一回戦から数えてこれまで二十三試合を行ってきた地底妖怪武道会だが、観客達の盛り上がりは衰えることなく、徐々に増し続けている。そして上位八名を決める二回戦最終試合が始まる闘技場手前の東側通路で立っている東風谷早苗は向こう側の通路を見て喉を鳴らしていた。
「なんで早苗が緊張してるんだい」
「向こうの……妹紅さんの雰囲気が凄くて……」
「どれどれ……」
視線を向かい側の通路に移すと、その先にいる妹紅の表情からは殺意が滲み出ているのが、闘技場を挟んだ距離からでも感じられた。
「まるで……決勝に挑む主人公みたいです」
「まだ二回戦だけどね。とはいえ……主人公か」
何かおかしな事を言ってしまったかと早苗が自分の言葉を思い返す中、神奈子は言葉を続ける。
「いやいや、そんな大した事じゃないさ。まぁ、参加者である私達三十二人が主人公だとほとんどの人が言うだろうな。だからせっかくのヒロイン役なんだ。目の前にいる一人の主人公を応援してほしいね」
これから試合をするとは思えない陽気さを見せる神奈子だったが、その心中は言葉とは裏腹だった。
――いるとするならば……この戦いが行われる事、そして観る事を最も望む者。そして私達は、そいつの手の平で踊る駒みたいなものなのかもしれない。
思わず早苗が覗き込んだ神奈子の表情は微笑みを浮かべていた。
「神奈子様?」
「私達が主人公だろうとそうでなかろうと関係ないさ。ただ見てる者達を楽しませる、それでいいんだ」
その言葉に早苗が同調するように頷く中、通路の奥から人影が現れる。
「お前か」
一回戦十六試合を戦うにあたって神奈子に助言を与えられた氷精のチルノだった。
「迂闊だった……あたいが迷うなんて」
チルノはそう言うが、会場内はさほど複雑な造りではない。
「どうしたんだい? もうすぐ試合なのにわざわざ」
小さな体躯のチルノを相手に神奈子は屈む。そんな神奈子の胸元に向け、チルノは拳を突き出した。
「頑張れ!」
そこまで親密な関係ではないにも関わらず、わざわざ試合開始寸前に伝えられたチルノの純粋な一言に、神奈子は今以上に顔を綻ばせる。
「もちろんだよ」
神奈子も右手を突出し、チルノと拳を合わせる。と同時に選手入場を促す言葉が廊下に響き、神奈子は早苗達に背を向ける。
「が……頑張ってください!」
出遅れたように早苗も激励の言葉を送り、神奈子は頭の高さまで上げた握り拳を見せ、返事の意を示した。
対して、対戦相手である藤原妹紅も闘技場へ足を踏み出そうとする。
「妹紅」
それを止めたのは友人である慧音だった。
「もう迷う必要はないだろう?」
妹紅はその言葉に頷き闘技場へと歩みを進めた。
二回戦最終試合の選手両名が姿を現し、客席も沸いていた。一回戦では、圧倒的な耐久性と力で、薬によって同じく規格外な耐久性を持っていた月の兎を戦闘不能にした神奈子。不死という能力を最大限に生かし、自分とは対をなす氷精チルノと激闘を繰り広げた妹紅。二回戦を締め括る組み合わせに観客達は何も不満はない。
一回戦の時と同様、闘技場の中央付近に立つ神奈子は大きく四股を踏む。地を震わせるかの如き四股踏みを前にする妹紅だったが、気になったのはその後ろにある一本の柱だった。大きな体躯の神奈子は、その体躯よりも更に一回り大きい御柱を一本、自分の試合開始位置の近くに刺していた。
「武器……か? 光栄だな。私は兎より手強いと思ってくれて」
「私は人間が大好きだからな」
突然の言葉に困惑するが、今言った『人間』とは自分も含まれているのだろうと妹紅は理解する。
「人間が神と戦うんだ。いざとなったら、あれを使っても構わないよ」
常人では振り回すどころか持ち上げる事さえ出来ないであろう御柱を武器にしてもいい、と神奈子は言う。
「上等だ。面白いよあんた」
妹紅は神奈子の言葉を挑発と受けとる。閻魔の言葉を待たず彼女は試合開始の位置へと下がる。神奈子と映姫もそれを見て、それぞれの位置に立った。
「二回戦第八試合、始め!」
閻魔はあくまで審判として、準備ができたと判断しすぐに試合開始を宣言した。同時に妹紅が余計な間を空けさせまいと跳ぶ。防御を考えない姿勢だが何も問題はない。彼女は不死なのだから。攻撃に全神経を集中させ放たれた飛び回し蹴りは、神奈子の首に直撃した。しかし、一回戦の時同様、相手の攻撃をもろに受けたにも関わらず微動だにしていない神奈子に、妹紅のみならず観客のほとんどが驚愕する。妹紅の脳裏には彼女の背後にある『柱』という言葉が思い浮かんだ。
「いい蹴りだ。気を緩めてたらへし折られてたかもね。さぁ、今度はこっちの番だよ」
神奈子の放つ気迫に思わず妹紅は後ろへ跳ぼうとする。腹を貫かれても骨を砕かれても平気でいられる力を持つ彼女が神奈子から感じたのは、殺気がないにも関わらず自分を倒そうというものだった。そして、神奈子が振り上げてた左手の平は、蛇のように、鞭のように腕をしならせ妹紅の頬に叩き付けられた。
「……づっ!」
間合いを離す最中、耐えられなくなったように妹紅は地面を転がり苦悶の表情を浮かべる。
「効くだろう。あんた達不死者の力は聞いてるさ。それでいて一回戦であんたと輝夜姫の戦いを見たけど、反則だよねぇ。だから私なりに考えた。殺せないなら、殺さず痛みだけ与えればいいと」
まるで聞き分けのない子供を叱るように神奈子は開いた左手をその場で振る。しかし、それによる風切り音はまるで細い鈍器によるものと思わせるような音だった。そんな一撃を頬に受けた妹紅の右頬は赤黒く染まっていた。
「いってぇ……親にだってこんな勢いで叩かれたことはないよ」
「……喋れるのかい? 大した根性だね」
神奈子が驚きを見せる中、体勢を立て直した妹紅はすぐに再び跳ぶ。
「こんなもん……耐えてやるさ!」
これでもかというほど表情に殺気を滲ませる妹紅に対し神奈子は笑みを零していた。
――この世界にいるだけあるね。根性論は好きだよ。でも、意味はない。
破壊ではなく痛みを与える事に特化した神奈子の技は妹紅の脇腹へ炸裂する。身体の内側ではなく外側への衝撃が激痛となって妹紅を襲う、はずだった。しかし、妹紅は一切怯まない。そのまま、近距離から放たれた妹紅の膝は神奈子の顎を捉えた。会心の一撃を与えたと妹紅は思い、しかしそれが大きな隙を生む。神奈子は単純に拳を握っただけの左拳を何の工夫もなく妹紅のこめかみへとぶつける。視界を揺らされつつも妹紅は後ろに跳んで間合いを離す。
「なるほどな……読めたよ、あんたの意図」
よろけつつも妹紅は得意げに微笑む。
「激痛や脳震盪……それで私を気絶させるつもりだな」
妹紅と同じ不死の肉体である蓬莱山輝夜は一回戦で頭に穴を空けられても戦闘不能とは判断されない回復力と不死身性を見せた。妹紅もそれと同等の能力を有している。しかし、今大会では、あくまで過半数の審判に『戦闘不能』と判断されればその時点で決着となるのだ。
神奈子は誤魔化すこともなく「ほう、もう辿りついたか。よくあの攻撃だけで分かったね」と答えた。
「お前の攻撃は全然殺気がない。昔、私を化物扱いして襲ってきた人間は私の回復力が追い付かない程の勢いで私を殺そうとしたことがあった。あんたはその逆だ」
「殺気がないのは当然さ。私は人間が大好きなんだ。殺す気なんてさらさらない」
「私を人間扱いしてくれるのは嬉しいけど――」
妹紅は右手に炎を宿す。その手でとった行動は神奈子への攻撃ではなかった。炎に包まれた右手を彼女は、先ほど神奈子の攻撃を受けたこめかみ部分へと突き刺した。その謎の行動に攻撃を受けたわけでもない神奈子が怯んでしまう。炎は妹紅の皮膚を焼き、力のまま頭蓋骨の側頭部を空け、脳へと沈み込む。異臭と煙を放つ頭から数秒程で指を引き抜いた妹紅は数度瞬きして微笑む。
「治まったよ。もう少しで酔うところだった」
攻撃によって被った脳の揺れを元に戻すため、妹紅は時間による解消を待たず自ら脳を傷つけ能力による回復を利用したのだと神奈子は理解する。
「ごらんの通り、私は……ただの化物だよ!」
依然右手から消えていない炎を左手にも灯らせ、再び一直線に向かう妹紅は変わらず一切防御の気配を見せない。そもそも防御の必要はない。そんな妹紅の攻撃をかわした神奈子は頭突きを食らわせる。ほんの刹那意識を失いつつも妹紅はもう片方の手で抜き手を放つがそれも回避されてしまう。
