浮かぶ光景がある。謎と不思議に満ちた、あの夢のような一年間だ。時代が目まぐるしく移り変わっていた、明治の終わりの東京。人間の造り上げた、巨大な冷たい石の街。
それでもまだ、彼女たちはそこにいた。存在すら否定された人ならざる化生たちが、忘れてくれるなと懸命に叫んでいた。
あの一年間の出来事は、決して歴史には残らない。帝都を奪おうとしていた妖怪たちのことも、それを守るため戦った妖怪たちのことも。今となってはきっと誰もが、幻想だと切って捨てるだろう。荒唐無稽な戯言と笑われてしまうだろう。
けれど構わない。私にとっては、紛れもない真実なのだ。私の手の中で、あの日々の思い出は未だ宝石のように輝いている。その光は私にとって、何よりも大切なものだ。
◆ ◇ ◆
宇佐見家の女は呪われている。私は幼い頃からそう聞かされて育ってきた。母からも祖母からも、耳にタコができるレベルでずぅっとそう言われてきた。宇佐見家の女の子は、他人には視えないものを視るのだ。それ自体は嘘ではない。私は幼い頃からずっと、夜空の月と星に地図と時計が重なって視えていた。晴れた夜でさえあれば、今が何時何分でここが何処なのか、いつだって正確に言い当てられたのだ。
母も祖母も何かが視えるらしいのだが、それについて話すことは一切無い。他人に視えないものを視えると強行に主張した挙げ句、精神病扱いされた親族もいるという話だから、致し方ないことなのかもしれないが。私はと言えば、言いふらしこそしなかったが、能力自体は便利なのでむしろ嬉しく思っていた。
この芸当が私にしかできないと知ったのは小学校に入ってからである。周りの同級生たちは夜空に月と星しか視えないと知って、慌てて母に問い質したところ、こう言われたのだ。「やはりお前も呪われているんだね」と。
ませた子供だった私は、呪いなんて擬薬効果の派生系に過ぎないと、いちいち言い返しては辟易されたものだった。今思い返せば、我ながら随分とまぁ可愛気のないガキんちょである。だが呪いが気の持ち様だというのは科学的に証明されているのだ。簡単に言うと、呪われていると思うから呪われるわけである。そんなことでいちいちネガティブになっていては身が保たないだろう。第一、呪われたと言うからには呪った者がいるはずだ。では誰が呪ったのかという私の問いに、答えられる者はひとりもいなかった。大変に阿呆らしい話である。
けれど最近、具体的に言うと大学に進学し京都に移ってきてから、少しその考えが変わった。
呪いという言葉は「まじない」とも読む。負の方面にベクトルが向いてはいるけれど、まじないとは即ち願いである。流れ星の流れる間に3回唱えるタイプのものではなく、草木も眠る丑三つ時に藁人形に釘打つタイプのやつだ。神なり仏なりに処罰の代行をお願いしている訳であり、科学的ではもちろんない。けれど合成原子と生体化学、そしてバーチャルリアリティがあらゆる願いを叶えてくれる現代においてさえ、人々は仏像に手を合わせ神社に絵馬を奉納する。東京ではそれほど見なかった光景だけど、京都においては日常に溢れているシーンだった。
人間は全てを科学には委ねられないのだ。心のどこかで、人間の手の及ばない何かをまだ信じている。呪いを捨てきれないというそのこと自体が呪いなのかもしれない。
目的地へ着いたことを示すブザーがころんと鳴った。無人タクシーから降り立つと、私は世界の春のど真ん中に立っていた。大学の正門から見通す限りの遠くまで、そこには桜並木が満開に咲き誇っていたのだ。
