カウンターの上に小さなショーケースを並べていく。
僕のお店、香霖堂の従業員である宇佐見菫子君が残したものだ。
最近の僕はケースを集合させた中での出来事を綴っている。
普段書く日記とは別の、いわば観察日記を書く。
主に書き込むタイミングは人形が崩れて砂となり、それらが再度集まって別の人形へと変貌を遂げたあとだった。
集まったり崩れたりするというサイクルの中、何が起きたのかを捉えていた。
そのような行動に出た理由は菫子君からの願い出からだが、何をどう綴るかについては僕が勝手に決めたことだ。
——僕は集合させたケース内で起こった、いくつものパターンを目に焼きつけた。本来の日記を書く上で参考になるから。確かそういう理由で引き受けたはずだが?
※ ※ ※
僕の店の中を、夏の空気が巡る。
今は冷夏傾向にあり、さらに晴れているからこそ開けられる箇所は積極的に開いている。
とはいえ、心が晴れ晴れするほど巡りが良くなっているわけではない。
いつも通りのカウンター越しの形で僕は宇佐見菫子君と巡り会っている。
「久々に博麗神社へと足を運んでみて、どうだったかい? 菫子君」
「何も変わってなくて落ち着いた! ついでに色々プレゼントしてきたよ」
「ところで、君は神社へはパジャマで行くものなのかい?」
「たまたまなの! タイミング悪くて勘違いしちゃっただけっ」
今日も今日とて香霖堂に菫子君が訪れてきた。
毎度のことながら、なにがしか彼女から用があるのではと気になりはする。
逆に気にせずに過ごしたいなら、言葉通りに気にしないでいられる。
いつもの彼女がいる日常だ。
特に異物扱いする気にもならない。
霊夢や魔理沙と同様に店内で暴れなければ、それでいい。
……ただ、あえて彼女が訪れた理由でも考えてみるかな?
「今日、僕に話したいのはズバリだ。そう。何を体験してきたのかを伝えたいんだね? 土産話であると僕は判っている」
「助かる~。いやぁ、理解されてることに甘えちゃおうねぇ」
「いや、まだまだ理解したとは言えない。神社に留まらず僕のお店にまでパジャマで来たのだから」
「格好なんて関係ないよ。目的優先だった」
さながら彼女のことが、獲物を咥えてくる猫のように思えてくる。
そして、こうやって僕と彼女の、価値観の違いを知るのも毎度毎度のことだ。
「で! 何をプレゼントしてきたかというと、3DプリンターにAIからの注文を受けさせて出力した、よく分からないもの!」
「察するに霊夢には苦い顔をされたんじゃないか?」
「ん? 険しい顔から安堵の表情に変わってたよ」
「もしかしなくても話の冒頭から切り出してないね? 君の悪い癖」
「冒頭からがいい? 分かった。それじゃ……こんにちは、霖之助さん。帰るついでだけど寄ってみたよ」
「いらっしゃい。ぅん? 君だったか」
「どぅもぉ。名前を書く欄の頭にクラブ名を書くことで、なんだか団体さんっぽいって思わせたい系学生です」
「勘違いさせるのは感心しないね……って、こら。そっちの冒頭じゃないぞ」
「いいから、いいから。見てもらったほうが早いって」
「また誤魔化すつもりだね。まぁいいさ。あまり夢中になってカウンターの物を落とすなよ」
カウンターをテーブルのように扱う様は、もはや見慣れたものだ。
僕の注意を覚えてはいるであろうが……どこ吹く風か馬耳東風か、彼女には捉えどころがなくて逆に興味が湧く。
ときに、この場の奇抜な雰囲気とは打って変わって一般的な絵馬が引き出された。
「それで、神社には寄ったのだろう? まさか奉納せずに持って帰ってきたのかい?」
「あー……霖之助さんに渡す用だから。なんせ複数個、大量生成させたから」
「絵馬にも3Dプリンターとやらを使ったのか」
「実はその絵馬、複数枚を重ねて一枚に見えるように設計したんだ。まさに特注。神社では入手できない」
「普通の絵馬では満足に至らなかったんだね」
「そう。そうなのだよ、霖之助くん。いやぁ、作るの……あぁ、大変だったぁ」
「何を言っているんだね、君は」
「きやうきやう」
彼女の表情からは仕方なく割り切ったなどの印象は見受けられず、少し得意げに見えるのは何ゆえだろう。
意味の判らない笑い声まで加わり、さらに判らない。
それにしても、くんづけで呼ばれたのは何年振りかな。
ふとした弾み、偶発的に彼女と目が合った。
次の瞬間には僕の目線から目を反らされた。
少し気になる仕草ではあるが、これは心の内に留めておく程度でいい。
「とにかく見て見て? バラバラにもできる設計なんだ」
「ふむ。絵馬の屋根の部分をずらす……か。まるでカラクリ箱だな」
「そりゃあ簡単にバラされたら大変だし。数が多いし? あんまりバラすとアレだから一枚だけ見せるね」
「面白い。分解する様子が見られるとは」
こういう道具の、用途が判るだけでは判らない動きを見るのが好きだ。
他の道具を使うときの参考になるかもしれない。
「薄い割りに硬く見える。ただ、一枚一枚バラバラに持っていたら簡単に割れそうだ」
「いっぱい書き込めるように欲張っちゃった」
「そこまで欲を張る性格だったかい? もしくは、君のことだ。他のことも考え得る」
「べ、別に深く考えてないよ? 奉納の範囲内でイラストやテキストをプリントさせたの」
「まぁ、悪巧みに加担していないのであれば、それでいい。そして、一枚しか見せたくないのが君の希望なら、この一枚で満足しよう」
