「ふっふっふ……!」
砂塵吹きすさび、雷鳴がとどろき、大地がうなる、ここ紅魔館(イメージ映像です)。
佇むは一人の仙人。
その瞳が前方の紅の館を見据えている。
「ついに……きた……!」
その右手に握りしめるのは、毒々しくファンシーかつビビッドな色使いのチケット一枚。
そこには、こう書かれている。
「一ヶ月に一度のフェスティバル! 『紅魔館レストランお菓子食べ放題!』。私は、ここに、見事、当選したぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
――説明しよう! 『紅魔館レストランお菓子食べ放題』とは!
毎月一回、定期的に行われる食べ放題イベントである!
多くの人々が参加を希望することから、その参加は抽選にて行われる! その倍率や、なんと一千倍以上!
毎回必ず申し込んでも、一年やそこらでは当選することは不可能と言われるそのイベント!
やってくるは多くの人妖! そして、彼女のような甘い物好きの女の子たちなのであーる!――
「チケットです!」
「はい、確かに。
それではこちらへどうぞー」
門の前にずらりと並ぶ人の列から一列外れ、『食べ放題』イベント専用の列がある。
そこに並んでいた彼女、『ピンク・オブ・スイーツ』こと茨木華扇こと茨歌仙こと華扇ちゃんは、ちょっと尋常じゃない目の色に瞳を輝かせて、自分を案内してくれるメイドさんについていく。
「お部屋、こちらになりまーす」
普段、紅魔館のレストランサービス――ここの主であるちみっちゃい吸血鬼が『我が紅魔館が、ここ、幻想郷で一番なのだということを証明するために何かやりなさい』と言われて始めた、幻想郷住民の遍く皆様に愛されている食堂サービス――会場として使われている大広間を左手に、奥の階段を上り、その先の通路を少し行ったところにある部屋に通されて、華扇は一瞬、息をのむ。
「こっ、これは……!」
そこもそれなりに広い空間。空間にはあちこちに、真っ白なテーブルクロスのかけられたテーブルと、それに一つずつ据え付けられた椅子が並び、その向こうには、まさに――!
「……ここは天国ですね?」
そう、思わずつぶやいて涙してしまうほどのボリュームとバリエーションでもって、紅魔館の自慢の一つである美味しいお菓子がずらりと並んでいる。
「お席、こちらになります。どうぞー」
椅子を引いてもらって腰を下ろし、両手をテーブルの上に出す。
そのまま手を組んで待っていると、メイドが食器を持ってやってくる。食器の上にはクッキーとチョコレート。いわばこれは『前菜』なのだろう。
目で礼をして、待つことしばし。
「皆様、お待たせいたしました」
周囲にいるメイド達とは違う制服のメイドが出てきた。
彼女はおそらく、この場のメイド達の上司なのだろう。手にマイクを持ち、それを使って声を大きくする。
『本日は紅魔館へ、ようこそおいでくださいました。
これより、デザートビュッフェを開催いたします。制限時間は二時間。このお部屋にある、全てのデザートをご賞味頂くことが可能です。
なお、こちらがルールとなります』
その彼女が、手に一枚のボードを取りだして読み上げていく。
華扇はそれを黙って聞きながら、その視線を前方に向けている。
すでにクッキーとチョコレートは眼中にない。いや、もちろん、これも充分味わって頂くつもりであるが、彼女の意識はその先にある。
――いかにして、あの素晴らしいお菓子達を堪能するか。
彼女は、今まさに、それを考えていた。
『それでは、これよりスタートといたします。
どうぞ、皆様、お楽しみくださいませ』
――刹那の間に、クッキーとチョコが華扇の食器から消えた。
まさに神業。刹那の妙技である。
彼女はすぐさま、空っぽになった食器を手に取り、立ち上がる。
そうして、まず向かうのは、言うまでもない。
「紅魔館名物、そして幻想郷でも大変珍しく、麗しいケーキ達!」
幻想郷には、かつて、和菓子しか存在していなかった。
そもそも『洋菓子』というジャンルが存在しなかった。
なぜか。
それは、ここが外の世界――広い『知識』の世界から隔絶された世界だからである。
限られた場所、限られた知識の中で、彼女たちは生活していた。
そこにやってきた『洋菓子』は、まさに鎖国を切り開いた黒船のごとき衝撃であった。
今まで味わったことのない、その濃厚な味に、誰もが驚き、目を見開き、そして嘆息したものだ。
こんな美味しいものが、この世界に、いや、この世にまだあったのか、と。
彼女もそれは同じである。
「私は仙人。俗世の欲から解き放たれ、超越自然のごとく生きる存在――」
彼女は無心でトングを手にした。
その右手が一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……『いやちょっと待て』と誰もがツッコミ入れたくなる数のケーキをお皿にのせていく。
「……あ、あの、お客様。それ、食べきれますか?
