昼時。人里のにぎわった一角。
明羅。
ふと草履をするようなどこか踏みこみどころなく、かつ大雑把な、見目のいい立ち姿を道に進ませていた明羅は、視線をはずした。
空腹をしばし横におき、店を探して――今日はうどんが食べたい――いたまなこを声のするほうへ向ける。どこぞの陶器屋か、茶わんや箸をあつかう店らしい。軒先から威勢の心地いい娘の不満そうな声がしている。「だからあやまってるじゃないですか」「知るか。いいからさっさと商品分の代金はらいな。まけてやると言ってるんだ」「だからぁ」と、いい加減堪忍しかねたように背の低い娘が言う。
「なんでそこまでしなきゃいけないんです? いい加減にしてくださいよ。頭おかしいんじゃないですか?」
「そういう問題じゃないって言ってるだろ。わかんない子供だな」
「よう」
明羅はよくとおる声で言った。店主が顔を向けて「あれ、いらっしゃい――こりゃ明羅の旦那」と言う。
「どうしたんだ?」
明羅は気障りながら――姐さんと呼べと言うわけにもいかない。まさか――眉を上げつつ言った。強情そうな眼――なにやら品のいい顔だちで、背は低く、特に変哲のない長い黒髪で白いシャツにリボンタイ、長めの半ズボンをはいている――を目のはしで見つつ、「連れてくぞ」と、チャリンと「まいど」と愛想笑いをうかべる店主の男と、いくらかの銭を置き去りにして、娘を「ちょっと、なに――」と言いかけるのを無視して通りへ連れだす。娘は幼な気味の顔をぷ、とふくらませた。
「もう、なんなのですか」
明羅はその頭をドン、と拳をおくようなかるい感じで叩いた。「ちょっと。何するのよ!」娘は言った。明羅は言う。
「子供があんな口をきくもんじゃない。相手は大人の男だぞ。何かあったらどうする」
「子供って……ちょっと、どこいくんですか! まだ話は」
明羅は手もふらずに歩きだした。娘は追いすがる様子だったが、「もう!」と無駄を感じたのかそのままあきらめたようだ。
やがて手近なうどん屋を見つけたが、ふと考えて明羅はふところに手をやった。さっき銭を減らした。蕎麦にするか、と歩みかけたとき、「ちょっと! 待ちなさい! 誰か!」と、「どろぼう」とか「つかまえる」といった単語に明羅は目のみ向けて、走ってきた気配をそのまま足をひっかけ、いかなる手くだか分からぬほどあざやかに腕をとって投げとばした。「んごっ!」と、男がうめく。ついでに取りおとした旅行カバンを空いた片手でつかまえるが、これもあざやかだった。
「あぁ! あっ、」と、追ってきた――帽子をかぶった女だ。旅行者のような浮世からはなれた雰囲気と、似つかわしくない青いスカーフに白いワンピースが、人外を感じさせる。魔界からの観光者か――娘が息をつがせて、言うのに、「持っていてくれ」と、旅行カバンを「あ、え? あ、ありがと……」と、目をぱちくりさせる娘へ返して、周りに警備の者を呼ぶよう言ってから、起き上がり、「ケガはないのか?」と尋ねた。
「え? あ、ええ。どうも――」
「じゃあな」
明羅は言った。手もふらずに歩き出し、「あ、ちょっと」と呼び止める娘も置き去りにして、蕎麦屋を探す。が、ほどなくざわざわと集まっている――どこかの軒先だが――人々に目を止める。近づいていくと状況が知れた。どういうことだか軒の二階の窓の手すりの下、出っ張って庇のようになったところに小さい子供が乗っており、(悪戯心で二階の手すりを乗りこえて、庇の上に落ちた、と言ったところか)それを降ろそうと、宙に浮いた娘――控え目な紺色のブレザーに地味な暗い色のスカートを履き、頭に兎の耳らしきものがぴんと生えている。人外だろうか――が「よしよし。ちょっと大人しくしていてね……」と、どこか余裕なさげに言いながら、そーっと子供に手をさしのべている。「おい、危なくねえか、あれ」と、ざわざわとやじ馬がぞめきあうのを聞きつつ、たしかに危なっかしい手つきというか、あのまま子供を受け止めたらそのときにバランスを崩しそうな恰好になっている。当の娘は気づいていないし、そもそも子供よりおどおどしていて、助けられる方に不安を与えそうな――と思考するはしに、明羅は瞬間「わっ」と聴衆の声を聞き、「おっ」と、飛びだすときにぶつかった肩に(軽くだ)御免、と言いつつ、「わっ――」と子供を受けとめる瞬間、バランスを崩した娘の動きが芝居の幕中に見えるほどの迅さで、地を蹴り、跳んで、浮力を得、もちろん、そんなわずかの間に飛べるほどの勢いもなく、しかし、娘と子供の落下する勢いは相殺して、受けとめそのまま身構え、地面に接地するのを感じることもなくドン、と身体全体を襲う衝撃の中で、腕の中の2人の様子を確認しようとしてできなかった。
音が戻る。明羅はちょっと起き上がり、「大丈夫か」と、呼びかけ、「え、ええ……」と答える兎耳の娘を見て、(興奮のためか頬が火照っている)次いで兎耳の娘が明羅の視線を感じて自分の腕の中の子供に目を遣り、「うわぁぁぁん……」と泣き声を聞いてほっとした表情を浮かべるのを見やった。立ち上がる。
「怪我は無いか?」
「え、ええ。大丈夫みた――待って、あなたこそ大丈夫なの!?」
問題ない、と明羅は口の端で言って(実際動くのに支障は感じないし、習性で自分の身体の様子は分かる)、「じゃあな」と手もふらずに歩き出した。「あっ! ちょっと――わ、あぁ、よしよし」と、娘の引き止める声を背に、すたすたと歩いていき、そのうち気づいて、眉をちょっとひそめて衣をぱんぱんと叩いた。
蕎麦屋。
春先の陽気も心地いい今日は、蕎麦屋も声を開け放しにしている。のれんをくぐって「ごめんよ」と声をかけると、「はーいいらっしゃいませぇ」「いらっしゃいませぇ!」と、客商売特有のクセのない掛け声で迎えられながらも、空いている席に座った。すぐになじみの注文とりのおかみが寄ってきて「いらっしゃいまし。あんら、明羅さん!」と言う。「こんにちは、おかみさん」と明羅はちょっと愛想を見せて言った。「繁盛してるかね?」