「あ、いやいやいや。全然見ていい。見ていい。どうぞどうぞ」
ここで束になった絵馬を手に取る直前、彼女の言動について疑ってみた。
彼女を見据え、腹の奥底で何を考えているのかを探る。
半ば自分の行動は、葛籠の中に金銀財宝を夢見ている状態に等しい。
しかしながら、決して魑魅魍魎まで金銀財宝のように見做しているわけではない。
「私を視るの? 霖之助さん、道具以外も判るように?」
「そんな劇的な変化はしないよ。それより、道具の使いかたが判るほうを優先したいね」
「突然、霖之助さんの体に道具の使いかたが墨でビッシリ書かれる!」
「お断りだ」
何を言うかと思えば途方もない。
それより、他の絵馬に何が書かれているかを見せてもらった。
最初の一枚は洋算に関することだった。
算額や俳額の類いだと捉えられ、何かに影響するとすれば布教や習合の程度だ。
「何を奉納してきたかと思ってみれば、どれも印刷されたものだね。まさか手書きは一枚も含まれないなどとは言わないだろう?」
「へ? 手書きなし。特別ってのは作らないでいいかなって」
「そうか。機械の精度を以てして弁当のごとく敷き詰められているな。絵馬を介しての祈願というより強欲だ」
「でもでも? たくさん隙間なく詰めたら絵馬の材料費は浮くし? 手書きだったらインクが滲んで面積広がっちゃうし」
「どちらにしても、じゃないか」
「いやぁ、詰め込められるんだから仕方ない。仕方ない」
何が仕方ないのだろう。
とにかく絵馬に印刷されたものは総じて細かい上、特に活字が細い。
わざわざ虫眼鏡を取り出してくるまでもないが、ここは持ってくるほうが楽なのかもしれない。
「霖之助さん、今日一忙しく体を動かしてるかも?」
「字が細かくてピントが合わせづらいのさ。気にしないでくれ給え」
「虫眼鏡だけじゃなくて老眼鏡の出番!」
「今どこから出したんだい? ……いいさ。ありがとう」
老眼鏡と虫眼鏡越しに目を通していくと、外の神話について描かれているのが目に入ってきたり、洋算を中心とした理数系の話を読み解かせられたりと忙しなかった。
よくある娯楽だと済ませていい程度だ。
脇では絵馬に続き、何やら彼女がガラス製品を取り出している。
次は何を見せるつもりなのだろう。
「こっちが本命ね?」
「本当に絵馬は、ついでか……ん? 今度は何が違うんだい?」
「食べ物じゃありませーん」
「出されたら真っ先に食べるような、そこら辺のペットと一緒にしないでくれ」
カウンターの上に追加されたのは、見るからに観賞用として作られた、手のひらサイズの六角柱のショーケースだ。
ケース内には人形が収まっていて、中で自由に動いている。
ただ、それだけの品だ。
「あれ? 霖之助さんの目で見てもピンと来ない?」
「僕の能力を使う使わない、どちらにしても観賞用に行き着くと判る」
「確かに。まだ構想段階だから観賞用にしかならないかも」
「本来の意図は別にあるようだね。すると、このショーケースの形が関係するのかい?」
「並べやすいだけかも?」
「関わりないことはないだろう? 僕を侮らないことだ」
同じ形のケースがもうひとつ置かれた。
今度のは中の人形が違う。
よくよく見れば人形の下に敷かれている。
そして、地面のようなものにも種類があるとうかがえる。
さらに菫子君の、これまでの仕草を鑑みれば、ところどころ態度に歯切れの悪さが垣間見える。
さては僕を試しているな?
「ショーケース同士、横と横をくっつけると中に入れたのが動くんだぁ。たぶんね」
「その口振りだと試していないようだね。差し支えなければ、このまま接触させてみるが……いいかい?」
「おはじき、じゃないから。最悪ツメ割れちゃう」
「さすがにノらないぞ? 菫子君」
ひとまず接触させてみよう。
ふむ……どうやら彼女の説明通りには動くようだが、ずいぶんと派手な反応が見られたな。
まるで機械式ゲームの演出だ。
ホログラムというものか?
「僕の目には人形同士がケースの境界を越えて、互いに弾幕で遊んでいるように見える」
「ほへぇ。幻想郷らしいといえば……らしいかな?」
「どう動くかについては想定したものではなさそうだな。ところで、君は一体、何を狙っているんだい?」
「狙うってほどガッツリじゃないよ。ふんわりふわふわ。水の石切やってる感じ。AI秘封俱楽部です☆」
「そういうのを言葉を濁すと表すのだ、菫子君」
「本当にぼんやりした目標だから。もうAIが勝手にやることだからってポッケ~って眺めてもらえれば」
「AIが勝手に?」
「人形や内装を含め、ケース自体に無駄に思考機能を付属させたの。ムードメーカーってやつ?……はい、次の追加ねぇ」
三つ目が置かれた。
そのまま他と接触させるのかと思いきや、四つ目に五つ目、六つ目と数が増えていく。
中には人形以外が入れられたものや、何も入れられていないものも含まれる。
「えらく並べたね。それ以前にここまで用意する理由でもあったのかい?」
「な、ないかなぁ。強いて挙げるなら材料を使い切りたかったから?」
「なんだ。あるじゃないか。僕も商売人である以上、そのことに対する理解はあるつもりだよ」
「別に使い切らなくてもいいけどね」
どっちなんだい? と指摘したくなると同時、彼女からノートブックとボールペンが渡された。
意図が掴めない。
しかしながら、渡された物の出来が良いのが、道具の質感から伝わってくる。
僕へのプレゼントという意図ではなさそうだな?