一応、えっと、ルールとして、口をつけたものは残さず食べて頂くか、もしくはお持ち帰りを……」
「大丈夫です!」
思わず声をかけてきたメイドに、きらきらおめめで華扇ちゃんは返事をした。
その圧倒的な勢いに、なんだかよくわからない威圧感に気圧されたメイドは『そ、そうですか……』と引きつり笑いを浮かべてすごすごと下がっていく。
――華扇はテーブルへと戻ってくる。
どすっ、とかいうやたら重たい音を立ててケーキ山盛りのお皿をテーブルに置いた。
彼女は大きく息を吸う。
そして――
「いただきます!」
その右手が翻る――。
「……マジで?」
「いや、世の中、甘い物大好きな人って多いけどさぁ……」
「紅魔館にもいるけどさぁ……」
『……マジで?』
その偉容を見つめていたメイド達は口をそろえてつぶやいた。
どういう理屈か、あのピンク頭の女性のお皿の上に山盛りになっていたケーキ達が、もう半分くらい消滅した。
彼女がフォークを持ち、それが一瞬、翻った瞬間に、である。
たった一口で食えるサイズじゃない。というか、そんなことするのってはしたない。
にも拘わらず、だ。
これは夢か幻か、と誰もが疑う光景そのものである。
「……この日のために、一ヶ月、我慢してきてよかった……!」
きめ細かいクリームの味にミルクと砂糖、そしてほのかに香るシナモンの香りを味わい、華扇はつぶやいた。
「お団子も、あんみつも、もなか、おまんじゅう……! 霊夢が珍しく、『華扇、あんたも食べる?』って出してきたおはぎだって……!」
彼女の脳裏に去来するのは、この日のために我慢しまくってきた数多の甘味たち。
「この食べ放題に応募して、まさか当選して……! 私の日々の苦労と努力が報われたと涙した……!」
チョコレートの深い甘み。ココアの匂い。かすかに舌に残るコーヒーの苦み。
「この世に神様はいた! ちゃんと、神様は、頑張っている人が報われるように見ていてくれている!」
彼女は席を立つ。
「……えっ」
「……食べ始めて何分?」
「5分……かな」
「……えっ」
ケーキが、消えた。
お皿の上に山盛りされてたケーキが、消えたのだ。
「そもそも仙人というのは俗世から離れるもの。
深い深山幽谷に潜み、そこで世界の、この世の真理と向き合うもの。
霞を食べて過ごし、およそ超越した存在として生きていくもの。
――だけど、生きている限り、欲を捨て去ることは出来ないわ。それは、私が一番よく知っている」
「……あの、お客様。うちのチョコレートって、割とすぐに溶けて……」
「大丈夫ですっ!」
「……は、はい……」
前菜で出されたクッキーとチョコレートを、改めてじっくり味わうため。
またお皿の上にざらざら山盛り乗っけて、彼女はテーブルに帰還する。
その右手が翻ると、またお菓子が消えていく。
「……一体何が起きているの……?」
「わたし、今、起きてるよね? 寝てないよね? ……ちょっとほっぺたつねってみて」
「むぎゅう」
「痛い。寝てない」
「幻想郷には、まだまだ、人にも妖怪にも計り知れない何かがあるとは知っていたけれど」
「まさかこんな身近にそれがあるとは」
「むぎゅう」
「痛いっての」
「あべし」
そもそも、人間が食べきれる量を、彼女は超えている。
今回のデザートビュッフェ――人里などでは『お菓子食べ放題祭り』と呼ばれているらしいが――に、彼女たちが提供するデザートは、レストランにて普通に提供しているデザートサイズと同じものを提供している。
ビュッフェだからとサイズをちっちゃくするなどというケチなことはしない。
これぞ紅魔館のお菓子、と胸を張ってお客様に出せるものだけを出しているのだ。
故に、ケーキは、普通の人間の女性なら三つも食べれば胸焼け……とまでは言わないが、『満足、満足』というものを提供しているのだ。