「ええ、おかげさまで。ご注文は?」
「盛り蕎麦ひとつ。並盛りでいい」
へぇへぇ、と言いつつ、おかみはちょっとくすりと笑っておどけた仕草をした。「ん?」と明羅は言った。
「いえぇ。どっかでやんちゃでもしてきなさったのかと思うたんで」
「お背中。あと肘も」と、おかみが指さしてくる。明羅はようやく自分が砂ぼこりにまみれているのを察した。
「すまん。ちょっと表に行ってきますよ。茶としぼりは置いておいてください」
明羅はすまなそう、かつ情けなさそうな面持ちで外へ出た。ぱんぱんと服を払う。ちょうど客が――二人連れ(男の2人組だった。ガラがよくない)でやって来て、腰に刀など佩いている明羅がそんなことをやっているのを見て、ひそひそと笑い合っていく。明羅は店の中に戻った。席につくと、すでに茶が来ていたので飲み、ついでにおしぼりを取る。今は少し暑い。夏が近い、と思う日和だ。先に入って行った男の2人組が多少騒ぐ以外は割と客のいない店内――時間帯にしては、ということだ――に手持ちぶさたになっているとほどなく蕎麦がやってきた。明羅は箸をとり、手を合わせるとさっそく頂いた。美味い。
「いいじゃんたまには蕎麦でもさぁ」
ずるずると健啖に啜っていると、入り口より声がして、(若い2人組の女か娘と思われた)明羅は蕎麦を平らげつつ、「姐さんが」とか「贅沢」とか言う言葉の端を聞きつつ、入ってきた娘2人――最初から
2人連れだとは分かった――のはなつ仄かな抹香の匂いを嗅いだ。
取り立てて注視したわけではないが、その2人が入ってきたとたん、例の騒いでいる男連れの者らが、ふと目につけたようにひそめきあって(片方が片方をつつくようにして)いかにも不審な黙りこみ方をした。なぜか他にいた客らにも沈黙しているのがいる。明羅のように、気にしていない者との落差がある。それにしても蕎麦は美味い。つるつるとしたのど越し、芳じゅんな歯ごたえ、この店は相変わらず値段の割には、あくまで値段の割には、だ。他に美味い蕎麦屋はあり、そこらとは比べない、多幸感を得られ、まこと徳、得である。明羅は美味そうに食べ、そのうちに店内の不穏な気配に気を向けた。おそらく、「おいおい、妖怪が入ってきやがったぜ」と、聞こえるように男連れの一人がひそめいたのが原因であろうが、明羅はちらと見ただけで、入ってきた2人連れの娘ら、片方は頭巾である、こちらは白いような青みがかったような人外風の髪色で、今言った男らの方をじろりと言うようににらみつけ、もう一人の――なんだろうか白い帽子にラインの入った服だ。何かの制服じみた服だがあいにくと明羅には分からない――娘にちょっと、と言うように小声で言われ、軽くひっぱられている。頭巾の方の娘はそれで納得しかけた。だが、ひそめきあっていた男らはにたにたと笑いを見せつけつつ、「まったくたまんねえよな」「あぁ。カン違いしてんなぁ」と囁きあっている。もちろん聞こえるようにだ。明羅は様子を見ながら、蕎麦に向き直って平らげはじめた。その内頭巾の方の娘が立ち上がり、男らの卓に向かった。
「何よ、あんた達は。何か用でもあるの?」
娘が言う。男らはにやにやしている。そのうち片方の男が「あ?」と言う。娘はそちらを見た。
一方白い帽子の娘は席に座って先に来た蕎麦湯を啜っている。
「何も言ってねえよ」
「空耳じゃねぇのか? なぁ?」
「ああ」と、男らは会話し、「大体誰だいおめぇ?」と片方(どちらも特徴がつかみにくい顔をしている)の男が言う。
「人間様の里を我が物顔で歩くたぁ、いや無神経というか、恥しらずというか」
「そうそう。何の術も心得無ぇ奴や女子供がおめぇさん達見てどう思うと思ってんのよ? その生臭い口閉じて巣に帰れってんだよ」
「分かんねぇの? おめぇらの居場所じゃねぇっつってんだよ、こ・こ・は・よ!」
「なん」
色をなしかけた頭巾女の声に「うぁっ!」とうめき声(女のだ)が重なり、がしゃん、からんからんと蕎麦だったものの残がいが地面にこぼれるのが気配で知れた。明羅は淡々と蕎麦をすすりながら――眉をひそめる間も淡々とそうしながら「やめろ!」「このっ……」と娘らが口々に言うのを聞きつつ、何と勿体無い事をするのだ、とまずそれに憤げきした。
やがていくほどの間もなく「やめておくれやす!」と、飛びだしてきたおかみが、別の卓から立ち上がった2人組に阻まれるのを気配で察する。なるほど、最初からこの男どもはなにがしかのグルであったようだ。しかもそれなりの心得があるらしく、娘らを(娘らは娘らで大した抵抗の様子もない。人里での妖怪の振る舞いが厳しく定められているのを心得ているのだろう)壁と卓とにそれぞれねじ伏せ、「たっぷり仕置きをしてやんねぇとなぁ、ここじゃどっちが有利かってことをよぉ」と言う。そこらで明羅は蕎麦湯を飲み干し、立ち上がって前に出た。取りあえず頭巾の娘の腕をねじり上げて卓に押しつけている男の頬を、「あん?」と振り向いた――振りかぶりが大きかったからだろう――刀の鞘で一撃し、吹き飛ばす。男は体こそ吹っ飛んで娘から離れたが、「野郎」とすぐに立ち上がろうとしてくる。明羅はその顔を踏み抜き、「ぐぁっ」と怯んだ所を、だん! と胸に当て身を喰らわせて動かなくさせた。
「何だてめぇ!!」
明羅はちょっと鞘を鳴らして、芝居がかった風にわずかに鯉口を切った。見てとった男らが足を止める。
「表に出ろ。ここだと物が壊れるだろ」
ぶんっ。
と。「ぐぁっ!!」とうめき声を上げた男の背中を踏んで腕をねじり、明羅は動きを止めた。ふと顔を上げ見渡すと、職人様の男がすぐ傍に逃げそこねたように野次馬しているのが目に入る。