「……例えばの話だが、もし僕が頼まれごとをされた場合、あと少しくらい色をつけたくなるものだ」
「色? 色欲? 霖之助さん、学生に売春はダァメだよぉ」
「冗談を重ねるごとに君がつけなければならない色は増すばかりだが」
「うっ! これらショーケースが気に入ったら、さらに数作ってくるって条件でどう?」
「ふむ。ケースのほうを……だね。であれば、まず僕に何を頼みたいのか聞いていいかい?」
「気が向いたときにケースをつけたり離したりして、その経過を観察したのを書いてみてくれる? 絵馬を預けておくから、できれば近くに置いておいてほしい」
「冒頭の、ついでに僕のお店に来たとは、よく言ったものだ。まぁ、ケースがそれ相応の品であることを願うよ」
「じ、自信なぁ~……」
やはり僕への頼みごとがあったようだ。
とはいえ、飽くまでも観賞用でしかない道具に警戒することはない。
ただ、なぜ日記を自分で書こうとしないのだろうか。
「君が書くのと僕が書くのでは、どう違うんだい?」
「鋭い。境界はココと外の世界とで、違うって感じ」
「幻想郷でなければならない理由か。いわゆる派手なことではないだろうね? 菫子君」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。いわゆる五里霧なだけにご無理を言ってごめんなさいっ」
「今度、霊夢に駄洒落調伏でも頼んでみようか」
「くうぅ~勘弁してもろて」
※ ※ ※
いつも通りの朝、店を開く。
僕は外から入ってきた夏の日差しを浴び、加えて新鮮な空気を吸いながらケースの集合体に目を向ける。
何をどう綴るか楽しみだと念頭に置かれたので、これまで自分が何を書いてきたかを都度、思い起こすのもいいだろう。
それから、ケースをカウンターの上に置きっぱなしであることには……目をつむろう。
目を閉じたらノートに書きづらいがね。
「まぁ、いいだろう」
「何が『まぁ、いいだろう』なの? 応対よりも暇が欲しいと受け取るわよ」
「いらっしゃい、茨木さん。早速の想定外の事態だが、それもまた商売だ」
「まさかカウンターの上に置いてある、いくつものケース……売りものだったのかしら?」
「もちろん私物だよ。ただ、勝手に触って遊んでいいので、どうぞご自由に」
「そうね。勝手に触らせてもらうわ? 貴方が下手な誤魔化しをするはずないとは思うのだけれど」
「誤魔化すなどしない。直線的かつウィンウィンの応対だ」
「下手な誘導もお断り。ただ、今回は素直に乗ってあげようかしら」
「ちなみにケース内には君の姿を模した人形がいくつか存在する。それを軸に触れるのもいいだろう」
「私の許可なく? いい度胸ね」
珍しく客として姿を見せに来た客が、見て見ぬふりをした僕に話しかけてきた。
相手は茨歌仙という仙人であり、古くから僕との付き合いがある。
それはそうと、そもそもケースを触るのは自分でなくていい。
むしろ相手が仙人であり、鬼でもある彼女なら僕より適任だと考え得る。
幾分か楽をしながら自らも試遊し、ケース内の変化を流れとして日記に留め置く。
遊んでもらう名目だからこそ、まさにウィンウィンの関係と言えよう。
時折の激しい変化を交えた場面であっても僕は日記に集中でき、さらにケースに向けられる目が増えるということだ。
「勝手に使われたなど気にしなくなるさ。僕の人形もある」
「そこまで自慢げに語るのであれば気にしないであげる」
「ケースの上部に指を触れさせて横方向に滑らせたり、ケースを引っこ抜いて向きを変えたり移動させたり」
「ふぅん? ずいぶんと派手にケース内が光るわね。私にも触らせなさい?」
思ったよりも熱心にケースを見つめ出す彼女がいる。
そのうえ、積極的にケースに触っていて逐一、変化への新鮮な反応がうかがえた。
ところがどっこい、僕がノートに記入し始めてからというもの、こちらにも視線が向くようになった。
「君が何を言いたいかは判っているつもりだ。ズバリ当てよう」
「聞きましょう?」
「君は次に『まぁ、いいだろう』と言って気にしないでくれる」
「そんなわけないでしょ! 私を見て何を勝手に書いているのかしら……まぁ、いいわ。代わりにケースについて説明して頂戴」
特に断る理由もないので、思い出しついでに説明に徹した。
指を滑らせる動作、確か菫子君にはフリックと説明されたかな。
いやはやどうして茨木さんがフリックした瞬間から人形に黒い煙状の何かが入り込んだり、ケース内が少し黒ずんだりするじゃないか。
触る人によって反応が変わるとは聞いていなかったが、もしかしたら?
「僕が起こしたアクションが君の対抗となっているな」
「対抗? どういうことかしら」
「簡単に説明するなら陣取りゲームということさ。複数あるケースに交互に触り、どちらが多くのケースを占領するか競う。ケース内を光で満たすか、もしくは闇で覆い尽くすかだ」
「そう。私が光ね?」
久しぶりに彼女の冗談を耳にした。
いや、本気か?
長い年月が相手ならば鬼といえど多少は変わるかもしれない。
それに、彼女がどこで熱くなるかについては長年つき合っている間柄ではあるが、どうにも予測できないところがある。
とりあえず気軽に応対を続けよう。
彼女に対しては、これでいい。
「強いていうのであれば、僕が光でなければならない理由はないからな」
「判ってくれた? 闇にだって光の側になれる側面があるのよ」
「俗にいう光の氾濫か。なるほど」
「……そうね。真に受けないでもらってよろしいかしら」
「いや、ケースから出る音に聞き入っていたんだ。もちろん君の戯言にではないぞ?」
「よっぽど気に入ったのなら、ついでに私に勝ちを譲りましょうか。即、貴方の負けよ」
「そういう割りに君のケースの占有率は、少ないように見えるね? 茨木さん」
「人形の動きが一定じゃないから狙い通りにならないのよ!」
気づけばお互い、体に力が入っている。
ただ、僕の興味はケースから発せられる音に向いている。
いくつものケース内で起こっているゲームの戦況には興味が湧かなかった。
明け透けにいうのであれば文字起こしが面倒だからだな。
彼女の中の拘りは、そのまま彼女の中で解消されることを願う。
「ところで、楽譜の書き方で五線記譜法は判るかい?」
「貴方が分かる記譜法で書けばいいんじゃない? 当然、教えることはできるわ」
「一応、人に読ませる予定のものを書いているからね。僕が判る文字譜や数字譜では通じない相手かもしれない」
「何を熱心に書いているのかと思えば……たまに出てくる、音を出すケースや人形が気になるの?」
「無作為に続けても仕方がない。読書とは違う。ボーっと眺めるより秩序だったほうが一興だ」
「凝りすぎて楽譜に書き起こせないオチになっても知らないわよ」
なんだかんだで彼女はノリがいい。
しかしながら、この彼女の接し方は、僕に対してのみ特別というわけではない。
説教が癖になっている彼女であるからして、相応じた行動が表れている。
……翻ってみれば彼女をそうさせているのは、他ならぬ僕の姿勢から由来したものではないか?