「しつこく……頭への攻撃か」
「……私の頭突きを受けて普通に立てるのかい、丈夫だねぇ。いや、だからといって腑に落ちないね。あんたの頭を揺らした拳骨はともかく、その前に放った私の張り手。相当の激痛だったはずだよ?」
「ふん。あんな技、既に慣れたさ」
「慣れてる……だって?」
「生憎私には一人喧嘩相手がいるんだ。嫌がらせのように今まで色んな傷と痛みを受けてきた。あの技の痛みは既に知ってるんだよ。そして、喰らうと分かってるならその分の覚悟を決めておけばいい。とはいえ側頭部の攻撃は効いたけどね」
「なるほど、頭突きのダメージも、そいつとの喧嘩で慣れっこってわけかい」
「いや、それは……」
妹紅は横目で自分側の選手入場通路にいる慧音を見る。肉弾戦による派手な攻防を繰り広げたことで客席が沸き立っているため慧音には妹紅達の会話は聞こえていなかった。
「別の奴だ」
「ふぅん。さぁて、ほんとはさっきの攻撃で頭を揺らしたからゆっくりと仕留めようかと思ったけど、また振り出しか。ところであんた……こういうのは知ってるかい?」
神奈子の見せるその構えは幻想郷の者達には異質に見えた。顎の近くに握った両拳を上げ、足取りは一定の間隔を刻みだす。
「なんだ……その構え?」
「ボクシング。……と言っても分かんないよねぇ。えぇと……顎を打たれるのが最も脳を揺らされるのは知ってるだろう?」
「え……?」
「知らないのか。それはあんたの勉強不足だよ」
妹紅が困惑する中、知識量の多い慧音は神奈子の構えに心当たりがあった。
「下がれ妹紅!」
慧音の言葉と共に神奈子は動く。大股で数歩歩く必要がある程度に間合いは離れていた。にも関わらず神奈子はまるで聖白蓮を想起させるような跳びで一気に距離を詰め、左拳を繰り出す。速さに重きを置いたそれに妹紅は反応できない。しかし拳は顎をわずかにかすめる程度で、神奈子も追撃しようとはせず下がって間合いを開けた。しかし、妹紅は突如、糸の切れた人形のように頭から前のめりに倒れた。
「文字通り、神の左ジャブ……効いたでしょう。というか見えてたかしら?」
さとりは神奈子が勝利者であることを示す方の手を上げる。それを横目に紫、映姫も手を上げようとした。しかし、突如さとりは困惑しつつその手を下ろした。その光景に神奈子が驚いた瞬間、いつの間にか起きていた妹紅の繰り出した上段蹴りが顎に直撃した。その奇襲に、初めこそ柱のような耐久力を見せていた神奈子は右膝をつく。好機とばかりに右手を炎に包み追撃した妹紅だったが、右膝を着く身体を更に低く構え、攻撃を外した妹紅の腰を神奈子は掴む。
「なんのこれしきぃぃぃ!」
もの凄い勢いで後方に投げられた妹紅は地面と平行に飛ぶ。しかし空を飛べる妹紅は空中で体勢を整え側面の結界に着地する。その目に映ったのは未だ膝を突く神奈子の姿だった。今繰り出された投げは、あくまで間合いを広げるためのものだと理解する。
「やるじゃないかい。流石に効いたよ」
苦笑いする神奈子に向かい、地に足を着けた妹紅は歩みを進める。
「しかし……私の考えが外れてたのかね……。脳を揺らせば、不死が発動せず倒せるかと思ったけど――」
神奈子の言葉は止まる。彼女が前にする妹紅の口からは血が零れ、溢れ出している。
「まさか……あんた」
妹紅はほくそ笑み、血にまみれた何かを吐き出す。そして神奈子の疑問を解消させるかのように口を開ける。その口内に妹紅の舌先はなかった。そう神奈子が悟った瞬間に、それは目の前で徐々に再生していった。
「咄嗟に歯の間に挟んでおいて正解だったよ。確かに一瞬気を失ったけど、地面にぶつかった瞬間、いい気付けになった。さて……これでも私が人間だと言ってくれるかい? いや……どちらかといえば、お前の方が人間に近いんじゃないかい?」
神奈子は妹紅の言葉に反応する。
「慧音が言ってた。『神が人を創った、という説と共に、人がいるから神が生まれた、という説もある』って。人の想像で生まれた神なら、その創りもきっと人と同じ。あんた私に言ったよな。顎に攻撃すれば一番頭が揺れる、って。あんたが膝を着いてるのが、その証拠だよ。そういえばもう一人の神も、吸血鬼の子分の攻撃で咳き込んでたしな」
妹紅の言葉に対し、神奈子は堪えきれなくなったように笑いながら立ち上がる。そして、立ち上がりきった神奈子の表情は、妹紅の求める険しいものへとなる。
「おや、神を怒らせちまった。罰が当たるかな?」
そのまま両者は構える。神奈子は体と両手指を開き投げを狙うものに。妹紅は四肢に炎を灯し、体勢は低いものの腕は下がり、防御を考えないものに。
「いいのかい。そんな殺気がなくて化物の私をどうやって倒すっていうんだ」
「逆に、あんたは凄い殺気だね。細かく言わせてもらうなら、それは私に向けられたものじゃないのは、私の勘違いかな?」
神奈子の問いに妹紅は答えられなかった。
「まったく……どいつもこいつも楽しむという気持ちが小さいねぇ。ま、今の私が言えたことじゃあないけどね」
「……何かするつもりか?」
「あぁ、必殺技さ」
「へぇ、楽しみだ。不死を必ず殺せる技があるのか」
神奈子と共に妹紅はゆっくりと歩みを進める。より不死の能力を理解した神奈子には、それ以上のものを見せない限りもう奇襲は通用しないだろう。構えこそ攻撃に集中しているが妹紅は決して侮ってなどいない。神奈子は一回戦で、薬を使用して耐久性を上げた月の兎を投げ技で仕留めたのだから。
少しずつ両者の距離は詰まっていく。妹紅に比べれば、神奈子の歩幅はほんの少しずつといったものである。その差が出たのか妹紅が先に跳ぶ。互い、後退することを禁じているかの如く、下がらない神奈子の腹部に妹紅の前蹴りは直撃する。しかし神奈子は怯まない。多少の攻撃など構わないといった様子で妹紅を掴みにかかる。しかし、怯まないのは妹紅も同じだった。
「勉強不足は……お前だよ!」
妹紅は炎に包まれた右手の手刀を振る。大会規則の脱落手段のひとつには『頭部の破壊、および首の切断』とある。一回戦で輝夜が頭を貫かれた際は不死による回復力により審判達に『頭部の破壊』とは判断されなかった。しかし言葉だけで考えるなら『首の切断』は線引きがはっきりしていて、なおかつ瞬時に判定が下されるだろう。たとえ神の持つ不可思議な力で切断された首があっという間にくっついたとしても、切断された瞬間に脱落となるはずである。妹紅がそう考えて放った渾身の手刀は、しかし神奈子に大きくしゃがんでかわされた。そしてそのまま、神奈子は妹紅の腰に両手を回す。
「ひっかかった……」
「あぁ、なんとなく構えで頭を狙ってることは分かってたさ。でも私はそれこそ絶対逃がさない隙だと――」
「そうじゃない」
神奈子の言葉を否定した妹紅は腰に回された神奈子の腕を上から掴んだ。
「投げるってことは当然、私と密着するってことだ。だからこの技を使うことを気づかれるわけにはいかない。だから大振りで攻撃した。……燃え尽きろ――」
妹紅は肉体を炎で包む。四肢ではなく全身を……自身だけではなく、密着する神奈子ごと。
「蓬莱『凱風快晴 ‐フジヤマヴォルケイノ‐』!」
神奈子の腕を掴む妹紅の両手に大きな力が集まり、自身を中心に爆発を起こし、光と炎が闘技場を包む。
「神奈子様……!」
神奈子を信仰する早苗が通路と闘技場を隔てる結界に顔を近付け、いち早く安否を確認しようとする。そして炎が比較的収まった時、彼女の目は絶望に染まらなかった。
「ば……馬鹿かよ」
毒づく妹紅の表情は、自分が扱う炎とは裏腹に青ざめていた。
「普通……離れるだろ」
攻撃を受けた神奈子は妹紅の技を受けて尚、いつの間にか背後をとっていた。焼け爛れた両腕を妹紅の首に回して。左腕で首を絞め、右腕を左腕と妹紅の後頭部に回し、放れないよう固定して。
「これが私の答だよ。私は人間が大好きだ。お前が不死であろうとなかろうと、人体を傷つけずに仕留める方法がこれだ」
「うあ……あぁぁぁぁぁぁっ!」
突如、妹紅は狼狽し、あがく。