「おい」
「へ?」
「縄を持っているか?」
聞く。職人様の男は「い、いえ」と首を振った。「そうか」と明羅は言うとねじり上げていた腕をぱっと放し、「ぬおっ――」と、寝転がされたままの男の頭をごすっと踏み抜いた。男は泡を吹いて昏倒した。明羅は立ち上がった。服を軽く叩くと、倒れていた男らの懐から四つの財布を抜き取り、店のおかみに適当な金子を渡した。
「こいつらが目を覚ましたら私の名前を教えてやってくれ。いつでも相手になってやると言っていたと。――、」
そこまで言って気がついたように目を瞬かせて付けくわえた。「この店をひいきにしているとも伝えてやってくれ。食べ物を粗末にすると何をするか分からないとも。ついでにああ見えてもあいつはここいら辺では名の通った極悪人で気分次第で妖怪だろうと人だろうと天下の往来で斬りすてていくことで知られていると。こいつらは運が良かったんだってね」明羅はちょっと笑うと、まだ呆然としがちなおかみを置いて離れた。「ねぇ、ちょっと!」と、後ろから娘らしい声が追いかけてくる。
明羅はふり返った。「何だ?」と言う。「何だ、って言うか――」と、――追いかけて来たのは白い帽子の娘だ。何か複雑そうに頭巾の娘がその後ろにいる――何か言いかける娘に、「ケガはなかったんだろう」と、返す。
「え、ええ。――」
「そうか。じゃあな」
明羅はとりつくしまもなく娘らに背を向けた。「ち、ちょっ」腹も満たしたしここには用は無い。
「はい、待った。タイホ」
そう思った矢先、歩いていこうとした先でそう言われ、「あ?」と言う間に縄で手首を結わえられた。
言葉どおりあ? と言う顔で目を瞬かせると、十手を手にした小奇麗でふわふわした顔立ちの、長い髪を後ろでまとめた娘が、いつの間にか明羅をお縄に取っている。
「おい」
「刀を持ったいいお侍さんが一般人に暴力とか有りえないでしょう? 通報を受けたので」
「暴れているのはあっちの連中だ!」
「いや、暴力を暴力で解決してみなよしじゃそうは問屋がおろさないから。ケンカ両成敗って知っているか?」
娘――顔見知りだが――はいい笑顔で言うと、やたら細腕に合わない力ですたすたと明羅を引いて歩き出した。
「いいから大人しくしょっ引かれなさいな。大丈夫よ。向こうの連中も介護所に運び次第引っくくるから。というかもう手筈したし、安心してね~」
「ちょっと待って! だから人の話」
日が暮れた。
明羅は空きっ腹をさすりつつ、ぶつぶつと心中でぐちった。寝転がる以外何もない。座敷牢である。間違ってもいい気分は無い。
(まったく……)
「明日の昼には開放するから大人しくしといてねー」と言い、お気楽警官は行ってしまった。いや、自認しているだけで本当は何なのか謎だが。叩きのめしておいた連中と一緒に囲まれなかったのは正直救いだが、あの娘に分別を明羅は期待していない。
そのうち、背の方で(明羅が入っている牢は明羅一人で、同じ構造の牢がやや広めの通路を挟んでちょうど真向いに据えられている。そこに先客が一人いた。明羅がここに放りこまれた際も、いや、際には起きていて、興味なさげにこちらを見ていた。その後寝入っていたようで、時折それらしい気配が聞こえてきた。明羅も気にしていなかった)「んが」とか起きる気配と盛大なあくびがした。神経の太い男だ。よくこんな処で寝入れる。
(それ以外することないんだけどね)
ぐちっていると、ふと背中に「おんや」と声がかかった。ややして、「おぉい。姐さん」と、呼ぶ声がした。明羅は一応そちらを見た。
とくになんとはない男の目がこちらにあくびを返している。明羅は上体を起こして直った。「何か用かね?」
「いや、まだいたのかと思ってよ。見たとこケチな物盗りってわけじゃなさそうだが」
「濡れ衣を着せられた。あの阿呆警官に何を言っても聞いてもらえなくてな……」
「はっは。阿呆警官か。そりゃぁいいや」
余談だがその時言われた当人は何も食べていない明羅に食べ物を持っていこうとしていたが、2人からは見えない所でこれを聞いた。
そしてきびすを返すと自分の机に持っていた盆を置き、「いただきます」と手を合わせた。
「しかしそういうお手前は何を?」
「お手前と来たか。なに、ケチな盗みだよ。それよりか姐さん、ちょっと耳寄りな話があるんだが、ちょいと耳を貸してくれないかえ?」
男が言う。明羅は「何だ」と言った。
すると男は耳をすまして様子をうかがい、ちょいちょいと手招いてきた。明羅は格子のほうに耳を向け、身体を寄せて耳を近づけた。男は格子に身体をよせた。言う。
「実はな」
そうしてかくかくしかじか。まるまるうまうま、と明羅は一応最後まで聞いた。どうやら、まあ怪しげな話のようだ。要約すると男が何者かから頼まれた後ろ暗い代物を、捕まってしまった自分の代わりに届けてほしいということらしい。埋めた(捕まる前にやっておいた、と男は言っている)場所には目印を用意している。なぜ人に頼むのかと聞けば、元々頼まれていた仕事なのだが、この通り捕まってしまい身動きが取れなくなった、このままでは約束の期日に間に合いそうもないということだった。
「な、頼むよ。礼なら必ず後で渡すからよ」
男が言う。どうやって渡すのかと聞けば、これもあらかじめ礼金を預けている人がいるのだという。
「用心深いことだな」
「で、どうかね」
男が言う。明羅はしばし考えた。
正確には考えるフリをした。
「いいだろう」
やがて言った。
で。
翌々日。
明羅はまだ捕まっている男から聞き出した目印を頼りに、解放されたその足で男の言っていた品物を掘り出した。品物は厳重に包まれており、湿気や雨水の対策までほどこされているちょっとしたものだった。とはいえ、男が知らない(知らないかどうかは定かではない)と言って教えないので、明羅も中身のことは知らない。