なのに、である。
あの人、おなかの中一体どうなってんのよ、と。
誰かがつぶやいた。
「ふっふっふ……!」
「……あの、お客様。おなか壊しますよ……?」
「大丈夫です!!」
「は、はい。どうぞごゆっくり……」
お皿には載せられない、山盛りキングサイズのソフトクリーム。
一応、『ご自由にどうぞ』と置かれているそれではあるが、だからって、どっかの山の中か森の中で岩に突っ立ってる伝説の剣のような持ち方する奴見たことない。
「誰かが言った。食べ物には、全て『食べ時』があると。
ソフトクリームとはすなわち冷や菓子。食べることで体を冷やす、この涼味。味わうならば夏が一番。
だが、しかし――!」
彼女の手に一本のスプーンが握られる。
「あったかい部屋の中、厚着をして、こたつに入って食べるアイスの美味しさ! 一度知ったらやめられないっ!」
「……うわ、すっごい贅沢……」
「まぁ、うちのお嬢様たちも『お風呂上がりにアイス食べたい』ってよく言うし……」
「それで虫歯になって泣いてるのよね」
これまたどういう理屈か、伝説の剣が華扇のおなかの中に消えていく。
もう、あのおなかの中には様々なお菓子が山盛り詰め込まれているはず。
だが、まだ隙間があるというのか。空間が新たに存在しているというのか。もう四次元空間だな、それ。
「ぷりんーぷりんーぷりんー♪」
「……あの、お客様。申し訳ありませんが、そちらはお一人様ではなく複数名様用で……お一人様でしたらこちらが……」
「大丈夫ですっ!!」
「……か、かしこまりました……」
このデザートビュッフェ、稀にご家族様、あるいはお友達同士でやってくることがある。
大抵、申し込みの抽選はランダムで決めるのだが、それを抽選するメイドの手心である。
ああ、これは家族で申し込んだのだな、きっと楽しみにしてるんだろうな――それが見て取れた時は、不正と言われようが『慈悲』をもって当たりを決めるのが紅魔館のメイドなのである。
しかるに、そういったお客様向けにファミリーサイズのお菓子も用意しているのだ。
もちろんファミリーサイズであるが故にお一人様向けのサイズではない。
普通は食べきれない。
「このカラメルソースの濃厚な味わいと、卵の甘さ漂うプリンのしっかりとした、だけどとろける甘さ……! やめられないわぁ……」
それは『普通』という世界を持っているもののみで通じる理論である。
世界は広い。
例え閉ざされた世界に過ぎない幻想郷であっても、まだまだ、誰にも知られていない世界は存在するのである。
「……ねぇ、ちょっと。これ足りる?」
「足りないかも……」
ふと気がつけば、スタートから30分も経過していないのに、テーブルに用意していたお菓子の大半が消えていた。
他の客も思い思いに自分の皿に載せたお菓子を楽しんでいるのに、である。
これは、このイベントをスタートして初めての『途中で追加しないとお料理足りない事態』が発生するかもしれない――。
「……ふぅ」
二時間の時を過ごし。華扇は紅魔館を後にした。
彼女の背中を見る門番は『……何か妙に甘い匂いがする』とつぶやいた。
「……満足したわ。
また応募はするけれど……次に当選するのはいつになることか。
もしかしたら、私が生きている間は、二度と当選することはないかもしれない」
しかし、それならそれで仕方ない。
運というのは全てに平等。
ある時に全てを使い果たしてしまうと、またそれが巡ってくるのがいつになるかは誰にもわからない。もしかしたら、二度と運が訪れないこともありうる。
しかし、それもまた、人生というものだ。
「これだけ美味しいものを味わったのだもの。