「おぉ……」
まるでこの世のものでは無い様な光景に、思わず感嘆の溜息が漏れる。なんとプロジェクションマッピングではない本物の桜だ。新入生を歓迎する意匠としてはなかなか上等である。ハットを浅く被り直して、桜の花を見上げながら私は学内へと進んだ。
「凄いね、幻想的な光景」
「でも、夏になると毛虫が凄そうじゃない?」
私と同じく入学式を終えたのだろう学生たちで、辺りは少し騒ついている。それに同調できるほど器用じゃない私は、ただ桜を見上げながら進んだ。誰も彼もが手元の携帯端末で桜の写真を撮っている。感動さえも画像ファイルに電子化しないと忘れてしまうからだろうか。
青い空に溶け出してしまいそうな淡い色を、花弁は淡々と繋ぎ留めている。それは魔性の魅力を持つ美しさだった。昔の人は「桜の樹の下には死体が埋まっている」と言ったらしいけれど、それも納得してしまえそうな迫力があった。美しさの裏側にある残酷な秘密。人間の想像力を掻き立てる、最もありふれたコンビネーションである。
人の流れはすっかり桜並木に沿って形成されている。この世界の美という概念の全てが、今この場所に凝縮されて存在している。だから皆、私も含めて、それを鑑賞する義務を疑いもしていない。
ふと、その列を横切る者がいた。
その少女は桜を見てはいなかった。この世界の義務から解放されていた。写真を撮っていた学生のひとりに肩をぶつけ、平謝りしながらも、彼女は花弁でも人間でもない何かをじっと見つめていた。そして校舎と校舎の谷間へと、ふらふらと入り込んでいく。
軽くウェーブがかかった金髪が春風に靡いた。その光景から、何故だか目を離すことができなかった。金色の波がやたらと生々しく瞼の裏に焼き付いて、いつまでもふわふわと漂っていた。どこかで彼女を知っているような、そんな気がする。いつだったかは全然思い出せないけれど、あの娘に会ったことがある。そんな変な気分だ。
気が付くと私は彼女の後を追いかけていた。学務部に提出する電子署名があるけれど、多少後回しにしたって構わないだろう。
校舎の暗がりに入っていくと、打って変わって冷たい場所へ出た。まるで春から切り離されてしまったかのように、辺りは暗く湿っている。彼女はどこに、と捜していると、校舎の隙間のさらに先にちらりと金色が覗いた。人ひとりが横歩きになってようやく通れるような、細い細い回廊の先、そこに彼女はいた。冗談でしょ、と思いながらも先へ進む。ぬかるんだ足下、汚れた壁に擦れる服。入って5歩で後悔したけれど、ここまで来て今更引き返すだなんてできやしない。
おかしなことをしていると、頭では理解している。けれど、どうしてだか、胸のときめきが抑えられない。彼女はきっと、何か素敵なものを持っている。そんな気がするのだ。
必死の思いで隙間を抜けると、そこは黴の臭いに満ちた差し渡し10歩ほどの空間だった。永遠に陽の光が当たることなどなさそうな、小さな箱庭。人間の立ち入りなど数年間はないだろう。苔なのか藻なのかも分からない緑色がびっしりと覆うその地面の先に、古い祠の様なものがあった。そして金髪の彼女は、その祠の前にただ立っていた。
声をかけようとした私は、その場で凍り付いた。彼女の身体が祠に向かって傾いでいく。その右腕は祠に向かって突き出されていて、信じられないことに肘までが祠に飲み込まれていた。扉は閉まったままなのに、そこへ向かって彼女は引きずり込まれていた!