普通に考えれば引き受けるのはうかつだろうが、もちろんそんなことは明羅も承知の上で、単に親切心から引き受けたのだった。人からの頼みを断るのは相手が何であれしないというのは明羅の主義だ。ともかく指定の場所は森の中であった。
人里からは少し外れ、人や妖怪も通らないようなさびれた場所だ。そういえば明羅の顔見知り(であってほしくないが)の巫女の神社はちょうどこの近くだったはずだ。
時計などもっていないが、大体の感覚で時を計っていると、やがて誰かが近くまで来た。果たして明羅はぎょっとした。
「博麗!?」
「あら。明羅さん。久しぶりね」
明羅はのんきに言う顔を疑心満々で見て言った。
「なんでお前がここに来る」
「何でって、呼んだのは明羅さんじゃないの?」
博麗の巫女、霊夢はきょとんとして言う。明羅は動じつつも、何となくそれは予想できていたのでしかたなくおさまった。
(どうでもいいわね。こいつが待ち人だっていうならさっさと終わらして帰ろ)
霊夢が待ち合わせの目印の赤い布を薬指に巻いている(指定があったのだ。明羅も同じようにしている)のを見やりつつ、まったくと明羅はごちた。
「人から頼まれものをしていたんだよ。相手が誰だかは知らなかった。さぁ、わかった以上さっさとうけとってくれ」
「人を呼びつけといてずいぶんな言いぐさよね。受け取るって何、それ?」
どうやら霊夢も事情は知らないようだった。しかしくわしく話すのも――と、明羅はそこでその変化を感じとった。何だ、と思い、急に生じた出処のつかめない感覚に、一瞬目がそれる。持っていた小包みからなにかが振動するような音がして、次いで爆発した。
明羅。
道を歩いていたときに、ふと罵り声を聞いた気がして(と言っても耳には自信がある)明羅はふり返ろうとして、駆けよってくる女、だろう、に無言でしがみつかれた。女はよほどせっぱ詰まっていたらしく、荒い息に身体を震わせている。
「どうした?」
明羅は静かな、はっきりとしたささやき声で言った。しかし娘は何も言わない。その内息せき切って「この女!!」と、あまりガラの良くない者達が5、6人と、よってたかってやってくる。明羅は瞬く間に刀を抜き、バシンと素早い一撃を当てて、一人を声出す間もなく打ち倒した。「なっ、こ」のやろう、(内容を予期して、ということもある)と言いかけたもう一人を打ち倒す。男達は大体倒された2人を除いても、最初より増え、7、8人はいた。それが足を止める。明羅は刀を納めた。
「なっ……なんだ。てめぇ――?」
「なんだとはなんだ!」
明羅は言った。理不尽な言葉を自信満々(に見える)態度で言い切ってから、「で、おまえ達はなんだ」
「なかなかふざけた野郎じゃねぇか!」
「その女をこっちに寄越せ。さも……」
明羅は言いかけた男の台詞をさえぎって一人の手から刀ごと柄をたたき落とし、そのまま驚く男達を当て身、みね打ち、柄頭で小手を打つ、などしながら、またたくまに5人ほ倒した。残りは2人だけになった。「なかなかふざけた野郎」云々言った男ともう一人だ。明羅が隙を見せて誘うと一人が食いついたので、即座に打ち倒す。
「どうやら数だけだったようだな。おまえ達、刀は持たん方がいい。それと私は女だ」
すたすたと歩み寄って最後の一人を倒し、くるりと見回す。倒れた者らが起き上がってこないのを確かめて、きびすを返して女に歩みよった。
「ケガは無いか?」
刀を納めつつ、女に言う。女は答えず、呆気に取られたようでいる。
「事情は聞かない方がいいのか? それとも私の見間違いで連中が被害者側だったのかな。それなら、ついていたと思いこのまま逃げろ」
じゃあな、と明羅がきびすを返すと、「お待ち下さい!」と、女が腕にしがみついてきた。明羅はかるく髪をかき上げ、頭をかいた。
「何だ?」
「実は――実は、追われております。このようなお頼みを申し上げるのは、――恥じ入ることなのですが――」
「困っている時に恥も何もない。分からんでもないが。とにかく何か言ってみろ。力になれるか知らんが」
「あら、そうなの? ありがとう明羅さん」
明羅は凍った。頭巾の女が伏せていた顔を上げると、聞き間違いではなく霊夢の顔があり、笑っている。
「やっぱり明羅さんは頼りがいあるわね! いや~人に任せても頼りにするのは主義じゃないんだけど明羅さんには甘えられるわ~」
「博麗! 何やってんだてめぇぇぇぇぇぇ」
「――ぇぇあいてえぇぇえぇ!!」
明羅は自分のさけび声に気を取りもどした。気がつくと自分で自分の顔をおさえ、包帯のされた腕で、包帯?――ものすごく痛がっていた。実際痛かった。
言葉の端から頭痛が漏れだしてくる。毒づきたくなるのを耐えて、何とか明羅は腕を下ろした。右腕に包帯が巻かれていた。
(あー。あー……)
「起きた!? 明羅さん。ちょっと女としてどうかって悲鳴上げていたけど、大丈夫?」
(この声は……博麗……)
明羅が頭を動かすまでもなく霊夢はやって来て、あちこちと触った。
「起きないでいいから。横になっていて」
明羅を大人しくさせて、ぎゅっと絞った布を頭に乗せる。ひんやりと額が冷たくなる。
「ここは神社よ」
聞く前に言う。
明羅はあらためて見た。たしかにそのようだ。どこかのい草臭い一室に自分は寝かされている。
(何が……)
「さてと」
巫女は言って攻撃用の符とお祓い棒をとりだした。
「ん?」
「いやまあね。ケガが大したことなさそうだし、寝るところをぶん殴ったりするのはさすがに気が引けていたんだけど、ケジメはつけないと。私そういうのうるさいから」
「待」
2分後。
茶の間。
「なるほどそういう事情がね。殴り損だわ」
「聞けよ!」