そこまで僕は子供染みてはいないはずだが。
「心配無用さ。これら人形やケースに内蔵された知性が空気を読んでくれるかもしれない。そう、人工物なだけにね」
「何を自信ありげに……希望的観測じゃない」
「逆に効果的ともいえる。理路整然と穴がないよりもいい。天網恢恢なんとやらみたいなものさ」
「呆れたぁ。管をもって天をうかがう、よ」
「菫子君に軽いノリを求められたんだ。仕方ないだろう? まぁ、結局は僕が自主的に動いてはいるけれども」
「あの子の話なんて久しぶり……そうね。一定のリズムでタッチ。ラップや漢詩みたく韻を踏むというのは、どう?」
「ふむ。いいね! それだ」
「軽っ! 提案しておいてあれだけど。苦笑いよ」
すでに陣取りゲームはどこへやら。
互いにリズムを取り合う遊びへと変化した。
ケース内の様相が音を奏でる人形たちで占められている。
ゲームが全体的に様変わりした根底には、僕らの操作を起点とし、ケース内部が崩壊と再形成を繰り返した流れがつながるだろう。
単純な話、BGMがあるとノートに書き甲斐がある。
これを完成形だと菫子君は想定したのか?
もしもそうであるならば言葉通り、ポッケ~っと無心に近づくのも手だ。
「急にアホ面で笑わそうとしないでくれる?」
「心外だな。これは菫子君のマネだ」
「アホさマシマシね。別に私はいいけど」
「なぜだか思いがけない線引きをされたようだなぁ」
「ともあれ、とんだところで時間を食ったわ。買いもの。私は買いものに来たのよ」
「そうか。遊びに来たのではないのか」
「何か使える調理家電があればと思って、ついでにお顔の拝見ね」
「ふむ。しばし在庫の内容を思い起こしてみよう」
僕のお店に、要望に沿った品があるかどうか、ショーケースの群れを見ながら思い巡らせる。
六角形の集まりが光や闇と相まり、あたかも蓮の花が咲いているかのようだ。
あぁ、確かAI×IoTの幻想郷では使えない調理家電があったかな。
……そんなものを出したら間髪入れず説教だろう。
「そうそう。ゲームに付き合ってあげたのだから少しくらい値切りしても許されるでしょう?」
「値切りに関しては僕と君との仲だ。交渉には応じるさ」
「ふぅん? 嬉しいこと言ってくれるじゃない? 値切り以外もOKよね。そう、例えば物足りないものを足してくれるとか」
「親しき中にも礼儀あり。良仲には垣をせよ……だよ」
「都合のいい垣ね。さっき線引きしたせいかしら。その二枚舌なら、さぞ心地良く歌ってくれそうじゃない」
「僕ひとりで聖歌隊かい? それより、君が買いもので欲を出すなんて珍しいね」
「物足りないと思ったのよ。このケース、どれも遮断されているでしょう?」
「まぁ、ゲームをする上では頑丈だから都合がいいが……どんなケースでのケースを想定しているんだい?」
彼女から冷たい眼差しを向けられた。
昨今の冷夏のせいか?
「さすがの貴方も、このケースの集まりを花と見るでしょう? せっかくだから香りもね」
「香気を足したいということか」
「調理家電を買いたいって言ったのも、香りを嗜むのが目的で探しているのよ」
「ケースに関しては一旦、作った本人と話してみないとな」
「いい香りが嗅げるようなら後日、私にも譲ってもらえるよう交渉してみて」
「ちゃっかりしてるね」
※ ※ ※
今ではショーケースは観賞から鑑賞へと変わった。
これまで生まれた音楽に関する人形は、よく野外ライブを開催したとの噂に出る面々だった。
それだけではない。
花に群がろうとする人形たちも、崩壊と再形成を繰り返す中で散見できた。
「僕のお店はショーケース売り場ではないんだがね」
「まぁまぁ。いいじゃんいいじゃん。気にしない気にしない。ね? 霖之助さん」
「文句を垂れているわけではないさ。役得で音を嗜んでいる身だからね。ただ、想像以上に群がられているからという理由だ」
「香霖堂にあるまじき姿ぁ」
「心外だな、菫子君は」
「こっちも心外といえば心外だよ。ここに買いものに来る人、大抵マスク姿だし」
「仕方ないんだ。それが今の世間だから。外の世界までは知らないがね。君はそんな中で暮らす僕の言葉を知りたかったんだろう?」
「おぉ、完成化したノート♪ じっくり読ませてもらうねぇ♪」
大袈裟だ。
僕にとって落書きでしかない。
しかしながら、それが彼女の求めるものかもしれないな。
彼女は僕から見ても、おそらくは外の世界でも変わっている人間だから。それは過去であっても未来であっても変わらない。
「ちなみに君が読み終えるころには次のノートが埋まっているはずだ」
「ありがと! とりあえずAI『森近霖之助ボット・コスモバース』を作るぞい♪」
「色々と渋滞していないかい? 考え直してみよう」
「大丈夫。頭の中、蓮の花でいっぱいだよ。脳内お花畑~♪」
僕のお店、香霖堂の従業員である宇佐見菫子君が残したものだ。
最近の僕はケースを集合させた中での出来事を綴っている。
普段書く日記とは別の、いわば観察日記を書く。
主に書き込むタイミングは人形が崩れて砂となり、それらが再度集まって別の人形へと変貌を遂げたあとだった。
集まったり崩れたりするというサイクルの中、何が起きたのかを捉えていた。
そのような行動に出た理由は菫子君からの願い出からだが、何をどう綴るかについては僕が勝手に決めたことだ。
——僕は集合させたケース内で起こった、いくつものパターンを目に焼きつけた。本来の日記を書く上で参考になるから。確かそういう理由で引き受けたはずだが?