かつて不死の肉体となった彼女は死を求め様々な死に方を試した。その内の一つが首吊りだった。首を吊り意識を失うことはできるが、気が付くとその肉体は地べたに寝転がり縄から首は抜けていた。首を絞める方法で妹紅が永遠に死ぬことはない。しかし、死ぬまでの数分間、意識を失うだけの時間は確かに存在したのは覚えている。
そして今、人の手によって絞められた際も例外ではないと妹紅は察知する。急激に視界は白く靄がかかり、久しく忘れていた特有の耳鳴りが響く。先程とは違いどんなに気付けの手段をとっても、この拘束から逃れない限りこのままでは意識を失い確実に敗北を宣告されるだろう。逃れようと神奈子の腕を掴んで振りほどこうとすることに気を向けすぎたせいで、簡単に膝も崩され尻餅を着くような体勢となった妹紅の身体に神奈子の足が蛇のように絡み妹紅の自由を更に奪っていく。
「タップする気がないなら、悪いけどこのまま落とさせてもらうよ」
神奈子の締める力は強くなっていく。気道ではなく頸動脈を圧迫され、気を抜けば瞬きする間もなく気を失う。そうなる前に妹紅は抵抗する。
「フジヤマ……ヴォルケイノ……」
かすれた声で放たれた言葉。必死に振りほどこうとしていた神奈子の両腕をその瞬間妹紅は逆に、自らに近づけるように掴む。そして、再び彼女は神奈子もろとも炎に包まれる。
今、妹紅はこの技の性質を変えていて、先程は、自分の肉体は吹き飛ばないよう身体を炎に近いものにしていた。故に両腕が焼け爛れた神奈子と違い自分に一切火傷はない。しかし今回は、それをしなかった。故に、神である神奈子と比べて貧弱な身体の妹紅の肉体はあっという間に蒸発してしまう。しかし不死の能力を持つ妹紅はすぐに復活する。神奈子の手から逃れた場所で。
そうなるはずだった。
「!?」
しかし、再び爆発が収まった際に観客達の目に映った光景は、依然神奈子に首を決められ続けている妹紅の姿だった。
「な……んで……」
声を絞り出す中で妹紅は気付く。自分が掴んでいる神奈子の腕が淡く光っていることに。そして、自分自身の身体も同じ光に包まれていることに。
「あんたを倒すために……私が護った。神の加護にあやかれるなんて、光栄なことだよ?」
後ろから聞こえた神奈子の言葉に妹紅の力は抜ける。未だ意識はあるが、自分の技を敵に護られる形で無効化されたことが動揺となって身体に表れる。万策尽き、妹紅が放った最後の言葉は――
「か……ぐ……や……」
自らを鼓舞しようとしたのか、それとも謝罪か。その言葉の続きを言い終えることはできず、彼女の両腕は垂れ下がり地面に落ちた。瞬間、満場一致で審判三人全員の手が上がる。
「そこまで! 勝負あり!」
閻魔の宣言とは裏腹に観客席は静まり返る。この二回戦も、人外らしい派手な技が飛び交い、スペルカードルール程ではないにせよ美しい攻防が交わされた。しかしこの二回戦を締めくくる第八試合、紅美鈴のいた第一試合や白蓮のいた第七試合以上に徒手空拳を主としていたが、最後は絞め落としというまるで人間同士の戦いという印象に観客達は違和感を拭えない。のは少数だったようで、神奈子と妹紅の健闘を称えるように、初めこそ小さかった歓声は徐々に大きくなる形で会場中を包んでいった。
「神奈子様!」
結界が解けると同時に走って来た早苗は神奈子の焼け爛れた両腕を見て、すぐに手をかざす。
「あぁ、後で頼む。とりあえずは――」
早苗の術による回復を受けようとせず神奈子は未だ気を失っている妹紅を担ぎ、慧音のいる方の通路に行き、妹紅の身体を通路の壁に寝かせる。
「後は頼んだよ」
それだけ言って再び闘技場から自分側の通路へ戻る神奈子に早苗は問いかける。
「試合についての伝言でも言うのかと思いましたが……」
「そういうのが嫌いなタイプだと思ったからね。負けたとなったら尚更ね」
会話を二言三言かわしつつ通路に到着した神奈子達の前にはチルノの他に、小さな神である洩矢諏訪子が立っていた。
「おつかれさん。ちょっと喰らいすぎじゃない?」
「お前さんだって門番の一撃で死にかけたじゃないか。まぁ……何というか、下手に攻撃を受けれるのはもうこれっきりと思ったからね、後は怪物しか残ってないんだから」
「確かに。当たり前と言えば当たり前だけど、鬼も二人残ってるし。あっ、そういえばさ――」
会話が長くなりそうと早苗は判断し、その中で神奈子の手を回復すべく両手を出すよう促す。
「二回戦が鬼対天邪鬼組だったように、三回戦で私達が戦うのは両方、寺の奴らだね」
残り八人でこれから行われる三回戦。その中で鬼二人のいない組み合わせは――
洩矢諏訪子、対、寅丸星。
聖白蓮、対、八坂神奈子。
となっている。
「前は仏教と道教の奴らが面霊気と一緒になんやかんややってたから、今度は私達と寺の奴らによる疑似宗教戦争ってところかな。……っと、こういう大会にそういう事を混ぜるのは嫌いだったっけ?」
「……なぁ、諏訪子」
早苗から一度放れ、神奈子は諏訪子の耳元に近づき、ある提案を呟いた。
「まぁ……向こうもそういう事を理解して大会に参加してるとは思うけど……なんでそんな事?」
「なぁに、私だって、人の戦い方にけちをつけたくはない。だけどな、見てみたいんだよ……あいつの本気を……」
目に映る諏訪子の不気味な笑みを見て、早苗は自分から背を向けている神奈子がどんな表情をしているのか何となく判ってしまった。
彼女は目を覚ます。闘技場の喧騒は聞こえるものの、自分の目に映るのは薄暗い天井だった。
自分は先程まで神と戦っていたはずでは。そう思い妹紅は一気に飛び起きた。
「目が覚めたか」
「慧音……」
妹紅の目には二人の姿が入る。
「輝夜」
妹紅の敗北が決まり神奈子の手によって運ばれた後、輝夜はこの通路に姿を見せていた。
「残念よ、妹紅」
準決勝で輝夜と戦うという望みは叶わなくなった。その事に妹紅は怒りと悲しみの混ざった表情を滲ませるも、何かに当たることはなく、腰を落としてただ一言――
「すまん……」
嫌っている輝夜に対する謝罪だった。それがどれだけ驚くべき事象なのか、思わず目を丸くした慧音と輝夜が互いに顔を合わせる。
「まぁ……いいわ。今日は私達が掌を合わせる日ではなかったのよ」
そう言って輝夜は妹紅の前に近づき、腰を落とす。
「さぁ、妹紅。帰りましょう」
呆ける妹紅の頬を輝夜は撫でる。先程の戦いによって赤く染まっている頬に、さも当然のように輝夜は触れるが妹紅はいつも通りに払いのけた。
「何言ってんだ。お前は三回戦があるじゃないか」
「何言ってるのはこっちの言葉ね。あなたのいないこの催しなんてなんの意味もないわ。というより、我慢の限界よ」
「我慢?」
輝夜は右手と両膝を床に着け、左手で妹紅に触れる。彼女の十二単に覆われる妹紅はやはり訝しげな表情を崩さない。
「これ以上あなたを他の者達に傷つけられるのは我慢ならないのよ。もしあなたが三回戦に上がれてたとしたら、私はあなたの相手――聖白蓮を暗殺していたかもしれない。あなたを傷つけていいのは私だけであるべきなのよ」
「……相変わらずめちゃくちゃだな」
「私は我慢ができないし、あなたは私と戦う前に負けてしまった。私達は出るべきではなかったのかもしれないわね、あの竹林から」
「……つまんなかったか? 外は」
輝夜は少しだけ思案し……言う。
「いいえ、楽しかったわ。あなたの格好いい姿が見れて」
慧音と妹紅は共に目を丸くする。が、その言葉の真偽を即座に判別できた妹紅は、すぐに堪えきれなくなったように笑い出した。
「そうかそうか、私は格好良かったか。お前が鵺を倒した時も中々痺れたよ。結局一分で倒すんだもんなぁ。まだ大会は終わってないけど、絶対に最短記録だね」
「えぇ、氷精に手こずるあなたとは違うのよ」
「はは。……あ……いや……私の予想が正しければ、最短記録は更新されるな」
「ほほう?」
妹紅は笑いを堪えるように、輝夜を指さす。
「三回戦。お前が――」
半永久的な生命を持つもの同士であるにも関わらず、まるで童のように会話を弾ませる二人を見て慧音は微笑ましく思う。しばらくそれを見続けていたい気持ちにもさせられたが、教師としての血が彼女に咳払いをさせた。