明羅はバンとちゃぶ台を叩いた。ちゃぶ台はみしりと鳴った。ぼろく壊れそうだ。
「ひび入れたら弁償してね」
「お前人に譲るということを学び」
「そんなこと言っても状況証拠から推察して殴るのがこういうのの解決の早道なのよ。明羅さんはしばいたから次は恨みの線ね」
「お前異変のほかにも仕事しているんだよな……?」
霊夢はぱりとせんべいをかじった。
「多分明羅さんに恨みを抱く人の行いだと思うわ。てと私は無関係なんだけれど、巻き込まれて怪我しかけた以上ナメられないように制裁にいかないとダメね」
言う。
「じゃ、行くわよ」
「あ?」
明羅は言った。霊夢は言う。
「だから制裁」
しばし。人里。
飛んできたあと、霊夢はさてと言った。
「明羅さん、恨まれる覚えは?」
「ある」
「じゃあ行くわよ」
「おい。まさか名前を聞いて殴るんじゃあるまいな」
「それ以外に」
「まあ待て」
なに、と霊夢はいぶかしんでくる。明羅は言う。
「まず調べをつけてから下手人をしばくなり吊るし上げるなりするものだろうが、こういうのは。スジを通せスジを」
「筋とか言われてもなぁ」
明羅は呆れつつも、とにかくこいつを相手にするのも野放しにするのもごめんと、足を踏み出した。
「まず警察にいくぞ。心当たりがある」
「警察とかここにあったんだ。ああなるほど。すでに捕まってるやつが下手人なのね」
「いいから」
とはいえ。
小兎姫の返答は期待はずれだった。ただ手がかりは得られた。明羅に話を持ちかけた男の居住である。出鱈目を書いたのだろうと思われたが、教えられた場所に家があった。だが、釈放になっている男はいなかった。
周囲の家に話したところここに住み着いているのは間違いないが、3日前から戻っていないという。
「参ったな。待ち伏せするか」
「いいえ。ほかを当たりましょう。それにここのやつは何も知らない人だと思うわ。身分がはっきり割れるような立場にいてあんな下手を打つわけないじゃない。きっとなにも知らされていないのよ」
「しかし判断するのはまず話を聞」
「いくわよ」
博麗は話を聞かない。「どこへだよ」と、明羅は後を追った。
魔法の森。
と、呼ばれている森だ。明羅は知識でしか知らなかったが気味悪げなところだった。霧雨魔法店。そんな看板をかかげた一軒家だ。霊夢は扉を叩いた。
「爆弾魔ー。いないの?」
「なに言ってんだお前は」
「おーい」
霊夢は扉を叩いた後、返事が無いのを見て、扉の鍵を確かめた。鍵は、閉まっている。
「留守か」
「つまりここのやつがお前の言う下手人か」
「そうよ。これは蓄電したかな。まっいいか。他を当たりましょう」
霊夢は言う。明羅は何も言わず後に続いた。
次いでまだ魔法の森。
今度も一軒家だった。だが昼間というのにカーテンを閉めていて、何か生活臭がしない。
「おーい。爆弾魔ー」
霊夢が言うと、今度はすぐにいかにも厭世的な気配(目の前の霊夢に対しての感情もあるようだが)をした金髪の少女が出てきた。
「何急に」
「こんにちは。魔理沙来なかった?」
「今日は見かけていないけど」
「そう。まあいいわ。じゃああなたに用があるから。ちょっと表出なさい」
「何でケンカ腰よ。最近何かした?」
「あんたこの人に恨みがあって爆弾を製造したあげく私ごと葬ろうとしたでしょう。爆発したとき魔力の働いた様子があったわ。詰めが甘かったわね!」
「あー? まあいいか。研究もうまいこといかなくてくさくさしてたし一戦ならやってあげるわ」
しばし。
人里近くの道。
「さて次はっと」
「博麗。おい」
「なに?」
「何じゃなくて」
「何?」ともう一度聞き直してくる。
さっき金髪娘を弾幕ごっこでのしたことはなかったことのようにケロッとしている。
明羅は深く悩んだ。
「さーてと」
霊夢が言う。「待て。全く」と、明羅は引き留めた。
「何」
「これじゃ言いがかりをつけて無暗につぶして回っているだけじゃないか」
「幻想郷における争いごとは弾幕ごっこで解決するのは知っているわよね」
「聞いたことはある」
「じゃあおしまいね。次行くわよ」
霊夢は言って、ぽんと明羅をかるく押した。明羅は仕方なく宙に浮いた手をわきわきとさせて、引っこめた。
「ん?」
と、明羅はふと気がついて言った。いまの霊夢の態度になにかふしぎなものを感じたのだが。そう言う間にも置いて行かれている。明羅は足を速めた。
(なに照れているんだ、こいつ)
場違いながら思った。霊夢はなにげない風を装っているが、あれは明羅の手を振り払おうとした仕草だった。
そうしているあいだに「ここね」と、目的地に着いたらしい。明羅は見やった。立派な寺の門がある。明るい時間なので、当然開かれている。門の前でこちらに背を向けて箒をかけている娘がいた。大きな声で読経をしている。
霊夢は娘を素通りして寺の境内に入って行った。明羅も続く。ふと背中で気配がした。明羅は振り返った。
「やっ!!」
娘が言った。箒をかけていた娘(というより見かけから妖怪かなにかだ)とは別の娘で、大きな傘を持っており、その傘は舌を出し、ぎょろんとした目玉を開いている。こちらも人外のようだ。なるほど。と、明羅はうーらーめーしーだのと聞こえていた声に納得して足を止めた。が、すぐに後ろで結んだ髪を引っ張られる。
「何してんの」
「いや、声をかけられたので止まったんだが」
「今日はそいつに用はないわ。いくの」
「くそっ全然驚いていない! って麓の巫女じゃない! またケンカ売りに来たの?」
霊夢は妖怪娘を見た。
「あーもー。せっかく無視していたのに。なんでタイミング悪くここにいるのよ。間の悪いやつね。これ以上絡むとそれなりの対応するわよ」
「妖怪がどこにいようと勝手でしょ! 弾幕上等! いざ勝」
「あっ! あなた!」