他の色んな人にも同じ思いを、楽しさを感じてもらわないと」
それを自分が独り占めしてしまうと言うのはあまりにももったいなく、そして悲しいものだ。
もっともっと大勢の人たちに、『美味しいもの』の味を知ってもらいたい――それを願うのは、彼女が『人間のため』を思って生きる仙人であるからだ。
彼女はただ、自分が知った幸せを、多くの人々にもまた知って欲しいだけなのである。
「さあ、のんびり、歩いて帰りましょう。
この幸せを少しでも長く、余韻として味わっておきたいわ」
うふふ、と笑う彼女の口元は柔らかかった。
本当の幸せを知っているものにしか出来ない、その笑みを浮かべて、彼女は紅魔館を去って行ったのだ。
「……え? 今日はデザート、もうないんですか?」
「申し訳ありません、お客様。
その……こちらの、色々と手違いで……」
「残念。
けど、珍しいですね。そんなことがあるなんて」
「ちぇー。せっかく、アリスがおごってくれるって話だったから来たのに」
「まあまあ、魔理沙さん。たまにはこういうこともありますよ」
「おまんじゅうとかもないの?」
「ええ、その……」
「……ふぅん。
けれど、ないものは仕方ないわね。
わかりました。じゃあ、お茶と……そうですね、せっかくだからちょっと早い晩ご飯にしていく?」
『さんせーい』
「大変申し訳ありませんでした」
その日の午後4時を少し過ぎた頃。
少し遅めのお茶会を開くために紅魔館を訪れたとある四人の人物が、メニューに書かれた『本日、デザートメニューは終了しました』という文字を見て不思議に思い、メイドを一人捕まえて話を聞いたのは、また別の話である。
砂塵吹きすさび、雷鳴がとどろき、大地がうなる、ここ紅魔館(イメージ映像です)。
佇むは一人の仙人。
その瞳が前方の紅の館を見据えている。
「ついに……きた……!」
その右手に握りしめるのは、毒々しくファンシーかつビビッドな色使いのチケット一枚。
そこには、こう書かれている。
「一ヶ月に一度のフェスティバル! 『紅魔館レストランお菓子食べ放題!』。私は、ここに、見事、当選したぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
――説明しよう! 『紅魔館レストランお菓子食べ放題』とは!
毎月一回、定期的に行われる食べ放題イベントである!
多くの人々が参加を希望することから、その参加は抽選にて行われる! その倍率や、なんと一千倍以上!
毎回必ず申し込んでも、一年やそこらでは当選することは不可能と言われるそのイベント!
やってくるは多くの人妖! そして、彼女のような甘い物好きの女の子たちなのであーる!――
「チケットです!」
「はい、確かに。
それではこちらへどうぞー」
門の前にずらりと並ぶ人の列から一列外れ、『食べ放題』イベント専用の列がある。
そこに並んでいた彼女、『ピンク・オブ・スイーツ』こと茨木華扇こと茨歌仙こと華扇ちゃんは、ちょっと尋常じゃない目の色に瞳を輝かせて、自分を案内してくれるメイドさんについていく。
「お部屋、こちらになりまーす」
普段、紅魔館のレストランサービス――ここの主であるちみっちゃい吸血鬼が『我が紅魔館が、ここ、幻想郷で一番なのだということを証明するために何かやりなさい』と言われて始めた、幻想郷住民の遍く皆様に愛されている食堂サービス――会場として使われている大広間を左手に、奥の階段を上り、その先の通路を少し行ったところにある部屋に通されて、華扇は一瞬、息をのむ。
「こっ、これは……!」
そこもそれなりに広い空間。空間にはあちこちに、真っ白なテーブルクロスのかけられたテーブルと、それに一つずつ据え付けられた椅子が並び、その向こうには、まさに――!