※ ※ ※
僕の店の中を、夏の空気が巡る。
今は冷夏傾向にあり、さらに晴れているからこそ開けられる箇所は積極的に開いている。
とはいえ、心が晴れ晴れするほど巡りが良くなっているわけではない。
いつも通りのカウンター越しの形で僕は宇佐見菫子君と巡り会っている。
「久々に博麗神社へと足を運んでみて、どうだったかい? 菫子君」
「何も変わってなくて落ち着いた! ついでに色々プレゼントしてきたよ」
「ところで、君は神社へはパジャマで行くものなのかい?」
「たまたまなの! タイミング悪くて勘違いしちゃっただけっ」
今日も今日とて香霖堂に菫子君が訪れてきた。
毎度のことながら、なにがしか彼女から用があるのではと気になりはする。
逆に気にせずに過ごしたいなら、言葉通りに気にしないでいられる。
いつもの彼女がいる日常だ。
特に異物扱いする気にもならない。
霊夢や魔理沙と同様に店内で暴れなければ、それでいい。
……ただ、あえて彼女が訪れた理由でも考えてみるかな?
「今日、僕に話したいのはズバリだ。そう。何を体験してきたのかを伝えたいんだね? 土産話であると僕は判っている」
「助かる~。いやぁ、理解されてることに甘えちゃおうねぇ」
「いや、まだまだ理解したとは言えない。神社に留まらず僕のお店にまでパジャマで来たのだから」
「格好なんて関係ないよ。目的優先だった」
さながら彼女のことが、獲物を咥えてくる猫のように思えてくる。
そして、こうやって僕と彼女の、価値観の違いを知るのも毎度毎度のことだ。
「で! 何をプレゼントしてきたかというと、3DプリンターにAIからの注文を受けさせて出力した、よく分からないもの!」
「察するに霊夢には苦い顔をされたんじゃないか?」
「ん? 険しい顔から安堵の表情に変わってたよ」
「もしかしなくても話の冒頭から切り出してないね? 君の悪い癖」
「冒頭からがいい? 分かった。それじゃ……こんにちは、霖之助さん。帰るついでだけど寄ってみたよ」
「いらっしゃい。ぅん? 君だったか」
「どぅもぉ。名前を書く欄の頭にクラブ名を書くことで、なんだか団体さんっぽいって思わせたい系学生です」
「勘違いさせるのは感心しないね……って、こら。そっちの冒頭じゃないぞ」
「いいから、いいから。見てもらったほうが早いって」
「また誤魔化すつもりだね。まぁいいさ。あまり夢中になってカウンターの物を落とすなよ」
カウンターをテーブルのように扱う様は、もはや見慣れたものだ。
僕の注意を覚えてはいるであろうが……どこ吹く風か馬耳東風か、彼女には捉えどころがなくて逆に興味が湧く。
ときに、この場の奇抜な雰囲気とは打って変わって一般的な絵馬が引き出された。
「それで、神社には寄ったのだろう? まさか奉納せずに持って帰ってきたのかい?」
「あー……霖之助さんに渡す用だから。なんせ複数個、大量生成させたから」
「絵馬にも3Dプリンターとやらを使ったのか」
「実はその絵馬、複数枚を重ねて一枚に見えるように設計したんだ。まさに特注。神社では入手できない」
「普通の絵馬では満足に至らなかったんだね」
「そう。そうなのだよ、霖之助くん。いやぁ、作るの……あぁ、大変だったぁ」
「何を言っているんだね、君は」
「きやうきやう」
彼女の表情からは仕方なく割り切ったなどの印象は見受けられず、少し得意げに見えるのは何ゆえだろう。
意味の判らない笑い声まで加わり、さらに判らない。
それにしても、くんづけで呼ばれたのは何年振りかな。
ふとした弾み、偶発的に彼女と目が合った。
次の瞬間には僕の目線から目を反らされた。
少し気になる仕草ではあるが、これは心の内に留めておく程度でいい。
「とにかく見て見て? バラバラにもできる設計なんだ」
「ふむ。絵馬の屋根の部分をずらす……か。まるでカラクリ箱だな」
「そりゃあ簡単にバラされたら大変だし。数が多いし? あんまりバラすとアレだから一枚だけ見せるね」
「面白い。分解する様子が見られるとは」
こういう道具の、用途が判るだけでは判らない動きを見るのが好きだ。
他の道具を使うときの参考になるかもしれない。
「薄い割りに硬く見える。ただ、一枚一枚バラバラに持っていたら簡単に割れそうだ」
「いっぱい書き込めるように欲張っちゃった」
「そこまで欲を張る性格だったかい? もしくは、君のことだ。他のことも考え得る」
「べ、別に深く考えてないよ? 奉納の範囲内でイラストやテキストをプリントさせたの」
「まぁ、悪巧みに加担していないのであれば、それでいい。そして、一枚しか見せたくないのが君の希望なら、この一枚で満足しよう」
「あ、いやいやいや。全然見ていい。見ていい。どうぞどうぞ」
ここで束になった絵馬を手に取る直前、彼女の言動について疑ってみた。
彼女を見据え、腹の奥底で何を考えているのかを探る。
半ば自分の行動は、葛籠の中に金銀財宝を夢見ている状態に等しい。
しかしながら、決して魑魅魍魎まで金銀財宝のように見做しているわけではない。