妖怪娘の声をさえぎって、凛とした声がした。反対を見ると、娘が一人立って、おどろいている。明羅はん? とにぶく反応した。
「あなた! 探していたのよ! あれから聞いて回っても要領得ないし。自分から来てくれたの?」
と、頭巾の娘は――この前見た娘ね――と、明羅は気がついた。――明羅の腕をとり、引っぱった。
「とにかく寄って。姐さんがお礼をしないといけないって言ってたから」
「お礼? 何のことだ」
「何のことって――まぁいいわ。どっちみち私たちも姐さんにスジの通らないことはするなって言われているから」
「おい、ちょっと」
「はいはいはいはい、はい、ちょっと待った」
もみあっているうちに、霊夢が間に割って入った。手刀でとんとんとんと2人の間を空けて、くるりと頭巾の娘に向く(お祓い棒を身構えたようにも見える)。
「ちょうど良かった。あなたでいいからちょっとここの住職に用があるんだけれど」
「何の用よ」
「お前の頭領が魔法使いだという……それだけで容疑は十分よ。そして属徒のあんたも当然同罪。この弾幕ごっこ、地獄の閻魔でも私に正答さを見出すわ!」
「何だか知らないけれどやろうっていうなら相手になるわよ!」
しばし。
「あーもう滅茶苦茶だよ」
明羅は言った。当の霊夢はケロッとして服の破れを気にしていたが、おもむろに明羅を見て眉をひそめた。
「おん?」
「何でもないぞ?」
「あ。イラっとした」
「あっ! ――やった!」
むなぐらをすごい力でつかんでくる霊夢ともみあっていると、そのうち後ろからガシッという感じで服のすそをにぎられた。見やると(忘れていたが往来である。人里の)、子供が明羅の衣の裾を握って見やってきている。
「ああ、お前か」
「お前かじゃないです。このあいだはよくもやりましたね。大恥です!」
怒ってくるので、明羅はん? と内心探ったが、このあいだ雑貨屋でもめていたのを連れだしたことを言っているのだろうと思い当たった。言う。
「知らん」
「とにかくこれ! お返しします。リカは子供じゃないのですから、あんなことされる筋合いがありません」
「お前な。生意気なのもいい加減にしろ。それと私は今取り込み中だ。順番に」
「はいはいはい」
と。いつのまにかむなぐらを掴む手とそれに抵抗する明羅の手を払って、霊夢が割り込んできた。子供――リカとか言った――を前にえーと、と一瞬目をぱちくりさせて、「あ。あー」と思い当たって言う。
「何ですか。巫女はお呼びじゃないのですけど、リカはこの男の人に用があるのです」
「私は女」
「ドーモ。博麗の巫女です」
霊夢は適当に手を振って、明羅をさえぎった。そしてお祓い棒を例のごと、取り出す。
「ちなみにこの人女よ。それよりあんた、確か戦車とかもっていたわね」
「リカの自慢の戦車がどうかしましたか?」
「ちょっと面貸しなさい」
しばし。
その後、リカとかいう子供と一戦まじえ、移動し、竹林に行っては一戦まじえ、移動し、さらに湖の館に行って一戦まじえ、移動する途中に会った日傘をさした妙ににこにことした緑色の髪の妖怪と一戦まじえ、最後に神社に戻ってきて、境内の大きな岩の上で寝ていた娘と一戦まじえて追い出し、霊夢はようやく元の茶の間に戻ると、茶を淹れて座った。
「ふう」
霊夢は言った。
「これだけやればいいでしょう。明羅さん。肩揉んで」
「断る」
明羅は一応出された茶を飲んだ。うすい。
「何がしたかったんだ? お前は」
「何がしたいというか……。ん? 最初の目的何だったっけ?」
「忘れたのか」
「冗談よ。残念ながらこれというものがなかったけど手応えは感じたわ」
「手応え?」
「あれだけやれば運良く下手人を叩けただろうし、叩けてなくても向こうから動きがあると思うの」
「そもそも私が無事な時点でなにか手を打ってくるんじゃないだろうか、とか、お前の考えで行くとあるんじゃないのか?」
「それも考えたんだけれどね」
霊夢はせんべいに手を伸ばして、言った。パキ、と口で割る。
「この場合、あれが実は私を標的にしたものだったんじゃないかって考えもある事に気がついたの」
「まぁ、わざわざ目印を用意したり、手間をかけてお前を呼び出しているしな。むしろ最初にそう考えるのが自然じゃ」
「お邪魔するぜー」
ガラ、と縁側の障子が開いて、娘が一人入って――こようとして、おやと、ちらりと明羅に目をやってから、特に何も言わず、霊夢の近くに座り、せんべいに手を伸ばした。霊夢はとくに何も言わず、あいさつをして茶をすすった(あいさつの時に魔理沙、と呼んだのが名前らしい)。
その娘、魔理沙は悪戯っぽい目をすると、霊夢に言った。
「彼氏か?」
「違うわよ」
「私は女だ」
「何だ、面白みない」
魔理沙が言う。霊夢は言った。
「何が面白いのよ。私だって男の人の一人も連れ込んだっておかしくはないでしょう。女だもの」
「確かに面白みは無いなー」
魔理沙は首をひねった。さて、と、霊夢が立ち上がる。
そして、おもむろに懐からお札を取り出した。
「自分からのこのこやってくるとはマヌケね。探す手間が省けたわ。神妙にやられちゃって頂」
「はあっ!!」
明羅は喝を入れると、手にしたハリセンで霊夢を一撃し、襖やらの向こうへ吹き飛ばした。そして、どこからか取り出したハリセンをしまうと、元の通り座った。魔理沙が言う。
「何だ今の」
「悪をこらしめただけだ」
「そういや、えーと」
「名前か。明羅だ。明羅でいい」
「明羅か。その怪我どしたんだ?」
「ちと爆弾だか何だかに吹き飛ばされかけたあげく巫女に襲われてな」
「あーここら辺じゃよくあることだな。爆弾は珍しいけれど」
「ちょっと待ちなさいよ! 何すんのいきなり!」
霊夢が激しい口調で(ケガ一つない。まあそうだろうが)つめよってくるのを、明羅はまたどこかから取り出したハリセンを持って、とんとんと肩で鳴らした。