「……ここは天国ですね?」
そう、思わずつぶやいて涙してしまうほどのボリュームとバリエーションでもって、紅魔館の自慢の一つである美味しいお菓子がずらりと並んでいる。
「お席、こちらになります。どうぞー」
椅子を引いてもらって腰を下ろし、両手をテーブルの上に出す。
そのまま手を組んで待っていると、メイドが食器を持ってやってくる。食器の上にはクッキーとチョコレート。いわばこれは『前菜』なのだろう。
目で礼をして、待つことしばし。
「皆様、お待たせいたしました」
周囲にいるメイド達とは違う制服のメイドが出てきた。
彼女はおそらく、この場のメイド達の上司なのだろう。手にマイクを持ち、それを使って声を大きくする。
『本日は紅魔館へ、ようこそおいでくださいました。
これより、デザートビュッフェを開催いたします。制限時間は二時間。このお部屋にある、全てのデザートをご賞味頂くことが可能です。
なお、こちらがルールとなります』
その彼女が、手に一枚のボードを取りだして読み上げていく。
華扇はそれを黙って聞きながら、その視線を前方に向けている。
すでにクッキーとチョコレートは眼中にない。いや、もちろん、これも充分味わって頂くつもりであるが、彼女の意識はその先にある。
――いかにして、あの素晴らしいお菓子達を堪能するか。
彼女は、今まさに、それを考えていた。
『それでは、これよりスタートといたします。
どうぞ、皆様、お楽しみくださいませ』
――刹那の間に、クッキーとチョコが華扇の食器から消えた。
まさに神業。刹那の妙技である。
彼女はすぐさま、空っぽになった食器を手に取り、立ち上がる。
そうして、まず向かうのは、言うまでもない。
「紅魔館名物、そして幻想郷でも大変珍しく、麗しいケーキ達!」
幻想郷には、かつて、和菓子しか存在していなかった。
そもそも『洋菓子』というジャンルが存在しなかった。
なぜか。
それは、ここが外の世界――広い『知識』の世界から隔絶された世界だからである。
限られた場所、限られた知識の中で、彼女たちは生活していた。
そこにやってきた『洋菓子』は、まさに鎖国を切り開いた黒船のごとき衝撃であった。
今まで味わったことのない、その濃厚な味に、誰もが驚き、目を見開き、そして嘆息したものだ。
こんな美味しいものが、この世界に、いや、この世にまだあったのか、と。
彼女もそれは同じである。
「私は仙人。俗世の欲から解き放たれ、超越自然のごとく生きる存在――」
彼女は無心でトングを手にした。
その右手が一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……『いやちょっと待て』と誰もがツッコミ入れたくなる数のケーキをお皿にのせていく。
「……あ、あの、お客様。それ、食べきれますか?
一応、えっと、ルールとして、口をつけたものは残さず食べて頂くか、もしくはお持ち帰りを……」
「大丈夫です!」
思わず声をかけてきたメイドに、きらきらおめめで華扇ちゃんは返事をした。
その圧倒的な勢いに、なんだかよくわからない威圧感に気圧されたメイドは『そ、そうですか……』と引きつり笑いを浮かべてすごすごと下がっていく。
――華扇はテーブルへと戻ってくる。
どすっ、とかいうやたら重たい音を立ててケーキ山盛りのお皿をテーブルに置いた。
彼女は大きく息を吸う。
そして――
「いただきます!」
その右手が翻る――。
「……マジで?」
「いや、世の中、甘い物大好きな人って多いけどさぁ……」
「紅魔館にもいるけどさぁ……」
『……マジで?』
その偉容を見つめていたメイド達は口をそろえてつぶやいた。
どういう理屈か、あのピンク頭の女性のお皿の上に山盛りになっていたケーキ達が、もう半分くらい消滅した。
彼女がフォークを持ち、それが一瞬、翻った瞬間に、である。
たった一口で食えるサイズじゃない。というか、そんなことするのってはしたない。
にも拘わらず、だ。