「さて、仲のいいことではあるが、こんな所でなくてもいいだろう。次の三回戦を戦う者の邪魔になってしまう」
親しい慧音に『輝夜と仲が良い』と言われ苦笑いの混ざる表情になり戸惑う妹紅とは対称的に、慧音の言葉を聞いた輝夜はすぐに立ち上がった。
「そうね。でも永琳は大会が終わるまでここにいなければいけないから、その間に……妹紅、地底を案内してもらえるかしら。案内するのは得意でしょう?」
「一人で行けよ。鵺を倒せるお前の護衛をする気なんてないぞ」
そう言う妹紅に対し、慧音は輝夜の元へ歩み寄る。
「私でよければついて行こう」
「あら、あんな頭突きをする割には中々話が分かるわね」
突如裏切られた感じになってしまい妹紅は困惑する。
「お……おいおい、何で……」
「……地底には嫉妬心を操る妖怪がいると聞く。お前達の仲睦まじい姿に妬けてしまった。……というのは冗談で。私もお前と戦いたかったが、それは叶わなかった。地上ではどこに子供達の目があるか知れない。此処にいる内に強い酒でも飲みたい気分だ。さて、麗しい姫君に、その姫君にも劣る脆弱な半人。とても妖怪の跋扈する地底を歩き回れる面子とは言えない。護衛が一人欲しいところだな」
「……あーもう、わかったよ」
立ち上がって砂埃を払う妹紅は一度大きくため息を吐いた。
「行けばいいんだろう」
「頼りにしてるぞ、妹紅」
「腑には落ちてないけどな」
「頼りにしてるわ。大好きよ妹紅」
「うるさい」
それぞれが言葉を交わしながら、二回戦で敗北した慧音と妹紅、三回戦に上がるべき輝夜は共に闘技場から立ち去るべく歩く。その様子を隠れて観察していた八雲藍は彼女達に見つかる前にその場を後にした。
「との様子でした」
藍は紫に、先程目にした輝夜達の様子を説明した。審判団の控え室は造っていないので彼女達は選手としての藍が利用する北西控え室で会話を進める。ちなみに同室を利用できる者の中で他の三回戦進出者である伊吹萃香はこの場にいない。
「ご苦労様。インタビューの際はそのような素振りは見られませんでしたが。古明地さとりさんがいたから蓬莱山輝夜の考えは分かっていたのである程度の覚悟はしてても、やはり残念ですね」
紫達の他にも、審判団であるさとりと映姫が集まっていた。
「彼女と星熊勇儀という異例と言っていい組み合わせを見れる事に期待していたのですが。三十二名から絞られた八名。その者同士の戦いで鬼の戦いの一つが見れないとは……」
「で、その話と私達と何の関係があるのよ」
部屋には、更に霊夢、そして魔理沙、咲夜、早苗の人間四人も集結していた。
「輝夜がどうなろうと私には関係のない話よ。私にとっては無事にこの大会が終われば――」
「あるのよねこれが。とりあえず、説明はそこのメイドにしてもらいましょう」
咲夜が説明をするために輪の中から一歩前に出る。その時点で霊夢と魔理沙は嫌な予感を感じていた。
「私の住む館の主であるレミリア・スカーレットお嬢様の妹君――フランドール様がこちらに向かって来ています」
霊夢と魔理沙が予想通りと苦い顔をする中、早苗が問う。
「フランドールさん……レミリアさんの妹が?」
「はい……時を止めてフランドール様の様子を窺ったところ、恐らくこの三回戦の途中に――」
「あーもう、これ以上言わなくても分かったわ」
霊夢に促され、咲夜は途中で口を閉じて説明を終える。
「っていうか、なら止めろよ」と言う魔理沙の疑問に対し、自分はあくまで主含め館に住む方々に仕える身です、と言った咲夜は言葉を続ける。
「ですが、お嬢様には八雲紫さんに報告しろと命を受けたので。そしてこうして集められてるわけです」
「結局、館の危機管理能力不足のせいじゃないか……」
訝しげな表情をする魔理沙に対し、突如紫は小さく笑った。
「せっかくだから、あなたも今の内に報告しておいた方がいいんじゃないかしら……古明地さとりさん?」
突如名指しされさとりは反応する。一切とぼけることなく口を開く。
「お燐からの報告によると……私の妹、古明地こいしが地霊殿から姿を消したそうです」
古明地こいし、という言葉で思い出したのか、霊夢と魔理沙はますます頭を抱えた。その中で早苗はさとりに問いかける。
「こいしさん……ですか?」
「はい。霊夢さんと魔理沙さんはご存知の通り、私の妹であるこいしは、私であっても気配を感じる事ができません。もしかしたら既に客席に座ってるかもしれないし、ただ地底を散歩してるだけかもしれない。しかし万が一――」
「こいしさんなら、あっちの方角ですね。少し遠いところにいます」
唐突に壁を指さす早苗の放った言葉はさとりを含めた全員が驚愕した事に、逆に早苗も驚く
「え……え?」
「あんた……なんでさとりの妹のいる場所が分かるの?」
「え……ど……どうしてでしょう……?」
「はぁ?」
霊夢と共に信じられない表情で早苗を見るさとりに対し紫は「無意識によって気配を察知できなくなるなら、その逆も然り。さながら子供にしか見えない座敷童ね」と語るが「その理屈は無理やりすぎないか?」と魔理沙に突っ込まれる。
そんな会話の中で、話を早くまとめたい霊夢が紫に向かい口を開く。
「要するに私達で止めろってこと? 吸血鬼とさとりの妹を……」
「ご名答。まぁ、第三試合が終わるまで食い止めるだけで十分ね。もしあなた達が食い止めるのに失敗したなら、それも受け入れましょう。ただ、滞りなく大会進行を行うために精一杯の抵抗はしないとね」
「抵抗するのは私達だけどね」
溜息を吐く霊夢は観念した様子を見せる。
「じゃあ、私と咲夜がフラン、早苗と魔理沙が……さとりの妹を何とかする。ってことでいいわね」
「文句はない。こいしか……じゃあ出発する前に、にとりに力を貸してもらいに行ってくるか!」
魔理沙は一足先に控え室を飛び出していった。
「さぁて……。期待してるわよ早苗。魔理沙を頼んだわよ」
霊夢は咲夜と共に部屋を後にする。滅多に霊夢から聞けない言葉を贈られた事を喜んでいるのか、小さく意気込んで早苗も魔理沙達を追い掛けて行った。
「では、私達は三回戦が滞りなく進むよう進行に力を入れましょう。促されるまま審判長を任されましたが、私もこの大会の優勝者が誰なのか興味を持ってますので」
映姫は控え室での会話が纏まり次第、すぐに退室し、それに着いて行くようさとりも部屋から出て行った。今残っているのは選手である藍と開催者である紫だけである。
「よろしいのですか?」
「何の事かしら?」
わざとらしくとぼける紫に藍は溜息を吐きつつ開閉を繰り返す控え室の扉を指さして言葉を続ける。
「私達の会話、聞き耳を立てられてましたよ」
「……それで?」
「仮に霊夢達がフランドール・スカーレット、古明地こいしを迎撃できたとして、蓬莱山輝夜が三回戦を事実上辞退する事を知った今、『彼女』は出るつもりですよ」
「まぁ、いいじゃない。出たそうにしてたし。寧ろここまでほとんど何の問題もなく二回戦まで完了した事を幸運と考えましょう。それよりも、私はあなたの三回戦が気になるわね」
話題を変えられ、藍はそれ以上聞き耳を立てられた事についての話はできなかった。
「正直、あなたが鬼と戦うのは分が悪いと思っているわ。何か秘策でもあるのかしら?」
「……勝ちます、どんな手を使ってでも」
「あら、頼もしい。まぁ、いざとなったら式にでも護ってもらいなさい」
紫も自らの審判席へ戻っていき、藍は一人部屋に残される。壁に映る闘技場の映像を見る彼女の眼は細く鋭くなる。
「あと三回。鬼、そして恐らく祟り神。そして……」
坤神、毘沙門天代理、小鬼、九尾、月の民、大鬼、魔法使い、乾神。地底妖怪武道会を現時点まで勝ち上がった八名の戦いは、一回戦から二回戦へとの移行とは違い、すぐに始まる。
そして、八人――恐らく七人が各々三回戦に備える中、地底に降下する影がひとつ。更に、何処に行くのか、そもそも目的が闘技会場なのか分からない影がひとつ。更に、大会への途中参戦を望んでいるのか、紫達の会話を盗聴した影がひとつ。突如生まれつつある星熊勇儀への挑戦権の行方がどうなるのか、その瞬間まで誰にも分からない。
「なんで早苗が緊張してるんだい」
「向こうの……妹紅さんの雰囲気が凄くて……」