「お前が悪事を働こうとしたから止めただけだろ」
「誰が悪人よ」
「ん? そういや」
委細かまわず魔理沙が言った。
「爆弾といえば、最近私、作ったな。なあ、その爆弾ってなにか特徴とかあった?」
明羅は言った。
「そうだな。よく覚えていないが、私が見たのは箱だよ。木造りの小箱というのか、そんなものだったな」
「中身は見ていないのか?」
「見てない」
「じゃあ違うかもな」
「違うってなにが?」
霊夢が言った。魔理沙が言う。
「いや、その爆弾っていうのが、人に頼まれて作ったもので。できるだけ威力が高いのがいいっていうから色々調べてなんとかちょうど人二人くらいは殺せそうな代物作ったんだけど、品物を渡すとき何に使うのか聞いても答えてくれなくてさ。犯罪者にされるのも困るから人に向けては使わないでくれよって一応注意したら大丈夫だって向こうが言うもんだから、放っといたんだけど、取り越し苦労だったな」
魔法の森。
「ここだよ」
魔理沙は頭をかいて、言った。霊夢に明羅から奪ったハリセンで殴られたあたりだが、痛くはないようだ。何の変哲もない一軒家だ。丸木づくりの屋根の上に煙突が立っていて、そこから煙は出ていない。
魔理沙の言葉を聞いて爆弾を持っていった人物はどこにいるか、と問うと、魔理沙はあっさりと答えてきた。なぜ知っているのか、道すがら聞くと、別に知っていたわけではないと言う。
「あいつが帰るときに私が作った香をこっそり荷物に入れておいたんだ。その香は私が魔法で合図をするまで何のニオイもしないんだが、合図をしてからは私にしかわからない強いニオイを発する。私は200キロメートル離れていてもそれを正確にたどることができる」
「相手が気づいて捨てていたらどうするんだ」
「そのときはそのときだなぁ。でも向こう30年はもつはずだけど。新しいニオイは強くて古いニオイは弱い。私はそれを正確にかぎわけることができる。むしろ持ったままあっちこっち行かれた方がまずいな」
そう言った魔理沙が指してたどりついたのがこの家だった。
「その依頼主はどういう人物なんだ」
「最近知り合った魔法使いだよ。200年くらい生きてるって言ってたかな。研究の共用なんかちょこちょこやっていたんだが」
「じゃあ爆弾を木箱に入れて仕掛けを企んだ犯人かどうかは分からないんだな」
「あぁ。巫女に襲われた経験とかは聞いたことないしな。これで空ぶりだったら、私叩かれ損じゃん」
「大体相手が生きていたというのにのうのうと家に居座っているわけがないしな。たかをくくっているのかもしれんが……」
明羅は言った。霊夢を見る。魔理沙も霊夢を見た。当の霊夢は今家に一人近づき、何やらお祓い棒を目の前にかざして、ぶつぶつ言った。何かのまじないのようだった。やがて霊夢の体から神さびた気配が、うっすらと光となって現れた。霊夢は家の扉の前に立つと、「ふー」と腰を入れた構えで拳をゆっくりと差し出した。
「巫女巫女、げんこつツインマグナムゥゥ!!」
霊夢は言った。逆突きの形で突き出されたもう一方の拳が家の扉を打った瞬間、扉はまっすぐ吹っ飛んでがしゃ、どがらどがら、と、家の中でものすごい音を立て、ドン、と反対側の壁にぶつかって止まった。ゆっくりと倒れ、音を立てる。
明羅はその後ろからハリセンを見舞った。「痛っ」と、霊夢は明羅を見た。
「何よ。ぽこぽこ叩かないでよね」
「あのなぁ」
「あ。あいつだ」
魔理沙が言った。明羅が見やると、家の中で何者かがばたばたと動いている。動きしか見えなかったが、その姿は地下に続く階段かなにかを降りたようだ。霊夢が走って中に乗り込む。
「あ、おい」
と、魔理沙が言った。明羅は霊夢を追って中に走り込んだ。中は普通の家だった。カーテンが閉められていて、暗い。霊夢が吹き飛ばしたドアで、滅茶苦茶になってはいるが、そこらに魔法使いっぽい怪しげな道具が落ちてたりしているのが見える。霊夢はすぐに階段を発見したらしく、下りて行ってしまった。明羅もあとに続いた。先のほうでバン、と霊夢がドアを(蹴り開けたような感じだが)開いて地下の部屋らしきところへ入っていくのが聞こえた。
「ええい――」
明羅は言って、しかたなく開きっぱなしのドアを急いでくぐった。
「――そんなものなかったわよ」
霊夢が言う。明羅はちょうどそのタイミングで部屋に入った。地下室なので窓はない。上に比べてさらにそれらしい魔法に使うらしい道具が雑多に置かれている。部屋の一番奥にいるのが下手人らしい――人外らしく青い髪の娘だった。切れ長な目が霊夢に敵意を放っていたのが、一瞬で明羅を見て、はっきりと強張った。驚いている。
「何で――そんなっ! いえ……そう……そういうことなのね……」
長衣に帯をしたいかにも魔法使い風の娘は何を納得したのか、震えてうつむくと、何か憎悪の気配のようなものを放ちはじめた。
やがて、顔をあげた。ふたたび敵意のみにもどった目を向ける。
「霧隠れの結界や位置逸らしの欺瞞を破ったのはほめてあげるわ。森に仕掛けていたトラップもどうやら、役には立たなかったみたいね」
「だからそんなものはなかったわよ」
「でも魔法使いというのは手間をかけるぶん、念入りに用意をするものよ。戦わず、傷つかずして相手を地獄に落としてこその勝利だもの。己の迂闊さを呪って死になさい」
言うと、娘は持っていた大仰な杖を振り下ろした。魔力が満ちて、娘が消える。
次に、明羅は息を吸った。バッと霊夢をかばい、どうにかなれと背中を向けて、両腕で身体を抱きかかえる。「この」気配。明羅は直感した。あの小包が爆発して(正確にはその瞬間は見ていないが)、意識が飛ぶ一瞬前にした感じ、それよりもっと巨大な何かが収束して弾けるイメージ。背筋を支配するほどの死の予感!