「私を視るの? 霖之助さん、道具以外も判るように?」
「そんな劇的な変化はしないよ。それより、道具の使いかたが判るほうを優先したいね」
「突然、霖之助さんの体に道具の使いかたが墨でビッシリ書かれる!」
「お断りだ」
何を言うかと思えば途方もない。
それより、他の絵馬に何が書かれているかを見せてもらった。
最初の一枚は洋算に関することだった。
算額や俳額の類いだと捉えられ、何かに影響するとすれば布教や習合の程度だ。
「何を奉納してきたかと思ってみれば、どれも印刷されたものだね。まさか手書きは一枚も含まれないなどとは言わないだろう?」
「へ? 手書きなし。特別ってのは作らないでいいかなって」
「そうか。機械の精度を以てして弁当のごとく敷き詰められているな。絵馬を介しての祈願というより強欲だ」
「でもでも? たくさん隙間なく詰めたら絵馬の材料費は浮くし? 手書きだったらインクが滲んで面積広がっちゃうし」
「どちらにしても、じゃないか」
「いやぁ、詰め込められるんだから仕方ない。仕方ない」
何が仕方ないのだろう。
とにかく絵馬に印刷されたものは総じて細かい上、特に活字が細い。
わざわざ虫眼鏡を取り出してくるまでもないが、ここは持ってくるほうが楽なのかもしれない。
「霖之助さん、今日一忙しく体を動かしてるかも?」
「字が細かくてピントが合わせづらいのさ。気にしないでくれ給え」
「虫眼鏡だけじゃなくて老眼鏡の出番!」
「今どこから出したんだい? ……いいさ。ありがとう」
老眼鏡と虫眼鏡越しに目を通していくと、外の神話について描かれているのが目に入ってきたり、洋算を中心とした理数系の話を読み解かせられたりと忙しなかった。
よくある娯楽だと済ませていい程度だ。
脇では絵馬に続き、何やら彼女がガラス製品を取り出している。
次は何を見せるつもりなのだろう。
「こっちが本命ね?」
「本当に絵馬は、ついでか……ん? 今度は何が違うんだい?」
「食べ物じゃありませーん」
「出されたら真っ先に食べるような、そこら辺のペットと一緒にしないでくれ」
カウンターの上に追加されたのは、見るからに観賞用として作られた、手のひらサイズの六角柱のショーケースだ。
ケース内には人形が収まっていて、中で自由に動いている。
ただ、それだけの品だ。
「あれ? 霖之助さんの目で見てもピンと来ない?」
「僕の能力を使う使わない、どちらにしても観賞用に行き着くと判る」
「確かに。まだ構想段階だから観賞用にしかならないかも」
「本来の意図は別にあるようだね。すると、このショーケースの形が関係するのかい?」
「並べやすいだけかも?」
「関わりないことはないだろう? 僕を侮らないことだ」
同じ形のケースがもうひとつ置かれた。
今度のは中の人形が違う。
よくよく見れば人形の下に敷かれている。
そして、地面のようなものにも種類があるとうかがえる。
さらに菫子君の、これまでの仕草を鑑みれば、ところどころ態度に歯切れの悪さが垣間見える。
さては僕を試しているな?
「ショーケース同士、横と横をくっつけると中に入れたのが動くんだぁ。たぶんね」
「その口振りだと試していないようだね。差し支えなければ、このまま接触させてみるが……いいかい?」
「おはじき、じゃないから。最悪ツメ割れちゃう」
「さすがにノらないぞ? 菫子君」
ひとまず接触させてみよう。
ふむ……どうやら彼女の説明通りには動くようだが、ずいぶんと派手な反応が見られたな。
まるで機械式ゲームの演出だ。
ホログラムというものか?
「僕の目には人形同士がケースの境界を越えて、互いに弾幕で遊んでいるように見える」
「ほへぇ。幻想郷らしいといえば……らしいかな?」
「どう動くかについては想定したものではなさそうだな。ところで、君は一体、何を狙っているんだい?」
「狙うってほどガッツリじゃないよ。ふんわりふわふわ。水の石切やってる感じ。AI秘封俱楽部です☆」
「そういうのを言葉を濁すと表すのだ、菫子君」
「本当にぼんやりした目標だから。もうAIが勝手にやることだからってポッケ~って眺めてもらえれば」
「AIが勝手に?」
「人形や内装を含め、ケース自体に無駄に思考機能を付属させたの。ムードメーカーってやつ?……はい、次の追加ねぇ」
三つ目が置かれた。
そのまま他と接触させるのかと思いきや、四つ目に五つ目、六つ目と数が増えていく。
中には人形以外が入れられたものや、何も入れられていないものも含まれる。
「えらく並べたね。それ以前にここまで用意する理由でもあったのかい?」
「な、ないかなぁ。強いて挙げるなら材料を使い切りたかったから?」
「なんだ。あるじゃないか。僕も商売人である以上、そのことに対する理解はあるつもりだよ」
「別に使い切らなくてもいいけどね」
どっちなんだい? と指摘したくなると同時、彼女からノートブックとボールペンが渡された。
意図が掴めない。
しかしながら、渡された物の出来が良いのが、道具の質感から伝わってくる。
僕へのプレゼントという意図ではなさそうだな?