「どれどれ……」
視線を向かい側の通路に移すと、その先にいる妹紅の表情からは殺意が滲み出ているのが、闘技場を挟んだ距離からでも感じられた。
「まるで……決勝に挑む主人公みたいです」
「まだ二回戦だけどね。とはいえ……主人公か」
何かおかしな事を言ってしまったかと早苗が自分の言葉を思い返す中、神奈子は言葉を続ける。
「いやいや、そんな大した事じゃないさ。まぁ、参加者である私達三十二人が主人公だとほとんどの人が言うだろうな。だからせっかくのヒロイン役なんだ。目の前にいる一人の主人公を応援してほしいね」
これから試合をするとは思えない陽気さを見せる神奈子だったが、その心中は言葉とは裏腹だった。
――いるとするならば……この戦いが行われる事、そして観る事を最も望む者。そして私達は、そいつの手の平で踊る駒みたいなものなのかもしれない。
思わず早苗が覗き込んだ神奈子の表情は微笑みを浮かべていた。
「神奈子様?」
「私達が主人公だろうとそうでなかろうと関係ないさ。ただ見てる者達を楽しませる、それでいいんだ」
その言葉に早苗が同調するように頷く中、通路の奥から人影が現れる。
「お前か」
一回戦十六試合を戦うにあたって神奈子に助言を与えられた氷精のチルノだった。
「迂闊だった……あたいが迷うなんて」
チルノはそう言うが、会場内はさほど複雑な造りではない。
「どうしたんだい? もうすぐ試合なのにわざわざ」
小さな体躯のチルノを相手に神奈子は屈む。そんな神奈子の胸元に向け、チルノは拳を突き出した。
「頑張れ!」
そこまで親密な関係ではないにも関わらず、わざわざ試合開始寸前に伝えられたチルノの純粋な一言に、神奈子は今以上に顔を綻ばせる。
「もちろんだよ」
神奈子も右手を突出し、チルノと拳を合わせる。と同時に選手入場を促す言葉が廊下に響き、神奈子は早苗達に背を向ける。
「が……頑張ってください!」
出遅れたように早苗も激励の言葉を送り、神奈子は頭の高さまで上げた握り拳を見せ、返事の意を示した。
対して、対戦相手である藤原妹紅も闘技場へ足を踏み出そうとする。
「妹紅」
それを止めたのは友人である慧音だった。
「もう迷う必要はないだろう?」
妹紅はその言葉に頷き闘技場へと歩みを進めた。
二回戦最終試合の選手両名が姿を現し、客席も沸いていた。一回戦では、圧倒的な耐久性と力で、薬によって同じく規格外な耐久性を持っていた月の兎を戦闘不能にした神奈子。不死という能力を最大限に生かし、自分とは対をなす氷精チルノと激闘を繰り広げた妹紅。二回戦を締め括る組み合わせに観客達は何も不満はない。
一回戦の時と同様、闘技場の中央付近に立つ神奈子は大きく四股を踏む。地を震わせるかの如き四股踏みを前にする妹紅だったが、気になったのはその後ろにある一本の柱だった。大きな体躯の神奈子は、その体躯よりも更に一回り大きい御柱を一本、自分の試合開始位置の近くに刺していた。
「武器……か? 光栄だな。私は兎より手強いと思ってくれて」
「私は人間が大好きだからな」
突然の言葉に困惑するが、今言った『人間』とは自分も含まれているのだろうと妹紅は理解する。
「人間が神と戦うんだ。いざとなったら、あれを使っても構わないよ」
常人では振り回すどころか持ち上げる事さえ出来ないであろう御柱を武器にしてもいい、と神奈子は言う。
「上等だ。面白いよあんた」
妹紅は神奈子の言葉を挑発と受けとる。閻魔の言葉を待たず彼女は試合開始の位置へと下がる。神奈子と映姫もそれを見て、それぞれの位置に立った。
「二回戦第八試合、始め!」
閻魔はあくまで審判として、準備ができたと判断しすぐに試合開始を宣言した。同時に妹紅が余計な間を空けさせまいと跳ぶ。防御を考えない姿勢だが何も問題はない。彼女は不死なのだから。攻撃に全神経を集中させ放たれた飛び回し蹴りは、神奈子の首に直撃した。しかし、一回戦の時同様、相手の攻撃をもろに受けたにも関わらず微動だにしていない神奈子に、妹紅のみならず観客のほとんどが驚愕する。妹紅の脳裏には彼女の背後にある『柱』という言葉が思い浮かんだ。
「いい蹴りだ。気を緩めてたらへし折られてたかもね。さぁ、今度はこっちの番だよ」
神奈子の放つ気迫に思わず妹紅は後ろへ跳ぼうとする。腹を貫かれても骨を砕かれても平気でいられる力を持つ彼女が神奈子から感じたのは、殺気がないにも関わらず自分を倒そうというものだった。そして、神奈子が振り上げてた左手の平は、蛇のように、鞭のように腕をしならせ妹紅の頬に叩き付けられた。
「……づっ!」
間合いを離す最中、耐えられなくなったように妹紅は地面を転がり苦悶の表情を浮かべる。
「効くだろう。あんた達不死者の力は聞いてるさ。それでいて一回戦であんたと輝夜姫の戦いを見たけど、反則だよねぇ。だから私なりに考えた。殺せないなら、殺さず痛みだけ与えればいいと」
まるで聞き分けのない子供を叱るように神奈子は開いた左手をその場で振る。しかし、それによる風切り音はまるで細い鈍器によるものと思わせるような音だった。そんな一撃を頬に受けた妹紅の右頬は赤黒く染まっていた。
「いってぇ……親にだってこんな勢いで叩かれたことはないよ」
「……喋れるのかい? 大した根性だね」
神奈子が驚きを見せる中、体勢を立て直した妹紅はすぐに再び跳ぶ。
「こんなもん……耐えてやるさ!」
これでもかというほど表情に殺気を滲ませる妹紅に対し神奈子は笑みを零していた。
――この世界にいるだけあるね。根性論は好きだよ。でも、意味はない。
破壊ではなく痛みを与える事に特化した神奈子の技は妹紅の脇腹へ炸裂する。身体の内側ではなく外側への衝撃が激痛となって妹紅を襲う、はずだった。しかし、妹紅は一切怯まない。そのまま、近距離から放たれた妹紅の膝は神奈子の顎を捉えた。会心の一撃を与えたと妹紅は思い、しかしそれが大きな隙を生む。神奈子は単純に拳を握っただけの左拳を何の工夫もなく妹紅のこめかみへとぶつける。視界を揺らされつつも妹紅は後ろに跳んで間合いを離す。
「なるほどな……読めたよ、あんたの意図」
よろけつつも妹紅は得意げに微笑む。
「激痛や脳震盪……それで私を気絶させるつもりだな」
妹紅と同じ不死の肉体である蓬莱山輝夜は一回戦で頭に穴を空けられても戦闘不能とは判断されない回復力と不死身性を見せた。妹紅もそれと同等の能力を有している。しかし、今大会では、あくまで過半数の審判に『戦闘不能』と判断されればその時点で決着となるのだ。
神奈子は誤魔化すこともなく「ほう、もう辿りついたか。よくあの攻撃だけで分かったね」と答えた。
「お前の攻撃は全然殺気がない。昔、私を化物扱いして襲ってきた人間は私の回復力が追い付かない程の勢いで私を殺そうとしたことがあった。あんたはその逆だ」
「殺気がないのは当然さ。私は人間が大好きなんだ。殺す気なんてさらさらない」
「私を人間扱いしてくれるのは嬉しいけど――」
妹紅は右手に炎を宿す。その手でとった行動は神奈子への攻撃ではなかった。炎に包まれた右手を彼女は、先ほど神奈子の攻撃を受けたこめかみ部分へと突き刺した。その謎の行動に攻撃を受けたわけでもない神奈子が怯んでしまう。炎は妹紅の皮膚を焼き、力のまま頭蓋骨の側頭部を空け、脳へと沈み込む。異臭と煙を放つ頭から数秒程で指を引き抜いた妹紅は数度瞬きして微笑む。
「治まったよ。もう少しで酔うところだった」
攻撃によって被った脳の揺れを元に戻すため、妹紅は時間による解消を待たず自ら脳を傷つけ能力による回復を利用したのだと神奈子は理解する。
「ごらんの通り、私は……ただの化物だよ!」
依然右手から消えていない炎を左手にも灯らせ、再び一直線に向かう妹紅は変わらず一切防御の気配を見せない。そもそも防御の必要はない。そんな妹紅の攻撃をかわした神奈子は頭突きを食らわせる。ほんの刹那意識を失いつつも妹紅はもう片方の手で抜き手を放つがそれも回避されてしまう。
「しつこく……頭への攻撃か」
「……私の頭突きを受けて普通に立てるのかい、丈夫だねぇ。いや、だからといって腑に落ちないね。あんたの頭を揺らした拳骨はともかく、その前に放った私の張り手。相当の激痛だったはずだよ?」