「ちょっと邪魔」
が、霊夢は明羅をなぐり放ると、ガッとそのえり首を掴んで、いつの間にか「空けた」穴(外の景色が見えた。空気まで!)に放り込み、自分も素早くくぐり、ついで空気が爆散して穴の後ろから轟音とともに炎が溢れ出て、穴が閉じた。そのとき明羅はえり首掴まれて地面に転んでいた。
(一瞬で外に……)
「なっ……この……」
肝心の姿を消した娘は、何があったのか、(たぶん後ろか何かから不意を打たれて箒で殴られその後背中を踏んづけられて、動けなくされたのだろう――とは見えた)魔理沙に背中を踏まれて地面に転がされている。霊夢たちの姿を認めると、「なんだ無事だったんだ」と、魔理沙は、箒を下ろした。何発か叩いていたらしい。
「その穴便利だな。私にもやり方教えてよ」
「こんな泥棒しか使わなそうな術便利なもんですか。もっと役に立つもの教えてくれりゃいいのに。あんたは泥棒だから教えたげない」
「さて」と、言って、霊夢は明羅を放した。明羅が立ち上がっているうちに、身動き取れない娘に歩み寄って、背中を踏む。
「覚悟はできてるでしょうね。といっても里のルールがあるから大したことできないけど」
「ぐっ」
言いつつ、お札とか針とかえぐそうなものも混じって取り出す霊夢に明羅は近寄って、スパコーンとハリセンで一撃した。霊夢は転げた。
「そこまでにしろ」
「何すんのよ」と地面から不満をぶつける霊夢と、脇にどいて突っ立っている魔理沙を横目に、明羅は娘に近づいた。
「足を見せろ。怪我をしているだろう」
明羅は言った。「なっ」と(戸惑いや訝しみ以外にも、明羅が寄った途端狼狽し、ほほにもうっすらと紅みがさした。人に近寄られるのに慣れていないたぐいか、と明羅は思った)娘が言う。かまわず、長衣からのびた足首を見ているうちに、不服そうに頭をさする霊夢が、「そういえばあんた何かわかってて家の中に入らなかったわよね」「止めたじゃん。魔法使いなら罠を用意しているだろうから、あの場合ホイホイ中に入ってっちゃダメだぜ。人の話聞かないよねお前」と、会話している。明羅はさっさとそこら辺の添え木になりそうなものを当て、破った自分の衣で娘の足首を結んだ。と、明羅は立ち上がり、すん、ぐす、と、娘がすすり泣きをはじめているのに気がついた。が、黙って見た。
「……、のよ」
「……」
娘はきっと、というには、弱々しく、明羅を見た。言う。
「……、……のよ」
「ん?」
明羅は言った。娘は言った。
「何、軽々しく、さ、触っているのよ! やめてよ! わっわたしはっ」
娘はそこで黙った。「うっ」と、こらえかねたようにうつむき、ついにしゃくりあげ始める。明羅は見ていたが、ぱし、と後ろから頭を叩かれて、見た。すると、いつの間にか後ろに立っていた霊夢が、感情の読み取りづらい表情で明羅をじろりとにらみ、「この外道」「は?」と、わけのわからない罵りを言って、次に娘を見て、やがて、肩をすくめた。
「帰りましょう」
んで。後日。
長屋。
以前も来た部屋を訪ねると、男が出てきた。
「おう。姐さん」
明羅は「ああ、」と返し、そのまま言った。
「その節は世話になった」
「参ったな。お礼参りかい?」
「まずは話だ。あの巫女を止めてやったんだから礼を言え」
男は言った。
「つっても、俺は話のすじは聞いていないんだがね。まぁ、茶でも入れるよ」
「いらん。私はあんたを恨むスジじゃない。あんたに仕事を頼んだ女が消しにかかるんじゃないかって心配りをしただけだ。ま、達者でなにより」
そらぁどうも、と男はため息混じりに言った。むろん、あの日明羅を獄中でそそのかす役目を負った男だ。
「送られた菓子は食わなかったか」
「あのあからさまな洋菓子かい? 好みじゃないんでそこの棚にしまってあるよ」
「そうか。あのクッキーにはたんまり毒が盛ってある。燃やして捨てておけよ」
「隣の婆ぁにやろうかと思ってたが、話を聞いちまったんじゃあそうするしかねぇか」
「用はそれだけだ。とある巫女の話によると、あの女がお前さんを消しにかかることはもうないだろうということだが、用心はしたほうがいい。私も二度は来ない」
「俺も他人のふりはするよ」
男は言った。明羅は懐手にしてきびすを返しかけたが、ふと思いついた顔でああ、そうだ、と男に言った。
「忘れていた。あんみつ5杯。あんたが払ってくれ」
甘味処。
「だから、特定の目印同士じゃなくて、特定の人物に反応して爆発する仕組みだったんだよ」
魔理沙が言うのが聞こえた。入ってきた明羅を認めると、霊夢が魔理沙から目を移して、しかし黙って甘味を食べるのに戻ってしまった(子供じみた感のある外見に似ず、食べ方には誰かに教わったような品がある)。「おう」と、明羅は魔理沙にかるく声をかけて座った。
「おっ用事は済んだの? じゃあ私はこれで退散するよ。またな」
魔理沙は言って、店を出て行った。明羅は黙ってあんみつを注文した。
「私のぶんまで食べるな」
「魔理沙が食べたのよ」
「よくそんなに食べられるな。胸やけしそうだ」
明羅は言った。4杯分――1杯は自分のぶんだったが、言ったとおり、注文したものは空になっている。――の料金をがめてきたが、すでに霊夢の前には5杯分積まれている。
「里まで出てきて食べる機会がないからね。それに人におごってもらうものは、3倍は美味しいと言うでしょ」
「まぁ。全て私が出すわけじゃないからね……あぁ、例の男は生きていたぞ」
あ、そ、と、霊夢は何気なく言ったが、「死んでいたらあの魔法使いの娘は殺さないとならない」と、物騒なことを、あらかじめ言っていた。毒入りクッキーの件は、娘に聞いたわけでなく、魔理沙に聞いたものだった。礼としてさりげなさを装って渡されていたものを食べたという。なぜ生きているのかを聞いてみたが、あの程度の毒なら慣れてるから効かないのだそうだ。霊夢の知人というだけはあり、あの三角帽子も普通ではない。
外。花の咲く街道。
満足げ(なのだろう。たぶん。明羅のしらない鼻歌を歌っている)に歩く霊夢の横を歩き、明羅はふと桜を見上げていた目を懐にしまった財布にやった。中身をたしかめる。すると、横合いからコツ、と拳骨が飛んだ。
「横で野暮なことしないでよ。せっかくの気分が台無しじゃない」
「それは悪かった」
「せっかく明羅さんとゆっくりできるのに雰囲気壊さないでほしいなぁ」
「あん? 何だって?」
霊夢は言った。
「せっかく2人なんだから、雰囲気壊さないでほしいなぁ、て言ったのよ」
言うと、腕を組み、頬を寄せてくる。明羅が少し高いので肩にちょうど頬があたる。
「ん~♪」
「なにをしている。コラ、やめ……ぬっ」
「私のほうが力が強いからムダよ~」
霊夢は言った。そして言う。
「お礼を言わないとね。私を助けてくれたでしょう?」
「あん?」
「私も明羅さんを2度も助けたから私の貸しだけれど」
「最初の爆弾のときはやっぱりお前か。そうでなければ顔が無くなっていたからな」
明羅は言った。後で考えたことを適当に言っただけだったが、当たりだったらしい。
「貸しなら――」
「でも、2度めのとき、あのまま爆発していたら、明羅さんは私のために死んでくれたでしょう?」
まぁ、そうなっただろう。明羅は言った。
「そうだが、それがどうかしたか」
霊夢は言った。胸によりかかったまま。
「ま、明羅さんなら誰にでもそうするだろうけど、私以外のために死んでほしくないな」
「さっきからなんのつもりだ、ぺたぺたと引っついて」
「そりゃ好きな人には引っつくでしょ?」
「私は女だ」
明羅は言った。霊夢が言う。
「大丈夫。私どっちでもいける派だから」
霊夢は言った。邪気のありそうな顔で笑う。
「ウチ寄ってかない?」
(終)