「……例えばの話だが、もし僕が頼まれごとをされた場合、あと少しくらい色をつけたくなるものだ」
「色? 色欲? 霖之助さん、学生に売春はダァメだよぉ」
「冗談を重ねるごとに君がつけなければならない色は増すばかりだが」
「うっ! これらショーケースが気に入ったら、さらに数作ってくるって条件でどう?」
「ふむ。ケースのほうを……だね。であれば、まず僕に何を頼みたいのか聞いていいかい?」
「気が向いたときにケースをつけたり離したりして、その経過を観察したのを書いてみてくれる? 絵馬を預けておくから、できれば近くに置いておいてほしい」
「冒頭の、ついでに僕のお店に来たとは、よく言ったものだ。まぁ、ケースがそれ相応の品であることを願うよ」
「じ、自信なぁ~……」
やはり僕への頼みごとがあったようだ。
とはいえ、飽くまでも観賞用でしかない道具に警戒することはない。
ただ、なぜ日記を自分で書こうとしないのだろうか。
「君が書くのと僕が書くのでは、どう違うんだい?」
「鋭い。境界はココと外の世界とで、違うって感じ」
「幻想郷でなければならない理由か。いわゆる派手なことではないだろうね? 菫子君」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。いわゆる五里霧なだけにご無理を言ってごめんなさいっ」
「今度、霊夢に駄洒落調伏でも頼んでみようか」
「くうぅ~勘弁してもろて」
※ ※ ※
いつも通りの朝、店を開く。
僕は外から入ってきた夏の日差しを浴び、加えて新鮮な空気を吸いながらケースの集合体に目を向ける。
何をどう綴るか楽しみだと念頭に置かれたので、これまで自分が何を書いてきたかを都度、思い起こすのもいいだろう。
それから、ケースをカウンターの上に置きっぱなしであることには……目をつむろう。
目を閉じたらノートに書きづらいがね。
「まぁ、いいだろう」
「何が『まぁ、いいだろう』なの? 応対よりも暇が欲しいと受け取るわよ」
「いらっしゃい、茨木さん。早速の想定外の事態だが、それもまた商売だ」
「まさかカウンターの上に置いてある、いくつものケース……売りものだったのかしら?」
「もちろん私物だよ。ただ、勝手に触って遊んでいいので、どうぞご自由に」
「そうね。勝手に触らせてもらうわ? 貴方が下手な誤魔化しをするはずないとは思うのだけれど」
「誤魔化すなどしない。直線的かつウィンウィンの応対だ」
「下手な誘導もお断り。ただ、今回は素直に乗ってあげようかしら」
「ちなみにケース内には君の姿を模した人形がいくつか存在する。それを軸に触れるのもいいだろう」
「私の許可なく? いい度胸ね」
珍しく客として姿を見せに来た客が、見て見ぬふりをした僕に話しかけてきた。
相手は茨歌仙という仙人であり、古くから僕との付き合いがある。
それはそうと、そもそもケースを触るのは自分でなくていい。
むしろ相手が仙人であり、鬼でもある彼女なら僕より適任だと考え得る。
幾分か楽をしながら自らも試遊し、ケース内の変化を流れとして日記に留め置く。
遊んでもらう名目だからこそ、まさにウィンウィンの関係と言えよう。
時折の激しい変化を交えた場面であっても僕は日記に集中でき、さらにケースに向けられる目が増えるということだ。
「勝手に使われたなど気にしなくなるさ。僕の人形もある」
「そこまで自慢げに語るのであれば気にしないであげる」
「ケースの上部に指を触れさせて横方向に滑らせたり、ケースを引っこ抜いて向きを変えたり移動させたり」
「ふぅん? ずいぶんと派手にケース内が光るわね。私にも触らせなさい?」
思ったよりも熱心にケースを見つめ出す彼女がいる。
そのうえ、積極的にケースに触っていて逐一、変化への新鮮な反応がうかがえた。
ところがどっこい、僕がノートに記入し始めてからというもの、こちらにも視線が向くようになった。
「君が何を言いたいかは判っているつもりだ。ズバリ当てよう」
「聞きましょう?」
「君は次に『まぁ、いいだろう』と言って気にしないでくれる」
「そんなわけないでしょ! 私を見て何を勝手に書いているのかしら……まぁ、いいわ。代わりにケースについて説明して頂戴」
特に断る理由もないので、思い出しついでに説明に徹した。
指を滑らせる動作、確か菫子君にはフリックと説明されたかな。
いやはやどうして茨木さんがフリックした瞬間から人形に黒い煙状の何かが入り込んだり、ケース内が少し黒ずんだりするじゃないか。
触る人によって反応が変わるとは聞いていなかったが、もしかしたら?
「僕が起こしたアクションが君の対抗となっているな」
「対抗? どういうことかしら」
「簡単に説明するなら陣取りゲームということさ。複数あるケースに交互に触り、どちらが多くのケースを占領するか競う。ケース内を光で満たすか、もしくは闇で覆い尽くすかだ」
「そう。私が光ね?」
久しぶりに彼女の冗談を耳にした。
いや、本気か?
長い年月が相手ならば鬼といえど多少は変わるかもしれない。
それに、彼女がどこで熱くなるかについては長年つき合っている間柄ではあるが、どうにも予測できないところがある。
とりあえず気軽に応対を続けよう。
彼女に対しては、これでいい。
「強いていうのであれば、僕が光でなければならない理由はないからな」
「判ってくれた? 闇にだって光の側になれる側面があるのよ」
「俗にいう光の氾濫か。なるほど」
「……そうね。真に受けないでもらってよろしいかしら」
「いや、ケースから出る音に聞き入っていたんだ。もちろん君の戯言にではないぞ?」
「よっぽど気に入ったのなら、ついでに私に勝ちを譲りましょうか。即、貴方の負けよ」
「そういう割りに君のケースの占有率は、少ないように見えるね? 茨木さん」
「人形の動きが一定じゃないから狙い通りにならないのよ!」
気づけばお互い、体に力が入っている。
ただ、僕の興味はケースから発せられる音に向いている。
いくつものケース内で起こっているゲームの戦況には興味が湧かなかった。
明け透けにいうのであれば文字起こしが面倒だからだな。
彼女の中の拘りは、そのまま彼女の中で解消されることを願う。
「ところで、楽譜の書き方で五線記譜法は判るかい?」
「貴方が分かる記譜法で書けばいいんじゃない? 当然、教えることはできるわ」
「一応、人に読ませる予定のものを書いているからね。僕が判る文字譜や数字譜では通じない相手かもしれない」
「何を熱心に書いているのかと思えば……たまに出てくる、音を出すケースや人形が気になるの?」
「無作為に続けても仕方がない。読書とは違う。ボーっと眺めるより秩序だったほうが一興だ」
「凝りすぎて楽譜に書き起こせないオチになっても知らないわよ」
なんだかんだで彼女はノリがいい。
しかしながら、この彼女の接し方は、僕に対してのみ特別というわけではない。
説教が癖になっている彼女であるからして、相応じた行動が表れている。
……翻ってみれば彼女をそうさせているのは、他ならぬ僕の姿勢から由来したものではないか?