私は急いで駆け寄り、彼女の左腕を掴む。
「ちょっとあなた」
「ひっ」
彼女は飛び上がって祠から腕を引き抜き、こちらを怖々と振り向いた。碧(あお)い瞳が、空の狭さを少しでも補おうと懸命に透き通っていた。
「いま、何をしていたの?」
「何って……えぇと、そうね、うん。何だか由緒ありそうなものを見つけたから、ここは先人に敬意を示してお参りでもしようかと」
「嘘言いなさい。腕を祠の中に突っ込んでたでしょう」
「…………えぇと」
両手の指を擦り合わせながら、彼女の視線は虚空を彷徨って答えを探している。しかしどうやら観念したようで、溜息とともに彼女は言った。
「信じてくれなくても結構だけど、ここにはあるのよ。結界の綻びというものがね。日本に来てから沢山の裂け目を視てきたけど、ここのは特別大きいから、どうしても気になっちゃって」
目が点になった。この娘が一体何を言っているのか、一瞬理解が遅れた。
「結界……って、あの」
「そうよね。普通の人は信じないわよね。私にしか視えないし、もうすっかりオカルトの類いだものね」
「いや、待って待って。結界暴きって、あなたが? 独りで?」
胸が早鐘のように鳴る。驚きが私を塗り潰す。個人で結界暴きができるだなんて、そんなはずはない。
結界とは、簡単に言えば物質科学の限界点だ。量子物理学の進歩は、物質世界の向こう側に「何か」が存在することを1世紀ほど前に突き止めた。「何か」としか形容できない暗黒物質のようなその世界に、科学者たちはこぞって到達しようとした。そのために越えなければならないクオークの臨海点は結界と呼ばれ、かつてはその突破が量子物理学最大の命題とされていたのである。
しかし、私が生まれる10年ほど前、結界研究を行っていた東京の研究機関が、未曾有の巨大事故を引き起こした。数十万の人命が失われ、日本は首都を移転せざるを得なくなった。事故の詳細は国家機密とされ明らかにはなっていない。完全なるブラックボックスの中だ。今や事故の真相は、単なる不幸な爆発事故 ―― もしもそうなら水素爆弾級というふざけた規模の爆発になるけれど ―― だと主要メディアは片づけつつある。けれど事情を僅かでも知る人々は、真(まこと)しやかにこう噂している。結界暴きという研究は「向こう側の怪物」の逆鱗に触れてしまい、それが科学都市を蹂躙したのだと。
その歴史を知ってか知らずか、目の前の彼女は事も無げに言い放つ。
「昔からね、私には結界の裂け目が見えたの。夢の中では結界の向こう側に行って、いろんな所を巡ったり ―― 」
「ちょ、ちょっと。結界の研究は着手だけで特A級国際犯罪よ」
「……詳しいのね」
少女の瞳が細められた。自分が何をしているのか、理解した上での行動であるわけだ。
悲惨な大事故を教訓として、主要国は条約を雁字搦めに締結し、あらゆる結界の研究を禁じている。開けようとしていることがもしバレれば、世界の全てを敵に回す、パンドラの箱だ。
だがいかなる条約も法令も、個人が趣味の範囲で結界暴きを行うことなんて当然想定していない。だって装置を揃えるだけで天文学的な金額が必要となる研究だ。たとえ現行犯を警官に見られたって、結界暴きを罪状に捕まることなどあり得ないだろう。
「そりゃあ、詳しいわよ。こちとら専門家だし。 ―― おっと、自己紹介が遅れちゃったわね」
記名SNSのIDを手早くパッキングして、携帯端末からスローする。彼女も慌てて自分の端末を取り出して、それをキャッチした。
「宇佐見蓮子、酉京都大学理学部超統一物理学専攻第一学年。国際物理学会の……SS(ダブルエス)特待生待遇!? それじゃあ、教授陣を入試面接で完膚無きまでに叩きのめした天才って、まさか……」
「いやだってさぁあのオッサンたち、もはや古典レベルの教科書みたいなテキストから、まるで重箱の隅突っつくような意地悪をポンポンとさぁ。そりゃやり込めてやりたくもなるわよ。 ―― えぇと、なになに」
自動返信されてきた、目の前の少女のIDからステータスを表示する。……が、えぇと、何語だこれ。英語と中国語とスペイン語とフランス語なら分かるんだけどなぁ。アルファベットの並びから察するに、東欧系だろうか。
「マ……メ……メリーベル?」
「マエリベリー・ハーン。私がカタカナで書くときは、そう綴ってるわ。専攻は相対性精神学」
相対性精神学。聞いたことがある。社会心理学と精神医学から派生した、人間が見る夢を研究する学問だったはずだ。