「ふん。あんな技、既に慣れたさ」
「慣れてる……だって?」
「生憎私には一人喧嘩相手がいるんだ。嫌がらせのように今まで色んな傷と痛みを受けてきた。あの技の痛みは既に知ってるんだよ。そして、喰らうと分かってるならその分の覚悟を決めておけばいい。とはいえ側頭部の攻撃は効いたけどね」
「なるほど、頭突きのダメージも、そいつとの喧嘩で慣れっこってわけかい」
「いや、それは……」
妹紅は横目で自分側の選手入場通路にいる慧音を見る。肉弾戦による派手な攻防を繰り広げたことで客席が沸き立っているため慧音には妹紅達の会話は聞こえていなかった。
「別の奴だ」
「ふぅん。さぁて、ほんとはさっきの攻撃で頭を揺らしたからゆっくりと仕留めようかと思ったけど、また振り出しか。ところであんた……こういうのは知ってるかい?」
神奈子の見せるその構えは幻想郷の者達には異質に見えた。顎の近くに握った両拳を上げ、足取りは一定の間隔を刻みだす。
「なんだ……その構え?」
「ボクシング。……と言っても分かんないよねぇ。えぇと……顎を打たれるのが最も脳を揺らされるのは知ってるだろう?」
「え……?」
「知らないのか。それはあんたの勉強不足だよ」
妹紅が困惑する中、知識量の多い慧音は神奈子の構えに心当たりがあった。
「下がれ妹紅!」
慧音の言葉と共に神奈子は動く。大股で数歩歩く必要がある程度に間合いは離れていた。にも関わらず神奈子はまるで聖白蓮を想起させるような跳びで一気に距離を詰め、左拳を繰り出す。速さに重きを置いたそれに妹紅は反応できない。しかし拳は顎をわずかにかすめる程度で、神奈子も追撃しようとはせず下がって間合いを開けた。しかし、妹紅は突如、糸の切れた人形のように頭から前のめりに倒れた。
「文字通り、神の左ジャブ……効いたでしょう。というか見えてたかしら?」
さとりは神奈子が勝利者であることを示す方の手を上げる。それを横目に紫、映姫も手を上げようとした。しかし、突如さとりは困惑しつつその手を下ろした。その光景に神奈子が驚いた瞬間、いつの間にか起きていた妹紅の繰り出した上段蹴りが顎に直撃した。その奇襲に、初めこそ柱のような耐久力を見せていた神奈子は右膝をつく。好機とばかりに右手を炎に包み追撃した妹紅だったが、右膝を着く身体を更に低く構え、攻撃を外した妹紅の腰を神奈子は掴む。
「なんのこれしきぃぃぃ!」
もの凄い勢いで後方に投げられた妹紅は地面と平行に飛ぶ。しかし空を飛べる妹紅は空中で体勢を整え側面の結界に着地する。その目に映ったのは未だ膝を突く神奈子の姿だった。今繰り出された投げは、あくまで間合いを広げるためのものだと理解する。
「やるじゃないかい。流石に効いたよ」
苦笑いする神奈子に向かい、地に足を着けた妹紅は歩みを進める。
「しかし……私の考えが外れてたのかね……。脳を揺らせば、不死が発動せず倒せるかと思ったけど――」
神奈子の言葉は止まる。彼女が前にする妹紅の口からは血が零れ、溢れ出している。
「まさか……あんた」
妹紅はほくそ笑み、血にまみれた何かを吐き出す。そして神奈子の疑問を解消させるかのように口を開ける。その口内に妹紅の舌先はなかった。そう神奈子が悟った瞬間に、それは目の前で徐々に再生していった。
「咄嗟に歯の間に挟んでおいて正解だったよ。確かに一瞬気を失ったけど、地面にぶつかった瞬間、いい気付けになった。さて……これでも私が人間だと言ってくれるかい? いや……どちらかといえば、お前の方が人間に近いんじゃないかい?」
神奈子は妹紅の言葉に反応する。
「慧音が言ってた。『神が人を創った、という説と共に、人がいるから神が生まれた、という説もある』って。人の想像で生まれた神なら、その創りもきっと人と同じ。あんた私に言ったよな。顎に攻撃すれば一番頭が揺れる、って。あんたが膝を着いてるのが、その証拠だよ。そういえばもう一人の神も、吸血鬼の子分の攻撃で咳き込んでたしな」
妹紅の言葉に対し、神奈子は堪えきれなくなったように笑いながら立ち上がる。そして、立ち上がりきった神奈子の表情は、妹紅の求める険しいものへとなる。
「おや、神を怒らせちまった。罰が当たるかな?」
そのまま両者は構える。神奈子は体と両手指を開き投げを狙うものに。妹紅は四肢に炎を灯し、体勢は低いものの腕は下がり、防御を考えないものに。
「いいのかい。そんな殺気がなくて化物の私をどうやって倒すっていうんだ」
「逆に、あんたは凄い殺気だね。細かく言わせてもらうなら、それは私に向けられたものじゃないのは、私の勘違いかな?」
神奈子の問いに妹紅は答えられなかった。
「まったく……どいつもこいつも楽しむという気持ちが小さいねぇ。ま、今の私が言えたことじゃあないけどね」
「……何かするつもりか?」
「あぁ、必殺技さ」
「へぇ、楽しみだ。不死を必ず殺せる技があるのか」
神奈子と共に妹紅はゆっくりと歩みを進める。より不死の能力を理解した神奈子には、それ以上のものを見せない限りもう奇襲は通用しないだろう。構えこそ攻撃に集中しているが妹紅は決して侮ってなどいない。神奈子は一回戦で、薬を使用して耐久性を上げた月の兎を投げ技で仕留めたのだから。
少しずつ両者の距離は詰まっていく。妹紅に比べれば、神奈子の歩幅はほんの少しずつといったものである。その差が出たのか妹紅が先に跳ぶ。互い、後退することを禁じているかの如く、下がらない神奈子の腹部に妹紅の前蹴りは直撃する。しかし神奈子は怯まない。多少の攻撃など構わないといった様子で妹紅を掴みにかかる。しかし、怯まないのは妹紅も同じだった。
「勉強不足は……お前だよ!」
妹紅は炎に包まれた右手の手刀を振る。大会規則の脱落手段のひとつには『頭部の破壊、および首の切断』とある。一回戦で輝夜が頭を貫かれた際は不死による回復力により審判達に『頭部の破壊』とは判断されなかった。しかし言葉だけで考えるなら『首の切断』は線引きがはっきりしていて、なおかつ瞬時に判定が下されるだろう。たとえ神の持つ不可思議な力で切断された首があっという間にくっついたとしても、切断された瞬間に脱落となるはずである。妹紅がそう考えて放った渾身の手刀は、しかし神奈子に大きくしゃがんでかわされた。そしてそのまま、神奈子は妹紅の腰に両手を回す。
「ひっかかった……」
「あぁ、なんとなく構えで頭を狙ってることは分かってたさ。でも私はそれこそ絶対逃がさない隙だと――」
「そうじゃない」
神奈子の言葉を否定した妹紅は腰に回された神奈子の腕を上から掴んだ。
「投げるってことは当然、私と密着するってことだ。だからこの技を使うことを気づかれるわけにはいかない。だから大振りで攻撃した。……燃え尽きろ――」
妹紅は肉体を炎で包む。四肢ではなく全身を……自身だけではなく、密着する神奈子ごと。
「蓬莱『凱風快晴 ‐フジヤマヴォルケイノ‐』!」
神奈子の腕を掴む妹紅の両手に大きな力が集まり、自身を中心に爆発を起こし、光と炎が闘技場を包む。
「神奈子様……!」
神奈子を信仰する早苗が通路と闘技場を隔てる結界に顔を近付け、いち早く安否を確認しようとする。そして炎が比較的収まった時、彼女の目は絶望に染まらなかった。
「ば……馬鹿かよ」
毒づく妹紅の表情は、自分が扱う炎とは裏腹に青ざめていた。
「普通……離れるだろ」
攻撃を受けた神奈子は妹紅の技を受けて尚、いつの間にか背後をとっていた。焼け爛れた両腕を妹紅の首に回して。左腕で首を絞め、右腕を左腕と妹紅の後頭部に回し、放れないよう固定して。
「これが私の答だよ。私は人間が大好きだ。お前が不死であろうとなかろうと、人体を傷つけずに仕留める方法がこれだ」
「うあ……あぁぁぁぁぁぁっ!」
突如、妹紅は狼狽し、あがく。
かつて不死の肉体となった彼女は死を求め様々な死に方を試した。その内の一つが首吊りだった。首を吊り意識を失うことはできるが、気が付くとその肉体は地べたに寝転がり縄から首は抜けていた。首を絞める方法で妹紅が永遠に死ぬことはない。しかし、死ぬまでの数分間、意識を失うだけの時間は確かに存在したのは覚えている。