そこまで僕は子供染みてはいないはずだが。
「心配無用さ。これら人形やケースに内蔵された知性が空気を読んでくれるかもしれない。そう、人工物なだけにね」
「何を自信ありげに……希望的観測じゃない」
「逆に効果的ともいえる。理路整然と穴がないよりもいい。天網恢恢なんとやらみたいなものさ」
「呆れたぁ。管をもって天をうかがう、よ」
「菫子君に軽いノリを求められたんだ。仕方ないだろう? まぁ、結局は僕が自主的に動いてはいるけれども」
「あの子の話なんて久しぶり……そうね。一定のリズムでタッチ。ラップや漢詩みたく韻を踏むというのは、どう?」
「ふむ。いいね! それだ」
「軽っ! 提案しておいてあれだけど。苦笑いよ」
すでに陣取りゲームはどこへやら。
互いにリズムを取り合う遊びへと変化した。
ケース内の様相が音を奏でる人形たちで占められている。
ゲームが全体的に様変わりした根底には、僕らの操作を起点とし、ケース内部が崩壊と再形成を繰り返した流れがつながるだろう。
単純な話、BGMがあるとノートに書き甲斐がある。
これを完成形だと菫子君は想定したのか?
もしもそうであるならば言葉通り、ポッケ~っと無心に近づくのも手だ。
「急にアホ面で笑わそうとしないでくれる?」
「心外だな。これは菫子君のマネだ」
「アホさマシマシね。別に私はいいけど」
「なぜだか思いがけない線引きをされたようだなぁ」
「ともあれ、とんだところで時間を食ったわ。買いもの。私は買いものに来たのよ」
「そうか。遊びに来たのではないのか」
「何か使える調理家電があればと思って、ついでにお顔の拝見ね」
「ふむ。しばし在庫の内容を思い起こしてみよう」
僕のお店に、要望に沿った品があるかどうか、ショーケースの群れを見ながら思い巡らせる。
六角形の集まりが光や闇と相まり、あたかも蓮の花が咲いているかのようだ。
あぁ、確かAI×IoTの幻想郷では使えない調理家電があったかな。
……そんなものを出したら間髪入れず説教だろう。
「そうそう。ゲームに付き合ってあげたのだから少しくらい値切りしても許されるでしょう?」
「値切りに関しては僕と君との仲だ。交渉には応じるさ」
「ふぅん? 嬉しいこと言ってくれるじゃない? 値切り以外もOKよね。そう、例えば物足りないものを足してくれるとか」
「親しき中にも礼儀あり。良仲には垣をせよ……だよ」
「都合のいい垣ね。さっき線引きしたせいかしら。その二枚舌なら、さぞ心地良く歌ってくれそうじゃない」
「僕ひとりで聖歌隊かい? それより、君が買いもので欲を出すなんて珍しいね」
「物足りないと思ったのよ。このケース、どれも遮断されているでしょう?」
「まぁ、ゲームをする上では頑丈だから都合がいいが……どんなケースでのケースを想定しているんだい?」
彼女から冷たい眼差しを向けられた。
昨今の冷夏のせいか?
「さすがの貴方も、このケースの集まりを花と見るでしょう? せっかくだから香りもね」
「香気を足したいということか」
「調理家電を買いたいって言ったのも、香りを嗜むのが目的で探しているのよ」
「ケースに関しては一旦、作った本人と話してみないとな」
「いい香りが嗅げるようなら後日、私にも譲ってもらえるよう交渉してみて」
「ちゃっかりしてるね」
※ ※ ※
今ではショーケースは観賞から鑑賞へと変わった。
これまで生まれた音楽に関する人形は、よく野外ライブを開催したとの噂に出る面々だった。
それだけではない。
花に群がろうとする人形たちも、崩壊と再形成を繰り返す中で散見できた。
「僕のお店はショーケース売り場ではないんだがね」
「まぁまぁ。いいじゃんいいじゃん。気にしない気にしない。ね? 霖之助さん」
「文句を垂れているわけではないさ。役得で音を嗜んでいる身だからね。ただ、想像以上に群がられているからという理由だ」
「香霖堂にあるまじき姿ぁ」
「心外だな、菫子君は」
「こっちも心外といえば心外だよ。ここに買いものに来る人、大抵マスク姿だし」
「仕方ないんだ。それが今の世間だから。外の世界までは知らないがね。君はそんな中で暮らす僕の言葉を知りたかったんだろう?」
「おぉ、完成化したノート♪ じっくり読ませてもらうねぇ♪」
大袈裟だ。
僕にとって落書きでしかない。
しかしながら、それが彼女の求めるものかもしれないな。
彼女は僕から見ても、おそらくは外の世界でも変わっている人間だから。それは過去であっても未来であっても変わらない。
「ちなみに君が読み終えるころには次のノートが埋まっているはずだ」
「ありがと! とりあえずAI『森近霖之助ボット・コスモバース』を作るぞい♪」
「色々と渋滞していないかい? 考え直してみよう」
「大丈夫。頭の中、蓮の花でいっぱいだよ。脳内お花畑~♪」