これは夢か幻か、と誰もが疑う光景そのものである。
「……この日のために、一ヶ月、我慢してきてよかった……!」
きめ細かいクリームの味にミルクと砂糖、そしてほのかに香るシナモンの香りを味わい、華扇はつぶやいた。
「お団子も、あんみつも、もなか、おまんじゅう……! 霊夢が珍しく、『華扇、あんたも食べる?』って出してきたおはぎだって……!」
彼女の脳裏に去来するのは、この日のために我慢しまくってきた数多の甘味たち。
「この食べ放題に応募して、まさか当選して……! 私の日々の苦労と努力が報われたと涙した……!」
チョコレートの深い甘み。ココアの匂い。かすかに舌に残るコーヒーの苦み。
「この世に神様はいた! ちゃんと、神様は、頑張っている人が報われるように見ていてくれている!」
彼女は席を立つ。
「……えっ」
「……食べ始めて何分?」
「5分……かな」
「……えっ」
ケーキが、消えた。
お皿の上に山盛りされてたケーキが、消えたのだ。
「そもそも仙人というのは俗世から離れるもの。
深い深山幽谷に潜み、そこで世界の、この世の真理と向き合うもの。
霞を食べて過ごし、およそ超越した存在として生きていくもの。
――だけど、生きている限り、欲を捨て去ることは出来ないわ。それは、私が一番よく知っている」
「……あの、お客様。うちのチョコレートって、割とすぐに溶けて……」
「大丈夫ですっ!」
「……は、はい……」
前菜で出されたクッキーとチョコレートを、改めてじっくり味わうため。
またお皿の上にざらざら山盛り乗っけて、彼女はテーブルに帰還する。
その右手が翻ると、またお菓子が消えていく。
「……一体何が起きているの……?」
「わたし、今、起きてるよね? 寝てないよね? ……ちょっとほっぺたつねってみて」
「むぎゅう」
「痛い。寝てない」
「幻想郷には、まだまだ、人にも妖怪にも計り知れない何かがあるとは知っていたけれど」
「まさかこんな身近にそれがあるとは」
「むぎゅう」
「痛いっての」
「あべし」
そもそも、人間が食べきれる量を、彼女は超えている。
今回のデザートビュッフェ――人里などでは『お菓子食べ放題祭り』と呼ばれているらしいが――に、彼女たちが提供するデザートは、レストランにて普通に提供しているデザートサイズと同じものを提供している。
ビュッフェだからとサイズをちっちゃくするなどというケチなことはしない。
これぞ紅魔館のお菓子、と胸を張ってお客様に出せるものだけを出しているのだ。
故に、ケーキは、普通の人間の女性なら三つも食べれば胸焼け……とまでは言わないが、『満足、満足』というものを提供しているのだ。
なのに、である。
あの人、おなかの中一体どうなってんのよ、と。
誰かがつぶやいた。
「ふっふっふ……!」
「……あの、お客様。おなか壊しますよ……?」
「大丈夫です!!」
「は、はい。どうぞごゆっくり……」
お皿には載せられない、山盛りキングサイズのソフトクリーム。
一応、『ご自由にどうぞ』と置かれているそれではあるが、だからって、どっかの山の中か森の中で岩に突っ立ってる伝説の剣のような持ち方する奴見たことない。
「誰かが言った。食べ物には、全て『食べ時』があると。
ソフトクリームとはすなわち冷や菓子。食べることで体を冷やす、この涼味。味わうならば夏が一番。
だが、しかし――!」
彼女の手に一本のスプーンが握られる。
「あったかい部屋の中、厚着をして、こたつに入って食べるアイスの美味しさ! 一度知ったらやめられないっ!」
「……うわ、すっごい贅沢……」
「まぁ、うちのお嬢様たちも『お風呂上がりにアイス食べたい』ってよく言うし……」
「それで虫歯になって泣いてるのよね」
これまたどういう理屈か、伝説の剣が華扇のおなかの中に消えていく。
もう、あのおなかの中には様々なお菓子が山盛り詰め込まれているはず。
だが、まだ隙間があるというのか。空間が新たに存在しているというのか。もう四次元空間だな、それ。