端末により日本語へ訳された情報から見るに、彼女も国家特級奨学生認定を所持している。学費を全額無償供与してもらえるどころか、家族の生活費にまで援助が出る最高位待遇である。ペーパーテストを99%の成績でトップ通過した外国人受験生の噂は耳にしていたが、さてはこの彼女のことか。
「さて、それでどうするの。私を警察へ突き出すのかしら、宇佐見さん?」
「いや、無駄だし。それよりも ―― 」
どうする、なんて聞かれなくても、答えはもう決まっていた。
「 ―― 協力するわ、私も!」
「…………えっ?」
「結界の向こうの夢の世界を研究するだなんて、私にとっても夢みたいな話だもの。知らないものを知りたい。見たことのないものを見たい。これは人類が普遍的に持つ欲求よ。私の場合は殊更にそれが大きいけど」
これは私にとっては願っても無いチャンスだ。大企業の研究室レベルでやっとできるかどうかという実験が、目の前の少女によって可能になるのだとしたら。彼女が本当に、結界の向こう側を知っているのだとしたら。
私だって、それを知りたい。それを見たい。この道を選んでからずっと、私は結界の先にある世界を夢見ながら生きてきた。そこにある「何か」が一体何なのかを知りたかった。もはや結界はまともな学会員から鼻で笑われる研究テーマに成り下がってしまったけれど、私は諦めていない。他の誰が信じてなかろうと、私は信じている。臨海点を越えた夢の世界こそ、人類にとって最大で最後の可能性だ。
「……あなた、出会ったばかりの私が言うことを信じるわけ? 妄想だとか、トリックだとか、疑ったりしないの?」
「私はちゃんと見たもの。メリーが結界の隙間に手を入れているところをね。それに何だか、あなたとは初めて会った気がしないのよ。何だろう、波長が合うのかな」
「メリーって、それまさか、私のこと?」
「ダメかな。まえりべりー、って何だか舌を噛みそうで」
「ダメじゃないけども……。困ったわね。私も何だか、あなたとは初対面じゃないような気がしてきたわ。そんなはずないのに」
メリーは困ったような顔をして、それでもやがてくすくすと笑い出した。私も何だかおかしくなって一緒に笑った。楽しかった。ぬかるんだ足下の奇妙な感触も、そこから這い上がってくる黴臭い空気も、それすらも愛おしく思えるくらいに、たまらなく楽しかった。ずぅっと捜していたものを、失くしたことすら忘れていたものを、運命的に見つけ出したような、そんな最高の気分。誰もが見捨てた大学構内のエアポケットで、私とメリーは巡り会ったのだ。
これが私たちの、秘封倶楽部の出会った経緯(いきさつ)。夢を現実に変えるための、2人きりのサークルの始まり。オカルトサークルなんていかにもありふれているけれど、私たちの活動は、お仕着せのオカルトスポットに仲良しこよしで行くだけのオママゴトではない。結界の向こうの幻想を、科学世紀の人間が忘れ去ってしまったものを、もう一度見つけ出すためのサークルだ。
他の誰にできなくても、私とメリーならばできる。誰も触れることのできない場所に行き、誰も触れようとしないものを見る。誰も知らない夢を見て、誰もが忘れた世界を取り戻す。科学の向こうに追いやられた夢を、現実に変えること。それが今の私が見ている夢なのだ。
宇佐見家の女は呪われている。私は幼い頃からそう聞かされて育ってきた。他人には視えないものが視えてしまうからだ。私には、メリーに視えているという結界の綻びは視えない。ひょっとしたら私と同じで、メリーも呪われているのかもしれない。
けれど、呪いとは願いだ。誰かが私たちにかけた願いなのだ。その望みが何なのかは分からない。けれどここには、願いを受け継いだ2人が揃っている。誰にも視えないものが視える2人が肩を並べている。ならば何も起こらない筈がない。わくわくするような何かが、この先に待っているに違いないのだ。
私は夢を現実にしよう。願わくばそれが、私たちに呪いをかけた誰かさんが、願った通りの夢でありますように。
―― ところで蓮子、ヒフウって何?
―― 秘密の秘に封じると書いて「秘封」。遠いご先祖様がね、何かに書き残してたらしいのよ。「宇佐見家の者が結社を行う場合、あるいは団体を興す場合には、決してこの名前は使ってはならない」ってね。
―― あぁ、だから使うのね。
―― 絶対使うな、って言われたら、そりゃあ「使え」ってことよねぇ。
誰かの願いを受け継ぐ全ての者たちに幸あれ。