そして今、人の手によって絞められた際も例外ではないと妹紅は察知する。急激に視界は白く靄がかかり、久しく忘れていた特有の耳鳴りが響く。先程とは違いどんなに気付けの手段をとっても、この拘束から逃れない限りこのままでは意識を失い確実に敗北を宣告されるだろう。逃れようと神奈子の腕を掴んで振りほどこうとすることに気を向けすぎたせいで、簡単に膝も崩され尻餅を着くような体勢となった妹紅の身体に神奈子の足が蛇のように絡み妹紅の自由を更に奪っていく。
「タップする気がないなら、悪いけどこのまま落とさせてもらうよ」
神奈子の締める力は強くなっていく。気道ではなく頸動脈を圧迫され、気を抜けば瞬きする間もなく気を失う。そうなる前に妹紅は抵抗する。
「フジヤマ……ヴォルケイノ……」
かすれた声で放たれた言葉。必死に振りほどこうとしていた神奈子の両腕をその瞬間妹紅は逆に、自らに近づけるように掴む。そして、再び彼女は神奈子もろとも炎に包まれる。
今、妹紅はこの技の性質を変えていて、先程は、自分の肉体は吹き飛ばないよう身体を炎に近いものにしていた。故に両腕が焼け爛れた神奈子と違い自分に一切火傷はない。しかし今回は、それをしなかった。故に、神である神奈子と比べて貧弱な身体の妹紅の肉体はあっという間に蒸発してしまう。しかし不死の能力を持つ妹紅はすぐに復活する。神奈子の手から逃れた場所で。
そうなるはずだった。
「!?」
しかし、再び爆発が収まった際に観客達の目に映った光景は、依然神奈子に首を決められ続けている妹紅の姿だった。
「な……んで……」
声を絞り出す中で妹紅は気付く。自分が掴んでいる神奈子の腕が淡く光っていることに。そして、自分自身の身体も同じ光に包まれていることに。
「あんたを倒すために……私が護った。神の加護にあやかれるなんて、光栄なことだよ?」
後ろから聞こえた神奈子の言葉に妹紅の力は抜ける。未だ意識はあるが、自分の技を敵に護られる形で無効化されたことが動揺となって身体に表れる。万策尽き、妹紅が放った最後の言葉は――
「か……ぐ……や……」
自らを鼓舞しようとしたのか、それとも謝罪か。その言葉の続きを言い終えることはできず、彼女の両腕は垂れ下がり地面に落ちた。瞬間、満場一致で審判三人全員の手が上がる。
「そこまで! 勝負あり!」
閻魔の宣言とは裏腹に観客席は静まり返る。この二回戦も、人外らしい派手な技が飛び交い、スペルカードルール程ではないにせよ美しい攻防が交わされた。しかしこの二回戦を締めくくる第八試合、紅美鈴のいた第一試合や白蓮のいた第七試合以上に徒手空拳を主としていたが、最後は絞め落としというまるで人間同士の戦いという印象に観客達は違和感を拭えない。のは少数だったようで、神奈子と妹紅の健闘を称えるように、初めこそ小さかった歓声は徐々に大きくなる形で会場中を包んでいった。
「神奈子様!」
結界が解けると同時に走って来た早苗は神奈子の焼け爛れた両腕を見て、すぐに手をかざす。
「あぁ、後で頼む。とりあえずは――」
早苗の術による回復を受けようとせず神奈子は未だ気を失っている妹紅を担ぎ、慧音のいる方の通路に行き、妹紅の身体を通路の壁に寝かせる。
「後は頼んだよ」
それだけ言って再び闘技場から自分側の通路へ戻る神奈子に早苗は問いかける。
「試合についての伝言でも言うのかと思いましたが……」
「そういうのが嫌いなタイプだと思ったからね。負けたとなったら尚更ね」
会話を二言三言かわしつつ通路に到着した神奈子達の前にはチルノの他に、小さな神である洩矢諏訪子が立っていた。
「おつかれさん。ちょっと喰らいすぎじゃない?」
「お前さんだって門番の一撃で死にかけたじゃないか。まぁ……何というか、下手に攻撃を受けれるのはもうこれっきりと思ったからね、後は怪物しか残ってないんだから」
「確かに。当たり前と言えば当たり前だけど、鬼も二人残ってるし。あっ、そういえばさ――」
会話が長くなりそうと早苗は判断し、その中で神奈子の手を回復すべく両手を出すよう促す。
「二回戦が鬼対天邪鬼組だったように、三回戦で私達が戦うのは両方、寺の奴らだね」
残り八人でこれから行われる三回戦。その中で鬼二人のいない組み合わせは――
洩矢諏訪子、対、寅丸星。
聖白蓮、対、八坂神奈子。
となっている。
「前は仏教と道教の奴らが面霊気と一緒になんやかんややってたから、今度は私達と寺の奴らによる疑似宗教戦争ってところかな。……っと、こういう大会にそういう事を混ぜるのは嫌いだったっけ?」
「……なぁ、諏訪子」
早苗から一度放れ、神奈子は諏訪子の耳元に近づき、ある提案を呟いた。
「まぁ……向こうもそういう事を理解して大会に参加してるとは思うけど……なんでそんな事?」
「なぁに、私だって、人の戦い方にけちをつけたくはない。だけどな、見てみたいんだよ……あいつの本気を……」
目に映る諏訪子の不気味な笑みを見て、早苗は自分から背を向けている神奈子がどんな表情をしているのか何となく判ってしまった。
彼女は目を覚ます。闘技場の喧騒は聞こえるものの、自分の目に映るのは薄暗い天井だった。
自分は先程まで神と戦っていたはずでは。そう思い妹紅は一気に飛び起きた。
「目が覚めたか」
「慧音……」
妹紅の目には二人の姿が入る。
「輝夜」
妹紅の敗北が決まり神奈子の手によって運ばれた後、輝夜はこの通路に姿を見せていた。
「残念よ、妹紅」
準決勝で輝夜と戦うという望みは叶わなくなった。その事に妹紅は怒りと悲しみの混ざった表情を滲ませるも、何かに当たることはなく、腰を落としてただ一言――
「すまん……」
嫌っている輝夜に対する謝罪だった。それがどれだけ驚くべき事象なのか、思わず目を丸くした慧音と輝夜が互いに顔を合わせる。
「まぁ……いいわ。今日は私達が掌を合わせる日ではなかったのよ」
そう言って輝夜は妹紅の前に近づき、腰を落とす。
「さぁ、妹紅。帰りましょう」
呆ける妹紅の頬を輝夜は撫でる。先程の戦いによって赤く染まっている頬に、さも当然のように輝夜は触れるが妹紅はいつも通りに払いのけた。
「何言ってんだ。お前は三回戦があるじゃないか」
「何言ってるのはこっちの言葉ね。あなたのいないこの催しなんてなんの意味もないわ。というより、我慢の限界よ」
「我慢?」
輝夜は右手と両膝を床に着け、左手で妹紅に触れる。彼女の十二単に覆われる妹紅はやはり訝しげな表情を崩さない。
「これ以上あなたを他の者達に傷つけられるのは我慢ならないのよ。もしあなたが三回戦に上がれてたとしたら、私はあなたの相手――聖白蓮を暗殺していたかもしれない。あなたを傷つけていいのは私だけであるべきなのよ」
「……相変わらずめちゃくちゃだな」
「私は我慢ができないし、あなたは私と戦う前に負けてしまった。私達は出るべきではなかったのかもしれないわね、あの竹林から」
「……つまんなかったか? 外は」
輝夜は少しだけ思案し……言う。
「いいえ、楽しかったわ。あなたの格好いい姿が見れて」
慧音と妹紅は共に目を丸くする。が、その言葉の真偽を即座に判別できた妹紅は、すぐに堪えきれなくなったように笑い出した。
「そうかそうか、私は格好良かったか。お前が鵺を倒した時も中々痺れたよ。結局一分で倒すんだもんなぁ。まだ大会は終わってないけど、絶対に最短記録だね」
「えぇ、氷精に手こずるあなたとは違うのよ」
「はは。……あ……いや……私の予想が正しければ、最短記録は更新されるな」
「ほほう?」
妹紅は笑いを堪えるように、輝夜を指さす。
「三回戦。お前が――」
半永久的な生命を持つもの同士であるにも関わらず、まるで童のように会話を弾ませる二人を見て慧音は微笑ましく思う。しばらくそれを見続けていたい気持ちにもさせられたが、教師としての血が彼女に咳払いをさせた。
「さて、仲のいいことではあるが、こんな所でなくてもいいだろう。次の三回戦を戦う者の邪魔になってしまう」
親しい慧音に『輝夜と仲が良い』と言われ苦笑いの混ざる表情になり戸惑う妹紅とは対称的に、慧音の言葉を聞いた輝夜はすぐに立ち上がった。
「そうね。でも永琳は大会が終わるまでここにいなければいけないから、その間に……妹紅、地底を案内してもらえるかしら。案内するのは得意でしょう?」