「ぷりんーぷりんーぷりんー♪」
「……あの、お客様。申し訳ありませんが、そちらはお一人様ではなく複数名様用で……お一人様でしたらこちらが……」
「大丈夫ですっ!!」
「……か、かしこまりました……」
このデザートビュッフェ、稀にご家族様、あるいはお友達同士でやってくることがある。
大抵、申し込みの抽選はランダムで決めるのだが、それを抽選するメイドの手心である。
ああ、これは家族で申し込んだのだな、きっと楽しみにしてるんだろうな――それが見て取れた時は、不正と言われようが『慈悲』をもって当たりを決めるのが紅魔館のメイドなのである。
しかるに、そういったお客様向けにファミリーサイズのお菓子も用意しているのだ。
もちろんファミリーサイズであるが故にお一人様向けのサイズではない。
普通は食べきれない。
「このカラメルソースの濃厚な味わいと、卵の甘さ漂うプリンのしっかりとした、だけどとろける甘さ……! やめられないわぁ……」
それは『普通』という世界を持っているもののみで通じる理論である。
世界は広い。
例え閉ざされた世界に過ぎない幻想郷であっても、まだまだ、誰にも知られていない世界は存在するのである。
「……ねぇ、ちょっと。これ足りる?」
「足りないかも……」
ふと気がつけば、スタートから30分も経過していないのに、テーブルに用意していたお菓子の大半が消えていた。
他の客も思い思いに自分の皿に載せたお菓子を楽しんでいるのに、である。
これは、このイベントをスタートして初めての『途中で追加しないとお料理足りない事態』が発生するかもしれない――。
「……ふぅ」
二時間の時を過ごし。華扇は紅魔館を後にした。
彼女の背中を見る門番は『……何か妙に甘い匂いがする』とつぶやいた。
「……満足したわ。
また応募はするけれど……次に当選するのはいつになることか。
もしかしたら、私が生きている間は、二度と当選することはないかもしれない」
しかし、それならそれで仕方ない。
運というのは全てに平等。
ある時に全てを使い果たしてしまうと、またそれが巡ってくるのがいつになるかは誰にもわからない。もしかしたら、二度と運が訪れないこともありうる。
しかし、それもまた、人生というものだ。
「これだけ美味しいものを味わったのだもの。
他の色んな人にも同じ思いを、楽しさを感じてもらわないと」
それを自分が独り占めしてしまうと言うのはあまりにももったいなく、そして悲しいものだ。
もっともっと大勢の人たちに、『美味しいもの』の味を知ってもらいたい――それを願うのは、彼女が『人間のため』を思って生きる仙人であるからだ。
彼女はただ、自分が知った幸せを、多くの人々にもまた知って欲しいだけなのである。
「さあ、のんびり、歩いて帰りましょう。
この幸せを少しでも長く、余韻として味わっておきたいわ」
うふふ、と笑う彼女の口元は柔らかかった。
本当の幸せを知っているものにしか出来ない、その笑みを浮かべて、彼女は紅魔館を去って行ったのだ。
「……え? 今日はデザート、もうないんですか?」
「申し訳ありません、お客様。
その……こちらの、色々と手違いで……」
「残念。
けど、珍しいですね。そんなことがあるなんて」
「ちぇー。せっかく、アリスがおごってくれるって話だったから来たのに」
「まあまあ、魔理沙さん。たまにはこういうこともありますよ」
「おまんじゅうとかもないの?」
「ええ、その……」
「……ふぅん。
けれど、ないものは仕方ないわね。
わかりました。じゃあ、お茶と……そうですね、せっかくだからちょっと早い晩ご飯にしていく?」
『さんせーい』
「大変申し訳ありませんでした」
その日の午後4時を少し過ぎた頃。
少し遅めのお茶会を開くために紅魔館を訪れたとある四人の人物が、メニューに書かれた『本日、デザートメニューは終了しました』という文字を見て不思議に思い、メイドを一人捕まえて話を聞いたのは、また別の話である。
最後のやり取りも楽しかったです