「一人で行けよ。鵺を倒せるお前の護衛をする気なんてないぞ」
そう言う妹紅に対し、慧音は輝夜の元へ歩み寄る。
「私でよければついて行こう」
「あら、あんな頭突きをする割には中々話が分かるわね」
突如裏切られた感じになってしまい妹紅は困惑する。
「お……おいおい、何で……」
「……地底には嫉妬心を操る妖怪がいると聞く。お前達の仲睦まじい姿に妬けてしまった。……というのは冗談で。私もお前と戦いたかったが、それは叶わなかった。地上ではどこに子供達の目があるか知れない。此処にいる内に強い酒でも飲みたい気分だ。さて、麗しい姫君に、その姫君にも劣る脆弱な半人。とても妖怪の跋扈する地底を歩き回れる面子とは言えない。護衛が一人欲しいところだな」
「……あーもう、わかったよ」
立ち上がって砂埃を払う妹紅は一度大きくため息を吐いた。
「行けばいいんだろう」
「頼りにしてるぞ、妹紅」
「腑には落ちてないけどな」
「頼りにしてるわ。大好きよ妹紅」
「うるさい」
それぞれが言葉を交わしながら、二回戦で敗北した慧音と妹紅、三回戦に上がるべき輝夜は共に闘技場から立ち去るべく歩く。その様子を隠れて観察していた八雲藍は彼女達に見つかる前にその場を後にした。
「との様子でした」
藍は紫に、先程目にした輝夜達の様子を説明した。審判団の控え室は造っていないので彼女達は選手としての藍が利用する北西控え室で会話を進める。ちなみに同室を利用できる者の中で他の三回戦進出者である伊吹萃香はこの場にいない。
「ご苦労様。インタビューの際はそのような素振りは見られませんでしたが。古明地さとりさんがいたから蓬莱山輝夜の考えは分かっていたのである程度の覚悟はしてても、やはり残念ですね」
紫達の他にも、審判団であるさとりと映姫が集まっていた。
「彼女と星熊勇儀という異例と言っていい組み合わせを見れる事に期待していたのですが。三十二名から絞られた八名。その者同士の戦いで鬼の戦いの一つが見れないとは……」
「で、その話と私達と何の関係があるのよ」
部屋には、更に霊夢、そして魔理沙、咲夜、早苗の人間四人も集結していた。
「輝夜がどうなろうと私には関係のない話よ。私にとっては無事にこの大会が終われば――」
「あるのよねこれが。とりあえず、説明はそこのメイドにしてもらいましょう」
咲夜が説明をするために輪の中から一歩前に出る。その時点で霊夢と魔理沙は嫌な予感を感じていた。
「私の住む館の主であるレミリア・スカーレットお嬢様の妹君――フランドール様がこちらに向かって来ています」
霊夢と魔理沙が予想通りと苦い顔をする中、早苗が問う。
「フランドールさん……レミリアさんの妹が?」
「はい……時を止めてフランドール様の様子を窺ったところ、恐らくこの三回戦の途中に――」
「あーもう、これ以上言わなくても分かったわ」
霊夢に促され、咲夜は途中で口を閉じて説明を終える。
「っていうか、なら止めろよ」と言う魔理沙の疑問に対し、自分はあくまで主含め館に住む方々に仕える身です、と言った咲夜は言葉を続ける。
「ですが、お嬢様には八雲紫さんに報告しろと命を受けたので。そしてこうして集められてるわけです」
「結局、館の危機管理能力不足のせいじゃないか……」
訝しげな表情をする魔理沙に対し、突如紫は小さく笑った。
「せっかくだから、あなたも今の内に報告しておいた方がいいんじゃないかしら……古明地さとりさん?」
突如名指しされさとりは反応する。一切とぼけることなく口を開く。
「お燐からの報告によると……私の妹、古明地こいしが地霊殿から姿を消したそうです」
古明地こいし、という言葉で思い出したのか、霊夢と魔理沙はますます頭を抱えた。その中で早苗はさとりに問いかける。
「こいしさん……ですか?」
「はい。霊夢さんと魔理沙さんはご存知の通り、私の妹であるこいしは、私であっても気配を感じる事ができません。もしかしたら既に客席に座ってるかもしれないし、ただ地底を散歩してるだけかもしれない。しかし万が一――」
「こいしさんなら、あっちの方角ですね。少し遠いところにいます」
唐突に壁を指さす早苗の放った言葉はさとりを含めた全員が驚愕した事に、逆に早苗も驚く
「え……え?」
「あんた……なんでさとりの妹のいる場所が分かるの?」
「え……ど……どうしてでしょう……?」
「はぁ?」
霊夢と共に信じられない表情で早苗を見るさとりに対し紫は「無意識によって気配を察知できなくなるなら、その逆も然り。さながら子供にしか見えない座敷童ね」と語るが「その理屈は無理やりすぎないか?」と魔理沙に突っ込まれる。
そんな会話の中で、話を早くまとめたい霊夢が紫に向かい口を開く。
「要するに私達で止めろってこと? 吸血鬼とさとりの妹を……」
「ご名答。まぁ、第三試合が終わるまで食い止めるだけで十分ね。もしあなた達が食い止めるのに失敗したなら、それも受け入れましょう。ただ、滞りなく大会進行を行うために精一杯の抵抗はしないとね」
「抵抗するのは私達だけどね」
溜息を吐く霊夢は観念した様子を見せる。
「じゃあ、私と咲夜がフラン、早苗と魔理沙が……さとりの妹を何とかする。ってことでいいわね」
「文句はない。こいしか……じゃあ出発する前に、にとりに力を貸してもらいに行ってくるか!」
魔理沙は一足先に控え室を飛び出していった。
「さぁて……。期待してるわよ早苗。魔理沙を頼んだわよ」
霊夢は咲夜と共に部屋を後にする。滅多に霊夢から聞けない言葉を贈られた事を喜んでいるのか、小さく意気込んで早苗も魔理沙達を追い掛けて行った。
「では、私達は三回戦が滞りなく進むよう進行に力を入れましょう。促されるまま審判長を任されましたが、私もこの大会の優勝者が誰なのか興味を持ってますので」
映姫は控え室での会話が纏まり次第、すぐに退室し、それに着いて行くようさとりも部屋から出て行った。今残っているのは選手である藍と開催者である紫だけである。
「よろしいのですか?」
「何の事かしら?」
わざとらしくとぼける紫に藍は溜息を吐きつつ開閉を繰り返す控え室の扉を指さして言葉を続ける。
「私達の会話、聞き耳を立てられてましたよ」
「……それで?」
「仮に霊夢達がフランドール・スカーレット、古明地こいしを迎撃できたとして、蓬莱山輝夜が三回戦を事実上辞退する事を知った今、『彼女』は出るつもりですよ」
「まぁ、いいじゃない。出たそうにしてたし。寧ろここまでほとんど何の問題もなく二回戦まで完了した事を幸運と考えましょう。それよりも、私はあなたの三回戦が気になるわね」
話題を変えられ、藍はそれ以上聞き耳を立てられた事についての話はできなかった。
「正直、あなたが鬼と戦うのは分が悪いと思っているわ。何か秘策でもあるのかしら?」
「……勝ちます、どんな手を使ってでも」
「あら、頼もしい。まぁ、いざとなったら式にでも護ってもらいなさい」
紫も自らの審判席へ戻っていき、藍は一人部屋に残される。壁に映る闘技場の映像を見る彼女の眼は細く鋭くなる。
「あと三回。鬼、そして恐らく祟り神。そして……」
坤神、毘沙門天代理、小鬼、九尾、月の民、大鬼、魔法使い、乾神。地底妖怪武道会を現時点まで勝ち上がった八名の戦いは、一回戦から二回戦へとの移行とは違い、すぐに始まる。
そして、八人――恐らく七人が各々三回戦に備える中、地底に降下する影がひとつ。更に、何処に行くのか、そもそも目的が闘技会場なのか分からない影がひとつ。更に、大会への途中参戦を望んでいるのか、紫達の会話を盗聴した影がひとつ。突如生まれつつある星熊勇儀への挑戦権の行方がどうなるのか、その瞬間まで誰にも分からない。
やはり不死は妹紅の武器であり弱点でもあるな。彼女が美鈴宜しく格闘術を修めそれを軸にするスタイルであったなら結果は変わったかも知れんね
『彼女』は誰だろう? 私の予想は普段裏方に徹するあの人としておく
それにしても作者さんは気が長いね。頭が下がります
神奈子と妹紅の対戦も熱くて痺れました。
また次回も楽しみにしております。
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